十一 学院見学
カミーリアの屋敷を出ると、ちょうど三人の話し声を聞き取るのが難しいくらいの距離から、護衛がついてくる。よく訓練されているらしい、この二十代前半の女性は、マルヴィナづきの護衛として紹介された際、アレクシス・エルム卿と名乗っていた。シーラムでは女性も騎士になれるのである。
屋敷に連結している建物を、セオンが見上げた。
「あれが学院寮です。ふたつある寮のうち、古いほうの寮ですね。ほら、フィラス」
「……学院寮は、わたしが監督生を務めております。あちらの、少し離れた建物がジェニスタ氏寮。この寮が建てられた時に、寮長に任じられた教師の名を取って、そう呼ばれております。もうお分かりでしょうが、ジェニスタ氏寮の監督生は、兄です。本来ならば、レオニス公は学院寮に属するのですが、今代に限り、殿下はジェニスタ氏寮に所属していただきます」
セオンに促され、仕方なくといった風に、長い説明をするフィラスを前にして、マルヴィナは場を和ませねば、と思った。
「兄弟揃って監督生だなんて、すごいですね。先程伺ったのですけど、お父君も監督生でいらっしゃったとか。素晴らしいわ」
ユリーズの話題を出した瞬間、フィラスの表情がさらに険しくなった。マルヴィナは失敗を悟り、冷や汗をかく。
「あ、ええと、ごめんなさい。わたし、変なことを言ってしまって……」
フィラスは、一瞬はっとした顔をし、短く答えた。
「……いえ、お気になさらず」
「弟は父の話をされるのを嫌うのです。以後、お気をつけて」
セオンがマルヴィナの耳元で、ちょっといたずらっぽく、囁くように告げた。立ち居振る舞いが、いちいちかっこいい。もし、この学院が男女共学だったら、乙女たちは黄色い悲鳴を上げたことだろう。
もちろんドキドキしてしまったマルヴィナは、平常心を装いながら、二人についていく。
男の園の寮の内部は、「女性にお見せするのは、見苦しいから」という理由で案内されなかったので、校舎まで移動して、生徒が勉強中の教室を見学させてもらう。ハープシコードの置かれた音楽室などもあった。
教室を覗いたり、廊下で生徒たちとすれ違ったりすると、ものすごく注目されているのを感じる。女子が珍しいのか、それとも、マルヴィナがレオニス女公だからか。
そのあとで、神殿や、大講堂、図書館、食堂などの建物も、順次見て回る。中庭を渡ると、医務室と病室の完備された建物もあった。さらに、広々とした競技場や、馬が放たれている牧場、厩舎なども回ると、健脚に自信のあるマルヴィナも、だいぶ疲れてきた。
「少し、休みましょうか」
絶妙のタイミングで、セオンがそう言ってくれた。競技場まで戻ったところで、設えられているベンチに、三人揃って腰かける。このベンチは、ゲームズをする時に、控えの選手や観客が座るためのものらしい。
休みがてら、マルヴィナはカミーリアに訊きそびれたことを、セオンに尋ねてみる。
「ラトーンはずいぶん広いようですけど、生徒はどのくらいいるのですか?」
「殿下をお入れして八十三名ですね」
見学中に聞いた話と総合すると、ラトーンは六学年に分かれており、最上級の六年生だけ、「下級」と「上級」の二学年あるのだそうだ。生徒の年齢は、おおよそ十一歳から十八歳。現在十五歳のマルヴィナは、試験の結果も問題がなかったので、五年生に入学することになる。
ちなみに、セオンとフィラスは十七歳で、上級の六年生だということだった。
「そういえば、マレの王子殿下が在籍しておいでだと聞いたのですが……どんな方ですか?」
セオンの隣に腰かけていたフィラスが、ものすごく嫌そうな顔をする。セオンはくつくつと笑ったあとで、話し始めた。
「マレの殿下は、学院寮に部屋を持っておいでなのです。警備上の関係もあって、代々のレオニス公のお部屋をお使いでしてね。つまり、名目上は、弟の監督下にあるわけですが、何せ、王子さまなものですから」
マルヴィナの代に限り、レオニス女公がジェニスタ氏寮に属することになった理由が、これで分かった。レオニス女公とマレの王子。この二人が同じ寮に属していたら、担当になった寮長の教師と監督生の胃に穴が空いてしまうだろう。
「わがままな方なのですか?」
恐る恐るマルヴィナが探りを入れると、セオンは「うーん」と考え込んだ。
「というよりは、奔放な方ですね。規則に縛られるのをお嫌いになるというか……」
「お供の方にも、よく叱られているようですよ」
珍しく、フィラスが自ら発言した。セオンがその言葉を受ける。
「ああ、フィラスは、お供の騎士の方とは、時々話をしているものな」
「……まあ、他国の方とはいえ、俺も同じ近衛騎士を目指していますから」
フィラスはセオンと話す時、一人称が「俺」になるようだ。ちょっと可愛いかもしれない。
二人の話によると、一般生徒はベッドが並べられた大部屋で寝起きするそうだが、マレの王子、代々のレオニス公などの特別な生徒は、個室を与えられているそうだ。監督生であるセオンとフィラスでさえも、専用の居間こそ与えられているものの、寝室は一般生徒と同じだという。
その情報を初めて知ったマルヴィナは、女生徒だから個室が与えられて当然、と思っていた自分が恥ずかしくなった。
貴族は常に、高貴なる者の責任と義務――ノブレス・オブリージュという言葉を意識するものだ、とドゥーガルドは教えてくれた。
セオンとフィラスは、監督生という責任と義務の対価に部屋を与えられ、不自由な集団生活に身を置いている。それは、一般生徒も同じだ。
ならば、自分の責任と義務は何だろう。
(良い女王になろう。それが、わたしにできること――わたしにしかできないことだわ)
マルヴィナは密かに決心した。