2 黒猫
「今日は一限から体育でさー」
六月のとある日、既に活動を終えた文芸部の四人が、学校から駅までの道のりを歩いている最中のことだった。不満げな口振りで、アイがそんなことを言い出した。
「何やったんですか?」
「バスケ」
シーの質問にそう答えると、アイは更に愚痴を続ける。
「それも、ずっと男女混合のミニゲームだったから、朝からもうヘトヘトで」
「そうなんですか」
シーはそんな相槌を打つ。後輩のせいか、割合素直にアイの言葉を受け取ったようだ。
一方、ユウはクラスメイトだから、その実態についてはよく分かっていた。
「アイちゃんは体育で本気出し過ぎなんだよ。すぐムキになるんだから」
「だって、ユウごときに負けたくないじゃない」
「ごときって何だ、ごときって」
ひどい言われようである。ユウは思わず眉根を寄せた。
もっとも、実際アイは運動部が何度も勧誘に来るくらいスポーツが得意である。ユウも運動神経は悪くないのだが、流石にアイには及ばない。だから、先程の発言も満更言い過ぎというわけでもないのだ。
「だから、とにかく今日は疲れて眠くって――」
そうして愚痴を再開したアイだったが、その途中で突然目を見開いていた。
「猫だ!」
道端で見つけた猫に向かって、猛然と走り出すアイ。それを見て、ユウは「疲れはどこ行った?」とぼやく。
駆け寄ってきた人間に対し、猫は露骨に警戒心を示していた。じっと観察するように、夕暮れの薄闇の中から光る目でこちらを睨む。
アイはまずその警戒心を解こうと考えたのだろう。
「にゃー」
「…………」
鳴き真似で話しかけたが、猫は答えない。
しかし、アイもめげなかった。
「にゃーにゃー」
「…………」
やはり猫は答えない。それどころか、余計にアイのことを不審がったようで、逃げる素振りを見せたほどだった。
すると、アイはここに来て方針を変えてきた。
「わん!」
「何で!?」
驚きから、ユウはそう声を上げる。
犬の吠え声だからか、単純に大きな音だからか。それは分からないが、とにかく驚いたのは猫も同じだったらしい。アイの鳴き真似に、猫は一目散に駆け出していた。
「ちっ、逃げられたか」
「そりゃ逃げるでしょ」
本気で悔しがっていそうなアイの言い草に、ユウは呆れ顔をする。
それから、先程の猫の姿を思い出して言った。
「ていうか、今の黒猫じゃん」
「それが?」
「いや、黒猫は不幸を呼ぶとか言うでしょ。今ので祟られても知らないからね」
ユウも猫は好きである。だからこそ、猫をいじめたアイを、迷信でおどかそうと考えたのだった。
ユウの話には、シーも心当たりがあったらしい。
「そういえば、黒猫が前を横切ると不幸になるってよく言いますね」
「ちょっと、やめてよ二人とも」
冗談っぽくアイはそう答える。しかし、その笑顔は少し引きつっていた。
「黒猫を不吉の象徴と考える国は多いわね。ポーの『黒猫』でも、黒猫の首を絞めて殺した主人公が、最後には絞首台に送られることになったし」
「エル先輩まで!?」
大声でアイが叫ぶ。三人全員から同じような脅し文句を言われたのは、流石にショックだったようだ。
そんなアイを慰めるように、エルは続けて言った。
「といっても、黒猫が不吉って迷信は欧米から入ってきたもので、昔の日本ではむしろ幸運の象徴だったみたいだけどね」
これを聞いて、意外そうにシーが尋ねる。
「そうなんですか?」
