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非日常系  作者: 我楽太一
10/12

9 原理

「あーつーいー」


 太陽に文句を言いたいのだろうか。窓のそばで涼みながら、アイはそうこぼした。


 この夏の最高気温を記録した日のことである。ちょうど部活の時間中に、暑さがピークに達したようだった。だから、アイに限らず、文芸部員たちはみな参っていた。


「クーラー欲しいわよね」


「そうですね」


 読書の手を止めて言ったエルに、シーもそう相槌を打つ。


 特に実績のない部ということもあり、文芸部の部室にはクーラーどころか扇風機すらなかった。冷房といえば、開け放した窓から入ってくる風くらいのものである。


 窓際でその風を浴びながら、それでもアイは言った。


「暑い! アイス食べたい!」


 ただでさえ暑さのせいで集中できないのに、そこにうるさいアイの声まで加わるのである。この幼馴染の行動には、ユウも本から一度顔を上げていた。


「ちょっとくらい我慢しなよ」


 そう言おうとした瞬間だった。


「ほあっ」


「どうしたの?」


 妙な叫び声を上げてこちらに走ってきたアイを、ユウが不思議がる。


 すると、窓の方を指差してアイは言った。


「蜂! 蜂!」


「!?」


 こうなると、もう読書どころではなかった。部屋に入ってきた蜂から身を守ろうと、部員たちは机の陰に隠れるような格好でしゃがみ込む。


「アシナガバチね。基本的に死ぬような毒はないわ」


 エルの解説に、一同は胸を撫で下ろす。


 しかし、エルはこうも言った。


「刺されると滅茶苦茶痛いけど」


 ホッとしたのも束の間、先程までの緊張感がぶり返してきた。


 ただ、幸いにもアシナガバチは、しばらく部室内を飛び回った後、また窓から出て行ったのだった。


「あー、びっくりした」


 ユウはようやく心の底から安堵する。


「やっぱりクーラー欲しいわよね」


「そうですね」


 改めてその必要性を訴えたエルに、シーも同じ相槌を打つ。


 その一方、アイはまた訳の分からないことを言い始めた。


「そういえば、蜂は自分が飛べると信じているから空を飛べるんだって」


「はぁ?」


 ユウは思わず怪訝な顔をする。


「だから、蜂は自分が飛べると信じているから空を飛べるんだって」


 聞き取れなかったのだと思ったらしい。アイは繰り返しそう主張した。


 一体、何を言っているのだろうか。この暑さで頭がおかしくなったのだろうか。そんなことを考え始めたユウに、エルが説明してくれた。


「クマバチやマルハナバチは、体の大きさに対して羽が小さいから、既存の科学理論をそのまま当てはめて考えると、空を飛べないことになってしまうの。それで、どういう原理で飛んでいるのか説明をつけようとして、当時はアイちゃんの言うようなオカルト染みた意見まで出たくらいなのよ」


