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LR  作者: 闇戸
五章
64/112

Behemoth_6_a

 ポーランドのジェロナ・グラにあるバビモースト空港跡地で、巨大な濃紫の壁を前にして、ノアは巴とギルガメッシュを両肩に載せてリチャード経由でアルカナムから入手したデータを元に御崎令救出に必要なデータを揃えていた。

「軍議の時点では還元の魔法については触りにしか知識を持ってないように振る舞っていたのは組織人故の行動か。

 どうしてアルカナムは還元魔法なんていう効率の悪いものを使う者を求めるんだ?」

 ワケが分からない、と首を傾げつつ、データをまとめ、ベヘモットのどこら辺が問題の箇所か、大体の当たりをつける。

「シックザールの映像では彼が落ちたのはベヘモットの背中。大きさは変わっても存在している場所の可能性に差違は無しか」

 どのみち、アルカナムからの情報は大きかった。ベヘモットのどこに魔力が集中しているかを知ることが出来たからだ。

「なるほど。四大複合パターンを平均化してそこにリョウ・ミサキのパターンを合成するのか。確かにこれでは、登録済のデータじゃ認識出来ない」

【提示された攻略法はなんだ】

 ギルガメッシュの言葉が表示される。

「最大火力で該当箇所を斬り取る」

【シ、シンプルですね】

 巴が頭上に汗を流すエモーションを出した。

「表向きはベヘモットの重さを軽減させることを目的とするんだ。外れているんでぶほぅっ」

 ノアの右頬にギルガメッシュの拳がめり込んだ。その小さな頭上には"!"が浮かぶ。

【ベヘモット側の護衛だ】

 ギルガメッシュの言葉に次いで巴もベヘモットの影から次々と人影が浮き出てくるのを確認した。

「いっつ……。シックザールのデータを受信。

 三方に対して大体三千ずつ……こっちに対しては更に個体保有魔力が強いのが数体増加。ヤム側は隊単位で増加」

【合わせてきているのでしょうか】

 巴の発言にノアも頷く。

「こっちは個人戦闘能力の高い面々がいるから、相殺しに来ているんだろう。教会勢は対軍対個人で未知数なのが多く割と重要視されていなさそうな布陣だけど、ヤム側に対しては対軍仕様といったところか」

【軍旗が立ちましたね。ベルリンにて確認された16世紀前後の日本の軍隊でしょう】

「戦国、ね。こっち、アストラ側にはそこら辺の詳しい人がいるようだから、軍旗の写真でも見せれば基本情報は入るかな。

 ま、アポクリファのサカキ殿が情報を晒してくれるのが一番手っ取り早いけどね」

 朱禅の記憶から来ているのであれば、対抗策も持っていそうなものだ、と。



 切り株に腰掛けてボンヤリと濃紫の壁を眺めている朱翠の背後で、ラフィルと柚樹が向かい合い、その横でミシェルが芝生に胡座を掻いている。ミシェルの膝上には、朝方巴に用意してもらった風呂敷包みが載っている。

「まったく、久方ぶりに会ってみれば、父上にちょっと頬を張られた程度でふぬけるとか、拙者、未だに父上からその手の教育を受けたことがないでござる」

「ユズちゃん……、それはやはり、男女の差なんじゃ」

「いいや! 生前の母上と喧嘩で斬り合った父上が性別でそんなことを躊躇するわけがないでござる。単に嫡男か否かでござろう。

 拙者だってそういう教育を受けてみたいものでござるよ。それをこの兄上のなんと軟弱なことか」

「軟弱って……、朱翠、軟弱者なんかじゃないもん」

 柚樹の言い様に、ラフィルは頬を膨らませて眉を立てた。

「ほう。朱翠と会ってまだ二、三ヶ月のラフィルに兄上の何が分かるのか」

「ユズちゃんだって朱翠とほとんど一緒にいないじゃない」

 ムムム、と向かい合う姉妹とは違い、ミシェルは包みを解いて中から好物の巴特製の一口サイズのシュ・ア・ラ・クレム――シュークリームを取り出し口に放り込んだ。幸せそうに目を細めてモフモフする。

(メサイアンの取り合いなのかなー。姉妹で三角関係とか不毛だよなー。てか、柚樹のは兄妹愛……いわゆるブラコンて奴かなー。アタシでさえノアとか兄貴って以外考えられないのになんか高尚な問題だなー)

 そんなことを考えながら甘い匂いを漂わせ、姉妹喧嘩に発展しそうな二人を止めもしないミシェルである。

 そんな姦しさを背に、司と朱禅とアストラは風呂敷を広げて食事中である。

「君のチームはいつもあの巴君のご飯を食べているのかい?」

 手皿に盛ったカレーに俵にぎりをつけていたアストラが顔を上げて司を見る。

「ヤムもミシェルも料理の腕は壊滅的だからな。もう、いないと困る。あんたんとこはあっちの天使の嬢ちゃんか?」

「うちは息子だね」

「奥さんが、とか来ると思ったら息子がかよ」

「うちの奥さん料理しないよ? むしろ台所に入ったら息子につまみ出されるというか。そんな扱いを受けるのは奥さんと娘くらいのものなんですが」

 たまに学生寮の食堂隅で体育座りしている自分の妻を思い出して苦笑を浮かべる司。

「家に一人ぐらいは料理の出来る者がおらんとな」

 そう言って朱禅は吐息。

「柚樹君は料理しませんか」

「正直、花嫁修業の一つでもさせておけば良かったと後悔する時がある」

 ツライですね、と司とアストラが吐息した。

 そこへノアが戻ってきた。

「ベルリンでの記録映像と同様、出現しましたよ」

 その報告に、司と朱禅は残りのご飯を掻き込んでヤレヤレと立ち上がる。アストラは護衛される側なので戦闘への参加は禁止されている。一瞬食事の手を止めたが、立ち上がらずに継続した。

「こちらが確認した軍旗なのですが」

 ノアは映像を司と朱禅に見せて「ご存じですか?」と問えば、朱禅がヒュオッと息を吸い込むという珍しい光景を司は目撃した。

 数秒固まっていた朱禅は小さく首を振り、ノアに向き直った。

「朝駆けと夜討ちがあると他の陣営に伝えろ。特に、軍を引き連れている左翼と背面には注意を喚起しろ」

 ノアがメールの送信作業に入った横で、朱禅は一度深呼吸をして先程跳ね上がった心臓を落ち着かせる。

「一体、どこのどちらさんが?」

 司の問いに朱禅は「あぁ」と応じる。

「戦国の世というものを知らなければマイナーかもしれないが、かつて、上州……上野国というところに甲斐の武田を幾度も退けた名将がいたのだ。上州の黄斑、長野業正という殿様がな」

「なるほど。つまり、ジンさんにとって最高の守護の象徴というわけですか」

「否定はしない。幼少に刻まれた記憶だけに、護ることにかけての最高として鮮明だっただけの話だろう」

 ただ、と。

「出現したのが箕輪城の精鋭だというのならば、そこには最高の剣士が一人、確実にいることになる。それが誰と当たるか、だ」

「剣士、ですか。ジンさん的には勝てないですかね?」

「一対一なら勝率は五分か」

「それなら問題ないですね。こういう場で一対一なんて馬鹿なことはさせませんから」

「バックアップが活きればいいがな」

「久々のツーマンセルですし、まあ、がんばります」

 自信に溢れた顔で気弱なことを口にする司に朱禅は肩をすくめる。

(師匠がいることは確実。俊では師匠の相手は務まらん。当たらなければ良いが……)

 朱禅は未だ切り株に座ったままの息子を見て、そう、思考した。



「朝駆けと夜討ち、ね」

「陣を護る側からすれば、ゲリラ戦法を用いて相手の数さえ減らせば防衛もやりやすい。そういうことなのだろう」

「日本の古い軍なら、オロチか悠の神性を示しとけば攻撃の躊躇ぐらいするかねぇ」

「かの記録の侍同様、精神を弄られれば畏怖など通じないだろう」

 シックザールからの衛星写真を前にしてノアからの情報を話す龍也とリチャードの姿がある。

「出鼻を挫く程度か」

 ふむ、と龍也はヘクセンの集まりへと顔を向ける。そこにはクリステルの指示で簡易陣を敷いている女性の集団があり、ついてくる形になったネコもその手伝いをしている。皆真面目ではあるがどこか華やかである。

