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LR  作者: 闇戸
五章
62/112

Behemoth_4

 時が過ぎた。

 マティアスが言った、シックザールを組み込んだ新体制が動く最短の二日が経過した。

 その日、空が白み始めた頃、ネコは自室で小説を片手に欠伸をした。

 高級感漂うソファーベッドの上で軽く伸びをして、眼前の丸テーブルに積まれた本の塔に目を向ける。

 以前、令が「れんざぶろう、おっもしれー」とか言っていたので祖母に"れんざぶろう"が旧暦日本の過去の作家であることを聞き、取り寄せの注文をしていたのが、数ヶ月経ってようやく到着していたのである。

 で、なにやらその令もいないし暇なので(ネコはベルリンの現状を知らない)、昨日の昼頃からずっと、妹の「博物館島行こうよ」というお願いをすべてスルーして読み耽っていたわけだが、テーブルの脇に避けたあるシリーズに目を向けてやや頬を赤らめる。

 混血剣士の剣豪物で確かに面白いのだが、なにせ一タイトルに一箇所は確実に濡れ場があり、読んでいた途中でネコはフリーズを起こした。これではイカンと後回しにしたというわけである。他のにもないわけではないが、まだマシというか、まだ再フリーズはしていない。

「しっかし、こういうSAMURAI物を読むと、サカキはなんつうか、カミイズミみたいな動きだよな……、特に挿絵。って、読み方合ってるよなぁ?」

 パラパラとページを戻してフリガナを確認。こんな感じではまっていた。

 さて、次は、と積み本へ手を伸ばして「ん?」と顔を窓に向ける。何か聞こえた気がした。



 時間は少し遡る。

 午前5時を過ぎたくらいだろうか。

 朱禅は一人、訓練場で篝火を前に早朝の鍛錬として刀を振るう。

 我が刃に断てぬ物なし、と刃の先に念を込めてただ振るう。育ての父にして、剣の師であった人に習ってから、欠かさずに続けてきた一日の始まりの儀式ともいえる行為である。

 時に剛、時に柔、刃が過ぎれば炎は斬れる。斬られた炎を瞬きに、朱禅は演舞に打ち込む。ふと、刃で何度目かになる炎の切断のところで演舞が止まる。

 息を潜め、周囲に意識を傾ける。この時間、この場所に軍関係者がいないことは調査済だ。だからこの場所で鍛錬をしていた。ナニが来てもいいように。

 そしてその時が来たと直感する。

 炎も届かぬ闇から、ザッザッと足音が聞こえる。音から靴ではなく、朱禅にとっては懐かしさもある音――草履の音。そちらに目を向け、顔を顰めた。そいつは二本差しの若武者で悠然と歩いてきていた。

 朱禅の手前3メートルほどの位置で止まる。

 若武者は対面した相手を注意深く観察してから「ふむ」と頷く。

「なるほど、互いに姿があの頃のままですか」

「その物言い。つまり貴様は、自らがその姿であることに疑問を持てる程度には"脳"があるのだな?」

「"脳"? あぁ、そうですね。

 私はコレでも孫に還暦を祝ってもらった記憶がありますので、少なくとも自分がおそらくは死んだことくらいは分かりますよ。貴殿もそうなのではと思うのですが」

(外見も服装も"あの時"のままだが、以降の記憶がある?

 言えるのはやはり、転生者ではないということか)

 転生者は人の胎を通って世界に生まれ変わる。神のように魂が強烈であり容姿が過去に引きずられる場合はあるが、人が人に転生するならば、外見が前と同じにはまずならない。肉体の親に似るものだ。だから、今、朱禅は目の前にいる存在を転生者だとは考えられない。

 ならば一体ナニモノなのか。

 おそらく、ここ数日のベルリンで捕り物の対象とされているモノと同じだとする考えは、間違ってはいないはずだが、完全に正解とも考えられない。

(まあ)

 朱禅はある確信を持って思う。

(斬れば分かる)

 単純明快だが、実際、斬って不定形となれば、同種だろう。

「さて、かの乱においては状況が状況故、互いに名乗りはなかったが、必要か?」

 そう言って抜刀の構えに入る朱禅に、若武者もまた腰の二刀を抜いて構える。

「無論。二天一流、宮本伊織――」

「新陰流、榊刃九郎」


「「――参る」」


 静かに語られた名乗りの後、篝火の灯りを強く反射させ三閃が斬り結んだ。



 朱禅が、かの宮本武蔵の養子と斬り結んだのはこれで二度目となる。

 一度目は朱禅にとってあまり思い出したくはない、使徒になって最初の単独任務の時、西暦では1637年。当時日本の暦では寛永15年の2月28日のこと。

 結果は任務失敗。途中で監察役だったロウ・エクシードによる介入を許している。

 任務場所は島原。乱に参加している非戦闘員の脱出補助が任務であった。

 崖から飛び降り海に逃げた内、沖に停泊させていた船に救助出来たのは千にも満たない。救助出来たと言っても、これは協定を破り島原直近まで救助船を侵入させていたロウのおかげと言える。

 朱禅が成し得たのは、非戦闘員の一部が崖から飛び降りる僅かばかりの時間を稼いだこと。僅かで終わった理由の一つが、この、宮本武蔵の養子である宮本伊織貞次に阻まれ対決に持ち込まれたことである。

 伊織としては、幕府軍に大損害を出している道の守護者に勝負を挑んだだけで、結果などは知らない。勝負の途中で異国の剣士に邪魔をされて決着は着かずじまいで終わった勝負であるというだけである。

(島原でも思ったが、この男の剣は奇形の新陰流。それでも名乗りが"新陰流"という。疋田陰流ではなく? 一体、何者だ?)

 しかし、更に思うことがある。

 島原ではほぼ互角に持ち込んでいたはずだが……。

(またか)

 剣筋を反らしての死角からの一撃。常套であれば必殺。これを綺麗にさばかれている。まるで、二刀流との戦いなどやり慣れているかのようだ。

 実際、朱禅はやり慣れている。

 長く生きているのだから、その分、洋の東西にかかわらず、双剣使いの数はすべてを合計すれば少ないかも知れないがそれなりの数をこなしている。ごく最近では、ロウが連れていた弟子が卑怯臭いレベルの双剣使いだったから、二刀流に対して記憶に新しいのかもしれない。

(例え致死の毒針でも剣筋が正しすぎる。それが彼の長所なのだろうが)

 死角の一撃を柄頭で正確に殴り払い返しで顎を下から突き上げる。

「お綺麗すぎて、俺にはもはや時間稼ぎにすら使えん」

 口にして「……ん?」と自分の言葉に反応する朱禅。

(時間……稼ぎ?)

 一体何の、と考えがすべて過ぎる前に、この相手に現代の"いつ""どこ"で邪魔をされたかを思い出し、鍔迫り合いを避けて離脱を開始する。見事に時間を稼がれている。

 舌打ちを一つ。

「Il mio corpo è un vento. (我が身は風なり)」

 呟きに胸の十字架が光り、朱禅は風のような素早さを得て居住区に向けて走り出す。

 伊織は一瞬、勝負をいきなり捨てた朱禅に唖然とし「逃げるか!」と怒りを露わにする。その背後、闇にフワリとベネチアンマスクの怪人が出現し、ローブから枯れ枝のような腕が伸びて指が伊織の後頭部に刺される。


「Erwerben Sie Zeit.

 Acquérez le temps.

 Acquisisca tempo.

 Acquire time.

 時間を稼げ!」


 老人とも大人とも子供とも男とも女とも取れる声で命令された伊織の白目と黒眼の色が反転した。

「承知」

 感情のない返事。直後、伊織の姿がそこから消える。否、人の速度とは到底思えない速度で走り、開いていた朱禅との間十数メートルが2,3メートル程度まで縮まっただけだ。

「ちっ! 駒に成り下がったか! だが、あの対象とやらと同一であることは分かった!

 La mia gamba è una primavera.(我が足はバネなり)」

 跳躍特化に強化した足でバーグシュタイン邸の壁を一歩二歩三歩で屋根まで駆け上る。ピュセル達に与えられた部屋は最上階の一画だ。ここを抜けてしまえばすぐに到達出来るはずである。

 が、屋根のとっかかりを発射地点と定め、身を翻し、刃を返し峰に左手を添え、屋根と壁の直角に向けて弾丸のように跳躍した。

 朱禅に数秒遅れて屋根上へと飛び上がった伊織が最初に見たものは目の直下に接触する刃。脳髄に直接熱が伝達され痛みを訴えながら睨む先に自らの頭の切断面が見えた。残された口からは意味を成さない悲鳴とも怒りの咆吼とも取れる叫びが紡がれた。


 ダンッ!


