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「――何卒、よろしくお願い致します。女神様のご慈悲に心より感謝致します」


 深々と頭を下げて出て行ったのは、この教会の最高幹部である神官長だ。彼は年老いた小さな体をさらに小さくするようにしてこの地の守護神たる女神に、その頭を垂れる。人の世の中では彼が頭を下げなければならない人間など、きっと誰もいないだろう。この世界の主たる宗教はアグニスト教に他ならないのだから。


「王と謁見など、本当によろしかったのですか?」

「うん。まぁ、挨拶されるだけならね。顔も見られないように配慮してくれるって言うし」

「それはそうですが……」

「いつかはこういう話も出てくると思っていたから。権力者がその権力を言わせて会いに来るのは想像の範疇だったから。それに今回は事前に許可を求めてくるあたり、割とまともなんじゃない?」

「……もし、ユキノ様がお嫌であらせられるならば……」


 ニーグは意を決したように顔を上げると、声を振り絞るように言いかける。雪乃は首を振って言葉を止めると、気にしないで言葉を続けた。


「断ることは簡単だろうね。でも、そうしたらさすがの教会も立場が悪くなるんじゃない?『女神を隠している』『女神が降臨したのはデマだった』とか、いくらでも想像できるもの。そう言う意味では、権力者に会っておくのも悪くないと思うんだ」


 そうである。雪乃が嫌だと首を振るのは簡単だ。だが、そうすることで雪乃が存在するという『証拠』は怪しいものになってしまう。この世界は神が実際に存在すると信じられ、それが周知されている世界だ。だからこそ神の存在を隠すことは得策ではなく、教会への不信感が募るきっかけになってしまうかもしれない。雪乃はこのアグニストを信じる者たちの守護神である。だからこそ、彼らに不利益になりそうなことはできるだけ避けたかった。


「そこまで考えていただいて……ユキノ様のお心遣い、真に感謝致します」

「気にしないで。それで、今回来るのは神聖帝国の皇帝だっけ?どんな人かは知ってる?」

「神聖帝国は今の皇帝である、ガイウス帝になってから急激に支配地域を広げている国です。ガイウス帝は下位の側妃が生んだ末の皇子であったということですが、十年前を境にその力を伸ばしたと言われています」

「それは随分の出世だね」


 それが事実であるならばかなり異例の出世であることに間違いはない。王妃の子である長子がその皇位を継ぐことが常識である。それなのに、下位の側妃という立場が弱いはずの皇子が皇位を継ぐのは異例中の異例であろう。


「そうです。上に数人の兄皇子が居たと言われていますが、今は全ての権限をガイウス帝が所持しているとか……」

「なるほど。やっぱり断わるのが難しそうな人だったね。変に断わると、教会も立場が難しくなっていたかも。過激な人みたいだし」

「謁見の際には帯剣禁止、距離も十分に取らせていただきますので、ご安心くださいね」

「ありがとう。でも無理しないで。私はいつでも姿を隠せるけど、あなた達はそうじゃないんだから」


 神官長も言っていたが、当日は幾重にも薄い布で天蓋のような幕を張り、さらに雪乃自身もベールを被る。さらに当日謁見する際には神聖帝国側は剣などの武器の所持は禁止。厳重に身体検査を行った上で、謁見の間に通されるらしい。

 とは言え、女神である雪乃には最悪の場合は社に戻るなど姿を隠す手段はいくらでもある。問題は同じ人間同士である神官たちのことだ。もし相手が武力に訴えてしまった場合、その矛先が向くのは神官たちである。その上、ただの人間である彼らの体は脆くて弱い。雪乃は自分のことよりも、神官たちの方が心配であった。


 そうして臨んだのが、神聖帝国ガイウスとの謁見であった。


「――とてもお美しく、お似合いでいらっしゃいますよ。少々重いかもしれませんが、どうかご容赦くださいませ」

「……ありがとう。これが終わったらすぐ着替えるから」


 ニーグは雪乃の姿を見つめると、綺麗な顔でうっとりと微笑んだ。謁見を控えて、今の雪乃の格好はいつもの着物風の服ではない、こちらで用意された豪華な衣装である。たくさんの布を使うのが豪華であるという価値観であるのか、上等な真っ白な布を幾重にも重ねたドレスは普通にしていても引き摺ってしまう。繊細なレースで飾られたベールも、どこのお姫様の結婚式かと思うほど長い。腕では金で出来た細い腕輪がしゃらしゃらと軽やかな音を立てている。


