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恋する乙女は花の精  作者: 花園
第2章
13/23

第12話 近づく魔の手

「なんですか、これ?」

 場所は変わり、アドバイン家邸に仕える少年・ルーフィニアは執事長から受け取った物を訊ねた。

「旦那様…、いえ宰相様からのお贈り物だそうです。ガルディア様の疲れがとれるように、と」

「……」

 今明らかに主人の父親である大公陛下の名を挙げそうになった執事長に少しだけためらった。主人であるガルディアとその父・スフィロスの仲が最悪なことくらい、この邸に勤める者は皆知っている。それでも子を想っての行動だろうと思っていたものは、大抵外れたほうが多い。幼いルーフィニア、しかし少年の手の中に収まるその小包の中身を確認しながら、また望みがない希望を抱いてしまうのだった。

 外は寒いだろう。勤務が終わった主人が帰ってきたら、温かいお茶でも淹れてもてなしてあげないと。14の少年は、ただ主人が幸せであれるように願うだけだ。それが後に、自分の行動で裏目に出たとしても。

 そう考えていると、噂をしていたらなんとやら。邸の扉が開く音ともに主人であるガルディアが帰ってきた。疲れていても顔に出にくい主人は、今日は珍しく難しい顔をして帰ってきた。きっと忙しい仕事がたて続けたのだろう。

「お帰りなさいませ、坊ちゃま」

「お帰りなさい、ガルディア様」

「あぁ、ルー。ただいま。私がいない間、何もなかったか?」

「はい」

 執事長と出迎え、なんてない笑顔で返事すれば薄く微笑んで返してくれたガルディアだったが、どこか疲労気味に見えた。…スフィロス様からの贈り物を使うべきだろうか。少しだけためらったルーフィニアだったが、神にすがるように小包を握りしめた。

「そういえばガルディア様。リジー様が邸に戻られています。ガルディア様が帰ってきたら知らせるように、と言われておりますが…」

 次に眉間にしわを寄せ悩みだしたガルディアの返答を待つ。

「……今深夜だぞ?むしろ起こしていいのか?」

「えぇっと…。とりあえずメイドの人に頼んでみます。ガルディア様は、部屋でおくつろぎになってて下さい。お茶を用意してきます」

「あぁ、ありがとう」

 それでは失礼します、とルーフィニアが下がっていく。ガルディアの黒コートと外套を受け取った執事長も丁寧な礼をした。それにご苦労と言って、ガルディアは自室へと向かう。向かう途中で、やるべき事に頭を痛めていた。

 偶然とはいえ再会したティナから逃げようと言われたときは、正直焦った。自分は、父の政界からこの国を正すために『騎士』という位で制裁してきたつもりだ。しかし、それは父の手に届く前に跳ねのけられていたことを知った。自分の騎士としての位は低いため、騎士団長並みの力や権力もなければ、身内だからといって頻繁に直訴しに行くことだって難しい。その時はいつも父に呼び出された時くらいだ。改めて考えれば、国をつくり直すなど、必要ない。そう意見を言う人物だっている。しかしそれでは改正できない。元となる見えないところから直していかなければ、薄汚い部分は残っていくだけだ。

 そして父の行動が、一番読めないでいた。最初は考えもしなかったが、ナインツェを婚約者に公表した後、城の後宮に住ませておきながら、夜会後一度も顔を見せていない。魔女狩りが起こる前に自分が婚約破棄させたことに激怒しながらも、それ以上は追及してこなかった。むしろそこが怪しい。それならすぐに知れ渡ってもいいはずの内容が城内はおろか、街まで広がってもいない。貴族子女が、王家との婚約を破棄されて不安がらない家族はいない。もしかしたら口止めされているのか。だとしたらどういう理由で…。

 ぶつぶつと考えていれば、自室の扉前まで辿り着つく。とりあえず、難しいことはあとで考えよう。そう思って部屋へ入ろうとしたとき、背後から声をかけられた。

「なにかお悩みですか?“お兄様”」

「……あぁリジー。起きていたんだな」

 少しだけ驚きながらも最愛の妹・リジーに返した。それにっこりと笑顔で返したリジーはドレスの裾をつまみながら頭を垂れた。

 父親似の自分とは違い、母親譲りの美しいオレンジのブロンドは丁寧に櫛けずられ、うしろで結い編まれた髪はリジーの動きと共に揺れる。

「本当でしたらこんな時間に起きているとお肌に悪いのですが…、しかしお久しぶりですお兄様。なんだか垢抜けました?丸くなったというか、うーん何でしょう…。でも一年で随分お兄様の様子が以前より優しくなった気がします」