「我々の戦法としては、ヘクセンによる掃射後、私とタツで道を開き、ユウがヤム嬢を護衛して巨獣の下へと導くというのがセオリーだが」

「何事にも例外はあるし、なにより、戦場じゃ何が起こるか分からんからな」

「何が起こるのだ?」

 龍也とリチャードは背後からの声に振り返る。そこには斥候に出ていた悠が腕を組んで立っていた。

「おう、お帰り……って敵の斥候とでもやり合ったか?」

 服装がやや乱れ、裾が若干切れていることに気づいた龍也の言葉に、悠は気づいてくれたことを喜びつつも「まあな」と口をへの字にして憮然で応じる。

「斥候というか、人捜しだろうか」

「「?」」

 悠の返答に龍也とリチャードは顔を見合わせた。

 悠が遭遇したのは凄腕の若い侍だった。

「甲冑ではなく袴だったからな。最初は一緒に呼ばれただけの一般人かとも思ったが、佇まいも間合いも常人ではなかったわ」

「袴ねえ。古い袴っつうと、こお、着ているのに家紋とか付いてたりするのか?」

 こんなの、とノアから送られてきた画像を悠に見せるが、悠は首を振り「これではないな」と否定した。家紋は見たが違うらしい。

「柳川守だった」

「やなが……なんだって?」

「やながわまもり、だ」

 悠は地面に枝でカキカキと再現してみせた。

「んん? なあんかどっかで見たことあるなあ」

 龍也は家紋を見た後に、半眼で悠を見る。悠は「そうか?」と真顔でとぼけ。リチャードだけは首を傾げている。

「霧崎分家剣崎の家紋と一緒じゃねえか! なんか先祖に有名なのがいるとか聞いたことあるぞ、おい」

「剣崎は江戸時代期に霧崎に加わり立場を高めた家柄だからな。霧崎以前に有名な人物がいてもおかしくはないだろう。そもそも直系ではない」

「剣崎の先祖出てくるとか榊のおっさんって一体……。

 で、そいつが?」

「ああ。榊殿の居場所を尋ねられたのでな。我々への被害も考えて正しく巨獣の向こうだと教えておいた」

 さらりと、楽をしたいから教えましたと白状した少女に、リチャードはゆっくりと指を眉間に添え、龍也は肩を落とした。

(ユウの考えも分からなくはない。

 凄腕の剣士とすれば対軍戦力としての我々よりも、サカキ殿のいる個人技に明るいあちら側の方が対処出来るだろう。

 単純にタツへの被害を減らそうとしたというのもあるのだろうが)

 そんなことを考えながら「ヘクセンを手伝ってくる」と姦しさの中へと足を向けた悠の背を見送るリチャードであった。



 夜間、アストラ側の陣から2キロほど離れた地点にて。

 闇夜を月の明かりだけを頼りに進む一団は草むらで唐突に進軍を止めた。自分達の衣擦れや草を踏み分ける音以外を聞いたわけではない。しかし、何か違和感を感じた気がしたのだ。

 注意深く周囲を窺えば、何故今まで気づかなかったのか。進軍方向、前方の目と鼻の先に一人佇む影がある。この闇夜にハッキリと、月光を銀に反射するものを首から提げた者が身を前傾に屈め、今にも抜刀せんとする構えで待ち構えていたことに。

 最前の兵は驚きに息を吸い込み自らの得物を抜こうとしたが、首に風を感じ、首筋から水を噴き出しながら膝を付く。

 近くの仲間は、膝を付いた仲間が立てた音で得物を抜いて散開。前方の停止者を囲むように間合いを取る。一人を完全に囲った瞬間、一迅の風が通りすぎた。

「――――?」

 一団は何が起こったかも分からなかった。動こうとしたが足は動かず、代わりに感じたのは浮遊感。次にはどれほど踏ん張ろうと力は出せず、草むらへと肩ごと墜落。自らの腰を見上げることになった。呆然。そして気づいたかのように発症した灼熱の痛み。夏の夜であるにもかかわらず襲いかかる急激な寒さ。

 誰かが悲鳴を上げようとした。しかし……。

 上下で二等分にされてその数を倍に増やした一団は、元の数の分だけ響いた銃声にか細い悲鳴をかき消され――沈黙した。

 一団に囲まれていた朱禅の隣で空間が揺らぎ、銃を手にした司が出現。弾倉を交換し、ガンベルトに銃を収納した。

「気配はない」

「魔力反応も消失」

「「撤収」」

 草むらは何事もなく、静寂を取り戻した。



【さすがに速いですね】

 ノアのハンドヘルドコンピューターのモニターでは、シックザールから転送されてくる夜討ちをしてきている敵の反応が集団単位で消えていく。それに対する巴の感想である。

 敵への対応を朱禅と司が担当し、彼ら以外は朝以降に備えて英気を養わせられている。PCの主であるノアに至っては、二人についていこうとして司から眠りの魔法を喰らって熟睡中。起きているのは、巴とギルガメッシュと、ずっと悩み中の朱翠くらいだろうか。

【この表示には欠点がある】

【なにかありました?】

【敵意を持つ相手のみが敵性体として表示されるのだ。前大戦から変わってはいない】

【敵意を持たない敵……、タリエシンのような変態はそうそういないと思うのですが】

【貴様も大概に酷い】

「ほう。ここに会話が表示されるのか」

 唐突に聞こえた声に、巴とギルガメッシュの頭上に"?!"が浮かぶ。いつのまにか、自分達には注がれていた月光はPCを覗き込む人影によって遮られていた。気配などは感じなかった。影を落としたのは袴姿の若武者で年の頃は十代後半くらいだろうか。

 若武者は周囲を見回してから、吐息。

「朱禅殿はここではないのか」

 いかにも残念そうに肩を落とした。

「先のおなごが嘘を吐いたか、それとも留守か。どちらかな?」

 問いかけはノアを起こそうとした巴達ではなく、腰の得物に手をかけて、皆が寝静まる陣への道を塞ぐ朱翠に対してか。

「その構えは……、ふむ、貴殿は朱禅殿の……弟子かな?」

 弟子か否かの問いかけに朱翠は「息子」と即答。本格的に前傾となる。対して若武者の方は朱翠の答に目を丸くして「ほう、息子か!」となにやら嬉しげで、構えを取ろうともしない。

(なんだ、この男は)

 相手の予想外すぎる反応に朱翠は眉間に皺を寄せる。

「朱禅殿が父とは……感慨深いものだ」

 目を細めて遠くを見た若武者は「よし」とその場にどっかと胡座を掻き、袂からどぶろくを取り出して地に置いた。

「榊の嫡男。朱禅殿が戻るまで付き合え」

 あまりに予想外の展開過ぎて、朱翠は腰から手を離し脱力。魔剣を手にして以降の彼をしてはじめて「はあ???」と声を出した。



 何者かと問えば「そうだな、弥七郎(やしちろう)と呼べ」と返された。

「お前はなんと呼べばいいのだ?」

 対して、朱翠と答えようとして、違うな、と止める。多分、そういう名を聞かれているのではないのだろう。

「――俊太郎」

 絞り出すように、ほんの夏前まで名乗っていた自らの名を口にする。そんな朱翠の様子に弥七郎は難しそうな顔で目を細めた。だがそれも、すぐに表情を戻し、碗にどぶろくの中身を注ぎ、碗を朱翠の前に突き出す。朱翠も胡座を掻き、無言で碗を受け取り中を覗けば、透明な液体が月を映して波打っていた。匂いから酒だとすぐに分かる。

 視線を前に戻せば、弥七郎は手酌で自分の分の碗を酒で満たし、どぶろくを地に置いた。碗を目の高さまで上げて止まる。しばらくそのままで、朱翠はそうか、と気づいて自分の碗も相手の高さに合わせた。そして、互いに合図もなしに同時に碗をあおった。

 喉が、食道が焼け、鼻を日本酒特有の匂いが突き抜け、脳が焼けるような感覚。はじめての酒の感覚に朱翠は派手にむせた。

 弥七郎はぷはあっと飲み干し「こげんにおいしい酒はひさしいのぉ」と二杯目を注ぎ足す。

【あの、これはどのような状況でしょうか】

 小首を傾げる巴に、ギルガメッシュは大袈裟に肩をすくめ首を振った。

「はっはあ、俊太郎は酒がはじめてか!」

「っげっほ……悪いか……」

 咳き込みながらも空にした碗を弥七郎の前に突き出せば、弥七郎はくつくつと喉を鳴らしながら酒を注ぐ。

「歳はいくつだ」

「十六」

「なんだ、お前、もう元服じゃあないか。酒の一つも飲めんでどうする」

 弥七郎にとっての成人の年齢はどうも違うらしい。そんなことを言われてもな、と朱翠は二杯目を飲み干す。全身が熱い。

「俺は数え十五の頃に、嫁ぎ先の親父殿とお前の親父殿に潰されたわ」

 そう言って呵々と笑う。

 酷い話だ、と朱翠は思うが、言った当人が心の底から楽しげに言うからか、それほど酷い話でもないのだろうと三杯目に映る月を眺め、顔を上げる。

「父とはどのような?」

 酔いが回っているからか、ふいにそんなことを尋ねていた。

「榊殿は親父殿の元に滞在していてな。共に数多の合戦を駆けたものだ」

 合戦。

 朱翠はベルリンに来るまで父の素性など知らなかった。ベルリンに出現した戦国軍団が父の記憶に由来している、父はどうもその時代の生まれらしい。そんなことを聞かされたわけだが、どうにも信じがたい。ただ、母曰く「外見の割にちょっと古い人だからあまりハイテクな話題は振るな」とのことで、どうやら母は知っていたらしい。

 そしてここにきて、父を知るであろう、父の記憶から生み出されたと思われる相手が古い戦いの名称を口にする。

「榊殿が日の本を旅立つまでの間、そりゃあ、もう、世話になったもんだ。

 親父殿の元へ来る前から南蛮へ行くことを目的にしておってな。九州が制定される少し前だったか。大殿が南蛮船の船長に南蛮送りを依頼したのよ」

 グッと碗を傾ける。

「俺と共に戦功を上げていた榊殿への報酬だったのだろうよ。

 その大殿も榊殿が旅立ってすぐに身罷られた。大方、自らの死期を悟られての行動だったのだろう」

(大殿?)

