第3話 少女と役人
「はぁ…」
夜会が終わったその翌日。私室の窓に肘かけて大きな溜息をひとつ。いつもと変わらない風景を眺めながらまたしても溜息をひとつ。そんな少女に侍女であるベネジッタは心配そうに見つめながらもあえて接しない。それが彼女にとっていいことだと経験上理解しているからだ。しかし今まで見たきた中で予想以上のたそがれ具合に流石に心配になって遂に声をかけた。
「ねぇティナ?昨夜、なにかあったの…?」
そんな侍女の言葉にぴくっと肩を揺らしては振り向く。
「ベネジッタ…私、やっぱりまだ外に出るべきじゃなかったのかもしれない…」
予想もしない言葉に思わず目を瞬かせてしまったベネジッタにティナは深刻そうな顔で言う。
「私、この国は好きよ?でも、私をまるで珍獣かのように見てくる人はまだいる…。ううん、私がいる限りそれは…」
「ティアーナ!!」
「は、はい!」
少女の言葉に痺れを切らしてかベネジッタは大声を出して言葉を遮る。急な侍女の大声に返事をしつつ次には両頬ををつねられ言葉を発せなくさせられる。もうなにも聞かないでも分かってしまう。彼女がもつ稀に見る赤毛のことについてしかない。
幼少頃から綺麗だと両親に褒められていた少女の髪は同時に、周りから見れば奇怪とも言われた髪色でもあった。ふさぐ前に少女の耳に入ってしまった時には一時赤いものは目に入れたくないという事を言っていたくらいだった。そんな少女の傍で仕えていたベネジッタにはティナの気持ちが痛いほど分かる。だからこそ彼女にこれ以上悲しい想いをさせたくないと思い、幼少頃から傍で見守っていたのだ。
「そんな事言っていいと誰が言ったの!貴女はこの国一恵まれ者よ!!それは今もそう!貴女を置いて私達がどこかへ行くと思う?思わないで!!」
「ご…、ごめ」
「謝らなくていいから!」
そう言い放った侍女に抱きしめられティナは少し慌てた。かすかに彼女の体が震えていることに。
(あぁ…、そうだ。私は…)
私は可哀相な子なんかじゃない。この国の――。
次に思い出したことをひとつ。
「真名を呼ばれたのって、久しぶりだなぁ」
「…もう、貴女は変なところばかり気がつくんだから」
少し鼻声な侍女に言われつつ、軽く笑い飛ばした。
*
「騎士さま?」
「騎士というより、お役人さんなの。警備でもしてたのかな?」
昨夜の出来事を洗いざらいティナにはいてもらってからベネジッタは尋ねた。昨夜の夜会、ある男との話を聞いてはベネジッタはどこか嬉しくなった。今まで、昔のある事件―王座から引きずり下ろされたティナたちマルガレッタ一族は隠れるように、生活は苦しいが、ただ小さな幸せをかみしめる様にひと時を送っていた。
しかしその中でティナの異性交流は恐ろしいほど低い。親しいといえば亡き父親と騎士ウィルぐらいというほどに見知らぬ男性とは言葉のコミュニケーションをとるのも怪しいほどだ。そんな少女が一人の異性と言葉を交わしたのかと思うと心が温かくなる。しかし目の前の少女は膨れっ面になってベネジッタを見つめる。
「…今、『貴女も成長したのねぇ…』なんて思ってたでしょ」
「え、なんで分かったの?」
「…わっ、私だってもう16です!大人です!身内以外と喋れなくてどうするの!!」
「ご、ごめんなさい」
謝ってはいるが少女が可愛らしい反応をしているのでどうしても笑っていると尚のことティナの眉根が寄る。
「まあでも、昨夜も似たようなものだろう。ティナ」
「ウィー!!」
ある声の出現にティナは声を荒げた。振り返るとティナの騎士を務めているウィルがそこにいた。そんな彼にベネジッタは注意する。
「駄目よ、ウィル。女性の部屋にノックもせずに。ティナが着替えていてもしたらどうするの」
「安心しろ、俺は年上が好みだから」
「ウィー、即刻立ち退きなさい!!」
苦笑気味返しのウィルにティナはどこかイラついて彼に命令する。そんな命令の続きも次にウィルの言葉で途絶える。
「お客だよ、ティナ」
「……っ」
「こんにちは」
ドアを開けばそこにはお堅い軍服を着た青年・ガヴェルが目の前にいた。これは夢かと思い軽く自分の頬をつねてみたが現実であった。つねった部分が痛い。そんなティナの様子を見ていた青年はしばらくして小さく笑った。
「!?」
「あぁ、いやすまない。君があまりに不思議なことをしていたものだから」
「不思議…」
不思議なものと分類されてティナは心のどこか疑問だらけになった。そんな彼女に青年は口を開く。
「昨夜はすまなかった。あまり楽しまれなかっただろう」
そんな話題の振りにティナは今度こそ驚いた。慌てて両手を振り訂正する。
「いいえ!私が場違いなのはよく分かっていたつもりでしたし……、あんまり公の場に出てはいけないという事も分かってはいたんですけど……」
「“貴族からの招待なら無暗に断れない”、と」
