第八話 再会
レースで縁取られて華やかな印象の、つるつるとした生地のドレスの端を摘む。藍色のそれは瞳の青と調和して、互いをより美しく見せた。鏡の中に映る自分は、なんだかお姫様のようで、思わず溜め息がでる。その様子を見てか、マーニャが声をあげて笑うので、もう、と軽く怒っておく。
これ、シルクとかなのかな。この世界にも蚕は存在してるのか、なんてしょうもないことを考える。
「よくお似合いですよ。お嬢さまが昔聞かせてくれた、お伽噺のお姫さまみたいです」
「あら、どのお話かしら?」
「ほら、あれです、水晶のお城に住んでいる、星の瞳に夜のドレスの」
「ふふ、懐かしい。よく覚えてるね」
「お嬢さまが教えてくださったものを、忘れるはずがないじゃないですか」
髪を編み込み髪飾りを差し込むマーニャは真剣で、半分上の空ではあったが私の言葉に応えてくれる。正直、今日の園遊会には全然行きたくないのだけれど、ほんの少しだけ気分が上昇した。
そもそも私は、社交界というものがあまり好きではない。嫌いというわけでもないけれど、凄く、疲れるのだ。きらびやかで、みんなおめかししていて、美味しいものもあって、運が良ければ新しいお友達もできる。決して悪いものではない。ただどうにも、付き合いだとかで引っ張り回されたり、長時間立ちっぱなしで微笑んでいなければいけなかったり、そういうことが、どうにも疲れるのだ。まだ八歳の子どもの私にとって、大人達の会話は特に面白くもないし。
お母さまは、私の社交界嫌いを察してか、重要なパーティー以外は断ってくれている。この世界における成人年齢、十六歳になれば、嫌でも社交界に赴かねばならない。それまでは、必要最低限の出席でいいと言ってくれている。これには父も納得していて、出し惜しみしておいた方が希少価値が付くのでむしろその方がいい、ということだ。成人した暁には、とんでもないお見合い相手を持ってこられそうで今から恐ろしい。
ただでさえ疲れるガーデン・パーティーに、今回は幼馴染の暴君パティの相手もしなければならない。ちょっと仕事が多すぎるんじゃないかな。マーニャも連れていけたらいいのに。別に侍従と一緒にパーティに出席するのなんて珍しくないのに、本人が嫌がるんだよね。
そういえばバドルッド家とは久しく交流していない気がする、半年か、一年くらいだろうか。彼らは国境付近の領地にある本邸と、王都近くの別邸を、仕事に合わせて行き来するので、タイミングが合わないと交流の機会がないのだ。
「ルルゥ、支度はできたかい……マニシア! 素晴らしい、君のその才能はこの国の宝だね」
「お父さま、準備はできたので落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか、こんなに可愛いお姫様が私の娘だなんて、なんて幸せ者だろう!」
「あなた、ルルゥをそんな乱暴に抱き上げて振り回すのはやめてくださいな」
足が地面についたかと思うと、今度はお母さまが持ち上げられていた。細身に見えるけど、体つきは意外としっかりしているもんね、お父さま。
「さて、そろそろ出掛けるよ。マーニャ、留守は頼んだよ」
「はい、旦那さま」
笑顔で返事をすると、マーニャはおめかしの道具をさっさと片付け、私の方を振り向いた。二人で部屋を出て、真っ直ぐに屋敷の玄関へと向かう。馬と鳥を掛け合わせたような生き物に、客室となる箱が繋がれている。この世界では、地域や家によって車を引く生き物が異なっているらしい。モルドー家は代々この鳥馬である。なんだっけ、ヒッポグリフ、と前世の世界で呼ばれていたものに近いかもしれない。穏やかで頭の良い生き物で、私は彼らが結構好きだ。ちなみに今から向かうバドルッド家は、狼と蛇を掛け合わせたような生き物を代々使役している。ちょっと、いやかなり怖い。
マーニャや他の使用人に見送られ、獣車に乗り込む。窓の外を見ながら昨日読んだ本の内容を思い返し、二時間が過ぎた頃だろうか。ゆっくりと獣車は速度を落とし、ついにはぴたりと止まる。どうやら到着したらしく、バドルッド家の使用人らしき男が客室の扉を開けた。
「モルドー公爵、公爵夫人、ご令嬢のご到着です。ようこそいらっしゃいました、招待状のご提示をお願いしても宜しいでしょうか?」
「ああ、構わない」
「ありがとうございます。……はい、確かに。お手数をおかけいたしました。正面玄関より真っ直ぐお進みください」
