7 方程式
「ユウ先輩、三次方程式について質問があるんですけど」
「ああ、これはね――」
ユウは問題を確認した後、シーに解説を始める。
この日、文芸部員たちは、授業の後に部室に集まって勉強会をしていた。定期テストが間近に迫っていたからである。
「――で、解けるんじゃないかな」
「なるほど。ありがとうございます」
文系科目ならともかく数学はあまり自信がなかったが、それでも何とか解法について上手く説明できたようだった。シーにお礼を言われて、ユウは密かに胸を撫で下ろす。
話の弾みで、ユウは続けて言った。
「三次方程式は、二次方程式と違って解の公式がないから面倒だよね。いや、正確にはあるらしいんだけど」
「そうなんですか?」
「うん、先生が授業の余談で教えてくれたよ。〝滅茶苦茶複雑だから逆に大変だ〟って」
「ああ、そういう」
シーはくすりと笑った。
そうして二人の話が終わりかけたところで、入れ替わるように今度はアイが口を開いた。
「エル先輩、『冷たい方程式』について質問があるんですけど」
「アイちゃん、現実逃避しちゃダメよ」
エルはそう苦笑交じりに注意した。
彼女の言い分はもっともだろう。しかし、少し気になることがあって、ユウは思わず尋ねていた。
「『冷たい方程式』って何でしたっけ? SF?」
「そうね。SF小説の古典とも言える作品の一つよ」
エルがそう答える。
すると、便乗するようにアイは言った。
「だから、国語の勉強になるはず」
「強引ね」
再びエルは苦笑した。
「ていうか、アンタ読んだことないの?」
「うん」
アイの質問に、ユウはそう頷く。有名な作品らしいのでいつか読もうと考えて、結局そのままになっていたのである。
すると、アイは「解説をどうぞ」とばかりに、エルに手振りをした。
「主人公は宇宙船のパイロットで、とある惑星に緊急で血清を届けに行くところだったんだけど、その途中で船内に密航者がいることに気付くの。
訳あって宇宙船にはちょうどパイロット一人分の燃料しか積まないことになっていてね。燃料不足で血清を届けられないともっとたくさんの人が死んでしまうから、密航者は事情にかかわらずエアロックから宇宙に投棄するしかないの。主人公も当然そのつもりで密航者を探し出したわ。
ところが、密航者の正体は、兄に会いたいと思っているだけのまだ若い女の子で……というのがあらすじね」
どうやら緊迫した状況設定の作品らしい。それだけに、ユウは話の続きを急かしていた。
「最後はどうなったんですか?」
「……ネタバレで楽しめなくなるタイプの作品でもないからいいかしら」
そう前置きすると、エルは言った。
「結局、主人公が予定通り女の子を投棄して終わるわ」
「えっ、助ける方法が見つかるんじゃないんですか?」
意外な結末に、ユウは驚きの声を上げる。困難をいかに打破するか、という内容だと勝手に予想していたが、実態はそうではないようだ。
アイもそのことが納得できなくて、『冷たい方程式』を話題に上げたようだった。
「そう、そうなのよ。だから、不満なのよ。女の子を助ける方法が何かあったんじゃないかって」
これにシーが即答した。
「そもそも出発前に船内を隅々まできちんと調べておけば発生しなかった問題ですよね」
「そういう前提を覆すような意見はちょっと」
「もしくは、密航者の存在を想定して、多めに燃料を積んでおくという方法もありますね」
「だから、前提を覆さずに考えてよ」
アイは不機嫌そうに繰り返す。
しかし、言われた通り前提を踏まえて考えたところで、シーの冷淡さは変わらなかった。
「それなら、プロである作中の人物が思いつかなかった以上、解決法はなかったと考えるのが自然でしょう」
「もう、シー嫌い」
「すみません、すみません」
すねたようなアイの態度に、シーはそう平謝りする。
しかし、アイに反論したのはシーだけではなかった。
「『冷たい方程式』の主眼は、悲劇的状況下での人間ドラマですものね。本来は解決法を論じるような作品じゃないんじゃないかしら」
「エル先輩まで!」
二人続けて否定的な態度を取られて、アイは叫ぶように言う。
そして、案の定最後の頼みの綱のように、こちらに話を振ってきた。