「……はい」
大分間があってから返事をした少女は俯きがちになった。やはり、少女は貴族というものに不慣れなのだろうか。そう思ったときには口が勝手に喋っていた。
「なら、今からどうだろうか?」
「え?」
時刻は昼をすぎた街がまた活気づく時間帯。ひと休憩を終えた人が続々と店の準備を再開していく。そんな市場通りから横道それた岩階段をのぼる。以前とは違い、青年に手を添えられ階段をのぼりきるのを手伝ってもらうとティナの心はどこか浮かれていた。いつもなら気にしない動き易いシャツとロングスカートの格好もおかしくないかと確認しては胸元のリボンをかるくいじってしまう。
自分はどこか浮ついているのだろうか。この状況を喜んでいるのだろうか。そう思ってしまうと自然と頬が紅潮していく気がした。そう考えていれば次には見慣れた花畑の一面が視界いっぱいに広がる。
「いつ見ても綺麗…」
ほんの少し見惚れていると次にはガヴェルが視界に入ってはっ、と思い出す。ティナが夜会を楽しめていなかったのを気にしてかここまで尋ねてきたのだ。相手に失礼のないようにしなければ。そう思った次にティナの口は動いてしまう。
「そういえば、ガヴェル様はダンスなどなされてたのですか?」
そんなティナの言葉に目の前のガヴェルはきょとんとした。失言だと気づいた時には彼は口元に手を添えていた。またしてもやってしまったと内心慌ててしまった真っ青顔のティナだったが、次には小さな笑いがこぼれた。
「君は……騎士や軍人は皆体力馬鹿とでも思っているのか?」
「いやそんなっ、滅相もないです!!」
おもいきり首を横に振るとますます彼は笑いをこぼす。一体どこに笑う要素があるのかと首をかしげる前にはガヴェルに手をとられていた。自然のように腰に手を添えられダンスを促されるような形になってティナも慌てて彼の背に腕を回す。
「私は…、家系が家系だったから今の私がいる。それだけだ」
そんな彼の言葉が少し理解できずにいると夢のような時間が始まった。
◇
とある青年。今では珍しく軍服をきっちりと着こなしている人物は主人の名を尋ねてここまで来た。最初はよからぬ事が起きてしまうのかと心配していたが、そんな事は関係ないように昨夜の事に関して話をしたいとのことだった。しかしひとりの役人が町娘ひとりにここまで親身になるのだろうかと少し疑いをもった。
“こいつ等”は王に忠誠を誓う“犬”だ。その大公からの命令があれば娘ひとりなぞにも容赦はない。そして自分達の主人は国に関わるほどの重要人物だと知られたら、それこそ現大公は黙っていないだろう。真っ先に消しにくる。だからこうして隠れ暮らしているようなものでもあった。
「ガヴェル様、ねぇ…」
「どうしたのウィル」
階段で身を潜めて先ほどまでの2人のやりとりを見ていた騎士ウィルに、侍女のベネジッタは尋ねる。
「姫様も大分成長したもんだなぁ、と思って」
「あぁ、ティナも16だもの。もう大人の仲間入りよ」
「そっか…早いなぁ」
しみじみ観照に浸っているとベネジッタが口を開いた。
「ねぇ、ウィル?」
「ん?」
「私、あの騎士様どこかで見かけた気がするのよね…」
「そりゃ、警察組織なら事件が起きていないか街の様子見もしている。どこかで会ったか見かけたんだろう」
「違うの。そうじゃなくて、もっと前…、もっとティナが幼い頃……」
言葉の続く前にウィルは咄嗟にベネジッタの口を片手で押さえていた。
「…っ!?」
「ベネジッタ…、それは思い出してはいけない記憶かもしれない」
彼女の瞳が大きく見開かれたのを見てか、ウィルはひとつの疑問に囚われた。ティナがまだ幼かった頃。なんでもない日常のなか、急に訪れた非日常。当時国を治めていた、我等が忠誠を誓っていた家系マルガレッタはひとつの家系によって崩壊された。
そして事件後、その犯行は当時の王を共に支えあってきたアドバイン家と判明したのだ。犯行を促したのはもちろんその長、スフィロス・アドバイン。権勢の欲望に駆られたスフィロスは欲するがまま、邪魔なマルガレッタ一族を根絶やしにするという恐ろしいことを企てたのだ。
女子供も容赦しない。そんな事件から約12年が経った。そして生き残った当時の王女になるはずだった少女、ティアーナ・フォン・マルガレッタ・ディアマータはただの“ティナ”という街娘となり、今を生きていた。
これは絶対に現大公スフィロスに知られてはいけないことだと分かっていつつも、城下で暮らすようになってから少女の興味がむくものに、少しでも願いを叶えてやりたいと思った騎士と侍女はしばしその危機感を忘れていたのかもしれなかった。考えこんでいると次にウィルの腕をたたくベネジッタに気づいて彼女から手を放す。
「あぁ、すまないベネジッタ」
「また昔のこと思い出してたの…?」
乱れた息を整えてウィルを見上げたベネジッタと視線が合って少しの間をおいてしまう。
