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非日常系  作者: 我楽太一
6/12

5 障害者

「そういえば、この前電車に乗った時の話なんだけど」


「うん」


 アイの言葉に、ユウはそう相槌を打つ。


 帰りのホームルームが終わった後のことである。部活の開始まで時間があるせいか、シーはまだ部室に来ていなかったが、彼女が入部するまでの文芸部は、いつも今日と同じようにユウ、アイ、エルで活動を行っていたのだ。だから、こうして三人が顔を合わせると、それだけでおしゃべりが止まらないのだった。


 そういうわけで、アイは「この前電車に乗った時の話」を続ける。


「座ってたら目の前におじいちゃんが来たから席を譲ったのよ」


「へー、偉いじゃん」


「でも、そしたら断られちゃって。そのまま座り直す羽目になって、すごく恥ずかしかったわ」


「あー……」


 その時の車内の微妙な空気は簡単に想像がついた。それだけに、ユウは何と声を掛けたらいいか悩んでしまう。


 すると、先にアイが爆発した。


「人がせっかく譲ったのに! 人がせっかく譲ったのに!」


「落ち着きなよ」


 とりあえず、ユウはそう言った。


 一方、エルはアイを慰める為に似たような失敗談を持ち出す。


「でも、そういう話はたまに聞くわね。老人に席を譲ったら〝年寄り扱いするな〟って怒られたとか、妊婦に席を譲ったら実はただ太ってただけだったとか」


 エルはそれから、こちらに話題を振ってきた。


「ユウちゃんはそういう経験ない?」


「ボクはないですね。譲る時は大体、無言で席を立って他の車両に行きますから」


 これを聞いて、アイは感心したように頷く。


「なるほどね。そっちの方がさっきみたいな失敗しないからいいかもしれないわね」


「いや、まず譲るのが気まずいし、譲った後に顔を合わせたままなのも気まずいから」


「ああ、そういうこと」


 呆れ半分という顔をするアイに、ユウは更に続ける。


「だから、優先席にはそもそも座らないし」


「徹底してるわね」


 アイは完全に呆れた顔になった。


 優先席の話題が出たことで、エルは思い出したように口を開く。


「そういえば、優先席を廃止している電車って結構あるみたいね。本当は全ての席が優先席と同じ扱いであるべきだから、って」


 確かに、席を必要としている人がいるのなら、どこに座っていようと譲るようにするべきだろう。もっともな意見である。


 しかし、事はそう単純ではないらしい。


「もっとも、〝優先席じゃないから〟って理由で席を譲らない人が増えただけだったから、結局導入し直した例もあるようだけど」


「あー、そういう話聞いたことありますね」


 エルの補足に、アイもそう答えた。ユウは初耳だったが、割合有名なエピソードなのかもしれない。


 エルはまた、こうも付け加えた。


「まぁ、この手の問題は色々難しいわよね。他にも、見た目は健康そうでも、実は持病があって席を必要としている人がいたりとか」


 言われてみれば、全くその通りである。自分が気付かなかっただけで、今までにも本当は席を譲って欲しがっていた人もいたのではないか。


 だから、二人の話を聞いている内に、ユウは普段の自分の行動が正しいのかどうか、だんだん分からなくなってきた。


「……もういっそ、ずっと立ってようかな」


「それは気にし過ぎでしょ」


 呆れるのを通り越して、アイは同情するように言った。


 そうして三人が雑談しているところに、遅れてシーがやってきた。


「こんにちは」


 そう挨拶を済ませた後、彼女は尋ねてくる。


「何の話をされてたんですか?」


「電車の席についてちょっとね」


「はぁ……」


 ユウの返答は曖昧過ぎたようで、ほとんど伝わらなかったらしい。シーはぼんやりとした相槌を打つ。


 それで、詳しいことはアイが説明したのだった。


「ユウってば、電車の席を譲るのが恥ずかしいんだって」


「そんな話してないでしょ」


「したでしょ」


「いや、確かにしたんだけど……」


 本筋はもう少し真面目なものだったはずである。わざわざ他人をからかうような話題を選ばなくてもいいだろう。


 そんな二人の会話を受けて、エルはシーに話を振った。