 朱禅は対岸の壁に着地。そのままクイックターンのように横っ飛びに跳躍。再度の弾丸と化して残された身体に襲いかかる。

 斬り落とした頭部は不定形と化して闇夜に散ったが、その下はまだ健在である。着物が不定形と化してアンカーのように身体が下に落ちないよう縫い止めている。

 つまり、対人であれば必殺でもアレに対してはそうではないということだ。

 朱禅と伊織が再衝突する。

 伊織の上半身がグルリと180度回転し大小の太刀を交差して朱禅の刃と競り合う。かかる衝撃でアンカーは引きちぎられ、ガリガリと伊織の足が屋根に盛大な破壊音を掻き立てて、まるで大根下ろしのように足を削らせながら衝撃を押し殺していく。歪な不定形が肉片のように宙に舞い、交差する刃が火花を散らす。

 やがてすべての衝撃が殺される頃になって、朱禅は削り残った伊織の腹に蹴りを入れて飛び退こうとするが、伊織の斬り落とした頭部から刀を握った腕が生え斬り下ろしが来る。舌打ちをしながら刃を戻して斬り下ろしに合わせるが、宙にあったためにそのまま打ち落とされた。

「呵々々々々々々々々々々」

 擦り切れた知性の欠片もない笑い声が木霊し、這いつくばる朱禅に向けて左の小太刀が刺し下ろされる。これを蛙のように這いつくばったまま左に飛んで避け、更に斬り下ろされる右からの袈裟斬りを屋根に着いた左手を軸に時計回りに反転。右足で伊織の右肩の後ろに蹴りを入れる。伊織が体勢を崩し後ろに倒れる代わりにその右肩を踏むように蹴りの反動で身を起こした。そして、有無を言わさず、足蹴にされて足掻く上半身を縦に斬り裂いた。

 断末魔は縦に真っ二つとなった口からは出ず、裂かれたのど笛からヒューッと抜けるような音がしただけであった。

 足下で真っ二つの上半身が不定形となって消えるのを確認してから、朱禅は荒い溜息を吐いた。

 結局、時間稼ぎをされてしまった、と顔を行く先に向けようとして、ある部屋の窓が開いており、そこからネコが顔を覗かせていることに気づく。

(少々騒がせたか)

 少々どころではない。

 彼女に見つかってしまう前に、納刀し、その場を走り去った。

 目的の部屋に辿り着けば、室内は灯りが付いているが荒らされておらず、ただ、ピュセルが銀棒を掴んだままうつぶせで昏倒し、柚樹が何事もなかったように寝ている。

 朱禅はピュセルに活を入れて意識を戻す。戻ってすぐにピュセルは手荷物を漁り「くっ」と呻いた。

「何があった」

「やられた。召喚器が……」

 ピュセルが朝の祈祷をしようとしていたところ、ふと気づけば黒ずくめの者が召喚器を手にして立っており、銀棒を掴んで戦おうとしたのだが、気づけば朱禅がいたということらしい。

「手際が良すぎる。黒ずくめというのは?」

「マリスのような格好だったが」

 朱禅の同僚の名を口にするピュセル。

「しかし、服装はなんとなく、ユズキが見ているドラマに出てきそうな」

 そこまで言って、ああ、と頷く。

「ニンジャとかいうのに似ていた」

 ニンジャの単語に、朱禅は顔を顰めた。

(宮本伊織の次は忍びだと? 一体、どうなっているのだ)

 朱禅の疑問が解消されるのは、ほんの数時間後のことである。



「んあ? 何があったんだ?」

 ブロッケン山から帰ってきた令はバーグシュタイン邸の騒然とした雰囲気に首を傾げる。

「戦闘の痕がある。ブラウ少佐が言うところの敵が侵入したのだろう」

 後ろからの声に振り返り「ああ、なる」と頷いて返す。

 令の後ろには二人の女性がおり共にドイツ軍の軍服で右肩に箒を模した勲章を着け、左肩を黒マントで隠している。箒はそれぞれ青と緑のもので、敵の侵入を示唆した女性は青い箒の方である。

 青はクリステル・ハーニッシュ、緑はミーネ・バルシュミーデといい、エルザ・ラインハルト旗下のヘクセンに所属する女性騎士達で、アルフレッドがエルザから借りた人員である。

 令はアルフレッドの儀式部屋へと続く道を歩き出し、クリステルもその後に続き、数歩行ったところで同僚を振り返る。

「バルシュミーデ! 寝ていないでさっさと来なさい!」

 そのキツイ声に、舟を漕いでいたミーネは「ふは」と目を開き「ごめんごめん」と口元の涎を拭きながら、その後に続いた。

 儀式部屋の手前の部屋にアルフレッドはいた。

 今日に運び込まれたモニターの前で地図を広げてなにやら確認作業に入っている。

「師匠、ただいまもっどりましたあ」

 令の挨拶に身を起こしたアルフレッドの前で、クリステルとミーネが敬礼をする。

「ヘクセン所属、水騎士クリステル・ハーニッシュ及び風騎士ミーネ・バルシュミーデ、魔法連隊嘱託として着任します」

「ああ、よろしく。しかし、まさか、ラインハルトの両腕が来るとはね」

 頼もしいかぎりだ、と。

 ヘクセンはエルザが率いている騎士団で、五大源理に即した騎士隊と黒魔術や白魔術などの現代での特殊型の魔女隊で構成されている。全体のトップである団長がまずいて、その下に各隊に副長がというふうになっている。副長の数は六人。クリステルとミーネはそれぞれ水と風の副長で、エルザとの付き合いが最も長いためこの二人を両腕と評するのである。

(正直、複合魔法が出来るこの二人が来てくれたのはありがたい)

 エルザには返礼として、彼女が割と好きな味の"レーション"でも送っておこうと思うアルフレッドだが、ぶっちゃけエルザはレーションが嫌いなので九割嫌がらせの茶目っ気である。

「んでんで? 私達はぁ何をすればぁいぃんでぇすかぁ?」

 独特な話し方をするミーネ相手にちょっとだけ眉を振るわせて、アルフレッドはモニターを示した。

「既に連絡は行っているだろう。あと少しでシックザールと市民管理システムの連動が完了する。シックザールが割り出した対象を魔力の檻で捕獲してほしい」

「対象の撃破ではなく、ですかぁ?」

 ミーネの質問にアルフレッドは頷く。

「ここ数日で魔法連隊及び懲罰大隊によって対象の除外がおこなわれているが、時間的誤差はあるものの除外の点と点を結ぶ箇所のいずれかでの再除外が見られている」

 そう言って今まで確認していた地図を示す。

 点と点を結べる位置の中間や端で除外がおこなわれた位置に赤丸があり、点が線になりつつある。

「そして、こっちの青い丸が捕獲に成功した位置だ。そこでは誤差もなく出現は確認されていない」

 ただ、と補足。

「一回の捕獲で数人が使い物にならなくなるため捕獲の回数は少ない」

 合体魔法自体が難易度が高く、魔力を混ぜ合わせる複合魔法は合体魔法が出来なければそもそも不可能。数人で分担すれば複合も出来なくはないが、行使後はまず間違いなく精神的にすり減って倒れてしまうのだ。

 地図を見ていたクリステルが「なるほど」と頷く。

「懲罰大隊が追いかけているモノに関しては報告書は既読済です。そしてこの地図から予想出来る可能性としては、その"対象"は撃破ないし逃亡するとそこに何かしらのマークでも残すのか再発を誘致する。

