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「祥子おはよー」
「おはー」
用意されたユニフォームに着替えていると、同じ事務所の優子が更衣室に入ってきた。
「今日のはかなりミニだねえ」
私が今着ているものを見て、優子はからからと笑う。
下着が隠れるギリギリの丈のワンピースはお尻にぴっちりとくっつき、胸元にはひし形のくり抜きがあり、谷間がしっかりと見えるようになっている。
優子と私は、イベントや宴会のコンパニオンなどに女の子を派遣する事務所に所属していて、今日は夕方からの某大手製薬会社の新年会のコンパニオンの仕事だった。
「なんか新しい薬のキャンペーン用のユニフォームらしいわ」
「なにそれ。ただのエロじゃん」
ブツブツと文句を言いながら、優子もユニフォームに着替え始める。
私は化粧をもう一度直してから、宴会場へと向かった。
「ねーちゃん!」
声がする方を見ると、中年のオヤジがこっちに手招きしている。顔はかなり赤くなっているから、酒は十分まわっていそうだ。
「はーい。お待たせしましたぁ」
「ビールあと三本くらいお願いやわ。アサヒのスーパードライやで!」
「オッケーですぅ」
「あっあとねーちゃん!」
注文を聞いて離れようとした私を再びオヤジが引き止め、
「ねーちゃんめっちゃタイプやわ。今日このあと一緒にどおや?」
言いながら尻を触ってきた。
こいつ、こっちがニコニコしてたらいい気になりやがって…
「しり…うっ」
文句の一つでも言ってやろうと思って口を開きかけた途端、急に吐き気が襲ってきて、私は慌てて口元を手で覆った。
なにこれ?
私は一度頭を下げてから、トイレへと走った。
「………」
個室に入り込み、数分。
気持ち悪いのに、吐けない。頭もくらくらする。
風邪?
あ、もしかしてニコ中?あたしとうとう症状出るまでになっちゃった?
何かを出したわけではないけど、トイレの水を流して個室からでる。
貴重品と一緒にウエストポーチに入れてあるシガレットケースを取り出しながら、建物の裏口へと向かった。
「あ…」
ガチャリとドアを開いたとき、目の前に見知った顔が。
「勇太、なにやってんだよ。」
確か今バイト中のはずの勇太が、目の前を私服姿で歩いていたのだ。
勇太は私の声に気付くと、立ち止まって振り返った。
「よお」
「よお、じゃねーよ。あんた今日バイトだったんじゃないの?」
私の訝しげな表情に、勇太も面倒臭そうに眉を寄せた。
「やめた。」
「は?やめたって、先月始めたばっかじゃん」
「やっぱさ、中華料理はあわないわ、俺には。」
おいおい、合わないってなんだよ。
「ほら、皿もデカいし重いじゃん?俺には無理だったってことだな」
へらへらと目の前で屁理屈を並べているこのカスチンに思わず苦笑いが漏れる。
勇太はいつもこんな感じだ。
高校卒業後も定職には決して着かず、バイトを始めても、あーだこーだ文句を並べて長くて三ヶ月しかもたない。
まあ派遣バイトで生活を繋ぐ私が偉そうに言えることでもないのだけど。
「お前こそどーしたんだよ。そんな格好で。誘ってんの?」
言いながら勇太は私の肩に手をのばしてくる。私はその手をパチンと払いのけた。
「バーカ。ニコチンが切れたらその補充じゃ」
「ふーん?」
「なんか気分悪くてさ」
私はシガレットケースから一本取り出し、一緒に入れてあったライターで火をつけた。
「お前それ相当のニコ中じゃん。ヤバいんじゃねーの?」
「うっせーな。いーの。ほっといて」
ぷはー。
煙草の薫りが全身に行き渡る。
きっとこれで回復するはず…。
※※※※
「なんでだあー」
ボフンとベッドに倒れ込む。昨夜食べたカップ麺のゴミがそのままになっている小さな机をボーっと見ながら、私は治まらない吐き気に苦しめられている。
タバコを吸っても全く吐き気は消えず、バイトが終わってアパートに帰ってきた今もまだ続いている。
本当に何なんだ。
こんなこと初めてだ。
やっぱり風邪?
私は体だけは丈夫で風邪なんてめったにひかないから、まれにひいた時は普通の人より酷くなるのかもしれない。
明日ってバイト入ってたっけ?
私はノロノロと起き上がり、壁に掛けてあるカレンダーへと近付く。
バイトのスケジュールなどはこのカレンダーに書き込むようにしているのだ。
「えっと…」
明日の日付を見つけて指でなぞる。
そこにはもともと印刷された数字以外は何も書かれていなかった。
「良かった。明日休みだ」
明日休もう。
明日ゆっくり休めば、治るでしょ。
そう考えながら、なんとなくカレンダーを眺めた。
「…あれ?」
すると、あることに気が付いた。
それは「まさか」と思う反面、有り得なくもないことで。
「あたし…前の生理いつだっけ…?」
慌ててカレンダーを壁から外して、前月のページを捲り返す。
「え…」
私は生理が来た日は、このカレンダーに小さく赤丸を描くようにしている。
前回を表したその赤丸が目に入り、私は一瞬動けなくなった。
「もう二カ月近くもきてない…」
そう口から零れた瞬間、急に酷い吐き気の波に襲われて、私はトイレに駆け込んで、今度こそ本当に吐いたのだった。