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「村長が言っていた井戸となるとこれのことですね」


 古ぼけた井戸の目の前まで歩いてきて、ニーグと雪乃はその井戸をじっくりと観察した。見た目は古い井戸そのもので、滑車やロープなどもかなり痛んではいるが、触ってみるとまだ正常に動きそうなことが分かる。石を重ねて作られ、その上に屋根が作られたごくありふれた形の井戸だ。古いということ以外に特に変わったところは見受けられない。


「水が無い以外には特に変わったところはないみたいだね。村長が言ってた音って何だったんだろう?」

「見たところ滑車も桶も壊れてはいなそうです」

「そうだね……」


 二人で井戸を見ながら考えてみるが、さっぱり答えは分からない。眉を顰めながらうーんと悩みつつ、雪乃は周囲に視線を這わす。

 周囲には古い家とからからに渇いた土の畑。道には砂利が目立ち、草の一本も見受けられない。それらを見ていると、ふいにあるものが目に留まった。


「――あれは、祠かな」

「祠?そうかもしれませんね。小屋にしては小さいですし……」

「ちょっと見てみよう」

「はい」


 二人は視線の先にあった道の外れにひっそりとある小さな小屋のようなものに近付く。ちょうど雪乃の腰ほどの高さの大きさで、何かを収納するための小屋というには小さく、場所も外れている。


「――見て」

「石?いや、これは……前に見た魔術の石に似てるような……」


 雪乃はニーグに祠の中を見るように促す。祠の中には両手で抱えられるほどの大きさの青みがかった石が見える。石の表面には大きな亀裂が入っていた。


「そう。随分昔のものだけど、これは魔術の術具だよ。多分、これでこの土地に水を与えていたんだ」

「ということは――」

「この土地は水が枯れたんじゃない。元の状態に戻ったんだと思う」


 それは口に出すには辛い真実だった。雪乃が固い口調で告げれば、ニーグは唇を噛み締めて顔を両手で覆った。


「そんな……。でも、記録では、この土地は水不足に陥ったことなんてありませんでしたよ」

「記録ではそうなんだろうね。記録にあるよりずっと前にこの土地に水を与えた人が居たんじゃないかな。昔はもっと魔術を使える人もいて、その力も大きかったらしいから。だけど、石の力が無くなってそれと同時に水も無くなった。多分井戸から音がしたっていうのは、祠の石が割れる音だったんじゃないかな。ほら、ここに亀裂が入ってるでしょう?」


 魔術が一部の人のものになってしまった今では考えられないが、今より昔はもっと魔術を扱える人がいた。ほんのまじない程度の人から天候を操ってしまえる人まで、その技量は様々だったのである。今では物語のように本当かどうか分からない話の一つであるが、それは確かに真実だった。そしていつしか人は魔術を恐れ、その技術の大半を失ってしまったのである。

 祠の中の石を指しながら話をすると、ニーグはこの村の行く末を想像して顔を青く染めた。


「それでは……この村は……」

「……待って」


 ふいに亀裂に指先を触れて、雪乃は動きを止める。そしてその時、後ろからしわがれた声の老婆が声を掛けた。


「――おやおや。神官様方。水神様にお参りしてくださったのですか?」

「こちらは水神様であらせられるのですか?」

「ええ。村ができる頃にはこの土地にいらしたと伝わっています。水神様のおかげで今まで村は豊富な水に恵まれてきたんですよ」


 ニーグが聞き返せば、すっかり腰の曲がった高齢の婦人はにっこりと微笑んで頷いた。


「そうだったんですか。おばあさんはいつもこちらに?」

「ええ。毎日の日課です。私が子どもの頃に私のばあさんから毎日心を込めてお参りするように言われていましたから。でも、この水不足には水神様の力も及ばないほどなんでしょうかね」


 悲しげに微笑むと毎日の一連の流れなのだろう、石に向かって拝んでから婦人はゆっくりと杖をついて歩いて行った。


「心苦しいですが、私達にはどうしようもないと伝えるしかないんでしょうか」

「待って。もしかしたら上手く行くかもしれない」

「何か方法がおありなのですか?」


 含みを持たせて言う雪乃にニーグは期待に満ちた目で興味深そうに尋ねる。


「さっきのおばあさん、この石のこと『水神様』って言ったでしょう?」

「はい。でも、それが何か?」

「長い年月を大事に奉られてきたものはそれ自体が神、もしくはそれに近い存在になりえる。多分、この水神様はすでに付喪神になってるんだと思う」

「石が……ですか?」


 信じられないように言葉を返すニーグであるが、雪乃の言葉に嘘は無い。ゆっくり首を振ると、ニーグに向かって話し始める。


「何も可笑しいことなんてないよ。アグニスト様だって光からお生まれになった方だし、私の前の同僚には手鏡に櫛、それから筆だったなんて方もいたんだよ。それに確かにこの村は生活に困ってるけど、飲み水はギリギリ足りてるみたい。それは、この水神様が最後の力を振り絞ってくれてるからだよ。さっきのおばあさんの祈りを力にしてね」

「そうだったのですか……」


 そう言うとニーグは石に向かってアグニスト教流の拝礼を始める。


「……」

「ユキノ様?」

「私の力を少し分けてみようと思う。私も水の属性だから相性は良いはずだから」


 そう言って手を伸ばして指先を亀裂に触れさせる。ゆっくりなぞるようにそれを撫でると、確かに亀裂が入っていたはずの石の亀裂が消えていく。そしてあと半分というところまで亀裂が無くなったところで、慌てた様子のイリアが走り寄って来た。


「――ユキノ様!大変です!」

「イリア?」

「っ、先程の方の様子がおかしいんです!」


 息が荒いままのイリアにニーグが近付いて聞けば、イリアは緊迫感を滲ませて言う。


「様子がおかしい?」

「村の広場で杖を取り出して何か唱え始めたかと思ったら急に苦しみだしたんです。それで倒れたと思ったら、人が変わったように笑いだして。とにかく何だか変なんです」


 眉を寄せて聞き返せば、イリアは不安そうな顔で答えた。話に聞くだけで様子がおかしいことはすぐに分かる。雪乃も色々なことを頭の中で考えながらそれを聞いていた。


「分かった」

「ユキノ様!危険です!」


 すぐに頷いた雪乃に横からニーグが慌てたように制止の声を上げた。


「ニーグ、私は大丈夫。それよりも自分達の心配をして。杖を使って何かを唱えたっていうのが気になる。力の暴走じゃないと良いんだけど……。とにかく行ってみよう」


 そして三人はイリアの案内で広場へと足を向けた。

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