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第七話 叡智

 美しく磨かれた木製の机に本を広げ、程よい柔らかさの椅子に腰かける。侍女に頼んでお茶も用意してもらった。読書の準備はバッチリだ。ちなみに兄が先程まで使用していたメモ用紙は、机の引き出しに大事にしまってある。特になにがあるというわけではないけれど、捨ててしまうのも悲しい気がして、とりあえず保管しておくことにした。

 ぱらぱらと手に取った本を捲る。ある程度難解な内容ではあるはずなんだけれど、不思議と読みやすく、わかりやすい。私はどんどん読書にのめり込み、気付けばお茶はすっかり冷めてしまっていた。


「ルルティアお嬢さま、夕食の時間です」


 じっとこちらを覗き込むヘーゼルの瞳と目が合った。驚いて少し仰け反れば、不満気に口をとがらせているのが見えた。


「……わあ、マーニャだ」

「もう、何度もノックしたのに気付かないんですから」

「ごめんね、本を読みだすと止まらなくって」

「気を付けてくださいね。私だからいいですけど、知らない間に変な人が近くに来ていたらどうするんですか」

「叫ぶから、助けに来て」

「当たり前です!」


 笑いながら、手にしていた本にしおりを挟む。今すぐ必要無さそうなところは飛ばして、なんとか四冊全てに目を通すことができた。

 我が国、ルミセルト王国は、王をいただく君主制の国である。この世界、この時代においては、君主制は割とメジャーな国家体制のようだ。外交に積極的ではないが、南側は海に面しており、港を有している為、貿易が行われている豊かな国である。国内のある地域で生産されている果実酒は、他国からも人気を博しているとか。

 それより、なによりもこの国を象徴するものがある。それが呪術である。他国から呪術大国と呼ばれるほどに、ルミセルト王国は呪いの技術が発達している。その理由は諸説あるが、主に土地柄ではないかとされている。

 海が荒れると、その近辺の土地は使い物にならず、酷い年は辺り一帯が流されてしまう事もあった。建国当初は今よりも人が少なく、堤防を作る技術も知識も不足していた。漁に出る際も天気が荒れれば船は出港できず、出港後であれば帰還が危ぶまれる。

 そんな中で活躍したのが呪術師であり、まじないであった。安全な航海のまじないや、晴天を願うまじない、近い未来を予知するまじない、作物が育つまじないといったものが、呪術師によって行われていたという記録が残っている。当時の呪術師は、いわゆる祈祷師のような存在であった。実際に、海を鎮める舞が踊られていたり、土地が肥沃になるように儀式を行うなどしていたらしい。それが定着していき、現在の呪術に繋がっているのではないか、というのが有力説である。

 そもそも現在行われている呪術というのも、願掛け、祈祷を元にしたものである。この世界に生きとし生ける者には、多かれ少なかれ、必ず魔力がその身に流れている。その魔力を使い、願いに名を与え、その力で成就するように補佐し導くのが、呪いという作業である。端的に言えば補助魔法にあたるものだが、独自の発達を遂げた結果補助魔法の域を出て、全く違う形を持つようになった。

 小さなもので言えば、早起きできるおまじない、緊張しなくなるおまじない。大きくなると、王国の未来を予知するまじない、国を売った逆賊をあぶりだすまじない。その用途は様々である。また、基本的には、呪術師の技術が高い程、呪いの精度は高くなる。

 呪術の中には、禁術としてその使用を禁止されているものがある。人を害する目的で使われるものは概ね禁術である。その手順や方法等は公開されておらず、誰も知る事のないよう管理されている。万が一使用者が現れた場合、国による管理のもと裁きを受け、厳しく罰されることになっている。

 貴族や経営者はそういった禁術の対象として選ばれやすく、呪術師を雇っている場合が多い。なお王族には代々専属の呪術師がついており、身辺警護にあたっている。

 また、ルミセルト王国の風習として、「真名」と呼ばれるものがある。真名とは、名前と苗字の間に置かれる名前を指すものであり、基本的に使用されない。誰にも教えずに一生を終える場合も少なくない。これは本来、呪術による被害を受けないようにする為の対抗策である。

