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第二話 穢土

 不意に揺すり起こされて目を開ければ、侍女が食事を運んできてくれているのが見えた。結構しっかり眠ってしまっていたらしい、先ほど目が覚めた時は昼頃だったと思うのだけど、今はもうすっかり日が沈んでしまっていた。よく寝たお蔭なのか、だるさは抜けてきていたし、体も動くようになっていた。

 食事を準備してくれた侍女に話を聞いたところ、どうやら私は数日間、生死の境を彷徨って眠っていたらしい。その間なにも食べていなかった胃に優しいものをということで、出された食事はお粥の上澄みのような薄い味の液体だった。思わず、「美味しいものが食べたい……」と呟いてしまった私に、侍女は苦笑していた。

 食べ終わって薬も飲み、さあもう少しゴロゴロしようかなとベッドに体を横たえた瞬間、こつりと硬質な音が装飾の凝ったドアから聞こえてきた。


「お嬢様、若様からお手紙を預かって参りました」

「……トト? 入って」

「失礼致します。お嬢様、ご気分はいかがですか」

「だいぶ良くなりました、心配掛けてごめんね」

「いえいえ、心配するのが私の仕事で御座います」


 すらりと伸びた背に、美しい黒髪の彼は、このお屋敷に仕える執事、トト・ルノーである。とても優秀な人なのだが、飾らず気さくで優しい良い人だ。そのせいか、買い物に行くとよくオマケしてもらって帰ってくる。若く見えるが、かなりの年齢らしい。ちなみに非攻略対象である。彼の詳しい情報は、ファンディスクをプレイすれば明かされる。いや、今はそんなことはどうでもいいんだった。


「……お兄さまの体調はどう?」

「お嬢さまが回復なされたという報せをお聞きになってからは、嘘のように良好ですよ」

「そう、ならいいの。マーニャは、ちゃんと寝てる?」

「ええ。最初は不満そうにしていましたが、今は隣で大声を出しても起きないでしょうね」

「よかった。目の下に隈をつけて、大丈夫だから看病させてくれなんて言うんですもの。私より、マーニャの方がお医者さんを必要としているんじゃない?」

「彼が目を覚ましたら、お嬢様が心配していたと、よく言い聞かせておきましょう」

「ふふ、そうしておいて」


 言いながら、彼から手紙を受け取る。上質な紙に流れるように並ぶ優雅な文字は、紛れもなく兄のものだった。内容は、とても心配したことや、生きていてくれて良かったという安堵感、そして、直接会えなくて、看病もできなくでごめんなさいという謝罪だった。

 私の兄、オルティア・モルドー。柔らかな紺の髪に、涼しげな目元の、美しい私の兄。手紙に並ぶ文章は、その人の心を映しているかのように綺麗だった。なにも、貴方が謝罪することなんてないのに。気付けば、目の端からぽろりと涙が零れ落ちていた。それを皮切りに、涙は止まらなくなって、ぼたぼたと落ちるそれはシーツを静かに濡らす。瞬時に柔らかなハンカチを用意し、頬を拭ってくれる執事のなんと有能なことか。

 私の兄は、とても体が弱い。食事、運動、外出と、あらゆるものが制限されているし、割としょっちゅう病気にかかるせいで、家族である私とすら会える時間は少ない。それを寂しいと思ったことがないとは、言えない。今だって、死に瀕していた私のもとに訪れてはくれないのだから。流行り病がうつってはいけないから、お互い屋敷の端に隔離されているのだろうということはわかっている。兄がもしこの病気に掛かってしまえば、きっと死に至るのだろう。それはわかっているけれど、それでも、ほんの少し、寂しいと思ってしまう。

 けれど今の私にはその理由がわかるのだ。兄の体が弱い理由は、本来私が受けるはずであった呪いを肩代わりしたからだ。何故わかるかって、そりゃあファンディスクを完プリートしたからである。オルティアは非攻略対象だけど、ファンディスクではエンディングが用意されており、彼の背負うものはそこで明かされる。