 しかし、捕獲することでマークを残せず再発することがない。または再発まで時間がかかるか。どのみち現状では再発が確認されていない」

 クリステルに対しアルフレッドは「そのとおりだ」と返す。

「おそらくベルリン上の魔方陣は完成までさほどかからないだろう。だがこちらも可能性は試させてもらう。

 ヘクセンの二人は広範囲の複数捕獲を実践。捕獲後私が作った石棺で封殺する」

「師匠、俺は?」

「ああ、リョウは」

 そこで聞かされた内容に弟子はがっくりと肩を落とした。



「運命は再び回る、か」

 司は感慨深げにそう呟いた。

 司がいるのはマティアスの執務室。

 執務室の洋室部分にはつい数時間前まで埃を被っていた機材が磨き上げられて設置されており、一方の壁には中央に巨大モニターとそれを挟むように複数のモニターが置かれている。

 この執務室が司令室となるための処置である。これまで指揮車となっていた装甲車は各部署へのサポート担当となる。

 モニターの一つに明け方の戦闘が流れている。記録があるのは朱禅と侍のもののみで、ピュセル達ヴァチカン組の部屋付近のものはカメラが破壊されていて記録がない。

 マティアスは侍の背後にローブの怪人が出現する場所で何度も画像を停止して確認している。

「"あの時"とはまた別の個体か」

 前大戦でこの怪人達と戦った経験から、マスクが違えば中身も違うことは分かる。

 司はマティアスの隣にやってきてモニターに目を向ける。

「果たして、こいつの能力はなんでしょうね?」

 令からは食欲に関する情報を得ている。

「ベヘモット、あるいはベヒーモス。神獣としてよりも暴食の悪魔としての方が知られている存在ですし、例の犠牲者を食べたのは間違いなく召喚器の方でしょう。ただ、まあ、おそらくは促したか何かしたんでしょうね。それとも改変かな?

 なんにしてもそれがこいつの能力ではなさそうではありますが」

「だとするならば、だ」

 ふむ、と司とマティアスは揃って悩む。

「そういえば、ジンさんは召喚器の回収をする際、体調がおかしくなったということですが」

「報告書にあったな。やや食われたか」

 朱禅の魔力判定が低いことから、この二人は、召喚器回収で朱禅が五体満足で帰ってこないのではという可能性も視野に入れていた。だから、体調悪化の報告を確認した際「ああ、やっぱり」と漏らしたという。

「推論ではありますが、一つ」

 司は最初にそう始める。

「我々の敵の能力はデータ能力ではないでしょうか。

 魔力とは情報の塊です。そもそも魔法とは魔力に公式を埋め込んで構築するものであり、データの改竄と言えなくもありません。

 世界中すべてのものには魔力で構成されており、人間もその例に漏れません。

 召喚器が人間という魔力の塊を食し、奴はそこから個々人が保有する情報を抜き出して例の対象のような存在を構築しているのでは」

「とすると、ここに映る侍はジンクロウのデータから構築された存在ということか」

「ええ。ただ一つ疑問があるとすれば、ジンさんの話ではこの侍、確か宮本伊織でしたか。彼は自分が死んだことを知っていたとのことですが、ジンさんは彼と出会って以降の彼の人生を知りません。その記憶を保有している事実により、僕の推測は壁にぶつかるわけです」

「存在は不透明さを増したか。だが、我々にとって判明していることがもう一つあるな。

 ジンクロウのデータから構築される可能性がある存在はまだいるということだ」

 使徒は基本的に何百年も生きている存在が多い。司もマティアスも朱禅がそれなりに長生きであることはなんとなくは分かるが、実際に何歳であるとか、正体とかは知らないのだ。

 ピュセルから召喚器を奪っていったのは忍者だったということから、これも朱禅のデータからのものだろうとは考えられるが、そこまでである。

「あまり時代劇には造詣は深くないのでなんとも言えませんが、確か、宮本伊織は徳川の三代目将軍辺りの人……だったかな? んー、璃々さんだったらそこら辺もうちょっと知っていたはずなんですけどね。

 何にしても17世紀の人、ですね」

「少なく見積もっても400年分か。どこぞの軍隊でも出てこられたら厄介だな」

 軍隊を構築するだけの魔力を果たしてつぎ込むかは別としてではあるが。

「ジンクロウ・ナガノ。すぐに偽名と判明しはしたが、なにしろ国連への推薦人がローマ法王だったからな。結局、当時は突っ込んで調べることは出来なかったが、今は本人から聞き出せるアテが出来たということか」

「ですね。あの人のことを知って対策が立てられれば良いんですけどね」

 司が応じたところで、ノックが鳴る。入ってきたのは、令とネコだ。一緒に来た、ではなく扉の前で会っただけらしい。

 ネコは憮然と、令はやや頬を膨らませている。

「おや? 令君、ご機嫌斜めだね」

「だって、ヘクセンの複合を見られる良い機会だと思ってたのにさあ」

 ビシッと隣に指を突きつける令。

「なんでこいつの護衛なんすか!?」

 こいつ呼ばわりと指にネコは柳眉を逆立たせた。

 司が「まあまあ」と落ち着かせようとする。

「誤解があるようだからちゃんと説明するとだね。

 君達二人には組んで人員として事に当たってもらいたいんだよ」

「は? いや、だって、こいつ、要人じゃ……?」

 甥の反応に司はマティアスを仰ぎ見る。何があったの? とそんな感じにだ。

「学院に入るまでは要人だったかもしれないけど、今はミスロジカル十三期生が誇る立派なストライカーだよ? 僕の受け持つ生徒さんの中では比較的安定した成績を叩き出すトップクラスのね」

 他の皆がピーキー過ぎるだけとも言う、と補足する。

「まあ、魔構に偏りがちだから魔法の成績分で総合はやや落ちるけど、令君と組む分では問題ないというか、いいコンビになると思うなぁ――なんだい?」

 手を挙げたネコに促す。

「ユニットを持ってきていません」

 装備品は学院に置きっぱなしだ、と。帰省に持って帰るものでもない。

「うん、知ってる。だから令君と組ませるのさ。

 アル君から教えられることはすべて教えたと太鼓判を押されているのだから、もちろん、アレは出来るよね? クリエイト・アーマーは」

 司が口にした魔法名に、令は伯父が自分に何をやらせるつもりなのかを大体理解して「マジかよ」と呻いた。

「君達なら、エルザ曰くのエルアルコンビの模倣が出来るだろうね」

 司の後ろでマティアスが「名称はどうかと思うが、アレをネコがなぁ」とちょっと懐かしげである。

 エルザとアルフレッドがそれぞれに部隊を持つ前、英雄扱いをされるに至った戦場がある。大地を埋め尽くす無数の兵器群と幻獣を、たった二人で突破し自軍の損耗ゼロで勝利に導いた戦場が。

「あのレベルをやれというわけではないけど、同じ戦法が出来るはず」

「先程の話で出た軍隊に対する一手か?」

「それもありますけど、この戦法は、出現するであろう今朝方の侍レベルを相手取れる一手、ですよ。

 録画を見ても分かると思いますが、ジンさん並の使い手は現在動員可能の人員にはいませんからね。半神皇帝もオルトルートさんもいませんし」

 パンパンと手を叩き「ともかく」と。

「君達は元帥直属の遊撃ということで、もう登録しちゃったから、そういうわけでよろしく」

 そう言って、司は指示用のインカムを二人に渡し執務室を退出させた。



 反論とか言う間もなく、廊下に追い出された令とネコは揃って無言。やがて令は深い溜息とともに肩を落とした。

("ある意味"要人護衛か)

 令はネコを守りきればいいかと割り切り、練兵所に足を向けて数歩。訝しげにネコを振り返った。

「なにやってんだよ? 行こうぜ」

「……あ? どこに行くっていうんだい?」

「どこってお前……」

 どことなく気の抜けた感じのネコに令は「いいか?」と言い聞かせるように言う。

「師匠と俺の使ってる練兵所に行けば、必要になる素材がたんまりあるんだ」

「素材?」

「ネコのガントレットの代用品というか、武具を作るための素材がだ。

 今から新しく砂に血を染み込ませてたら時間も俺も色々足りなくなるからな」

 ネコは首を傾げる。それを見た令は頭をガシガシと掻いて「ああ、もう」とネコの手を掴んだ。

「ちょっ、おい!?」

 いきなりなんだと抗議しようと声を荒げかかるも、手をふりほどくことはなく、見た目おとなしく引っ張られて歩くことになる。

「エルアルコンビ(笑)がどういうもんか分かってなさそうだから簡単に教えるけど。

 エルザ姐さんの"攻撃は最大の防御"と師匠の"防御は最大の攻撃"の言い合いから生まれたものでさ。どこがどうなってその結論になったかは本人達でさえ覚えていないらしいけど、エルザ姐さんが全力で攻撃を担当するから師匠が全力で防御を担当するって話になって、実践したらトンデモな戦果を叩き出した。

