水際で
なあ、なあ。これ、何の集まり? 昼休みの食堂の一角を占領して。
え? 自分が今までに遭遇した恐い体験を言い合ってんの? へえ、おもしろそうじゃん。
俺、そういう怪談めいたのって結構好物なんだぜ。いろいろな話もこれまで聞いてきたし。
そうじゃない? あくまでも自分が体験した話じゃないとだめ?
えー、そうなると俺、霊感とかまるでないからなぁ。今まで幽霊とかそういうの見たことねえもん。
あ、でも、恐い体験ならしたことあるぜ?
それでいいって? 別に話してもいいけど、あまり期待するような内容じゃないぜ、きっと。
うん、幽霊とか出ないし。心霊体験とかでもないから。
ふーん。本当にそれでもいいの? じゃあ、話すけど。後で詰まらなかったって文句は言わない方向でよろしく。
じゃ、話すぜ?
◆ ◆ ◆
あれは何年くらい前だったかな?
ほら、丁度バッシングがブームで……え? バッシング知らない? バッシングってのはバスフィッシングの略だよ。
で、だ。世の中にバスフィッシング……うん、そう。ルアーでもってブラックバスを釣るあれね。あれがブームになった時があったじゃん? あの時、俺も丁度バッシングしてたのよ。
いや、違うって。ブームに乗っかったわけじゃねえってば。丁度、俺の興味とブームが重なっただけで……はあ。まあ、いいや。何でも。好きなように考えろよ。
で、そのバスフィッシングのブームと夏休みが重なった頃だったんだけど、当然ブームなもんだからブラックバスがいる池にはたくさんの釣り人が来るわけよ。
しかも夏休みが重なったもんだから、小学生がこれまたたくさん来るんだよな。
うん。元気だぜー、小学生は。夜も明けきらないうちから自転車でさ、しかも集団でやって来るんだ。
そんな小学生が大量に押し寄せる時期、俺がよく行っていた池はそんなの大きくない野池だったから、いいポイントに入るにはかなり早い時間に行かないとだめだったんだ。
当時、俺は午前三時には起きて、午前四時前にはもう池に向かってルアー投げてたね。
それぐらいしないと、いいポイントには入れないんだって。
ある日、いつものようにまだ辺りが真っ暗な時から、俺はいつもの池のいつものポイントに入ったんだ。
そこは池に張り出したコンクリート製の足場でさ。うん、釣りやる人間のために設けられた場所なんじゃないかな?
その足場の前は開けていて障害物が何もなく、逆に右手と左手には葦が生い茂っていて、その葦の周りが格好のブラックバスのポイントになってんのよ。
本来なら葦際ベタベタに絶妙のキャストかまして、4インチのウォーターメロンカラーのカールテールのワームをアンダーショットリグでゆっくりとバスを誘うんだけど……は? 専門用語が全然判らない?
あー、うん。まあ、その辺は省略でいいよな? 正直、一々専門用語解説してたらどれだけ時間があっても足りないからさ。
で、どこまで話したっけ? ああ、そうそう。その時は辺りがまだ暗いから、葦際に投げるとルアーが葦に突っ込んだり、ラインが葦に絡んだりする恐れがあったんだ。だから、もう少し明るくなるまで、ヴァイヴレーションプラグで手返しよく広範囲を探って……は、はあっ!? ち、違うってっ!! そんなエロいもんじゃねえよっ!!
ルアーのうち、魚の形をしたヤツを総称してプラグって言うんだ。で、そのプラグの中でも平たくて、水の抵抗を受けて小刻みに身体を震えさせるヤツをヴァイヴレーションプラグって言うんだよ! 決して大人のオモチャとは関係ねえからな!
ったく、話を脇に逸らすんじゃねえよ。いいか? 続けるぜ?
◆ ◆ ◆
俺はヴァイヴレーションプラグを、真っ暗な水面へと向けてキャストした。
使っていたリールはスピニングだから、ベイトみたいに着水と同時にバックラッシュ防止のためにスプールを押さえる必要はない。
まあ、余計なラインの放出を押さえるため、サミングした方がいいってのは判るけど……面倒くさいからやってなかったんだ。うん。どうせ真っ暗だからいつルアーが着水するか判らないしな。
で、着水したのを音で確認すると、しばらくしてからリールを巻いた。
そうそう。ルアーをある程度沈めてから、水深の中層域をルアーを泳がせるためだよ。良く知ってんな。
そんな事を何回か繰り返して、今度は表層を泳がせようと思ったんだ。だから着水と同時にリールのベイルを起こし、ラインを巻き取ろうとした。その時だったんだ。
がつん、と急に凄い力でラインが引かれた!
いきなりだったもんだから、俺はロッドを立てる事さえできずにそのままロッドを持っていかれそうになり、慌てて両腕に力を込めロッドを握り締めた。
じじじじっと異音を立ててドラグが空回りし、リールからラインが引っ張り出されていく。
正直、俺は慌てたね。
さっきも言ったように、その池は小さな池なんだ。だからそこに棲んでいるブラックバスは、大きくてもせいぜい三十センチクラス。どんなに大きくても四十センチは絶対に超えない。
だから、ロッドが持っていかれそうになるぐらい力の強いブラックバスなんていないんだ。
それじゃあ今、俺のロッドを引っ張っているのは一体何だ?
