第14話 2度目の厄災
「お、また会ったねぇナインツェ嬢」
玉座から退出した後、晴れやかだったナインツェの気分は一気に急降下した。
従兄弟のガルディアとは全くの真逆な性格と飄々とした口調のギーヴに、ナインツェは知らんふりをした。しかしギーヴはそんなことお構いなしに話しかけてくる。
「ねぇ、その後どうなったの。婚約破棄の件は」
「生憎ですが、大公陛下とガルディア様の広く、心優しい気遣いによって復縁することができました。……これでいいですか?私は荷ほどきをしなくてはいけないので、これで失礼します」
「えっ、ちょっと待ってよ。じゃあこの間のはなんだったの」
咄嗟に手首をつかまれ、反射的に短い悲鳴が出た。
「何をしている、ギーヴ」
「ガルディア様……!」
その声を聞いて振り返ったナインツェは助かったように、駆け出した。先程まで解けなかったギーヴの手から力が抜けたように、するりと抜け出すことができた。そして一方のギーヴは、ガルディアの変化に気づいて眉を寄せた。
いつも父親がいる玉座から出てきた彼の顔は怒りか呆れか疲労か、数えるくらいで怯えた顔をして帰ってくる。しかしどうだ。今の彼は、いつもの無表情の顔であった。
「…なぁ、お前ほんとにガルディアか?」
「正真正銘の本物だが」
従兄弟の言っていることに少し理解できず真面目に返すガルディアに、ギーヴはますます苦しそうな、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「お前、ついに感情にまで鎧を身に纏ったのか……」
「は…?」
感情にまで、とは。質問する前にはすたすたとガルディアの前から去っていくギーヴだった。
「なんだあいつ……」
従兄弟の言葉にいまいち理解が追い付かない中、傍にいたナインツェが涙ぐんだようにガルディアを見上げた。
「ガルディア様、ギーヴ様はいつもあのような方なのですか…?前にガルディア様から婚約破棄をされ、相談した時、少しだけいい人だと思っていたのに……。求婚を申し込まれそうになって、私怖かったですわ……」
「求婚……?いや、その前に…。ナインツェ嬢、いつ私が貴女にそんなことを言った?」
「え…?」
「そうだ、貴女に聞きたいことがあった」
聞きずてならないガルディアの返事に返す言葉が見当たらず、その間にガルディは別の要件を訊ねてきた。
軍服の胸元へ手を入れると、あるものを差し出した。見るからに白いリボンであり、それは女性がつけるものと分かるくらいの、両端に黒い刺繍がほどこされていた。そんなリボンを大切そうに出したガルディアは、一度ナインツェに視線を向け、リボンに戻して言う。
「実はこのこのお落とし主を探しているんだ…。貴女が髪に使うのはリボンよりバレッタや宝石類などをつけているのを多くみるが……」
「えぇと、そうですね…。残念ながら、このリボンは私のものではありませんね…。ご協力できず、申し訳ありません」
「いや、いい。そうか…。ならまたリジーに聞いてみるしかないな…」
小さく妹の名を口ずさんだガルディアの言葉を聞き逃さなかったナインツェは、次にふと思い出す。
『もしくは、別の気になる人ができたか……』
以前、一瞬であれど婚約破棄され心ごと砕けそうになったナインツェがギーヴに相談したとき、彼はぽろっとそう言っていた。堅実な彼がそんなことをしないと分かってはいると、その時は確信していた。が、今目の前に女物のリボンを手にしている婚約者を、このまま放置することもできず、ナインツェは思い切って言った。
「あの、ガルディア様…?もしよろしければそのリボン、私が預かっていましょうか?」
「え?…いや、邸で見つけたからな。もしかしたらメイドの私物かもしれないし、気にしないでくれ。また探してみる」
「ですが、そんな誰とも知らない女性のリボンなど、ガルディア様が持っていることなどないのです…!ですから私が、」
ふっ、と空気が重くなった気がした。誰、といわずとも分かる視線に、ナインツェはゆっくりと顔をあげた。
「…いくら貴女でも、そのような言い方は好かないな」
「っ……!」