「お嬢様……」

「あのね、お兄さま、すごく心配してくれたんだって」

「ええ、そうでしょうね。若様はお嬢さまのことをとても大切に思っていらっしゃいますから」

「そう思う?」

「私はそう思いますよ。若様がお嬢様を見る時は、いつも優しい目をしていらっしゃいます」

「……うん、そうだね」


 お兄さまは、私のことを大切に思ってくれている。ゲームをしていなくたって、そのくらいわかる。普通の兄妹より過ごせる時間は少ないだろうけど、それでもいつだって優しくしてくれたことを覚えているし、今もわざわざ手紙で思いを伝えてくれる。自分の苦しみは、妹のものを肩代わりしたせいだというのに。

 ファンディスクの悲しいエンディングを思い出して、また涙が出そうになる。ゲームプレイ中も泣いたけど、実際に自分の兄だと思うと胸が潰れそうな程に辛い。

 ルルティアの兄、オルティア・モルドーは、モルドー家の跡取り息子である。にも関わらず、体が弱く、頭は良いのに何故か言葉がたどたどしく、視力も著しく低い。大貴族の息子として広大な土地を引き継ぐには、あまりに頼りないその体質に、両親は酷く頭を悩ませていた。産まれたときは健康だったのに、どうして、と。

 それもそのはず、オルティアは妹に掛けられるはずであった呪いを引き受けて、現在の弱い体になったのだから。別にモルドー家は悪徳貴族と呼ばれている訳でもないし、犯罪に手を染めている事実もない。ただ貴族であるというだけで、方々から恨みを買うものだ。その恨みは、剣も魔法も存在するこの世界では、呪いに形を変えて相手に害をなす。そしてそれはいつの時代でもどの世界でも、一番の弱者に目を付けるのだ。弱くて柔らかい、産まれてくる赤ん坊に、苦しみの、死の呪いをと。

 兄は生まれながらに魔法の才能があり、その目で成就する前の呪いを捉える事ができた。幼かった兄は、妹へと手を伸ばすその呪いを、自分の方へと引き寄せた。専門の呪術師によるその呪いを打ち消すこともできず、ただその体で受け止めたのだ。その日から彼の視界は濁り、内臓を掴まれるような痛みと、上手く出せない声に悩まされることになる。皮肉なことに、暗澹とした視界の中で唯一はっきりと見えたのは、本来その呪いを受けるはずだった妹だけだったとか。

 その事実を知ったとき、私は思わず「本編でやれよ!」と叫んだ、ような気がする。そんな重大な設定を何故本編では一切出さずにファンディスクで初めて出した。他のキャラクターとのエンドを迎えたときの兄はどうなっているのか考えて、しょっぱい気持ちになるじゃないか。いや、まあそもそも、血の繋がった兄が、ファンディスクでは攻略対象になっていること自体、異色なんだろうけど。


「お嬢様、ご気分が優れませんか? もうお休みになるのでしたら、侍女を呼んで準備をさせますが」

「ううん、大丈夫。手紙を読んでたら、ちょっと昔を思い出しちゃっただけ。でも、そうさせてもらいたいかな」

「かしこまりました」


 兄からの手紙をベッド脇のテーブルに置き、布団の中に潜り込む。やっぱりまだ混乱している。兄はその秘密を墓まで持っていくつもりだった。なのに私はそれを、正攻法ではないやり方で知ってしまっている。なんだか、自分がとても卑怯なように思えた。次に会う時は、どんな顔して会えばいいんだろう。

 頭の中でごちゃごちゃと情報が混ざり合っている。いっそ全て紙に書きだして、また攻略ノートを作ってしまおうか。誰かに見つかったら病院に連れて行かれそうだけど。

 かつん、かつん、と耳を澄ましていても殆ど聞こえない程度の大きさの足音が聞こえる。ドアノブに手を掛ける音が聞こえた。ああでも一つだけ、確かめたいことがある。


「トト、待って」

「どうされましたか、お嬢様」

「私って、今、何歳だっけ?」

「……お嬢様は、現在八歳でいらっしゃいます」

「そう、ありがとう。もう行っていいよ、呼びとめてごめんね」


 たぶん、熱で頭がおかしくなってしまったと思われただろうな。再びベッドに体を沈めながら、ぼんやりと考える。八歳か、私が生きていた頃の日本なら、小学校低学年くらいだろうか。つい先日までは八歳の少女として生きていたわけだけれど、前世の記憶が入り混じってしまった今、中身は成熟した女性のそれと変わらない、気がする。うわあ、生きづらいな。どうにか八歳の女の子の精神に戻せないのかな。