半分パニックになりつつも、俺は真っ暗な池の水面を凝視し、ラインの先に何がいるのか見極めようとした。
しかし、明るくなるにはまだ少し時間がかかるし、池の水面には特に変化は感じられない。そうしている間も、ラインはどんどん引き出されていく。
と、俺はその時になってようやくとある事を思い出した。
その池にはブラックバスの他に鯉や鮒も棲んでいて、特に鯉は七十センチを超えるような大物が棲んでいる。
だから、俺は大きな鯉の身体にルアーが引っかかったんじゃないかと思ったんだよ。
七十オーバーの鯉なら、この力も納得できる。確かに納得はできるが、状況は変わらない。
相変わらず凄い力でラインが引かれ、ロッドが限界までしなる。
はっきり言って、俺は途方に暮れたね。
鯉の力は強くて、とてもじゃないがリールは巻けない。というか、巻いた端からラインが引き出される。
辺りはまだまだ暗く、俺以外の人間の姿はない。
こいつはもう、俺と鯉との根比べだ、と俺は腹を括った。
七十オーバーの大鯉とはいえ、生き物には違いない。いつまでも全力で暴れられるはずがないんだ。
だから、俺は鯉が疲れるのを待つ事にした。
◆ ◆ ◆
腹を括ったとはいえ、心配が皆無というわけじゃない。
その池には葦が多い。もしも鯉にその葦の中に逃げ込まれたらお手上げだ。
これが周りが明るければ、ラインの走る方向を調節するなどして葦の中に逃げるのを何とか防ぐこともできるが、こう暗くちゃ鯉がどの辺りにいるのかも分かりゃしない。
え? どうしてお手上げかって?
もしも鯉が葦の中に逃げ込んだら、ラインが葦に絡まってしまって切れてしまうだろ? だからだよ。
あー、そっか。おまえら、ルアーが1個いくらぐらいするか知らないだろ? まあ、ピンキリだけど、だいたい1個千円ぐらいすんだよ。
そうさ。結構高いんだ。だから、鯉が葦に入ってラインが切れたら、そのお高いルアーも失ってしまうことになる。
だから、絶対に鯉を引き上げなくちゃいけない。正確に言えば、ルアーだけは無事に回収したかったんだ。
そりゃあさ、バッシングなんかやってりゃルアーを失う事なんて日常茶飯事さ。でも、その時使っていたルアーってのが、今まで数多くのブラックバスをヒットさせた、俺の最大のヒットルアーで思い入れのあるルアーだったんだ。
よくあるだろ? なんでもない物だけど、いつの間にか思い入れが深くなったものって。
その時使っていたルアーが正にそれだったんだ。だから、どうしてもラインブレイクだけは勘弁して欲しかった。
◆ ◆ ◆
そのまましばらく……っても、時間にしたら十分もかかっていないんだろうけど、慎重にドラグの調整を繰り返したりロッドを立てたりして、姿の見えない鯉と格闘した。
で、それは唐突に訪れたんだ。
それまで凄い力で引っ張られていたロッドが、いきなり何の抵抗も感じなくなった。
俺はすぐに悟ったね。これはルアーが鯉から外れたか、もしくはラインブレイクのどちらかだと。
俺は慌ててラインを巻き上げた。
その時、手元に伝わる微かな抵抗が、ラインブレイクではない事を俺に教えてきた。
その小さな抵抗は、ルアーがある証拠なんだよ。だからラインブレイクではなく、単にルアーのフックが鯉から外れたんだと俺は思ったんだ。
相変わらず水面は真っ暗だが、ルアーが足元まで泳いで来たのは判る。
俺はルアーを水面からピックアップした。
そして、池の傍を走る道路の街灯の僅かな光で、ルアーに異常がないのを確かめてほっと安堵の溜め息を零す。
思い入れのあるヒットルアーが無事に手元に帰り、一安心ってところだったんだよ。
その後、周りが徐々に明るくなってきたので、俺はルアーをプラグからワームに切り替え、葦際を狙ってキャストした。
その時。
その時、俺は見てしまったんだ。
日の出が近づいてうっすらと明るくなり、それまで見えなかったものが見え始めてきた。
それは、俺の足元にあった。靴を履いた俺の足から数センチ先。
────────そこに、左右揃った一足の靴が置かれていたんだ。それも池の方に爪先を向けたまま、きちんと揃えられて──
◆ ◆ ◆
いやもう、びっくりしたってもんじゃなかったぜ。
俺は何とも言えない気持ち悪いものを感じて、慌ててその場から逃げ出したんだ。
池の脇に停めておいた車に飛び乗り、ぎゃりりりりりっとホイルスピンさせながら車を急発進。
その後、どこをどう通ったかよく覚えていないが、気づけば俺は自分の家の前にいた。
ふうっと胸の奥から溜まった空気を吐き出す俺。
そして、少し経って冷静になった俺は、ふとある事に気づいたんだ。
あの俺のルアーにかかった正体不明の何か。
物凄い力で俺のロッドを引っ張った正体不明の何か。
あの時、俺はそれが大きな鯉だと思った。
だけど………………。
あれ、本当に鯉だったのかな?
もしかして、あれはあそこに置かれていた靴の………………
以上、「夏のホラー2012」の短編でした。
当作品は、あらすじに書いたように実体験を元にしております。
しかし、自分の書く短編は、「冬の童話」といい「夏のホラー」といい、反則スレスレで仕様がないですな。