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恋する乙女は花の精  作者: 花園
第1章
12/23

第11話 再会と雨

 外は雷と大雨という荒れた天気の中、室内は静かに音をたてて燃える薪木だけが小屋中に響く。小さいがそれだけで役目を果たしている暖炉を囲むのは吊るされた二人分の濡れた衣服と、その当人達だけ。ときおり動くと着擦れの音も響くそんな環境で一人、母親からこの小屋を受け継いだ少女・ティアーナは激しく後悔し、そしてとても羞恥にまみれて身動きがとれずにいた。その原因は隣にいる青年しかいない。

 両親に会いに、かつて両親が二人きりで逢うために建てた逢瀬場所の小屋にガルディアが訪ねてきたからだ。まだ話をちゃんと聞いていないため分からないことはあったが、「巡回」という言葉で勤務中だったことは理解できた。…理解できたが、今のこの状況には理解したくなかった。ティナ達は敵対関係にあたる家系であり、今もこの状況だったら一触即発で戦闘になりかねないほどだ。しかしそれはティナとガルディア、男女という性で会ってしまった段階で終わっていた。瞬くまにティナはガルディアに心惹かれたが、身内がそれを許すはずもない。

 どうにか思い出の一部として忘れようとするも、その気持ちは少女の葛藤とは裏腹に再会してしまう状況に、ティナはガルディアへの想いを失くすことができないのだ。

 そっと視線を横のガルディアに向ける。鋭い瞳は、暖炉の炎を映して赤く揺らめいている。そんな横顔に吸い込まれそうになるティナに気付いたのか、赤みがかった瞳は元の漆黒に戻り、ティナを視界に入れる。

「ティナ」

「っ…、はい!」

 一瞬で現実に戻されたような鋭い、しかし優しい声色に丸めた背筋を伸ばした。

「そんなにじっと見られても何も出せないし、力になれるようなことも出来ない」

「え?…い、いえ、ただ私はガヴェル様に見惚れていて……、」

 それを聞いたガルディアは瞳を見開いて見つめ、ティナは自分で言った言葉にあとから恥ずかしくなって手で顔をおさえた。

「すみませんすみませんっ!卑怯ですよね!こんな時に言う事じゃないですよねッ!!?」

「いや…。ティナ、少し落ち着いたらどうだろう」

「へ…」

 現在、二人の服は濡れて乾かしている最中だ。前もってベネジッタが用意してくれたタオルなどで髪なども拭くことはできたが、なにぶん人を包みこめるほどの物はなかった。その為二人は肌着を着ただけに近い格好で暖をとっていた。

 そして結婚前の男女が二人きりでこの状況とは、色々突っ込みたい部分が多い。ティナのネグリジェのような下着姿をなるべく視界にいれまいとしているのか、最低でもティナの顔だけにとどめているガルディアに遅れて羞恥がくる。

(…今日は、なんだか不安定だ私…っ)

「…あの、ガヴェル様。「巡回」と言っていましたが、何か事件でも起きているのですか?」

 話題を変えようと必死に考えて、ガルディアが現れた時に言った言葉を思い出す。それに難なく返事したガルディアは答える。

「最近、この周辺で亡霊を見たとの報告が入ったんだ。しかも場所がマルガレッタ家所有の地だ。…あまり気にしない者もいるが、不安な者がいたんだろう。そして一番行くのに適切だろう私が呼ばれた」

「……」

 ここ最近両親に会いに来ていたのはティナだ。昼間静かな場所で夜になると人の影が見えた、声が聞こえたなどの正体は、全てティナの他いなかった。それがたまたま民達の目に入り、噂が広がってしまったのだ。自分の考えなしの行動がまた、まわりの人物への迷惑となってしまった。

(……なんて役立たずな姫なの、私)

 現状分からないが、これではグリスが私を戦場に立たせてくれるはずがない。姫という立場から敬ってくれているだけで、そうでなかったら私はひとりの少女にすぎない。年齢的にはとっくに成人だが、これではなにも出来ない子供そのものだ。

 溜息がこぼれた。静かな空間でそれはすぐにガルディアの耳に届く。

「ティナ?」

「私、何も知らない、なにも出来ないお荷物な姫だってようやく理解できました…」

「どうして」

「『どうして』?」

「貴女は今まで身を潜め、地獄のような環境で生き抜いてきたんだろう?それだけでも大したものだ。普通は打ちのめされ、これでもかと追い込まれた状況の中立ち上がる人間の方が少ない」

