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君の声を聴かせて  作者: 洛葉みかん
2/11

彼女と欲望と

 翌日。窓から差した陽の光で目が覚めた。

 晩御飯食べたっけ、とそんなことすらあやふやな脳味噌をフル稼働させて立ち上がる。

 私の名前は東井千紘、高校生。昨日は西川結羽って名前のめちゃくちゃ可愛い女の子と出会って、運命を感じた。よし、思考回路と記憶もバッチリだ。

 ……ん? そういえば、結羽の他に誰かと会話してたような……。

 まあ、いいか。細かいことは気にしない主義で行こう。

「――最近、ドラマの影響などにより、出版業界に話題が集まっています――」

 共働きの親が作り置いていたトーストを頬張りながら、そんなことを話すニュースを眺めていた。

 ――そういえば、お父さんとお母さんも出版関係の仕事なんだっけ。

 ふとそんなことを思い出した。毎日残業で遅いし、朝早くから出かけていくから、あまり話す余裕もないが。

 結羽のことも話したいし、今度オススメの本でも聞いておこう。

 朝食を片付けて思い出したように時計を見ると、ちょうどいい具合の時間だった。

「さて、そろそろ出かけるとしますか」

 跳ねるような足取りで支度を始める。

 ああ、人生でこれほどまでに学校が楽しみだと思った時はあるだろうか。思わず鼻歌なんかも出てきてしまう。

「よし、行ってきまーす」

 誰もいない玄関に別れを告げて、颯爽と通学路へ。頬に当たる風も気持ちよく感じる。

 昨日通った道を見る度に、あのことを思い出して思わず口元が緩む。

 早く結羽に会いに行かないと。そんな気持ちが私の足を動かしていた。

「よしっ……!」

 教室の前。一呼吸置いて扉を開くと、そこには数人の生徒がまばらにいるのみだった。どうやら結羽の姿は見当たらない。

「おはよー千紘ちゃん! 初めての夜はどうやったー?」

 席に鞄が置いてあるのを見ると、学校には来ているらしい。結構早く来たと思ったんだけど、みんなそうでもないみたいだ。

「おやおや、無視とはいただけませんなー」

 ところで、さっきから私の周りに付いて回る蚊は誰なんだろうか。顔は見た覚えがあるんだけど。

「えーと……誰だっけ」

「ひどいわ千紘ちゃん! 七海やで! 梅村七海!」

「あー……ごめん、人の名前覚えられなくてさ」

 思い出した。飴くれた人だ。

 あと正確には、「興味のない人のことは」覚えられない、だけど。

「もー、びっくりしたわ……」

「ごめんごめん。で、どうしたのななえちゃん?」

「いやなんでやねん!」

 ……あ、素で間違えた。


「結羽ちゃんの居場所? うーん、あたしにはちょっとわからんわ」

 七海が困った顔をして答えた。まあそうだよね。知ってた。

「そっか、ありがと」

 くるりと身を翻して教室を出る。もちろん行き先は例の東屋だ。

「あーちょっと待ってえな」

 駆け足で向かおうとした私の襟を七海が手繰り寄せる。当然首が締まった。

「あだだだ、どしたの?」

「はいこれ、いつもの」

 まず彼女は私の指を開いて飴を握らせた。またこれか。

「それとさ、結羽ちゃんってさ、掴みどころがないよなーって」

 たしかにそうだ。ふわふわしてて、何を考えているのか分からなくなるときもある。

「人づてで聞いたんやけど、やっぱみんな関わるの避けてるみたいやね」

「なるほどね」

 ありがちな現象だよね。漫画とかにあるやつだ。

「あたしは結羽ちゃんのことは嫌いやないし、まあ関わるんならよろしくね」

 そう言って、彼女は歯を出して笑った。


「……避けられてる、か」

 個包装を弄びながらそんなことを呟く。あんな可愛い女の子を放っておくなんて人生損してるな、なんて思ってしまう。

 親の帰りが遅くて、その寂しさを本で紛らわせて、そのせいで周りに避けられて――。私が結羽の光になってあげられるといいけれど。

 俯いて考えるうちに、いつの間にか体は中庭まで辿り着いていた。

「おはよ」

「あ……東井さん……おはよ」

 読書にふける東屋の主の横顔に声を掛ける。いつものダウナーな返事が返ってきた。

 隣に腰掛けると、彼女は少しだけ身を寄せてきた。

 ――あぁ、こういうところが可愛いんだよなぁ……っとと、いけないいけない。思わず緩んだ口元をきゅっと結び直す。

 とりあえず無言というのも気まずいので、適当に話題を振っておく。

「そういえばさ、その東井さんって呼び方、やめてほしいなーって」

「……えっ……?」

 彼女のまぶたが開かれて、うろたえた表情になった。そんなに困惑することだっただろうか?

