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非日常系  作者: 我楽太一
5/12

4 人工知能

「先輩、将棋指すんですか?」


「うん。最近流行ってるからちょっと遊んでみたら、思いの外はまっちゃって」


 本棚を見て尋ねてきたシーに、アイはそう答える。実際、彼女が持っているのは、初心者向けの入門書が中心だった。


 休日のこの日、文芸部員たちはアイの部屋に集まっていた。とはいえ、その目的は、部として活動することではなく、ただ四人で遊ぶことである。だから、シーが将棋の話を始めたのも、脱線でも何でもなかった。


 今度はアイが質問する番になった。


「でも、『指す』って言い方知ってるってことは、シーは将棋分かるの?」


「まぁ、一応は」


 囲碁は打つものだが、将棋は指すものである。その使い分けから推測したようだが、どうやら正解だったらしい。


 シーが指せると知った途端、アイは目を輝かせる。


「じゃあ、一局指しましょうか」


「いいですよ」


 こうして、アイとシーの対局が行われることになったのだった。


 勝負は序盤から互いの角を交換する展開で幕を開けた。これによって早くも角が持ち駒になり、盤上に自由に打つことができるようになった。シーの棋風はよく分からないが、とにかく大駒をバシバシ動かしたがるアイらしい将棋だとは言えそうである。


 そんなことを考えながら、ユウが二人の対局を観戦していると、横からエルが話しかけてきた。


「ユウちゃんは将棋指せるの?」


「ボクはアイちゃんの付き合いで覚えた程度ですね」


 だから、アイもさほど強くはないだろうが、ユウの実力はそれ以下である。何度かやった対局でも負け越していた。


「エル先輩は将棋というか、ボードゲーム全般が好きそうですよね」


「そうね。最近はあんまり指してないけどね」


 ユウの質問に、エルはそう答えた。チェスでも嗜んでいそうなイメージがあったが、満更間違いでもなかったようだ。


 そうして二人が、


「最近って、ルール覚えたのはいつ頃なんですか?」


「確か、幼稚園の時だったかしら」


「へー、そんなに小さい時に」


 などと、観戦よりもおしゃべりに夢中になり始めた直後のことだった。


「負けました」


「早っ」


 アイが投了したのを見て、ユウは思わずそう声を上げる。


 しかし、それはアイ本人も自覚しているようだった。


「シー、強いわねー。びっくりしたわ」


「昔からちょくちょく指してましたから」


 感想戦(という名のアイの負け惜しみ)を聞いた限りでは、シーの守りは相当固かったらしい。だから、角を持ち駒にはしたものの、それを打って攻め込むだけの隙がなかったようである。もしかしたら、控えめな態度を取っているだけで、シーはかなりの実力者なのかもしれない。


 負け惜しみついでにアイは言った。


「もう一回やろう。次はハンデありで」


「いいですよ。どの駒落としますか?」


「うーんと……」


 上位者が何枚駒を落とすべきかについては、実力差に応じたおおよその基準がある。しかし、アイはその基準を無視して言った。


「そうだ。こっちだけソフトと交代で指すっていうのはどう?」


「分かりました」


 携帯電話を手に提案するアイに、シーは驚くでもなくそう頷いた。


 そして、対局が始まると、アイは将棋盤と携帯に視線を行き来させて、自分の考えた手と将棋ソフトの考えた手を一手ごとに交互に指していく。


「……あんなルールあるんですか?」


「アドバンスド将棋ね。元はチェスの変則ルールよ」


 訝しがるユウに、エルが説明してくれた。


「本来はソフトを使って検討しながら指すものなんだけどね」


「ああ、今のソフトって、人間よりずっと強いですもんね。それで交代制なんですね」


 わざわざ検討しなくても、ソフトの言う通りに指せば簡単に勝ててしまうのだ。それではハンデとして大き過ぎるだろう。


「でも、プロでも敵わないんだから、今のソフトって本当に強いですよね」


「そうね。ネットで対戦しようとすると、時々ソフトを使って不正する人がいて困るわ」


「あー、アイちゃんも前に同じこと言ってました」


 エルの話に、ユウはそう相槌を打った。わりとよくある問題らしい。


 将棋ソフトの話題を受けて、ユウは続けてこんな質問をする。


「その内、人間より頭のいいコンピューターが出てきたりするんですかね。SFみたいに」


「それについては色々な意見があるわね。人工知能の知性は将棋やチェスみたいな限定されたルール内のものに留まると予想する人もいるし、逆にこのまま研究が順調に進めば今後数十年の内に人工知能の知性が人間を超えると予想する人もいるし」


