第10話 妖精女王の兆し
2020年、あけましておめでとうございます。
まだまだダラダラと続きますので、暇つぶし程度で読んで下っても全然大丈夫です!!
「ねぇウィー、私って耳がよかったのかな」
「どうした」
「だって、あの庭広場からこの森林まで距離がありすぎるもの。いくら静かな夜だからって、微かだけど聞こえたの、自分でも不思議なくらいで……」
「さぁ、どうだろうな」
はぐらかすように話を終わらせたウィルにいまだ不思議そうに空を見上げたティナだった。
しかしティナのその耳の良さは、今に始まったことでもない。一人娘だった為か両親からの愛情を一身に注ぎ込まれたティナ。蝶よ花よと育てられはしたが、王家の自覚が芽生えていたのか幼少頃からそれなりの立ち居振舞いは完璧なものであった。
今でこそ花や自然を愛する彼女だが、昔はもっとお転婆だったことをウィルは勿論、侍女のベネジッタが一番良く知っている。世の女児が好むような遊びも嗜んでいたが、ティナはどちらかというと体を動かす方の遊びが好きであった。
実際、よくウィルや他の護衛騎士達に付き合ってもらうことが多く、その内容も相手を捕まえるまで終わらない追いかけっこなど、ベネジッタ達侍女らが付き合うには難しい超ハード系が多い。
その中でティナの耳の良さを発見したのは邸中でのかくれんぼ。その時、痺れを切らしたベネジッタが『淑女らしい振る舞いで探してみてはどうでしょう』と半ば無理矢理な提案をし、何も思うわけがないティナは頷きはした。が、いつものように駆け回ることを禁止された歩き方で探すはめになったことで、ベネジッタに不満を吐いていた。そしてその時だった。
ふと何かに気づいたのか、ベネジッタを見上げていたティナは、廊下の先をただじっと見つめていた。
どうしたのかと尋ねるベネジッタよりも先、「ウィ…。ウィー。そこ……?」と。数千メートルほど離れている部屋を指差したのだった。その目的地まで行き、小さな手でノックした。それに驚いたのが、当然そこに隠れていたウィルで『おいおい嘘だろ!?』と、本当にその部屋から出てきたのだ。
その時はティナが思うように遊べるようにとメイドや執事など、本当に必要ある人数以外いなかったが、それほど静かでもない。外からはメイドが洗い物を干している時の会話。その近くには騎士たちの使う訓練場があるため、少しだけ騒がしいような会話も聞こえる。静かでなくても聞こえるものは聞こえる。ティナのよく聞こえるその耳は、ある意味『妖精女王からの授かり物』とまで讃えられもしていた。
しかしその超人めいた力も幼少時から今まで、頻繁にでたことではない。それはどこかに誘われているのか、決まってティナの意識が“こちらの世界”から離れているときなのだ。その為、ティナの反応が鈍って、返答などに少しだけ遅れることがよくあった。
(まぁ、耳が良いだけで物騒な事件に巻き込まれないようにするのが俺の仕事なんだがな……)
そう固く思うウィルであった。
夜風が囁くようにティナの髪をもてあそぶ。隠れ家へ歩いていると、横で歩いていたウィルが急にティナの前で腕をだして止めた。なに、と聞く前には人が駆ける足音が聞こえる。静かに、しかしうるさく鳴る鼓動をおさえながらウィルの後ろで身構えていると、それは先程の魔女狩りで助けた少女の母親だった。
「貴女はさっきの…」
「はい、はい…!先程は娘の命を救って頂き、ありがとうございましたウィル様!」
「あぁ…。別に大したことじゃない」
「え?なに、知り合いなのウィー?」
「知り合いも何も、この女性はマルガレッタ家に仕えていた騎士の家内だ」
「っ……」
目をぱちくりとしながらビッグニュースに驚く暇もなく、次は手を取られた。
「ティターニア……。いいえ、妖精女王様……」
「え?」
呼ばれ慣れない愛称に首をかしげたが、ウィルは沈黙していた。その美しき赤毛は、マルガレッタ家では妖精女王のように美しく、またティナ自身の存在をも美しく輝かせるものなのだ。だからティナの顔を拝見する機会が少ない民たちにとっては、絵本で綴られている『妖精女王』のようだと崇拝されていた。
◇
婚約も駄目。魔女狩りも駄目。