「ユウは何か思いつかない?」
「そうだね……」
実を言えば、早い段階で解決法には目星がついていた。おそらく、これまでにも似たようなことを考えついた読者がいたのではないか。
しかし、ユウはそれを口にすることはなかった。
その代わりに、アイが広げた数学の問題集を指して言う。
「アイちゃんは、こっちの方程式を解くのが先なんじゃないの」
「ごもっとも」
↓↑↓↑↓
ユウは一人ではなかった。
そのことをシーが伝えてきた。
「緊急事態です」
人間のそれによく似た合成音声がそう言った。
シーとは、ユウの乗る宇宙船の名前であり、また船に搭載された人工知能の名前でもあった。
彼女(宇宙を渡る時代になっても、船を女性として扱う伝統文化は未だに根強い)の役割は、簡単に言えば乗員の補助だった。近年の人工知能の発達は目覚ましく、あれほど複雑だった宇宙船の操縦も人工知能の力によって簡略化が進んでいた。今ではシー程度の小型艦なら、たった一人の乗員によって操縦することまで可能になったほどである。
シーは自分に課せられた役割を果たすべく続けた。
「燃料の消費速度が予定をオーバーしています」
「故障?」
「いえ、この速度から考えると、原因は過積載かと思われます」
ユウは表示された計器を見る。シーの言う通り、燃料の消費速度の超過はわずかなものだから、燃料タンクに穴が開いたような最悪の事態ではなさそうだった。
そこからの推論は簡単だった。
「密航者?」
「おそらくはそうでしょう」
「了解。今から捜索を行う」
宇宙船の制御を一時的にシーに任せて、ユウは操縦室を出た。
無駄を減らした船内に、隠れられるような場所はほとんどない。だから、貨物室に当たりをつけたユウは、真っ直ぐその部屋に向かった。
貨物室には、目的地の惑星ウィルに届ける荷物が積んである。緑死病の特効薬、カルネアデシンである。
感染の発見が遅れた為に、惑星の開拓チーム内で緑死病が蔓延したのが発端だった。彼らの手持ちのカルネアデシンの量では、とても患者全員に治療を施すことはできそうにないのだという。そこで付近を航行中の大型艦が探し出され、その船内に配備された小型艦を出動させて、緊急輸送を行うことが決定されたのである。
そして、おそらくその荷物の中に、密航者が紛れ込んだのだ。
(密航者か……)
ユウはその処遇について考える。
(密航者は殺すしかない)
密航が死に値する罪だというわけではない。しかし、今回のような状況においては、実質的に同様の扱いをせざるを得なかった。
もはや地球に残された資源では、発達し過ぎた文明を維持することができない。そう判断が下された瞬間、宇宙の星々の開拓は国家の枠組みを超えた至上命題となった。
更に、それに伴って、宇宙船の運用には細心の注意が払われるようになった。宇宙船の数に限りがある以上、一つとして無駄のある使い方をするわけにはいかないからである。中でも、大量の物資や人材を高速で輸送できる大型艦は、開拓中のどの星をいつ訪問するか、厳密なスケジュールが組まれるほどだった。
そういう理由から、惑星ウィルのような緊急事態が起こった場合であっても、このスケジュールを乱すような行為は原則的には許されていない。先の通り、大型艦内に配備された小型艦を出動させて解決することが強く推奨されている。
また、この規則の性質上、小型艦の燃料が往路の分しかもたない、という事態がしばし発生する。目的地と大型艦の現在地の距離が大きく離れている場合、燃料タンクの容積の小さな小型艦には、復路の分まで燃料を積むことができないからである。
今回もこの事態に該当するケースだった。シーに積むことのできる燃料の量では、ちょうど乗員と薬をウィルまで運ぶのが精一杯だったのだ。
そして、それだけに、燃料を必要以上に消費する余計な荷物は、船内に存在してはならないのである。
たとえ、その荷物が生きた人間だとしても――
「そこにいるのは分かっている。出てこい」
そう言って、対生体用衝撃銃を構えたユウに感傷はなかった。
人類の為に日夜働く何人もの開拓者たちと、その苦境に付け込んで密航を目論む一人の犯罪者。どちらの命を選ぶのか迷う理由などない。
「出てこないのなら――」
