九 校長との対面
エーレの街の外れに、ラトーン学院はある。王都ターリスから馬車で一日ほどの距離だ。並木道を通って門を潜ると、広大な敷地が広がっている。
敷地の中央には館が建っており、そこを中心として、建物が点在している。
朝。叔父ドゥーガルドとラティーシャとともに、マルヴィナは馬車から館のポーチに降り立った。
(ここが、ラトーン学院……)
マルヴィナの領地にも学校はあるが、ラトーンとは比べものにならないほど規模が小さい。大きさが全てではないにしろ、マルヴィナは領主として、少しばかりの危機感を覚える。
ドゥーガルドが館を見上げた。
「この中央の館が校長の屋敷だ。まずは、彼に会おう。さて、と。こちらにおいでだといいんだが……」
マルヴィナはラティーシャにリオを預けると、ドゥーガルドとともに、扉の前に立つ。うしろには、ドゥーガルドの部下だという護衛役の女性騎士が立っている。ドゥーガルドがノッカーを叩くと、中から使用人らしき男性が現れた。
短い問答ののち、ドゥーガルドはマルヴィナを振り返る。
「校長はこちらにいらっしゃるそうだ。中に入って、少し待たせてもらおう」
ドゥーガルドのあとについて、マルヴィナは屋敷の中に入る。
待つこと数分、使用人の男性が戻ってきた。
「主は、すぐにお会いになると申しております。どうぞこちらへおいで下さい」
マルヴィナとドゥーガルドは、案内されるまま階段を上り、二階の一室に通された。護衛とは、扉の前でいったん別れる。
そこは、こざっぱりとした応接室だった。四十代後半かと思しき一人の男性がこちらを見て、ソファーから立ち上がる。
「久し振りだな、シーダー。いや、コーア伯とお呼びすべきか。そろそろおいでになる頃だと思い、待っていたよ――そちらが、レオニス女公殿下か?」
「はい、先生。こちらこそお久し振りです。昔のように、シーダーで構いませんよ。マルヴィ、この方が校長のケネス・カミーリア先生だ」
ドゥーガルドに紹介され、マルヴィナはカミーリアに向けて片膝を折る。
「初めてお目にかかります。レオニス女公、マルヴィナ・クロティルダでございます」
カミーリアは相好を崩した。
「いやいや、可愛らしい方だ。シーダー、君は果報者だな」
「そうでしょうかねえ。お陰さまで心配が絶えませんよ」
「はは、違いない。君の場合は姪御だが、娘を持つ男親はそんなものだよ。さあ、かけたまえ」
カミーリアに勧められるまま、マルヴィナとドゥーガルドは並んでソファーに腰かけた。ティーセットを持って現れた使用人が、紅茶を淹れてくれた。カミーリアは目元と口髭の下に穏やかな笑みを浮かべ、ドゥーガルドに尋ねる。
「陛下やアスフォデルは元気かね?」
「はい――二人とも色々ありましたが、今はおおむね」
「そうか……答えにくいことを訊いてしまったな。すまない」
内心で、マルヴィナは小首を傾げた。王妃を亡くしたクレメントが繊細な状況なのは分かるが、ユリーズには何があったのだろう。そもそも、あの宰相が人に気遣われるような精神状態に陥るものだろうか。
カミーリアはマルヴィナに視線を向けた。
「さて、懐かしさでつい話し込んでしまったが、今回の主役はあなたですな、殿下。簡単に、我が学院のことをご説明致しましょう」
カミーリア校長の温和な口調で紡がれた話の内容に、マルヴィナは慄然とした。校外への外出はほとんど許されず、街に出る時もマルヴィナは女子だから付き添いが絶対必要。休日も、約三か月間の一学期に二回しかないというのだ。
確かに自由がほぼないとは聞いていたけれど、実際に詳しく校則を聞いてみると、身に迫るものがある。まあ、ここは広そうだし、散歩でもして気を紛らわそう……。
それほど期待はしていなかったとはいえ、楽しい学校生活は夢のまた夢らしい。学校生活はまだ始まってもいないのに、早くも意気消沈するマルヴィナであった。
「――と、校則はこのような次第ですが、何かお知りになりたいことはありますかな、殿下」
おもむろにカミーリアに問われ、マルヴィナはちょっと迷った。
「あの、自由時間はあるのでしょうか?」
「もちろん」
「生徒たちは、何をして過ごしているんでしょう。やはり勉強ですか?」
カミーリアは笑った。
「ゲームズを楽しむ生徒が多いですな。我が校は特に力を入れておりますから。殿下も是非、参加なさって下さい」
ゲームズとは上流階級用語で、スポーツのことである。別に言い換える必要はないんじゃないか、とマルヴィナは思うのだが。
「はい……」
返答しながら、マルヴィナは心の中で嘆息した。ゲームズは上流階級では、選手として参加するにしろ、観戦するにしろ、社交的な意味合いが強い。つまり、社交界から身を引いていたマルヴィナにとっては、縁遠いものだった。
体力にはそれなりに自信があるつもりだが、ゲームズに関しては村の子どもたちと遊んだことがあるくらいだ。
(ゲームズかあ……。動植物の観察会はないのかしら)
生徒は自分以外、全員男子なのだから、体力的な問題でマルヴィナには参加できるものとできないものがあるだろう。どんなものなら参加できるのか、ゲームズに詳しい生徒に、一度、訊いてみる必要があるかもしれない。
「あ、それと」
マルヴィナは、ずっと疑問に思っていたことを質問してみることにした。
「もしかして、ラトーンでは姓で呼び合うのですか?」
ずっと不思議に思っていたのだ。学校時代からの友人ということは、知り合ったのは十代のはずなのに、ドゥーガルドやユリーズたちが姓で呼び合うことが。
「さようです。補足致しますと、どれだけ歳の離れた先輩のことも、姓で呼び捨てにしても良いことになっておりますよ。便宜上、名前で呼ばれる生徒もおりますが」
それで、ドゥーガルドは年上のユリーズのことを、「アスフォデル」と呼んでいたのだ。
「では、わたしも『エア』と呼ばれるのでしょうか?」
マルヴィナの素朴な疑問に、カミーリアはにこにこと笑って答えた。
「まさか。あなたは『殿下』と呼ばれるでしょうな。クレメント陛下もそうでしたし、マレの王子殿下も、そのように呼ばれておいでですよ」
マレ王国の王子の話が出たので、そのことについても尋ねてみようかとマルヴィナが思った瞬間、扉をノックする音が響いた。
「入りたまえ」
カミーリアの声に応じて入ってきたのは、先程の使用人だった。
「失礼致します。旦那さま、アスフォデルさまがたがお越しになりました」