第17話*交差する思い
「お兄様に投与された薬に関して、何か知ってることがあればお聞かせ願いますでしょうか?」
静かに、しかし凛と張ったリジーの声に無言を貫いていたスフィロスはしばらくして口を開いた。
「薬だと?ガルディアは体調でも崩していたのか」
「誤魔化さないでください、『陛下』」
ガルディアに視線を移したスフィロスにリジーはまたも声を張る。
「お兄様自身に覚えがなくても陛下にならあるはずです。家紋が彫ってある瓶を執事長から受け取り、それを私とルーフィニアが確認済みなのです。自身が身に着けるものでも何でもない小瓶に――」
「それが何だというのだ」
「…っ?」
「それが私からの届けと知って、お前達は易々と使ったではないか?なにか?私がガルディアを苦しめようと考えて渡したのだと言うのか?」
「陛、」
「なんという親不孝者だッ!どいつもこいつも、私の考えなど微塵も知ろうとせずに――ッ!」
「父上、」
スフィロスが怒鳴り散らかす中で一つの声が制した。
リジーの後ろに控えていたガルディアが、いつの間にかリジーの背中を支えるように支え立っていた。
「確証のないことに批判するなど、『私がやった』と言ってるも同然です。父上には父上なりの考えがあったに違いない。そうですよね?」
「…あぁ、そうだ。流石ガルディアだ。私のことを分かってくれるのか?」
ガルディアを見上げたリジーの顔が、徐々に心配そうに陰ってことが見ずとも察したガルディアは、優しくリジーの肩に手を添える。それに気づいたリジーは少しだけ安心したのか小さく深呼吸をして目の前の父親に視線を戻す。またガルディアは続ける。
「はい…。でも貴方の考えは理解不能です。―過去も、こうして記憶が不安定な今も」
「私の行動を阻止しようとも、私の思考を操作しようなど、考えないでいただきたい」
知らずのうち、リジーへ添えた手に力が入る。
「お兄様…まさか、」
それに気づいたリジーがそっと顔をあげるとしぃ、と妹にだけ聞こえる声で唇に指をあてたガルディアが見つめた。それにリジーが続けようとした時、声が遮った。
「やはりお前は木偶以下の存在でしかないか」
冷気をまとったように体を凍らせる声色にリジーもナインツェもびくりとした。そんな発言をする者は目の前にいるスフィロス、ただ一人。ゆらり、と闇をまとった瞳をガルディアに向けると続ける。
「お前はこのアドバイン長兄でありどの兄妹よりも私に忠実だったのに、反抗することを覚えてから、私に尽くすどころか命令も聞かぬ愚息になった…。困った奴だ、私がこうして更生させてあげようと奮起してあげたというのに……、」
そしてスフィロスがまさに叫びあがりそうになった時だった。
外から騒がしい音でその場にいた全員が窓へと視線を移す。そこへ一人の衛兵が王座の間に転がり込んできた。
「陛下…ッ!謁見中失礼致します!外が、城門前までひとつの軍が攻め込んできています…ッ!!」
「なんだと…?」
その衛兵からの報告にガルディアはひとつだけ思い当たっていた。
「父上、自身が王座で怠けている間に、国の問題は増えていく一方。これがその結果です」
「待てガルディア!なら、お前が止めてみせろッ!!」
「言われずとも、そうしてみせるつもりです」
奮起したスフィロスに、もはや肉親に向けるようなものでない冷たい視線を送った後、ガルディアはリジーとナインツェと共に王座の間から退出した。
「お兄様、その様子だと薬の効果は切れたのですか…?」
「心配をかけたなリジー。しかしまだこのことに関しては周りに伏せておきたい。すまないがルーにもこのことは内緒だ」
「っ、分かりました」
「それから、『ナインツェ嬢』」
「…!」
「父のわがままでこんな事に巻き込んでしまい、申し訳ない。大方の問題が片付いたら、貴女との関係も修正していただきたい」
「…何故ですか、ガルディア様。私は…最後まで貴方の重荷でしかなかったのですか…?」
以前の呼び方に戻ったガルディアに、ナインツェは当方に暮れるように下を向きながら肩を落とした。
「私にはやる事があり、片づける事も多くある。貴女に危害が及ばないためだ」
「……」
未だ納得してないであろうナインツェの反応を待っている暇はなく、ガルディアはリジーに視線を戻す。
「リジー、私はやる事がある。ナインツェ嬢と共に安全な場所へ避難を。…どうせ近くにギーヴもいるだろうから、一緒に逃げてくれ」