「はいはい、分かったわよ。全く物騒ね」
荷物の影から、密航者は両手を上げて出てきた。
その姿を一目見て、ユウは衝撃を受ける。これは本当に現実の光景なのだろうか。
「!」
重大な罪を犯して他の土地へ逃げ込もうとする者、未開惑星での一攫千金を夢見る者、あるいは自分の魂の故郷に帰るという妄想に取りつかれた者…… 緊急出動の場合は船内のチェックが甘くなりやすく、小型艦の乗員なら誰でも一度くらいはそういった密航者との遭遇を経験するものである。
しかし、その密航者がまだ幼い少女だったとしたら――
「ねぇ、早く銃を下ろしてくれない。私だって自分がしたことについては、ちゃんと反省してるんだから。そんなに心配しなくたって、目的地まで大人しくしてるわ」
「…………」
ユウは何も答えなかった。
この少女は、お説教をされるか、せいぜい罰金を支払うかするだけで、目的地までは無事に辿り着けるつもりでいる。小型艦の密航者がどんな処遇を受けるか理解していないのだ。
結局、ユウが少女に言ったのは、「認識票を渡しなさい」「ついてきなさい」の二言だけだった。
操縦室に戻ると、ユウはすぐに報告を始める。
「シー、密航者を発見した。番号はTG1915‐0606」
「了解しました。照会を開始します」
しばらくした後、シーは言った。
「市民番号TG1915‐0606。アイ・イングリス。14歳」
シーはこれをユウのミスだと思ったようだった。いや、思いたかったようだった。おずおずとした調子で尋ねてくる。
「あの、市民番号は正確でしょうか?」
「TG1915‐0606だよ、間違いなく」
ユウは冷然とそう返す。貨物室から戻るまでの間に、すっかり心は決まっていた。
一方で、密航者の正体を知ったばかりのシーには、まだ迷いがあるようだった。
「彼女は何故密航したと言っているんですか?」
「……聞いてないし、聞く必要もない」
シーの質問を、ユウはそう切り捨てた。密航者に情を持てば、死ぬ人間は一人では済まなくなる。この仕事には、時には機械のような冷徹さが必要なのだ。
しかし、二人の会話を聞いて、アイは自分から事情を説明し始めていた。
「お姉ちゃんに会いに行くのよ」
何も知らない彼女は、無邪気に笑いながら続ける。
「これウィル行きの船でしょ? 私のお姉ちゃん、そこで働いてるのよ。名前はエル・イングリスっていってね、惑星の開拓チームに医者として参加してるの。
でも、仕事が忙しいとか、人類の為とか言って、お姉ちゃん全然帰ってこないから。それで私から会いに行くことにしたのよ」
お節介なコンピューターめ。何故そんな質問をした。まさか彼女が脱獄中の少年死刑囚だとでも思ったのか。それとも、違法薬物でラリったクソガキか。ユウはそういうニュアンスを込めて言った。
「だそうだよ」
「…………」
「それで、今の話を聞いて、ボクたちにどんな解決法が取れる?」
「……何もありません」
ようやく自分の役割を思い出したらしい。シーは淡々と言った。
「規則に従って、速やかに彼女の処分を行ってください」
最初からそう言えばいい。機械は機械らしくしていればいいのだ。そんな苛立ちから、ユウは嫌味を言ってやることにした。
「と言うと?」
「彼女をエアロックから投棄してください」
「了解」
シーから直接その言葉を引き出せたことに、ユウはささやかな満足感を覚えていた。
一方、アイはまだ状況を呑み込めていない様子だった。
「あのさぁ、私の聞き間違いじゃなければ、今から私を宇宙に放り出すってことになりそうなんだけど」
「そうなるね」
ユウは平然とそう答えた。いっそ彼女に嫌われでもした方が、気楽に仕事に取り掛かれるかもしれない。
しかし、それでもアイは、なかなかユウの言うことを信じようとしなかった。
「本気なの? 嘘でしょ? 密航者を反省させる為に、こういうお芝居を打つきまりがあるんでしょ?」
「そんな規則はないよ。何なら見せてあげようか?」
そう言って、ユウは操縦室のモニターに宇宙船のマニュアルを表示する。
ここに至って、ようやくアイも状況を理解したようだった。口調が疑問から抗議めいたものに変わってくる。
「嘘よ。だって、私は隠れて宇宙船に乗っただけなのよ? 死ななきゃいけないようなことは何にもしてないわ」
