6、オカンが上京してきたら……
悶々と考えながら、またかなりの時間が経った。
永遠とも呼べる長い時間……だ。
暇って言うのは本当に毒だなあ。
こんな家の中にいる「だけ」ってのが苦痛になるとは思いもしなかった。
ブラック企業で働いてるときも地獄だったが、夢の中でもさらに地獄を味わうハメになるとは……。
囚人ってのは、今の俺に比べりゃ、天国なのかもな。
適度な休憩に、適度な食事、適度な労働……。
監視の目と自由の制限は科されるが、少なくとも今の俺よりはマシだ。
はあ……どうしてこうなっちゃったんだろう。
地元にオカン置いて、やりたいことやるんだって上京して……結局こんな目に遭うなんて。
ああ、今オカンどうしてるだろ。
そういえば一回も帰ってないしな……電話も全然してないし……。
死ぬ前に一回くらい話しておきたかったな。
「くそっ。なんで、こんなときに……」
なんでか涙が溢れ出してきた。
クソッ、電話もないんだよな今。したくてもできない。最後の言葉も伝えられない。
そんなことを思うと、悲しくて悲しくて……。
情けないながらも、ポタポタと頬を伝う涙が床を濡らしていく。俺は声を殺して泣いた。
お隣さんが心配するかもしれないから……うん、声だけはこらえるよ。
これで壁ドンされちゃたまらない。
ああ、ひどく静かだ……。
ご近所さんが下にもいるはずなのに、なんの音も聞こえない。
部屋もエアコンが無くなっているはずなのに、なぜか涼しいままだった。
普通だったらこんな時期に、蒸し風呂状態になっててもおかしくないはずなんだけどな。
不思議だったが、今はそれがありがたかった。
冷たい床にほおずりをする。
しばらくすると、またドンドンと扉を叩く音がした。
今度は誰だ……。
よっこらせ、と重い体を引きずって、ドアのところまで行く。
「……ウソだろ」
ドアスコープを覗いて、思わずそうつぶやいてしまった。
そこには……オカンがいた。ああでも……!
もう、やめてくれ。
こんな夢の中で、この仕打ちだけはやめてくれ。頼むから。
ああ……ウソだろ。
どうして、何でそこにいるのかは分からなかったが……たしかにそれはオカンだった。
頭が、二つあったけど。
そう、これは悪夢だ。
オカンだって、この世界じゃまともな姿のままでいるなんて、できやしないんだ……。
くそっ。
普通の顔の上にもうひとつ、首が生えてやがる。顔が縦に二つ並んで……。もう……もう、やめてくれよ。
涙を流しながらドアを開ける。
「あっ、良かった、いたんやな。心配したんよー、会社の人から連絡があって。お宅の息子さんが会社に出社してこないんですけど、って。大丈夫ですかーって……あれ? サダオ、ほんまに大丈夫なん? とにかくまあ、中に入らして。お母ちゃん疲れてるんよ」
頭をゆらゆら揺らしながら、オカンが入ってくる。
俺は涙を袖でぬぐうと、中に迎え入れた。声や雰囲気はたしかにオカンだったからだ。
オカンは大きなバッグと紙袋を重そうに抱えている。
「ほんまに、どうしたんや? 昨日連絡きて、すぐ駆けつけて……でも、大阪と東京やろう? お母ちゃん、はじめてこんな遠出したわ」
「すまんな、オカン……」
「ほんまにどうしたんや。会社の人に聞いたら、あんた病気かもしれんって言うやないの。昨日会社の人、ここに来たんやろ、覚えとる?」
「いや……」
え、昨日……? よくわからないが、もしかしてあのビッグフットのやつらがか?