「……」

 恐ろしい女の勘とやらにガルディアは小さく震えた。垢抜けたかと聞かれた原因は、つい最近までティナとのやりとりだ。以前にもナインツェやルーフィニアに聞かれたが、自分自身の変化に気づくのが遅かったのに妹にこうも簡単に見分けられ、兄として男として軽く怖くなった。

「……しかし、一年ぶりに会う妹に素っ気ない反応ですね」

「女学校なら、身内でも異性では会いに行けないだろう」

「仰る通りですけどね」

 会話通り、リジーは全寮制の女学校に通っていて、つい最近に卒業したばかりなのだ。約一年ぶりだというのに、まるで昨日会っていた感覚だったガルディアはため息をついた。

「それに、花嫁修行も始まるので、本格的に相手のお家に訪問します。そうすればまた暫く会えそうにないです」

「お前も大変だな」

「女は賢い殿方に嫁げれば幸せなんですよ。まあ、お兄様より賢い殿方がいるか見てみたいものですが」

「その考え方は変えていった方が言いと思うが……」

 知らずに相手を軽く貶している妹にため息をついたガルディアだった。そう言った後、目の前の妹は何か思い出したのか。次に顔を陰らし、ガルディアに尋ねる。

「そういうお兄様だって………。あの、肯定してほしいことがあるんですが」

「なんだ?」

「…ここでは駄目です。中に入りましょう」

 深刻そうな顔のリジーを自室に招き、扉を閉める。椅子をすすめたが、両手を握りしめた少女は覚悟を決めたような顔で口を開いた。

「……お兄様は、ナインツェ様との婚約を破棄なされたのですよね?」

「ギーヴか……。口が軽いな相変わらず……」

 まさか身内通しで広がっているだけで、城内に知れ渡っていない理由の一つはこれか?

「いえ!でも、これはお父様とお兄様、ギーヴ従兄様しか知らないのでしょう?むしろ弟たちの耳に入らなくて正解です。……それで聞きたいのは、"本当に"破棄なされたのですか…?」

「……まさかあの人がまだ何か企んでいるのか?」

 あの人、と妹弟達には他人行儀で話す人物は、自分達の父親しかいない。リジーは頷いて口を開く。

「帰ってきた際の挨拶時に、お父様が…。私の婚約を発表すると同時に、お兄様達の婚約関係を終わらせ、婚儀に移ると。……そう、仰いました」

「……なん、だと。それはいつ…?」

「二日後の昼過ぎには、と……。お兄様。お兄様は、この結婚が嫌だったからお父様に抗議して破棄させたのではないのですか?お父様は「そんな事知らん」と言ってナインツェ様との婚儀を進めると仰っていました…!もう、呼び戻している最中だと…っ、」

 悪夢か、これは。

 最近父の行動が大人しいと思っていたら、これを狙っていたのか。いくら大公子息のガルディアといえど、破棄させたものは書類を通さない、口から出ただけのその場限りの発言かもしれない。婚約破棄を公にしなかったのは、無理にでもナインツェとの籍を入れさせ、ガルディアの行動範囲を狭くするための行動とも考えられる。とすれば、父はまた何かを考えている。そう思うしかなかった。だとしたら何か。

 また突拍子もないことを考えているに違いない。悩みこんだガルディアを心配そうに見つめたリジーは、次に扉のノックではっと気づく。

「失礼します。…あの、どうかされましたか…?」

 従者のルーフィニアがお茶の用意ができたワゴンを押してやってきた。

「いいえ、なんでもないわ。お仕事で難しい案件があって疲れていたみたいなの。ルー、お茶を淹れてあげて?その後でいいから私にも淹れてくださる?」

「はっ、はい!ただいま」

 やはり仕事でお疲れだったのか、とルーフィニアの読める表情でごまかせたことに安堵し、リジーはガルディアに顔を向ける。

「さっ、お兄様。温かいお茶を飲めば少しは気分も安らぎますわ。そしたら、またご相談にのります」

「…あぁ。すまないなリジー」

「いいえ」

 笑顔で返せば、最愛の兄は薄く微笑んだ。そして深くソファに腰かけ、ルーフィニアから受け取ったティーカップに口をつけた。リジーもルーフィニアから茶を受け取った後、後ろでティーカップが割れる音に振り向いた。その次だった。

