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アブラムの苦悩  作者: ダストブランチ
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第三話 奇跡の子

それから13年経って、長男イシュマエルが思春期を過ぎた頃、アブラムは突然、99歳にして初めて包茎手術(ほうけいしゅじゅつ)を受けることにした。

そして、まさかと思われたその次の年、何とアブラム100歳、サライ90歳にして“神”が約束してくれた通り、本当に彼ら二人の子が授かったのである。


確かに“現代の”平均寿命や生殖機能の推移からして、その年齢での性交渉や妊娠、出産などはまずと言っていいほど考えられない。だから、読者の皆さんは「ありえないよ」と言って笑われるかもしれないが、この話もまぁ今から数えてざっと5千年か7千年前ぐらいの話である。そのため、作者も“その時代の”彼らの平均寿命や身体機能がどれくらいかなんて統計の取りようもないのでその点は何卒、ご容赦願いたい。ただし、現代でも5年〜10年単位で現代人の身体機能が衰えたりすることもある(例えば、前屈測定で小学生の柔軟性が欠けていたりすることがある)ので、もしかしたら(あくまで、もしかしたらの話だが)彼ら古代人の方が現代人の私達よりもはるかに平均寿命や生殖能力は高かったかもしれない・・・。

だが、そうは言っても、正直なところ、実際にサライが身ごもるまでは当のアブラムさえもそんな事は起きるはずがないと一人で笑っていた。


「100歳のじじいに子供が授かる? そんな馬鹿な。それにサライももう90歳だぞ。とても子供が産めるような年じゃない。ああ、神よ、わたしは大きな事は望みません。あなたにこれまで守っていただけただけでもわたしは幸せでした。けれど、どうかたった一人の息子イシュマエルをあなたの祝福の下で幸せに生かしてやってください!」(創世記17章17−18節参照)

だが、アブラムの心には別の答えが“神”から与えられた。

「いいや、アブラム。お前とサライの子を通じてわたしは永遠の約束を打ち立てる。もちろん、お前の息子イシュマエルの事もちゃんと祝福してやろう。彼もまた、強大な国を築く(いしずえ)となるだろう。だが、わたしはイシュマエルとではなく、お前とサライの子イサクと“永遠の約束”をするつもりだ。だから、お前の名はこれからアブラハム(ヘブライ語で「多くの人々の父」の意)となり、お前の妻サライはサラ(ヘブライ語で「高貴な女」の意)と呼ばれるだろう」


それからしばらくして、アブラムが妙な客達を家に招いて偉く丁重にもてなしていたところ、家の中にいたサライの耳に客の一人がアブラムに変な話をしているのが聞こえてきた。

「これで来年になったらお前とサライには子供が授かるだろう。だから、わたしが来年、お前達の元に来てやろう」

えっ?とサライは自分の耳を疑った。

あの客、今、何て言ったの? わたしに子供が授かる? そんな、まさか。

こんなどう見ても擦り切れたような婆あに、同じように年老いた夫が今更、抱いてくれてもどんな実だってなりはしないわ。

「くふっ、ふふふ・・・」

客がそんなキチガイ染みた冗談を偉くくそまじめに言っているのを聞いて、サライはどうにも笑わずにはいられなかった。

「なぜ、サライは笑っている? これは“神”の思し召しだ。だから、わたしは“自然と”お前と出会うことになったし、お前も包茎手術という新しい医療技術を受ける“機会に恵まれた”のだ。だったら、“神”を信じて試してみよ。“全知全能の神”に不可能なことなど何一つない。だから、きっと来年、わたしはお前達の元に戻ってくるだろう」客の一人はそう言ってサライが家の中でこっそり笑っているのを聞きつけ、少し(とが)めるような口調ではっきりとアブラムに言い切った。

それを聞いて、サライはびっくりして外へと飛び出し、客達の前で急いで言い訳した。

「いいえ、飛んでもございません。わたし、笑ってなんかいません。あなたのおっしゃっる事はごもっともです。ですから、わたしは“神”を侮辱したつもりなど一切、ございません」サライはそうして自分の笑った意図が誤解されないようにしどろもどろになりながら言い訳したが、その様子があまりにも熱心だったので客達は思わず苦笑した。

そして、さっきの客は冗談まじりにこう言い残した。

「いいや、サライ、あなたは笑ったよ。だから、あなたの子はきっとイサク(ヘブライ語で「その人は笑う」の意)と名づけられるだろう。そして、その子はあなたの心にきっと歓喜をもたらしてくれる」