ガルディアの刺すような視線が、ナインツェに向いた。威嚇するような、その目。大公陛下と同じ目つきをし、ここにいない人物に睨まれているような感覚にもなり、手足が震えだした。
「…も、申し訳ありません…!出しゃばったまねをお許しください……!」
「いや、いい。私も悪かった」
素っ気ないがそう言ったガルディアはリボンを胸元にしまい込み、去っていく。先程より軽くなった空気にナインツェはやっと息ができ、そして座り込んだ。
今までだったら我に返ったように謝るガルディアだったのに対して、先程の彼はナインツェの様子など気にもしない、風評されている『冷酷無比』が似合うその表情にナインツェは怖くなった。
そしてその翌日、予定通りにガルディアとナインツェの婚儀が執り行われた。
*
「ティナ!」
呼ばれた声に振り返る。自分の格好におかしなところはないと言えど、心配性な侍女はいまだ眉を下げている。
「もうっ、大丈夫ったら。もう夕方ごろになるけど、今日はウィーがいるからうかつな行動はしない。あとここではいいけど今日は一応『テオ』でいるんだから」
「だけど……」
いつまでも不安そうな声に、次にウィルが言う。
「大丈夫だベネジッタ。俺がいるからあまり無茶なこともさせない」
「貴方も顔が割れているかもしれないのに呑気ね…」
目の前の主従に呆れかえるベネジッタはしばらくして頷いた。なぜか買い出しに行く予定のベネジッタは、気分転換にティアーナを連れて行けと元騎士団長のグリスからそう言われた。それにすぐ反対したベネジッタだったが、最近のティナは今までの女の格好をやめた男装で過ごすことが多くなってきた為、少しの間だけお願いできないかと相談された。いくら街の青年たちと変わらないような恰好をしていても、隠れることのないティナの赤毛や背格好でバレるのではないかと心配していた。
『ベネジッタ、安心して。私はあの薬を飲んでないから、今までのことも、ガヴェル様のことも忘れていないわ…。全てが終わる時まで、もう少しだけ、私に生きる意味をちょうだい…』
以前そう言われたベネジッタは、敵わない姫主人に重たい頭を縦に振った。しぶしぶでもあるが、彼女が一度そう決めたら、否定していた人物は大抵彼女の瞳に屈して折れる。惹きつけられるなにかがあると、毎度ベネジッタは思う。それでも心配性は治らない為、今一度注意する。
「じゃあ、これが買い物リストね。ウィルも、道草させないですぐ戻らせるのよ」
「おぅ、行ってくる」
「行ってきます、ベネジッタ」
「あっ、待ってティ…、テオ!」
「?」
首を傾げたティナにキャスケットを被せた。ボリュームがあるので、ティナのひとまとめられた髪は、帽子の中にうまく収まる。
「一応、ね。貴女の髪は良い意味でも悪い意味でも目立つわ。周りの住人と差がないように行動してね」
「うん。ありがとう、ベネジッタ」
手を振って送り出したベネジッタの心配がしばらくして実現になることなど、その時は思ってもいなかった。
「さて、ぱぱっと買い物済ませて帰ろう、ウィー!」
「……『テオ』、どこか浮かれてないか?」
「えぇ…?それはまぁ…、久しぶりの国内だし、街だし、……さっ行こう!」
「あぁ……」
少しだけ返事に遅れたウィルはティナの手を握り取って言う。
「じゃあ、今この時は俺とお前は『兄弟』だ。間違っても離れるなよ?」
「うん!」
ティナの心からの笑顔を久しぶりに見たウィルは小さく微笑み、手を握り返した。それからベネジッタから託された買い物リストを確認しながら市場を回り歩いた時。どこからか人の声がした。人の声だなんて、会話してればどこからでも聞こえてくるが、それは徐々に近づいてきた。しかも日常的な声ではなく、恐怖から逃げてくるような声だった。
「…何だ?」
いち早く気づいたウィルが視線をその方へと向ける。次にウィルの様子に気付いた店主と、それを見て気づいたティナが顔をあげた。
「ウィー…、どうしたの?」
「いや、向こうで悲鳴が聞こえた。城下まで聞こえてくるなんていつぞやの魔女狩り以来だぞ…。店主、金はここに置いていく。釣りはいらん」
「ま、毎度っ」