「…っぐ、ぅあ……ッ」

 苦しそうに呻き声をだし、胸を押さえながら床へ倒れこんだガルディアにリジーは悲鳴をあげた。

「お、お兄様!?どうなされたのですか…!?ルー、今すぐ誰か呼んできて…っ!」

「は…、はいっ!」

 そして、ティーポットに気がついた。まさか、なにか入っていたのか。すぐに確認するも、それらしい匂いもしない。茶と完全に溶けきって分からない。一瞬だけルーフィニアが毒でも盛ったのかと考えてしまったが、ガルディアに忠実な、心優しい少年がそんなことするはずないとすぐに自分の考えを否定する。すれば一体…。そして、次にワゴントレーにあった小さい小瓶を見つける。包まれていただろう布についていた、金具留めに目を見張る。それは、我がアドバイン家の紋が印されていたものだった。

 王家はよくその身分を表すために、身に付けるものに家紋を彫り刻む。男なら剣の鞘、女ならペンダントやハンカチの刺繍になど。しかしその中でも頂の長は違う。長は家を護る務めがあり、義務がある。そのため小物だろうが武器だろうが、必要とあらば家紋を刻むことも出来る。そしてこの国の王となれば、尚更。問答無用で付けることが可能だ。それを十分に理解していたリジーは震えた。

 現段階で『アドバイン家』での邸の長は長兄であるガルディアだが、この国自体を治めている大公陛下は父だ。女学校に進学する前のおぼろ気な記憶だったが、あの人の性格なら、欲しいものならなんでも自分のものとする傾向があると知っていた。

 すなわち、なんでもない小包の金具に家紋が無理やり彫られていることから、これが父からの物だとすぐに理解出来てしまった。もしかしたら、父はとんでもないことに兄を巻き込もうとしているのかもしれない。

 人を呼びに行ったルーフィニアを待ちながら、青い顔の兄をみてどうすることも出来ないリジーは、自分の無力さを嘆いた。


*


 小一時間ほどで、王家かかりつけの医師がアドバイン家に到着した。切羽詰まった状態のルーフィニアから緊急事態と悟った医師は、補佐の看護師に声をかけずに向かってきてくれた。やせ細った体つきで、急いできたことが分かるくらいに、肩で息をしながら焦った表情をしていた。そして力がないリジーや小柄なルーフィニアに代わり、「疲れて寝込んでしまった」と理由をつけ、執事たちの力を借りてどうにかガルディアを自室のベットに運び込んだ。そのあと一通りの検査を軽くした後、尋ねてきた。

「なにか催眠薬のような、薬などを服用なされましたか?」

 立派な鼻筋にちょこんと乗っているようにも見える小さな眼鏡をくい、とかけ直しながら、優しい瞳は医師の視線でリジーに問いかけた。

「いいえ…。ただ、その、お父様から贈られてきたお茶を飲んでいただけです」

 険悪な親子関係と言えど、そう簡単に親が子を暗殺しようとしているなど考えられない。いや考えたくもない。そのリジーの回答にふむ、と顎下を撫でた医師は、次にルーフィニアに質問する。

「失礼ですが、貴方はガルディア様の従者であらせられる。日頃の不満などは…」

「そっ、そんなことあるわけないじゃないですかっ!!先生は、僕を疑っていらっしゃると!?」

「失礼した。ただ聞いてみたかっただけです。……そうですか、では…。いやしかし」

「先生…?気になることがあるのならどうぞ、お願いいたします」

 顔の表情が怪しくなった医師にリジーは不安になって顔をのぞきこんだ。その彼女に、医師は決意して口を開く。

「……毒薬、に、近い成分が検出されています」

「どく…っ、」

 先に言葉を失ったのはルーフィニアだった。しかしそれにおくさず、医師から続きの言葉を待っているリジーは、王女である佇まいを崩さぬように発言する。

「先生、兄は…。今でこそ頻度は減りましたが、幼少頃は何があっても大丈夫なように、毒薬の服用を行っていました。いつ襲われ、暗殺されるか分かりません。…今、似たようなこの状況でも。しかし、それに兄は耐え、勝ち続けてきた御方です。どこにでもあるような、それこそ訳の分からない薬で体調を悪くするなど、過去にもこれまでにもありません」

