3 幽霊
「今日もあっついわねー」
「そうですね」
アイのこぼした文句に、シーがそう相槌を打った。
七月の夕暮れは、二人の言うようにまだまだ暑い時間帯である。沈みかけた夏の太陽が、残り火のように街を焦がしていた。
下校途中にコンビニのイートインで涼むつもりだったが、考えることはみな同じらしく、店内は混雑しているようだった。それでユウたち文芸部の四人は、仕方なく店の外でそれぞれアイスやジュースを口にしていたのである。
「そうだ」
チョコミントのアイスを食べていたアイが、ふと閃いたように口を開く。
「シー、何か怖い話でもしてよ」
「また無茶振りを……」
幼馴染の発言に、ユウは渋い顔をする。怪談で涼もうという発想は分かるが、思いつきで後輩を振り回すことはないだろう。
しかし、そう考えたのはユウだけだったらしい。
「いいですよ」
先輩命令だからだろうか。シーは素直にそう応じた。
「これは私の友達のサッカー部の子から聞いた話なんですが……」
「おっ、いいねいいね」
前口上をアイが囃し立てる。
こうして、シーの話が始まった。
「その日、日中は部活で練習試合が行われたんですが、相手が強豪ということもありチームは惨敗。しかも、試合後に相手が実はベストメンバーでなかったと知って、チームのみんなはとても悔しい思いをしたそうです。それで、彼女のチームメイトの一人は、その夜自主練の為に近所の公園に出かけました」
シーの話によると、彼女は元々部員の中でも特に練習熱心だったらしい。だから、夜に公園で自主練を行うのも、ほとんど日課のようなものだったそうである。
「しかし、その日はやはり負けた悔しさがあったんでしょう。普段よりも随分遅い時間まで練習してしまったそうです。
〝いくら近所とはいえ、これ以上遅くなったら親が心配する〟 そう考えた彼女は、慌てて公園を飛び出しました」
そして、その次の瞬間のことだったという。
「夜の闇の中を、スーッと男の生首が飛んでいったそうです」
話の真贋を疑ってはいるが、まるきり信じていないわけでもないのだろう。固い顔つきで、アイが尋ねる。
「……それで、その子はその後どうしたの?」
「よく見てみたら、男の人が真っ黒な上下を来て、黒い自転車に乗っていただけだったので、普通に家に帰ったそうです」
これを聞いて、アイはきょとんとした顔をする。
「……それだけ?」
「それだけです」
淡々とシーはそう答えた。本当にそれだけらしい。
おかげで、アイも一気に白けてしまったようである。
「何だかなぁ。幽霊の正体見たり枯れ尾花ってことかなぁ」
「体験談に本物の幽霊が出てくる方がおかしいでしょう」
「いや、そりゃまあそうなんだけど……」
身も蓋もないシーの意見に、アイは二の句が継げない様子だった。
かと思えば、すぐにまたこんなことを言い始める。
「じゃあ、次はユウね」
「ボク?」
ユウは驚きからそう尋ねる。まさか自分に順番が回ってくるとは思ってもみなかった。
「本で読んだ話とかでもいい?」
「まぁ、いいでしょう」
何故上から目線なのかはよく分からないが、アイの許可が下りたので、それを受けてユウも怪談を語り始める。
「ある女の子が引越しの時に古くなった人形を捨てたら――」
「〝今、あなたの後ろにいるの〟」
「若くて貧しいカップルの間に子供ができちゃって――」
「〝今度は落とさないでね〟」
「とある夫婦が中古の一軒家を買ったんだけど――」
「〝ごめんなさい。ここからだして〟」
度重なる中断に、ユウは顔を顰める。
「先にオチ言わないでよ」
「有名な話ばっかりする方が悪いんでしょ」
アイはアイで、不満げにそう答えた。
確かに、どれも怪談としては定番のものだったかもしれない。そのことについて、ユウは「だって、ボクあんまりホラー読まないし……」と弁解を始める。
しかし、アイはユウを無視して話を進めていた。
「エル先輩は何か怖い話知ってますか?」
「そうね……」
少し考えてから、エルは言った。
「これは私の友達の幽霊の子から聞いた話なんだけど……」
「すみません。まずそこに至るまでの経緯から話してもらっていいですか」
↓↑↓↑↓
「今日もあっついわねー」
「そうですね」
アイのこぼした文句に、シーがそう相槌を打った。
七月の夕暮れは、二人の言うようにまだまだ暑い時間帯である。ただし、沈みかけた夏の太陽は残り火のように燻るだけで、街はもう幾分暗くなっていた。