 呪術とは、そもそも願いに名を与えるものであり、その術式においては対象の名前が重視される。正確に対象の名前を把握し、書き出し、発音することで、より強い効力が得られるとされている。その為、誰にも教えない真名を持つ事により、その効力を削ごうとすることから、この風習は始まった。特に王族や貴族の真名は、長く覚えにくく、発音しづらいものである場合が多い。また一般的に、名づけの際には意味のない音の連なりが好まれる。

 呪術に通じている者は、名前を呼ばれる事を嫌う傾向がある。本名を呼ぶのは、相手を把握することであり、あだ名を付けてよぶことは、相手を縛ることであるからだという。事実、この国の風習としても、その考え方は残っているといえよう。人の姓名を省略せずに呼ぶのは失礼にあたるという習わしが根付いているが、この考え方に基づくものだと思われる。また、真名、名前、そしてそれ以外にもう一つ、愛称を持つことが慣習として広く受け入れられていることも、この国の呪術的考えに基づく特徴といえる。この愛称というのは単にあだ名としてではなく、その人の名前として用いられる。本名を使うのは公的な場合に限られており、日常生活で使うのであれば、侮辱的、束縛的、あるいは真剣さを伝える目的等、なにかしら意味のあある場合であろう。

 呪術は基本的に、師弟関係により継承される。学問として確立されたものではなく、それを学ぶための学校も存在しない。しかし呪術師には国から補助が出ることになっている。その為には呪術師登録をする必要があり、未登録の呪術師は、呪いを商品として金銭のやりとりをすることができない。さらには……――。


「お嬢さま? 大丈夫ですか、ご気分がすぐれませんか」

「……ごめんね、考え事してた」

「……やはり、まだ体調が悪いのではないですか? お部屋でお食事にしますか?」

「ううん、平気だよ。心配掛けてごめんなさい。ちょっと読んでた本の内容について考えてたの」

「……きっと、私なんかではお力になれないんでしょうけど、もし困ったことがあったら、なんでも言ってください。マーニャはいつも、ルルゥさまが一番ですから」

「ふふ、ありがと。あのね、気付いてないかもしれないけれど、私、マーニャが傍にいてくれるだけでも、すごく救われてるの」


 複雑そうな表情で言う侍従に、にっこりと微笑みかける。ごめんね、なんにも話せなくて。そう心の中で謝罪しながら、ただ、笑っておいた。

 自室を出て、食堂に向かう。ダイニングルームとか、グレートホールとか言った方がそれっぽいだろうか。お兄さまはたぶん自室でのお食事だろうけど、お母さまとお父さまはいらっしゃるはずだ。二人とも忙しい人だけれど、食事は出来る限り家でとるようにしてくれていることは、なんとなく気付いている。


「ルルゥ! 嗚呼、一緒に食事をするのは、なんだか久しぶりだね。さぁ座って、お父さまとお話をしよう」

「お父さま、落ち着いてください」


 食堂に入ってすぐ、熱烈な歓迎を受けた。いつものことだから慣れてはいるけれど、このテンションについていくのはしんどい。

 黒に近い、ほんの少し紫がかった髪に、深い泉のように青い瞳、涼しげな目元と美しい鼻梁。冷淡にも見える美貌を持ったその男は、まぎれもなく私の父である。黙っていれば、かっこいいんだけどな。よそでは厳めしい顔つきで仕事をしているけれど、家族の前では明るく陽気で甘々なんだもの。

 結構、曲者だよね、なんて思う。大貴族の当主ともなれば、いくつもの顔を使い分けるなんて造作もないことなのだろうか。

 お母さまだって、柔らかなプラチナブロンドと、優しげな碧眼は少し垂れ目で、厚めの唇は口角が上を向いている、いかにも柔和な貴婦人といった雰囲気だけれど、物凄く肝の座った人だ。

 いそいそと自分の席に着き、料理が運ばれてくるのを待つ。無駄に広い部屋と、無駄に大きく長いテーブルのせいで、なんだか落ち着かない。前世の私はたぶん一般庶民だったんだろう。ついこの間まではこの生活になんの違和感も覚えなかったことを思うと、不思議な心地がする。


