2、部屋の外に出てみたら……
部屋の外にはなんだか変な景色が広がっていた。
二階の共同廊下を行ったり来たりしてみても、四方はどこも似たような風景だ。
いったい、この世界はなんなんだ……。俺は困惑して頭に手をやる。
振りかえって、あらためて自分の部屋を見てみた。
うん、たしかにここから出て来たよな? 俺の部屋の玄関から……。
「あれ?」
よく見ると扉の表札が無くなっていた。たしか手書きで「高橋」と書いた板を貼っておいた気がするんだが……。でも、どう見ても無い。それも盗まれた……のか?
まったく本当にどうしようもないやつらだな。こんなのまで盗んでいくとは。いったい何をやりたいんだ? 売っても大した金にはならないだろうに……。単なるいやがらせか?
はあ……こうも無い無い尽くしとは。気が滅入る。
まあ、夢だからいいけど。
扉に書かれていた203という部屋番号も消えていた。
ん? これは……大家さんの勝手なリフォームなのかな? 何も聞いてなかったが。いつのまにかこうなっていたらしい。気付かなかったな。
そういえば扉自体、全体の錆びつき加減に対して数字だけがやけに新しかったような……。
消えるたびにペンキで書き直している、そんな印象だった。今は塗料が剥げかけたピンク色一色になっている。またしばらくしたら綺麗に塗り直されたり、数字も書かれるのだろう。
俺はお隣さんのドアを見てみた。
「202号室……だけど、ここもなぜか消えてるな。中に人、いるかな……」
誰も見ていないのを確認して、ドアに耳を近づけてみる。
奥の方で、なにかカチャカチャという音がしていた。
……いる。どうやら住人がいるらしい。お隣さんだと思うが、確証はない。
そもそも俺はお隣さんと一度も顔を合わせたことがない。
一度引っ越してきたときに挨拶に行ったんだが……その時もお隣さんは出てきてくれなかったのだ。
だからどんな人が住んでいるのかはまったくわからない。
生活音はするから、中に人がいるにはいるんだろうが……。
あいかわらずカチャカチャという音がする。
夢の中とはいえ、現実とも同じ音だった。前も、興味本意で耳を当ててみたら同様の音がしたのだ。
これも何の音かは知らないが、金属の擦れ会うような音である。
普段ならしないが、俺は引っ越し以来一年ぶりくらいにインターフォンを押してみることにした。
完全なる思い付きだ。
ピンポーンと鳴るかと思ったら、鳴らない。
そっか。電気も通じてないわけね。ハイハイ。
謎の夢設定に納得して、代わりにドンドンと拳で叩いてみる。
「すいませーん。あの……」
ええっと、なんだっけ。ここの人の名前……ええと……。
ああ、クソッ、わっかんねえ、ここも表札が無くなってるし!
俺は頭を抱えた。
もう、いいや。きっとずっと出てこないだろうし。先行くか。
相変わらず扉の近くからカチャカチャと音がしていたが、俺は無視して移動した。
ん? ちょっと待て。「扉の近く」から? さっきは部屋の奥の方からじゃなかっただろうか……。
うわ。出てきてくれようとしてるのかな?
だったとしたら悪いなあ。特に用はなかったんだけど……気まずい。
面倒くさかったが、出てくるまで少しだけ待ってみることにした。
こっちがノックしたんだ。きちんと待つのが礼儀である。夢の中だと言うのに俺は変なところがバカ丁寧だった。
思っていたより、すぐには出てこない。
ただカチャカチャという音だけがずっと続いていた……。
「あの……すいません。隣の部屋の者だったんですが……あの、いらっしゃるかなって思ってノックしただけなんです。すいません、お忙しいとこ……。あの、特に用はありませんでしたので……し、失礼します!」
そう言って後ずさると、瞬間、ドン! と大きな音がした。
えっ?
ドンドンドンドン、と思いっきり扉が叩かれている。
えー。なになに、コレ。怖いんだけど。
胸に響くような音……うっ、なんか……気持ち悪くなってきた。
一分ほどそれが続くと、またカチャカチャという音が遠ざかっていった。
「あー……なんか怒らせちゃったかな……。でもまあ、出てこられなくて良かったぜ……」
ごくりと唾を飲んで、ドアから離れる。
心臓がドキドキとして足がなかなか動かなかった。けっこうビビリだな、俺……。
どうにか階段の近くまで移動する。
201号室。
階段の近くには、二階の三つ目の部屋があった。
「ばーさん」はいるだろうか。
この201号室に住む、いろいろと俺の面倒を見てくれる通称ばーさん。
まだドキドキしているが、こちらも念のためノックしてみることにした。
もしかしたらいるかもしれない。
コンコン。
するとすぐに扉が開いた。
「はい、なあに?」
優しそうな声とともにばーさんが出てくる。
俺は凍りついた。
それはどうみても普通ではない、「異形な」ばーさんだったからだ。
目が、真っ黒になっていた。
陥没して、深い孔になっている。目玉や……まぶたはどこにも見えない。墨汁でも塗り込めたかのように、目玉のあったところが何もなくなっている。
「あら、高橋さんじゃないの。どうしたの? 何か用?」
口調はいつもの通りだった。それが余計に俺の背筋を寒くさせる。
声も、なんかおかしかった。
ボイスチェンジャーみたいな変な声だ。妙に野太くなっている。
えっ、これ、本当にあのばーさんか? 風邪……ひいてるにしちゃ、ちょっとおかしいし、なによりバケモンじゃねえか。
なにこれ。悪夢なの?
