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第一話 転生

 目を何度か擦ってみたけど、やっぱり景色は変わらない。キングサイズの白いベッドに、私一人には広すぎる部屋。なんだか高そうな家具に、凝った装飾の施された壁。これぞ貴族の住む家というような、美しい部屋だった。ベッドの傍らの木製の椅子には、栗色の髪の少年が心配そうな顔で座っている。


「お嬢さま、お目覚めですか?」


 彼の目の下にはハッキリと隈が浮かんでいて、寝ずに看病してくれたんだろうと察することができた。疲れているだろうに、優しい笑顔でこちらを見つめている。


「ええ、だいぶ頭もすっきりしたみたい」

「お医者さまの薬が効いたんでしょうね。本当によかったです。ずっと、怖かったんです。もう、ルルゥさまの声が聞けないかもしれないって……」

「ふふ、泣かないで、マーニャ」

「ごめんなさい、でもっ、嬉しくて……」


 起き上ってその大きな目から零れる涙を拭いてあげたいのだけど、体がだるくて上手くいかない。その様子を見た彼、私の侍従のマーニャ・ロロトンは、慌ててまだ寝ているようにと言いながら布団を掛け直した。


「もう少ししたらお食事を持ってまいります。それまではお休みになっていてください」

「でも、私もう充分寝たと思うの」

「駄目ですよ。お医者さまが絶対安静だと言ってましたから。なにかありましたら、僕がずっとお傍にいますので、なんでも言ってくださいね」

「……ありがとう、マーニャ。じゃあ、お水を貰えるかしら」


 マーニャはにっこりと嬉しそうに微笑むと、小さめのテーブルに置かれていた陶器のようなものでできた水差しから、同じく陶器らしいコップに水をうつした。それを手渡そうとして、はっとなにかに気付いたような表情をすると、枕とクッションを私の背中の下に入れて、そっと抱き起してからコップを口元まで持ってきてくれた。気恥ずかしいけれど、指先が震えている今の私には、一人で水を飲むことすら難しい。仕方なく、ここは甘えておくことにした。常温の水を流し込めば、空っぽの胃が驚いたように収縮してそれを受け止めた。本当は冷たい水が飲みたかったけど、体を気遣ってのことだろうから文句は言えなかった。

 なんとなく、すぐ傍に座る彼の大きく真ん丸な目を見つめる。マーニャ、数年前にうちに引き取られてきた私の侍従。初めて会ってからしばらくの間、女の子だと思っていたんだっけ。そのくらい、可愛らしい見た目をしていた。

 可愛い私の従者のマーニャ。あなたが現実じゃないなんて、そんなこと思いたくない。ただのゲームの登場人物だなんて、そんなはずはないんだ。だって私は、ゲームじゃ知り得ないような、彼の良い所も悪い所もたくさん知っている。


「お嬢さま、どうかなさいましたか? 旦那さまなら、今はお仕事でいらっしゃいませんが、すぐお戻りになりますよ。奥さまはお疲れでいらっしゃいましたので、お休みになって頂いております」


 ぼんやりとした私の視線を、家族について気になっているのだと思ったのか、優しい声音で彼がそう説明する。


「そう、皆、私を心配してくれていたのね」

「そうですよぉ、若様なんてずっとお顔が真っ青でしたから」

「お兄さま、大丈夫?」

「大丈夫ですよ、他の使用人がついてます」

「そっか」


 にこにこと優しげな笑みを浮かべる彼に、どこか安心する。背中に敷いたクッションを抜いてもらい、もう一度ベッドに横になって、温かい視線を感じながら目を閉じた。

 混乱、している。私がルルティア・モルドーであることは紛れもない事実だ。だって、そうやってこれまで生きてきたんだから、疑いようもない。けれどこの世界が、私の大好きだった乙女ゲームと酷似しているというのも事実、だと思う。私の頭がおかしくなってしまっただけだというのなら、その方がよっぽどましだ。でも、きっとそうじゃない。前世、と言えばいいのだろうか。憑依という感覚ではない、やはり前世と言った方がしっくりくると思う。上手く言えないけど、確かに〝私〟であるという感覚がする。つまり私は、この世界に転生してきた、ということなのだろう。

 私の前世の人物は、この世界とは違う場所で、ゲームとしてこの世界をよく見知っていた。前世の記憶自体は曖昧で、自分がどんな人物だったのかさえぼんやりとしている。けれど何故か、ゲームの内容だけはハッキリと鮮明に思い出せるのだ。

 そのゲームは、新しく設立された女性向けゲーム会社のデビュー作だった。人気のイラストレーターを採用し、声優も新人からベテランまで取り揃え、発売前から結構な話題になっていたように思う。私もその発売をとても楽しみにしており、予約特典までしっかり貰った記憶がある。実際、最新技術を駆使したというそれは、発売前の評判通り、絵も綺麗で、音質もよく、UIも快適と、ゲームの質は悪くなかった。

 そう、ゲーム自体は、悪くなかった。問題はそのシナリオと、システムである。複雑で膨大なフラグ、やけに判定の厳しい数値管理、条件が厳しく数の多いイベント、隠しパラメータ等、単にシナリオを楽しむのには邪魔にしかならない高難度のゲームシステム。それを掻い潜って辿り着けるエンディングは、どれも破滅的であったり暴力的であったり、ショッキングなものばかり。一部に熱狂的なファンはついたけど、プレイヤーの大多数は、その妙に高い難易度に途中で挫折したり、そもそもシナリオが合わなかったりと、評価はきっぱりと別れる結果になった。このゲームの難易度の異常性は、「発売から五年経って、誰も見たことのないイベントが発見された」という情報がよく表しているだろう。乙女ゲームとして求められているものを遥か彼方斜め上方向に飛んでいってしまった作品ではあるのだが、そのとんでもないシステムとシナリオで話題となり、結果的にファンディスクが出る程度には売れたらしい。

