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第三話 縁起

「おはようございます、お嬢さま」

「……おはようマーニャ」

「ほら、朝ですよ。侍女に体を拭いてもらったら、美味しいご飯とお薬が待ってます」

「あの薬、苦いんだよね……」

「あはは、代わって差し上げたいのですが、こればっかりは」

「わかってるよ、ちゃんと飲みます」


 ぐ、と伸びをして体を起こす。部屋のカーテンを開けるマーニャの目の下からは、もう隈は消えていて安心した。昨日まで生死の境を彷徨っていたとは思えない程、体からはだるさが抜けている。しばらくは落ちた抵抗力を補う薬と、栄養剤が出されているのでそれはちゃんと飲むし、安静にしているように言われているので従うけれど、なんだか病気だったという気がしない。

 マーニャが朝食を取りに行っている間、侍女に体を拭いてもらい、部屋着に着替える。立ち上がろうとしてふらついてしまったので、ベッドの上で着替えることになってしまった。軽く髪を梳かしてもらい、侍女には下がってもらった。


「お嬢さま、お食事の準備が整いました。今日はちゃんと味のついたスープですよ」

「やったー! 昨日の味のない液体、本当に辛かったんだから」

「あれもお嬢さまの体を思って料理長が泣きながら作ってくれたんですよ」

「……そっか、料理長にも心配掛けちゃったんだね。お医者さまがもう動いていいって仰ってくださったら、挨拶にいきたいな」

「そう伝えておきます、きっと喜んでくれますよ。でも勝手に厨房に忍び込んだりするのはやめてくださいね」

「そんなことしないよ」


 良い匂いのするスープは、具だくさんとは言えないけれど、美味しそうだった。うちの料理長の腕はかなりのものだと思う。大貴族の娘に産まれて良かったことの一つだろうか。銀色の、美しい意匠の匙を握り、皿からスープを掬う。うん、美味しい。じんわりと染みるような温かさに、思わず笑顔になる。

 ちら、とスープから目を離して斜め前あたりに視線を移す。食事を運んできたカートには、お医者さまに処方された薬も並んでいる。世界が変わっても薬が苦いなんて、酷い話だ。魔法で美味しくできないのかな。いやまあ、魔法も万能じゃないのはわかってるんだけど。

 スープを平らげ、なんとも形容しがたい味の薬を飲み干し、ほっと一息つく。この後はお医者さまの診察の予定があるだけで、特にすることはない。普段は家庭教師の先生の授業があったりするんだけど、さすがに今はお休みだ。


「ね、マーニャ。今日はなにか用事はあるの?」

「私ですか? お嬢さまのお世話以外は、何も言われてません」

「そう、じゃあ一緒にお勉強しましょ」

「いいんですか!? いや、あの、すごく嬉しいんですけど、お嬢さまが疲れてしまうんじゃ……」

「少しだけなら大丈夫だよ。ね、いいでしょう?」

「はっ、はい!」


 あからさまに嬉しそうな顔をするマーニャに、思わず笑ってしまう。彼は、勉強が好きだと言う。本当は私が受けている授業を一緒に受けられたらいいんだけど、残念ながらそういうわけにもいかない。身分差がどうこうという面倒くさい理由もあるけれど、そっちは大したことじゃない。マーニャは服飾の才能があるので、衣裳部屋でも仕事をしてもらっている。

 彼が侍従の仕事を通して学べることは、この世界においてはごく一部だ。もっともっと色んなものを見てほしいし、彼がやりたいと思ったのならなんでもさせてあげたい。だから私は、暇な時間は彼に授業で習った事を教えるようにしている。本来この国の侍従はある程度の教養を身に付けたうえで、主人の元へ迎えられるのだけど、マーニャは少し特殊で、学がなかった。

 この国には少し変わった風習があり、貴族の子供はある程度の年齢になると、自身の生涯の侍従となる者を孤児院の子供の中から選ばされる。責任感を養う為とか、人を見る目を育てる為とか色々と言われているが、元々は戦争で孤児が増えた際に金持ちの貴族に引き取らせるための政策であったらしい。そういった事情があるせいか、この国の孤児院は子供たちにそこそこの水準の教育を施している。優秀な子どものいる孤児院は、貴族からの寄付も多いので、生活の水準も低くはないらしい。そのお蔭か、いわゆる〝間引き〟も減り、全体的な教育水準も上がり、教員の働き口が増え、苦肉の策であったはずが、結果として良政策となったとか。