最近なにかと歯向かうようになってきた愚息にスフィロスは王座で肘をつく。この間も彼がなにか企んでいないか探りをいれると、『女は跡継ぎをつくるための道具にすぎないのなら、その言葉そのままお返しする』、と。難しい言葉を覚えた幼子のように、自分が少しだけ返答に迷うことについて突いてくる。それだけガルディアはナインツェとの婚約が不満だったのかスフィロスを睨みつけていた。現に似たような状況の母親を思っているからこそ、ガルディアは王族の身の固め方に頑固になっていた。しかしまだ公にしていないため、これからどうにでもできる。
…昔は違った。幼少期なら、自分がひと睨みすれば、一瞬だけ委縮した後お行儀の良い返事をする。なのに現在、どうしてああなった。自分が目を離したすきにここまで親に対する態度が悪くなるなど聞いたことがない。しかも仲がこじれて良くないため、あの様子だと、遠くない未来自分に反乱しかねないようにも見える。由々しき事態だ。…考えすぎか。
しかし最悪そうなれば手段など選ぶ暇などないのかもしれない。身内であろうとなかろうと、自分に盾突くものは容赦しない。今この地位を継続させるために。先王のように。マルガレッタ家のように。
「…あいつに頼るか。手始めに――」
ゆらりと妖しい瞳が揺れる。静かに、ただゆっくりとスフィロスの企みが始まろうとしていた。
*
「……」
「お、おいどうした…。なにかあった…?」
苛々とした表情を隠さずに書類に目を通しながら判子を押していく。それについに声をかけた同僚・シルヴィに、ガルディアは答える。
「…なにも」
「ないように見えないんだけど。…それでも書類にはあたらずに仕事してくれるのは助かるよ」
ここにいる騎士たちは皆、自分を一人の人間として接してくれる。大公子息だろうがなんだろうが関係ない。そうしてくれと自分が頼んだものもあったが、それがとても心地よいものであった。
「お前が不機嫌なのは昨夜の件が関わっているんだろう?庭広場で突如起きた“魔女狩り”の後始末」
「あぁ……」
眉間のしわが増え、さらに不機嫌な顔になったガルディアを見越して、綺麗なレモン色の髪を耳にかけながらシルヴィは苦笑した。ここでも、ある意味父子の関係が良好でないことは上司と、よく話す目の前の彼しか知らない。
「…ごめんな。やめにするよ、この話」
「いや、こちらこそすまない」
「どうしてガルディアが謝るんだ。なにも悪いことしてないんだろう?」
「そう、だが…」
「じゃあなんにも悪くない。うん大丈夫」
一人納得したように頷いたシルヴィに、呆れたように苦笑した。
「あ、そうそう先輩が呼んでたぞ。お前名指しで」
「…なにかあったのか?」
さぁ?と大げさに肩をあげた同僚に「分かった」と立ち上がった。そして上司から聞いた内容に、ガルディアは眉根を寄せた。
「…亡霊?マルガレッタ家跡地付近でですか?」
「ああ。あそこは元々亡きマルガレッタ家が所有していた森林、……そして邸跡があるだけなんだが。昼間は静かな場所から、夜になると人の話し声や影が見えたと、近くの騎士団に連絡が入った。…まぁ、なんだ。そういう類のものは信じていないが、噂になっている以上は民たちの不安を少しでも和らげるために動いたほうがいいと判断した為この件を承諾した。…お前の為にもだ、ガルディア」
気を使っているのか、言葉を選んで言う上司に納得した。あぁ、これは因縁関係がある自分が行ったほうが一番的確なのだと。
いくら数十あるうちの騎士団長達といえど、ガルディアの父親である大公陛下、すなわちスフィロスに太刀打ちしようと思う猛者などいない。いたらその者は即刻首と胴体が離れることになる。
過去、マルガレッタ家の無残な消滅後、彼らをを崇拝してきたとある騎士団長が失礼を承知でスフィロスに直談判した事があったが、その者はすぐにスフィロスの怒りを買ってその場で斬首された。すれば残るは身内であるガルディアしか頼れる、行動できる人物が限られてくるようなものだった。
「分かりました。その件、私が承ります」
「……すまないな」
貴方が謝ることではありません、と。ただ尊敬する上司に微笑んでみせた。
後に、その日は多分、季節外れのプレゼントが届いたのかと思ってしまった。
◇
「…であるため、まだこちらの顔を知っている者がいるかもしれません」
「むやみに動くのはまだ駄目でしょう」