 この説明にユウは驚く。まさかそんなに間近に迫っているとは思ってもみなかった。


「数十年って、ボクたちの生きてる間に実現する可能性があるってことですか? 楽しみなような、不安なような……」


「確かにね。それについても、楽観論から悲観論まで色々意見が分かれているみたいだし」


 エルの言う「色々」とは具体的にどんなものなのだろうか。ユウは詳しい話を聞こうとしたが、しかし、それは遮られてしまった。


「負けました」


 投了するアイ。ハンデのおかげで一局目に比べれば健闘したが、それでもシーには及ばなかったようである。


「ねぇ、もう一回やろ、もう一回」


「いいですよ。今度はどんなルールにしますか?」


 子供のように再戦をせがむアイに、シーは呆れるでもなくそう尋ねる。


 すると、アイは言った。


「フリースロー対決!」


「なりふり構いませんね」




     ↓↑↓↑↓




「負けました」


 アイが投了を宣言した。


「アンタ、強くなったわねー。全然敵わなかったわ」


「アイちゃんは研究で忙しいんだから仕方ないんじゃないの」


 謙遜ではなく、本心からユウはそう答える。事実、こうして家に遊びにきたアイと将棋を指すのも、随分久しぶりのことだった。


 これを聞いて、アイは携帯電話を手に取る。


「じゃあ、研究の成果使ってもいい? 一手ずつの交代制でいいから」


「どうぞ」


「よーし、行くわよ、シー1号」


 ユウの許可が出ると、アイは携帯にそう声を掛けた。


 シー1号とは、元々はアイが九歳の頃に開発した将棋ソフトのことだった。開発動機は「ユウに負けて悔しかったから」という大変子供らしいものなのだが、ソフト自体はアップデート前の当時から既に、プロ棋士やソフト開発者が目をつけるほどの子供離れした出来栄えだったそうである。


 だから、シー1号は、後の若き天才研究者が、幼い頃に見せた才能の片鱗だということもできるだろう。


 そうしてアドバンスド将棋で二局目を行う、その最中にユウは尋ねた。


「ところで、アイちゃん何かあったの?」


「何で?」


「いや、アイちゃんがうちに来る時って、何か悩んでることが多いから」


 この返答に、駒を動かそうとしていたアイの手が止まる。


「……私ってそんな分かりやすい?」


「わりとね」


 ユウはそう言って微笑んだ。


 二人は同い年の上、子供の頃は家が隣同士だった。また、性格はまるで違うのに、何故か不思議と気が合った。その為、学力の差から早々に進路が別になってからも、社会人になった今に至るまで、二人の友情が途切れることはなかったのである。


 だからだろう。ユウが促すと、アイは素直に悩みを打ち明けてきた。


「実を言うと、最近ちょっと研究が滞っててさぁ」


「ふーん……」


 フレーム問題、強いAIと弱いAI、モラベックのパラドックス…… 以前アイから聞いた言葉が、ユウの脳裏をよぎる。


「ボクには難しいことはよく分からないんだけど、アイちゃんは人工知能の研究をしてるんだよね?」


「そうよ」


 アイは頷くと、講釈を始めた。


「すごく大雑把に言うと、人間より頭のいいAIを作ろうとしてるの」


「人間より頭のいい……」


 天才にとっては目指すべき目標かもしれないが、凡人にとってはフィクションの世界の代物である。話の壮大さに、ユウは呆気に取られていた。


 そんなユウに、アイは質問してくる。


「もしそんなAIができたらどうなると思う?」


「え? えーと、人間より頭がいいんだから、今まで以上の速度で色んな分野の研究開発が進む……とか?」


「ええ、そうね」


 正解したことにユウがホッと一息つく暇もなく、アイは話を先に進める。


「そして、それはAIについても同じなの」


「?」


 どういう意味か分からず、ユウはきょとんとする。


「要するに、AIが自分より頭のいいAIを作って、そのAIがまた自分より頭のいいAIを作って……っていうのを繰り返すことで、AIの性能がどんどん上がっていくってこと。そうなれば、アンタの言うような研究開発のスピードだって更に速くなるでしょ?」