 今一つ、弥七郎の口にする単語がよく分からない朱翠は碗をあおって無知を誤魔化す。

「弥七郎は父と戦うのか?」

 言っておいて、自分でも無粋だと思う。が、弥七郎は「ふむ」と自分の碗に目を落とす。

「現世に喚ばれて言われたことは、"あぽくりふぁ"とやらに与する榊朱禅と戦え、だ。で、どうやらその榊朱禅は俺の知るあの榊刃九郎朱禅殿であるらしい。

 生きていた時代からずいぶん経っているにかかわらず、榊殿は未だ存命。人の身であっては到底不可能な物の怪だなんだとまくし立てられたものだが、榊殿が当時と変わっているかどうかなどは己が目で見て確かめればいい。ただな、例え別の存在となっていようが俺が望み叶える道は変わらん。

 受けた恩義は返す。それだけだ」

 それが答だ、と。

「あの面妖な者に逆らった者はなにやら妖術をかけられるようだが、もしそうなったなら、この腹かっ捌いてでも敵対なんぞせぬわ」

 あまりにあっけらかんと言う弥七郎に、本当にやりそうだなと感想を抱く朱翠であった。

 巴は、おや? と朱翠を見上げる。

 ベルリンで班分け時に紹介をされたわけだが、その時にはもう何かに思い悩んでいたようで難しい顔をしていた。それが、酔いのせいもあるのだろうが、ずいぶん穏やかな顔に見える。

【敵かも知れぬ者と語らう酒宴、か。榊の息子にとっては得るもののある時間のようだな】

【昨今の戦場では見られぬ光景にときめきますね】

【……】

【その無言はなんでしょう?】

【ヒルダじゃあるまいし】

【!?】

 なにやらミニマム生命体がど突き合いを開始したが、それすら酒の余興に過ぎない。この奇妙な酒宴を胡座に頬杖付いたアストラがぼんやりと眺めていた。

 アストラは弥七郎がこの陣地に侵入した頃から攻撃のタイミングを窺っていたのだが、何故か酒宴が開始し、一向に戦闘が開始されない。ただ、眺めていた。

「なんて状況なんだかねぇ」

 朱翠が酔いつぶれるのを待っただまし討ちの類かとも思っていたが、相手もまた結構酔っていて、かなり気持ちよさそうだ。しかも朱翠と意気投合しているようにも見える。

(あれは……敵なのか?

 トモとギルがそばにいて敵対行動をとろうともしやがらねえ。そういう罠か?)

 なんというか、いつでも割って入れるように身構えているのも馬鹿らしくなってきて、胡座で眺めるに留まっているのである。

 やがて、弥七郎と朱翠が揃って酔いつぶれたのを確認し、アストラは盛大な溜息を吐く。

「なあんか、妙なことになったなあ」

 そう言って、いつでも動けるようにと、得物の大剣を傍らに置いて仮眠を取ることにした。



 ラフィル・エル・ヒザキはムクリと起き上がる。抱き合って寝ていた柚樹がその反動でゴロリと転がった。

 起き抜けの半眼でキョロキョロと。

「ふにゅ?」

 雑魚寝で寝ていたはずなのに近くに朱翠の姿がない。いるのは転がった柚樹と大の字のうつぶせで寝ているミシェルくらいだ。司と朱禅がいないのは夜討ち討伐後にそのまま朝駆け討伐にでも移行したからだろうか。

 とりあえず近くの泉に顔を洗いに行き、その帰り道で変なのを見た。

 まず、周囲が酒臭い。なんかミニマムな生命体がクロスカウンターの状態で倒れている。その近くで寝る前に確認したままの格好でノアが寝ている。で……。

「なにこの状況><」

 見たこともない侍風の男がどぶろくを枕にしてイビキをかいている。その男の腹を枕にして朱翠も大の字で寝ていた。

 ラフィルが硬直していると、近くに司の飛翔魔法で飛んできた司と朱禅が着地する。

「ああ、おはようございますラフィ……る……?」

 司も場のおかしさに娘への挨拶も途中に絶句。朱禅は息子も息子だが、なによりイビキをかく男の顔を見て絶句。

 唐突に地が揺れる。ベヘモットが動き出した様子はなく、微かに北と西の空からなにやら轟音が響いてきた。

 ガバッと弥七郎が跳ね起き、朱翠が落ちてゴツッと後頭部を地に落とし痛みで目を覚ます。

「曲者か!?」


「「お前が曲者だ!!」」


 驚きの弥七郎に司と朱禅が指を差してつっこんだ。

 弥七郎は「あー……ああ? おう」とようやく状況に気づいて手を叩いた。そして、朱禅を見上げ、眉尻を下げた。

「意外に若いじゃないか、刃九郎」

 親しげにそう言われた朱禅はなんともいえない表情で「弥七郎……」と漏らす。

「まさか初見の頃並の外見とはなあ」

「そちらとて別れた頃の姿……いや、俺にとっての記憶上最後の姿か」

 朱禅は話しながら腰の刀に手をやる。弥七郎はその行動を見て尚自らの得物をたぐり寄せることはなく。

 司は弥七郎を視て右眉を上げる。

(魔力密度が夜討ち朝駆けの兵とは桁が違う? 何が違うんだ)

「失礼ですが、こちらの榊さんと戦いに来たのでは?」

 司の問いに弥七郎は「うんにゃ」と首を振る。

「あのでかいのにいる俺らの召喚者とやらを倒すため、榊殿に助力しに来た」

 その答に「ほお?」と朱禅は目を細める。

「ここに到達する前、北と西に軍勢が展開していて、ここは数こそ少ないまでも一つの軍なのだろう? 目的はあそこにそびえる巨大な獣。そして我らを呼び出しているあの面妖な仮面の者は主らにとって邪魔者であり倒すべき目標の一つ」

「目的が同じだと? そいつを倒せば再び死ぬかもしれないのだぞ?」

 朱禅の言葉に弥七郎は鼻を鳴らす。

「この身を外道に堕としてまで生きたいなどとは思わぬよ」

 目を伏せて静かな口調で語られたその言葉に、数秒、場が沈黙する。司は朱禅をチラリと見るが、朱禅は目を閉じて反応がない。やがて。


「「未練なき人生を」」


 不意に朱禅と弥七郎が同時に同じ言葉を口にした。互いに驚き顔を見合わせる。

「生きたか?」

 朱禅の問いに弥七郎は考えるまでもないと。

「なかなか、良い人生であったわ」

 頷き、爽快に笑ってみせた。

 朱禅は思わず口元に笑みを抱き「そうか」と喜びを口にしてから司に向き直る。

「元帥宅襲撃の時同様に狂わば俺が介錯をする」

「ジンさんの縁者です。あなたがそう決めたのなら僕に文句などあるはずもないですよ」

 そう言ってから自己紹介と朱翠に水を飲ませているラフィルを紹介する。

「この娘は天狗か?」

「違うが、似たようなものだ」

 全然違うが朱禅は説明が面倒だと応じる。

「俊、目は覚めたか?」

 寝起きでずっとボンヤリしていたが、ラフィルが汲んできた水と父の声でハッと覚醒。頷きで応じる。

「大丈夫?」

 未だ心配気味なラフィルに顔を向け「平気」と。

「それより、おはよう、ラフィル」

 そんな朱翠の朝の挨拶を受け、ラフィルが硬直した。

「え? あ、おは……よう、ござ……」

「どうしたんだ?」

「あ、あ、ああ、あの、あのですね」

 なにやら顔を真っ赤にしてワタワタしている。

 朱翠は、ミスロジカルに来て移行、見たことがないほど爽やかな顔でラフィルに挨拶をしていたのである。

 自身の表情も口調も分かっていない朱翠はラフィルの反応に首を傾げるばかり。

「何をした?」

「酒を交わして多少語らっただけだが……、どうも酒が鬱屈のタガでも外したかな」

 朱禅の問いに対する弥七郎の答に「将来、酒に逃げなければいいなあ」と司は天を仰いだ。

 弥七郎との酒宴で朱翠が得たのは、タガの外しではなく、多少の心の軽さである。魔剣を抑えようとして他への意識が散漫となっていた部分は父親からの叱責でやや揺らいでいたが、得た軽さがその部分を霧散させてしまった状態といえる。ある意味での二日酔いであり、時が経つか小難しいことを考え続ければ戻る可能性が大きい。