 んでも、他の人が真似出来なくて、軍では正式採用されなかったのさ」

「攻防に特化して自由にやるって形かい?」

「んーにゃ。それだとコンビを組む必要がないだろ」

(その必要のない型で戦果を挙げる例もいるにはいるけどね。アオギリとヒザキ兄とかロードウェルとヒザキ妹とか……カンナギとヒザキ妹もそうか)

 思いはしたものの、アレは例外だな、と思い直す。特に後者は、奔放すぎて下級生から「どこを見習うのかが分かりません」とかなり不評である。

 考えてみれば、十三期生で下級生の手本になる攻防のツーマンセルはあまりいないな、と。

「あの二人は互いの癖を熟知しているからな。なんだかんだで仲良いしなぁ……さっさと結婚しちまえ! ってつっこみたくなるわ」

「それは……まあ、そう思わなくもないね。で、そんなコンビを模倣するのに、なんでアタシとあんたなのさ」

「俺が知るわけないだろ?」

(師匠の代用に俺を起用して、その相手にネコを持ってくるということは、大方、桜子ばあちゃん辺りの助言でも聞いたかな)

 知らないと言いつつも、割と正解に近い予測を立てる。さすがに理由については分からないが。

「で? クリエイト・アーマーだっけ? 何か必要なものはあるのかい?」

「そうだなぁ。ネコのガントレットの代わりを仕立てることを考えると……、ああ、バイクのエンジン辺りが二基あればいいか」

「また、ワケの分からない方向にいったねぇ。

 最新? それとも中古でどっかから探してくるのかい?」

「師匠に申請でもしてみるかな」

 そんな会話をしながら練兵所へと到着した二人は司達が用意した備品を前に足を止めた。それは二台の古いバイクだった。

【僕と元帥共通の知り合いが改造しまくったエンジンが搭載されているんですが、使っちゃっていいですよ】

 バイクの座席に置かれたメールカードにそんなことが書いてあった。

 確かめるまでもなく、このバイクに搭載されているのが魔構ではないことがすぐに分かる。現在ではエネルギー上の問題で使用されることがない骨董品扱いされる代物だから提供したといったところだろう。

 マフラーに漢字とカタカナで名称が入っているが、削れていてネコには判別出来ない。

「ええっと、この字は……、ああ、なんだ見たことのある字だと思ったら、薙原モーターズって書いてあんのか」

 ネコには判別出来なくても令にはすぐに分かった。

「知ってんのかい?」

「大戦前にバイク業界でそこそこ名の知れたバイク屋だよ。そこのご老体がかなりピーキーな改造してたってことで、今でも神州の走り屋の一部じゃ、薙原製エンジンは改造のご神体みたいに扱われてるらしい。

 旭川の方の先輩達が壊れたエンジンを拝んでるの見たことあるぜ」

 カオスな光景だったな、と苦笑。

「なんだ、あんたが乗ってたわけじゃないのかい」

「俺はこっちに来てチャリが乗れるようになったんだ。知ってんだろうが。

 そんな俺がバイクに手を出すはずがない」

「ああ。そういやそうだったね」

 あんたの運転は雑だから尻が痛くなるんだよ、と返ってきた。

「尻とか……まあ、いいや。

 んじゃ、エンジン部分を引っ張り出すかね。ガワ壊したらなんか怒られそうだから慎重に」

 やれやれと解体作業に移る二人であった。



「では、ベルリン全域で確認されている対象の捕獲を実施しましょう」

 立体駐車場並に縦に引き延ばされた博物館島の最上階で、アルフレッドはそう口にする。彼が話しかけているのはヘクセンの二人だ。その二人の内、クリステルが質問とばかりに手を挙げた。

「実施するのはいいとして、どうして我々はこんな格好をしなくてはいけないのだろうか?」

「私はぁ、結構、気に入ってるよぉ?」

「そっちはまだマシだろう!?」

 ビシィッとクリステルはミーネに茶色い布製の指を突きつけた。

「だぁってぇ、クリスちゃん、短いの嫌ってぇ」

「ズボンを履けばいいだけの話ではないか!」

 ミーネの格好は、一言で言えばサンタのコスプレである。それもミニスカの、だ。対して、クリステルの格好はトナカイのコスプレ……否、トナカイの着ぐるみである。アルフレッドはミーネを見る時は極力上半身へと目を向けるように努力している。

 どうしてこうなったかといえば、エルザの手配ミス。

 イベント会場で大規模な軍事行動をすれば一般人が退避行動を取って怪我をする可能性があるからとイベント参加者に紛れ込んで作戦開始地点へと移動する。そこまでは良かった。問題は紛れ込むための衣装をエルザが用意したことだろう。部下の服装のサイズは上司が把握しているとしてアルフレッドがエルザに注文したからともいう。注文した張本人は、普通に軍服なので、トナカイに睨まれることになったのだが。

 届いた衣装はなんというか冬物だった。しかしサンタの方がミニスカだったのである意味夏物かも知れない。冬でもアリといえばアリではある。ともあれ、普段からスカートとは縁遠いクリステルはサンタルックではない方を手に取った結果、耐熱仕様でも何でもない着ぐるみを地上よりも太陽に近い場所で着ることになった。今、クリステルは涼しげな顔で文句を口にしているが、全身汗だくである。

 確かに、ヘクセンにはこういう衣装でイベントに参加することもある。色々と軍事行動で無理を通すにはプロパガンダに協力をすることが不可欠でもあったからだ。今回の衣装もプロパガンダ専用の部署から回ってきたものである。

 クリステルはウガーッとしばらく虎のように吠えていたが、不意にピタリと止まり、フッと口元にミーネが思わず腰を引きそうになるほど冷たい笑みを浮かべる。

「帰ったら三毛猫の着ぐるみを着せてやる。ふふふふふ」

(逃げて! エル姉様、逃げて!!)

 肩を振るわせて薄く笑うクリステルと青ざめたミーネを交互に眺め、アルフレッドは「早く終わらせればその分早く脱げるぞ」と至極真っ当な意見を述べた。

「ふう……ん? 通信と受信?」

 さて始めるか、とその場に膝をついたアルフレッドの通信機と小型の市民管理システムの受信モニターに反応がきた。



【Guten Morgen.

 虚空の彼方よりシックザールが午後1時半をお伝えします】


【市民管理システムをバージョンアップしました】

【西暦2001年9月11日ワシントンにて使用された対人抹消方陣の存在を確認。早急に方陣の破壊を要請します】



 元帥の執務室にて、マティアスが湯飲みを握り潰し「なんだと!?」と声を荒げた。

「過去のデータがあるなどとは聞いとらんぞ!」

 怒鳴られ、司は腕を組んでモニターを睨む。

(2011のその日付と場所……、そうか、ロイドが言っていたのはこれのことか)

 かつて轡を並べた戦友であるロイド・ギアに聞いたことがある。

 彼は子供の頃、9.11アメリカ同時多発テロの貿易センタービルにいた口で、少量ではあるが犠牲者が服を残して消え、崩れゆくセンタービルから見下ろせば、ビルがなにやら円のようなもので囲まれていたと話していた。

 聞いた当初は皆がなんのホラーだと笑い飛ばしていたネタのような話だったが、なんのことはない、実際に遭遇してみなければ分からないネタのような本当の話だったということだ。

「シックザール」

 司は問う。

「方陣の破壊方法を示せ」

【ロウ・エクシードまたはセイジ=アステール・ヒザキによる空間破壊】

「前者は消息不明、後者はイギリスにあり早急の対応は不可能」

【四大の精霊魔法使いによる複合魔法を用いての上書き】

「帝国内には現状、火と地の使い手しかおらず、僕も彼らに合わせられるほどの出力は出せない。もちろん、源理の使い手ではその代わりを勤めることも出来ない」

【現状での方陣破壊方法は存在しないと判断します。

 方陣完成の阻止方法を示します】

 シックザールの別提案に司はフムと頷く。

(破壊が最善なら、阻止は良策止まりになりそうですね。愚策だけは採りたくはないものですが)