「避難とは…。お兄様はどうするおつもりで…?」
「もうじきここは戦場となるだろう。戦えない者達はすでにこの騒動で避難しているかもしれないが、確認の為出口へ向かいながら誘導してくれ」
「まさか、今外で騒ぎを起こしている者達は反乱軍という事ですか!?なら、お父様をあそこへ留まらせるのは――」
言いかけて、リジーはガルディアの反応に気付いた。
今までのうのうとしていたくせに、肝心の国への問題は無関心だった愚かな王。
それでも、ほんのひとかけらでも愛する情を注いでくれたかもしれなかった男。その人物を。
「お兄様は、それで良いのですか?」
「良いも何も、以前からどうにかせねばと考えていた」
過去に言った言葉だと思い出したのち、ガルディアは瞼を伏せ、開き、静かに断言する。
「私は反乱軍と共に愚王をこの手で討ち取る」
*
「行けッ!そのまま突っ込めぇッ!!」
国の顔である城めがけて、騎馬に乗った軍が押し寄せていく。なんだなんだと外野でしかない民達は騒いだり怖がったりそれぞれの反応をする。これまでの災いのようにまた自分達に不幸が降りかかるのかと思った。
しかし格好から、国に属する組織とは違うと分かった。騎馬兵にしては数頭しかいないそれに「反乱か」、そう口にした民達には目もくれず、ただひとつの目的を遂行するためにその軍は進む。
先導する騎馬兵と共に、相乗りしていた前衛部隊の騎士が騎馬から飛び降りては、城門を蹴破るように門番を押し倒して道を切り開く。
城門さえ突破すればあとは兵達を相手にすればいい。こちらが優先すべきことは、ティアーナを連れたウィルやグリスの戦力となる部隊を侵入させること。主が無事であれば、自分達の命は安いくらいだ。そうマルガレッタに忠誠を誓った騎士達は皆思っている。
「続け!そのまま押し通すんだッ!!」
前衛部隊がやりあってる最中、開かれた道をただまっすぐに進む騎馬が一頭。それに騎乗していたウィルは前に座っている少女をちらりと見下ろす。年頃の少女とは違い、鎧代わりの防護服をまとい、戦場というかけ離れた状況下での落ち着き具合にこちらが心配になっていた。
「ティナ、城門は突破した。予定より随分楽になったから囮作戦は無しだ。新手が来る前にこのまま突き進む」
「分かった」
馬の腹を蹴り、一部の前衛と共に駆けだした。その時だった。
ティナ
「…、ウィル!向こうへ行って!!」
「はっ!?どうした急に!?」
ティナが指さす方向を見ると、開け放たれた城門の先、本城から逸れた脇寄りの小道だった。そこにはひとつの人影のようなものが見え、ウィルは瞳を凝らすと同時、その正体に気付いてティナを見下ろした。
「おいティナ、まだ早まらなくていい。スフィロスを討った後にでも…」
「後じゃ駄目。『彼』は早急に討つべきよ」
まただ。
またティナは向こうの世界に誘われる様に、まるで妖精女王に取り憑かれているようにこちらの言葉に耳を貸さない。そんな鋭い声色の姫主人に断れるわけもなく、「あ~、くそっ」とウィルは馬の走行を変えた。次に道から逸れた隊長であるウィルを見失った部下達は、数秒後に再びウィルの姿を捉える。目線で命令を確認した後、ウィルの「GO」サインで頷き城内へと駆けていく。
どんどん近づいてくと、間違いなくその人物で、ウィルは頭を抱えたくなった。騎馬の走行スピードを少しずつ抑え、問題の人物の前で止まる。
その者はこの国の警察組織である軍服に身を包み、男性では珍しい黒い長髪を後ろで結っていた。漆黒を帯びた藍の瞳をこちらに向けながら、騎士は呼ぶ。
「…ティアーナ・フォン・マルガレッタ嬢」
そう呼ぶ声は以前のガヴェルだった頃のようで、自身に纏っていた黒のコートをぎゅっと掴んだ。
しかし瞳は冷静さを保ちつつ、ガルディアを見据える。ウィルに支えてもらいながら騎馬から降りたティナは、護身用で腰に携えていた長剣をすらりと鞘から抜いてガルディアに突き出す。無言でも何が言いたいのか分かるのか、ガルディアは答える。
「…大公陛下への道は表よりも裏口の方が近い。こっちだ」
そんなティナの態度に動揺するでもなく、ガルディアは落ち着いて返事をし、背を向けて歩き出した。しかしチャキリ、と剣がこちらに向かう音がする。
「止まりなさい。私は『貴方』に用があるのよ」