 ラフィルはしばらくポカンとしていたが、はじめて病院で挨拶をした時は普通に話していたことを思い出し、コホンと咳払い。

「顔を洗いましょう」

 まだやや赤い顔でそう言って、ラフィルは水辺まで朱翠を引っ張っていった。

「若いなあ」

 良いものだ、と眺める弥七郎に「事実若い」と朱禅が応じる。

「ところで、なんとお呼びすればよいのですか?」

「弥七郎で一向に構わんぞ。弥七さんとか」

 どう答えたものかと悩む司を見て、朱禅は「ああ」と納得する。

「名を知ることで対象に出来る補助魔法があったな」

「え? ジンさん、よく知ってますね。強力ですがマイナーといいますか、限定が面倒で使う人もほとんどいないはずですが」

「俺は使えないが、翠が使っていたのでな。邪神討伐では重宝したものだ」

「夫婦で邪神討伐とかうらやましいですね! 僕なんか相方は年齢不詳のおっさんでした!」

「ロウをおっさん呼ばわりするのは、日崎かアレッサンドロ姉弟くらいのものだな……」

 やれやれ、と。

「死ぬまで弥七郎と名乗っていたというのなら別ですが」

「そちらにも事情があるようだな。まあ、隠すものでもないか。

 立花宗茂だ。よろしく頼む」

「ほう……立花宗茂……さん……えっ?!」

 弥七郎――宗茂の名乗りに司が驚きで二度見した。

「立花道雪の……」

「婿養子の宗茂さんだ」

 うむ、と宗茂は頷いた。

「よ、よろしくお願いします。

 ジンさん。この際だからお聞きしちゃいますけど、昨日言っていた最高の剣士とかジンさんの出自とかってなんなんですかね?」

 朱禅はどう言ったものかと司を見ていたが、教えた方が対処のしやすいこともあるだろう、と口を開く。

「先まで日崎と潰していた朝駆けと夜討ちの軍を統括しているのが上州の黄斑・長野業正だとは昨日教えたが、俺との関係を言うならば――父親だ」

「それはつまり、朱翠君のお祖父さん?」

「そうだ。

 血縁上における父親で、俺が数え三つの頃に病死してな。身罷られる前に父上が信頼していた最高の剣士に俺は預けられたのだ。最高の剣士の名は、上泉信綱という」

 師であり義父でもあった人だ、と。

(蔵人佐殿からは剣聖上泉の養子だと聞いてはいたが、箕輪の遺児であったか。それであの時榊殿の名が……)

 なるほどなぁ、と宗茂は朱禅の素性に、勝手に納得する。

「本姓は在原、名字は長野、幼名は新九郎。これが剣士に預けられるまでの俺の名だ」

 上泉信綱に預けられた後、榊の姓を、12で元服し、朱禅の諱をいただいたのだ、と。

「榊を名乗るようにしてからは幼名も新九郎から刃九郎に変えてな。新九郎の名は、日崎どもと初見で名乗ったくらいだな」

「あの時の名は幼名でしたか。翠さんはこれを?」

「アレは鋭かったからなあ。

 ある時、勝負をして自分が勝ったら本当の素性を語れと勝負ごと強要されてな。そこではじめてあいつの本気とやったわ。正直、殺されるかと思ったぞ」

 結局、朱禅の刀がへし折れて、戦国時代出身で今はヴァチカン所属であることを吐かされたのだと。これが武本翠が息子に語った「古い人だから」の発言に繋がるわけである。

「あの人、何気に最強の一般人でしたしね」

「一般……人……? まあいい。

 弥七郎のことを他に紹介するとしよう。終わったら飯を食って出陣だ」

 この数分後、朱翠の反応やら宗茂の存在やらでアストラ陣営の収拾模様が割とカオスな状況になったのは言うまでもない。



 宗茂が目を覚ますもう少し前。

 ヤム陣営は、整列するヘクセンの華やかさの後陣に主力が集まっていた。

「夜討ちがビビって朝駆けが来ないとかラッキーだったよな」

 龍也が干し肉を咥えたまま明るく話す。

 この陣営は夜討ちを潰す手段を講じはしたものの、攻撃するではなくもっと別の手段に走った。

 夜討ち部隊は光源が月明かりだけの闇夜に鎮座する、赤眼の大蛇を前にして士気崩壊の上壊走。そのまま朝駆けも来なかった、というわけである。

「一つ判明したことは、出現した軍団の兵には恐怖を抱くほどの自我がある、といことだな」

 ティーカップを手にしたリチャードの感想にクリステルが頷く。

「例の録画ではサカキ殿と交戦した侍は怪人の接触により人外と化した。つまり、怪人の接触の有無で難易度が変わる、か」

「ま、難易度がなんであれ、やるこた変わらないけどな」

 そう返した龍也がビシッとクリステルを指差す。

「ヘクセンによる掃射後、俺とリチャードがつっこんで道を拓くから、バーグシュタイン嬢と悠に護衛されたヤムは目標地点まで進む。

 基本骨子はこれだが、あとは状況次第でやることも変わる」

 なんにせよ、と続ける。

「殴ってみなけりゃ基本以上のことは分からねえんだ。初撃から全力でいくぜ」

 龍也の言葉にクリステルは「そんなアバウトな」と漏らしリチャードを見るが、リチャードも龍也に同感だとばかりに空になったティーカップを無言で片付けしている。

 やってみなければ分からない。その思考は理解出来る。相手の情報を集める時間がないのも事実。しかし、対軍においてのソレはこちら側の被害が大きいものである。

(いざともなれば、アルカナム勢と離れる決断も必要か)

 クリステルは仲間を預かる身としての最善を考えながら、攻撃の準備に移った。



 敵軍の展開を丘上から見渡せば、無数の槍衾。背後に控える弓隊と、周囲の兵とは毛色の違う侍達の姿。

 クリステルはヘクセン先頭に立って肩の箒に触れる。他のヘクセン達も同様の仕草をおこなった。

 大きく息を吸い込み――。


「最大威力魔法――放てえ!!」


 ヘクセンによる魔法の掃射が始まった。

 爆発、旋風、崩落、凍結、落雷等々で丘下が天変地異である。

「さて、進軍だな、タツ」

 天変地異など眼中にないかのようにリチャードがコートを背後に放り捨て一歩を踏み出す。コートの下は龍也や悠と同じ軍服。白地で襟や袖などが赤く、左腕から上半身にかけて赤い龍が紋様として描かれている。龍也のコートとの違いは、龍也が東洋龍の紋様であるのに対し、リチャードは西洋竜であることか。

 ネコは後ろの方からリチャードの軍服を目にしてアリシア・ロードウェルの龍紋グローブを思い出し、兄の方が派手だなと素直な感想を抱く。

「ああ。ご無沙汰の本気進軍だな」

 コートを脱ぎ捨てたリチャードとは違い、龍也はコートの前を開けただけ。コートの中から這い出たオロチが左腕に巻き付いた。

「んじゃ、いっちょ行きますか」

 そう言って、龍也はコートからウィスキーボトルを取り出し親指で蓋を開け、中身を一口飲み下す。中身は酒ではなく、ただの水。

「やりすぎるなよ? ベヘモットが目を覚まさない程度でいい」

 リチャードは歩きながら右手を左肩に添えた。

「わぁってるよ。だから、一口分だ」

 相棒に応じて、ウィスキーボトルを懐に仕舞い、歩きながら右手で髪を掻き上げる。


「半龍顕現」「シフト」


 龍也の髪が腰まで伸び、頭に二本の黒光りする後ろに反った角が生え、瞳が金色に変わる。黒鱗の手甲と具足が出現した。

 リチャードは金髪が更に光り輝き、腰に剣とスリングを携えた騎士となる。

「アンヴァル」

 リチャードの呼び声に、光り輝くたてがみの白馬が出現。リチャードは白馬に跨がった。左手に柄が白く金装飾の五刃の槍が出現。右で手綱を掴んだ。

「先に行く」

 そう言い残し、リチャードは未だ天変地異収まらぬ地を駆け抜けていった。

 龍也が見るのは相棒の背ではなく、空。

 腕を天に伸ばし、ちょっとそこら辺の雲を掴んで空を引き寄せる。高度はベヘモットの足の付け根程度。眼下には戦場――天変地異を前にして尚陣を崩さない敵の姿が小さく見える。