 既に描かれたものを取り除けないことが分かった上での提示だ。おそらく、司が思う愚策とは異なる案になるだろう、と思案する。

【エルザ・ラインハルト及びアルフレッド・ブラウによる対象の捕獲。これと同様の処置を指示する対象すべてにおこなって下さい】

「今からか」

【現在、博物館島にて、ヘクセン所属の二騎士とアルフレッド・ブラウが同作戦を決行すべく待機していることを把握しています】

 司はマティアスと顔を見合わせる。

「ブラウ少佐は独自の作戦を遂行するために獅子の娘から部下を借りたと連絡があったが、なるほどこれのことだったか」

「さしずめ、エルザの部下に捕獲させてアルフ君が封印するのでしょうが……、数は足りますかねぇ」

 なんにせよ、決行可能の策がある以上、今はそこに賭けるしかないのだ。

(しかし、最善策として提示された案に天幻が入るとなると、逆に考えれば、敵が天幻の使い手を引っ張り出そうとしているとも考えられるか。

 どのような事態でも星司君を呼ばなければ可能性を一つ潰せるけど、問題はロウの方か。一体、今頃、どこの空の下にいるのやら。

 あの人ほど有名で、行方知れずな人もそうそういませんよね)

 ヴァチカンから出奔者として手配されている割に、彼と遭遇した使徒の大半が捕まえようとすらしないから一向に手配が解かれることもない。なら使徒に場所を聞けばともいうが、やれ枝を倒した先にいただの、トンネルを抜けた先で風景の一部に混ざっていただの、気がついたら人助けをしていたから捕まえる機会を逸しただのと、一部ふざけているかのような答が返ってくるから、結局最終的には行方不明になったりする。

 探していると会えないが、探していないといつの間にか視界にいるという不思議な相手だ。行方を気にする方が馬鹿を見る。今回もきっとその類だろう、と司は結論付けた。

 引っ張り出そうとしている者がいるからここには現れないだろう、と。

【ブラウ少佐に作戦の決行を促しますか?】

「ん? ああ、うん。お願い」

 司の生返事を受けて、シックザールはアルフレッド達にこのまま決行することを要請した。

 数分後、博物館島を中心に夏に見るダイヤモンドダストが出現。ベルリン各地で氷の結晶に触れた人間が次々と凍りつき、直後に大地から出現した石棺に閉じ込められるという事態が発生したが、ドイツ広しといえど広範囲で石棺を出現させられる人物はブラウ少佐か彼の弟子くらいのものだから何かの作戦なのだろう、と国民は納得したという。

【方陣の完成阻止を確認しました】

「ならば命じる。

 召喚器とバーグシュタイン邸襲撃者の行方を早急に探し出せ」

【――検索中】

 モニターにドイツ帝国全域の地図が、次にベルリンの地図が表示される。

(召喚器を奪取して尚ベルリンに留まるのは、方陣を描いていたからなのか、それともやはりベルリンでベヘモットを召喚するからなのか。

 このまま潜伏場所がベルリンのままなら……ただ問題は……)

 ムムム、と眉間に皺を寄せる司は、モニターの一つがベルリンではなく帝国地図を示し、西と南からベルリンに向かって進む光点に気づかずにいた。



「あ~ん? またかよ~」

 アストラは道の先に検問を見つけてゲンナリと表情を崩した。

 ギルド保有のキャンピングカーの運転席で、地図を広げてまた別の道を探しに懸かる。助手席ではギルが足を投げ出してチョコンと座っているが、決してナビゲート役ではないらしい。

 ドイツ帝国による南方侵略部隊とスイス軍との戦闘のせいで、南からベルリンへと向かえる道の多くがどちらかの軍による検問で塞がっているのである。

「あの旗はどこの……あれなんだっけな? どっかの貴族の紋章だった気がするんだが」

 検問中の部隊は尾を噛む蛇の紋章の旗を掲げている。

 アストラの記憶では、ラインハルトほどの大貴族というわけではないが、議会やエリート魔女部隊のヘクセンに子女を輩出している家だとかでそこそこ名が売れている程度だったはずである。

「なあ、おい。帝国で尾を噛む蛇つったら?」

 後ろで寛ぐ他の面々への問いを投げかければ「それなら」とノアからの返答が来る。

「バルシュミーデ家では?

 二代でたまたま女性が傑出しているラインハルト家よりも、女傑――この場合は魔女ですかね――の一族として知られている家ですよ。

 あそこのミーネさんは話し方こそ若干イラッとして時々張り倒したくなりますが、魔女としてのレベルはかなり高いんですよ」

「ほほお? よく知ってるみたいじゃねえか」

「実家のお得意様ですしね――呪力砲弾のコア作成とか依頼することもありますし」

「呪力砲弾っておま、物騒なもん取引してやがんな。シーザーの武器商部門は未だ健在ってことかよ。

 じゃあよ? そこんとこのコネであそこ抜けられねえ? さっきのバーグシュタインみたいに、こっちの身分を真っ向否定とかなきゃいけんだろ」

「あー、そういえばされましたね。

 まあいいです。これ以上到着が遅れてギルドに迷惑がかかるよりは、コネでも何でも使って急いだ方がよさそうな気もしますしね」

 ノアの答にアストラは「ありがてえ」と応じ、ノアが助手席にやってくるのを待った。

 そして数刻後、果たしてアルコンテス勢のキャンピングカーは帝国領内を走行していた。

 ノアが実家の名を出して、バルシュミーデの本家とシーザーで連絡などのやりとりがあり、最終的に、確かにドイツ帝国に数カ所から人材派遣がされていることが確認され、問題なく通過することが出来た。

「しかしあれだな。貴族と聞くとあまり良いイメージがないんだが、検問にいた連中はわりかしまともだったな」

「ピンキリだと思いますよ?

 バルシュミーデは女傑だけに一族内の男性は権力欲があっても日陰者ですから、それこそ悪いイメージのお貴族様な人結構いますし、貴族ではないけれど、バーグシュタインだってたまたまこっちで展開しているのが悪いイメージの権力持ち軍人のヴェンツェル氏だっただけで、統括のマティアス老や息子上二人とかかなり実直です。ええ、それはもう、おまけを不要の一言でばっさり拒否するくらいには実直過ぎですとも。

 さっきの検問にいた人達は待ち時間の雑談でミーアさんのことを心底誇りに思っているようでしたから、それこそ、良いイメージの貴族に尽くす騎士なんでしょうね」

 上が良ければ下は上のイメージを損なわないように行動するのだ、と。

 ノアの膝上に座るギルガメッシュがウンウンと頭を縦に振る。良いことだ、と言っているようだ。

「てかよ。お前さっき、その騎士さんが誇りに思う相手を張り倒したくなるとか言ってなかったか?」

「言いましたよ? アストラさんも、アレと会話してみれば分かりますよ。

 なんというか、こお、首の据わり具合が落ち着かないというか。

 わざとやってるよね! って思わずビシッとやりたくなるんですよね」

「それがノア少年の初恋であった。みたいな」

「そもそも、彼女って女性好きですから、それを聞いた時点でないなって」

「お前の視野も結構狭いよな」

「狭く深くすればいいんです」

「誰がそんな哲学的な話をしろと」

 不意にカチャッと音がする。音源はノアの膝上。ギルガメッシュがバイザーを上げて北の空を見上げる仕草をしている。アストラとノアの位置からはギルガメッシュのバイザーの中身を窺い知ることは出来ないが、カッとバイザーの奥で赤い輝きが見えた気がした。

【天空のシックザールが稼働している】

 ノアの左腕のモニターにギルガメッシュの言葉が表示された。ギルガメッシュの行動からなんとなくモニターに視線を移していたノアは「天空のシックザール?」と漏らし首を傾げた。

 確か、全大戦後に封印されたドイツの超電磁砲搭載の偵察衛星ではなかっただろうか。

 シーザーでも超電磁砲の開発は行われているが、研究者の中にはシックザール並を目指している者もあり「まだ足りない」という言葉を聞くこともある。

「シックザール? ずいぶん物騒な単語だな」

 ノアの呟きを拾ったアストラが顔を顰めた。

「スイス攻略に使用するってんじゃねえだろうな? あそこにゃ焼き払う幻獣の群れなんかねえぞ?」

「それか、僕達が呼ばれた事象に対してというのが可能性としては大きいですね。電算のみかもしれませんが」

 アストラは口をへの字にして前を見据える。目的地はまだ遙か先。影も形も見えてこない。

(アムの奴がいれば命脈から情報の一端でも拾えたかもしれねえが、俺らの手札じゃネットが精々。

 だが、シックザールが動いてるとなると電算系――ネットで動けば即感づかれちまうし、ハッキングも無理。ネットで得る情報なんざ目的地に行ってシックザールを動かした連中から得る方が手っ取り早いか)