「ええ。黒猫には魔除けや厄除けの力があると信じられていたみたい。ほら、招き猫も黒猫をモチーフにしたものは多いでしょう?」
「言われてみると、確かにそうですね」
頷くシー。ユウもこの説明には納得がいった。
エルはまた、こうも補足する。
「それに、海外でも黒猫を幸運の象徴と考える国は結構あるみたいよ」
こうしてエルの話が終わる頃には、アイの態度はすっかり元通りになっていた。それどころか、先程まで怯えていたことも忘れて、調子づいたようなことさえ言い始める。
「なーんだ。それじゃあ、セーフかぁ。心配して損した」
「幸運の象徴をいじめたんだから、どっちにしろバチが当たりそうなんだけど……」
むしろ、いっそ当たった方がいいのではないか。反省の見えないアイの様子に、ユウはそういう感想さえ抱く。
そんな風にして四人がおしゃべりをしていると、そこに散歩中の老婦人が通りかかり――
「わん!」
「ひゃあ!?」
老婦人の連れた犬に突然吠えたてられて、アイは悲鳴を上げたのだった。
↓↑↓↑↓
相手ディフェンスを上手くかわしてパスを受け取ると、そこからジャンプシュートを放つ。
すると、ボールは綺麗なアーチを描いてリングに吸い込まれていった。
「ナイッシュー!」
チームメイトたちからそんな歓声が沸く。
この日、体育館で行われた女子バスケ部の練習試合。二年生で唯一スタメンに選ばれたアイは、その立場に恥じない活躍を収めていた。
そして、そんなアイの活躍を、ユウはコートの外からただ見ていることしかできないのだった。
◇◇◇
「はぁ……」
今日の練習試合を振り返って、ユウは溜息をつく。
ユウとアイは同い年かつ家も隣同士で、いわゆる幼馴染という間柄だった。その為、ユウが始めたのをきっかけに、アイもバスケに興味を持ち、二人は小中と女子バスケ部に入部。そして、高校も二人で相談し合って、一緒に強豪校に進学したのである。
実力で言えば、元々は先に始めたユウの方が上手いくらいだった。中学の時でも、せいぜい同格程度だっただろう。
しかし、高校入学後のアイの成長ぶりは目覚ましかった。強豪校の猛練習に揉まれてぐんぐんと実力を伸ばしていき、三年生が引退するとすぐに控え入り。二年生になる頃には、先の通り同学年でただ一人のスタメンにまでなっていた。
一方のユウは、未だに控えにすらなったことがなかった。しかも、今年は有望な新入部員が入ってきたので、このまま行くと三年間で一度も公式戦に出場できないままかもしれない。
だから、アイに対しては、嫉妬もあったし、劣等感もあった。そうなると、幼馴染特有のアイの気安い態度に苛立つこともある。そのせいでユウが距離を置くようになると、向こうもそれを悟ってだんだん声を掛けてこなくなった。こうして、今では二人が会話することはほとんどなくなっていたのだった。
そういったバスケ部にまつわる諸々の悩みから、ユウはこの日、部活の後に気晴らしに寄り道をしていた。そんな暇があるなら練習を、というのは正論かもしれないが、とてもそんな気分にはなれなかった。
そうして街を歩く内に、ふとユウの足が止まる。
(こんなところにお店なんかあったかな?)
古い洋館といった雰囲気の、品の良さそうな店だった。ただ近代的な周囲の建物からは浮いているので、今まで見落としていたというのは考えにくいのだが……
疑問は店の中に入ってからも尽きなかった。
(雑貨屋さん……でいいのかな?)