あれが、会社の人間だったのか。
誰だったんだろう。上司か同僚か……それすらもあの姿じゃ分からなかったが。
俺はオカンが来た安堵感からか、ずるずると床に座り込んでしまった。
「あらあら、そんなとこで……まあええわ。そん時もきっと寝とったんやろ? 体調悪いって言うても、ほれ、あんたの好きなオムライス、せっかくだから作ってきたんよ。食べれる?」
そう言ってオカンは紙袋から大きな包みを取り出した。
またゲテモノか……。暗い想像がよぎるが、うん、たとえゲテモノであったとしても、もしオカンが作ったものなら食べてやれる。久しぶりのオカンの料理だ。どんな見た目だろうが絶対にまずいわけがない。それだけは確信できる。
風呂敷のような布包みをほどき、中からビニール袋に覆われたタッパーが出てくる。
それを開けると……そこにはゲテモノではない、きれいな黄色い卵にくるまれたオムライスがあった。
俺は感動してブルブルと震える。
「あ、ちょっと待って、これチンしたほうがいいやろ? 電子レンジ……あとは食器……と」
オカンはそう言うと、少し不可思議な行動に出た。
食器棚があったはずのところにいき、何かをそこから取るようなマネをする。
次にテーブルがあったであろうところに「それ」を置き、オムライスを慎重にタッパーから移す。まるでパントマイムだった。おそらく、テーブルの上に皿があるんだろうが……オイオイ、それじゃせっかくのオムライスが無駄になっちゃうよ。
だが、俺の予想に反して、オムライスは見事空中に「浮いた」。
「ええっ?」
そして、オカンはそれを手の上に乗せ、電子レンジがあっただろう場所に行く。
もちろん何もないわけだが……オカンには「見えて」いるのか?
俺が見えてないだけで。
そこにはたしかに家具・家電がまだ存在しているのか?
バタンとレンジらしきドアを閉めて、かるく二分。チンと音がした。
「はい、どうぞ」
ホカホカのオムライスを両手でもって差し出される。
床に座ったままの俺に。
悪いなオカン。俺にはスプーンも見えねえし、その熱々の料理も触れないそうにないんだ。
オカンの手の上には皿の分の空間があるんだろうが、たぶん俺にはそれがゼロ距離になる可能性がある。熱々の料理を直接手で受け止めるなんて勘弁だ。たとえ出来たとして、それを熱いと思いあまって落としちまったらもったいない。
「悪い、オカン……あの……」
「なに、どうしたん?」
「ひとりでは……その、ちょっと食えなくて……あの……悪いんだけど、食べさせて……くんねーか?」
「えっ?」
「いや……その……」
あああ、恥ずかしい。
この歳になってこんなこと言うとかどんな罰ゲームだよ!
オカンは一瞬驚いた顔をしたあと、すぐに優しい顔になった。……二つぶんの、笑顔。
「はっ、まったく何言うてんの。しゃあないな、しゃあない赤ちゃんやなー。ほれ、あーん」
エアスプーンをオムライスに刺して、小さくまとまったご飯を口へと運んでくれる。
ありがたい。もう、感謝しかなかった。
これで味すらおかしかったらその恨みをどこかにぶつけるしかない。
「……うまい」
ふんわりと甘いケチャップライスに、適度な塩加減の卵。
味は、どうやら大丈夫そうだった。久しぶりのオカンの手料理。しっかりと堪能する。
俺はオカンの前だっていうのに、いつのまにかまた涙を流してしまっていた。
「あれ、そんなにおいしかったん? じゃあもっとお食べ。ほんで元気になるんやで」
「……うん。うまい、うまい……」
オカンは何も言わずに、黙々と食べさせ続けてくれた。
泣いてるのが異様なはずなのに。何もきかずにいてくれる。それが今はとても嬉しかった。
完食し、ようやくホッと一息付く。
俺はもうひとつ、してほしいことを頼んでみた。
「あんな、オカン……」
「ん?」
「飲みもんも頼みたいんやけど。でも、水道は飲めんし……できたら買うてきてくれんか」
「え? なに? ここにはなんもないの?」
オカンは立ち上がると冷蔵庫があったあたりに向かった。
バタンと開ける音。
「ああ……ないなあ。あんた普段なにを食べとるんよ? あれ、ここにもなんかあるやないの」
「えっ! ああ、そ、それは開けんといて!」
台所の上にあったタッパーをめざとく見つけられて、俺はあせる。
「近所の人がくれてたんやけど、その……もう古くなっててな。食えへんのや。と、とにかく今は水が飲みたいんや。オカン、頼む、そこらで買うてきてくれへんか」
「ええけど……」
ちらりとそれを見ながら、オカンはしぶしぶ外へ出ていく。
しばらくして、ペットボトルの水を持って帰ってきてくれた。
「あ、ああ……ありがとう、オカン!」
そう言って、さっそく奪うようにして飲み干す。
ごくごくと喉を鳴らして飲む姿をオカンは不審そうな目で見つめていた。
