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06

 雪乃はニーグを伴って教会から出て、とある山間部にある小さな町へとやって来ていた。町と言うには名ばかりの、旅行者のための僅かな商店が連なる程度の小さな町である。日が沈み始めたと言うのに通りには旅行者の姿はなく、歩いているのはこの町に住む者と雪乃たちだけだ。雪乃は町で唯一の宿屋を見つけると、迷うことなく扉を開ける。すると、ちょうど掃除をしていた女将が声を上げた。


「――まぁ!巡回の神父様ですか。お泊まりでよろしいですか?」

「はい。私はソルノディオから参りました神父のニーグ、こちらは見習いのユーノと申します」


 ニーグは目深に被ったフードから顔を覗かせてにこりと神職らしく微笑むと女将に名前を名乗る。それに続いて、下級神官の出で立ちの雪乃もぺこりと頭を下げた。


「ソルノディオから?それはそれは遠いところからお疲れ様でございます。この町には教会がありませんからね。どうぞ、こちらへ」

「ありがとうございます」


 女将は慣れた様子で二階の部屋へ二人を案内する。その道すがら、にこりと人好きのする笑みを浮かべて思い出したように口を開いた。


「実はうちの娘もソルノディオの教会で働いているんですよ。とは言っても下働きだから神父様は知らないだろうけど」

「そうなのですか?アグニスト様の御導きですね。娘さんと女将さんに神のご加護がありますように」

「神父様に祈ってもらえるなんて良いことありそうだわ。はい、神父様。こちらとあちらの部屋をお使いください」


 女将は何気なく話しているが、その話の内容に雪乃はドキリとした。分かっていて来たのだから当然なのだが、この宿はイリアの実家である。だからその娘とやらは当然ながら知っている人物だ。


「一部屋ずつ使ってよろしいのですか?」

「はい。この通りお客様は神父たちだけですから」

「そうなのですか?立派な宿に見えますが……」


 この小さな町には不釣合いなくらい立派な宿だ。おそらく数十人は泊まれるだろうと簡単に推察できるだけの部屋数がある。しかし、宿に人が集まり始める時間だと言うのに人の気配は一切無い。女将が言うように宿泊客は雪乃とニーグの二人だけなのだろう。


「実はうちは温泉が名物だったんですけど、だんだん涌き出る湯が減ってしまって。温泉が無くなったら客足もすっかり減って、今じゃ隣町の温泉宿屋にお客を取られっぱなしなんですよ。昔の宿の前にいっぱいお店が出て、それなりの温泉街だったんですけどねぇ」

「それは何と言うか……」

「まぁ、仕方のない話ですから。それに今にうちの旦那が原因を見つけてくれますよ」


 女将の声の調子は明るいが、この閑古鳥が鳴いている様子を見ると掛ける言葉を失う。思わず言葉を濁してしまうと、女将は明るく笑った。


「そうですね。きっと神のお導きがございます」

「はい。ありがとうございます。神父様たちのお食事はこちらでご用意させていただいてもよろしいのですか?」

「はい。お願い致します。しばらくユーノと部屋で旅の打ち合わせしておりますので」

「分かりました。時間は七時になると思います。では、準備ができたらお声をお掛けしますね。こちらにお茶をご用意しておきましたので、どうぞごゆっくり」


 そう言って女将は一通りの部屋の説明を終えると部屋を出て行った。


「――どうやらここがそのイリアの実家で間違い無さそうですね?」

「うん。聞いてた通り、宿は上手くいっていないみたいだね」

「それで、こちらに来てどうするおつもりなのですか?」

「とりあえず温泉を何とかできないかと思うの」


 部屋に二人だけになると、ニーグは雪乃を見て首を傾げた。そんなニーグに雪乃はここに来て考えていたことを明かす。


「温泉をですか?」

「そう。正直私には宿の経営とかはどうにもできないし、何とかできそうなのは温泉だけだもの。とは言っても、やれることがないか見てみるだけなんだけど……」

「成る程。了解致しました」

「とりあえず温泉の様子を見てくる。体を拭く水かお湯を貰いに来たって言えば大丈夫だろうし」


 そう言うと、雪乃はさっさと客室を出て温泉がある場所を探した。どうやらお客がいない温泉宿に従業員はいないらしく、女将以外の人物は今の所出会っていない。イリアの話を総合して考えてみても、やはり人を雇う余裕は無いのだろう。

 すこし探すと温泉と書かれている案内板がすぐに見つかった。一階の階段を下りてすぐの場所に温泉と書かれた扉がある。


「――すみません。……と、誰もいないみたい」


 声を掛けながら扉を開けたが、そこに誰の姿もない。脱衣場があり、その向こうに浴室があるようだ。雪乃はそのまま浴室へと足を進めると、ちょろちょろと水が落ちる音がする。その音の方向へ視線を遣れば、本来はそこから潤沢な温泉が出ていたのであろう場所から僅かな雫が流れていた。

 

「温泉は少しだけ出ているみたい。枯れたわけではないのかな……――恵みの水よ、母なる水よ。何処から至りしものか我に教えよ」


 その雫を手のひらに乗せて、頭に浮かぶ言葉を紡ぐ。一つ一つの言葉に力が篭り、そして力が働いた。ふんわりと雪乃の前髪が揺れた頃、がらがらと音を立てて浴室の扉が開く。


「――ユーノ様?」

「女将さん、すみません!体を清める水をいただきたくて。こちらに浴室があると書かれていたので……」

「ああ。そうでしたか。本当ならゆっくり浸かれるだけ温泉が湧いているんだけど、今はあいにく全然無いんですよ。でも、変わりに井戸水を用意しますからどうぞ使ってくださいね」