ばーさんがいつも大事そうに首からぶら下げている写真入れもなんか変だ。
たしか小さなお孫さんが写っていた気がする。でも……それが今は、なぜか真っ黒に塗りつぶされていた。
え、なんで? それ自分でやったの? どうして。大切なものなんじゃなかったのかよ。
「どうしたの? 具合でも悪い? そういえば今日はお仕事はないの? もうお昼だけど。休み?」
「あ、えっ?」
「ああ、やっぱり……具合が悪いのね。さっきからあなた、顔色が真っ青だもの。そういう日は思いきって休んだほうがいいのよ。ほら、栄養あるもの食べてないんでしょう? ちょっと待っててね、奥に作っておいた煮物があるから。持っていきなさい」
そう言って、ばーさんは台所に行くと小さなタッパーを持ってくる。
「はいこれ。肉じゃが。ちょうど作ってたのよ。良かったら食べて」
「……」
なんすか、これ。
これが……肉じゃがだというのですか?
そもそも何の肉ですか。
小さな目玉がたくさん浮かんでて……それが一斉にこちらを向いて……ああっ、あとは何かドロッとした黒い液体が沈殿してるんですがこれは……。
思わず胃液が込み上げてくる。
空きっ腹にこれはキツい。いつもはありがたく受けとるんだが、今日だけはちょっと勘弁することにした。
「いや、ちょっと気分悪いんで……今日は大丈夫です。ありがとうございます……」
「え、大丈夫? 本当にどこか悪いみたいね。じゃあ……また声かけてね。たくさんあるから。いつでも食べたくなったら言って頂戴。ついついいつも作りすぎちゃうのよ。家族がいたときの癖かしらねえ」
ほほほ、と笑った。瞬間、ばーさんの口の中が見える。
歯や舌が全部真っ黒だった。
えっ、なに? イカスミパスタでも食べたの? それとも墨汁でも飲みましたか?
あり得ん。いや、もしそうだったとしてもそれ以前の問題……だ。見た目がいろいろとマズイ。うん。そもそもバケモンなんだよ。なんの悪夢だよ……。
異常な状態が起こりすぎだ。夢なら、早く覚めてくれ……!
「ほんとに大丈夫? 高橋さん」
「いや……」
大丈夫じゃねえ。あんたのおかげで気分が悪くなったんだよ。
「とにかく、必要なら病院行っておきなさいよ? あと、良く休むのよ? 何かあったら言ってね。じゃあ、お大事に」
ばーさんはそう言うと、部屋のドアを閉めた。
俺はまだ胸の動機が治まらない。ヤバい。あれはヤバいよ。モンスターだよ……。
悪夢だ。
なまじっか変なところが現実的だからか、異常とのギャップに打ちのめされている。
なんなのさ、もう……。
俺はフラフラとしながら階段を下りた。とにかくここから抜け出す方法を探さないと……。
ああ、足取りが重い。一階の人たちもいるかもしれないが、もう一件ずつノックをする勇気はなかった。
またあんな顔で出てこられたら、たまったもんではない。
一階の廊下を抜けて、裏野ハイツの外に出てみる。
廊下の先は砂利が敷かれていたはずだったが、今は何もなくなっていた。
「やっぱなあ……」
二階から見た景色と同じ、黒い鏡のような地平がどこまでも続いている。
見渡すと、東西南北に謎の蒼白い光源が一つずつあった。
俺はそのひとつを目指してみることにした。一歩、その黒い大地へと足を踏み出してみる。
「うわあっ! なんだっ、コレ!」
瞬間、ズブズブと脚が黒い「水面」に吸い込まれていtw。
うわっ、地面じゃないのかよ! ヤベー。
油断してたとはいえ、ちょっとショックだった。あわてて引き返すが心は完全に折れている。
ああ、なんだよ……これじゃ、どこにもいけないじゃないか……。
足を引き揚げると、不思議と体のどこも汚れは付着していなかった。それだけは唯一ホッとする。
「はあ……良かった。でも、水とかマジか……」
「どうした? なにか悲鳴が聞こえたが……」
男の声がしたので振りかえってみると、そこには101号室のおっさんがいた。
ゆっくりと片手を上げて、笑顔で会釈してくる。
そのでっぷりとした御腹からは……臓物が飛び出ていた。
ん?
え? 臓物がトビデテイタ?
俺は目の前の光景に、思考能力が一瞬鈍るのを感じた。
まったく、どいつもこいつも……バケモノばっかかよ。
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