「この船の目的は、伝染病にかかった患者たちの為に、薬を届けることなんだよ。もし船が到着しなければ、たくさんの人が死んでしまうことになる。
でも、この船には、乗員一人分の燃料を積むのが精一杯だったんだ。君を乗せたままでは、いずれ燃料不足を起こして、ウィルに到着できなくなってしまう。
だから、君をエアロックから投棄するしかないんだよ。これは法的な問題ではなく、物理的、数学的な問題なんだ」
燃料のhは、質量mプラスxの宇宙船を目的地に運ぶ推力を与えることができない。
彼女の姉や家族にとっては、彼女は愛くるしい十代の娘である。しかし、自然の法則にとっては、彼女は冷たい方程式の中の余分な因子に過ぎないのだ。
彼女が「死にたくない」とヒステリックに泣き叫んでくれれば、ユウはかえって冷ややかな感情を持てたかもしれない。自分の無知と罪を棚に上げて、権利ばかり主張する愚かな子供だ、と。
だが、事情を知った彼女は、むしろ冷静に尋ねてきた。
「……他の船を代わりに向かわせることはできないの?」
「この時間に、ウィルの近くを航行している宇宙船はこの船だけだからね。それじゃあ、薬が間に合わない」
「じゃあ、他の船に私を引き渡すのもダメよね?」
「そうだね」
輸送する荷物が食料か何かなら、他の宇宙船が通りがかるのを待って、彼女の案を実行する手もあっただろう。しかし、実際の荷物は緑死病に苦しむ患者の為の特効薬だった。事態は一刻を争うのだ。
だが、ユウがそう説明しても、彼女はなお食い下がってくる。自分の命がかかっているのだから、当然といえば当然かもしれないが。
「要するに、私の体重に釣り合うだけの重さのものを捨てればいいんでしょ? 何かいらないものはないの?」
「そんなものは、この船には一切積んでないね」
自分でも残酷だと思いながら、「君を除いて」とユウは付け加える。
それでも、アイは諦めない。
「じゃあ脚!」
決心したように、こわばった顔で彼女は言う。
「私の脚を切ればいいわ。何なら腕も。そしたら、少しは軽くなるでしょ?」
「この船に、そんな大手術を成功させられるような設備はないよ」
シーはあくまでも緊急輸送を行う為の小型艦である。彼女の覚悟とは対照的に、ユウはそう淡然と答えた。
これを聞いて、アイもとうとう観念したようだった。
「……そうよね。私が思いつく程度のことなんて、とっくにあなたたちは検討してるわよね」
彼女の言う通りだった。
既に一度述べたように、人工知能の発達は目覚ましく、その補助があれば小型艦くらいなら乗員が一人でも問題なく動かすことが可能である。いや、先程密航者探しにユウが操縦室を離れたことからも分かるように、人工知能だけでも航行ができないわけではない。
それでもなお乗員が船に搭乗する理由が二つあった。一つは、整備や修理を行って船の完調を保つ為。もう一つは人口知能の発想の盲点をカバーする為である。
人口知能は将棋やチェスのような限定されたルールの中では人間をはるかに凌駕して久しいが、一方でルールの枠を超えたような不測の事態に対してはまだ柔軟な対応が難しいところがあった。実際のところ、人工知能に柔軟な対応ができないかどうかについては喧々諤々の議論があるのだが、乗員がいれば少なくとも「いざという時には人間が何とかするだろう」という安心感を得ることはできる。そういうわけで、これだけ人工知能が発達しても、宇宙船から人間の乗員が排除されることはなかったのだ。
そして、その人間と人工知能の両者が、「密航者を助ける方法はない」という判断を下したのである。
「……密航をしてまで、お姉さんに会いたかったの?」
聞くべきではないと思いつつ、ユウはそう聞かずにはいられなかった。
これまでの会話から、彼女が子供ながらになかなか聡明であることが分かってきた。それだけに、何故密航のような馬鹿な真似をしでかしたのか知りたくなってしまったのだ。
「ええ。もうずっと会ってなかったから」
質問に対して、アイは無理をしているような弱々しい笑みを浮かべて答えた。