「シーちゃんは恥ずかしいとか考えなさそうなタイプよね。スッと譲りそうというか」


「そうですね。あまりそういう感情はありませんね」


 発言を証明するかのように、シーは淡々とした態度で答える。


 だが、次の瞬間には、少し戸惑ったような表情を浮かべていた。


「私はむしろ、たまに体調が悪いと勘違いされて、席を譲られることがあるのに困ってます」


「シーちゃん、色白だものね」


 エルは苦笑した。




     ↓↑↓↑↓




「そういえば、この前電車に乗った時の話なんだけど」


「うん」


 アイの言葉に、ユウはそう相槌を打つ。


 社会人になって数年目の、とある休日のことである。大学卒業後しばらくフラフラしていたアイもようやく就職を決めたが、会社勤めを始めたら始めたで、今度は幼馴染二人で話す時間が激減するほど忙しくなってしまった。だから、こうしてたまの休日に喫茶店で顔を合わせるような機会ができると、学生時代以上におしゃべりが止まらないのだった。


 そういうわけで、アイは「この前電車に乗った時の話」を続ける。


「座ってたら目の前におじいちゃんが来たんだけど、ああいう場面ではやっぱり席を譲るべきなのかしら」


「そりゃあ、良識で考えたらそうなんじゃないの」


「優先席じゃなくても?」


「優先席じゃなくても」


 席を必要としている人がいるのなら、どこに座っていようと譲るようにするべきだろう。ユウはそういう主張をした。


 それから、まさかと思って尋ねる。


「アイちゃん、もしかして譲らなかったの?」


「そうよ」


 開き直ったように、アイは堂々とした態度でそう答えた。


 驚いたユウは、非難交じりに理由をただす。


「えー、何で?」


「だって、仕事帰りで疲れてたんだもん。こっちは何連勤してると思ってんのよ」


「……まぁ、それじゃあ仕方ないか」


 不機嫌そうなアイの様子に、ユウはすごすごと引き下がった。


 話で聞いただけだが、アイの勤める会社は労働環境が相当悪いようだった。残業や休日出勤は当たり前の上、ひどいパワハラまで横行しており、そのくせ給料は安い。ユウも薄給なのが悩みだったが、それでも自分の職場はまだ及第点と言えるのだと思い直したほどである。


 そんな仕事の鬱憤からか、アイは続けて言った。


「それなのにさぁ、何か私が空気読めてないみたいな感じで睨んできてさぁ」


「分かった分かった。大変だったね」


 こういう時は、下手に何か意見するより、聞き役に徹した方が無難だろう。だから、ユウはそう優しく答えるだけだった。似たような愚痴はもう何度も聞かされたから、慰め方も大分覚えてきたのである。


 しかし、今日のアイはそれで止まらなかった。


「大体、これだけ少子高齢化が進んでるんだから、むしろ年寄りが若者に配慮するべきなんじゃないの?」


「はぁ……」


「考えてもみなさいよ。このまま年寄りが増え続けたら、年金やら医療費やらの社会保障費がとんでもない額になるわよ。それを負担しなきゃいけないのは若者なんだから、電車の席くらい譲って当然なんじゃないの」


「そんな滅茶苦茶な」


 先程まで慰めるつもりでいたユウも思わず呆れてしまう。流石に言い過ぎだろう。


 だが、アイはそう思わないらしい。それどころか、彼女の主張はますます過激になっていったくらいだった。


「そもそも最近は老人に限らず、障害者だのマイノリティだの社会的弱者が発言権を持ち過ぎなのよ。ああしろこうしろと指図ばっかりでうんざりするわ」


「そう? 別にそんなことないと思うけど……」


 ユウは消極的にそう反論する。


 すると、その瞬間、アイは猛然と再反論してきた。


「いや、絶対そうだって。やれ施設をバリアフリーにしろだの、やれ職員は介助をしろだの。ちょっとは我慢しなさいっての」


「障害者の人は健常者よりも苦労してるんだから、健常者がそれくらいの配慮をしてあげるのは当然のことなんじゃないの?」


 そう抗弁されることも想定済みだったらしい。アイはすぐに言い返してくる。


「だから、それが最近行き過ぎなんじゃないかって話よ。低賃金で過酷な仕事をさせられたり、そもそも仕事自体につけなかったり、別に健常者だって何の苦労もせずに生きてるわけじゃないでしょ?」