「仰ることはよく分かります。…毒薬といったのは、少し大袈裟でしたでしょうか。あまりうまく言えないのですが、症状が似ているのです。毒薬のように一瞬で体をむしばんだ後、催眠薬のように一気に意識を失うように眠りに落ちた…。体に害がないと現段階で判明出来ましたが、無理はいけません。問題のお茶ですが、茶葉でしょうか?それとも水か。そうなればこの国すべての水道管を点検しなくてはいけない大事まで発展します。なにか心当たりは?」

 そう言った医師の発言に、今まで黙ってみているしか出来なかったルーフィアが声をあげた。

「…あっ、の!じ、実は、紅茶に入れていたものが原因だと、思われます…」

「ルー…。まさか、それがお父様からの『贈り物』ってこと…?」

「はい」

「すぐにこちらへ」

 手を伸ばした医師へ問題の小瓶を渡す。中身は黄金色に輝く蜂蜜のようであった。包んであった布の金具留めだけではなく、その布の一角と小瓶の中身を塞ぐコルク、そして小瓶の底裏にもうっすらと、アドバイン家の紋が刻まれていた。主調が激しいそれを見た医師とリジーは息をのんだ。

「現状、これが怪しいですな。なんとか理由をつけて持ち帰ることは可能でしょうか?それが出来ればこちらで調べてみます。ガルディア様から検出された薬用の配合とこれが一致すればあたりです」

「では、父には『愛用してなくなった』とでも伝えしておきます。……先生、宜しくお願い致します」

「正確には、調合薬師が、ですかな」

 やっと本来の朗らかな笑顔を見せてくれた医師は、目尻に愛嬌があるしわをみせた。

 最終的に、すぐ無くなったと言えば怪しまれるだろうと言われ、ほんの数滴をシャーレに垂らして蓋をし、それを医師に渡したリジーはついに不安そうな顔を隠せずに言った。

「あの先生、この事は……」

「えぇ。もちろん他言無用に致します。調合師にも伏せて調べて貰います」

「はい。ありがとうございます」

「またなにかあれば呼んで下され」と去っていった医師は、突然の時間にも関わらず丁寧なお辞儀をして帰っていった。リジーも淑女らしい礼をし、ガルディアの自室に戻った。そこには、罪悪感にかられたルーフィニアがベッドサイドに置かれた椅子に腰かけたまま、じっと動かず、ただ主人を見守るように両膝の上で拳を握りしめていた。

「…ルー」

「リジー様…」

 声をかけ、顔をあげたルーフィニアは、今にも泣きそうな顔で目元を腫らし、瞳が不安定に揺れていた。

「誰も貴方を責めていないわ。憎んでもいない。執事長だって、最初は分からずに受け取っていたんでしょう?私にも非があるわ。我が家だからって、王家が気を抜いたらどうなるか、ちゃんと理解しておかないといけない、とね」

「いいえ、いいえ…!僕は、これがスフィロス様からの贈り物と知って受け取っていたんです…!これまでガルディア様に害あるものが多かったですが、今回のものは、悪意があるように思えなかった。むしろ、ガルディア様の事を気遣っているようにも思えていたんです……。しかし違いました。あの御方は、どこまでもガルディア様を憎んでいらっしゃるようだ……」

 何故、と言いたくなったルーフィニアにリジーは傍に寄り添い、ルーフィアの拳を優しく包みこむ。

「大丈夫…、大丈夫よ。いつか…、もしかしたら相当な時間が掛かるかもしれない。それでもお父様とお兄様が和解できる日がきっと来る。…絶対に。だから諦めないでルー。それまで、お兄様を支えてあげて?お願い」

