1、疲れて眠って目覚めたら……
「ただいま……」
誰もいないのはわかっているが、つい実家にいるときのクセで言ってしまう。
鍵を開け、玄関で靴を脱ぐと、俺は一直線に寝室に向かった。この家は二間しかないので、すぐにベッドの前まで来る。
今日も疲れた……。
風呂にも入らず、飯も食わず、歯も磨かないで、スーツのまま倒れこむ。
ああ、もう何ヵ月干してないだろう。布団に顔を埋めながら思う。柔らかさはまったく感じられず、わずかに湿ったようなカビ臭さが呼吸をするたびに鼻に抜けていく。
元々悪かった気分がさらに悪くなっていった。
「ああ、眠い……あ、ヤバい……」
電気がつけっぱなしだ。
消さなきゃ電気代が……と思いながら、眠気に勝てずにだんだんと目が開かなくなっていく。
今もう何時だろ。
終電ギリギリに帰ってきたから、もう一時近いか。
毎日毎日、なんでこう遅くまで残業させられるんだよ、ったく、クソが。イライラしながら、起き上がろうとする。
でもだめだ。
起きられない。
眠くて眠くて……このままじゃスーツがシワだらけになっちまうってのに、もうどうでもよくなってきて……。
そうだ、別にいいじゃないか。
このまま眠っちまっても……。
***
「はっ」
どれくらい時間が経っただろう。
ふと目が覚めて飛び起きた。ヒヤッとしたので手をやると、口のまわりがよだれまみれになっている。
俺はシャツの袖で口許をぬぐうと、まだ口の中に残っているそれをすすった。
「あれ?」
おかしいな。俺はスーツを着ていたはずなんだが。
いつのまにか暑くて脱いじまったのか? 上着がどこにもない。下はズボンを履いたままだが、上はシャツだけになっていた。
「ん?」
そういえば部屋の電気も消えている。
寝る前に消したっけ? どうも記憶が定かでない。いつの間に自分で消したんだろう。
わずかに窓から外灯の光が差し込んでいるからか、ぼんやりと部屋の中は見渡せる。
「……」
ていうか、やっぱりなんか変だ。
ベッドがなくなってる……だと?
俺は今までフローリングの床に突っ伏して寝ていた。よくこれで体が痛くならなかったな……。こきこきと首を曲げながら、床を見るとうっすらと濡れて光っている。視線を移動させると……。
はあっ? よく見たら他の家具も無くなってる?!
「う、嘘だろ?!」
俺が上京前に親にねだって買ってもらったでかいテレビも、テレビボードも、ダチから譲ってもらったタンスも。実家からなかば強奪してきた古いテーブルも全部無くなっている。
「なんだ!? 何がどうなってる……」
俺が寝てる隙に、泥棒でも入ったってのか? だとしても大がかりすぎんだろ。
畜生。
こんな深夜だが、警察に電話しなくちゃならねー。
あれ。電話をしようにも、携帯が見当たらない。仕事用の鞄の中に入れておいたハズなんだけどな……それも持っていかれちまったのか?
いったい何が起こってるんだ。
「うん、まずは落ち着こう……。電気をつけて、無くなったものをひとつずつ確認するんだ……うん、落ち着け。そうだ、まだあわてる時間じゃない……」
親指の爪をかじりながら、部屋の明かりを点けにいく。
スイッチがあるいつもの壁に手をやるが、ない。
「はっ? えっ? いやいやいや……」
おかしい。酒なんか飲んでないんだが。素面だぞ……いったいどうして。
壁一面ををひととおり探ってみたが、結局スイッチを見つけることはできなかった。
バカな。
もう一度言う、そんなバカな。
俺の頭はものすごくハッキリしている。なのに探し出せないとはいったいどういうことだ……。
「いや……。いやいやいや! ないない! ないわー」
……え?
ほんとに、何がどうなってんのよ?
何かのドッキリなの?
悪友たちからのサプライズ? はっ……それともモニタ○ングか。
そうか。わかったぞ。
疲れてるからって俺は騙されない! 騙されないぞ! 出てきやがれ、テレビクルー! ほらっ!
「……」
いや、とにかく。これじゃ、電気がつかないままだ……。
薄暗い部屋の真ん中で途方に暮れる。
天井にはシーリングライトがついていたが、スイッチがなくてはこの明かりもつけようがない。
たしかどっかに……そう、テレビボードの引き出しあたりに照明のリモコンを放り込んでいた気もする……が、それもテレビボードごと無くなってしまったのでどうしようもない。
はあ……なんなんだよ、いったい。
「そうか! はっ……」
そうだ、夢だ。
うん、これは俺が疲れて眠ったために見ている夢なんだ!
じゃなきゃ、こんなおかしなことが起こり得るわけがない……。
俺はようやく冷静さを取り戻す。
そう、仕事のしすぎで変な夢見ちまったんだ。きっと。
そろそろ転職考えないとなあ。社員一年目だけど、あの会社ブラックすぎだったんだよ。まったく。
だいたい連日終電とか頭おかしいって。
こんな夢見るくらいだし、ちょっと本気で考えないとなあ……。
「あれ?」
確認するけど、ここって俺の部屋だよな?
うん。家具が全部無くなっているとはいえ、間取りや内装は見覚えのあるものだ。
まあ、ワンルームマンションなんてどこも似たようなつくりなんだろうけど。
一年住んだ部屋を見間違えるわけがない。
でもなんでだろう。なんで、「そう」思ったのか。
違和感があった。
そういえば、外灯だ。
ベランダの向こうは裏の家がすぐ1メートルくらい先にあって、道路なんかもなかったはずだ。
電柱はおろか外灯さえも……なかった気がする。
なのに……あの外で小さく光ってるのはなんだ?
ぼんやりと蒼白いあの光は……。まあ、それがなきゃ、今もまったくこの部屋の中が見えないわけなんだが。
どうせ夢だ。
そうだ、ここにいないで外に出てみよう。
俺は洋間を抜けるとダイニングに行き、すぐ目の前の玄関の戸を開けた。
「え、なにこれ……」
そこには、見渡す限りの真っ黒い平らな土地が広がっていた。
建物がいっさい無い。
すごく遠くに、蒼白い太陽みたいな丸い光がある。
某「精神と時の部屋」みたいにここにしか建物がなく、あとは仄暗い闇が世界を覆い尽くしていた。
俺は呆気にとられる。
「マジかよ……」
音が一切しない。
誰も……いないのか。ここには。この世界には。
俺以外に……。
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