 励ましてくる。こんなにも優しく褒められたのは、久しぶりかもしれない。嬉しくなった。

 くしゅっ。

 次にティナの小さなくしゃみが響き、咄嗟に、心配になったガルディアの腕が伸びたと思ったら、ぴたりと止まった。

「…ガヴェル様?」

 不思議に思ったティナが見上げると、先程まで優しい顔をしていたガルディアの表情は重く、陰っていた。

「……私は、今このような状況でなくても、貴女に触れる資格がない……」

「……」

 そう言うガルディアの頬にそっと手を伸ばす。

「私は、触れて、欲しい…です。抱きしめて、欲しいです…。大好きな貴方に…」

 恥ずかしくなり、最後だけが小さくなりつつも、まっすぐにガルディアを見つめて伝える。

「……ティナ。今だけ、この時だけ許してもらえるだろうか」

「はい」

 適度に鍛えられた両腕がティナの身体を包みこむ。壊れ物を扱うような優しいその腕に、ティナは微睡んでしまいそうになるのを堪えながら、ガルディアに身を任せた。

 どく、どく、と聞こえてくる心臓の音にティナは幸せになった。彼が生きていることが幸せなのだ。そして自分も、今この時間が他の何よりも幸せで、時間が止まれと願ってしまう。しかしそれは、愛する者が待たせてくれない。

「…ティナ、私は一度騎士団に戻って報告してくる。“この地”にはもう誰の手も届かせないよう、上司に相談する。…通ったとして、もし父の手が貴女達に伸びてくるようなら、私が止める」

 その言葉に咄嗟に反応して、ティナはガルディアを見上げる。すれば少しだけ晴れたような顔をしていた。心の中ではまだ悩んでいるだろうに。

「ガヴェル様…。私、私は…、貴方の役に立つためにまた身を潜めます。…そして、いずれはスフィロスの首をとります」

「…あぁ。そうしてくれて構わない。私も父も、王家皆に責任がある。マルガレッタ家だけに重荷を負わせる気もない。それが済んだら、私もいなくなる。出来れば、貴女の手によって逝きたい」

「…っ、それは嫌です、駄目です…!ガヴェル様は将来この国の上に立つ」

「それは本来貴女の役目だ、ティナ」

「そんなのずるいです…」

 涙が出そうになって、ガルディアの胸に顔をうずめる。そして、考えてはいけない思いが出てしまう。

「お願いです、ガヴェル様…。一緒に、逃げてください…っ。誰の手も届かない、誰も私達を知らない場所へ…」

「…っ、ティナ。どうか弱気にならないでくれ。父を討てば、マルガレッタ家は太陽の下を歩ける日へ戻る。それまで辛抱してくれ」

「貴方を縛るのは家名ですか?なら、それを捨ててください。そうすれば、私も惜しむことなくマルガレッタの名を捨てます…!」

「ティアーナ!」

「!!」

 肩をつかまれ、ガルディアの叫ぶ声を初めて聞いたティナはびくりとした。目の前の彼は、どこか辛い表情をしている。

(…そうだ。これでは私のわがままにすぎない。またそれで周りの皆に迷惑をかけてしまう…)

「では、これを預けていってもいいでしょうか?ガヴェル様の為に。私の為にもなるように…」

 憎んだ神への願掛けかもしれない。自身の髪を結っていたリボンを一本ほどいて託したティナに、ガルディアは静かに頷いた。

 もう、覚悟を決めるほかないのだ。

 涙を堪え、決心したティナをもう一度抱きしめたガルディアは決意した。



 一刻も早く愚王(スフィロス)の首を討ちとる、と。

 権威に溺れてマルガレッタ家を皆殺した、報いを受けてもらう。



*



 朝日が近づく。外の豪雨や雷も落ち着き、水を蓄えた緑が鮮やかな色をしている。別れる時間が来てしまった。以前花畑で別れた時よりも名残惜しく、また焦燥感にかられながらも、ティナは何かを決意した顔のガルディアの邪魔をしたくないと思いつつ、しかし思うことがあり聞いてしまう。

「ガヴェル様、今更なのですが、スフィロスを狙う私達の前に、貴方が父親の首を狙うのは…正気ですか?」

「あぁ…。以前からどうにかせねばとも考えていた。今この国は格差社会が出来ているが、民たちは難なく過ごしている。…父の存在さえなければ、だ。あの人は横暴で、自分の事しか考えていない。それで周りがどれだけ忙しく動いているか知る由もない人でなしだ。ティナがガイヤレス様達の仇をとるのも知っている。…いい加減、頃合いかもしれないと思った」

「……」

 両親に愛されて育ってきたティナとはまるで正反対に生きてきたガルディアに何も言えなくなり、そのままうつむいて黙り込んでしまった。しかしティナの手を握りこんだガルディアに、視線を戻した。

