春のウエペケレ
その昔、春は海の向こうからやって来るものでした。
春が来ると、雪は一斉に溶け、大地は一斉に芽を出し、蕾は一斉に花を咲かせ、虫は一斉に飛びまわり、獣は一斉に動き出し、鳥は一斉に囀りました。
ところがある年の冬、あまりに寒かったので、寒がりの春はアイヌシモリ《アイヌの国》に来ませんでした。
春がやって来なければ、川は雪解け水を流すことができません。サケは川を遡れません。クマは目を覚ますことはできません。カタクリは花を咲かすことができません。タラノメは芽をつけることができません。
冬が長く続いたので、秋に蓄えた食料も尽きてしまい、アイヌも動物も植物もアイヌシモリの全ての生き物はお腹を空かせ、凍えていました。
カムイたちは困ってしまい、額を寄せ合って話し合いました。
「このままでは多くの者が命を落としてしまう」
「春はまだ来ないのだろうか」
「誰かが春を呼びに行ったほうがいいのだろうか」
「でも、誰が?」
みんな口を噤みました。海が凍ってクジラのカムイでも渡れません。吹雪が激しくてワシのカムイでも空を飛べません。あまりに寒くてオオカミのカムイでも足が震えてしまいます。
「そんなに心配しなくとも、春はすぐに来るさ」
キツネのカムイは呑気に言うと、フクロウのカムイは溜め息をつきました。
「待ってたって来ないじゃないか」
どのカムイもそう思っていたので、肩を落とし途方に暮れました。すると皮から服が出来る樹、オヒョウのカムイが言いました。
「ならば、私たちで春の準備をしよう。花を咲かせ芽を出し、春をに迎えるんだ」
「そんなことできるわけないじゃないか」
他のカムイたちはオヒョウのカムイを散々バカにしました。
けれどオヒョウのカムイは仲間の樹のカムイたちに呼びかけて、春を迎える支度を始めました。
もちろん寒いのに芽をつけることはできません。オヒョウのカムイが花を咲かせようと踏ん張って踏ん張って踏ん張っていると、木はだんだん暖かくなり、根元の雪が溶けて行きました。やがてアイヌシモリ《アイヌの国》のオヒョウは春が来たように小さな赤い花をつけました。
最初はバカにしていた他のカムイたちも、その様子を見てそれぞれに用意を始めました。火のカムイは空気を暖めました。水のカムイは氷を流しました。風のカムイは枝の雪を払い落としました。サケのカムイは川を泳ぎました。カエルのカムイは土から出てきました。鹿のカムイは雪原を駆け周りました。
すると不思議なことに身体や空気がポカポカしてくるのでした。
アイヌシモリ《アイヌの国》が暖かくなって来たので、春はようやく重い腰を上げてやって来ました。そして、その様子を見てぽかんと呟きました。
「なんだ、春はもうきているじゃないか」
それから、花が咲くのも、芽が出るのも、雪が溶けるのもバラバラになりました。カムイたちが別々に春を迎える用意をするようになったからです。
そういうわけで雪は木の根元から溶けるのですよ、とひとりのおばあさんが物語りました。