指示通りに門をくぐり少し歩けば、園遊会の会場に辿り着く。美しい庭園と、机に並べられた軽食。シンプルなデザインの噴水や、薔薇のアーチに、童話のような可愛らしいガゼボ。見て回りたい気持ちをおさえ、両親の後について歩く。
「バドルッド辺境伯、直接会うのは久々でしたかな」
「……モルドー公爵か」
まずは挨拶、と何故か隅の方にいた辺境伯の元へ向かった。体のがっしりとした、目つきの鋭い男性だ。その立ち姿は貴族というより軍人のように見える。
「招待してもらったからには、挨拶をと思ってね」
「それはどうも、だ。モルドー夫人も、お嬢さんも、お久しぶりですね」
「ええ、いつも主人がお世話になっております」
「招待ありがとうございます、バドルッド辺境伯さま」
「妻と息子もその辺にいるでしょう、見かけたら声を掛けてやってください」
表情を変えることなく淡々とそれだけ言うと、誰かに呼ばれてさっさと歩いて行ってしまわれた。バドルッド家の当主は代々無表情で無口で無愛想らしいと聞いたことがある。遺伝なのか、それともそういう風に育てられるのか。そういえば、次期当主である長男も静かな人だったっけ。弟たちはそうでもないんだけどな。三男は何故か私と会うといつも虫取りに誘ってくるし。私は別に虫好きじゃないのに……。
「おい」
「……」
「おい!」
「……あら、気付かずごめんなさい。ご無沙汰しております」
「なんだよその態度」
「痛っ、ちょっと、やめてパティ」
ぐ、と足を踏まれ、思わずいつもの態度に戻る。おい、なんて呼び掛けられたから、少し意地悪してやろうと思ったんだけど、暴力に訴えかける彼の前では意味をなさなかった。なんだか今日はいつにも増して機嫌が悪そうだ。久しぶりに会ったというのになんなんだ。
周りを見渡してみたが、いつのまにか父の姿はなく、母は少し離れた場所でどこぞのご婦人と談笑していた。
「……」
「どうしたの、パティ。せっかく会えたんだから、お話しましょう?」
むっつりと黙り込んでしまった彼に、できるだけ優しく微笑みかける。パティは昔から口数が少ない。初めて会った時も、切れ長の一重の鋭い目でただ黙ってひたすら睨みつけられ、少し怖かったのを覚えている。確か、お父さまが用事で辺境伯の元へ向かう際に、同じ年の子供がいるからと一緒に連れて行ってくれたんだっけ。友達ができるかもしれないとドキドキしながら赴いた結果、四兄弟にもみくちゃにされて帰る事になった。
なんだかんだで、今も妹のように可愛がってもらってはいるのだけれど、昔とあまり変わっておらず、基本的に彼らと会うといつも疲れて帰ることになる。特にパティは大変だ。会いに来ても不機嫌そうにしているくせに、行かなければそれはそれで怒るし病んだ手紙が届く。どうやったらもうちょっと健全に育ってくれるんだろう。なんだか手遅れな気がしないでもない。じっとその黄色の瞳を見つめてみる。
彼の性格が歪んでしまう原因は、結構複雑だ。前提として、彼の母親は既に亡くなっている。その原因が自分にあるのではないか、と思い詰めてしまっているのだが、家庭環境が彼の持って生まれた性質と全く合っていないせいで、その思い込みが加速し、歪み続けているのだ。そうして日々の積み重ねが、少しずつ彼の精神を蝕んでゆき、凶行に至る。そんなバックストーリーを持つ攻略対象だったはずだ。まあ、いま私の目の前にいるのは攻略対象なんかじゃなくて、ただの意地悪な幼馴染なわけだけれど。
彼の母親が死んでしまった事実は、私にはどうにもできないし、日々の積み重ねの歪みなんて、簡単に取り除けるものではない。どうすれば、いいのだろう。
「パティのお家のお庭はいつ来ても素敵だね、ちょっと一緒に歩かない?」
「…………」
無視ですか。なんというか、私の周りの男共は何故揃いも揃ってコミュニケーション能力に難があるのか。ちょっと胃が痛くなってきた。
もう一度念を押すように頼めば、強く腕を掴まれ、そのまま歩き出した。案内してくれるということでいいのだろうか。
「ねぇ、パティ、腕痛いんだけど」
「うるっさいな、誘ったのはそっちだろ!」
彼はなにも間違ったことは言ってないのだが、その言い方はちょっとまずいんじゃないか。なんて八歳児らしからぬことを考えながら、とりあえず黙って付いて行く。噴水もガゼボも通り過ぎ、なおも奥へ、奥へと進む。パーティー会場からは少し離れてしまったけど、いいのかな。かつかつと靴音を立てながら、レンガの小道を抜ける。その先にあったのは、小さく可愛らしい池と、その周りを覆うような低木と色とりどりの花だった。