「いや……、なんでもない。ティナに…、姫に役目を背負わせるのはいささか気が引けるだけだ。…汚れ仕事は、俺の専門だ」
そう言ったウィルは大きな傷跡が残る左目に手を添える。そんな彼の行動に胸の奥が締め付けられたベネジッタは何も言えなくなってしまった。
花がたくさん敷き詰められたこの空間で、ティナはひとときの夢を見ていた。しかし夢ではなく現実。実際に目の前には騎士のガヴェルがいて、こうして踊っているのだ。夢と認識する方が少し難しい。自然と見上げてしまう身長差になりつつも、踊ってくれているガヴェルに嬉しさがこみあげてくる。
次にティナのそんな視線に気がついたのか、ガヴェルはティナに視線を落としてゆっくりと足のステップを緩めて止めた。
「どうかしたか…?」
「あっ、いやなんでもないです!えと、踊ったの久々だったなぁと思い出して……」
「どれくらい?」
「え?ええと…幼い頃だったから記憶が曖昧ですけど…。4~5歳、までですかね、家がごたごたしてたのもありましたし……」
そう言ったティナにガヴェルは何かに察してはぺこりとひとつ頭を下げた。その行動を予知していなかったティナはおもいきり慌てた。
「えっ?え…、どうしたんですかガヴェル様っ!!私何か……っ」
「何か……、嫌なことを思い出させてはしまったのではないかと思ってな」
「嫌なこと……」
ふとなにかよぎった気がしたがティナは気にせず首を横にふった。
「いいえ、大丈夫ですよ。私これでも頑丈にできてますので!ちょっとやそっとじゃへこたれませんよ!!」
両腕を腰に当て軽く胸をはるティナに安心したのか、ガヴェルはもう一度ティナの手をとりそこへ口づけする。
「っ!?」
そんなガヴェルの行動にまたしても慌てたティナは思いきり手を引っ込めてしまう。予想もしないことをされて一瞬で頭の中が真っ白になったのだ。今なら首から頭のてっぺんまで真っ赤な自分が想像できる。いや、している。両手を組んであわあわと口が閉じないティナにガヴェルは気づいて言う。
「君は、何か大きな過去を背負っている様だがあまり無茶をしないほうがいい」
「無茶…、ですか?」
「会って数日だが、君はどこか危なっかしく見えてしまってしょうがない。花のように可憐なのに勇ましい一面が隠れていそうだ」
「勇ましいですか……」
はて、勇ましい部分など自分には皆目検討も……。あ、ベネジッタから普段注意されていることに繋がるのだろうかこれ。少し反省しなくては。そんなことを頭の片隅でぼんやりと考えていると目の前の騎士は言う。
「…そんな君に手を差し出してしまう私がいる。なぜだろうか」
「え、えと。私が元気すぎて危ないことに首をつっ込まないか心配ということでしょうか…?」
自分に言っておきながらどこか悲しいと思いつつもガヴェルに返すと、彼は少し考えてくすりと小さく笑う。
「なら、そうなのかもしれない」
あまりに素直な返答にあれ?と首をかしげたときには既に遅く、ガヴェルに優しく手をひかれる。
「すまない、遅めの昼休み最中だったんだがそろそろ時間だ。今日は付き合ってくれてありがとう」
「あっ、いえそんな!こちらこそ休み時間中にわざわざ来てくださってありがとうございますっ」
お仕事頑張って下さいね。そう言えば目の前の騎士は小さく頷いた。昼頃を過ぎた優しい風が吹く中、2人の周りの花畑はさわさわと音もなく揺れた。
*
「あら、お帰りなさいティナ」
「ただいまベネジッタ」
自宅へと戻ると侍女が変わらず迎えてくれる。しかしどこか“気”を感じてティナは数歩後ずさった。そんな少女の両肩を逃がすものかと侍女は固く捕まえる。
「どうだったのティナ!あの騎士さまは!!」
「えっ…、え!?ガヴェル様のこと!?」
「ははーん、名前は聞いたけどやはりどこか怪しいわねぇ。えぇ怪しい!ほらティナ白状なさい!!」
「何をっ!?」
ずいずいと詰め寄ってくるベネジッタに困惑しつつもティナは侍女の反応を伺う。もしかしなくても彼女は自分と彼の仲が気になっているという事なのだろうか。
「えぇっと…花畑で、そう!夜会のことについて話したりとか…っ!」
「あとは?」
「あとは彼に誘われて4拍子くらいの軽いダンスを短く……」
言い終わる前にベネジッタと視線があったと思ったら、目の前の彼女はどこか嬉しそうな顔でにやついていた。
「…どうしたのベネジッタ?」
「いいえー、なにもー?」
「?」
侍女の様子にとても不思議になるがいくら問い詰めても答えてくれなさそうな顔だ。楽しければよいが、絶対自分のことについてだろうから聞くには少し骨がおれそうだからあえてそのままにした。
(どうせまた『私の成長がどうのこうの』とか、考えてるんだろうな~…)
姫の心、侍女知らず、なんて変な事を考えてティナはひとつの溜息をおとした。