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「本日より女神様の身の回りのお世話をさせていただくことになりました――」


 目の前には見慣れた白の神官服を着た女性が一人。階級で色分けされている刺繍の色を見る限り、一番下の位にいる神官のようだ。彼女はすっぽりと被ったフードの中でニーグに紹介されて挨拶をしている。その声はどこか聞き覚えがあって、気になって顔を見てみれば――。


「イリアさん!?え?何で、えっ?」

「お久しぶりです。実は下働きの仕事を辞めてから、下級神官の試験を受けたんです。その時に神官長の目に留めていただいて」

「イリアはユキノ様のことも知っておりますし、周りに神殿関係者もいないため近くに置くのに良いだろうということになったんです」


 そのフードの中に居た美人に見覚えがある。いや、ありすぎた。その人は雪乃が神殿で暮らすようになって、親しくなった一人であるイリアに他ならなかった。驚く雪乃に対して、イリアはにこにこと嬉しそうに笑う。そんな二人を控えて見ていたニーグが補足するように説明をした。


「なるほど」

「というわけで、これからよろしくお願い致します」

「はい。イリアさんとまた会えて嬉しいです。こちらこそよろしくお願いしますね」


 同じ町に住んでるとは言え、もう以前のように気軽に会えることはないと思っていた。イリアは神殿の下働きを辞めてしまったし、雪乃もそう気軽に外に出ることはできない。だからイリアがこうして再び会えることが嬉しかった。


「それにしても聞いたところによると、今までニーグ様がユキノ様の身の回りのお世話を一手にやられておられたって本当ですか?」

「え?はい」

「なんてこと!これからは私がしっかりと身の回りのお世話を務めさせていただきますので、ご安心くださいね。男性には手が行き届かないところがたくさんありますから」

「えっと、ありがとうございます。お手柔らかにお願いしますね?」

「はい!お任せ下さい!」


 そう言ってイリアは先ほどとは違う笑みを浮かべた。


「とりあえずは、ユキノ様の御髪ですね。結われたりはなされないのですか?」

「結うのは上手くできなくて」


 動きやすいように一つに纏めたりはできるが、それ以上のこととなると雪乃にはお手上げだった。神使として仕えていた時もそういった身の回りの世話は他の者の担当だったし、人間として生きていた頃も器用に髪の毛をいじったり出来た記憶がない。困った顔を浮かべつつ、素直に言えばイリアは再びにっこりと笑う。


「ユキノ様の御髪はまっすぐなのでそのままでも綺麗ですが、結われたりなさっても素敵だと思いますよ。よろしければ、私に任せていただけませんか?」

「それなら……お願いします」

「かしこまりました。それと、私に敬語は必要ありません。今日より私の主はユキノ様です。ニーグ様にも使っていらっしゃらないでしょう?」

「う、うん。分かった。ありがとう」


 そう言われてみれば、ニーグには使わない敬語をイリアに使うのは変かもしれない。そう思ってこくりと頷く。


「いえ。それでは、御髪を失礼致しますね。――ニーグ様、いつまで見ているのですか?女性の支度を見る趣味でもおありですか?」

「いや!それでは、私は外に控えておりますので!」


 ばたばたと慌てて側を離れたニーグを見て、二人で顔を見合わせて笑った。


「ニーグ様もユキノ様の前では普通の男性のようですね」

「そうですか?」


 イリアが雪乃の髪を梳きながら言う。その言葉に心の中で首を傾げながら聞き返せば、イリアは鏡越しに頷いた。


「はい。下働きをしていた頃にも何度かお見かけしたことがあったんです。ほとんど笑わないし、口調も固くて、冷たいイメージだったんですよね。でも、ユキノ様には気安いというか、優しげというか……」

「そう見えるなら嬉しい。ニーグが私に少しでも心を開いてくれているのかもしれないから」

「そうかもしれませんね。――はい。できました。今日は簡単に編んで結わせていただきましたが、どうでしょう?」


 ぱっと顔を上げて見れば、ざっくりと三つ編みをしてまとめた髪が目に入った。自分一人ではなかなかできない髪型に顔が綻ぶ。


「わぁ!かわいい!ありがとう!」

「喜んでいただけて嬉しいです。明日からはもう少し道具も揃えておきますから、手の込んだ髪型もできますよ」

「楽しみにしてるね。でも、あまりお手を煩わせるようなら簡単なもので十分だから」

「はい。時間をかけずにできるように練習しておきます。それでは、ニーグ様をお呼びしてきますね」

「うん。お願い」


 イリアがその場を離れた後も何となく鏡を使って髪形を眺めてしまう。こうやってかわいいや綺麗と感じるのは、やはり自分が女性であるということなのだろう。


「失礼致します」

「うん、どうぞ」


 その声を合図に鏡を置いて、入って来たニーグを見る。ニーグは一瞬だけ目を見開いて、目尻を下げた。


「ユキノ様、とても良くお似合いです。今まで私のお世話が行き届きませんでしたこと、大変申し訳ありませんでした」

「えっ、ううん。そんなことないよ。気にしないで」

「そういうわけには……。しかし、これからまた一層しっかりとお仕えさせていただきますので、どうかよろしくお願い致します」

「うん。よろしく。まぁ、気を楽にしてね。今でも十分すぎるくらい良くしてくれているから」


 そう言って鏡台の前から立ち上がると、水鏡の前まで歩く。いつものようにその中に杖を差し入れた。そしてぐるりと円を描けば、水面は瞬く間に映すものを変えた。


「……すごい……!」

「これが私の持つ力の一つ。ここではない場所を映すことができるの」


 その映し出すものを見ながら驚くイリアに説明する。

 水鏡の中にはソルノディオではない町の景色が映っていた。ソルノディオは石造りの白と灰色を貴重とした町だが、その街並みは木で作られた民家が畑が広がっている。少なくとも、ソルノディオの外であるらしい。

 ここに来てすぐの頃にはソルノディオの街並みを映すのがせいぜいだったというのに、だいぶ力が付いてきたらしく町の外まで映せるようになったようだ。


「井戸ですね」

「でも、涸れてるみたい。使っている形跡はないし、地面もひび割れてる」

「――リストです」


 水鏡の中を見てイリアと話していると、ニーグが固い声で言った。


「リスト?」

「ユキノ様。どうか、お力を貸してはいただけませんか?」


 雪乃が聞き返せば、ニーグは真剣な顔で膝を付いた。それはニーグから――人からの救いを求める声だった。

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