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恋する乙女は花の精  作者: 花園
第2章
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第13話 色あせる記憶

 今朝から、少女の様子は吹っ切れたかのような清々しい笑顔であった。ウィルから薬の服用を聞かされて尚、あのような態度でいられるのも納得だと、マルガレッタ家に仕えてきた元騎士団長グリスは小さく視線を落とした。

 彼女には過去、そして今現在の記憶しか残っていない。それまでの記憶はひとつの薬がかき消したものだった。そのため、消された記憶のことに関しても、彼女が知る由もない。

「……」

 酷な事、と分かっている。しかし主人たちの仇を討つまで、しばらくの間、彼女には浅い眠りについてもらっていてほしい。何もかもに決着がついたとき、どんな処罰も甘んじて受ける覚悟でいる。

 それまで、姫主人には「ただ」の少女として生き残っていてほしいのだ。


*


「…やぁっ!」

「……」

「っ、こ、のぉ…っ!」

「……」

 精一杯に赤毛を揺らして汗を流す少女と、対して冷静な青年が木刀を交えていた。今まで下ろしていた髪を一つにまとめ、その持ち主が動くたびに華麗に舞う。しかしその動きには無駄がありすぎて、相手の青年はため息をつかずに易々と受け止める。それも仕方がない。相手は元々姫であり、この16年間、剣はおろか、木刀さえまともに握ったこともないのだ。

 そんな姫―ティアーナに、騎士であり剣士のウィルは分かり切っていたことを言った。

「分かってはいたが、やはり才能がないな。ティナ」

「当たり前でしょう!?まともに動き回っていたのだって子供のころだし、ウィーに敵うなんて少しも思ってないわよ!!」

「そうだろうなぁ」

 一人で納得しているウィルに頬を膨らませたティナは、「むむむ…!」と悔しそうに両手で木刀を握りしめ、肩をわなわなと震わせながら、そして諦めた。

「やっぱり現役のウィルに教わるなんて野暮なマネ、するんじゃなかったかな」

「おい、勝手にそっちから言い出しといてその言い草はなんだ」

 そう。この剣術訓練もどきは、ティナからの志願なのだ。平和な未来でガルディアとの再会を果たすべく、ティナはスフィロスの首をとる身内の邪魔はしないように、自分も少しずつ強くなりたいと思いウィルに剣術を志願したのだった。しかし当の騎士からは「才能がない」と判を押されてしまった。

「…私、諦めないよ。少しでもみんなの役に立って見せるんだから」

「そうだな。ならまず目先の事にだけ集中しててくれ。“忘れ薬”飲んだフリをしていることをじじいに悟られるなよ」

「うん。でもベネジッタには言うよ。これ以上私の事で心配事増やして倒れることになったら大変だもの」

「…そうだな」

 少し影をおとして頷いたウィルに首を傾げたティナだったが、その後に聞こえた声の主に視線を移した。隠れ家の窓から声をかけていた正体はウィルの上司でもあるグリスであった。平常心、そして薬の服用をしている体で彼に歩み寄った。

「じい、見てたならなにかアドバイスでもくれればよかったのに」

「ははっ、姫様はやはり姫様という事が理解できただけ安心なのです。急に剣術を教わりたい、などじいは驚くほかありませんよ.」

 実際、ウィルを通してグリスは鳩が豆鉄砲をくらったような顔で驚いていた。そしてそれに力強く頷く。

「だって、私だって皆を守りたいよ。私が“こうしていなくちゃいけない”理由なんて、何一つないんだから。仇がとれるならなんにでも。例え間違ったものに手をつけていたとしても、それは皆を守るためのものだって証明してみせるよ」

「……っ」

 なにやらグリスが両の目頭をつまんで顔を伏せていた。心配になって声をかけると、いつも通りの声が返ってきた。

「じい?」

「あぁいえ、なんでもありません。では私は少し失礼いたします。…あぁ、そうです姫様」

「ん?」

 ウィルの元に戻ろうとした足を止めて振り返る。

「あの憎きアドバインには、たくさんのご子息やご息女がいると知っていますか?」

「えぇ。常識的には」

 早速きたか。そう、ティナは心の中で思った。

「…そこの嫡男が、婚約中のご令嬢との婚儀が決まったそうなのです。幸せの中悪いと思…いえ、姫様にはその子息の相手をしてほしいと考えております」

 グリスの言うことに耳を傾けながら、ティナは尋ねる。

「そう…。具体的にはその人の首でも打ち取ればいいのかしら?スフィロスではなく?」

「はい、敵ならば容赦入りません」

「…グリス、貴方スフィロスの首を私に取らせる気はあるの?貴方達の主人の仇である前に、私の両親の仇でもあるのよ?」

「えぇ、勿論あります。しかしその前に邪魔者はつきものです。それが長男であり、現アドバインを指揮している『ガルディア』という男です」

「…分かったわ。ではその人の相手は私が引き受けます。スフィロスの首も一緒に飾ってあげなくてはね」

「……姫様、ご立派になられました……。やはり不必要なものを取り除いて正解だった……」

 ティナが伏せたまつ毛の影が落ち、怒りの表情を隠した。…かのようにグリスは見て思ったかもしれない。

 不必要。

 その言葉を発したグリスは、ティナが薬を服用してここ最近の記憶を失っていることが成功していることに確信している様子だった。しかしそれはあくまでグリスが勝手に確信づいてるだけであり、実際のところティナはウィルから薬の服用をすることに反対し、それにウィルも承知の上でグリスに嘘をつく形で成り立っていた。