「アストラさん」

「――おう?」

 隣からの呼びかけに思考を中断させる。チラと隣を見れば、ノアが腕のモニターになにやら情報を表示させていた。

「この先を左折してリヒテンシュタインに寄り道をしましょう」

「侵略拠点にか?」

「はい。車よりも早くベルリンに行けると思います」

「車よりも早く……? ああ、はいはい。そうだったな」

 ノアの言いたいことを理解して納得。

 帝国は侵略拠点には必ずといっていいほどある施設を設置する。正式名称は特に決まっていなかったはずだがあえて呼ぶとすれば、首都圏直通弾丸貨物列車。ベルリン近郊の軍事基地と侵略拠点を繋ぐ武装輸送用列車である。

 前線が望む武器弾薬を最速で届けるが、人が乗るようには設計されていないため、人間には多大な被害を与えることでも有名である。設置当初は護衛兵が肉塊で発見されるという事故が相次ぎ、護衛は魔構兵のみがするということになった問題作だ。

「じゃ、こいつに代わる足を確保しにいくとすっか」

「ええ。今なら駅の警備はバルシュミーデ関係者ですから問題ありません」

「はははー、ある意味問題行動だけどなー」

 ある意味も何も、問題行動である。



 ベルリン中に石棺を出現させたアルフレッドは、吐息。次いでヘクセンの二騎士に顔を向ける。

 夏のダイヤモンドダストとやらは範囲だけで見ればベルリン全域をはみ出るほどであった。はっきりいって、魔力の複合などというレベルではなく、完全に合体魔法の類だ。複合には公式は必要がないが、先程のものには公式が存在していた。

(いや、あの式は発動直後に組み込んだのか。複合に式を後付けで組み込むとはな)

 アルフレッドが見るのはミーネである。

 複合は公式を組み込んだ魔法ではなく、緻密に編まれてはいるが魔力でしかない。理論上は式さえ組み込めば魔法として確立することも可能ではあるが、普通は危険行為なのでやる馬鹿はいない。否、複合は他種の属性により変化した力であるため、そこに対応した一個の公式が存在しておらず、誤った式では暴走する可能性がある、というのが正確な理由だ。

 つまりミーネは、目の前で複合した魔力に対応した一個の公式をその場で組んだということになる。

(なるほど、これがバルシュミーデの才媛か)

 間近で見たからこそ、エルザが実家の政治的ライバルであるバルシュミーデ家に、実際に頭を下げてまで部下にと求めた理由がよく分かった気がした。


 ぱちぱちぱちぱち……


 唐突に響き渡る拍手。

 ハッとして音源へと顔を向けた三人は二人の人物を見る。

 黒ローブの怪人と怪人の枯れ木のような手で背中から貫かれ、左胸からビクンビクンと痙攣する心臓を持つ手を生やしたミスロジカルの学生が、口から血を吐きながら虚ろな目で壊れたように拍手をしている。

 アルフレッドとヘクセンの二人はあまりの光景に愕然。

「子供なれど魔導の徒。これならば喚べよう」


 ぐちゃ


 老若男女のすべてを混ぜたような気持ちの悪い声で紡がれた言葉と、直後の握り潰された心臓の生々しい音。

 思わず伸ばしたアルフレッドの手の先で、怪人はローブの中に沈み、代わりにガチャッガチャッと無数の金属音がローブから響き渡る。中には馬の嘶きさえもが混じる。

 三人は見る。ローブから和の甲冑に身を包んだ男が出てくるのを。そして、続く形でローブは面積を増し、男を守るような形で次々と甲冑に身を包んだ者達が旗を掲げて出現していくのを。

 アルフレッドは二人を小脇に抱えて跳躍。

「フロウ」

 落下の前にミーネが浮遊の魔法を使用し、この異常を上から眺めることになる。

 ローブはやがて博物館島の最上階を飲み込んでいき、床を透過し下の階層のすべてがローブで覆われていく。その覆われた先から続々と和の軍隊が出現する。

(ムカデ?)

 クリステルの想像通り、黒地の旗に百足の絵が描かれている。百足の他には菱の模様も見てとれるが、極東の歴史文化にあまり詳しくない三人にはただ、烈士隊か? という疑問が頭を過ぎるのみである。



【対象を発見】

 シックザールがモニターに映したのは博物館島の一部が黒いナニカで覆われていく光景だった。

「これはっ!」

 光景に司は息を飲む。

「神州……? いや、これもジンクロウのデータから構築された軍隊と見るべきか」

「まずいですね。あの軍の旗印、時代劇に詳しくない僕でも知ってるものですよ?」

「そうなのか?」

「百足、割菱紋の軍旗。まず間違いなく甲斐・武田家の旗印! かの有名な風林火山がないのはジンさんが知らない情報だから、ということなのでしょうか」

 甲斐・武田の単語よりも、風林火山でマティアスも気づく。そういえば、ネコがかつて読んでいた本にそんな軍旗を掲げて戦う日本の武将がいたな、と。

「ジンクロウが何者か、よりも奴がどれほどのこういった軍隊を記憶に持つかで色々と変わってきそうだな。

 見たところ騎馬兵が多いな」

「戦国最強の武田騎馬軍でしょうね」

「最強かどうかは知らんが、騎馬兵が相手ならまずはその足を奪わねばな」

 あれが武田騎馬かとやや興奮する司を押しのけて、マティアスは通信マイクを手にしてアルフレッドに向けて命令する。

「足場を崩せ。市内への進軍を許すな。それと」

 マティアスはモニター内で博物館島へと一直線にかっとんでいく二点を視界に収める。

「殲滅は到着する若いのに任せて本陣へ戻り指揮を執れ」

【了解】

 アルフレッドからの応答の直後、立体駐車場然とした武田騎馬軍を載せた足場が崩落した。

「シックザール、この不明軍隊出現時の状況を三番モニターに」

 司の指示後、アルフレッド達が遭遇した場面が映し出される。ミスロジカルの学生が死ぬ場面がだ。

 生徒の名前はサンディー・ワトソン。今日は同じお手伝い組のカルヴィン・ベイルと行動を共にしていたはずである。

「他のミスロジカルからの派遣組の所在は?」

【検索中――サミュエル・バーニー、イヴァン・アーチ、ウォレン・レパント、カルヴィン・ベイル、オリヴィエ・ファーロス、共に不明】

「最終確認の時と場所は?」

【――AM6:19、ノイエ・シュタール学寮の食堂。以降の消息不明】

「朝六時?」

 はて、と司は首を傾げる。

 ここドイツでは朝の八時にはその日の組合せを司が指示している。この日も彼らの代表であるオリヴィエに組合せ表を手渡している。

「消息不明、とは登録魔力の反応がない……でいいんだな?」

【肯定】

「ヨハン・ヨースト少尉」

 司は通信マイクで指揮車にて情報処理中のヨハンを呼び出す。

「第三モニターに表示されている画像ですが」

【ミスロジカルの学生達ですね】

「AM6:20にも変わらず彼らはそこにいますか?」

【1分後? ……ええ、変わらず存在しています】

 ヨハンの報告に納得する。

「少尉。AM6:19前後に来独登録者のデータが改竄されているはずです。その確認をお願いします」

【なるほど、シックザールの再稼働直前ですか。了解しました】

 本来、シックザールにはデータ改竄などのハッキング攻撃が通用しない。しかし、今回の再稼働が市民管理システムの増強を目的としているためか、能力の大半が現在の市民管理システムに準ずるものとなっている。つまり、ドイツ国内の存在を魔力を基準として管理する、だ。

 アップデート時に登録済、または以降の登録には対応できるが、アップデート直前に登録データを削除されるとそこに残るデータのゴミがチャフとなり、該当データに関する情報が認識不全を起こす。オリヴィエ達のデータを認識出来なくなったのも、それが原因であった。

(シックザールの稼働目的を知り、更にその弱点を知るとなると犯人は……、穏健派の……。駄目だな、数が多い。犯人捜しはあとでいい)

 それよりも今は、と博物館島に出現していた黒ローブの姿が消えている。それは予想の範囲内。

「対象の追跡は出来ているな?」

【博物館島内を移動中】

「近くに人員は?」

【――アポクリファ・榊刃九郎朱禅、榊柚樹、カノン・ピュセルを確認。場所はベルリン大聖堂】

「一般人は避難していませんね?」

【カノン・ピュセルによる結界が発動中。ヴァチカン政庁の人員以外の立ち入りが制限されています】

「なるほどね。召喚器を奪われたからこそ、ヴァチカン印の神具を用いたものが最も効果を発揮する場所を抑えたということか。っと、ヨハンさんからのメールか」

 通信ではなく、携帯の方にきた連絡に目を通した司は眉間に皺を寄せ、ひゅお、と息を吸った。


(コード:Thunderbirdを確認……だと……?!)


