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プロフィールビデオ

Close your eyes,

目を閉じて。

Give me your hand,Darling.

手を貸して、ダーリン。


Eternal Flameのメロディには、ある種の毒がある。

たとえばそれは、悪い記憶を消して、忘れさせてしまう毒だ。


結婚式の定番ソングということを、美奈は式の準備をするまで知らなかった。どこかしらで聞いたことはあるのだけれど、詳しい歌詞もタイトルもまったく知らなかった。美奈は英語は苦手だけれど、新郎(になる予定の)辰巳が苦もなく全て訳してくれた。

日本語に訳してもらって、一層美奈はこの曲に惚れ込んだ。

こんな素敵な曲を知らなかったなんて。


プロフィールビデオにはこの曲をあてたいな、と美奈はなんとなく思っていたのだが、辰巳は反対した。

「結婚式に使うには不向きな曲だと思うよ。ちょっと悲しい響きもあるしさ」

辰巳は仕事で忙しい。美奈はほとんどひとりで結婚式の内容を決めていた。ために、自然必然、辰巳は要望も要求も美奈にあげることはなかったのだが、どうしてかこの一点だけはこだわった。


忙しさには、ある種の毒がある。

たとえばそれは、幸せな時間をそれと自覚させなくしてしまう毒だ。

辰巳はその毒に浸かったまま、どこどこまでも生きていこうとしているような男だった。結婚式の準備は、今からやってくる最高に幸せな瞬間への昇り階段だと美奈は思っていたのだが、辰巳はそう感じてはくれていない様子だった。とにかくいつだって銭勘定をしている。式を挙げるのにかかる費用が、今のままでは届かないという。

「美奈も少しは働いてくれないか」

日払いしてくれるようなアルバイトだってある。焼け石に水ではあるけれど、辰巳ひとりどう頑張っても金の工面がもうひとつ追いつかない。辰巳は会社に通いながら、夜も派遣の仕事で工場やら倉庫やらで日銭を稼いでいた。


美奈はこれ以上働く気力がなかった。というより、そのせいで式の準備がおろそかになることは是が非でも避けたかった。

一生に、たった一度のことなんだから。

美奈はブライダルローンでお金を工面すればいい、と主張していたが、辰巳は許さなかった。辰巳が中学生の時分に実家でボヤ出て一時ひどい借金が出来てしまったと以前語っていた。爾来借金というものが、生理的に受け付けないのだという。


もういい、なんとか俺が稼ぐ。


そういって辰巳ひたすらに働いて、そして疲れ果てていた。

こじんまりとした小さな鼻をふんふんと鳴らして、全精力を仕事につぎ込んでいた。仕事が終われば泥のように眠ってしまう。結婚式の相談などできようはずもなかった。


そんな辰巳が、である。

ようやく、結婚式の準備に意見をくれたのだから、美奈は喜んだ。反対意見であっても、美奈は構わなかった。ひとりぼっちで結婚式の準備をやらされる不満も少し、晴れた気がした。

「分かった、ビデオには別の曲をあてるよ」

「ありがとう。そうしておくれ」

それとね、と辰巳は続けた。

「プロフィールビデオに使う写真も選んだよ」

辰巳はアルバムから三枚ほどの写真を取り出して、美奈に渡した。

「これだけ?」

「十分だよ。新郎の過去の写真なんてね、そんな盛り上がるものでもないから」

うん、それはそうかもしれない。式の主役は私だ、なんて思いながら、美奈は首を横に振った。

「私の写真のほうが多かったら、なんていうか」

「出しゃばりみたいに思われる?」

「思われる」

「いいじゃないか。アメリカのことわざに、家を支えるのは地面と女だ、っていうのがあるらしい」

そう、と相槌を打ちながら。ここはアメリカじゃないと思った。と言っても折角意見をくれたのだから。美奈は不承不承に了解した。

「それじゃ、行ってくる。早朝に帰ってきて、スーツに着替えてまたすぐ出るから、美奈は寝ていたらいい」

そういって辰巳は着慣れない作業着に身を包んで玄関に向かった。まったくあの肉付きの悪い体のどこにそんな力があったのか、とにかく辰巳はよく働くようになった。結婚式が終わるまでは、このペースで働こうと誓っているようだった。


写真、どうしようか。

美奈は逡巡した。三枚の写真の辰巳は、みな満面の笑みを湛えていた。十歳くらいだろうか。体全身に喜びを満ち溢れさせて、この喜びをどう表現したらいいものか、とりあえず五体をばたつかせてやろうとはしゃいでいる。そんな様子だった。どこかのキャンプ場だろうか。虫取り網を持ったどこかの母子が池を覗きこんでいる。その後ろには深い森が写っていた。木々は濃い緑色の葉をつけて、写真の中の辰巳と同様、命を漲らせている。夏に撮ったのだろう。肌の白い今の辰巳とは違って、写真の中の男の子はよく焼けていた。写真に必死に写ろうと頑張ったのか、空中に飛び込むような滑稽なポーズをしている。