食器や文房具、ぬいぐるみなど、店内には様々な種類の商品が所狭しと並べられていた。デザインは基本的にオシャレで可愛らしいものが多いようだが、派手な色合いのものは意外に少ない。幅広い客層を想定しているのだろうか。
そんな風に、ユウが店の中を回っている時だった。
「何かお探しですか?」
「いや、ちょっと見てただけで」
店員(店の規模から言えば店長かもしれない)に声を掛けられて、ユウはそう答える。
にもかかわらず、彼女はそのまま話を続けた。しかも、かなり予想外の話題だった。
「何か悩みがある?」
入店後は商品に気を取られていた為、バスケ部のことは考えていなかった。だから、顔に出ていたということはありえないだろう。心の底を見透かされたようで、ユウにはそれが不気味だった。
「……少しも悩みのない人なんていないでしょう」
「かもしれませんね」
そう言って微笑むと、彼女――ブローチ風の名札によると、龍泉寺エルという名前のようだ――はそのまま続ける。
「悩みがあるのなら、こちらの猫のストラップはいかがでしょう?」
「ボクの話聞いてます?」
ユウは思わず尋ねる。これまでの会話は、新手のセールストークだったのだろうか。
エルの勧めてきた商品は、説明通り猫のぬいぐるみのついたストラップだった。他の商品同様、このストラップも可愛らしいデザインだが、悪目立ちするような派手さはない。
しかし、ただ一点、ユウには扱われているモチーフが気になるのだった。
「というか、黒猫って不吉なんじゃあ……」
「それが幸運の象徴と考える国も結構あるんですよ。欧米の影響を受ける以前は、日本でも魔除けや厄除けの力があると信じられていたみたいですし。ほら、招き猫も黒猫をモチーフにしたものは多いでしょう?」
「そうですね」
エルの説明に、ユウは頷く。言われてみれば、確かにその通りである。
エルは話を続けた。
「もしかしたら、黒猫には運勢を司る不思議な力があって、その力を幸福を呼ぶものだと考えた人もいれば、不幸を呼ぶものだと考えた人もいた、ということかもしれませんね。
他の例で言えば、たとえば蛇は狡猾さや執念深さの象徴として敬遠される一方で、知性や生命力の象徴として崇拝されることもありますから」
「なるほど……」
プラスに捉えるか、マイナスに捉えるかの違いがあるだけで、本質的には同じことを言っているだけなのかもしれない。これも納得のいく説明だった。
だから、ユウは言った。
「あの、これいくらですか?」
バスケ部のことについては、正直藁にもすがりたい気分だった。黒猫が幸運の象徴だと教えられては、とても無視できない。それに、元々猫は好きなのだ。
これを聞いたエルは、意外な申し出をしてきた。
「気に入っていただけたのなら差し上げますよ」
「えっ? いいんですか?」
「はい」
エルはそう言うが、本当にいいのだろうか。小遣いが多いわけではないから、タダで貰えるのはありがたいのだが……
そう悩むユウに対して、エルは代金のかわりという風に一点だけ注意してきた。
「ただ、猫は濡れるのが嫌いでしょう? だから、その子を絶対に濡らさないと約束していただけますか?」
「はぁ……」
「その約束さえ守っていただければ、あなたに必ず幸福が訪れることを保証いたします」
おまじないか何かだろうか。奇妙なことを言いつけられて、ユウは面食らってしまう。
一方、エルの顔からは、先程までの笑みが消えていた。
「ただし、もし約束を破ってしまったら、その時には――」
◇◇◇
(〝その時には、これまでの幸福とは比べ物にならないような不幸が、あなたを襲うことになるでしょう〟か……)
店からの帰り道、例の黒猫のストラップを眺めながら、ユウはエルの言葉を思い返していた。
馬鹿馬鹿しい。非現実的である。しかし、エルの口調は妙に真に迫っていた。それだけに、ユウも彼女の言うことを完全には否定できないでいたのだった。
「おかえり」
帰宅したユウにそう声を掛けた母は、更に続けて言った。
「これ、届いてたわよ」
母から渡されたものを見て、ユウは驚きに目を見開く。
それは駄目元で応募した懸賞の一等、最新モデルのバスケットシューズだった。
◇◇◇
相手ディフェンスをパスのフェイントで釣って、そこから3Pシュートを放つ。
すると、ボールは綺麗なアーチを描いてリングに吸い込まれていった。
「ナイッシュー」
チームメイトたちからそんな歓声が沸く。
その歓声を浴びているのは、他ならぬユウだった。