「ノア・シーザーからの情報以外にも軍旗はあるな。悠が遭遇した剣士の例もあるし、混合と見るべきか。

 ま、とりあえず」

 近くの雲を適当に掬い取って地上へと放り投げれば、地上では薄い霧が立ちこめだす。それを確認してから迎撃用の集団の中へと舞い降りた。



 ヘクセンがマテリアルの冷却期間とやらで掃射一時休止に入ると、悠は視覚強化で戦場を確認しヤムを振り返った。

「タツとリチャードが戦場を二分した。間を抜けるぞ」

「ああ、そういうこと」

 悠の言葉にヤムは理解を示す。

 戦場で道を拓くとは、"切り拓く"ではなく、二端に集中させることによって戦場を二分割し分割の狭間を道とするとういことだったのだと。

(戦場へ赴く前に超越化したのは、注意と興味を引くためでもあるのね)

 まったく、と小さく笑みを浮かべる。

「面白い連中ね。アルカナムってあんな連中ばかりなの?」

「ふうむ。トップを含めて変人しかいないと思うが……、少し待て」

 悠はポケットをゴソゴソやって折りたたんだ紙片を取り出し、開けばあるのはメモ書き。

「組織、神族、人間超越かかわらず、やる気のある方アルカナムで時代を駆け抜けませんか。

 絶賛国民募集中。

 詳細は一次面接合格時にお伝えします」

 抑揚のない棒読みでメモ書きを口にして、紙片をポケットにしまう悠。

「奇人変人以外は大抵一次で落ちるらしい」

 その場に龍也がいればツッコミ入りそうなことを口走るが、この場にネコがいる以上、アルカナム行きが決まっている同期の連中が奇人変人揃いだから頷きもする。

「あら。ヘッドハンティング? というか国民を募集する辺りをつっこめばいいの?」

「元は財団だからな」

 答になっているようでまったく答になっていない。悠自身、何故国民が募集型なのかが分かっていないのだからしょうがない。

 戦場へと顔を向けた悠は目を細める。

「頃合いか。戦場を抜けるぞ」

「それは別に構わないけど……本当にアレで?」

 ヤムが指差したのは急造の四輪大八車。予備で持ってきた旧型の魔構ガントレットとグリーブを装着したネコが後部でスタンバっている。

「格好に拘らず、ただ迅速であれ、だ」

 言いたいことは分かる。ヤムは肩を落として、吐息。

「拘らないのにも限度はあると思うんだけどね」

 ヤレヤレといった感じで大八車に乗り込んだ。



 龍也は群がる足軽は霧を拾って生み出す水弾で薙ぎ払い、合間に斬り込んでくる武将を受け流し一方向にまとめてから岐神による火線で蒸発させ続けていた。

(死に様はベルリンでの記録と同じだが、足軽とその上とで目つきがまったく違うのはどういうことだ?)

 長槍を弾き折り、折り取った矛先で向かってきた武将の胴丸を貫通させる。貫通の感触は人体に近いもの。武将は呻き声を挙げてドロリと溶けた。

(足軽は声を出さない。足軽よりも上は呻き声までは挙げるがそれ以外は獣のようで。

 だが、悠が出会った奴みたいに意志のある奴が絶対にいるはずだ)

 意志を持つ相手を探し当てたところで、それが勝算になるわけではないが、何か、この場で殲滅する以外の突破口にはなるのでは、と。

 と、思考の外周に感あり。

(来たな、悠)

 悠達が薄霧の領域に入ったことを認識する。

 手足とは違う異感覚で悠達に近い位置にいる足軽を、薄霧を錐状に変化させて軒並み排除。あとは悠が自身で排除するだろうとして、自分の周囲に意識を戻す。

 武将の槍をいなし「ははっ」と笑いを口にして集団からやや距離を置く。

「がんばってふんばんな、お・ぶ・け・さん!」

 大きく息を吸い、周囲の風を掻きむしり、二分された戦場の片方で竜巻が出現した。

 もう一方において、五刃の槍を振り回して周囲を撫で斬りにするリチャードは龍也がいる方に竜巻が出現するのを見て「やはりそういう手段に出たか」と予想を肯定する現状に頷く。

「こちらも数を減らそう」

 槍を一度大きく振り回してから柄頭を右で掴み、大きくブンッと強く振れば、五刃から光線が発射。五又の光線が戦場を薙ぎ払っていく。光の奔流が消えた後には、無数の溶けて消えゆく人型と上下切断された足軽や武将達が遅れて崩壊していく。

 リチャードは背後、槍の神威の範囲外から「ひゅお」と息の吸い込みを聞く。残るは背後のみと振り返れば、笹を二枚重ねた紋を軍旗にした一団の先頭にいる笹を背負った武将が「すっげえな」と漏らしていた。

 リチャードは槍を消し、右に金拵えの柄の十字剣を出現させる。

「リチャード・ルー・ロードウェル。我が剣において貴公に解を与えよう」

「大仰な物の怪さんじゃねえか。いいぜ、この可児才蔵吉長。おめえさんの首も笹に吊してやらあ!」

 程なくして、十字の剣と槍が交差した。



「派手ねえ。まあ、超越者のいる戦場なんてこんなもんよね」

 そんなヤムの感想を背に聞きつつ、悠は大八車の先頭に座り風やら慣性やらをその身その存在で斬って速度を保つ。

「神州ではそれほど派手ではないが……」

 悠は振り返ることなく応対する。

「そんなことは」

 ないだろうと言おうとして、ヤムは神州の事情を思い出す。記憶が封印された転生者など素質のあるただの人と大して変わらないということを。そして、現在の神州の教育ではその素質をうまく扱えるまではいかないのだと。

 しかし、とヤムは前を見据えたままの悠の背とその内を視る。

 そういう国の出身であるにもかかわらず、この少女の力の、なんと上手い使い方だろうか。間違いなく彼女は転生者であり、力の行使に制限が存在していなさそうである。

(存在で事象を斬るなら、つまり、魔法――封印そのものを斬った?

 ふうん。極東にはそういう神もいるのね)

 ヤムが所属するアルコンテスはギルドの集合体である。そのため、他神族を保有するギルドがいくつもあり、ギルド総会がある日などは多くの超越者が一堂に会する。その様は非常にカオスであるが、ヤムは今のところ、この目前の少女のようなタイプの超越者とはあったことがなかった。

「あなた、うちこない?」

 悠は肩越しにヤムを見る。

「アルコンテスにか」

「ええ。きっと面白いと思うわ」

「遠慮する」

 即答しプイッと顔を正面に戻す。

「あら、面白さとか楽しさを求めて外に出てるんじゃないの?」

「違う」

 即答。

(嘘ではないけど、これは――)

 ヤムは悠が顔を竜巻吹き荒れる方へと向けたのを見て「ああ」と確信。

(求めているものの結果が楽しいのね)

 つまり。

「あなたを引き込みたければ、アルカナムのあの黒い方を引き込むしかないのね」

「――やれるなら、な」

 正解。しかし、難しいぞと。

(神和凛に梧桐穂月、それに不破正義。彼らをしてアルカナム行きを止められなかったのだ。他の誰が龍也の道を変えようというのだ)

 いるにはいる。だがそれは悠自身のことで、その悠は龍也がいればどこでもいいから問題はないのだ。

「なんにしても、今回のお仕事が無事に終わってから手立ては考えましょうか。

 それで、彼のあの技は止められないという自信でもあるの?」

 しばらくヤムへの解答に悩んでから、悠は答える。

「神威を殺す腕を持つ者がいなければ」

 武器や魔法ではなく? と首を傾げるヤム。

 神州の転生者がなら無理だろうが、如何せん、この戦場にいるのは戦国時代の猛者達で、中には生前の偉業から神号を与えられた武将さえもいる。

 そう。世界的に見れば比較的若いが、死後に神として祀られた英傑――国を違えば英雄として信仰されるにふさわしい存在が、この戦場には数人、確かに存在しているのだ。



 竜巻に足軽や足軽の統御をしていた武将が巻き上げられていく中、幾人かの武将は刀を地に刺して踏ん張っている。その中を、大地を踏みしめて進む一人の武将がいた。

 武将は物質化しているとさえ見える竜巻の麓まで来ると、刀を上段に構えて数秒溜め。


「ちぇすとおおおおおおおお!!!!」


 裂帛と共に剛剣が振り下ろされた。



 力を行使していた龍也は咄嗟に危険を感じ取って竜巻の中心から後方に向かって飛び退く。その直後、龍也の目の前で自らが生み出した旋風の塔が真っ二つに割れ、魔力消滅の衝撃で轟音と地響きが辺りを支配した。

「なにぃぃっ?!!」

 旋風割れて凪いでいく目前に、一人の武将が刀を構えるのを見て龍也も構えを取る。

 視たところ神威を斬り裂くような武装はみられない。

 そこで龍也はかつて不破正義が話していた武将の話を思い出す。

「雷の神威を斬った武士」

 口に出して、小さく笑って、肩を落として吐息。

「悠が会ったのが剣崎の祖――立花宗茂だったんだ、予想してしかるべしだったな」

 巻き上げられて天で斬り裂かれ絶命した足軽達の魔力が雨となって降り注いできた。

 どす黒い雨の中、武将は風の先に現れた龍人を視界に収める。

「戸次道雪――推して参る」

 風を巻き込んで一投足での斬り込み。

(退けば太刀風で斬られる。横は返し刃で斬られる。上は問題外。岐神を剣にして斬り合うなど、正義ならまだしも俺では数合保たん。んじゃ、俺が取るべきは――殴り合いだ!)