「しかしもしそれが叶ったら、貴女も私も、父の呪縛から解放される。そうすればあとは民達を説得すればいい。「真の王はマルガレッタ(ティアーナ)」だと」

「…それが叶わなかったらどうするのですか…?良くて追放、悪くて斬首は免れないかもしれません…」

「そうなったら貴女の手でお願いしたい」

「イヤ、です…。私は、貴方との未来が欲しい。貴方と一緒に年をとっていきたい。貴方と、……っ」

 ついに我慢していた涙がこぼれ落ちた。何度言っても彼は父の罪ごと自分を終わらせるとを言うのだ。反対してもこの頑固さはどうしてくれよう。なにも出来ないじゃないか。

「ティナ、私は貴女の辛い顔を見たくない。どうか笑顔でいてくれ」

そう指でティナの涙を拭うガルディアに、止めたくても止まらない、どうしようもできない涙を流す。いっそこのまま彼をこの小屋の中に閉じ込めたいとでも思った。


「…ティナ」

「?」

 次に拭っていた指が開き、両の掌で頬全体を包まれた。次にくる行動が見えずに少し構えてしまうが、目尻近くにあたった感触に思わず目を見開いた。真剣な、しかし優しい眼差しで見つめるガルディアに、ティナの涙はいつの間にかぴたりとやんでいた。実際に、涙を止めるようにガルディアからキスされたという事実を理解して一瞬で頬を赤くしたティナを見つめながら、ガルディアは告げる。


「すべてが終わり、民達からも許されたとき、私は貴女を迎えに行く。必ず」

 約束だ、と身体を抱き寄せ、それにティナも小さく頷いた。







 ガルディアに別れを告げ、後を振り返らずに道を進む。解決すべき問題を済ませなければいけない。まわりが明るくなったことで歩きやすくなった道を進んでいくと、見慣れた帰路になっていく。

 最初に考えたことは、ベネジッタのことだった。きっといつも以上に心配をかけさせてしまったと思うから、もしかしたらずっと扉の前で待機していてもおかしくなさそうだ。用意してくれた茶菓子やタオルのお礼もしないといけない。

 それから、ウィル。ティナのことになると過保護と手段を選ばない質なので、いつも後が怖い。今回はその相手がいないために、お怒りの雷がティナに落ちることがほぼ確定できる。そして、この2人共待機していることだって思いつく。情緒不安定な侍女と叱り足りない騎士の両方から攻められる構図にティナは今から気が遠くなる。

「…ーナ、…ティアーナ!!」

「っ」

 呼び慣れた声にはっと視線を向ける。重たい足取りはいつの間にか隠れ家に着いており、今まさに扉から出てきたベネジッタの姿があった。上からブランケットを羽織っていただけで、乱れた髪の侍女が次第に瞳を潤ませる。

「今まで夜更け前には戻ってくるから心配で…。あんなに荒れた天気だから探しに行くのも止められたから、探すなら早いうちからと思っていたの……。おかえりなさい、ティナ」

「…ただいま、ベネジッタ。あと心配かけて、ごめんなさい。私…、私ね、皆の為に…」

「ティナッ!!」

 ビリリッと胸に響く声が響いた。ベネジッタを壁にしながらゆっくりと見つめると、そこにはまさしく騎士のウィルが仁王立ちで、凄い剣幕で、今にも火を噴きだしそうな竜のように唸っていた。

「ウィー……」

「あれだけ単独行動はしないと言っただろう!?俺たちに迷惑かけて楽しいか?愉快か!?心配する者の立場になってみろ!俺はいつもヒヤヒヤしてるんだぞッ!!」

「……びっくりした」

「あぁッ!?」

「ウィーがそんな風に私に怒ったこと今までなかったような気がして…。えと、注意されることはあったけど、きついものはベネジッタのほうがきつかったというか……」

「ティナ、今なんて?」

 おっと、いらぬ油を注いでしまった。ベネジッタに笑顔で肩を掴まれたが、少しだけ痛い。

「じゃなくて、…ごめんなさい。私に非があるのは認めてる。でもこれからはウィー達の思いに答えられるようにするから。…昨日までは少し、余裕がなかったの。ごめんなさい」