 そんな嘘にまんまと騙されているとは知らないグリスに少し悪いと思いながらも、自分の記憶を消すなんてことはしたくないティナは、演技をするかのように日々を過ごしていた。そのせいなのか、以前より精神が強くなったとでも言うのか。周りからはお転婆だった頃が戻ってきただの、生まれ変わったようだの言われもした。どれも悪口ではないと分かっているため、ティナは笑顔で答えたことを覚えている。

 それでもティナは何にだってなると決めた。誓ったのだ。愛する人と再会できるならば――。

「……。なんてことないわ、これくらい」

 自然に手が伸びた自身のリボンに軽く触れ、緩みそうになった瞳の膜をふりはらった。



 目が覚めた時、両脇には愛する従者と妹が待ちわびたかのような眼差しで自分を迎えた。

 どうやら疲労で寝込んだらしいのだが、女学校へ行っていた妹の卒業の報告を受け、なにやら季節のめぐりが早いようにも感じていた。しかし時は待ってくれることなく、婚約中であったナインツェとの婚儀が明日に迫っていた。確か後宮で日々を過ごしていたはずなのだが、どうやら実家に用事があり戻っていたらしい。そして今現在、こうして彼女の帰りを待っていたというのもあった。

 そしてもうひとつにも思い出す。目覚めたときにはすでに隊服の胸ポケットに仕舞われていた一本の白いリボン。これには面識がないため、一番近い妹のリジーやメイドにも尋ねてみたが、妹の物でもなく、メイド達の制服のひとつでもなかった。

(ナインツェ嬢が戻ってきたら、聞いてみるか)

 そう、どこか大事そうにリボンが仕舞われている胸元へ手を添え瞼を閉じる。すると薄らぼんやりと人の影が見える。しかしそれが誰だか分からず、瞼を開ける。

 邸の書類仕事をこなしていると、外から馬車の音が聞こえてきた。その次に、ノックとともに従者の声が聞こえてくる。

「ガルディア様、ナインツェ様がもうすぐ戻られるそうです。…大公様から、彼女が帰還の挨拶をするにあたって、ガルディア様も同行せよとの報せが来ています」

「分かった。今出る」

 今日は天気が良く風が吹いている。喚起がてら窓を開けていたが、大事な書類を飛ばされてはこまるので、机上の書類たちを軽くまとめ、重りを載せておく。

 衣服に関しては軍服でいいか、と上着を羽織った。準備ができ、部屋から出ると、少し不安そうな顔のルーフィニアが控えていた。自分が眠りから覚めて以降、ずっと似たような表情をしている従者が心配になって尋ねるが、彼は決まって「大丈夫です」と。大丈夫ではなさそうに声の覇気がなかった。しかしあまり追及してもルーフィニアを困らせるだけで、ガルディアは「そうか」としか答えられなかった。

 邸を出ると、先程の馬車だろうか。馬を従えた御者が出迎えた。

「お疲れ様ですガルディア様。城までの道中を務めさせていただくものです」

「あぁ、宜しく頼む」

「はい」

 とても好感が持てる顔と声にガルディアが頷くと、後部座席へと案内される。足をかけ乗り込み、それに揺られながら、ガルディアはだんだんと近づいてくる城を見つめながら瞼を閉じた。


『ガヴェル様』


 知らない声が知らない名前を呼ぶ。


『自然が、花を愛でるのが好きなのです』


 少女の声は真剣そうに言う。


『私は、貴方をずっと……』


 涙をこらえるように放つ声の不安定さに心配になる。

「ガルディア様、到着いたしましたよ」

 現実に戻されるように御者から声をかけられた。それにはっ、と気づいたガルディアは無意識だったか、リボンが仕舞われた胸元を押さえつけながら瞼を開けた。


*


「ガルディア様……!」

 馬車から降りてきたガルディアを確認したのか、既に城門前で立っていたナインツェが、嬉しそうにドレスをつまんで駆けてきた。

「私、見放されていなかったのですね…!そうですよね、ガルディア様は少し言葉が足りないだけで、大事なことを口にするのが少ないと大公様から聞いていましたもの…!」

 なにやら興奮気味に、涙目で両手を組んで話すナインツェを抑えながら頷く。

「どうやらたくさん待たせてしまったらしいな、すまない」

「いいえ!私にも落ち度はあるのに、大公様やガルディア様はこうしてまた迎え入れてくださりました…!それだけでもなんとお礼を言えばいいのか…!」

「そうか。なら父上に早く報告しに行こうか」

「はい…!」

 そう言ってナインツェの手を取るように促すと、彼女は少し遅れて頬を赤く染めながら頷いた。




「……来たか」

「はい、父上。ご無沙汰しております」

「……」

 玉座に通されたガルディアとナインツェは長階段の頂上に座るスフィロスを見上げた。しかし期待通りか、スフィロスはガルディアには返事をせず、スフィロスはナインツェを見据えた。それに少し委縮しながらも、ナインツェは頭を垂れる。