鋭い瞳は今も変わらず、ティナはガルディアを見つめる。控えていたウィルは手出しが出来ぬように彼女から命令されているのだろう。
「ウィル」
呼ばれ、ウィルはすぐにティナの言葉が届くように中腰で近づく。
「この際スフィロスはウィルかグリスに任せるわ。行きなさい」
最初にその顔を見たのは隠れ家で同士が再び集った時。その冷め切った表情をガルディアに向けたままのティナを見つめながら、ウィルは小さく「ああ」と頷いた。
返事をしたウィルは騎馬に乗り直し、一度振り返ったがティナとガルディアを残して城内へと移動を始めた。それを見届けたティナはガルディアに視線を戻す。息をひとつ落として、ティナは長剣を握り直して駆ける。
「はぁあああッ!!」
「…っ、」
ガルディア向けて一直線に伸ばした剣は、ウィルの時と同じようにはじかれる。相手も、まさか本当に向かってくるとは思わなかったのだろう。不意打ちで回避したとはいえ、顔には動揺が見られた。
はじかれ、地面に手がつきそうになるところを地面に剣を突き立て、足の重心で堪える。再び上体を起こして顔をあげると、目の前の騎士は何とも言い難い表情をしていた。驚きと恐怖だろうか。
何故そんな顔をしているのか。貴方は今私を知らないはず。それなら躊躇いなく、国を脅かす私を手にかけることだって容易いのではないか?
「っ、やあああ…!!」
少しの疑問は考えずに再び剣を引き抜いてガルディアに向ける。横からの一線を弾かれ、その反動を活かして縦に振るも、器用に剣を持ち換えて鞘で受け止められる。
そう、ガルディアは一切剣を抜かずティナに対峙しているのだ。それに怒りがこみ上がる。剣を握ったことのない小娘一人に対しては正常な判断だが、今のティナには侮辱であった。ほんの少しの時間でありはしたが、下手なりに皆の為に努力して剣術を磨いてきたつもりであった。
しかしウィルのように、やはり普段から剣を交わえている者達には一歩どころかそれ以上に及ばないことは分かっていた。分かっているのに、今剣を向けている相手に、初めての感情が起きた。
「なんで…、なんでなんでなんで!私が憎いでしょう!?父親の命を脅かす存在なのよ!?なのに、どうして貴方は剣を抜いてくれないの……!!」
「貴女はそれが望みか?」
やっと口を開いた冷静なガルディとは違い、ティナは奮起気味になりながら肩で呼吸していた。
「私は、王座にしか興味がない男を滅ぼして国を元に戻したい。民達が平等で、平和である生活を送らせたいの。その為に、あの男では駄目なの」
「……」
彼が思うに父親に当てはまっているだろうか。そうティナは少し考えたが、ガルディアはずっと沈黙したままティナの言葉に耳を傾けていた。
「だから、それを邪魔する貴方にも消えてもらわなくちゃいけないの」
チャキリと剣が音をたてる。微かに視界がぼやけそうになるのを堪える。
彼に会うと、決意した思いよりも正直な感情に負けてしまうのが嫌で仕方ない。でも随分前から、ティナは“こうすること”も頭の片隅で考えていた。
「…だから。それが無理なら私と一緒に、消えてください」
やるが早い、ティナはガルディアに突き向けた剣を直前でくるりと器用に持ち替えた。それが次、どこへ向かうのか気づいたガルディアは、即座に手を伸ばした。
「ティナ…ッ!!」
「!?」
予想は的中し、ティナが向け直したのは自身の首元であり、それを寸前でガルディアは素手で長剣を掴んだ。勿論、防具も何もつけていないので、次には赤いものが掌からポタポタとこぼれる。しかし直前で名を呼ばれたティナは動揺した。さっきだって名を呼ばれたのに。だってそれは。
「ッ、離してっ!」
そのままガルディアは勢いよく力任せにティナの手から長剣をすべり抜き取る。摩擦で傷の範囲が広がり苦痛の声がもれつつも、ガルディアはティナの手を掴んだ。そして微かに震えていた彼女の手に気付いた。
「何故だっ…!?そんなになってまで身内の仇が打ちたいのか?自分の立場が重荷なのか!?」
「えぇ、そうです!皆の為にも、期待を無下にできないッ…!でも私は、いちばんに『ガヴェル』様といる選択が欲しかった…!でも違うッ!違ったッ!!」
「なにが…ッ、」
次第にティナの瞳からこぼれた涙に動揺した。しかし少女はそれどころではなく、ガルディアに掴まれた手を振り払おうとして必死だった。しかし日々鍛えている騎士といち少女では、男女の力の差があまりにも大きすぎる今更なことに気付けてさえもいなかった。