 我が家の跡取りである兄も、侍従探しに孤児院に連れられ、一人選ぶ手筈になっていた。確か兄が八歳で、私が四歳の頃だったと思う。兄と年が近く優秀な子どもが何人か連れてこられ、誰が適しているのか選んでいる間、一緒に連れてこられていた私は孤児院の庭で遊んでいた。探索に夢中になっていた私は、いつのまにか孤児院の外に出てしまい、気付けば見知らぬ路地に一人佇んでいた。そこで、マーニャと出会ったのだ。

 そこはいわゆるスラム街だったらしく、当時の私にとっては結構ショッキングな光景だったように思う。それまで、本当に貧しい人々を見たことがなかった。小奇麗で、いかにも金持ちの娘らしい見た目をしていた私は、さぞや浮いていただろう。

 一人で心細かった私は、薄汚い恰好だとか、知らない相手だとか、そんなことは全く気にせずに、偶然そこを通りかかった少し年上くらいの子どもに助けを求めて縋りついた。今思えば、かなり危険だったなぁ。マーニャじゃなければ、身ぐるみ剥がされて売り飛ばされていたかもしれない。

 手入れされず適当に伸ばされた髪のボロ布を纏った子どもは、戸惑った様子で今にも泣き出しそうな私と目線をあわせ、いったいどうしたのかと尋ねてくれた。私が迷子になって困っていると言うと、たどたどしい言葉で、元いた場所まで送ってあげると伝えてくれた。スラム街に教育機関なんてものあるはずもなく、当時のマーニャは言葉も少し怪しかった。それでも私が孤児院の方に家族がいると伝えると、安心させようとするかのように、何度も必ず送り届けるから大丈夫だと言葉を尽くして伝えてくえた。後から知ったのだが、スラム街には特有の言語があり、そちらは普通に話せたらしい。国の標準語である言葉は、普段使わないこともあり、上手く話せなかったとか。

 途中で危ない目に遭ったりもしたけど、全てマーニャが退けてくれた。襲ってくる子ども達から走って逃げたり、怪しい目をした大人と交渉して引いてもらったり、とりあえずの目くらましにと服の上から被れとボロ布を渡されたり。その大冒険は恐ろしかったはずなのに、それ程恐怖に彩られた記憶ではない。マーニャがずっと傍で微笑みかけてくれていたし、私が怖がらないように、鬼ごっこみたいだね、かくれんぼみたいだね、と声を掛けていてくれたからだろうか。

 そうしてなんとかスラム街を抜け、孤児院の前までたどり着いた頃にはあたりは薄暗くなっていた。地元の自警団に捜索を依頼しようとしていたところだったらしく、あたりにはいかつい男の人が数人並んでいた。自警団の人と話していた父はこちらに気付くと、今にも死にそうな顔で抱き締めてきたのを覚えている。兄も同様、今死ぬのかというような真っ白い顔でぼろぼろと泣き崩れてしまった。

 父の腕の中から抜け出して、訝しむような視線を向けられ悲しげな顔をするマーニャを庇って立ち、この子が自分を助けてくれたのだとすぐさま主張した。確かに汚い身なりをしていたし、立ち居振る舞いも貴族のものとは全く違う。けど、だからといって石でも投げそうな目で見て、心無い言葉を吐く周囲の人に、私は驚き傷ついていた。私の必死の訴えに、父はその子をお前の客人として屋敷でもてなそうかと提案してくれた。マーニャには家族と呼べる人もおらず、スラム街でも厄介者扱いだというのは道中で知っていた。きっと問題はないだろうと、遠慮するマーニャを割と強引に連れ帰ったのだ。その時私は彼を女の子だと思っていたから、同性の友達ができるとはりきっていたのもある。