下校途中にコンビニのイートインで涼むつもりだったが、考えることはみな同じらしく、店内は混雑しているようだった。それでユウたちバスケ部の三人は、仕方なく店の外でそれぞれアイスやジュースを口にしていたのである。
「そうだ」
チョコチップのアイスを食べていたアイが、ふと閃いたように口を開く。
「シー、何か怖い話でもしてよ」
「また無茶振りを……」
幼馴染の発言に、ユウは渋い顔をする。怪談で涼もうという発想は分かるが、思いつきで後輩を振り回すことはないだろう。
しかし、そう考えたのはユウだけだったらしい。
「いいですよ」
先輩命令だからだろうか。シーは素直にそう応じた。
「これは私の友達のサッカー部の子から聞いた話なんですが……」
「おっ、いいねいいね」
前口上をアイが囃し立てる。
こうして、シーの話が始まった。
「隣の市に出るって噂の廃校があるじゃないですか」
「そうなの?」
アイは驚いたような顔をすると、それからユウの方を見た。
「知ってる?」
「うん。確か、いじめを苦に自殺した子の霊が出るとか何とか」
うろおぼえの知識でユウはそう答える。
それをシーが詳しく説明した。
「あの中学では、昔ある男子生徒に対するひどいいじめがあったらしいんです。最初は無視から始まって、だんだん暴力や恐喝まがいの行為にエスカレートしていって。しかも、周囲は生徒どころか教師まで見て見ぬふりで、誰も彼のことを助けようとしませんでした。
そうして精神的に追い詰められた彼は、抗議の意味を込めて、まだ生徒も教師もいる昼休みの時間を狙って、屋上から飛び降り自殺をしたそうです」
そこまで生々しい話は知らなかった。だから、アイは勿論、ユウも息を呑む。
「それ以来、あの学校ではしばしば男子生徒の霊が目撃されるようになったそうです。廃校になったのも、その噂が広まったのが一因だとか」
ある意味では、復讐に成功したということなんでしょうね、と最後にそう言って、シーは説明を結んだ。
「でも、それって廃校の影響でできた作り話なんじゃないの?」
アイがそう尋ねる。幽霊が出るから廃校になったのではなく、廃校になったから幽霊が出るという噂が生まれたと考えたようだ。
しかし、シーはそれを否定した。
「屋上からの転落事故で亡くなった生徒がいたのは事実らしいです。私の父も当時のニュースを覚えていました。本当にただの事故だったのか、学校側がいじめの隠蔽の為に事故として処理したのかは分かりませんが……」
尾ひれはひれはついているのだろうが、出るという噂が立つだけの下地はあるようだ。
一通り説明を受けて納得したらしい。アイは話題を本筋に戻す。
「それで、シーが友達から聞いた話っていうのは?」
「何でも、彼女のチームメイトの内数人が、本当に男子生徒の霊が出るのか確かめる為、夜の学校に忍び込んだそうなんです」
シーによれば、彼女たちは当初、ただの噂だろうとたかをくくっていたらしい。冗談半分に怖い怖いと騒ぎながら、肝試し気分で校舎を散策していたそうである。
ところが、その内に妙な物音が聞こえ出したのだという。
「最初は聞き間違いだろうと言い合っていたんですが、上の階に進むにつれてその物音は大きくなって、音のする回数も増えていって。しかも、幽霊の存在を信じ始めたことで、彼女たちの口数は逆に減って、余計に物音がよく聞こえるようになって……」
そうして恐怖心を覚えながら、彼女たちはとうとう最上階の四階――男子生徒が飛び降りた屋上に続く階――に辿り着いたという。
「すると、そこには、不自然な方向に手足の折れ曲がった、血まみれの男子生徒の姿があって――」
◇◇◇
「ねぇ、シーの話どう思う?」
宵の口に差しかかり、あたりに薄闇が広がり始めた頃のことだった。途中でシーと別れて、二人きりで家まで歩いていると、アイがそんなことを尋ねてきた。
「どうって?」
ユウはそう聞き返す。作り話を疑っているのだろうか。
結局、男子生徒の幽霊を見た後、サッカー部員たちはすぐにその場から逃げ出したそうである。そのおかげか、今のところ、特に誰も呪われたり祟られたりといった目には遭っていないという。
それは言い換えれば、幽霊を見た証拠になるようなものは何も残っていない、ということでもある。だから、作り話は言い過ぎにしても、集団ヒステリーなどの可能性はありえるかもしれない。
しかし、アイが言いたいのは、そういうことではないようだった。
「本当に出るかどうか、今夜確かめに行かない?」
「はっ!?」