 アイはそう答えた後、一旦話をまとめた。


「正確な定義は本当は違うんだけど、そうやってAIを開発できる最初のAIが完成する瞬間のことを、俗に技術的特異点シンギュラリティって言うのよ」


 そこまで説明されて、ユウにもようやく話の要点が見えてきた。


「なるほど。それで、アイちゃんはその最初のAIを作ろうとしてるわけだ」


「そう。名付けてシー42号」


 アイは自慢げに言った。子供の頃のネーミングを未だに引きずっているようだ。


 そのことに苦笑しながら、ユウは話を本題に戻す。


「で、その研究が何で滞ってるの?」


「前にエル博士の話はしたわよね? 覚えてる?」


「確か、アイちゃんと同じ研究チームの人でしょ?」


「ええ」


 エルはもう何十年も研究を続けてきた、人工知能の分野における権威で、言わばアイの先輩である。例によって、ユウには難しいことはよく分からなかったが、エルについて語るアイの口調からは、彼女への尊敬の念が滲んでいた。


「そのエル博士がね、シー42号の研究チームから抜けちゃって」


「アイちゃん、何かやらかしたの?」


「違うわよ」


 心配して言ったユウを、アイはキッと睨む。


 しかし、それも一瞬のことで、アイの顔にはすぐに無念の感情が浮かび上がっていた。


「……エル博士はついこの前亡くなったのよ。自殺だったわ」


 驚きから、ユウは思わず尋ねる。


「自殺? どうして?」


「自分の研究が怖くなったんですって」


 アイの説明を聞いても、ユウにはまだエルが自殺した理由がピンとこなかった。だから、重ねて尋ねる。


「怖いって、賢くなった人工知能が、人間に対して反乱を起こすかもしれないとかそういうこと? SFみたいに」


「ううん、そうじゃないわ」


 学生時代は文芸部に所属していたこともあり、ユウもその手の小説を読んだことがある。しかし、そういう話ではないらしい。


 アイは再び講釈を始めた。


「十八世紀にイギリスで産業革命が起こった時、機械に仕事を奪われることに危機感を覚えた一部の労働者が、機械の打ち壊しを行ったわ。これがいわゆるラッダイト運動ね」


 いきなり世界史の授業をされて面食らったが、どうやら分かりやすいようにたとえてくれただけのようだった。


「エル博士の悩みもそれと同じようなものよ。このまま順調に研究が進んでシー42号が完成すれば、研究者としての立場を追われてしまうと考えたみたい。遺書には〝私は自分が不要になるのが怖い〟って書かれていたそうよ」


 そこまで言うと、アイはまた無念そうな表情をする。


「エル博士はずっと研究一筋で生きてきたような人だったから、42号が完成することに対して複雑な感情があったんでしょうね。それに気付いて、研究以外の生き方もあるって言ってあげられたらよかったんだけど」


「アイちゃんのせいじゃないよ」


 慰めの言葉としては月並みかもしれない。しかし、本心からの言葉だった。


 それから、ユウは一つ質問をする。


 尊敬するエルの自殺を止められなかったことに、アイは自責の念を抱いているようだった。そのことは確かに心配である。だが、ユウの胸の内には、それとはまた別の種類の心配が湧き上がっていた。


「……アイちゃんは、エル博士みたいな恐怖心はないの?」


 アイもいつか同じような悩みから自殺してしまうのではないか。ユウにはそれが心配だったのだ。


 しかし、ユウの不安に反して、アイの態度はあっけらかんとしたものだった。


「機械が進化しても、人手が完全にいらなくなった例って意外と少ないでしょ? 確かに機械のせいで消えた仕事もあるけど、逆に新しく生まれた仕事もあるしね。それと一緒で、42号が完成したところで、そんなすぐには取って代わられたりはしないわよ」