 銀光閃く斬り込みを、刃の横っ面に正確に右拳を叩き込んで剣筋を反らし、右脚で踏み込み重心を前へ。右の肘を道雪の鳩尾に突き刺し魔力を爆発。弾き飛ばして間合いを開ける。

「神薙龍也だ。俺の魂とりゃ、三途の渡し守が腹抱えて笑うだろうよ。

 やってみな、雷神!」

 岐神の爪を出現させ、組み手の構えを取った。




 南方の戦場では、アストラ勢が箕輪長野の軍勢と衝突していた。

 ラフィルの歌で身体を強化した柚樹と朱翠が疲れもみせずに戦い、二人の死角を補うようにミシェルが銃撃をし、アストラがミシェルのフォローをする。


「翠凰術式三の太刀――風華」


 翠凰から放たれる月輪の風刃が足軽を薙ぎ払い、朱翠が次に備えるためい鞘に収めながら引っ込めば、代わりに柚樹が前に出て足軽を統御する武将を斬り伏せる。兄妹によるスイッチ戦術に防衛陣が突破されていく。

「フレイムボム!」

 司は撃ち込んだ弾丸を爆発させ、爆発で瓦解した一団に朱禅が斬り込んでいく。斬り込みを見送ったその場でポケットから青のマテリアルを引っ張り出し。

「アイスウォール!」

 自らの背後に氷壁を出現させて矢の斉射を防ぐ。

 壁を越えてきた武将の甲冑を掴んで引き倒し、喉元を撃ち抜いての銃殺。

 遅々とではあるが軍勢の中を進む自分達と一団よりも更に奥へと行っている人物を目で追えば、足軽による槍衾をヒョイヒョイ躱し足軽大将やその上の武将をバッサバッサと斬り伏せて進んでいる。

「ジンさん」

 刃を返して息を吐く朱禅に呼びかける。

「援護します。ジンさんの最速で駆け抜けてください」

「それが最善か?」

「はい」

 司は宗茂が集団の頭を集中的に斬っているのを見て仮説を一つ立てた。

 足軽は足軽大将を倒せば何人残っていてもまとめて溶け崩れる。その上の侍大将を倒せば同様の現象が起こる。ならば、単純に軍団の最奥で指揮を執る人物を倒せば、軍団すべてを倒すことが出来るのではないかと。

 すべては、宗茂が足軽大将を斬った段階で、集団の頭を潰す説に気づいて実践しているのではないかとの仮定が根幹にあるが。

「その仮定はあながち間違ってはいないだろう。弥七郎は賢い男だからな」

 一度頷く。

「朱翠を持っていくぞ」

「どうぞ。僕達は後から行きます」

 それに、と背後に目を向ける。

「朱翠君の代わりが来たようです」

 司の視線の先に顔を向け、朱禅は「なるほど」と口にする。

 金色の騎士が跨がる、バン大の黄金のライオンが戦場を駆け巡り、ライオンに追随する女武者が長刀を振るって勇壮に舞っている。騎士はギルガメッシュを纏ったノアであり、女武者は人間大になった巴である。

 騎士は伸縮する鎖を振り回しラフィルに弓を射ろうと構えた弓足軽を粉砕し、勢いもそのままに櫓に引っかけて倒壊させる。

「目を惹きつける面でも優秀な代わりだな。

 朱翠! ついてこい!」

 朱禅のかけ声に朱翠は一も二もなく柚樹とのコンビを解消して父に付き従った。そして、朱翠の代わりに柚樹と背合わせに巴が参入した。



 朱翠は戦場を疾駆する。

 父の背中を追いかけながら、驚嘆を覚える。ルート、倒すべき相手、すべてを無駄なくおこなっているのだ。朱翠は父の指示に従い、翠凰の力を揮っているに過ぎない。

「来たな、刃九郎」

 軍の最奥を覗ける岩場まで来ると宗茂が待っていて、そう朱禅に話しかけてきた。

「ここに来るまでに剣聖とは出会っていない。とすれば、本陣で大殿を護っているものだと考えられる」

 宗茂の予想に頷く朱禅だが、朱翠は本陣を視て眉をしかめる。

(なんだ? あそこにある魔力。戦場の兵達とは違うが……覚えがある。確か……)

 覚えを辿っていって――――朱翠はハッと顔を上げる。

「馬鹿な。なんで……」

 朱禅と宗茂は朱翠を怪訝そうに見る。

「俊太郎? 疲れたか」

 宗茂の気遣いに朱翠は頭を振る。

 そして、覚えの正体をハッキリと自覚して、あの場面をも思い出す。あの――燃えさかる武本道場で従姉が殺された場面をだ。

(あそこで、そう、確かにあそこでこの魔力はあった。あの一件にも、今回の黒幕が関与してたっていうのか?)

 あそこには自分達以外には直毘衆しかいなかった。なら、直毘衆の中にいたか、近くに潜んでいたということだろう。

「剣戟だと?」

 朱禅は本陣からの音に気づく。しばらくして、宗茂を見る。

(弥七郎と同じ可能性が他にも?)

 思い至るのは、召喚者に従うことを拒める強靱な精神の持ち主が宗茂以外にもいるということ。だとすれば、予想出来るのは、自らの師だろうか。

 だが、一体何と戦うというのか。

 疑問有する父子と宗茂はいつでも戦えるよう警戒をしながら本陣へと近づき、剣戟の正体とある結果に遭遇した。

 壮年の剣豪が刀を手にする黒ローブの怪人と戦い、ちょうど怪人のベネチアンマスクを斬り落という結果にである。

 怪人はマスクが落ちるのも厭わず剣豪の刀を払って後退。マスクの下から現れた鋭い視線で剣豪を睨みつける。

「誰だ……」


「師匠! それに、お前……」


 宗茂の誰何は朱禅の声にかき消された。

「お前は……何故、生きている?!」

 ローブの人物を朱禅は知っている。朱翠は知らないが、ただ、知る人物に似ているとは思った。

「いや、死んで取り込まれたか――嘉藤!」

 朱禅の声に、怪人は舌打ちを一つ。

「黄斑を駒に出来なかった時点で無駄か。まったく、厄介な記憶を押しつけおって」

 怪人はチラッと朱翠を見る。

「まさか生きていたとはな」

 この場は不利と重心を後ろに持っていく怪人に対し、朱禅と宗茂による交差の刃が襲いかかる。


 ガッキィッ


 怪人の懐から伸びた銀色の円錐が二刃を防いだ。円錐はランスの穂先。ランスに次いで腕が出てきて怪人の胴をホールドすると怪人をローブの中へと引っ張り込む。怪人とローブを内側に取り込んですべてが忽然と消えた。

 しばらく周囲の気配を探っていた朱禅と宗茂は剣豪に振り向いて近づけば、剣豪は刀を杖にしてその場に膝を付いた。

「師匠」

 朱禅は傍らに刀を置いて剣豪の前に膝を付き、その肩に手を置いた。

 剣豪は顔を上げて朱禅の顔を確認し、眉尻を下げた。

「刃九郎……老けたなあ、おい」

「は? あ、いや、実年齢に比べれば若く見えると自負しておりますが」

 聖者は大体そう。

「伴天連のような格好しおって」

 間違ってはいない感想を口にされ朱禅には珍しい苦笑を浮かべた。

(この方が刃九郎や丸目先生の師――上泉信綱殿か。

 生涯ではなく、このようになってようやく会うことが出来ようとは……縁も奇縁だ)