確かにあれからまもなくしてサライは本当に妊娠し、その次の年、見事に男の子を出産した。初めてこの世に生まれ出た我が子を腕に抱いた時の母サライの喜びは、言い知れぬものだった。

触れたら何だか壊れそうなほど小さな、本当に小さな身体をした、まだ目も開けていない男の子。さっきまでスヤスヤと寝ているのかと思ったら、今はもう大きなあくびをしてお乳を欲しがり、まるで一生懸命、叫んでいるかのように泣き声を上げている。


ああ、何て愛くるしいの、これが赤ん坊の泣き声なのね。どれほどこの時を待ったことか。どれほどこの小さな子をあやして頬擦りしてみたかったことか。

ああ、わたしの子。

“この世でたった一人のわたしの大切な、大切な宝物”。何にも換えられない、こんな素晴らしいあなたに出会えるなんてお母さんは本当にうれしい。

ええ、あのお客さんが言った通りだったわ。この子はわたしに歓喜をもたらしてくれるって。

「ああ、神よ。あなたはわたしに何と言う素晴らしい喜びを与えてくれたのでしょう。誰もがこれを聞けば、わたしと一緒に歓喜してくれるでしょう。まさにこの子がわたしを求めてあげる泣き声は今まで惨めだったわたしを心底、幸せにしてくれます」



サライがこれほど感慨深く我が子の誕生を喜んだのも無理はない。

長い間、子供に恵まれないことを悩んできて、その弱みから召使女につい乗せられて第二夫人に迎えてしまった為にその召使女からこれまで散々、蔑まれてきた。


あの後、ハガーはいかにもしおらしくサライに仕える振りをしていたが、出産してからは育児にかまけるようになり、すっかりサライを無視するようになった。サライも立場上、育ての母としてハガーが産んだイシュマエルを構おうとしたが、生みの母でもなければお乳すら出ない彼女にハガーがそう易々(やすやす)と自分の赤ん坊を抱かせるはずもなかった。

だが、そうされてもサライは以前のようにハガーに向かってすぐ逆上したりするようなことはしなくなった。どうやらサライはハガーが家出してから少し反省したようで、妊娠して心や身体の調子を崩しやすいハガーを自分はちっとも気遣わず、彼女を労わるどころか逆にいじめてしまったことをサライは深く後悔していた。それに今更、どうハガーを恨んでみても、結局、“自分から”ハガーを第二夫人にして欲しいと頼んでしまったのだから、たとえ自分の心にこうして嫉妬や悩みを抱えるようになったとしてもそれはやはり“自分の身から出た(さび)”としか言いようがなかった。

だから、サライはハガーやその子イシュマエルへの嫉妬を抑えてできるだけ彼らをそっとしてやり、また子供の教育の事も考えて、イシュマエルの前では決して彼の母親であるハガーの事を悪く言ったり、自分の不満を口にしたりしないよう心がけていた。

ところが、ハガーの方はそうとは知らずサライがすっかり自分への矛先を収めたようなので再び増長するようになっていた。ただし、彼女も以前とは違って公然とサライに嫌味を言うのではなく、何とイシュマエルの口を通じてサライを侮辱するようになったのである。

もちろん、ハガーが「そう言え」とイシュマエルにいつも教えているわけではない。ただ、子供というのは大人のしている話を横でちゃっかり聞いていて後でそれをそのまま口にしたりするものである。そして大抵、子供が好んで口に出してくるのは人の悪口だったり、噂話に出てくる下種げすな言葉だったりするので、意味も分からないまま子供が突然、それを口したりすると、たまたま耳にした大人の方がドキッとすることがある。

それと同じように、無邪気なイシュマエルがいつも母親と召使がこっそりサライの悪口を言っているのを聞いて、面白がってサライに直接、「産まず婆あ」と言ってしまった。それを聞いたサライは一瞬、驚いて立ちすくみ、こぶしを握りしめながらわなわなと震えだした。


グサッとその時、音もなくえぐるような深い刺し傷が彼女の心に残ったことは言うまでもない。無論、子供に向かって怒鳴り声を上げることもできず、サライは足早にその場を立ち去ると、誰も見ていないところで声にもならない叫び声を上げて延々と泣き続けた。

だが、あれ以来、サライは夫がうれしそうにイシュマエルを抱き上げ、それを満足そうに眺めているハガー達の“幸せそうな家族の姿”を横目で見ながら、それでも心に沸き起こる惨めな思いをぐっとこらえて、彼女は一人、耐え難きをじっと耐えてきた。

そうして、この年になって“まさか”と思っていた矢先に“神”の奇跡とも言える我が子を自分の腕に抱けたことで、これまで苦しんできた彼女の心はようやく救われたのだった。


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