 司の脳裏を、10cmほどの雷鳥を肩に載せた人物の姿が過ぎったが、すぐに頭をブンブンと振ってイメージを霧散させる。

(馬鹿な。あの人は確かに……、死体も残さず……)

「まさか」

 可能性に思い至る。

(あの黒ローブに吸収されたのか! だとすると、いや、早計か。必ずしも奴らの陣営というわけでもない)

 可能性を一つに決めつけるわけにもいかない、と予想を否定する。

 ポチポチポチッとメールを返信。足取りを追えないか、と。それにはすぐに返信がある。

(アメリカ? どこも経由せずにアメリカから一本で?)

 司は軽く混乱する。

 ヨハンによれば、問題のコードを確認したのが来独者名簿の削除の箇所のみで、以降も以前もその存在は確認出来ていないとのことだ。

 現状でこの削除が学生数人の行方を不明瞭にしているのは事実だが、可能性を挙げれば、それが別の視点では偶然の事象に過ぎない、というものである。しかし、可能性に思い巡らす暇も人員も今はなく、判明したのは、改竄の犯人が分かったという事実くらいだ。

 問題は今はどこの国もアメリカに対して犯人の引き渡し要求が出来ないということだ。犯人もそれが分かっているから足跡を隠そうともしていないのだろう。

(一体、今回の件にはどれほどの敵がいるというのか)

 司は珍しく胃がキリキリと悲鳴を上げるのを感じた。



 博物館島の崩落現場にて、高所から落ちても無事だった個体は下敷きになって潰れた個体を取り込んで、数を半数以下に減らしながらも軍としての体裁を取り繕った。

「まさか足下を払うとはな。勘助が潰れてしまったではないか」

 そう嘯くのは、その潰れた軍師を取り込んだばかりの指揮官らしき豪華な甲冑を纏った武将だった。

「お館様、おげちを」

 側近が武将に指示を仰ぐ。

「我々はただ蹂躙し、この地を第二の甲斐たらしめるだけだ。皆の者、進軍を開始せよ」

 いななきが場を支配する。

 崩落現場から"北"へ向けて今にも地響きが響かんとする場を支配したのは進軍の軍靴ではなかった。軍の最前列が進軍開始直後に停止せざるをえなかった。最前列の目の前に、空から降り立った者がいたからだ。その者の背後にもう一人が遅れて着地してその場で膝を折る。


 ゴオオウッ!!


 轟音が遅れて過ぎ去った。

 最初に降り立ったのは赤黒い巨大でエンジンを露出させたガントレットを両腕に装着したネコ・バーグシュタイン。両足には腕同様の色の具足を装着し、上半身は普段通りのタンクトップ姿だ。

 遅れてきた方は御崎令。普段と変わらなさすぎる格好でシャツには"平常運転"とプリントされている。ただ、露出させている肌の下から青白い光が漏れている。

「げえっほげっほ! なんで平気なんだよ、お前。こっちゃ呼吸出来なかったんだぞ?」

「ちょっとばかしブースト加速を試しただけで何なまっちょろいこと言ってんだい。鍛え方が足りないんじゃないかい?」

「むしろなんで平気なんだ……と……武田騎馬軍じゃないっすかっ!?」

 ちょっと苦しそうで文句タラタラだったのに、自分達が何の前に着地したのかを確認し軍旗をも目に入れて、いきなりテンションを跳ね上げる令。ネコは「ああん?」と軍隊を見回して首を大袈裟に振った。

「どこにも風林火山なんかないじゃないか。あの旗は絵でちゃんと覚えてんだからね。こっちの気を引こうとしても無駄ってもんさ」

 だから、と大きく右腕を振りかぶり手首をグッと内側に捻れば、右のエンジンが震え接合部から炎が噴出。ネコの周囲で熱が踊る。

「偽物はさっさと排除するにかぎるっ!」

 るっ! と思いきり腕を目の前の軍団に向けて振り下ろす。熱が暴風を生み、暴風は炎を纏ってガントレットから火線が撃ち出された。

 火線は一直線に、斜め上、空へと消える。後には騎馬軍が黒いガラス化した線に分断されている光景が残る。ガラス上にはそこに何者かが存在した証は残らず。

「ひゅ~♪」

 上空からこの光景を見下ろしていたミーネが口笛を吹く。

「一体どこの魔構だ? あのようなガントレットタイプは見たことがない。それに、ネコ・バーグシュタインが我らの団長並の一撃を出せるなどとは聞いたことがない」

 クリステルの驚愕をアルフレッドは「違う」と否定する。

「後任が到着した。砦に引くぞ」

「はぁい。えいやぁ」

 ミーネが変なかけ声をすると浮遊から飛行へと魔法の形態が変化したらしく、北へと針路をとって飛んでいく。

 頭上を通過していく師達には見向きもせず、令は周囲の魔力操作に余念がない。

 クリステルが勘違いしたネコのガントレットと実力はすべてが魔法である。

 ガントレットは元帥側が用意したバイクのエンジンを核にして、令の血を吸収した砂で器を形成しエンジンを作り替えネコの魔力と波長を合わせ、そのすべてを令の魔力を組紐にして結びつけた結果に生まれた武装。

 ネコの実力は大地の命脈とリンクした令が自分の魔力をネコの魔力へと変換させ、源理の使い手である彼女を一時的に自分の領域へと引っ張り込んでいる。要は令はネコのバックパック状態ともいえる。

 この火線に驚いているのはネコ自身だ。魔力補助の件はあらかじめ聞いてはいたのだが、ここまで強化されるとは考えていなかったのだ。驚きで後ろを振り返りそうになるがグッと我慢する。令からは補助中に後ろを見ることを禁止されていたからだ。だから、令の現状を知らない。

 気を向けるのは後ろではなく常に前。

 振り抜いた右を戻し、左掌に火球を生み出し、こちら側へと前進を開始した右前方へと投げ込む。

 火球は軍団の中央で一瞬縮小、直後、直径100mほどの球体に膨れたかと思うと球体に取り込んだ軍団ごと爆砕した。

 左前方の軍団の後方から無数の矢が飛来。ネコがそちらに意識を向ければ、矢と自分の間に土壁が出現し、矢がすべて土壁に突き刺さる。

「殴れ!」

 後ろからの合図の意図を瞬時に理解して、右で土壁を殴りつける。土壁は砕かれ土片は右拳から撃ち出される風と熱を帯びて熔解の弾丸となって左前方の前線に襲いかかる。

「移動する」

 後ろに応えようとしたネコは下からせり上がってきたモフモフに上へと押し出された。令の影から巨大な黒狐が出現し、二人を乗せて飛び上がる。

「ちょ、この子燃えるっ?!」

「俺と契約しているコン助が命脈で底上げされた魔力に害されることはねえ!」

 巨大な黒狐の姿に、軍団にどよめきが広がるが、そこには見向きもせず、コン助は軍団の背後に着地し令の影へと沈んで消えた。

 軍団は後ろを前にして町へと前進を開始したところであった。その目の前に着地したことになる。

 ここからは一歩も出さずに殲滅する。それがこの場に派遣された二人の義務である。

 暴虐の炎と暴風とふさがれる道でネコにとっては正体不明の軍団は次第に規模を縮小させていく。一騎打ちを望んだ侍を殴り殺し、騎馬兵を馬ごと消し飛ばし、囲んで刺しにきた足軽は下から撃ち出された礫で蜂の巣にされ、そこに兵の塊があれ火球を撃ち出す。数の差など意味がない。