 もっと歴史を勉強しなさいとばかりに、アイは呆れた顔をする。


 そして、照れくさそうに更に続けた。


「それに研究がなくなったって、私にはアンタとこうやって将棋を指す楽しみがあるしね」


「アイちゃん……」


 そう言った後、ユウは将棋盤を指差して続ける。


「これもう詰んでるよ」


「えっ」



          ◇◇◇



(〝自分が不要になるのが怖い〟か……)


 アイの訪問からもう随分経ったが、ユウは折に触れてエルの最期の言葉を思い返していた。


 エルの感じた恐怖は、彼女特有の個人的なものではないだろう。ラッダイト運動の例からも分かるように、科学の進歩によって失業し、貧困や生きがいの消失に苦しんだ人々は過去にも大勢いたはずである。シー42号の完成で科学の進歩が加速すれば、その歴史をもっと大きな規模で繰り返すことになりかねない。


 しかし、それでもアイは研究をやめる気はないという。


〝私はAIの研究が人類の為になるって信じてるから〟


 確かに、科学の進歩は人類の生活を豊かなものにしてきた。怪我や病気が死に直結しにくくなった。災害に対し事前事後の策を打てるようになった。障害があっても生活上の不便は少なくなった。AIの研究はその流れを更に押し進めるものだと、アイはそう信じているのだ。


(それなら、ボクも信じてみよう)


 自分なりに考えを巡らせて、この日もユウはそういう結論に至るのだった。


 その時、ちょうどインターホンが鳴った。その上、相手もちょうどユウの考えていた人物だった。


「ああ、アイちゃ――」


「やったわ!」


 ユウの顔を見るなり、アイは叫んだ。


「とうとう完成したのよ!」



          ◇◇◇



「負けました」


 アイが投了を宣言した。


「今回はいい線行ってると思ったんだけどなぁ」


「アイちゃんは攻めることばっか考え過ぎなんだよ」


 シー42号の完成から早数ヶ月。ユウの家で、二人は将棋を指していた。


 以前に言った通り、42号が完成したからといってすぐに取って代わられるようなことはなく、アイはまだ研究を続けているらしかった。それどころか、式典や講演の仕事が加わったことで、完成前より忙しくなったような節まである。


 しかし、それでも遊びに来たということは、おそらくそういうことなのだろう。


「それで、うちに来たってことはまた何か悩み事?」


「まあね。研究絡みでちょっとね」


 意地っ張りなのか、素直なのか。聞かれるまで何も言わないくせに、聞かれるとすぐにアイは話を始めた。


「えーと、私のやってる研究については前に話したわよね?」


「うん。要するに、AIを作ることのできるAIを開発してるんでしょ? そうすれば、AIが自分より頭のいいAIを作って、そのAIがまた自分より頭のいいAIを作って、そうやってどんどん高性能になっていくから」


「簡単に言えばそうなるわね」


 アイはそう頷く。


 だが、正解したからこそ、ユウの頭には疑問が浮かんでいた。


「でも、シー42号はもう完成したんでしょ? なら、あとはもう次のAIを作ってくれるのを待ってればいいんじゃないの?」


「基本的にはそうなんだけど、実は研究中に42号にトラブルがあって」


「ふーん……」


 どうせ専門的なことは分からないだろうが、それでも愚痴を聞いてあげるくらいのことはできないか。そう考えて、ユウは質問する。


「今まで気付かなかっただけで、42号に何か技術的な問題があったとか?」


「いや、どっちかって言うと、精神的な問題になるのかしら」


「精神的な?」


「ええ」


 訝しむユウにそう答えると、アイは詳しい説明を始めた。


「シー42号が二世代目のAIを作ったら、三世代目を作るのはその二世代目の役割になるでしょ? だから、42号に二世代目を作るように命令したら、〝私は自分が不要になるのが怖い〟って言い残して、自分で自分のプログラムを消去しちゃったのよ」

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