 悪くない、と宗茂はやや感慨深げに師弟の再会を見守った。

「父さん。中の魔力が不安定です」

 ずっと周囲と本陣内の魔力を視ていた朱翠の声に、朱禅は刀を握って立ち上がる。

「場合にもよるが、念のため翠凰ではなく魔剣を抜け」

 指示に頷き、朱翠は翠凰を納刀し背の柄に手をかけ、本陣の布の内側を警戒する。

 そんな朱翠をみやった信綱は朱禅を見上げ「何人目だ?」と。

「一人だけです。養女はいますが、アレが俺の嫡子です」

 答に信綱はただ「そうか」と二度頷いた。そして表情を怪人と戦っていた時と同じ剣豪の顔に戻して朱禅を見上げる。

「大殿を頼む」

「はっ」

 会話はそれだけ。

 踵を返し師に背を向けた朱禅は息子同様に陣内の警戒をし、いつでも斬り込めるよう身構える。宗茂は剣豪を一瞥してから朱禅の隣に並ぶ。

「いいのか?」

「師匠は既に死に体。これ以上の戦いは苦しみだ」

 死に体と言われ、朱翠は「え?」と信綱を振り返ろうとして朱禅に小突かれる。そして、行くぞと陣幕をくぐって入った朱禅と宗茂の後を追う朱翠。

 三人が陣幕をくぐるのを見届けて、信綱は草むらに胡座を掻いて、まるで残った命をすべて吐き出すかのような長く長く息を吐き出して、その場で溶けて消えた。



 陣幕を抜けた先で見た光景に、歴戦の武士である宗茂だけでなく、様々なカルトと渡り合ってきた朱禅も息を飲んだ。

 あったのは、塊である。

 苦悶の表情を浮かべた武将達が歪に捻れ絡まり、ヌラヌラとぬめって輝く黒くも紫にも見える気持ちの悪い魔力で団子状に練られた球体だ。それが一人の老将の上に重しのように載せられて、老将は憤怒の表情で塊を落とさないように踏ん張っている。

 朱翠はその塊に覚えがある。まさに、自身に救っていたあの悪夢とよく酷似していた。

「藤井殿……? それに大道寺殿もか?」

 朱禅は驚愕の表情で塊に見える武将の名を漏らす。どれもかつて、父に従った者達だ。そして。

「父……上……」

 老将を父と呼び、朱禅は老将、長野業正の前に膝をついた。

「何者だ」

「新九郎にございます」

「しん……く……ろう?」

 名乗りに業正はしばし朱禅を凝視し「はっ」と辛そうに笑いを口にする。

「えらく……えらくでっかくなったものだ。最期に見たあのチビがなぁ――っづ」

 懐古の表情はすぐに苦しみに変わる。

「一番のチビとの再会くらいは静かにしろよ、友忠」

 塊を支える手で強く表面を握りしめれば、苦悶の顔が「あーあー」と声を出す。

(この人が、俺の祖父?)

 武本でも祖父母がいなかった朱翠としては初めての対象といえる。その対象が明らかにヤバイものを支えている光景は呆然とする以外にはない。

 そんな朱翠の様子に宗茂が隣に来て顔色を窺う。

「挨拶も別れも今の内にした方がいい。あれはおそらく、逃れられなかった者の末路だろう」

「どういう」

「召喚者に逆らい自我を失わされる者は見たが、それで尚逆らい続けたのだろうな」

 宗茂はすさまじい精神力だと感嘆を隠さない。

「俊太郎。お前の祖父は、まさに、黄斑と呼ぶにふさわしい」

 宗茂の称賛を受けて、朱翠は父の隣まで来て膝を付く。チラと見た朱禅は長野業正に紹介する。

「もっとよく顔を見せよ――ああ、まさか、この第二の黄泉路を前にして、孫の顔が見られるとは。名はなんという?」

「榊朱す」

 普段通りに答えようとして、小さく頭を振り、一度頷く。

「榊俊太郎朱翠。十と六になります」

「俊太郎――朱翠。うむ。良い名だ。

 ああ、すまんな。触れられん、じじいを許せよ」

 破顔の老将は蝕む痛みも苦しみもすべてを顔には浮かべず、触れられないことが残念だと嘆く。

 朱翠は嘆きの原因を見上げる。コレが自身に巣くった獏と類似するモノならば、と恩人から聞いた顛末を思い出す。

「――浄化」

 だが手元には魔剣だ。魔剣で、太陽神の加護と同種の浄化など出来るのだろうか。

 孫の様子に、ああ、と察し、業正は朱禅に顔を向ける。

「出来るな?」

「承知」

 真剣な目で言われ、朱禅は即答で応じる。即答は、可能性を問うすべての内容に対するものである。

 立ち上がり、朱翠の襟首を掴んで後ろへと放り、宗茂は朱翠を受け止めた。

 朱翠と宗茂の目前で、朱禅は己が影から一振りの刀を抜き払って上段に構える。それは白い柄拵えのシンプルな長刀。黒衣の朱禅が持てば、よく映えた。

 業正は朱翠に顔を向ける。

「聞け、俊太郎。

 義を胸に忠に生きよ。それが箕輪長野の心意気ぞ」

「っ!? 祖父ちゃ」

「やれ、新九郎! "あとは頼むぞ"!」

 その言葉を合図に長刀を振り下ろす。

 長刀は、蘇らされた上州の黄斑を真っ二つに斬り裂き、外法で構成されたその身を一太刀で浄化せしめる。塊が支えをなくして墜ちる。そして……。

 朱禅はもう一振り。黒い柄拵えの小太刀を長刀の影から抜き払いながら後ろに跳躍。二人の傍らまで退く。

「来るぞ。アレがこのベヘモット南方に展開する軍の中核だ」

 業正が支え押し込めていたモノが膨張し、球体から腕をつなぎ合わせた腕と足をつなぎ合わせた足が生え、球体に浮かぶ顔が増え、徐々に形を変えていき、形状だけなら虎と言えなくもない不気味な存在へと変貌する。無数の人の胴体で構成された胴を持つ、巨大な虎だ。大きさは10tトラックほどだろうか。

 朱禅と宗茂は朱翠を掴んで巨大な前足の間合いの外へと退避する。

「面妖を通り越しているな」

 気持ち悪そうな宗茂の感想に頷き、黒拵えの小太刀を宗茂へと渡す。

「幻獣……いや、あの手の化け物は技だけではどうにもならん。こういった特別製が必要だ」

「承知した。借りておく」

 左で持って軽く振り、右を逆手に持って左を前に構えを取った。

「俊。分かれとは言わないが、集中はしろ――来たか」

 本陣跡に、軍団の突破を果たした司、柚樹、ラフィルが到着した。


「お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛」


 異形の虎が怨嗟の咆吼を迸らせる。

「き、気持ち悪い><」

 柚樹の悲鳴を横に聞き、ラフィルは朱翠の姿を探し当てそちらへと飛んでいく。そしてその背に立てば、フラリと倒れかかってきて。ラフィルは朱翠の体をその身と翼で受け止めた。

「朱翠?」

 肩に手を置いて安否を気遣えば、その手に朱翠の手が重なる。

「――大……丈夫。問題ない」

 口調は昨日までの朱翠に戻っていた。きっかけは、初見の祖父の死だろう。

(切り替われ、切り替われ、切り替われ、切り替われ――切り替えろ。怒りも悲しみもすべてを飲んで、前へと進め)

 ラフィルへの言葉を発した後も、思考を切り替えるための自己暗示を続ける。

(怒りも悲しみも、すべては剣を鈍らせる。ただ、切り替えろ)

 姿勢を正し、魔剣を抜いて、頬当てを身につける。魔剣が、久しぶりの外気に喜びに震えた。血を吸わせろと誘引の輝きを纏う。

 抑えられない。

 振り返った朱禅の鋭い視線と目が合うが、朱翠は目を反らして異形の虎へと集中しようとする。

 ラフィルが天使の歌を囀れば、朱翠は自身の奥から沸き上がる力に身を任せる。変化は朱翠だけではなく、朱禅の白刀と宗茂が借用する黒刀の鍔が輝きを得る。

 朱翠は、ただ目前の異形を倒すことだけに集中しようと、踏み出した。



 異形に対して高さの優位を得ようと、足や尾の凸凹を踏み台にしようとした朱禅と宗茂と朱翠は、異形を構成する人型の隙間より発射された人の腕により侵攻を阻まれる。腕は、腕の連結した触手となって襲いかかってくる。触手が動く度に、骨の砕ける嫌な音と異形の所々にある苦悶の人面が悲鳴を上げる。

 触手は長く伸びて、耳障りだとでも言うかのようにラフィルをも襲う。だがそれは、彼女の前にて目的を失い溶けて消える。原因は簡単。柚樹がラフィルを護っているからだ。

 異形の攻撃に、司と朱翠は同じ感想を得る。獏と同じだと。

 司は黒ローブのことを確認していない。しかしそんなことは司には関係がない。

「ジンさん! そいつへのトドメは神剣や魔剣、聖剣の類でなければ無理だ!」

 そんなことは分かっているとばかりに、朱禅は白刀で触手を斬り落とし、再び触手からの攻撃を受けないように一箇所には留まらず、動き続けて上を目指す。

(獏は中核が見えている状態だった。でもこいつは異形の鎧で中核を覆っている?)