あまりはしゃぐようなことのない今の辰巳からは想像もできないような写真だった。本当、元気いっぱいだ。顔つきまでがあんまり違うので、きっと親でなかったらこれが幼少の辰巳だと分からないだろう。

「子供の頃は、もっと健康的だったのね」

印象が違うのは、鼻のせいもあるだろう。写真の中の辰巳は少し鼻も大きくて、我の強そうな男の子だ。

他の二枚も、時期こそ違うけれど、鼻の大きな元気いっぱいの男の子だった。上半身をでこんがりと焼けている。


どこでどうして、こんな元気な子があんな具合になってしまったのかな。不健康な薄い身体に青白い肌。美奈はくすくす笑ってやりたくなった。


さて、これはこれとして。

どうしたって写真が足りない。中学生の頃の写真、高校生の頃の写真もなかったら、十歳から一気に大人の画像へジャンプ、なんてことになってしまう。そういえば担当のブライダルコーディネータが言っていったっけ。男性の方はどうしても写真をあまり撮らないものだから、いきなり大人に、なんてことはよくあるんですよ。


美奈は、辰巳のアルバムを開いた。そういえば一度も見せてもらったことがない。わざわざ自室のどこかに直すものだから、探すのに苦労した。

「昔の写真はあんまり見せたくないんだ。人気のある元気な子たちとは正反対のところにいたからね」

辰巳はそう言ってアルバムをいつも美奈には簡単に見つからないところにアルバムを隠してしまっていた。


辰巳は確かに活力に乏しい男だ。仕事は頑張るのだけれど、夜の営みも少ないし、だからって冷静で知的なところに私は惹かれたのだから、過去は過去として、うんぬんかんぬん。美奈はあれこれ言い訳しながら、見せたくないと言われていたアルバムを結局はページをめくりだしていた。辰巳がいつか言っていた。秘密を知りたがったパンドラという若い娘がいて、開けてはいけない箱を開けてしまった。ええっと、それからどうなったというお話だったか。辰巳の話は理屈っぽくて美奈はいちいち覚えていられなかった。


アルバムの一ページ目に出てきたのは、制服姿の辰巳だった。体格からして中学生だろうか。今の辰巳と顔つきは寸分違わない。こじんまりとした鼻もひっそりと顔の真ん中に納まっている。まったく随分と老けた中学生だ。笑顔はない。お義父さんとお義母さんは辰巳をはさんで満面の笑顔を浮かべているというのに、まったく対照的だ。Vサインまで浮かべている。しかも、両手で。結婚の挨拶に伺った時もこのポーズをして写真に納まっていた。


アルバムは友達ばかりが写っていて、辰巳がしっかりと正面を向いている物が少なかった。ようやく条件に合いそうな物が高校時代の区分の中に一枚だけあったが、様子は同じだった。後ろに写っている大きな山はなんだろう。桜はまだつぼみのままで、卒業証書の筒を小脇に抱えている。辰巳は確か東京の港区で生まれ育ったと言っていたのだけれど、港区にこんな大きな山があるのだろうか。美奈の地元の群馬にはこんな山はいくつもあるけれど、

東京のしかも海側には、小さな丘くらいしかないと思っていた。


美奈は、アルバムをひっつかんで、先ほどの三枚の写真を置いてきたこたつの前に駆け戻った。


この山は、さっきの写真に写っていたあの森の持ち主ではないか?よく見ていなかった二枚目三枚目の写真にも、美奈はじっくりと目を凝らした。よくみれば、あの森は山の斜面だ。むくむくとせりあがった斜面のその中腹に高圧線の鉄塔がある。その鉄塔の脚が、一枚目に見た写真の森の中にわずかに写っていた。


やはりそうだ。

港区に、こんな山と鉄塔はない。

キャンプ場に来ている画像ではない。これは辰巳の生まれ育った家の庭で撮影されたのではないか?


そうして疑い出すと、やはりおかしい。

十歳の頃の辰巳の写真。その数年後の中学生の辰巳の写真。

どう見ても、同一人物ではない。鼻の大きさが急にこんなに変わることなんて、あるはずがない。


では、この少年は誰なのだろう?

まったくの他人とも思えなかった。優しく垂れ下がった目元は、確かに辰巳に似ていると言えなくもない。

兄弟?

辰巳は、しかし一人っ子のはずだ。


美奈の心臓は、早鐘のように高鳴った。

辰巳は嘘をついている?それは、なんのために?