 優しく言う言葉とは別に、思いを込めた(かんじょう)がルーフィアの拳に負けないようにぎゅっ、と包みこむ。

「大丈夫。大丈夫よ。私達以外にも、お兄様の味方になってくれる人はいるわ…。頑張りましょう、ルーフィニア」

「はい、リジー様…っ!」

 ぐっ、と決意した顔のルーフィニアを見つめ、少しは大丈夫だろうとリジーが思ったとき。後ろから布擦れの音が耳に届いた。振り返った時、短くはあったが数時間眠り続けていたガルディアの瞳がおぼろげに瞬きしていた。意識が戻った。そう安堵して、ルーフィニアも感極まったように声を出した。

「すみません、すみませんガルディア様…っ!大公陛下からの贈り物と聞いたときすぐに相談すればよかった!僕がもっと気をつけていれば…っ!」

 起きたばかりのガルディアに急いでも仕方ないだろう、しかし謝らずにはいられないルーフィニアをなだめながら、リジーも声をかける。

「お兄様、気分はいかがですか?どこか体調が悪かったりしませんか?」

 ゆっくりと状態を起こしたガルディアを支えながら、リジーは首をかしげた。それに少し遅れ、ガルディアは口を開く。

「リジー、お前どうして邸にいる。しかもこんな真夜中に…。女学校はどうした?」

「……え?」

 返ってきた言葉に、リジーは遅れた。一瞬だけ、『何を言っているの』と言いそうになったことを抑え、リジーは返す。

「…い、嫌ですわ、お兄様。最近卒業したばかりと今日お伝えしました。これからは婚約者のお屋敷にも行くので、またしばらく会えなくなると思い、今日一年ぶりに尋ねてきたんですよ…?それで…、」

 おかしい。真面目で堅実な兄の言葉に冷や汗がでそうになる。なにか時間の歪みが起きていそうな不安をかき消そうと言葉を続けたとき、ガルディアに遮られた。

「そういえば、ナインツェ嬢はどうしている?私が“日勤”なばかりに一緒にいる時間が少なかったが…、今はもう眠ってしまっているだろうな」

「…っ!」

 次に言葉を失ったのはルーフィニアだった。以前ガルディアは日勤であったが、隊員の変動と配置替えにより、ガルディアは少し前から夜勤勤めになったのだ。そして普段の生活から、兄の様子が心配だったリジーは女学生時代から、手紙などでルーフィニアから随時ガルディアの日頃の様子を教えてもらっていたのだ。だから兄が言った『日勤』という言葉だけで理解してしまった。

 ガルディアが昏睡状態に陥る前、リジーにナインツェとの婚約破棄の件について話し合っていた。それはまだガルディアが日勤勤めだった時で、いつだったか、ガルディアが婚約破棄をしたと邸の者から聞いたルーフィニアからの手紙で、リジーは不安になったことを覚えている。その時にはもうすでに夜勤勤めになったとも手紙に綴られてあった。父が勝手に決めた事でもあったため、それほどまでに兄に迷惑な話であり、いち早く解決させたいことなのだと妹のリジーにも汲み取れたのだ。それが、今はなにもなかったかのように話題に出した。

(どうして…。お兄様は彼女から避けたいから私に相談してくれたのではないのですか?)

 顔をうつむけてしまった妹を心配して首を傾げつつも、先程から痛いくらいに刺さっていたルーフィニアからの視線にも答えた。

「それにルー。お前もどうした。なぜそこまで父上を気にする?」

「え?」

 いつもならその名を聞けば眉間にしわができるほど苦々しい顔をするのに、今の主人は「親を疑うなんて何事だ」という、ただ疑問をなげる顔つきでルーフィニアを見つめていた。本来ならそれが正しい。しかし主人の家庭環境、とくに父子関係は再生できないほどに歪み切っているのを、ルーフィニア自身ガルディアから伝えられ、理解していた。

 なにかが消えた。

 本来嫌っていたものとそうでないものがごちゃ混ぜになっている。

 そう思ったルーフィニアは、行き場のない焦りをただ無理やり飲み込むしかなかった。

「それに、あまり待たせすぎても駄目だしな。近いうち、父上に相談に行く予定だ」

「……っ」

 自ら父親の元に向かうという言葉にも驚いたが、別の疑問にも嫌な予感が走り、リジーは恐る恐る尋ね、そして言葉を失った。





 文字通り、言葉を失った。

 あの真面目で遅刻もしないガルディアが無断欠席した。その翌日。以前から婚約関係にあったガルディアと侯爵令嬢との正式な婚儀が決まったことだ。

 そのことを遅刻と無断欠席の謝罪と共に上司に伝えているのか、同じく上司に要件があったため薄い扉をノックしようとした時、向こうの会話が聞こえてきしまい静かに退散しようとした同僚―シルヴィ・ウェンハムは一気に青ざめた。