「では、ガイウス帝が参られます。ユキノ様、ご準備はよろしいですか?」

「うん。早く終わらそう」


 神官長のユニスに頷いて返すと、三重にも重ねられた幕の向こうで神官が入室を告げる声を上げた。そのまま少し歩いて、雪乃が座る椅子が置いてある場所から少し下がったところに膝を付く。そして私が頷くと、神官長が私の意志を彼に告げる。


「女神様が発言を許可なされた」

「神聖帝国、第二十三代皇帝、ガイウス・シンク・オル・レングルトと申します。この度は謁見の許可をいただき、真に感謝致します」

「私も創造神アグニストも信徒であるガイウスに会えたこと、嬉しく思います。これからも健やかに過ごせるよう、祈りましょう」


 初めから言う言葉は決めてあった。それらしく淡々と謁見を終えるためであったのだが、私が発言したことでガイウスが頷いたのか頭が動いたのが幕越しでも見ることが出来た。


「……失礼する!」

「――え、ガイウス帝!?困ります!」

「誰か!」

「神官兵!」


 そして謁見の間に漂っていた静寂な空気はガイウスが突然に立ち上がったことによって、一気に賑やかになる。姿を隠すには十分であっても、防御力としては心許ない幕の内側にまでそれは一気に伝線した。

 あっという間に目の前には褐色の肌に金色の髪を持った、精悍な顔立ちの男が立っている。年齢はニーグよりも年上だろうか。右の頬に大きな傷跡がついているのが勿体無いかもしれない。彼自身が武道の心得があるのだろう、体つきは立派で逞しい。


「――お前が女神ユキノか」

「無礼者!どなたの御前だと心得る!」


 一気に幕の内側にまでやってきた男は鋭い目で雪乃を睨みながら尋ねた。しかし、その視線の間にはニーグが長い杖を棒術のように扱って、ガイウスに向けて持ちながら立っている。


「ニーグ、大丈夫。――私が雪乃です。何の用ですか?」


 ガイウスはニーグの杖になど意を介した様子も見せず、むしろ大人しく再び膝を着く。そして潤んだ瞳でじっと雪乃を見上げた。


「……あなたに会いたかった。私の女神よ」


 近くでその精悍な顔をじっくり見てみると、どことなく見覚えがある。そのおぼろげな記憶を辿っていると、ふと森で倒れていた男のことを思い出した。

 その男は身体中に傷を負い、濃い血の匂いを漂わせながら木の影に倒れていたのである。既に意識は無く、どうにかここまでやって来て、そこで意識を失った様子であった。既に死んでいると言われたらそう思ってしまいそうなくらいに血が流れている。ところどころ破けている服は、黒く染まってしまっていた。どうするか少し考えていた雪乃であったが、彼が生きている証であるように僅かに胸が動いていることに気付く。そして、そのことに気付いてからは早い。雪乃は血だらけの男に近寄ると手早く手当てと治療を済ませ、彼に僅かながら祝福を贈ったのだった。


「――話は分かりました。それでも、このような突然の無礼は許されません。その身で償いなさい」

「女神の番犬か。噂の守護神官ニーグだな」

「どのような噂かは分かりかねますね」


 ニーグはそう言うと、持っていた杖をぐっとガイウスの首元に押し付ける。ただの棒ではあるが、相手は丸腰。その上、剥き出しの首には苦しいはずだろう。


「二人とも落ち着きなさい」

「ユキノ様、しかし」

「確かに彼は私が以前助けた者で間違いないようです」

「女神!私を覚えていたのか……!」

「ニーグ。せっかく助けた命です。ここは私に免じて大目に見ましょう。――ユニス。あなたも何も見ていません。良いですね?」


 雪乃は二人の間に割って入ると、そう言い含めて近くで慌てていた神官長の目を見て頷く。


「ユキノ様!」

「ユキノ……!」


 正反対の表情を浮かべた男が二人を目の前にして、雪乃はため息を漏らすのを止められなかった。

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