予想外の提案に、ユウは思わず大声を上げていた。
「それ本気で言ってる?」
「本気よ、本気。アンタも気になるでしょ?」
「ボクは別に……」
「えー」
ユウの返答に、アイは口を尖らせた。シーに怪談をねだった時には、ただ涼もうとしていただけのはずである。それが今では、すっかり幽霊への好奇心に取って代わられてしまったようだった。
だからか、アイは続けてこうも言った。
「ああ。もしかして、アンタ怖いの?」
「まあ、そうだね」
「随分素直に認めるわね」
挑発してその気にさせるつもりだったのだろう。作戦が空振りしたアイは、呆気に取られた顔をした。
それから、不思議そうに尋ねてくる。
「でも、アンタそんなに幽霊苦手だったっけ?」
「いや、幽霊が怖いのもあるんだけど……」
「けど?」
続きを急かすアイに、ユウはこう答えた。
「心霊スポットって、ヤンキーと鉢合わせしそうだから」
「あー……」
◇◇◇
「えー、本当に行くの?」
「ここまで来て、今更何言ってんのよ」
ユウがぐずるのを見て、アイは呆れ顔をした。
二人はシーの話に出てきた、隣の市の中学校に来ていた。ユウは先の通り反対派だったのだが、放っておけばアイが一人ででも行きかねないので、それを心配してついていくことにしたのである。
親にバレないように、一度帰宅した後で家を抜け出してきたから、夜はすっかり更けていた。また、雲がかかっているようで、今日は月も星も見えない。
そして、そんな宵闇の中に、荒れ果てた校舎が不気味に佇んでいるのだった。
思わず二の足を踏みたくなるが、アイはお構いなしに正面玄関から校舎内に入っていく。それをユウは慌てて追いかけた。
「お、お邪魔します」
「お邪魔しますて」
律儀に挨拶するユウに、アイは再び呆れ顔をした。
掃除する人間もいないが、利用する人間もいないので、中はユウの想像ほど汚れてはいなかった。ただ、生徒たちで賑わっている昼間のイメージが強いから、夜の学校は誰もいなくて静かだというだけで気味が悪い。それが自殺者や幽霊の噂のある学校なら尚更である。
同じことをアイも感じていたらしい。
「……なかなか雰囲気あるわね」
「……そうだね」
今日も夏らしい熱帯夜になったが、かいているのがただの汗なのか冷や汗なのか、ユウには自分でも分からなかった。
それから、相談の結果、二人はシーの話と同じように、一階から順番に上の階へ上っていくことにする。
まず一階。異常なし。
次に二階。これも異常なし。
しかし、――
「……何かしゃべったら?」
「……アイちゃんこそ」
しかし、いつしか二人の間に会話はなくなっていた。夜の学校の異様な雰囲気に呑まれて、冗談を飛ばして笑い合うような余裕を失っていたのである。
三階の見回りを終えて、今回も何も異常がなかったのを確認すると、ユウは提案した。
「ねぇ、もう帰らない?」
これ以上探しても無駄だと思っているわけではない。
これ以上探して、本当に幽霊と遭遇してしまうのが怖かったのである。
「どうせただの――」
噂だって、とユウがそう言いかけた、その瞬間。
ぎぃ、とどこかで何かが軋むような音が響いた。
当然だが、ユウが立てた音でも、アイが立てた音でもない。
これを聞いて、アイは言った。
「……今の、上の階だったわよね」
「え、まさか行くつもりなの?」
「当たり前でしょ。何の為にここまで来たと思ってるのよ」
物音の正体に対する恐怖心と好奇心。それから、自分がこの件の言いだしっぺだという見栄や、幽霊がいるはずないという理性。それらの感情が入り混じったような、複雑な顔つきでアイはそう答えた。
ユウは勿論アイに反対した。
「えぇー、ボクは嫌だよ」
「じゃあ、一人で帰る?」
「それも嫌だけど」
もう三階まで来てしまったから、玄関に行くまでには結構な距離がある。とても別行動する気にはなれなかった。
アイは更にユウの説得を続ける。
「ほら、幽霊の正体見たり枯れ尾花って言うでしょ? 怖いと思うから、何だって怖く思えてくるのよ。今の物音だって、単に風とかネズミとかのせいかもしれないじゃない」
そう言ってから、こうも付け加えた。
「大体、このまま正体不明の物音だけ聞いて帰るのも、それはそれで怖くない?」
「……それもそうだね」
アイの言うことにも一理ある。それでユウも不承不承、一緒に音の正体を確かめにいくことにしたのだった。
男子生徒が飛び降り自殺した屋上へと続く、最上階の四階。