(これは…、まずい)

 なにがまずいのかというと、シルヴィが真っ先に思ったのが忠誠を誓う主君と「本当の」上司にだった。

 シルヴィは、マルガレッタ家に仕えていた騎士の子供であり、当時のマルガレッタ家破滅時、顔は覚えられていなくて当然の幼子であった。それから月日がたった今、市民には知られていなくても、アドバイン家とそれに忠誠を誓う騎士の中には、グリスとウィルの顔を知っている、もしくは因縁があり忘れるはずがないという人物もいるため、まだまだ騎士としては浅い見習いであるが、顔が割れていないシルヴィとその他の騎士達が現在の騎士団に潜入して情報を集めているのだ。

 そして我らが崇め奉るティーアナ姫が恋い慕う、相手の事に繋がるからだ。今まで知らされていなかったことだが、彼女の侍女であるベネジッタと、上司である元騎士団団長のグリスの会話をたまたま盗み聞いてしまったシルヴィだからこそ確信を得てしまったのだ。

 以前から盗み聞きの癖をどうにかしろとも上司であり隊長のウィルにも言われていたが、これは本当に自然に、仕組まれていない状況下が多いのだ。注意しろと言われても、どうすることも出来ない体質なのである。

(姫様は、ガルディアに心を奪われてしまっている)

 しかしそれは、立場上憤ったり悔やむことが先だと思うが、シルヴィには悲しいという感情が出てたのだ。

 そして運がいいのか悪いのか、シルヴィの同僚の中にはあのガルディアがいたのだ。

 最初は運がいいと、彼に近づいて一緒にいるようにしていたが、イメージがぐるりとひっくり返された。あの大公陛下の息子というのだから、どんな破天荒な人物であるのかとも考えていた。…考えていたのが、それが愚かしくなるくらい、彼はよくできた人間だった。冷たいような視線とその容姿、些細な行動に噂の尾ひれがつき、『冷酷無比』と言われていることに少し肩をすくめていたが、あまり気にしないようにしていた。

(これは、この人物は、ほんとうにあのアドバインの子なのか…?)

 途中から疑うよりも彼に向き合うように仕事の愚痴を聞いたり、まだ片手で数えるくらいだが、憎い父親の話題もでたことがあったのだ。それほどまで、シルヴィはガルディアと打ち解ける、『ただの同僚』より、『悩みを打ち明けられる親友』にまで格上げされたと言っても過言ではなかった。

 そういう関係にまでなってしまったからこそ、自分が嘘をついて彼に近づいていることが悲しくもなったが、今一番、仕えている姫の意中の相手がガルディアということに、シルヴィはいたたまれなくなった。もうすぐ報告を終えるガルディアが部屋を出てくる。咄嗟に離れて自席に戻ったはいいが、彼の事だ。鋭い瞳とは無関係に優しい顔をして自分に報告してきそうだ。

(今まで他人の幸せを願う顔をしていた君が、ついに自分の幸せについて語り明かしてしまう日が来てしまうとは)

 悪い噂がたたぬようにか、ガルディアと関わろうとしない騎士達には、いたっていつも通りに見えると思うが、この数年で親友ほどにまで打ち解けた関係になったシルヴィには分かる。慈愛、までとはいかないだろうが、幸せに満ちた表情をしている、と思った。

 彼のほうがいくつか年上で、まだまだ愛だとか恋だとかいうものに恥ずかしいシルヴィでも、これには胸が痛くなった。

 敵だとか同性だとか、一人の人間というの関係なく。

ただやはり、主人の幸せをいちばんに考えたら、彼の幸せを祝ってやれる気にはなれなかったのだ。



 重たい足を引きずるかのように歩く。今日はあまり事件性があるものもなかったし、静かな夜中では人の気配さえない。肌寒い風がシルヴィの襟足を撫で、小さく身震いする。そして通り過ぎた庭広場で、ぴたりと足が止まる。この間あった魔女狩りも、ティナとウィルが収めたようなものの、ティナの突発的な行動にベネジッタはひやひやしたと言っていた。そして上司であるウィルにも。いくら注意しても聞き入れない彼をなんとかしてくれないか、とぼやかれもしたが、部下の立場である自分からしたら無理な相談であり、愛想よく話を聞いているしかできなかったことも思い出した。