「まぁ、それは……」


 アイがそうなのだろうし、ユウ自身にも当てはまるところがある。だから、安易には否定できない意見だった。


 しかし、それでもユウは、アイの意見を肯定しなかった。


「でも、自分が我慢して暮らしてるからって、他人にも我慢させようとすることはないんじゃないの? それよりも、暮らしやすい社会にする為の意見を、みんなで自由に出し合った方が建設的なんじゃないかな。

 だから、アイちゃんも他人の権利を否定するんじゃなくて、自分の権利を主張するようにした方がいいんじゃない?」


 なるべく優しく諭すように、ユウはそう答える。


 が、アイにはこれも逆効果のようだった。激高したような猛烈な勢いで、更に持論を展開してくる。


「そうやってみんながわがまま言い出したら、収拾がつかなくなるでしょうが。そりゃあ、私だって給料少ないから補助金が欲しいし、休みが少ないから有給が欲しいし、もっと言えば補助金だけで遊んで暮らしてたいわ。でも、今の社会にそんな余裕なんかないでしょ」


「うーん……」


 ユウは考え込んでしまう。


 アイの言うことは間違っている。間違っているとは思うのだが、それを伝える為の言葉が見つからなかった。


 だから、ユウは名刺を差し出していた。


「どうもボクじゃあ力不足みたいだから、この人に会ってみたら?」



          ◇◇◇



「それで私のところへ?」


「はい」


 そう彼女に返事をすると、ユウは続けて謝った。


「すみません。多分、仕事のストレスで荒れてるだけだと思うので、大目に見てあげてください」


「大丈夫ですよ。似たようなことをおっしゃられる方は時々いらっしゃいますから」


 シーは冷静にそう答えた。


 アイを連れて、ユウはとある人権団体の施設を訪れていた。彼女の考え方を改めさせる為に、たまたま面識のあった団体の職員を――シーを頼ることにしたのである。


 睨みつけるようにしてシーの姿を眺め回すと、それからアイは質問した。


「ちなみに、あなたは何か障害をお持ちなんですか?」


「ええ、私は生まれつき内臓に疾患があって」


「その病気で社会保障を受けているんですか?」


「はい、そうです」


 そう頷くシーの顔は、自身の発言を証明するかのように不自然なまでに青白かった。


 シーの所属する人権団体では、活動の一環として、件の内臓疾患の患者の地位向上に取り組んでいた。シーが職員になったのも、自分と同じ病気で苦しんでいる人の力になりたいと考えたからである。


 が、アイはそのことを皮肉るように言った。


「なるほど。自分が楽をしたくて活動しているわけですね」


「…………」


 いきなりの先制口撃に、シーは絶句してしまう。


 ユウは慌てて、「すみません。本当すみません」と謝り倒した。シーと面識があるのは、母が同じ病気を発症した際にお世話になったというのが理由だったから、余計に申し訳ない気分でいっぱいだった。


「ええと、アイさんとおっしゃられましたか?」


 仕切り直すようにそう言ってから、シーは話を始める。


「あなたがお年を召したり、事故に遭ったり、病気にかかったりして、体が不自由になったとしましょう。その時、少しでも自分が暮らしやすい社会の方がいいとは思いませんか? 我々の活動は、あなたの為でもあるんですよ」