 そうしてマーニャは我が家に客人として迎え入れられた。元々可愛らしい容姿をしていたのもあって、身なりを整えればそれなりに見えた。頭も悪くなかったらしく、たどたどしかった言葉は段々と矯正されていったし、本人も一所懸命に勉強していた。別にお勉強なんてしなくてもいいのにと私が言えば、もっと一緒にお喋りしたいから、と微笑まれ、それ以上なにも言えなくなってしまった。

 最初の頃は本当に酷かったのだ、知っている言葉はなにかと聞けば、「泥棒」「クソガキ」「汚い子ども」なんて単語がポンポン飛び出す。そんな言葉を、今まで向けられてきたんだと知って、ただただ悲しかった。

 それから出て行こうとする彼をずるずると引き止めた結果、いつのまにか私の侍従として働くことになっていた。実際のところ、彼は使用人として特段優れているわけではなかった。私は別に、彼が傍で笑ってくれればそれだけでよかったのだけど、本人がそれを認めなかった。自ら様々なことを勉強し、色んな分野に挑戦したらしい。

 その中で才能を発揮したのが、服飾だった。うちの屋敷の衣裳部屋担当も驚くほどに繕いものが上手く、複雑な刺繍も簡単にこなしてみせた。選ぶ服の組み合わせもセンスが良く、私の侍従なのに、割と衣裳部屋に駆り出されている。教養やら言葉遣いやらは目下の課題らしい。うちで暮らすようになってからもう四年ほど経っているはずなのだけど、なんだか慣れないのだと言っていた。別に他の人の前じゃなければ適当でいいとは言っているのだけど、どうやらトトに憧れているらしく、まだまだ頑張るそうだ。一応あの男は規格外だぞとは伝えたけれど、それでも頑張りたいのだと。私とたいして年も変わらないのに、しっかりしているなあ、と思う。私なんて、家にいるときは全く貴族らしさの欠片もない言葉遣いをしているのに。

 ちなみに、恐ろしい事に、マーニャがうちに来て私の侍従になった経緯はゲームの設定とぴったり一致している。


「今日はなんの科目がいい? なんでもいいよ、あっ、お洋服のことはマーニャの方が詳しいだろうからやめてね」

「そんな、私なんて、まだ全然ダメです。……えっと、そう言われると、悩んでしまいますね」

「ふふ、じゃあ診察が終わるまでに考えておいてね」


 言えば、ちょうどお医者さまが部屋にいらっしゃる。厳めしい顔つきで、実際に厳しいのだが、腕は確かで評判はかなり良いらしい。いわゆる掛かりつけのお医者さんで、小さな頃からお世話になっている。

 彼はベッド脇の椅子に腰かけると、大きな鞄を開け、その中身を取り出した。前世にいた世界では見たことないような、不思議な道具がたくさん詰まっている。似たような物も結構あるあたり、結局必要な形はどの世界でも変わらないということなのだろうか。

 まるい玉のようなものを持たされたり、頭に棒を当てられたりして、無事診察は終了する。もうすっかり病原菌は死滅している、あとは体力と抵抗力の回復のみ。最低でもあと三日は絶対安静、それ以降は大暴れしなければ普段通りの生活をしても大丈夫だろう、とのことだ。

 大暴れって、この医者は私のことをなんだと思っているんだ。私は別にお転婆でもないと思うんだけど。不満に思いながら、サイドテーブルに並べられた一か月分の薬を眺める。もうちょっとましな味のものはないのですかと尋ねれば、笑われてしまった。そもそも私は液体の薬は好きじゃないんだ、錠剤のものはないんだろうか。


「さて、マーニャ。今日はなんのお勉強をしましょうか」

「はい、歴史を教えていただけますか?」

「歴史ね、わかったわ。じゃあ、紙とペンを用意してくれる? あと、私の部屋から本も持ってきて」

「わかりました、すぐに持ってきます」


 お医者さまが出て行かれた後、さっそくマーニャと勉強を始める。教えている間は余計なことを考えずに済むのもあって、なんだか気持ちが楽だった。

 とりあえず、フラグ折りまくり大作戦については明日からがんばればいいや。今日はかわいいマーニャに癒されよう。

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