「……」

 疲労か、それとも別のものか。シルヴィの小さなため息がひとつおちる。この国は、人は、何のために生きているのだろうか。無邪気な顔で、何も考えず、もしかしたら自分たちと変わらない生活を送っていたかもしれないのに。

 ふとそんなことを考えて、夜勤明けの眠たい頭を左右に振る。

(いけない、また変な考えをするところだった)

 無意識にネガティブな方へ考える癖も治さねば。それ以前に自分に自信をつける努力をしないと。そう気を持ち直して止まっていた足を動かした。


*


 隠れ家に戻ってきたシルヴィはやっと安堵のため息をついた。あの国にいるのは、身が引き裂かれる思いになる。そしてひとつの人影に気付いた。それはティアーナ姫以外の何者でもなかった。今朝から、我らが姫の容姿が変わった。変わったと大袈裟には言ったが、変化は髪型だけだ。

今まで両側で編み込まれた髪を白いリボンで結いまとめ、長く輝かしい赤毛をなびかせていた髪は、今や後でひとつに纏められていた。蝶のように耳の横で羽ばたいていた白いリボンはひとつになり、片割れを失ったようでどこか淋しさも感じた。

 それは、彼女の心の変化なのだろうか。心境の変化というには見えない彼女の近寄りがたい真剣な表情からは、なにひとつ読めない。ただ一点、もうすぐ夜が明ける空を見上げるように宙を見つめていたティナは何かに気付き、次に輝かしい金色の瞳はシルヴィを捉え、笑顔を咲きほこらせた。

「シルヴィ!お帰りなさい」

「ただいま戻りましたよ、姫様」

 ひとつしか違わない年下の姫主人がパタパタと駆け寄ってくるのと一緒に元気な赤髪が揺れる。それにシルヴィも胸に手を当て返事をした。

「姫様、もしかして眠れなかったのですか?」

「ううん、ちょっと早く起きれただけ。寝付けなかったのは、まぁ当たり」

 へへっ、と少しばつが悪そうな顔をするも、シルヴィは首を振る。

「姫様は、偉いです。頑丈です。それでも貴女は私たちの姫様であり、一人の女性なのです。無理はなさらず」

「…ありがとうシルヴィ。私をちゃんと女扱いしてくれるのはベネジッタとシルヴィと、それから……」

「?姫様…?」

 少しの間が出来てしまい、返事を促したシルヴィにティナは「はっ」とした。

「ご、ごめん。ごめんね、なんか色んなことがありすぎて、決心したはずなのに、頭が追いつかないの……」

「っ……」

 追いつかないのは、当然だ。

 なにが悲しくて自分たちは主人たちや同僚を失い、身を潜めながらいなくてはいけないのだ、と。

 シルヴィは、ただ目の前の姫主人が悲しい気持ちを押し殺していることにかける言葉が見つからず、拳を握り締めるしかない。隊長のウィルのように気さくな話し方や、気を紛らわせるような話題を持ち合わせられていたら別だったかもしれない。

 そしてひとつ、ティナの侍女であるベネジッタの存在が浮上した。

「…そ、そういえば最近ベネジッタさん元気ないですけど、大丈夫ですか?」

 彼女も姫を一番に心配している人物である。その名前が出たことに、ティナは心配そうに顔をうつむけた。ティナに何かあれば生きていけなさそうな侍女を考え、ため息が出た。

「あぁ…。ウィーやじいと最近何か言い合ってたのは知ってるんだけど……内容までは知らないかな」

「隊長もなぁ……。早く言っちゃえばいいのに…」

「えっ、なにを?」

 急に気になる返事が返ってきて、ティナはシルヴィに詰め寄った。それに「えっえっ!?」と慌てたシルヴィは言う。

「知りません?隊長、ベネジッタさんに気があるのにチャンスを逃してこの現状なんですよ」

「う…っ!」

 嘘っ、と叫びそうになったティナの口をおさえるのが遅かった。その場にいたシルヴィの頭はキーンと鳴り、森の木々にとまっていた小鳥達がバササッと、飛び立った羽音が聞こえた。