「そうでなくてもグリス様達の御顔は割られているかと」
「……」
昨夜の魔女狩りから一夜明け、現在は太陽が顔を見せる時間。しかしそれもティナ達マルガレッタ家には問題がある。夜間は寝静まる時間帯なので行動しやすいが、昼間は全くの別問題。スフィロスが流した噂やでたらめな記事でマルガレッタ家を邪険に思う民達もいるのだ。ティナ達両親の顔はすでに民達に知れ渡っているが、ティナはまだ幼かったゆえ、その点に関しては救いだったかもしれない。―自身の赤毛を除けば。
そう思えば、王都から離れた市民街といえど今まで隠れ住んでいたことや夜会などでばれなかった事が奇跡だった。
「…さま。…ーナ様、…ティアーナ姫様っ!」
「っ!」
真向かいに座って使い古した地図を広げたグリスに名前を呼ばれて意識を戻した。周りには騎士達も同じテーブルについて、主人であるティナの顔色をうかがっていた。ウィルに関しては、いつも以上に厳しい顔をしていた。いけない、大事な会議中にぼうっとしていた。
「なにかいい案は思いついたの?」
「はい。その件で――、」
拳を握り、気づかれないように気を引き締める。騎士達に気づかれていないことにほっとしたのか、ティナは小さくため息を吐いた。しかしそういう事に関してはティナ以上に、ティナの心情を一番に気付いていた侍女ベネジッタは、トレイを胸の前で抱きしめながら、扉の前で立ち尽くしていた。皆が間につまめるように軽食とお茶の追加をしに部屋へ入るだけだったが、男たちに囲まれ、心を殺したような顔で策略をしていた少女に、むしろ自分の心が痛くなった。
こんなもの、年頃の乙女が望む光景ではないからだ。
それから皆が解散したのは、約1時間後であった。
「ティナ…、お疲れ様。お茶淹れたんだけど飲む?」
「うん……」
昨夜の魔女狩り後、そして昼間の作戦会議のため出席したティナの疲労は心身ともにきていた。普段よく喋る明るい少女の面影は今はない。曇ったような瞳で返事をしたが、そのあと崩れ落ちるようにベッドに伏せた。無理もない。こんな日常、本当ならありえない。本当だったら愛する両親に囲まれ、尊敬する騎士や侍女たちとこの素晴らしきなんでもない日常を謳歌していたのだ。それが現状この様だ。
憎きアドバイン家のせいで、愛する姫はこんなにも衰弱している。もっと言えば、精神がいちばんきているだろう。同じ女であるベネジッタもそうだが、成人したといえど、16の少女にこれはきついものであった。
用意できた紅茶と少しの菓子類をベッドのサイドテーブルに置いてティナの肩を優しく叩こうとする。するとその前に、むくりと起き上がった。
「…ティナ?」
「ベネジッタ…。今からお父様たちに挨拶に行ってくる」
「!?だ、駄目よっ1人で行くの!?まだ夜にもなってないわ!それに今夜は雲が多いから雨も降りそうな空模様だし…。ティ、ナ……」
ベッドで乱れた前髪の隙間からティナの輝かしい黄金の瞳がのぞく。亡き旦那様とおなじ表情で、静かに言う。
「お願い、ベネジッタ」
それを断るなどあってはならないことだった。長年仕えてきた姫主人に、王の風格がみえた瞬間だった。
この日が記念日だとしたなら、もう二度と来ないと予感もできた。
ベネジッタの反対を押し切って隠れ家から両親に会いに来てしまった。しかし今回は墓地ではない。とある小屋で、それは亡き両親の逢瀬場所だ。まだ公に二人の結婚が発表される前、良く会っていた場所が、この森林の中にある。『逢瀬』というのだから誰も知らないはずなのに、愛娘にだけ、母親が嬉しそうな顔で教えてくれたことを幼いながら覚えていた。小屋の扉にかけてある鍵を外し、足元にある街灯代わりの燭台に火をつけ室内に入る。あたりはすっかり暗くなって別の姿を見せ始めている。
「お父様、お母様、ただいま帰りました。ティアーナ、今日も皆の務め、補佐の元、会いに来られました。今日は、ベネジッタお手製のお茶菓子があるんです。今準備しますね?」
慣れた手つきで持ってきたバゲットの中から、ベネジッタから貰った菓子類を出していく。そしてこの誰もいない空間で1人喋ることに慣れてしまったことも、ティナは少しだけ悲しくなった。