呆気にとられた店主はウィルから賃金を受け取り、気づけば手首をとられたティナはウィルによってどんどん今いた場所から離れていく。次に離れた場所から悲鳴やらなにやらの声が騒がしくなってきた。なにか事件が起こったのだろう。気になりもしたが、もうそんな場所にティナを向かわせることはしないウィルを恐る恐る見上げた。いつもより厳しい顔つきだが、隠しきれない怒りの感情がみてとれた。
(私になにかあっちゃ、復讐以前にマルガレッタ家の復活を取り戻すことも難しい。なにより…。)
「…私がいなくちゃ、なにも始まらない…」
「何か言ったか、『テオ』?」
「えっ!…ううん、なんでもない!」
「…そうか」
またなにか疑うような目で見つめられたが、ほんとに難しいことは考えていないというような顔をしてみせた。そうすればウィルは呆れたように納得してくれる。
しばらく歩いて、街市場の出入り口まで到着する。ここを出ればあとは隠れ家のある森に潜めばなにも問題ない。問題ないが、騎士としての勘がウィルの足を止めていた。
「…ティナ、あとは1人で戻れるな?」
「戻れるけど…。まさかウィー、さっきの場所に行くつもり?ベネジッタも言ってたけど、ウィーだって顔われてる可能性あるのよ?」
「そん時はそん時だ。蹴散らしてやるよ」
「ちょっ……!」
待って、と言葉と一緒に出た両手がウィルの腕を捉えた時、再び視線を戻した街にティナは目を疑った。
「……な、なに、これ」
先程まで賑やかだった街市場の路面が、赤黒く濁った液体で汚れていた。その次の異臭を放つ匂いでティナは鼻を覆った。
遠くはあるが、やっと目視できる距離で見たものは、ティナの幼少期の記憶を呼び覚ますのに十分だった。
「『テオ』、いいからお前は行け。俺なら大丈夫だ」
ティナよりもずっと先に把握していたウィルは、ティナを偽名で呼び戻した。しかしそんな彼にティナはすぐ首を横に振る。本能がそれを拒否していた。手足は震え、息が上がりそうになる。
「駄目…。駄目よウィル。せめて一緒に戻ってグリスに援軍を頼むべきだわ」
「今このまま向かってスフィロスの暗殺を行うのも手かもしれない」
「まだちゃんと作戦を練ってる最中じゃない!今行って失敗したらどうなるの?馬鹿なこと言わないでッ…!!」
咄嗟に出た大声に驚かないウィル、そしてティナも静かになったその場でただ立っているだけであった。
「俺は、ティアーナが幸せになれるなら、迷わずどんな手段でも掴みにいく。それが、俺に課せられたものでもある」
「………そうやって、簡単に命を放り出せる皆なんて嫌いよ」
限界に達したティナの率直な気持ちがぽろりとこぼれ出た。頬を伝った暖かいものも無視してティナは帰路へとつく。ゆっくりだが、確実に元来た道へと消えていくティナを見届けたウィルは、もう一度視線を戻して感情を消した。
「何度主人の機嫌を損ねれば気が済むんだ、まったく…」
次に懐にしまい込んでいた伸縮性のある筒をだした。蓋の役割をしていた上部をはずし中身を伸ばせば、レイピアと変わらない鋭さと長い刃が鈍く光った。
◇
時と場所は少し戻り。部屋をノックする音で、執務中だったその部屋主は返事をする。
「お兄様、少しよろしいでしょうか?」
「リジーか。入っていいぞ」
「失礼いたします」
鈴のような声をもつ最愛の妹は、ここ最近様子がおかしい。いつも笑顔を絶やさず、しかし時々いたずらをしてくる小悪魔のような性格の彼女は少し変化していた。自分になにか隠しているのではないかと思うような素振りが見える。やんわり聞いたとしても、察しが良い彼女のことだから、うまくかわしていたことは度々あった。
しかし今日はリジーからガルディアに尋ねてきた。親に怒られる前のような、それか悩みを打ち明けるような顔のリジーに、持っていたペンを机に置いた。
「なにかあったか?」
「あの、お兄様。お伝えしたいことがあり、伺いました」
凛とした、しかしどこか震えそうな声でリジーは言う。
「…『また』。お父様によって悪夢が繰り返されてしまいます」
リジーから聞いた話でガルディアは邸を飛び出した。それを見たナインツェはリジーに尋ねる。
「あの、リジー様?ガルディア様はどうなされたのでしょう…?」
「上司から、急な仕事の要件で呼ばれたようです。なにも心配はないでしょう」