「ありがとうございます。有り難く使わせていただきますね」


 入って来た女将に用意していた言い訳を言いながら謝ると、女将は納得したように頷いてにっこりと笑った。


「夕食はもう少しだから、ゆっくり休んでくださいね。田舎で何もないけど、巡回の神父さんたちが来てくれてうちの旦那が帰って来たら喜ぶに違いありません」

「旦那さんはどこかにお出かけですか?」

「温泉が出なくなった理由を探して走り回ってるんですよ。暗くなるまで帰ってきやしないんだから、そのあたりの子どもと変わりやしません。それに、もうじきこの宿も畳むんです。いつまでも娘に頼ってるわけにもいきませんからね。町に行けば何か仕事があるでしょうし」

「そうなんですか……」

「まぁ、何とかなりますよ。命があればそれだけで十分なんですから」


 そう言って微笑んだ女将の笑顔はどこか切ない。宿を畳たくて畳むわけではないのだろう。そこには諦めの色が強かった。


「そういえば、この温泉ってこの近くで沸いているんですか?」

「ええ。この宿の裏手です。遊歩道もありますから、よかったらお散歩されてみたらいかがですか?」

「そうなんですか。ありがとうございます。少し散歩して来ますね」

「はい。どうぞ、行ってらっしゃいませ」


 すぐに雪乃はニーグを伴って温泉宿の裏手にある源泉の場所までやって来た。女将が言っていた通り、宿の裏手の山を少し歩いた場所にある。散歩にはちょうど良いくらいの場所だ。


「――見たところ、この源泉にはおかしなところはありませんね」


 ニーグは少しの間その源泉を観察して不思議そうに首傾げた。それもそのはず、源泉が湧き出る泉には滾滾と温泉が沸いている。宿の浴室ではちっともお湯が満ちる様子もなかったのにだ。


「うん……待って」

「ユキノ様?」

「あった。これは……魔術なんだと思う」

「魔術ですって?」

「ここを良く見てください」


 そう言って雪乃は泉の底に沈む一つの石を示す。湯煙で見難いが、底には綺麗な緑色の手のひらほどの大きさの石が沈んでいた。


「えっと……綺麗な石ですね?」

「そう。これが転送の印になっているんだと思う」

「まさか」


 さっと青ざめたような表情でニーグは口を噤んだ。


「この近くの別の町にお湯が転送されてる。だから、いくら原因を探しも分からないんだ。これなら視える目を持って、魔術に詳しくなければ分からないから」


 この世界には魔術がある。だが、それは万人に扱えるようなものではなく、特別な力なのである。周到な準備をして、万全の用意で望むのが魔術。そのせいもあって、魔術は大変高価であり、おいそれと誰もが頼めるようなものではない。

 つまり、これが誰かの偶然が悪戯心でなされたものではないという何よりの証拠なのである。


「そう言えば、女将さんが近くの温泉宿屋にお客を取られてるって言ってましたけど」

「それがこの温泉を引いてるのかは分からないけど、どこかに転送されてるのは事実ね」

「ユキノ様……!?」


 雪乃が湯煙漂う源泉に手を伸ばせば、ニーグが悲鳴のような声を上げて雪乃を見た。そのニーグに問題ないと首を振って、魔術が用いられた石を手のひらに乗せた。


「私は大丈夫。――神の恵みよ。涌き出し恵みよ。有るべき姿に戻れ」

「戻されたのですか?」

「それが有るべき姿ならね」


 そう呟くと石を温泉の中に戻した。すでに力を失い、ただの石同然の価値しかないものである。それにこの石が置いてあれば自然に魔術が切れたと思うかもしれない。


「……ユキノ様のお力は危険です。世界には救いを求めるものが数多におります。しかし、失礼ながらお見受けするところ、ユキノ様がお力を奮われるのは僅かでございます」

「確かに私は目の前の人にしか手を差し伸べられない。それは私の力不足。でも、だからこそ手を差し伸べられるところには手を出したいの。それが私の出来ることだから。それに女将さんに淹れてもらったお茶が美味しかったから。お茶の分の働きには十分じゃない?」


 部屋を案内してくれたときに何気なく淹れてくれたお茶であったのだが、優しい甘さのする、爽やかな花の香りのお茶だった。それは一人一人をきちんと想って淹れてくれたのであろう。雪乃にとってもとても美味しいお茶であった。

 

「それが例え迫害されるような者でも同じように仰られるのですか?」

「もちろん。人はみんな平等でしょう。それがアグニスト教の教義でもあるはずじゃないの?その証しにニーグもその服を着ているんじゃないの?」


 ニーグの問いに雪乃は何気ない調子で答えた。アグニスト教の教義は人は皆平等であれを第一としている。だからこそ神官たちは民族や出身、その容姿など全てものを白で覆い隠す。神官の位で階級のようなものこそありはすれども、着ているものは基本的にみんな一緒の頭までをすっぽり隠す貫頭衣のようなものを着ているのだ。


「……」

「ニーグ?」

「……いいえ。何でもございません。ユキノ様にお仕え出来る幸せをアグニスト様に感謝しておりました」


 そう言ってニーグは何も無かったかのようににっこりと笑った。

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