「それに、お姉ちゃんが仕事熱心なのは、本当は私たち家族に仕送りをする為なのよ。うちは親が入院中だから。でも、私ももう卒業が決まって、就職先も見つかったから、お姉ちゃんがそんなに頑張る必要はなくなったの。だから、私はどうしてもそれを伝えたくて」
「そう……」
やはり密航者の事情など聞くべきではなかった。これではシーの二の舞である。アイたち家族が強い愛情で結ばれているのを知って、ユウはそんな後悔を覚えていた。
希望を捨てきれないのだろう。アイは確認するように尋ねてくる。
「本当に私が死ぬ以外の方法はないのよね?」
「そうだね」
それから、ユウは自分でも驚くほど優しい声で、「残念だけどね」と続けた。
すると、アイは重ねて尋ねてきた。
「ねぇ、それって今すぐじゃなきゃいけないの? せめて、みんなに手紙を書く時間くらい作れない?」
彼女はもう自分の死については受け入れたようだった。家族たちに別れの言葉を残すのは、そんな彼女の最後の願いなのだ。
「……やってみよう」
ユウは自然とそう答えていた。
「シー、投棄を先延ばしにする余裕がどれくらいあるか計算して」
「……よろしいんですか?」
「うん、お願い」
「了解しました。試算を開始します」
計算結果はすぐに出た。
「事故の危険のない限度まで宇宙船の速度を上げて、燃料の消費を抑えれば、あと一時間は過積載の状態でも航行を継続可能です。ただし、それ以上は燃料切れを起こす可能性が高まる為、推奨できません」
「分かった」
シーにそう答えた後、ユウはアイの方に向き直った。
「聞こえたね?」
「ええ、一時間もあれば十分だわ。ありがとう」
気丈にも彼女はそう感謝の言葉を口にすると、冗談めかした微笑と共に続けた。
「あなたたちにもお礼の手紙を書かなくちゃいけないわね」
「そんなことしなくていいよ。それよりも、お姉さんたちへの手紙を優先しなさい」
ユウはそう微笑で返した。
そうして、残された時間で、アイは家族宛の手紙を書き始めたのだった。
書き出すまでに随分悩んだようだが、そこから先は順調に進んでいった。もしかしたら、文章の表現や組み立てに気を遣っている余裕はないと思ったのかもしれない。
しかし、しばらくしてその手が止まった。
参考にしようと思ったのだろうか。アイは不意にこんなことを尋ねてきた。
「……ねぇ、あなた家族は?」
「いないよ。結婚はまだ」
「親やきょうだいは?」
「ボクは孤児なんだ」
ユウはそう答えると、自分でも意図せずに今の気持ちを口にしていた。
「だから、君たちが少し羨ましい」
これに、アイは曖昧に口を開きかける。何かを言おうとして、しかし、何を言えばいいのか分からない、というような表情だった。
そんな彼女を、ユウは「いいから手紙を」と急かす。
そして、彼女が再び手紙を書き始めたのを見て、ユウも先程までしていた思案に戻った。
(彼女には助かる方法がないと言った。だが、あれは嘘だ。正確にはたった一つだけある……)
実を言えば、早い段階で解決法には目星がついていた。おそらく、これまでにも似たようなことを考えついた者がいたのではないか。
しかし、今までに誰も実行してこなかったことからも分かるように、この解決法にもある大きな問題が残っている。問題は――
(問題はボクに、いやボクと彼女にそれができるかどうかだ)
◇◇◇
到着した宇宙船から降りてきた乗員を見て、エルは思わず叫んでいた。
「アイ!」
この船はカルネアデシンを運搬する為のもののはずである。緊急出動を要請したのは、医師のエル自身なのだから間違いない。しかし、緊急出動した小型艦に、余分な荷物を積むような余裕はないはずだ。
その驚きから、エルは聞きただしていた。
「あなたどうして?」
「私、ここに来る為に密航をして――」
これまでの経緯を、アイはぽつぽつと語り始める。一体船内で何があったのか、彼女の口調はエルの知っている明朗なものではなかった。
「で、私が最後に手紙を書きたいと言ったら、何とかその時間を作ってくれてね。それで……」
言いよどむアイを、エルが急かす。
「それでどうしたの?」
「あの人は作った一時間で宇宙船の操縦について教えてくれて」
こらえきれなくなったように、アイはしゃくり上げながら続けた。
「そのあと、エアロックから自分を投棄するように言ったの」