 かつてこれまで、素直に謝ってきた主君を見るのが少なかった為、従者たちは沈黙してそれから頷くしかない。

「ちゃんと反省してるならいいのよ。さ、中に入りましょう。菓子だけじゃお腹すいたでしょ?」

「うん」

「その前に…。ティナ、少しだけ話がある。ベネジッタ、お前はじじいが呼んでいたから、ちょっと行ってきてくれるか?」

「えぇ、分かったわ。じゃあティナ、後でね」

 小さく手を振るベネジッタに返しながら、ティナはいまだ凄い剣幕のウィルに若干怯えはじめてきた。

「…ティナ。お前、またアドバインの子息と会ったのか?」

「な、」

 なんでそれを、と言うのをお見通しされたようにウィルが言葉を続ける。

「市民街を出る時、これで終わりとお前は言った。突然だったといえど、魔女狩りでばったり会ってしまったことは、まだ俺がいたからカウントしてないことにしてる。でも今回はどうだ?2人きりで会っていたんじゃないか?そうでなきゃお前がこんなピンピンした状態で戻ってこれることくらい予想できる」

「ウィー…。貴方やっぱり勘違いしてる。ガヴェル様は優しい人よ、「冷酷無比」なんて言われているけど、それは知らぬ人たちが彼の魅力を分かっていないだけ」

「それでも敵なんだから警戒して当然だ。大事な主人が敵陣の策によって最悪なことにならないかいつも考えないようにしているのに、お前ときたらその自覚がない」

「…自覚」

「お願いだから、皆が不安がるような行動はやめてくれ」

「…、これから気をつける」

「あぁ。もし外の空気が吸いたいとか今回みたいに息抜きしたいっていうなら」

「護衛でしょ、分かったわウィー」

 予想できた回答を言ったティナに、先に言われたウィルはしばらく呆然とし、頭をかいた。

「いつもそれが出来てればこっちの苦労も少しは減るのにな…。なぁ、ティナ。俺じゃ駄目か?」

「……えぇ?」

 ウィルの最後の言葉に少しだけ時間がいるのは無理もなく、だらしない声が漏れた。



*



「逃げ道…。あのグリス様、この事ティナには…」

「勿論まだじゃ。…名を伏せ、近いうちには報告するつもりである」

「…そう、ですか」

 グリスに呼ばれていたベネジッタは、これからの事について報告を受けていた。それは、スフィロスへの断罪とその後の行動だ。今現在、騎士として街に潜伏している者との連絡で大した事件が起きていないことは知っている。しかし先王を騙し、主達を葬った彼のことだ。突拍子もなくなにか事件を起こすのではないかと騎士達は考えていた。もしそうだったら人目をはばかるように暗殺した方が早いという結論が出たそうだ。それを一番に提案したのが、ウィルだったらしい。

 成功した時、民達を不安にしていた原因から解決しながら、次期にティナが玉座に戻れるよう改善していく。いまだマルガレッタ家を忌む者達も少なくないだろう。それも改善していかなければいけない。

 そして、最悪失敗した時。騎士が達が敗れ、ティナの身が危なくなった時、動ける者達だけでマルガレッタ家のみが知る逃げ道からこの国を出る。それも叶わず死が待ち構えているなら、そこまでということになる。そうならない為に、グリスはある決断をしたのだ。

「姫様には、子息であるガルディアの事を忘れてもらう他ない。でなければ、感情だけで動いて旦那様達の仇討ち、スフィロスへの復讐が成しえない」

「ま…っ、待ってください!ティナは今、やっと決断したんです!スフィロスを討つまで皆の役にたつ、と…」

「それは、1度聞いたぞベネジッタ」

「っ…」

 これで最後、と。花畑で別れたティナとガルディアをこの目で見、確認したグリスだから言えたことだった。失敗したからもう一度チャンスをくれ、と言っているようなベネジッタを見つめ、グリスは小さくため息をついた。

「……主人の願いなら少しでも叶えたい。しかしこればかりは許すことができない。ガルディアに心奪われた姫様には、ちゃんとこちらへ戻ってこられるよう、どんな手でも使う。近いうち、ウィルが薬を貰ってくる手筈だ。それを茶に混ぜ、姫様に飲ませてやってくれ」

 ガルディアに惹かれているティナをお見通しで突き付けた策に、ついにベネジッタはプツンと切れた。

「…何故。何故なのですか!こんな辛いこと、旦那様達が一番望んでいません!!なにより、ティナの感情(こころ)を消せというのですか…!?」

「そこまでは言っていないだろう。仇を討つために最善な案を選んだつもりなのだ」

「じゃあっ、愛する主人を護るために、その主人を見殺しにしろとでもいうのですか!?そんなの本末転倒ですっ!グリス様といえど、そんなの私が許しません!ウィルには、私から話をつけにいきます…っ!」

「なっ。待たんか、ベネジッタ…!」

 半ば強制的に話を終わらせたベネジッタはウィルの元へ向かう。まだティナへのお説教が足りていないなら、扉前にでもいるだろうか。しかしそれではティナの耳に入ってしまうため、引き離さないといけない。

