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「ここがリスト……。随分水不足が酷いみたい。草も生えてないし、木も元気がない……」
ニーグに連れられて訪れたリストで側に控えていたイリアが呆然と言葉を呟いた。土は乾いてひび割れ、草は枯れているか元気がない。木々も緑々しい葉が茂る時期であるはずなのにその葉は少なく、見るからに水を求めていると分かる。
「調査によると、もう一月ほどまともな雨は降っていないようです」
「酷いね」
ニーグが報告書を片手に言うと、雪乃は小さく呟いた。
「まずは村長のところへ挨拶に行きましょう」
「うん。早く行こう」
ニーグに頷くと三人は言葉を発することもなく、黙って村長の元へと向かった。
村長の家に着くと、そこにはすでに先客があったようで雪乃たちが着いた時にちょうど家から出てくるところだった。その人は全身を特徴的な濃い青のローブで包み、大きな青い石の付いた杖をついている。
「――これはこれは!アグニスト教会の神官殿ではないですか」
青いローブの青年はニーグを見るなり大げさな身振りで側へと駆け寄った。その顔に笑みを浮かべてはいるが、その瞳は決して笑ってはいない。そしてニーグに向かって話しかけつつ、視線は後ろにいる女性陣へと向いている。
「これはどうも。私はアグニスト教のニーグと申します。青の教団の方ですね。あなたもリストの異変を調査しにいらしたのですか?」
「ご挨拶が遅れました。私は青の教団の司祭、エイベルと申します。ええ。私どもにかかれば簡単でしょうな」
ニーグはにこりと業務的な笑みを浮かべて対峙すると、雪乃やイリアを視線から隠すように一歩前に出て背中に隠す。エイベルはそれに気を悪くしたような素振りもせずおおらかに笑って見せた。
青の教団。それはこの世界に存在する宗教の一つである。一番信仰する者が多いのがアグニスト教であるが、アグニストは力が強く、本性が光という性質もあって人間の前に姿を現すのは難しい。見えないものを信じることができないのも無理はなく、この世界にはアグニスト教以外の宗教もいくつか存在していた。エイベルはそんな宗教の一つ、青の教団の司祭だった。
「青の教団ではエイベル殿以外にも調査にいらしているのですか?」
「いえ、私だけです。しかし、私には頼れる者がいるのですよ」
エイベルの後ろには誰もおらず、一人きりであるようなのにその口調は一人ではないかのような調子だ。不思議に思ってニーグが聞けば、エイベルは首を振って見せびらかすように杖をついた。大きな青い石が特徴的な杖である。
「そうですか」
「ええ。それでは、私はこれで。アグニスト神がどうなされるのが期待していますね」
首を傾げるニーグにエイベルは自信ありげに微笑んで、その場を去って行った。そして完全に姿が見えなくなったところで、雪乃は顔を顰めて二人に向かって今見えたものを報告する。
「――あの杖、精霊が封じられてた」
雪乃の目には二人とは違うものが見えていた。
エイベルの杖についていた大きな青い石。一見すると宝石のようでとても綺麗な石だ。しかし、その中には小さな精霊が膝を抱えて丸くなっていたのである。その表情は苦痛に満ちて、いかに不服とする状況であるのかを虚実に示していた。
「精霊って、あの精霊ですか?」
「うん。若い水の精霊だったと思う。平等な契約なんかじゃなく、石に封じてその力だけを奪う嫌なやり方だよ」
イリアの問いに頷いて、雪乃は唇を噛んだ。
物語の中の登場人物であると思われがちの精霊であるが、ちゃんと実在する。その存在が生き物ではないので、目に見える人と見えない人がいるだけなのだ。精霊は基本的に人が好きで、見える人と友好的な関係を築いている場合が多い。
しかし、悲しいことにそうでない場合もあるのだ。それが今のエイベルの杖の精霊である。人が好きで近寄ってきた精霊を強い力を持つ石や術具に封じて、その力だけを一方的に搾取する。それは一方的なものであるために精霊はただ衰弱し、そして最後は消えてしまう。
「助けてあげましょう」
「助けてあげるって、ニーグ様は方法をご存知なのですか?」
暗い顔をする雪乃を見て、ニーグは戸惑うことなく頷いた。しかし、それに対してイリアが訝しげに聞き返す。
「……それは何とかします」
「私ができると思う。でも、それをするとあの人にも気付かれてしまうかもしれない。……だから、タイミングが大事になると思う」
恐らく雪乃が考えている方法でできるはずだ。しかし、それを行うことは精霊を石から解放することに他ならないので気付かれないはずがない。あれだけ自信ありげにしているということは、まだ精霊から力を引き出せると知っているに違いないからだ。
「分かりました。それでは、私はお二人が村長と会っている間にあの男を追ってきます。居場所が分からないと困りますから」
「イリア、ありがとう。お願いするね。でも、無理はしないで」
「お任せください。いざとなれば色仕掛けで何とかしますから」
イリアはそう言ってくすりと笑うと、エイベルが歩いて行った方へ足早に消えた。二人はイリアの背中を見送って、村長の家へと足を進めた。
「ようこそおいでくださいました。私はリスト村の村長のアンガスと申します」
二人を出迎えたのは壮年の男性だった。しかし、年相応というよりはすっかりやつれて老けているような印象を受ける。それもこの村の状況を考えれば無理もないものであるだろう。
「私はアグニスト教会のニーグ、こちらは私のユーノと申します。早速ですが、村の状況をお聞きしてもよろしいですか?」
「はい。ご存知の通り、村は水不足に陥っております。もう一月も雨が降らず、こんなことは記録がある限り初めてのことであるそうです」
「そうですか」
ニーグは村長と顔を合わせるなり、早速話を聞き出した。村長が困った顔を浮かべつつ、言葉を紡ぐのをメモを取りながら聞いている。
「あの、最近何か変わったことなどありませんでしたか?どんな小さなことでも構わないのですが。なんか変わった音を聞いたとか」
話が終わりかけたところで雪乃が村長に聞く。村長は雪乃の質問に不思議そうな顔をしつつも、顎ひげを撫でながら少し考えている。
「小さなこと……。そういえば、村の者が井戸を使おうとしたら何かが割れるような音を聞いたとか」
「井戸ですか」
「はい。でも、滑車か何かが壊れたのかと思いきや、そんなことは無かったそうで。何か参考になりましたか?」
「はい。ありがとうございます」
雪乃がにっこりと笑って頷くと、村長は安心したように息を吐いた。
「それでは、私達も村の様子を調査させていただいてもよろしいですか?」
「はい。どうか、お願い致します」
ニーグが書き留めたメモをまとめて立ち上がると、村長は深々と頭を下げて悲痛な声を上げた。おそらくこの水不足はほとんど限界に近い。その証拠のように、すでに他の土地へ移って行ったのか村には若い人間の姿は見えなかった。土地を守るために老人ばかりが残っているのだろう。
「それでは、我々はこれで」
ニーグは村長の言葉に希望の言葉を返さない。下手に希望を持たせることはできないのだ。人間にできることは限られているのだから。