「えっ、でも、なんて呼んだら……?」

「そうだねー……例えば、千紘ちゃんとか」

「ちひっ……!」

 彼女はすっかり耳たぶまで紅潮してしまっている。ああ可愛いなあ。

「別にちーちゃんでもちっひちゃんでもいいけどなあ」

「あわ、あわわ……」

 いつもの冷静さはどこへやら、彼女の脳回路はこの現状を受け入れられずにいるようだ。

「リピートアフターミー、"千紘ちゃん"」

「ち……ろ、ちゃん……」

「んー、聞こえないなあ。ワンモアセイ、ち・ひ・ろ・ちゃ・ん!」

 調子に乗って煽ってしまう。いちいち返ってくる反応が面白い。

「ち……千紘、ちゃん」

「よく言えましたー!」

 真っ赤になった彼女の髪を優しく撫でる。

「うぅぅ……いじ、わる」

 精一杯こちらを睨み付けてくるが、全く怖くない。

「ごめんごめん、ちょっとからかっただけだよ」

「うち、人の名前呼ぶの、苦手やのに……」

「ほんとごめんって。ほら、よしよし」

 もう一度撫でると、彼女は小さく声を漏らして目を閉じた。

 もしかしなくてもこれ、かなりいい感じなのでは……?

 それを自覚した瞬間、私の鼓動も加速し始めた。

 彼女になら、もっと触っても許されるだろうか。いろんなことを言っても許してくれるだろうか……?

 私の中で、半ば邪とも言える思考が渦を巻く。そんな私の思考など露知らず、結羽は昨日の本の続きを読み始めている。

 彼女の肌に触れてみたい。その体を弄り回したい。衝動に突き動かされ、ゆっくりと彼女に手を伸ばす。

 あと、三十センチ――。

 その時、鳴り響いたチャイムが私を正気に戻した。

「あ」

「……五分前……行こ、あず……ち、千紘ちゃん」

「あ、う、うん」

 何をやっていたんだ、私は。

 謎の自責感に追われ、ふらふらと東屋を出た。


 それからの私はというと、茫然自失となって授業を受けていた。

 七海や先生の言うことも耳に入らず、注意を受け、それでも集中できず――。

 その間中、どうして結羽に手を出そうとしてしまったのかという問いが私の中を延々と彷徨っていた。

 たった一瞬だったとしても、確実に。彼女を私の手中に収めたい、私色に染めたいという一線を越えた欲望が湧き上がっていた。そんな自分が許せなかった。

「……はぁ。私のバカ」

「バカがなんやってー?」

「うわぁ!?」

 気が付くと、目の前にはこちらを覗き込む七海の姿があった。

「あれ? なんで七海ちゃんがここに?」

「なんでって、もう昼休みやで。一緒にお弁当食べへんかなーって」

 これ見よがしに弁当の包みを掲げてみせる彼女。もうそんな時間だったのか。

 昨日の私ならばっさり断るはずだけれど。

「正直、今のままじゃ顔向けできないな……」

「ん? どしたん?」

 ぼそりと、独りごちた。

「なんでもない! 行こっか!」

「おおおおほんま!? よっしゃ行くでー!」

 七海に連れられるまま、私は教室を飛び出した。


 階段を上がって、屋上に出る。

「広い……けど、誰もいないね」

「あんまり使おうとする人がおらへんしね」

 並んで弁当を広げると、七海があらぬことを聞いてきた。

「そーいや千紘ちゃん、さっきため息ついてたけどさ、なんかあったん?」

「ええ!? 聞いてたの!?」

 思わず飛び上がってしまった。人の話は気にしないタイプだと思ったけれど、結構耳聡いらしい。

 えっとね、とはぐらかして考え込む。いくら私に良くしてくれる人だからといって、そう簡単に自分のことを話していいものなのか。

 というか、話したら引かれる。間違いなく。

「うーん……ちょっと結羽ちゃんのことで、いろいろ悩んでて」

 結局、適当に本意をぼやかした言い方に留まった。

「早くない? 喧嘩したとか?」

「喧嘩したとかいうわけじゃ……私が勝手に悩んでるだけ」

 彼女は気づいていないのはわかっている。しかし、自分の心はそんな言い訳を詭弁だと跳ね除ける。

 私は何を憎んでいる? 彼女に邪な気持ちを持ってしまったこと? それとも言い訳をしている自分に?