「ああ、そういうことですか」


 そう納得するユウの横で、アイは得意げ表情を浮かべる。


 それを無視して、ユウは質問した。


「でも、当時ってことは、今は原理が分かってるんですか?」


「ええ。飛行機みたいな大きなものと、蜂みたいな小さなものとでは、空気の粘度によって受ける影響が全く別物になってくるんですって」


 エルの話を要約するに、蜂は羽を動かすことで周囲に空気の渦を起こし、体積の小ささからその渦の影響を強く受けられる為に空を飛ぶことができる、ということらしい。


 しかし、これを聞いて、ユウの頭には新たな疑問が浮かんでいた。


「あれ? でも、飛行機が飛ぶ原理は分かってないってたまに聞きますけど……」


「それはよくある誤解よ。もうずっと以前からきちんと解明されているわ」


「あ、そうなんですか」


 びっくりしたような、恥ずかしいような気持ちで、ユウはそう答えた。


 そんな二人の会話を受けて、今度はシーが口を開く。


「未解明といえば、全身麻酔が効く原理はまだ分かっていないらしいですね」


「えっ? そうなの?」


 初耳の上、内容が内容である。ユウは驚きの声を上げていた。


「仮説ならいくつかあるみたいですけどね。だから、麻酔の用法や用量は経験則に基づいているんだそうです」


「そうなんだ。それ聞くと、ちょっと怖いね」


「事故にまで繋がることはほとんどないみたいですけどね。それでも、少しでも安全性を高める為に、原理の解明が期待されているらしいです」


 漠然と不安がるユウに、シーはそう補足説明を行った。


「月並みだけど、まだまだ科学では分からないことがたくさんあるってことよね」


 これまでの話を総括するように、エルはそんなことを言う。


 こうして上手く話がまとまりかけたところに、アイが口を挟んできた。


「でも、蜂が飛べると信じているから空を飛べるように、学者が科学で解明できると信じ続けていれば、いつかはきっと解明されるんでしょうね」


「……何でいい話をしたの?」


 したり顔をするアイに、ユウは呆れてそう尋ねた。




     ↓↑↓↑↓




「あーつーいー」


 太陽に文句を言いたいのだろうか。窓のそばで涼みながら、アイはそうこぼした。


 この夏の最高気温を記録した日のことである。ちょうど部活の時間中に、暑さがピークに達したようだった。


 しかも、ユウとアイの二人しか部員がいないということもあり、文芸部の部室にはクーラーどころか扇風機すらなかった。冷房といえば、開け放した窓から入ってくる風くらいのものである。


 窓際でその風を浴びながら、それでもアイは言った。


「暑い! アイス食べたい!」


 ただでさえ暑さのせいで集中できないのに、そこにうるさいアイの声まで加わるのである。この幼馴染の行動には、ユウも本から一度顔を上げていた。


「ちょっとくらい我慢しなよ」


 そう言おうとした瞬間だった。


「ほあっ」


「どうしたの?」


 妙な叫び声を上げたアイを、ユウが不思議がる。


「蜂でもいた?」


 しかし、そういうことではないらしい。アイは窓の外を指差して言った。


「あれ、飛行機じゃないわよね?」


「…………」


 その非現実的な光景に、ユウは言葉を失っていた。


 空を飛んではいるが、飛行機でもなければ、ヘリコプターでもない。


 その機体は、ボールのように丸い形をしていた。


 羽もプロペラもないのに、どうやって飛んでいるのだろうか。ユウには全く検討がつかない。


 その上、空を飛ぶ原理以上に不可解なことがあった。機体は点滅するように、姿を消したり現したりを繰り返していたのである。


 そして、機体は山の上空で一旦停止すると、今度はゆっくりと下降していった。


「着陸したわね」


「みたいだね」


 呆然としながら、ユウはアイに相槌を打った。


 あれは一体何なのか。製作者や搭乗者は何者なのか。山に下りて何をするつもりなのか。疑問は尽きなかった。


 そんなユウに、アイは躊躇いがちに尋ねてくる。


「……行ってみる?」


 相手の正体には全く見当がつかない。こちらに敵対的である可能性も十分ありえる。わざわざ確かめに行くのは危険過ぎるだろう。


 しかし、このまま見なかったことにするのも不安だった。あの時、正体を確かめておけば……という事態に、今後ならないとは言い切れない。


「う、うん」


 葛藤の末、ユウはそう頷いていた。



          ◇◇◇



「参ったわねぇ」


「参りましたね」


 重々しく機械的で、それでいて洗練されたデザインの球状の機体。その周りで、搭乗者と思しき二人が話し合っていた。


「シーちゃんが、念の為にカルネアデシンを積んでいくなんて言うから」


「いや、絶対エル先輩が寄り道したせいだと思うんですが」


 シーと呼ばれた方は、エルと呼ばれた方にそう反論する。


 この様子を、アイとユウは木の陰から遠巻きに覗いていた。


「……見た目は思ったより普通ね。肌が灰色とか、足が八本あるとか、そういういかにも宇宙人っぽいのを想像してたんだけど」


「そうだね」


 アイの言う通り、シーもエルも、パッと見ではただの地球人のようにしか見えなかった。


 勿論、そばに件の機体がなければの話だが。


 近くで見ても、機体にはやはり羽やプロペラらしきパーツはついていなかった。これでどうやって空を飛んだのか。それに、姿を消したり現したりする機能まであるのだ。明らかに現代の技術で作られたものではないだろう。