 なんとなく、自身の手を握りしめては広げて、その小ささを実感する。〝私〟は元々、子どもっぽい性格ではなかった。貴族の娘として育てられたのもあって、大人びている方ではあったと思う。出来るだけ年相応の振る舞いをするように心がければ、特に怪しまれずに済む、かな。まあ、なんとか上手くやるしかない。幸い、この国の貴族は小学校に通ったりはしないみたいだし、その点は楽かもしれない。

 それにしても、あと八年、か。ゲーム開始は十六歳のお誕生日。それまでの八年間、私はどう過ごせばいいのだろう。ゲームのルルティアは、どんな風に過ごしていたのだろう。

 不意にノック音が聞こえ、返事をする。慌てた様子で入ってきたのは、私の両親だった。


「ルルゥ! 大丈夫か、もうどこも痛くないか?」

「あなた、ルルゥはもう眠るところだってトトに言われたでしょう。もう少し静かになさって」

「お父さま、お母さま、私、まだ起きてます」

「ああ、ルルゥ! 来るのが遅くなってすまない、可愛いルルゥ、さあ顔をよく見せて」

「お父さま、落ち着いてください」


 安心するなあ、と頬が緩む。なんにも変らない、お父さまはお父さまで、お母さまはお母さまだ。未来を知ってしまったことでなにか変わってしまうような気がしていたけど、別に、なにも変わらない。今までルルティアとして生きてきた日常がこれからも続くだけだ。そもそも、ここが私のプレイしたゲームと全く同じ世界とも限らない。うん、冷静になろう。


「ルルゥ、まだ疲れているでしょうに、ごめんね。どうしても顔が見たかったの」

「ううん、私もお母さまとお父さまに会いたいと思っていたところだったから」

「本当にルルゥはいい子だね。このまま抱いて部屋に帰りたいところだけど、医者に怒られそうだからやめておくよ。なにかあったらすぐに誰かを呼びなさい。隣室に使用人を待機させておくから」

「そうします」

「よく眠って、ちゃんと薬も飲んで、はやく元気になるのよ。母さまと父さまがずっとついててあげられなくてごめんね、お医者さまの言う事はよく聞いてね」

「うん、大丈夫だよ」


 お仕事が忙しいのも、お医者様に長時間の面会は禁止だと言われているのも、わかってる。私の体力を考えての事もあるだろうけれど、万が一うつってしまっては困るというのもあるだろう。モルドー家の当主様が流行り病なんかに掛かってしまえば、私一人分の命とは比べ物にならないくらいの損失が出るだろうし。まあ、命となにかを天秤に掛けるなんて、ナンセンスだとは思うけど。

 名残惜しそうに部屋を出て行く両親に、できるだけ明るく微笑みかける。大好きな家族、それはどうやったって変わらない。八年間の思い出も、時間も、絶対に変わることはないんだ。

 落ち着こう。そもそも、ゲームの世界に入り込んだと考えるから混乱するんだ。もしかしたら、この世界は元よりただのゲームではなく、実在していたのかもしれないじゃないか。私がこの世界に転生したということは、この世界も、私が元いた世界になにかしら干渉している可能性がある。それこそ私と同じように転生した人がいたのかもしれないし、ゲーム製作者が毒電波を受信したのかもしれない。その結果としてゲームが作られたのなら、同じ世界観であっても不思議ではない。うん、そういうことにしておこう。この世界がゲームのモデルになっただけなのだと考えればいいんだ。キャラクターと世界観だけ参考にして、悲惨なエンドはフィクションなのかもしれない。うん、これは希望的観測だけど。

 なんだかだいぶ頭がすっきりしてきた気がする。侍女に汗を拭いてもらい、着替えてからまたベッドに横になる。病み上がりだから仕方ないんだけど、なんだか寝てばっかりだなあ。目を閉じれば、案外すぐに眠気がおとずれ、気持ちよく意識を手放した。

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