 視ても中は真っ黒で何も分からない。

(一度大火力で中核を露わにしてみるべきか)

 司は緑のマテリアルを四つ取り出し、右の指の間すべてに挟み込んで目前に掌を向ける。


「四大の一、シルフよ」


「風の咆吼は万物を貫く超速の弾丸」


 すべてのマテリアルが一際輝いたかと思うと砕け、右掌眩い緑光が出現。

 身を低くし右手を腰溜めに構え、視線と意識を意表の胴へと一点集中。


「エア・ストライク!!」


 全身を銃口として緑光――風塊の砲弾を撃ち出す。

 風塊はチュインッと風が鳴くとは思えない音を残してかっ跳び、異形の胴体へと吸い込まれていき、いとも容易くその身を貫通していった。

「あぶなっ」「日崎め」

 宗茂の悲鳴と朱禅の舌打ちは暴風がかき消した。

 残ったのは、貫通する時に吹き荒れた暴風で、形作っていた人型が所々吹き飛んで隙間だらけになった異形だ。隙間の中にヌラリとした球体が目視出来た。位置は背に近い。上を目指した武士三人の行動が正しいことを証明していた。

 三人は隙間の空いた胴を足がかりとして背へと辿り着くが、周囲の風景、高さに異常を覚える。ガクッと高さが変わったのだ。

 敵が上となった時点で異形は足と尾を放棄するかのように体内へと引っ込ませ、虎の背に巨大な人型が出現する。中核は人型の腹に剥き出しになっているが、人型は正確には頭のない六本腕の怪物だ。

「俊太郎! 右を頼む!」

 宗茂の指示に朱翠は怪物の右三本への攻撃と防御を開始する。対して宗茂は怪物の左三本を担当する。

 腕三本とはいえ、打撃が三ではない。絡み合いの隙間からの触手は健在。触手を斬り落としながら、少なく凹凸の激しい足場を自在に動き回って上や横からの拳撃を回避する様に、ラフィルへの攻撃がなくなり防御の必要がなくなった柚樹が感嘆の吐息を漏らす。間違いなく、自分とはレベルが違う。

 朱翠と宗茂への攻撃の激しさに中核への道が僅かに開く。

「せいっ!!」

 僅かな隙間こそ十分と、朱禅の唐竹が中核を両断した。


「■■■■■■■■■■■!!!!」


 怪物の体中の口から叫びが上がる。

 これで終わりかと皆が思った時、割れる中核から人の頭大の蝙蝠が羽ばたいた。

「まずい」

 それを口にしたのは朱禅か宗茂か。

「逃がすかっ!」

 ただ一人、朱翠だけが反応した。

 怪物の三本腕を蹴り上がって蝙蝠の上を取り、魔剣を振り下ろさんとして、相手を斬ることへの歓喜に震えた魔剣の感情に脳髄を冒される。


「やかましいっ! くだらん感情で俺の剣を邪魔するな!」


 魔剣の感情を怒りで一蹴。その勢いで蝙蝠を両断。怪物が一気に溶け崩れた。

 肩で息をしながら、朱翠は魔剣を振って怪物の魔力を払い、頬当てを外して魔剣を鞘へと戻した。



(やるだけやって逃走を選択した相手への怒りから、小難しいことを考えるのを放棄したか。

 まあ……今のは良かった)

 朱禅は息子の背を眺めて踵を返した。

「嗚呼。刃九郎のは刃こぼれ一つないのに」

 怪物の攻撃を防御し続けた自らの得物はもうボロボロだ。宗茂は大きく肩を落とすも、朱禅と並んで歩き、黒刀を返却した。

 朱禅が黒刀を白刀に重ね合わせれば、黒刀の姿がフッと消える。そして、白刀を自らの影へと落とせば、白刀は吸い込まれるように消えていった。

「まさか刀そのものが物の怪だったのではないだろうな?」

「一応は神造の聖剣の類なんだがな」

 宗茂はよく分からないという風な顔をする。

「神仏の加護が強い武装、みたいなものだ」

「ああ。なるほど降魔の利剣か」

 似たようなものだ、と朱禅は頷いた。

「で、剣聖殿の姿がないな。俺同様、支配されていないならまだ健在なのではと思ったが」

 辺りを見回す宗茂に「それはない」と否定する。

「師匠のあの姿は、俺が最期を看取った時のものだった。多少の強化があったとしても戦える身体ではなかっただろう」

 それでも黒ローブの怪人と互角に戦えていたことには感服すると。

 怪人の実力が死に体の剣聖と互角程度ではなく、怪人と互角程度で戦えていたということらしい。

「知っているようだったな?」

「ああ。あの男は……」

 司の前までやってくる。

「おい。嘉藤利則が取り込まれていたぞ」

「は? ええっと……ええ?!」

 一瞬、司はキョトンとして、すぐに驚愕の声を挙げた。

「俊を見て生きていたことに驚いていた感じからすると、武本道場襲撃にも噛んでいそうだ」

 驚愕から帰っては来ていないが、武本道場襲撃という言葉に「まさか」と。

「あの中核は、朱翠君に巣くっていた獏と似ているなと思ったのですが……。ひょっとすると逆なのかもしれませんね。

 ただそうなると、神州がかなりまずいことになってるかなって」

 あいたー、と眉間に手をやる司。

「しかし、嘉藤さんですかぁ。

 黎明の三剣聖は基本的に実力は比肩してますが、その中でもとびきりの剣鬼でしたよね。やったことありました?」

「立場上、敵対していたわけではないからな。良くて、木剣での汗流し程度だ」

 それも翠にせがまれてのことだったから、さして本気でやったわけでもない。それでも分かる実力というものもある。

「あれは、努力してしまった天才だな」

 質が悪い、と。

「とにかく、あいつはいかん。

 この先、誰がどのような場面で遭遇するかは分からんが、近接に自信がなければ即刻逃げた方がいいと案を回すべきだろう」

「そこはノア君にやってもらうとして――」

 司は朱翠の背中に顔を向ける。

 朱翠はボンヤリと異形が消えた場所を眺めているようだ。

「朱翠君、どうしたんですか?」

「大したことじゃない」

(すごい大したことのような気もしますが)

 これも榊の教育か、とやや諦めの吐息交じりに、朱翠を眺める司であった。



 朱翠は業正の消えた場所を見つめていた。

 心に落ちるのは、祖父を斬った父の所行ではない。あれは、二人が納得ずくでやったことであることくらい、朱翠にだって分かる。理解出来る。理解出来てしまう。理解出来るように育てられているのだ。それでも――悲しいものは悲しい。

 父親が古い時代の人であることはいい。その時点で父親関係の身内と会うことはないだろうということは納得してきた。それが、ここにきて、特殊な出会いではあったが、はじめての祖父である。満足のいく語らいの一つでも出来ていたらと思うが、それ自体がただの夢か。

「あれ?」

 視界が滲む。

 何事かと手をやれば頬が濡れている。雨かと見上げても水滴一つ落ちてこない。なら答は自分が泣いているのか、と。

 吐息。

 こうして、自分が泣くことを自覚するのはいつ以来だろうか。

 思い出す。

 もっと小さい時に、父や母からは言われていたなと。

「泣きたければ泣け。腹が立ったなら怒れ。泣くだけ泣いたら、怒るだけ怒ったら、後は前を向けばいい」

 それが、武本翠廉や梢といる間に、泣くのも怒るのも我慢しろ。男が泣くのはみっともない。と言われ、人前どころか一人でいる時でさえ、意識して我慢した。

 今、涙が出たのは、祖父との出会いも別れも唐突過ぎて、悲しかった。そういうことなのだろう。

「ああ、そうか」

 吐き出すように口に出る。

「俺は……馬鹿だ」

(失って得る感情を否定して、本来覚悟はそういうものを糧にするべきなのに)

 伽藍堂の覚悟。そこを魔剣につけこまれたようだ。なんという、無様。

 誰か親しい者が失われたら、悲しみを得るのは道理。

 得るべきものを否定した結果が、無心となることも出来ずに難しいことばかりを考えて魔剣の制御も半端になったということに気づく。気づいたところで、すぐに治せるものでもない。

 ただ、気づいたせいか、次から次へと溢れ出てくる涙を止めることは出来ず、その場に膝をついて頭を垂れ、声を出さずに泣いた。

 そんな朱翠に近寄ろうとしたラフィルは柚樹に止められる。

「泣き止むまで待ってほしいでござる。そうでないとおそらく、立ち直るまで更にかかるかもしれないでござる」

「え?」

 姉妹に顔を向けられて、柚樹はムスッと機嫌の悪そうな顔でそっぽを向いた。彼女なりに兄を心配もしていたらしい。それに気づいて、ラフィルは柚樹に抱きついた。

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