黒猫のストラップを譲り受けたあの日から、ユウにはずっと幸運が続いていた。
まず防犯用の街灯が設置されたことで、親から夜遅くまで公園で自主練してもいいという許可が出た。
更に、自主練用の新品のボール。体作りに必要なサプリメントやプロテイン。上達の為の教則本や練習動画…… そういったものが懸賞や福引、貰い物などによって、次々とユウのものになった。こうして練習環境が整ったことで、ユウは実力を伸ばしていったのである。
そして何よりも、自分は幸運に守られているという安心感が、ユウのメンタル面に大きな影響を与えていた。パスに逃げずに自分でシュートを決めにいったり、ファウルを取られかねないようなやや強引なディフェンスをしたり、以前とはうってかわって、積極的なプレーができるようになったのである。
その結果、月末に大会を控えた六月に入る頃には、ユウはアイに代わって、二年生で唯一のスタメンに選ばれるまでになったのだった。
練習試合が終わり、部活は一旦休憩となった。スポーツドリンクがなくなったので、ユウはロッカールームまで取りに行く。
(おっと、危ない)
スポーツバッグに触れる前に、ユウはまずタオルで念入りに汗を拭いた。
なるべく肌身離さない方がご利益があるような気がして、黒猫のストラップはバッグに付けてあった。先程汗を拭いたのは、汗も水分には変わりないから、黒猫を濡らしてしまう可能性があると考えたからである。
言い換えれば、ユウはそれだけエルの話を信じているということでもあった。確かに当初こそ半信半疑だったが、身の回りであれだけ不自然に幸運が続くと、もう事実として受け入れざるを得なかったのである。
「先輩、最近調子いいですね」
「まあね」
ロッカールームに入ってきたシーに、ユウはそう答えた。
シーはどんな時も冷静で視野の広い選手で、一年生たちの中で一番の有望株だった。ユウも一時は、彼女の入部に焦りを覚えたことがある。しかし、それも黒猫のストラップを手に入れるまでのことだった。
「ていうか、今までは色々あって練習に集中できてなかっただけなんだよね。だから、これが本来の実力っていうか」
「…………」
得意げなユウの返答を聞いて、シーは愛想笑いするでもお追従を言うでもなく、ただ黙り込んでしまう。
それがユウの癇に障った。
「……何?」
「あの、もう少し発言に気をつけた方がいいと思いますよ。ユウ先輩がスタメンになって、アイ先輩が抜けたのが面白くない人がいるみたいですし」
シーの言うようなことは、ユウも薄々感じていた。事実、今日の試合でも、自分への歓声は一応沸いたものの、その声量は控えめだった。
アイは明るく屈託のない性格である。先輩からは可愛がられ、後輩からは慕われている。だから、中にはユウのことを疎ましく思う部員がいてもおかしくはないだろう。シーはそのことを心配しているようだった。
しかし、大きなお世話である。
「どうせボクは人望ないからね」
「そういうつもりで言ったわけでは……」
ひねくれた態度にシーはうろたえるが、ユウは構わず続けた。
「でもさ、元はと言えば、アイちゃんがボクより下手糞なのが悪いんでしょ」
黒猫の呼び寄せた幸運は、あくまで練習環境を整えただけで、その環境で努力したのは自分自身である。そういう思いがユウを増長させて、こんなことまで言わせたのだった。
その時、ちょうどある部員がロッカールームに入ってきたのを見て、シーはこわばった顔をする。
「アイ先輩……」
今までの会話を、アイにははっきりと聞かれてしまったようだった。部屋には気まずく重苦しい空気が流れる。
「…………」
「…………」
暴言を吐いたユウも、それを聞いたはずのアイも、互いに何も言わなかった。もはや喧嘩にもならないほど、二人の距離は離れてしまっていたのである。
こうして、二人の不仲はこの日を境に決定的なものになったのだった。
◇◇◇
ロッカールームでの一件から、ユウは部内で明確に孤立するようになってしまった。
元々、アイからスタメンを奪ったことで、一部の部員から目をつけられていた。また、そうでない部員からも、尊大な態度のせいで反感を抱かれていた。そんな状況でアイに暴言を吐いたとなれば、孤立するのは当然の結果だったのだろう。
しかし、それでもユウは、自分から彼女たちに歩み寄ろうとはしなかった。アイが下手なのが悪い、自分は間違っていないと、そう意固地になっていたのである。だから、チームメイトとの間に最低限の事務的な会話しかないまま、何週間も過ぎることになった。
そんな時、事件が起きた。