コートのフードが滑り落ち、彼女の美しい赤毛が姿を表した。以前と違ってひとつのリボンで結った髪にガルディアは苦しくなった。そうなるまで、彼女から預かっていたリボンの存在を、一時的とはいえ忘れていたからだ。
「私が好きなのは『ガヴェル』様であって、『ガルディア』様じゃありません…!宿敵である御方を好きになど、なってはいない……!!」
「っ!!」
「教えてください。『今』はどちらの貴方ですか――?」
そして次に、ティナから発せられた言葉に、精一杯にらみつける様な顔に、ガルディアは言葉を失った。
そうやって、今まで区別してきたのか。
今ならガルディアも分かる気がした。憎き仇敵を討つために、自分の感情にふたをして、ただ目の前のことだけに集中する。それは父親に逆らう前のガルディアも同じであったからだ。しかしそのガルディアはもうやめた。身内だろうと、悪しきものには怒りの鉄槌を下すと決めた。それが今のガルディアだ。
「―じゃあ、その重荷を一緒に捨てようか?」
ガルディアの放った言葉に思わずティナは顔をあげた。
「貴女の苦痛を、減らしてあげたい」
再び見たガルディアの表情は、寂しさと悲しさが混ざったような顔をしていた。
◇
城内はすでに混乱状態だ。力のない者達は逃げ、関係者であろう貴族や力のある側近達も、自分を踏み殺しかねない騎馬を目の前にしては恐怖が勝って腰が引け、戦う気さえ起りもしない。
そんな城内からどうにか非難すべく走っていた男・ギーヴは後ろから声をかけられた。
「ギーヴお義兄様っ!!」
「っ!リジー!」
それは従兄弟であるガルディアの愛すべき妹・リジーであった。いつもなら淑女らしいたたずまいで挨拶をしたり、時間が合えばお茶会だってする。そんな少女は状況が状況の中、必死でナインツェの手を引っ張ってこちらに駆け寄ってくる。
「ギーヴお義兄様、もうここは私たちのいるべき場所ではありません。今すぐ、避難を」
「あぁ、それは分かっている。…ガルディアは?」
様子を見ながら、それでも反応した名前に暗い顔のナインツェはぴくりと動いた。それに答えたのはやはりリジーであった。
「お兄様は、…様を、……ると」
「え?」
まわりがうるさくて上手く聞き取れず、リジーに聞き直そうとする前には別の声が会話を遮断する。
「――スフィロス・トゥイ・アドバインはどこだ」
見上げれば、そこには騎馬に乗った見慣れぬ騎士がギーヴ達を見下ろしていた。静かな瞳が威嚇していた。それに気づいたギーヴは、理解する。
「見たところ、今騒ぎを起こしている者達か?何の真似だ。反乱など起こしても貴様ら皆死刑になるだけだぞ?」
「俺たちの命はどうでもいい。“あの方”さえ生きていれば我らは使命を遂行できる」
「あの方…?」
しかし目の前の騎士に訂正したいことが一つあった。
「その前にお前、陛下の名を軽々しく言うどころか『ディアマータ』と呼ばないなど、頭どうかしているんじゃないか?」
ディアマータ。
それはこの国で代々王家に仕え、次期に継ぐ者や家系につけられるもの。それを指摘したギーヴなのだが、次に騎士は「それは違う」と制す。
「本来ならマルガレッタ家が先王から受け継ぐものだった。それをあの愚王が奪ったんだ。そんなことも知らないのか?」
「お前…っ」
流石にプチンときたギーヴだったが、次に服の裾を引っ張られる。
「っ、ナインツェ嬢…」
「騎士様は、陛下を討つつもりですか?」
「ああ」
「それは、誰が望んでいることなのですか?」
「我らマルガレッタに仕える者全てだ」
「それは、国全体をこの状況につくり出しても尚のことですか?」
「民達には手を出さないし、もとより被害者だ。スフィロスさえ討てれば構わない。…もっとも、『貴女』もそうじゃないのか?」
「……そう、ですね」
ナインツェと騎士―ウィルの会話が続く。それに返す言葉が見つからなかったのか、ナインツェは黙った。前に立っていたギーヴは今にもウィルに向かってきそうだが丸腰だ。なにより、いつまでもウィルの腰に下げた剣さえも奪えない相手など、赤子も同然だ。
「抵抗しなければ命まではとらない。それまで静かにしているんだな」
なにも出来なかったギーヴは拳を握りながら、再び騎馬を走りださせたウィルをただ見つめるしかできなかった。