 大丈夫、ウィルなら話していくうちにいくつか解決案を出してくれる。過去、迷っていたらそうやって何度も助けてくれた。そう信じて、窓から二人の姿を確認した時だった。


「なぁ、ティナ。俺じゃ駄目か?」


 そう言ったウィルに、間をあけて呆れそうに首を傾げたティナを目撃した。扉一枚と言えど、聞こえてくる声量にベネジッタは手で口をおさえて会話に耳をすませた。

「…お前があいつにベタ惚れということはよぉーく知ってる。嫌でも知らされた。でもあいつは駄目だ」

「なんで?ウィーにとやかく言われる筋合いなんてないわ。あの人を好きでいることがどうして駄目なの?」

「あいつは駄目だ。お前を不幸にすることしか出来ない毒花だ。それを知らずに触ればお前が不幸になる未来しか見えない」

 はらりとすくようにティナの髪に指を通す。このまま抱き寄せてしまおうか。その考えは、威嚇するように見上げてくる主人によって覆された。

「それだけ?」

 いつも笑顔の少女の表情は、厳しくなっていた。ウィルだって分かっていてくぎを刺しているのだ。にらみつけられる覚悟だってある。しかし急にふっと顔を緩めたティナにウィルは驚いた。

「い・や・だっ」

「なっ…、おいティナ!」

 またも荒ぶりそうになったウィルの声を遮ってティナは言う。

「それでも私はガヴェル様が好き。あの人が愛しいと、この感情(こころ)が教えてくれたの」

 伸ばしかけていたウィルの手首をどかせるように掴んだティナが、じっと見つめる。

「皆が否定しようとも、私が死にそうになったとしても、彼を好きな気持ちは変わらない。…でも、その気持ちさえ私から奪うなら、ウィルなんて知らない」

 久しぶりにちゃんと名前を呼んでもらえたと思ったら、背筋が震えた。

 王妃に似た声色と、忠誠を誓った王の眼差しとそっくりの目の前の姫に言葉を飲み込んだ。

 卑怯だ。

 ティナが狙って言っているつもりがなくとも、彼女には王家の血が流れている。それにウィル達は逆らえないものであった。絶対的な忠義があるからだ。

「それに、ウィーにはもっと似合う人がいるよ。私に本気じゃないくらい分かるもの。女の勘をなめちゃ駄目よ」

「……なんだそれ」

 説教の延長だったつもりが、少し前までしょんぼりし、怒りを露わにしていた当の本人はどこか清々しい気分のように去っていった。その場に残されたウィルの気持ちなど露知らずに。

 そして、屋敷前に目を向ける。そうだ。自分は昔から、主人以外にも、あるひとりだけを静かに見守ってきていた。想いを告げようと思ってもいたが、それは突然の不幸で諦めてしまったものに近い。

「ベネジッタ」

 扉を開き、物音の正体へ声をかける。

 そこには腰を抜かして動けずにいたベネジッタが怒りと悲しみの混ざった顔でウィルを見上げていた。それに見惚れてうっり言葉を失うが、ベネジッタの言葉で我に返る。

「ウィル…っ、グリス様から話を聞いたの。ティナへの薬の服用、今すぐに止めさせて…!」

「じじぃ……」

 ベネジッタはティナの侍女だ。ティナの事に関していちばん頼りになるから話したのだろう。しかしその事まで話したのか。手を口に添えながらも声を出さず、眉をひそめたウィルを確認して、ベネジッタは続ける。

「だって、こんなのティナが可哀想だわ。こうなる為に産まれてきた訳じゃないのに、幸せになる為にこうして生きているのに…っ、」

「"幸せになる為に"、その判断が下されたんだ」

「あんまりだわ……」

 ベネジッタと同じ視線になるべくしゃがみ込んだウィルだったが、声を震わせた彼女は、我慢していたのだろう。ついにひとすじの涙が瞳からこぼれ落ちた。女は皆泣き虫という認識が多かったが、ベネジッタはそれに当てはまらない、強い方だと理解していた。が、ティナの事が関わればせっかちになったり怒気しやすい。あとはネガティブにもなりやすいし、涙腺も緩くなる。

 今もこうしてうつむきながら、泣き崩れるようにウィルの服を強くつかんで離さないベネジッタに、こればかりはどうしようもない気持ちを抑える。

「すまない、ベネジッタ」

 今は、主人を優先する前に、一人の騎士としてグリスの命にも従わないといけない。

 以前のように涙を拭ってやれない悔しさを圧し殺して、ただ彼女が泣き止むのを待つしかなかった。

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