美奈は考えた。

辰巳に聞いても、きっと思い違いだと言うに決まっている。辰巳は知恵のよく回る男で、おとなしいのに口が立つ。美奈はいつだって口で喧嘩を挑まないようにしていた。


そうだ。辰巳に聞くべきではない。私に言わないということは、私が知らないでいるべきことなんだから。美奈はそう自分を納得させて、アルバムを閉じた。そうして、閉じてもまだ気になった。布団に潜りこんで、考えた。


EternalFlameって、悲しい曲だろうか。

考えてもわからないと分かっているのに考えた。美奈はひたすらに、足りない頭で知恵を巡らせていた。

曲の中に、こんな一節がある。


Do you feel my heat beating?

私の鼓動を感じる?

まだ、何か引っかかる。ここではないどこか。

そうだ、タイトルだ。

タイトルのEternal Flameは、永遠の炎。


実家のボヤの話がふっと浮かんだ。そうだ。ボヤくらいで、借金をしなくてはならないことになるだろうか?借金が出来てしまうほどの火事なら、ボヤではなかったのではないか?


そう考えると、お父さんお母さんのVサインが気になってくる。中学生の時分にボヤなり火事なりが起きて。それで、どうしてあんなに屈託なくお父さんお母さんは笑っていられたのだろう?相当な苦労をしていたに相違ないのに、どうして。


もしかしたら。

お父さんとお母さんは、本当は亡くなっていて、今のお父さんお母さんは親戚なのではないだろうか。

辰巳は港区の生まれではなく、もっと山深い田舎で育ったのだ。そして火事で両親を失い、幼い頃の写真も思い出も大半失ったのではないか。わずかに無事に残った写真が、あの三枚なのだとしたら。

それに、あの男の子。

あの鼻の大きな男の子は、きっとお兄さんだ。

キャンプ場だと思い込んでいた写真に写り込んでいた母子にも考えがいたった。偶然後ろに写り込んだのではないのではないか。あれは、本当の辰巳のお母さんと、そして、もっとずっと幼い頃の辰巳。

そうだ、そう考えるほうがずっと自然じゃないか。


きっと頼りになるお兄さんだったのだろう。小さい辰巳はお兄さんにくっついて行きたかったけれど、あんまり元気で追いつけない。拗ねて池を覗き込んでいたら、お母さんがやってきた。池の中にいる小魚を眺めて、あれはきっとメダカだね、小さいけれど大人なんだよ、なんて会話をしている。そんな平和な風景を撮影していたのが、きっとお父さん。目立ちたがりのお兄さんが割って入ってきたのだ。写真の中心は母子のほうであって、男の子は脇から飛び出している。男の子を撮ろうとしていたならこういう構図にはならないはずだ。


美奈の想像は、布団の中でどんどん広がっていった。

火事は、どれほど広がったのだろう。

Do you feel me heart beating?

お義母さんは最期の瞬間、辰巳の手を握り、辰巳はその消えていく鼓動を感じていたのではないだろうか。

あるいは、お兄さんの。

あるいは、お義父さんの。

あるいは、全員の。


EternalFlameの歌詞が、美奈の頭の中でぐるりぐるりと回り断片的にふつふつと蘇った。


Say my name.

僕の名前を言って。


I don't wanna lose this feeling.

この気持ちを忘れたくないよ。


Close your eyes.

目を閉じて。

もういいよ。お父さん。お母さん。お兄ちゃん。

よく頑張ったね。

もう目を閉じて。


Give me your hand.

手を出して。


Do you feel my heart beating.

僕は生きているよ。僕は。


美奈は布団の中の小さな世界に、空想をいっぱいに広げて泣いた。これは、ただの空想。何一つ、確証はない。


辰巳に尋ねて、なんになるだろう?

きっと美奈の想像があらかた当たっていたとしても、

優しく上手に嘘をつくだろう。

辰巳の口のうまさときたら。単純な美奈を、残さず騙してしまう。きっと今度だって、成功させてくれる。


全部間違っていたなら?

それはそれで、ひどい赤っ恥を掻くことになる。そうだ、祖父母の家が田舎にあって、卒業した姿を見せに行った時の写真かもしれない。顔だって、数年でがらりと変わることもあるだろう。

どうしたって、そうした可能性のほうが高いんじゃないだろうか。悪い想像をしだしたらキリがない。突拍子もない想像をしたって、事実は大体そう複雑でなかったりするものなのだ。


美奈は涙を拭いて、布団から立ち上がった。

やるべきことは分かっている。辰巳から渡されたこの三枚の写真だけで、プロフィールビデオを作るのだ。とっておきの、そして幸せなプロフィールビデオを。分かっているのに、またEtarnalFlameの歌詞が、脳裏にちらつくのだ。


am I only dreaming?

私はそれとも、夢を見ているだけなの?


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