 考えれば考えるほど、思考の沼に引きずり込まれるようだった。

「私はどうすれば……」

「結羽ちゃんも何考えてるかわからんからねー。あんまり考えすぎんのも体に毒とちゃう?」

「それは……そうなんだけどね」

「ぐぬぬ、そこまで引き下がるとはかなり深刻な問題と見たで」

 まあ、ある意味間違ってはないけど。

 私が二回目の大きな溜め息をついたとき、視界が急に陰った。

「千紘、ちゃん……」

 その影は一歩こちらへ近づく。

「マジ……?」

 噂をすれば何とやらと言うが、こんなに間の悪い登場の仕方が今まで世界にあっただろうか。

 小さな背丈、背中まで伸びた黒髪、小さくハネたアホ毛。そしてその瞳には小さな雫を湛えている。

 間違いない。その姿は私がつい先程まで忌避していた人物、西川結羽その人だった。

「……探した、よ……」

 一歩ずつ歩み寄られるたび、地響きが聞こえるような気がする。彼女から発せられるオーラはさながら怒っているかのようにも見えた。

 私も七海も身動きが取れないまま、彼女の足は私のすぐ目の前で止まった。

「ゆ、結羽ちゃん……?」

 ぎゅっと拳を握り締める彼女。口を固く結び、再びゆっくりと開くと。

「うち……寂しかった……千紘ちゃん、いてくれへんかったら……一緒にいてくれるって、言うたのに……!」

 ぼろぼろと大粒の涙を零して泣き出してしまった。

「……!?」

 あまりにも急な出来事に、七海と二人顔を見合わせてうろたえる。

(えっえっ、どうするのこれ)

(あたしに聞かんといてよ!)

(でも私こういうときどうしたらいいのか知らないよ……!)

 我ながら見苦しいやり取りだ。

「千紘ちゃん……えぐ、ぐすっ……」

 彼女は床にへたり込んで嗚咽を上げる。その姿を見ていると、何か催眠が解けたような感覚に襲われた。

 ――私は何をそんなに悩んでいたんだろう。彼女の光になりたい。そう決めたからには、私の為すべきことはひとつしかないはずなのに。

 私の中の感情とか、倫理観とか、そんなものは今はどうだっていい。勝手な考えに振り回されっぱなしで、本当に馬鹿みたいだ。

「……ごめんね」

 彼女の背中に手を回し、優しく抱き締める。すると彼女は安心したように身を寄せてきた。

 ――やっぱり彼女も寂しかったんだ。なのに、私の後先考えない行動で悲しませてしまって――。それを思うと胸が苦しくなった。

 彼女を傷付けないためにも、今はそばにいることだけを考えよう。もしも手を出してしまったとしたら、その時はその時だ。

「ぐすん、ひっく……」

「落ち着いた?」

「……うん」

 涙を拭って結羽は答える。泣き腫らしたまぶたも、それはそれで愛らしい。

「……あのー」

「なに? 今いいとこなんだけど」

 申し訳なさそうに尋ねる七海にぴしゃりと言い返す。

「うわ冷たっ!? そんな殺生なぁ」

 そうは言われても、私と結羽の時間を邪魔されるわけにはいかないのだ。

 彼女をじっと睨みつけると、七海は観念したような表情で退場していった。

「……なんやろ、まあ……ごゆっくりね」

「えっ」

 ちょっと待って、なんか誤解してないかそれ!?

 そこまで言いかけたところで、彼女の姿は階段の下へと消えていった。

「……変な人やったね」

「まったくだよ……」

 本日三回目の大きな溜息をついた。

 私が決意を新たにした瞬間にその言葉は流石にない。というか、七海にとって私と結羽はどんな風に見えているんだろうか。

 もしも『そういう』関係に見えているんだったら――それはそれでアリだけど――結構困る。あとで誤解を解いておこう。

「さてと、そろそろいい時間だし戻ろっか」

「うんっ」


「ただいまーっと」

 誰もいない玄関に挨拶をして、自宅の空気を身に纏う。

 布団に篭って静けさを満喫していると、不思議と勝手に今日のことを思い出す。

 結羽の泣き顔、怒り顔、安心しきった顔。どれもこれも、全部――。

「あーかわいい……」

 それ以外に何も形容詞が出てこなかった。

「ほんとマジで無理……最高すぎるよ……」

 もっと彼女の新しい仕草や表情、面白い一面を見つけたい。ふとそんなことを思った。

 今度は邪な感情じゃない。純粋な、彼女への強い好奇心だった。

 だが、その感情の名前を私が知るのはまだ先の話なのだった。

「ふう、ご飯作ろ……」

 布団から飛び起きて台所へ向かう。

 たしかお母さんが煮物を作ってたはずだから、それを温めつつ何か肉でも焼くとしよう。

 フライパンを熱する間に煮物の器を電子レンジに突っ込み、肉と調味料を冷蔵庫から引っ張り出す。手慣れた作業だ。

 ちょうどいいところで肉を投入し、しばし待つ。その間に思索に耽る。

 両親が仕事で遅いという結羽の境遇には、どこか共鳴するところがある。寂しくはないと言っていたが、本当のところはどうなんだろうか。さっきの考えではないけれど、もっと彼女のことを知る必要がある。本当の意味で、彼女のそばに在るために。

 そうやってぼーっとしていたら、油が手にはねた。

「あっつぅ!」

 こうして夜は更けていくのだった。

展開急すぎひん?とか自問自答しましたが、多分大丈夫なんだと思います。ええ。


Twitterに創作用アカウントができました→@lac_bas


3/7 設定と相違するところがあったので本当に気にならないレベルのところを修正しました。

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