まだ心が完全に壊れていないから、こんなにも悲しくなるのだ。それでも両親に会いたいという想いだけで今ここにいる。それも、あのスフィロスを討てば全てが終わる。全て解放される。思いきり、人目を盗まず両親の死を悲しむことができるのだ。
「……ガヴェル様」
愛しい人の名がぽつりと出た。いけない。彼に会っては駄目なのだ。もとより宿敵関係にあたる家の子息だ。この醜い国をつくりなおすまで再会もしないと約束した。それでも、口から出た名前にティナは涙をあふれさせた。
あいたい。
逢いたい。
貴方に、会いたい。
ふるりと身体が震える。外から雨粒の音が聞こえてきた。ベネジッタが言っていたことが的中したように雨が降り出してきたのだ。こういうのを見越して雨具の準備やらなにやらを用意して送り出してくれたベネジッタに心から感謝する。自覚した途端、急な寒さに襲われたティナはあたりを見渡す。燭台だけではだめだ。暖炉で薪を燃やして部屋を暖めないと。そう思って腰をあげたとき、扉をノックする音が響いた。
「……え?」
こんな真夜中に。しかも森林で。そしてここはマルガレッタ家が所有する敷地内だ。マルガレッタ家が亡くなったと見せかけても尚、グリスや他の者たちが手回しして守られている場所だ。そんな空間に立ち入りできる人間は、身内しかいないだろう。ウィルかグリスあたりにばれたか。…ごめんなさいベネジッタ。一番に怒られたのはきっと貴女ね。
そして、もう一度ノックの音が聞こえる。こうなったら腹をくくってお叱りの落雷でも雨の中お説教でもなんでも受けます。今後一切外出なしと言われる可能性も否定できない。なるようになれだ。すくっと立ち上がったティナは思いきり小屋の扉を開けた。そして、言葉を失った。
雨にうたれた、深い藍のコートに身を包んだ人物が目の前に立っていた。至近距離で見下ろされ、目深に被ったフードで顔はよく見えず、それが更にティナの恐怖心を大きくした。
誰?身内じゃない。とすれば考えられるのは一つしかない。敵――。
「…ッ、」
「………ティナ?」
逃げようと後ずさりしたとき、愛称を呼ばれた。身長や声からして女性ではないのでベネジッタはない。似たような身長だが、ウィルほど背が高くもないし、グリスのように低い声でもなかった。
どうして。
その声に思い当たりがあることにティナは震えた。
まさか。
「……ガ、ガヴェル、様……ですか?」
雨の音に紛れて相手の息をのんだ音が聞こえた。それにティナは今度こそ、ひくりと喉がなった。目深に被ったフードをあげた相手の艶やかな黒髪があらわになり、漆黒を帯びた藍の瞳は、ティナを視界に捉えていた。間違いなく、紛れもないガルディア本人だった。
「…っ、どうして、ここに貴方が…。いえ、ここにいては駄目です!身内に見つかったら殺されてしまいます…!」
「殺される?なぜ?私は任務でこの森林を巡回していたんだが、……もしかして貴女なのか?」
「?仰っている意味が……」
そのとき、2人の会話を遮るように激しい落雷が響き渡った。それに合わせて小屋の窓も激しく震わせた。どこかで落ちたか、また空がゴロゴロと鳴いている。そして出入口の扉には屋根がついていないため、2人揃って雨にうたれていた。今更だが、こんなにもあっさり障害もなく再会してしまったことに2人とも動揺して、言葉が出なかった。
雨で濡れた髪が頬についてしずくが落ちる。早くこの状態をどうにかしようと口を開くティナの前に、ガルディアが言葉を紡いだ。
「…こんな真夜中で、こんな小屋でなにをしていたんだ?」
「え、あの…。ここは、両親の思い出の場所なんです。それで……」
言葉が途切れる。違う。言いたいのはこんな事じゃない。
言葉を探して俯いてしまったティナを、叱られたのかと勘違いしたのかガルディアは手を伸ばしてティナの頭を優しく撫でた。
「すまない。こんなところで話す内容じゃないな。…風邪もひくだろうし、貴女は雨が止み次第帰るといいい。私も戻る」
「あ…、あのっ!」
こんな荒れた天気で彼を送り帰すことをためらったティナは、フードを被り直したガルディアのコートの裾を咄嗟に掴んだ。小さく、けれど勇気をふりしぼって言う。
「あの…、雨宿り、されていきますか…?」
ガルディアがどんな顔をしていたかなんて、あとから恥ずかしくなって顔を俯かせたティナには分かるはずもなかった。