にこり、と笑顔をつくってみせたリジーに安心したナインツェだったが、それが嘘であり作り笑いであることを知らずにその場を去った。
リジー自身も婚約している身ゆえ、相手の邸にいるナインンツェに疑問はない。現状2人は婚儀を終えて形として夫婦ではあるが、そんなことリジーは思ってもいない。それよりも最愛の兄が心配でたまらなかったし、記憶を失っても、ナインツェに対して優しく接したガルディアの姿を見たことなかったリジーは小さく安堵した。
一方邸から飛び出したガルディアは真っ先に所属している騎士団の元へ向かった。リジーから話を聞いた後、急いで駆けつけたはいいが、そこは異臭を放つものであった。
「なんだ、これは……」
見れば一面、赤黒く濁ったものがタイル地を汚し、嗅いだことのない異臭を放っている。その場に居合わせたであろう人物たちは倒れて苦しい声をあげていた。
「ガルディア!来てくれたか!」
「団長、これは一体何事ですか…!?」
ガルディアを見つけた騎士団長が手を招く。そこに急いで駆けつけると、騎士団長は首を横に振る。
「俺にもさっぱりだ…。『街で異常が発見されたから、近くにいる憲兵や騎士は現場に駆け付けろ』とだけしか言われてない。すっ飛んで来たらこの様だ。異様な悪臭、倒れている住民。いつもより重く感じる空気……。なぁガルディア。お前、大公陛下からまたなにか言付かっていないか?」
「……『また』?」
「以前、真夜中に突然、少数の騎士たちが『魔女狩り』を始めただろう?しかしあの元凶は大公陛下だ。それを止めてくれたガルディアには大いに感謝しているが、なにか企んでいるなら早めに教えてくれ」
「魔女狩り…?父上が……?」
「おい、まさか忘れたとは言わせないぞ?」
上司から言われた言葉にまるで記憶がない。スフィロスが魔女狩り。リジーも不安がっていたが、一体何の為に。
そう考えようとしたガルディアを引っ張るように別の声が聞こえてきた。
「おい、こっちにもまだ倒れているぞ!増援はないのか!」
「こっちだって手いっぱいだ!他を当たれ!」
現場にいるガルディアとは他の騎士や憲兵たちが叫んでいる。この現状をつくりだしているのが自分の父親だとしたら、それは確認しにいかないといけない。
「…団長。申し訳ありませんが、確認をとってまいります。すみませんが、ここをお願いします」
「あぁ、任せろ。何かあればすぐ報告するんだぞ」
「…はい」
身を翻して去っていくガルディアを見つめながら祈るようにつぶやいた。
「頼んだぞ、ガルディア」
*
コンコン、とノックをした後に、重たい扉の向こうから声が聞こえてきた。記憶を消させても、染みついた癖などを感じ取れてしまうくらいには親の務めをしていたか、とため息をつく。
「…入れ」
促した相手はもちろん実の息子であるガルディアであった。どこか切羽詰まったような顔をするそれは幼少期に戻ったようだ。
「父上、お忙しいところ申し訳ありません。今現在、国内で起こっていることをどれくらい把握できているか、お聞かせ願いたい」
「……」
染みついた癖、性格。一部記憶を失っていようとも、そのどれもがガルディアについている以上、自分を疑うことをやめない目の前の息子にスフィロスはしばし無言を貫く。
「父上…!」
「あれは、躾だ」
「……は?」
一瞬だけ耳を疑った言葉にガルディアは疑問で返した。それに構わずスフィロスは続ける。
「ここ最近の問題は税が上がったくらいだが、それを不満に思った民草が増えてきた。しかしこれは建前だ。……ガルディア」
「はい」
「この事件にかこつけて悪さを企てる連中が潜んでいる。そ奴らをあぶりだす為でもあり、首をはねる為でもある。これは命令だ」
「……根拠は?」
「根拠だと?以前話しただろう?亡きマルガレッタ家がまた悪だくみをしているかもしれないという話を」
「それは、覚えています」
「そしてその中には、赤毛の少女がいる。奴こそが諸悪の根源なのだ」
「……父上が、そう願うのでしたら……」
ガルディアの瞳が揺らぐ。親を信じてやまない想いと敵を全滅させるという騎士としての務めが。
そしてそれを見たスフィロスが小さく気味悪く微笑んだことなど、ガルディアには分かるはずもなかった。