「大公陛下様、この度は私のわがままな行動に目を瞑ってくれたと伺いました。…そして、ガルディア様との婚儀を迎えられること、とても嬉しく思います」

「あぁ、そのことに関してはガルディアにも責がある。ナインツェ嬢も、そうかしこまらんでもよい」

「もったいないお言葉です…!」

 嬉しさが声に表れてか、ナインツェの顔もどこか笑顔であった。

「そしてガルディア。お前には少しだけ要件がある。すまないがナインツェ嬢には退席を願いたい」

「かしこまりました。それではまた改めて、ご挨拶に伺わせていただきます」

 スフィロスに深いお辞儀をしたナインツェは、この時の親子の様子を確認する間もなく、王座を退席した。それが、違和感だということに気付かぬまま。


*


「…それで、要件とは何でしょうか。父上」

「うむ。確認なのだが、ガルディア。お前、ここ最近の記憶は冴えているか?」

「と、言いますと?」

「その言葉通りだ。で、どうなのだ」

 ナインツェに聞かせられない話題なのだろうと、覚悟していたがどこか拍子抜けしたガルディアは素直に答えた。

「それなのですが、ここ最近の記憶が、以前のものと少し食い違っているのです」

「ほぉ……」

 低い返事をしたスフィロスの目は、「そして?」と続きを求めていた。

「従者が言うには、仕事疲れだと。…それに女学校に通っていたリジーがもう卒業して、この間顔を見せに邸にまで来てくれました。…少し、時間がたつのが早い気がしますが、そういうものだとリジーは答えてくれました」

「そうか。ならあの忌々しい者たちの事は覚えているか?」

「……は?」

「忘れたとは言わせんぞ。かつて、私達と共に先王を支えあっていた家系がいただろう。しかしその者達は、我らアドバイン家に次期王家の称号が勲章されると知った時、…『奴ら』は、我らアドバイン家に関わる者達を皆殺しにかかってきた。……本当に覚えていないか?あの憎々しい【マルガレッタ】家を」

「マル、ガレッタ……」

 初耳ではない。しかし馴染みにくいその名前を小さく繰り返す。

「まだ確信ではないが、今は亡きマルガレッタ家の跡地で人影を見たと報告があったのだ。あそこの地域はお前が所属している騎士団が近いだろう?なにか有力な手掛かりはあったか尋ねたい」

「人影…ですか」

 しかしこれには全く思い当てはまるものがなったガルディアは、父親が望む返事をできかねていた。

「申し訳ありません、父上。上司からそのような近い報告を受けていないもので、あまり満足できる返答が出来ません。次回までには、ご期待に添えられる報告ができるよう努めます」

「あぁ、楽しみにしている。…してガルディア、話は変わるが」

「…?」

「お前は、私を愛しているか?」

 突然の父親からの質問に、ガルディアは考える暇もなく答えた。


*



「くっ、くく…。あっはっは……!あの、あの愚息からあんな言葉を聞けるとはな……!実験は成功というわけか!」


『えぇ。心から愛し、また偉大なる父として王として、尊敬しています』


 屈託ないない笑顔で堂々と言い放ったガルディアにスフィロスは一人になった玉座で腹を抱えながら、しかし声が響かないようにかすれた笑い声をもらした。

 いつからか、自分をどこか醜い存在のように見始めた息子のガルディアをどうにかしようと薬屋から受け取った薬を宰相づてに、邸の執事へと渡すように命令した。ガルディアの事になれば、一番に忠犬であろう従者が手に取るに違いないのも見越していた。

 そして、一気に堕ちる。

 あの薬は個人差はあれど、物心ついた過去から最近までの記憶を一部、書き換え消すことができる代物だ。そもそもそんな物を作ること自体罰則であるが、現大公陛下であるスフィロスはそんなもの関係ないように立場を利用し、身内味方関係なくそれをやってしまいのける男なのだ。そして見事、あのガルディアはスフィロスに対して今までの忌々しい瞳で睨みつける様子もなく、最後には『愛している』と返事をした。

「く…っ、くはは……!これで、これで邪魔者もいないだろう…!」

 こうなればガルディアは今の国に対して不満も抱かず、スフィロスに太刀打とうともせず、ただ従順な人形になるだろう。あとは、近頃噂になっている鼠共(マルガレッタ)を潰すだけだ。


「私に歯向かえばどうなるか……。運よく先王の二の舞にならずに済んだなガルディアよ……」

スフィロスの口角が不気味悪く上がった。

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