 それだけに、二人の想像は更に膨らんだ。


「単に人型なだけ? それとも地球人に擬態してるパターンかしら?」


「未来人って可能性もあるんじゃないの」


 あくまで宇宙人説を推すアイに、ユウは別の説を唱える。あの機体は宇宙船ではなく、いわゆるタイムマシンで――


 その時、不意にシーがこちらを振り向いた。


「そこにいるのは誰ですか?」


「っ!」


 二人は慌てて口を噤み、木の陰に体を隠す。


 しかし、もう遅かった。


「大人しく出てきてください。そうすれば、危害は加えません」


 シーは冷たい声でそう勧告してくる。


 こちらに向けた彼女の右手には、銃のようなものは何も握られていなかった。ただ唯一、人差し指に銀色の指輪がはめられている。どう使うのか全く分からないが、言動から考えてあの指輪が武器になるようだ。


 こうなったら、もう言われた通りにするしかないだろう。そうアイコンタクトを交わすと、二人は彼女たちの前に出ていく。


「す、すみません。ここに何かが下りてくるのが見えたのでつい……」


 ユウはそう弁解する。通じるか分からないが、一応抵抗するつもりがないことを示す為に両手は上げておいた。


 予想に反して、彼女たちの反応は淡白だった。


「燃料節約の為に、ステルス機能が勝手に解除されていたみたいですね」


「自動化も考え物ね」


 シーとエルは、ユウたちを前にそう安穏と話し始める。


 そんな彼女たちの会話に、アイは意を決したように口を挟んだ。


「あの、お二人は一体……?」


「あなたたち地球人の立場からすると、我々は宇宙人ということになりますね」


 事前に予想した答えの一つではある。だから、ユウはシーの返答に驚愕する反面、納得もしていた。


 アイに至っては、更に踏み込んだことまで尋ね始める。


「地球には一体どういったご用件で?」


 この質問に、シーはこう答えた。


「観光です」


「観光なの!?」


 アイとユウは思わず叫ぶ。この答えは流石に予想外だった。


 そんな二人に対し、シーは顔をこわばらせて続ける。


「未開惑星の住人に我々の存在を知られたとなると色々と問題になるので、今日のことは何も見なかったことにしていただけますか? もしそう約束していただけるなら、我々に可能な範囲であなたたちの要求を聞きますから」