「……ごめんなさい。てっきり一方通行かと思ったわ……」

「俺もすみません……。まさかそこまで脈がなかったなんて……」

 もう遅いだろうが、自分の両手で口をおさえたティナは、口に指を当て「しぃー」とジェスチャーするはずだったシルヴィに、こくこくと頷いた。

 いや、脈はある。ありすぎている。というかこれ両想いじゃないかと思ったティナは、隠れ家の扉前にいつの間にかいたウィルにびくりと肩を揺らした。

「…なぁーにやってんだ二人とも。シルヴィ、お前帰ってきたなら報告済ませてからにしろ。じじいに怒られても知らないぞ」

「あ、はいっ!それじゃあ姫様、また」

「う、うん…」

 正直一人にして欲しくなかった。ウィルの視線がいたいからだ。

(噂をすればなんとやら…)

「ティナ、眠れなかったのか?」

「シルヴィにもさっき聞かれたけど、本当に早く起きれただけ。そして夜明けの空を眺めてただけ」

「そうか…」

 まだどこか質問がありそうなウィルの顔と声に次はティナが質問する。

「ウィーもどうしたの。そんな怖そうな顔して」

 影で隠れて見えないが、そういうふうに見て取れた。それに無言のまま息をつき、ウィルは返した。

「ティナ。お前、これまでの記憶を消せるか?」

「記憶……?」

 どういうこと、と聞く前にウィルは口を開く。

「じじいは、これからお前に薬を服用させる。アドバインを討つために。旦那様達の仇をとるために。その為にはガルディアに惹かれているお前の感情が邪魔で、消すのが早いと判断された」

「な…っ、待ってよ!私はそんなのっ」

「『そんなの許さない』と、ベネジッタからは止められている」

「っ……」

「俺は一騎士としてじじいに従わないといけない。けど、ベネジッタの思いも、ティナ。お前の気持ちも分かる。でももう引き下がれないところまできてるんだ」

「や…。嫌だ…、そんなこと、するくらいなら」

「だからティナ。薬を飲んだふりをして、『記憶を消せるか』?」

「……」

 もう身内にも手段を選ばなくなったのかと思ったティナは、引きつりそうになった声を抑えた。

「……え?」

「お前が綺麗さっぱりあいつのことを忘れ、スフィロスを討つことだけを考えていれば、じじいも薬が効いたと錯覚する。ただベネジッタや俺以外の連中の前で毅然とふるまっていれば、誰も気づかない」

「ウィーはそれでいいの…?じいに逆らえば軍舎を一人で掃除しろとか訓練前に死ぬほどきついメニューやらされたとか過去散々やってたじゃない」

「…なんでそういう愚痴までおぼえてるんだ。それは置いとけ」

 本題に戻るぞ、というウィルにティナは姿勢を正すように彼の瞳を見つめた。

「それができるなら、お前に無理に薬は服用させない。あいつとの記憶も残したままにしてやる。ただその分、お前にかかる負の連鎖はなくならない。むしろ増えていく」

「…いいよ。それでいい。お父様たちの仇も、ガヴェル様と再会できる手段も残っているなら、それがいい」

「ティナ。第一の『目的』はアドバイン…。スフィロスの死だ。旦那様達の仇を討った後であいつのことでうつつを抜かしてくれればいいから、それまではしゃっきりしててくれ」

「……ねぇウィー。なんだかんだで私に甘いよね?」

「ティーーナーー?薬を飲まされたいかーー?」

 わざと低い声で言うウィルに「ごめんなさいっ!!」と瞬時に謝る。それをみたウィーは息苦しそうに服をつかんだ。

「ベネジッタが泣いてしまう位には懇願された。ティナの幸せが一番、ティナの感情が一番だって、そう言われた。だから、これはベネジッタの願いでもあるんだ」

 侍女の優しい想いに胸がいっぱいになる。従わねばならないグリスの命令に歯向かってでもティナを優先してくれたウィルにも感謝があふれて止まらない。

「…ありがとうウィー」

「それは、全部が終わった時に受け取るよ。…まだまだ先だろうけどな」

 気が遠くなるようなため息をついたウィルにあはは、と。しかし次に、真剣な声色で小さく返したティナだった。


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