 私は、そのクリアさせる気があるのかと疑いたくなる難易度のゲームが、とても気に入っていたプレイヤーの一人だった。シナリオにはキレたり泣いたり虚無感に呑まれながらプレイする羽目にはなったけれど、そもそもバッドエンド好きの私にとってはそれこそご褒美だったし。作り込まれたシステムも好みで、なにより、厳しい条件を計算してエンディングに到達できたときの爽快感はたまらなかった。特に、一番難易度が高いとされていたノーマルエンドを達成した時は、涙が出る程嬉しかった記憶がある。

 そう、ここで問題になるのが、「ノーマルエンドが最難関である」ということだ。このゲームにおいて唯一、主人公が怪我もせず安全な状態で迎えられるエンディングが、最難関なのである。他のエンディングは大抵、主人公が死ぬか、攻略キャラクターが死ぬ、なにかしら流血沙汰になるか、精神崩壊するなり、なにかしら後味の悪さを残したまま終了。せっかく可愛らしい容姿に、公爵令嬢という地位もあり、性格も良く、恵まれた生まれであるのに、あんまりにも幸が薄すぎるとネットでは彼女を憂い、嘆き悲しむ声が多く見られた。ファンによる分析では、作中で一番死亡フラグが多いのは主人公である。

 何故それが問題になるのかというと、その幸が薄い死亡フラグ乱立主人公が、私ことルルティア・モルドーだからだ。確かに私はやり込むタイプのゲーマーだったから、どうすれば死亡フラグを回避できるのかは大体覚えている。ノーマルエンドだって自力で辿り着いた。何度もやり直して自分で攻略ノートまで作ってプレイしたのだ、絶対に忘れるもんか。

 でも、それとこれとは話が別だと思う。ゲームだから、俯瞰して見ているから面白いのであって。バッドエンド好きだからといって、実際に修羅場を体験したい願望なんて私にはない。特にこんな、ネットショッピングのレビューで「パッケージが家にあるだけで血生臭い気がして気分が悪い、はやく売ってしまいたい」とまで書かれたゲームを、VRならまだしも生身で体験するなんて。嫌だ、私はまだ死にたくない。自分じゃなくたって、誰かが不幸になる様子なんて、見たくない。

 ぐるぐると思考が巡る。なんだか混乱してきたみたいだ。恐らく、思い出したばかりなせいで、前世の自分とルルティアとしての自分が混ざって、どっちつかずになっているのだろう。気持ちが悪い。自分がゲームのキャラクターだなんて受け入れがたい。だって、私は意思を持った人間だもの。お人形でも、プログラムでもない。今までのルルティアとしての人生が、関わってきた愛しい人々が、否定されてしまうなんて耐えられない。その戸惑いに、前世の私の歓喜と恐怖が加わって、ぐるぐると渦を巻く。大好きだったゲームの世界を目にすることができて嬉しい、けれどどうしてこんな状況になったのか、転生など信じられなくて、恐ろしい。絶望ばかりの未来が怖い、家に帰りたい。でも、私の家はここにしかない、私は、私。ただのルルティア。

 そうだ、前世がなんだというんだ。私は、ルルティア。それでいいじゃないか。前世の私がいったいどんな人物で、どんな生涯を送ったのか気にならないわけではない。けれど今それを無理に思い出したいとも思わない。どちらも、私だ。きっと、受け入れるしかないんだ。そう自分自身に言い聞かせ、速くなった鼓動を落ち着ける。

 そもそも、何故こんな変なタイミングで思い出したのだろう、高熱のせいで怪しい電波でも受信したのだろうか。まだ、ゲーム開始時期まではかなり時間があるように思う。ゲーム開始時のルルティアは、ちょうど十六歳のお誕生日を迎えたところのはずだ。それにしては、私の手はあまりにも小さいし、攻略対象であった義理の弟はまだ存在すらない。確か彼は、ゲーム以前の、ルルティアが幼い頃にこの家にやって来たという設定だったはずだ。

 やはり、ゲーム開始よりもずっと前という事で間違いはなさそうだ。私の、ルルティアの手が幼子のように小さいのもその証明になるだろう。何故このタイミングで思い出したのかは謎だけど、ポジティブに考えることにする。ゲーム以前のことは私は直接知っているわけではない。設定や、ファンディスクに収録されていた前日談、裏設定で想像できるものくらいしか、情報はない。それでも、事前に折っておけるフラグはきっとあるはずだ。

 私はこの世界が好きだ。優しくもない世界で懸命に生きている優しいみんなが、大好き。だからこそ、自らの手で死を選びたくない。誰も、死なせたくない。その為に、絶対にノーマルエンドに到達してやるんだ。誰とも恋なんてしないし、誰にも恋なんてさせない。フラグを全部へし折って、一人でこの世界を生き抜いてやる。大好きな人達が傷付くようなエンディングは認めない。ハッピーエンドがないなら、この手で作り出してやればいいのだ。

 そう覚悟を決めながら、私は柔らかなベッドに包まれて、再び眠りに落ちていった。

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