十三 隣国の王子
ドゥーガルドとラティーシャが言うには、居間も含めた各部屋は、前もって掃除されていたらしい。ということで、お昼までの時間が余った。まあ、マルヴィナが掃除を手伝うと言っても、ラティーシャは承知してくれなかっただろうが。
居間のソファーに腰かけながら、マルヴィナはドゥーガルドやラティーシャとおしゃべりを楽しむ。新しく知り合った人たちと話すのもワクワクするけれど、気を許せる人たちとのんびり話すのも良いものだ。
しばらくすると、アレクシス以外の護衛の女性騎士二人が、離れに入ってきた。ラトーンの敷地内を回って、護衛に関する下見をしてきたらしい。ちなみに、彼女たちをまとめるリーダーが、今は外で見張りをしているはずのアレクシスである。
彼女たちもドゥーガルドの部下なので、叔父が報告を受け、新たに指示を出している。
ラティーシャは仕事モードのドゥーガルドの姿にぽーっとしつつ、女性騎士たちにちょっと嫉妬もしているようだ。些細な変化だが、普段のラティーシャを見慣れたマルヴィナには分かる。もちろん、彼女の態度にドゥーガルドが気づいた様子はない。
(うーん、じれったい)
自分のことは棚に上げていると、お昼の鐘が鳴り響く。セオンとフィラスが迎えにくる時間だと思い返し、マルヴィナは背筋を伸ばした。
そわそわしながら二人を待つ。やがて、ノッカーの音が耳に届いた。
ラティーシャが出ようとしたので、マルヴィナは止めた。代わりに身だしなみの確認をしてもらう。問題はなかったので、リオをラティーシャに渡し、マルヴィナは少し緊張しつつ、扉を開けた。
立っていたのは、フィラスだった。兄弟で髪型が違うから、見分けがつきやすいのはもちろんだが、改めて見ると、フィラスのほうが、心なしか目つきが険しい印象を受ける。
「……お迎えに上がりました」
てっきりセオンも一緒だと思っていたので、残念というわけではないけれど、マルヴィナはちょっと意外だった。
「ありがとう、フィラス。じゃあ、いきましょうか」
ドゥーガルドたちに、「いってきます」と告げると、マルヴィナは外に出た。見張りをしていたアレクシスが、マルヴィナの動きを追って、移動し始める。こちらはこれから呑気にお昼だというのに、本当に頭が下がる。
マルヴィナはフィラスと並んで歩き始める。
「お昼は何が出るのかしら。楽しみだわ」
食い意地が張っているように見られたかな、とマルヴィナが発言を後悔し始めた頃、フィラスが気の毒そうな顔でこう告げた。
「期待しないほうがよろしいですよ」
「え? それってどういう意味?」
「実際に食事をご覧になれば、お分かりになります」
マルヴィナは小首を傾げた。この学院の料理人の腕が、えらく悪いという意味だろうか。
(けど、貴族のお坊ちゃんを集めた学校で、そんなことがありえるのかなあ……?)