「そりゃあ、私だって、あらゆる人が不自由なく暮らせる社会にいつかなればいいなとは思ってますよ。でも、それを実現できるほど今の社会は裕福じゃないと言ってるんです」


 ユウに対しても主張していたことを、アイは更に具体的な例を挙げながらまくしたてる。


「たとえば、狩猟採集で成り立っている貧しい社会のことを想像してみてくださいよ。食料を手に入れなきゃいけないのに、〝狩りは危険だから労働環境を改善しろ〟なんて言えますか? 少しでも労働力が欲しいのに、〝子供に狩りをさせるなんて可哀想だ〟なんて言えますか? 人権なんて社会状況によって制限されて当然のものなんですよ」


 冷酷なようだが、現実主義とも言えるのではないか。少なくとも、ユウには有効な反論が思いつかなかった。


 実際、シーもアイの考え方自体は否定しなかった。


「あなたのおっしゃりたいことは分からないでもないです。しかし、私には現在の社会状況でも、まだまだ改善できる余地がたくさん残っているように思えるのですが」


「私には思えませんね」


 やんわりと説得を試みたシーの意見を、アイはそう一蹴した。


 同じ経済水準の国と人権状況を比較するような、そういう明確なデータでも出さない限り、水掛け論になるだけだと思ったのだろう。アイの発言を受けて、シーは攻め口を変えた。


「それでは、先程おっしゃられたように、自分の体が不自由になって社会に不満を感じるようになったとしても、あなたは何も主張せずにただ我慢なさるということですか?」


「ええ」


「本当にそう言い切れますか?」


「ええ」


 アイはあくまでそう答えた。


 想像力が足りないだけで、いざとなったら泣き言を言うに違いない。そう決めつけて、アイに反論するのは簡単だろう。しかし、自分が犠牲になるのもやむを得ないと、本心から考えている可能性も否定はできないのではないか。


 実際、ユウにもそれに近い感情はある。仮に自分が障害者になったとしたら、そのことで周りに――たとえばアイに苦労をかけるような真似はなるべくしたくない。


 だからか、シーも決めつけで反論することはしなかった。


「では、あなた自身ではなく、あなたのご家族やご友人が障害者になったとしたら?」


 ユウを一瞥すると、彼女は重ねて質問する。


「たとえば、障害者になったユウさんが何か不満を訴えても、あなたはユウさんに我慢しろと言えますか?」


 これはユウにとっても盲点だった。


 先に考えた通り、自分の障害のせいでアイに苦労をかけたくはない。しかし、逆にアイが障害を負ったとしたら、自分が苦労することになってでも、彼女が生活で困らないようにしてあげたかった。


 自分のことは犠牲にできても、自分の大切な人のことは犠牲にできないだろう。そういう意味のことを主張するシーに対して、アイは――


「ええ、言えますね」


 はっきりとそう断言した。


「時代が時代なら、障害者なんて口減らしに捨てられたり殺されたりしてもおかしくなかったんだから、それを考えたら今は十分恵まれているでしょう。我慢するどころか、むしろ感謝して生きるべきなんじゃないですか」


 自分の為ならたとえユウでも犠牲にできると、アイはそう言ったも同然である。しかも、その考え方に対して、罪悪感や後ろめたさを全く覚えていないようだった。


 だから、これを聞いたシーは、申し訳なさそうにユウに謝っていた。


「……私のせいで、すみません」


「いえ、ボクの方こそすみません」


 これまでのアイの暴言について、ユウもそう頭を下げた。


 結局、シーでもお手上げらしい。新たに何か意見する代わりに、彼女は名刺を差し出してきた。


「どうも私では力不足のようですから、よければこちらの方にお会いしてみてはいかがでしょうか?」



          ◇◇◇



「それで私のところへ?」


「はい」


 そう彼女に返事をすると、ユウは続けて尋ねた。


「あの、どうなんでしょうか?」


「そうですね。アイさんは、どうも他者に対する愛情や親切心、寛容性といった感情が欠如しているようなところが見受けられますね」


 まずそう答えると、今後どうすべきかについて、エル医師は説明を始めた。


「おそらくはストレス性の精神障害でしょう。一時的なものの可能性もありますから、とりあえず今の仕事をやめさせて様子を見てください。その間の生活費については、診断書を持って役所へ行けば、補助金を受け取ることができるので――」

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