その四階に来た二人は、これまで通りに廊下や教室を見て回ることにする。
そうして見回りを始める直前に、アイはぼそっと呟いた。
「シーの話だと、確か四階に出たのよね」
なるべく考えないようにしていたことを口に出されて、ユウは顔をこわばらせた。
二人はまず、一番奥にある1‐1の教室に向かった。
開けっ放しにされたドアから中に入ると、懐中電灯で何か異常がないか調べる。
小さな光が暗闇を払って、教室の様子が徐々に明らかになっていく。しかし、幽霊らしきものは見つからなかった。
アイは最後に、教室の隅――入ってきたのと逆側にあるドアの方を照らす。
すると、そこには、不自然な方向に手足の折れ曲がった、血まみれの男子生徒の姿があって――
「きゃああああああああああ!」
そう悲鳴を上げて、アイは一目散に走り出す。
当然、ユウも逃げ出そうとはした。
しかし、恐怖心から腰が抜けて、ろくに動けなかったのだった。
「あっ、ちょっ、待っ」
その場にへたり込んだまま、助けを求めるユウ。だが、アイは逃げるのに必死で、こちらに注意を払う余裕などないようだった。
もう自分でどうにかするしかない。何とか立ち上がろうとユウはもがく。
が、体はまるで言うことを聞こうとしなかった。
その間にも、男子生徒の幽霊はゆっくりとこちらに近づいてくる。
そして、すぐそばまで来ると、幽霊はユウに手を差し伸べて言った。
「あなた、大丈夫?」
◇◇◇
「まさか、私以外にも、幽霊が出るか確かめに来た子がいるとはね」
ユウから事情を聞いた相手は、そう言って笑った。
長い髪と凹凸のはっきりした体型。上はコートで、下はスカート。ユウたちの見た男子生徒の幽霊の正体は、幽霊でないどころか、そもそも男子ですらなかった。
彼女の名前は龍泉寺エル。市内の学校に通う高校生だという。三年生だそうだから、ユウからすると先輩に当たる。
エルの周りでも、この学校に幽霊が出るという噂が話題になっていたらしい。それで彼女も興味を持って、話の真偽を確認しに来たそうである。そして、そこに偶然居合わせたユウたちが、恐怖心から勘違いを起こして……というのが事の真相だった。
そうしてお互いの事情を説明しながら、二人は夜の校舎を並んで歩く。腰を抜かしたユウを心配して、エルは玄関までついてきてくれるのだという。一人で先に逃げたアイとは大違いである。
それだけに、ユウは改めて謝っていた。
「すみません。幽霊と見間違えるなんて失礼なことを……」
「いいのよ。私も一瞬、本当に出たのかと思ったし」
そう鷹揚に微笑むエル。そして、怒るどころか、冗談めかしたことまで口にする。
「もしかして、幽霊が出るっていう話って、こういう勘違いが原因だったりして」
「あー、ありえますね」
ユウはそう相槌を打つと、それからアイの言葉を思い出して続けた。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花、って言いますし」
枯れ尾花を幽霊と見間違えることもあるのだ。生きた人間を幽霊と見間違えることくらい、おかしなことでもないだろう。
しかし、何故かこれを聞いたエルは黙り込んでいた。
「…………」
「どうかしました?」
「あの言葉って、不思議よね」
「え?」
きょとんとするユウに、エルは説明を始める。
「だって、枯れ尾花って、枯れたススキのことでしょう? なら、季節は冬よね。でも、幽霊が出るのって大抵夏じゃない」
「ああ、それもそうですね」
言われてみればそうである。確かに少し不思議だ。
エルは話を続ける。
「だから、夏に枯れ尾花を見たとしたら、それは枯れ尾花の幽霊なんじゃないかって」
「なるほど。面白いこと考え――」
そこまで言いかけて、ユウは口をつぐんでいた。
彼女の言う通りである。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。そういうことは確かにあるかもしれない。
しかし、その枯れ尾花が、枯れ尾花の幽霊でないと、どうして言い切れるのか。
ユウは今一度、エルの姿をよく観察する。
(夏なのに、何でこんな厚着をしているんだろう……?)
夜になって気温が多少下がったとはいえ、まだ冷房なしでは汗をかくほど蒸し暑い。仮に虫除けだとしても、薄手のシャツか何かで十分なはずである。
それなのに、何故かエルはコートを着込んでいるのだ。
「どうかした?」
そう尋ねてきた彼女の顔には、それまでの穏やかさはもうなかった。