「ルルゥ、体調はもう大丈夫なのかしら?」

「はい、すっかり元気になりました」

「そのようね。お医者さまも驚いてらしたわ、凄まじい回復力だと。昔から、大きい病気もせず、健やかに育ってくれたものね。素晴らしいことよ」

「そう、ですか」


 モルドー家の人間は、健康であることがどれだけ有難いかを知っている。だからこそ、その言葉は重い。


「そうなの、もう普段通りの生活をしても支障ないだろうと仰っていらしたわ」

「はい」

「だから早速なのだけれど、明日は園遊会に出席してもらおうと思っているの」

「はい……?」


 明日からは家庭教師の先生の授業が再開されるのかな、とぼんやりと考えながら前菜に手を付けようとしていたのだが、予想外の言葉に思わず動きを止めてしまった。園遊会、ガーデン・パーティ。なんだか楽しそうな字面だけれど、つまりは社交界だ。病み上がりの娘をそんな疲れる所に送り出すのか。


「ごめんなさいね、病み上がりだからとお断りはしたんだけど。バドルッド辺境伯からの招待で、どうしてもと」


 お母さまは、形の良い眉を少し下げて、本当に申し訳なさそうにそう言った。

 バドルッド辺境伯は、国境付近の領地を任された貴族である。国境付近は防衛の第一線として、軍の配備がなされている。その指揮をとる役割が辺境伯に任されており、入国管理の一部や、国境の軍事施設の運営等の仕事が課されている。感覚的には、現場で動くタイプの防衛大臣、というのが近いだろうか。

 伯爵位ではあるが、その仕事内容から王族と近しく、貴族社会で生きる上では無視することのできない重要人物だ。そんな相手からの直々のお誘いを、無碍にするわけにはいかない。国の軍事に携わるバドルッド家とは、うちの領地を鑑みて、関わりを避けることはできないという、個人的なお付き合い上の都合もある。そのせいで私も小さな頃からあの家のパーティーには必ず参加させられていたし。


「もしまだ本調子ではないのなら、無理しなくてもいいのよ」

「……いえ、行きます。せっかく招待していただけたのに、お断りするわけにはいきません」

「ルルゥ、本当に無理はしなくてもいいんだからね。いくら元気になったといっても、まだ完治してから五日程しか経っていないんだ」

「大丈夫です。こんなにしっかりご飯が食べられるのに、無理なことなんてありません」


 白身の魚の身をほぐしながら、たぶんあまり上手じゃないであろう笑顔で応じる。心配そうな視線が痛い。

 バドルッド辺境伯の四男、パティ・バドルッドは、私の幼馴染だ。できれば関わりたくなかったのだけれど、彼とは既に三歳の頃に邂逅を果たしてしまっている。いやまあ、モルドー家に産まれて彼と全く関わり合いにならないなんて、不可能だろうからいいんだけれど。ゲームの内容を知っていると、出会いたくなかったなぁ、なんて少し思ってしまう。

 私と、幼馴染であるパティは、なんというか、馬が合わない。何故かやたらと突っかかってくるというか、いじめっ子というか。嫌われているのかと思い、バドルッド家主催のパーティーを欠席したことがあるのだが、後日、なぜ来なかったと問いただす、メンヘラの彼女のような手紙が送られてきて戦慄した。当時六歳であった私は、困惑しながら両親に相談したんだっけ。たぶん今回の招待も彼によるものだろう。

 今ならわかる、彼は愛情表現の歪みまくった情緒不安定な人なのだと。有体に言えば、ヤンデレ枠というやつである。幼馴染と聞いてどんな青春ストーリーが待っているかと思えば、血みどろの茨道で半泣きでプレイしたものだ。ちなみに、共通ルートにあたる部分で一切彼と会わなかった場合、必ず主人公がボロ雑巾になる惨殺エンドに導かれる。犯人はもちろん親愛なる幼馴染殿である。怖すぎる。

 両親はたぶん、私の体調のこともそうだが、それ以上にパティとのことを心配してくれているんだと思う。けど、逆にその園遊会を欠席した方が危ない気がする。なんとか彼が思い詰めてしまう前に防げないかな、と考えながら、私はデザートに手を伸ばした。

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