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未来の女王陛下、初恋の君と再会する  作者: 畑中希月
第四章 マレの第二王子
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二十七 追憶

結構重めの回想です。

 アウリール・ロゼッテはマレの神官の家に生を受けた。

 物心ついた時から、アウリールは医術に興味を持っていた。


 都市から遠く離れた、医師もいないような地方の神官には、医術の知識も必要だった。患者に治療を施す父の仕事ぶりを見たり、家にあった医学書に目を通していたことが、アウリールの将来を決定づけた。


 アウリールは王都の医科大学に入学し、次席で卒業した。そして、二十歳の若さで第二王子の侍医に抜擢されるという栄誉を得た。


 しかし、宮廷に上がったアウリールを待っていたのは、人形のように美しいが、誰にも心を開かない、冷めた目をした少年――当時九歳の第二王子シュツェルツだった。

 王子との初対面で、アウリールは悟った。彼は、身体よりも心を健やかに育てる必要があると。


 第二王子であるがゆえに、シュツェルツは誰にも顧みられていなかった。


 父王メルヒオーアは政務と女遊びに忙しく、子どもたちには無関心。母王妃であるマルガレーテは、シュツェルツの病弱な兄、王太子アルトゥルばかりを溺愛していた。


 国王夫妻の仲は冷え切っており、家族の団欒だんらんなど望むべくもなかった。唯一、アルトゥルは、弟に年子の兄としての愛情を抱いていたが、母の愛を得られないシュツェルツにとって、その優しさも酷い侮辱に映ったようだ。


 シュツェルツが熱を出しても、両親は顔を見せず、王子の看護をするのは、アウリールと女官たちの仕事だった。


 シュツェルツが、自ら他人に働きかける時は、ごく限られていた。幼い子どもにしては巧みな言葉で女官の気を引き、自分の機嫌を取らせるのだ。


 何と寂しい王子だろう、とアウリールは強烈な悲しみとともに思った。このまま育てば、王子がどんな大人になり、どんな人生を送るのか――それが、ありありと想像できたからだ。


 誰からも愛されず、誰も愛さない、虚飾に満ちた空しい人生。そんな生を、まだ幼い王子に送らせてはならない、と、アウリールは思ったのだ。


 アウリールは、辛抱強く王子に接することにした。無視されても、冷たくあしらわれても、毎日、笑顔で話しかけ、シュツェルツの体調を気遣った。


 半年もたつと、シュツェルツは感情をぶつけてくるようになり、初めは苛立ちを、一年がたつ頃には怒りを表すようになった。その時期を超えると、シュツェルツはアウリールのことを「味方」だと見なしたようである。


 本でしか遊び方を知らなかったというチェスを、アウリール相手にするようになり、勉強で分からないところを訊いてくる。本来なら職務の範疇はんちゅうではないことでも、アウリールは丁寧に対応した。


 シュツェルツと接していくうちに、アウリールは彼の性質を深く知ることになった。同年代の少年と比較しても早熟な聡明さと、鋭い刃物にも似た誇り高さである。


 この方には、刃の鞘となる者が必要だ、とアウリールは思い、自らがその役を務めようと、心密かに誓った。


 二年がたつ頃には、シュツェルツはどこにいくにもアウリールを連れていくようになった。それに伴い、十一歳になったシュツェルツの周囲では、新たな変化が起こり始めた。


 まず、シーラム人を母に持つ、二十歳のエリファレット・シュタムがシュツェルツづきの近衛騎士となった。シーラムの王女を祖母に持つシュツェルツにとって、エリファレットは興味深く映ったようだ。


 自分から話しかけ、シーラムのことや、彼の家族のことをさかんに知りたがる。実直なエリファレットは、幼い主君の質問に嫌な顔ひとつせず答え、親交を深めていった。


 そして、シュツェルツの衣装係として、女官のベアトリーセ・ヴェレが新しく仕えるようになった。


 まだ十六歳のベアトリーセは、艶やかな褐色の髪と黒い瞳を持つ、可憐な少女だった。彼女は心優しく、他の事務的な女官たちとは違い、シュツェルツに対して親身に接した。


 ベアトリーセと出会って、シュツェルツは少し変わった。ベアトリーセを目にすると、落ち着きがなくなり、しきりに彼女の話題ばかり持ち出す。何より、他の女官たちに構う頻度が極端に減った。


 殿下の初恋がいよいよ始まったか、とアウリールはエリファレットと話し合い、ほほえましい気持ちになった。


 しばらくすると、シュツェルツの機嫌は極度に悪くなり、アウリールを避けるようになった。業を煮やしたようなその態度の意味を、アウリールが問い詰めると、シュツェルツは泣き出しそうな顔で言った。