うん、わかってる。おかしいよな。その通りだよ。俺はどこもかしこもオカシクなっちゃってるんだよ。ゴメンな……。
この水はなぜか変な色はしていないし、味も普通だった。
助かった……。
一気に飲み終わると、俺は大きく息をつく。
「あんた、やっぱりどっかおかしいんと違う?」
「ああ、そやな……」
「どうしたん、仕事、大変なん?」
「うん、まあ、それもあるけど……ええと、昨日? よくわからんけど、仕事から帰ってきて寝て、起きてからおかしくなった」
「どうおかしいの」
「ものの見え方が。今もあたりが全部真っ暗やし。オカンの顔も二つに見える。変やろ? 狂ってるやろ、俺……ははは」
「な、なんで……なんでそんなん!」
「わからん。仕事のしすぎで頭がおかしくなったんかもな。はじめは、夢かと思ったんや。でも、違う……きっとこれは……」
「そう、夢やないで! あんた、もう……いったいどうしたん? 頭おかしくなってもうたんか」
「そう……みたいやな。残念なことに」
「そんな!」
オカンは驚愕している。
無理もないな。ごめんな、ガッカリ……させたくなかったんだけどな。
こんなになっちまった。いつのまにか俺は……。
どうやらこれは、夢じゃないらしい。夢なら本当に良かったんだけどな。とはいっても、それがわかったとしても、あいかわらず奇怪な世界は変わらんままなんだが。
「わかった。救急車呼びましょ。今お母ちゃんが手配したる!」
言うが早いか、オカンはバッグから携帯を取り出して119に通報した。
すぐさま救急隊が駆けつける。
うわー。ご近所さんになんて言おう。
目立つよなあ……。
隊員たちが玄関にやってくると、オカンと、座り込んだ俺に何個か質問してきた。
「あなたが、通報者の高橋さんですね? で、こちらが息子さんの……高橋サダオさん?」
「え、ええ……」
「大丈夫ですかー? 意識はありますか?」
うん、こいつらはロボットだな。
見た目はシルバーの金属でできたロボット。
そいつらが俺の胸に聴診器を当てたり、目にライトを当ててきたりする。
「いつごろからこうなったかわかりますか?」
「ええと、昨日から……ですね」
「意識ははっきりしていますね?」
「はい、でも、本当に見えかたがおかしいんです。隊員さんたちがロボットに見えますよ、某C3POみたいな」
「え……ロボット?」
その言葉に隊員たちが絶句する。
「あの、お聞きしておきますが、薬物などは接種してませんよね?」
「たぶん。でも、心当たりはあります、その……タッパーに入ってるものです。ご近所さんにもらったんですけど。なんかおかしいんですよね」
そう言って、ばーさんからもらったお裾分けを指し示す。
「それ、肉じゃがらしいんですけどね。俺には目玉の浮いた黒いどろどろしたのにしか見えません。あ、そっちのはたぶんおにぎりだと思います。でも、やっぱりウジ虫のかたまりにしか見えないんですよね」
俺の言葉に、オカンがわっと声をあげて泣きはじめる。
泣かないでくれよ、オカン。俺だって泣きたいんだ。
「高橋さん、あなたは……なんらかの薬物症状か、脳梗塞を起こしているかもしれません。すぐに搬送します」
「お願いします。なにが原因かはわからないですけど……俺はこの建物の外にも行けないんです。だって外は真っ暗だし、足元も黒い水が溜まっていて……」
「はやく! 担架を! 急いで搬送先に連絡だ」
急にあわただしくなるのを感じながら、俺はようやく眠気が訪れようとしていた。
ああ、これで眠れる。いや、起きれるのか?
どっちでもかまわない。
ああ、でも、オカンがものすごく心配そうな顔をしてるなあ。なんでこんな風になっちまったのか。
担架に載せられて、部屋から移動する。三人目の隊員が証拠のためか、タッパーを持ち出していく。
何事かとばーさんや一階の人たちが俺を見る。
さようなら、クリーチャーたち。俺はここを離れるよ。
担架が、俺の通れなかった黒い水面の上を移動していく。
そして、俺はシルバーでできた金属の箱に乗った。
どう考えても救急車じゃないんだが……きっと救急車なんだろうなあ。
明かりが何もない。でも、どこからか、蒼白い光が差し込んでくる。そばにはオカン。
「もう、もう大丈夫や……サダオ。お母ちゃんもついてるからな」
「ああ……おおきに、オカン」
車が、発車する。
瞬間、目まぐるしい光の洪水が俺を襲った。
なんだ?! 目が焼かれる!
目が焼かれる。
目が焼かれる。
目が焼かれる。
なんだこれ!
目が焼かれる!
目が焼かれる!!
目が焼かれる!!!
「ど、どうしたん、サダオ! サダオッ!」
「うわあああああああああああああああああああああああああああgt……」
俺の意識はそこで途絶えた。
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