「ない!」
練習後、ロッカールームでバッグを見たユウは青ざめていた。
「ボクのストラップがないの。黒猫のやつ。誰か知らない?」
嫌われているのは承知の上でそう尋ねる。
対するチームメイトからの返答には、悪意が滲んでいた。
「さぁ?」
「知りませんよ」
そう言葉少なに答えるだけで、誰も探すのを手伝うどころか、詳しい話を聞こうともしない。中には最初から無視を決め込む者までいた。
朝に見た時にはまだバッグについていたこと。部外者がロッカールームにいれば目立つこと。そして、部員たちとユウの関係が最悪だということ。それらを合わせて考えると、部内にストラップを盗んだ犯人がいるのはまず間違いない。
「っ」
問い詰めたところで、どうせ犯人が名乗り出ることはないだろう。だから、部員たちへの怒りは一旦飲み込んで、ユウは急いで部屋を後にした。
ストラップを探す為に真っ先に校庭に出たのは、こういういじめをする場合、盗んだものは外に捨てるイメージがあったからである。
それに、ユウにはもう一つどうしても気になることがあった。
(最悪だ……)
ユウは呆然とする。
見上げた空には、真っ黒な雲がかかっていたのだった。
ストラップを盗まれただけならまだいい。しかし、外に捨てられたとなると、雨が降り出せばすぐにでも濡れてしまうだろう。
エルは言っていた。黒猫を濡らさないという約束さえ守れば必ず幸福が訪れる。ただし、もし約束を破ってしまったら――
〝その時には、これまでの幸福とは比べ物にならないような不幸が、あなたを襲うことになるでしょう〟
一体、どうすればいいのか。どこから探せばいいのか。直面した恐怖に頭が真っ白になって、ユウはその場に立ち尽くす。
「先輩、私も探すの手伝います」
「……ありがとう」
シーの申し出に、ユウはそうお礼を言う。久しぶりに他人と会話をした気がした。
しかし、それで事態が好転したわけではなかった。
(ない! ない!)
必死の形相で、ユウは植え込みをかき分ける。
(どこにもない!)
もう今にも雨が降り出しそうな空模様だというのに、どれだけ探してもストラップは見つからなかった。
もしかしたら、単に外には捨てられていないだけのことかもしれない。だが、その保証がない以上は決して楽観視できず、不安や恐怖は募るばかりだった。
その時、背後に気配を感じて、ユウは振り返る。別の場所を手分けして探しているシーが、見つけてきてくれたのだろうか。
しかし、振り返った先にいたのはシーではなかった。
「ユウ」
「……アイちゃん」
こんな時に何の用だろうか。まさか彼女が犯人なのだろうか。
アイは言った。
「アンタの探し物ってこれでしょ」
差し出された手が持っていたのは、間違いなくユウのストラップだった。
「あ、ありがとう」
ユウはおずおずとストラップを受け取る。ただでさえ気まずい相手なのに、犯人かと疑った直後だから尚更だった。
「一年の子に聞いたら、自分たちが隠し持ってるって白状したわ」
アイはまずそう説明すると、続けて謝っていた。
「何ていうか、ごめんね。私のせいで逆恨みされちゃったみたいで」
「ううん。元はと言えば、ボクが悪いんだし」
アイが先に歩み寄ってくれたからだろう。あれだけ頑なになっていたのが自分でも信じられないくらい、ユウは素直に謝ることができた。
これを聞いて、アイは更に続ける。
「まぁ、それはそうよね。私が先にスタメンになったら嫉妬して。で、自分がスタメンになったら今度は滅茶苦茶調子に乗って」
「えぇー、言っちゃう? それ言っちゃう?」
謝ったのだから、蒸し返さなくてもいいだろう。ユウはそう抗議するが、アイには聞き届けてもらえなかった。
「先に〝アイちゃんが下手糞なのが悪い〟とか言ってきたのはアンタじゃない」
「でも、下手なのは事実だよね」
「アンタ、やっぱり調子に乗ってるでしょ」
ユウの返答がよほど腹立たしかったらしい。今度はアイが声を荒げた。
そして、そんな言い争いをした結果――
「ぷっ」
二人は噴き出した後、盛大に笑い声を上げていた。
「あははははは」
どちらのシュートが連続で入り続けるか。どちらにパス失敗の責任があるか。どちらが先にスタメンになれるか…… 以前はこんな風に、小さなことでもよく言い争いをしたものだった。それでも仲がいいのが、ユウとアイの関係だったのだ。
もう二度と、あの頃のような関係には戻れないと思っていた。だから、ユウは笑みと共に、涙を浮かべる。
そうしてこぼれ落ちた涙は、黒猫を確かに濡らした。