「えぇー、むしろ宇宙人が下手に出てきた」


 ユウはそう驚く。


 一方、アイはこう言った。


「じゃあ、何か宇宙的な便利アイテムください」


「そして、地球人が調子に乗り始めた!」


 つい先程まで殺されやしないかと怯えていた人間の取る行動とは思えない。ユウは再び驚いていた。


 もっとも、アイも本気ではなかったらしい。改めてシーに言った。


「それじゃあ、いくつかこっちの質問に答えてもらうっていうのはどうですか?」


「いいでしょう」


 一体、アイは何を聞くつもりなのか。シーたち宇宙人の科学技術についてだろうか。それとも文化についてだろうか。あるいは……


 しかし、実際のアイの質問は、ユウの思い浮かべた内のどれでもなかった。


「何か困ってるみたいでしたけど、トラブルでもあったんですか?」


 これに、シーはすぐには回答しなかった。まず先にエルに確認を取る。


「どうします? 答えてもいいですか?」


「もう宇宙人ってことは知られちゃったからね。いっそ全部話して、協力を頼んだ方が得策なんじゃないかしら」


「そうですね」


 そうして相談が終わると、シーはアイの質問に答えた。


「実を言うと、宇宙船の燃料が切れてしまったんです。そのせいで、飛行機能を始めいくつかの機能が使えなくなってしまって。だから、ここに不時着したんです」


「ああ、それで」


 人目を避けるように山の中に着陸した理由。そのくせ、宇宙船の姿を消す機能を使わなかった理由。そういったものに説明がついて、アイもユウも納得する。


 それから、エルとの相談通り、シーは提案してきた。


「もしよろしければ、燃料を集めるのを手伝っていただけませんか? 勿論、相応のお礼はいたしますから」


「いいですよ」


 元々そのつもりで質問したのだろう。アイはそう即答する。


「ね?」


「うん」


 特に断る理由もないから、ユウもアイに賛成した。


 メモの為に手帳を取り出すと、アイは改めてシーに尋ねる。


「それで、何が必要なんですか?」


「まずは牛の血ですね」


「あ、キャトルミューティレーションってそういう……」



          ◇◇◇



「へー、地球ブームですか」


「はい。西暦で言うと、1970年代以来のことですかね」


 アイの相槌に、シーはそう頷いた。


 ファーストコンタクトから数日。シーたちは例の山中で、集めた材料を元に宇宙船の燃料を合成する作業を行っていた。


 そして、その作業中、口外しないという約束でアイはシーに質問をしていたのである。これまでにも、シーたちの星がどんな文明を築いているかということを始め、二人が同じ会社の先輩後輩であること、冬になって休暇が取れたので地球に観光に来たことなど、実に色々なことを教えてもらったのだが、アイの疑問はまだまだ尽きないようだった。


「でも、地球みたいな遅れた星に来てもつまらないんじゃないですか?」


「そんなことないですよ。他の星と交流がない分、独自の文化が発達していて非常に興味深いです」


 そう答えながら、シーは材料を無造作に給油口に注いでいく。今更驚きはしないが、燃料の合成は宇宙船が自動でしてくれるのだという。


「水持ってきましたよ」


 ペットボトルを手に、ユウはそう声を掛ける。エルによく冷えた水を頼まれていたのだ。


「ありがとう」


「…………」


 エルが受け取った水を飲み始めるので、ユウは反応に困ってしまった。


 ともあれ、そんなこんなでも作業は順調に進んで行き――


「動いたー!」


 無事に燃料の合成が完了したようだった。ステルス機能が回復して、宇宙船の姿が見えなくなる。それを確認して、四人は歓声を上げていた。


「あー、良かった」


「これでやっと帰れますね」


 エルとシーは口々にそんなことを言い合う。


 それから、ユウたちに感謝の言葉を述べた。


「二人とも本当にありがとうね」


「ありがとうございました」


 そして、シーは更にこうも付け加えた。


「約束通り、お礼を差し上げないといけませんね」


「いえ、ボクたちはそんな」


 困っていると聞いたから協力しただけで、そういう下心はなかった。それに、宇宙人が地球人と接触するのは好ましくないようだから、下手にお礼を受け取ると、シーたちに迷惑をかけることになるかもしれない。


 アイも基本的にはユウと同じ考えのようだが、何も要求しなかったわけでもなかった。


「じゃあ、最後にもう一つだけ質問に答えてもらってもいいですか?」


「どうぞ」


 そうシーに促されると、アイは興奮したような緊張したような面持ちで尋ねた。


「この宇宙船って、一体どういう原理で動いてるんですか?」


 アイの最後の質問に答える前に、二人は相談を始めていた。


「どうします?」


「シーちゃん、お願い」


「はぁ……」


 エルに回答を一任されて、シーは曖昧な返事をする。


 文明レベルに差があり過ぎて、説明が難しいのだろうか。シーは「ええと」と前置きするなど、明らかに歯切れが悪かった。


 結局、彼女はたとえ話を用いることにしたらしい。


「そうですね。それでは、まずこの星の自動車という乗り物が動く原理はご存知ですか?」


 エンジンで動くということは分かる。ガソリンが燃料ということも分かる。しかし、その原理となると、詳しいことはユウにはよく分からなかった。


 そして、それはアイも一緒のようだった。申し訳なさそうに言う。


「……す、すみません。分かりません」


 これを聞いて、シーは確かめるように再び質問してくる。


「自動車は一般的な乗り物のはずでしょう? 乗ったり、運転したりした経験はあるんじゃないですか?」


「はい。でも、詳しいことは知らないんです」


 そう繰り返すアイ。全くの同意見だったから、横でユウもうんうんと頷く。


 ただ、シーの発言から推測できることはある。アイは今度それを尋ねた。


「でも、そんなことを聞くってことは、基本的な部分は自動車と一緒ってことですか?」


「さあ?」


「えっ」


 小首を傾げるシーに、アイとユウは声を合わせて驚く。


 そんな二人に対して、彼女はこう説明した。


「ですから、あなたたちが自動車の原理を知らないように、私たちも宇宙船の原理を知らないんです」

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