「だって、ベアトリーセは君のことが好きなんだよ!」


 自分に向けられる女性の好意に、まるで無頓着だったアウリールは驚いた。


 シュツェルツの言葉を聞いて、ベアトリーセを意識するようにはなったものの、彼女とは歳が離れていたし、何より恋仲になるのは主君に対する裏切りのような気がして、気が咎めた。


 そんなアウリールに苛立ったのか、あるいは何か別の感情が芽生えたのか、ある時からシュツェルツは、アウリールとベアトリーセが恋仲になるよう、行動し始めた。


 十一歳の王子に後押しされる形で、アウリールとベアトリーセは心を通わせ、恋仲になった。


 一年ほどたち、アウリールがベアトリーセとの結婚を考え始めた頃、忌まわしい事件は起きた。

 国王メルヒオーアがベアトリーセを見初め、側妾にと望んだのだ。


 ともに逃げよう、とアウリールはベアトリーセに言った。ベアトリーセは、ゆっくりと首を横に振った。ベアトリーセの父親は宮廷で官吏をしており、母や弟妹もいる。彼女が逃げ出せば一家がどうなるかは、言わずと知れていた。


 その時、彼女が口にした言葉はアウリールの心をしたたかに打った。


「あなたに、シュツェルツ殿下が見捨てられるの?」


 アウリールは返す言葉を持たなかった。ベアトリーセは、涙で頬を濡らしながらほほえんだ。


「あの方には、あなたが必要なのよ」


 アウリールは、ただベアトリーセを抱き締めることしかできなかった。……それが、彼女を間近で見た最後の日となった。


 その翌日、悄然としたシュツェルツがアウリールの前に現れた。聞けば、ベアトリーセを側妾にするのをやめるよう、父王に諫言し、追い返されてきたらしい。


「……ベアトリーセが側妾にされてしまうのは、僕の女官になったせいだ」


 ぽつりとそう言ったシュツェルツは、大粒の涙を流しながら、アウリールに詫びた。気位の高い王子は、ただの少年に戻って泣きじゃくった。


「いいえ、間違っても殿下のせいではございません」


 アウリールは無礼を承知で、シュツェルツをそっと抱き締め、静かに応えた。

 泣きやんだあとで、シュツェルツは無理やり笑顔を作って告げた。


「その代わり、アウリールはこれからも僕の侍医でいられることになったよ。ちゃんと父上から――ええと、言質げんちを取った」


 シュツェルツが心配したのは、ベアトリーセが側妾になったあとのアウリールの立場だった。


 その懸念通り、周囲の誰もが国王の不興を恐れ、ベアトリーセの恋人であったアウリールを避けるようになった。以前と変わらず接してくれるのは、シュツェルツとエリファレットだけだ。


 アウリールが今の地位を保っていられるのは、シュツェルツの進言のお陰であることは明白だった。

 侍医を辞さず、一生、シュツェルツに仕えようという決心が、アウリールの中で固まったのは、この頃のことだ。


 変動は続いた。十三歳になっても一向に丈夫にならず、病気がちな王太子アルトゥルに見切りをつけ、シュツェルツを次期国王に、と望む派閥が、宮廷内で急速に勢力を増しつつあったのだ。


 アウリールが宮仕えをするまで、誰もシュツェルツに手を差し伸べようとしなかったのに、勝手なものである。もっとも、シュツェルツは自分を利用しようとするものには敏感で、彼らを冷淡にあしらっていた。


 だが、メルヒオーアのベアトリーセへの寵愛と、愛する王太子が廃されるかもしれないという二重の不安が重なり、王妃マルガレーテは、全ての元凶であるとして、激しくシュツェルツをなじった。


 完全な言いがかりだったが、シュツェルツは傷ついた。宮廷は揺れに揺れ、シュツェルツが王太子派に命を狙われる事件も起きた。


 事態を重く見たメルヒオーアは、友好国であるシーラムに働きかけ、シュツェルツを留学生として受け入れるよう手配した。そして、王族や貴族の子弟が学ぶ、シーラムでも屈指の名門であるラトーン学院への入学が決まった。


 国を出ることになり、シュツェルツは悲しむどころか、むしろせいせいとしていた。一時でも、宮廷のしがらみから解放されたからだろう。


 十二歳の六月、シュツェルツはアウリールとエリファレット以下、四名の供と一緒に、祖母の故国であるシーラムの地を踏んだ。シュツェルツのラトーンでの生活が始まったのである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] マレの王子様、祖国ではあんまりいい目にあってなさそうだなぁ…あまりきちんと生活の世話をされてなかったんじゃないかなぁと思っていましたが、思っていた以上に辛い環境でしたね…。 実の母親に詰ら…
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