フィラスの言う通り、実物を見てみることにして、マルヴィナは話題を変えた。
「そういえば、セオンは一緒じゃないのね」
「いつも兄が一緒でなければいけませんか」
フィラスに少し強い口調で反問され、マルヴィナはびっくりした。先程は、不用意にユリーズの名を出して、彼を不快にさせたし、今回も同じようなことを言ってしまったのかもしれない。
「ごめんなさい。そういう意味で言ったんじゃないの」
「あ……いえ、わたしも責めたわけでは」
フィラスも戸惑い気味に応じ、二人は気まずいままに黙り込んだ。
「……わたしは」
しばらくして、フィラスが口を開いた。
「家族の話題は苦手なのです。ですが、それ以外の話であれば、殿下をわずらわせることもないと思います」
態度はぶっきらぼうだったが、フィラスの不器用な気遣いが感じられて、マルヴィナは唇をほころばせた。
「分かったわ。実を言うとね、わたしも家族の話は苦手なの。兄弟はいないし、両親ももう亡くなっているから」
「それは――」
「だから、これからは、違う話をたくさんしましょう」
そうだ。まずは、双子のことを探る云々以前に、彼らと友人になりたい。
フィラスは軽く目をみはったあとで、頷いた。
「かしこまりました。わたしでよろしければ」
「じゃあ、ええと……あ、そうだ。食事の時って、席は決まっているの?」
「いえ。皆、好きに座っています。殿下の場合、今回はわたしの隣に座られるとよろしいでしょう」
「ありがとう。あ、そうだ。フィラスはゲームズには詳しい?」
「……まあ、多少は」
「ラトーンでするゲームズで、わたしでもできそうなものってあるかしら?」
フィラスは少し考え込んだ。
「馬術や弓術はいかがでしょうか。チーム制のものだと、フットボールやクリケットなどがありますが……」
「クリケットなら、遊んだことがあるわ。馬術なんかも良さそうね」
二人は、時おり、ぎこちなくなりながらも会話を続け、気づけば食堂のある建物の前に到着していた。全校生徒分のテーブルと椅子が並べられている食堂の中に入ると、話し込んでいた生徒たちが静まり返り、いっせいにマルヴィナたちのほうを見た。
セオンの姿を見つけたものの、マルヴィナは急に緊張してしまい、顔を伏せた。
「殿下、こちらへ」
フィラスに導かれるままに、マルヴィナは席に着く。向かいの席の少年と目が合った。少年は慌てたように目を逸らす。
(……わたし、嫌われるようなこと、したのかな)
――知ってるぞ。お前、反逆者の孫なんだってな!
嫌な記憶を思い出してしまい、にわかにマルヴィナは生徒たちを見るのが怖くなってしまった。
その時。
「ねえ、君。席を代わってよ」
耳に心地良い中性的な声が聞こえ、思わずマルヴィナは顔を上げた。
見ると、黒髪を肩口で切り揃えた十三、四歳の少年が、向かいの生徒の横に立っていた。少女かと見まがうような白い肌理の整った肌と、繊細な顔立ちをしている。もし、彼が美少年だと評価されなかったら、セオンとフィラスも美形の範疇から外れてしまうだろう。
生徒が面食らったように答える。
「え? でも……」
「いいでしょ、席を代わるくらい。ここが君の固定席ってわけじゃないんだから。お礼が必要なら、あとでお菓子でもあげるよ」
「シュツェルツ殿下、彼が困っているでしょう。あまり無理強いするのはおやめ下さい」
フィラスが監督生らしく厳しい声を出す。
「殿下」ということは、この美少年がマレの王子らしい。シュツェルツ、というシーラム人にはやや発音しづらい名前を、マルヴィナは心に刻み込んだ。
それにしても、マルヴィナと曾祖父を同じくするとはいえ、シュツェルツのシーラム語は完璧で、美しくすら感じられる。
一方、フィラスとシュツェルツの口論は続いている。
「無理強いじゃなく、お願いしているんだよ。それに、僕は今日初めて会う親戚と、お近づきになりたいだけなんだけど。ああ、何なら君が、彼女の隣の席を譲ってくれても、一向に構わないんだよ?」
(ええー!? わたし!?)
どうやら、この騒動が起きたのは、シュツェルツがマルヴィナの近くに座りたがっていることが原因らしい。落ち込んでいたのが一転、マルヴィナは頭を抱えたくなった。
フィラスはというと、険悪な眼差しでシュツェルツを見つめている。目の端にセオンが立ち上がる姿が映った。
このままではまずい。そう判断したマルヴィナは、思わず声を上げた。
「シュツェルツ殿下、わたくしと席を移動しましょう」
シュツェルツは灰色がかった青い瞳で、まじまじとこちらを見た。
「はい、そうしましょう」
ぱっと満面に綺麗な笑みを浮かべるシュツェルツを前に、マルヴィナは脱力しそうになった。
ふと、隣を見ると、フィラスが申し訳なさそうな視線を送ってくる。マルヴィナは彼にほほえんで見せたあとで、席から立ち上がった。