 気がつけば、最も豪華な甲冑を着た武将の胴鎧に右拳がめり込みゼロ距離で火線を撃ち出していた。

「鬼……め……」

 最後の言葉を残して、どうやら武田信玄だったと思われる武将がドロリと形を崩し地に落ちて、消えることなく蒸発するのを確認してから、ようやく一息を吐いた。

「ふんっ。武田騎馬軍がこんなに弱いはずがない」

「どんだけ時代物に夢見てんだよ」

 少なくとも、と令はガラス化した周囲を見渡す。

「懲罰とかそこらの軍が当たってたらそれなりに被害出てたんじゃねえかと思うけどな」

 負けはなくとも大惨事。それが令の予想である。

「町中に出てたらと思うとな。それくらい出した奴だって分かってるだろうに、なんでココなんだ?」

 改めて視渡す。そして、視点をある一点で止める。そこはベルリン大聖堂がある方角。

(命脈……いやレイラインそのものが吸い上げられてる? いや、ナニカが吸い上げようとしているのを大聖堂が蓋になって押しとどめてるのか?

 波長的には、ピュセルの姉ちゃんか)

「すげえな。奇跡系ってのは魔力の蓋にもなるんか」

「あん?」

 令の言葉に興味を引かれて、ここらで奇跡といえば大聖堂のことだろうとそちらの魔力を視てみれば、首を傾げた。

(なんだい? あの青白いのは?)

 令とリンクしているような状態だからだろうか。普段目にすることがない、大地の命脈そのものが目に飛び込んできて驚愕。思わず令にも視えているのかと約束も忘れて顔を向けて、二度目の驚愕を得た。

「あん……た……」

「ん? ああっ! おま、何見てんだよ!?」

 自分を見ているネコに気づいて令は憤慨の声を挙げ、溜息を一つ。

「ああ、まあ、うん。見られたもんはしょうがないけどな」

 戦闘中に、令の肌の下から漏れていた魔力の色は青白さから黄金へと変化していた。髪と眼まで茶色に見えるほど強い力だということはネコにも分かる。

「ええっと、ほら、なんつうか、気持ち悪いだろ? こんなのが背後にいたんじゃ……なぁ」

 同意を求められても、首を縦に振ることはなく。

(以前、少佐もこんな感じになっていたことがある)

 アルフレッドが全軍に対する強化魔法を使用していた時、今の令のように溢れ出る強い魔力を纏っていたように見えていたな、と。その時も、最初は青白かった光が黄金に変化していたはずだった。

 ネコの与り知らぬことであるが、大地の命脈の青白い部分は命脈の表層部分に過ぎず、本来は黄色でその輝きから黄金だったり茶色だったりに見える。アルフレッドや令が命脈とリンクして力を引き出す際も、最初は表層の魔力色だが、やがて繋がっている内に本来の部分を引き込むようになる。そうなった時に魔力色が変化するのである。

(というか、あの時の少佐と同じってことは)

 はたと思い至る。

 全軍に対する強化と同じ状態ということは、同等の強化魔法を独り占め状態だということになる。

(うわあ)

 思い至ってようやく、"令のすべてを受け入れている状態"に気づいて「にゃう」とネコにしては珍しい意味不明の言葉が口を突いて出た。

 ここ数日、オリヴィエから令との関係について聞かれるもノラリクラリと回避してきたネコだが、単純にその手の話題が苦手だから回避していただけで、令のことは嫌いでもない。むしろ……とさえ思える。

 補助魔法に関しては、ミスロジカルでは詳しく教えられているからこそ、他人の魔力を軋轢なしで受け入れられる状態、または受け入らせる状態が、どれほどに難しくそして感情的であるかを理解している。

 普通、補助魔法は不特定多数の感情など理解する必要はなく相手に魔法を被せるだけの簡単な魔法で、深い部分で接続することを優先すれば途端に難解な魔法となってしまう。

 その難解をものともしないなど、どれほど自分はこの少年に理解されているのだろうか。

 脳が茹だるのを止められなくなる。

 互いに友人としての付き合いだと言い張っているだけの関係が崩れそうだ。

(くそっ、これもオリヴィエの奴がうるさく言い聞かせてきたせいだ)

 ああ、もう、と自分の感情の現状をオリヴィエのせいにして理性的であろうとがんばるネコに令の声が届く。

「やばいな」

 彼にしては珍しく、低く真剣な声に顔を上げてみれば、非常に真剣な顔で大聖堂の方角を睨みつけている。その表情がまたネコの感情に油を注ぐようなものだが、そんなこととは露知らず、令は真剣さを増す。

(蓋から漏れた魔力を誰かが拾ってる。あれだけでも源理なら最上級クラスの魔法が使える程度にはなるはず。儀式だったら……)

「なあ、儀式って」

「へ? あ、ああ、なんだい?」

 取り繕うネコには気がつかず、令は言い直す。

「源理には儀式魔法ってのがあるだろ?」

「あ、あるね。それがどうしたってんだい?」

「儀式魔法に必要とされる魔力は源理最上級。ええっと、水だとアブソリュート・ゼロだったっけ? あれの何発分くらいが必要なんだ?」

「ものにもよるけど」

「召喚系だったら?」

「それなら最低でも五発分くらいあれば、器の形成くらいは出来るだろうけどねぇ」

 完全にするには七発くらいか、と。

 令が確認したのが何回目かになるかは分からないが、確認しているだけでも三回は拾われている。

「大聖堂に行くぜ。あそこは多分、一番やばい」

「ヘタレのリョウが行ったってしょうがないんじゃないのかい?」

 からかいに、何を言ってるんだという風な顔を向けられる。

「ネコがいるんだから問題ないだろ? 俺はネコを守るだけなんだからさ」

 しれっと、ネコの表情を蒸発させるような台詞を自覚無しに言ってのけた令は、どうせ自覚なんてないんだろうと悟っているネコに小突かれた。



 朱禅は南で生じた"二度目"の爆音に、ベルリン大聖堂から顔を覗かせた。

 一度目はアルフレッドとエルザが作り出したイベント会場(?)が武田騎馬軍を巻き込んで崩落した音。一度目の方は朱禅も通信を聞いていたから理由は分かったが、二度目は唐突だったから何事か、という感じだ。

 眺めていると、今度は極太の火線が空へと消えた。

「あれが若いの、か。若者というのはどうしてこうも派手なのか」

 永遠の謎である。

 ふむ、と大聖堂内へと顔を向ける。

 そこでは一応の機材としてブラウン管テレビが持ち込まれており、柚樹がビデオの配線ならなんとかと言いながらも四苦八苦している様子が見てとれる。そもそもビデオの配線ではないのだから当然と言えば当然である。

 というか、自宅のビデオの配線は翠が生前にやったのではなかっただろうか。

 視界で、柚樹がテレビをベシベシと叩き出した。


「おい、やめろ。その角度じゃない」


 朱禅は「この角度だ」と手刀のレクチャーに入る。しばらくして。

「おお、映ったでござる」

 ブゥンと音を立てて画面にシックザールが映し出しているいくつめかのモニターの内容が流れる。それは、ちょうど爆音の正体である戦闘風景。

「あれはっ!?」

 驚愕が口を突いて出る。

 朱禅の記憶にある軍団だ。それも幼少の頃、あの軍団が攻めてきた時の記憶。

(武田だと……)

 宮本伊織と斬り結んだ時から悶々としていた感覚が確信に近づく。

(俺の記憶か。だが、宮本伊織は俺と出会って以降の記憶があった。ならば、俺の記憶にある存在の記録をどこぞから引っ張り出している? そういうものが存在するとすれば、ラジエル書庫かあるいはアカシック……)

 そこまで考えて出てきた答の一方を否定する。

(接続者のいなくなったラジエル書庫よりもアカシックレコードの方がまだ可能性はある。

 このような時代になって尚、奴らの技術は未知の領域だな)

 やってられんな、と苦笑。

 ふと、朱禅は入口に顔を向ける。入口から差し込んでいた日光に影が差していたからだ。

 入口には年のいった人々が大聖堂内へと入ってこようとしていた。皆一様に首から十字架を提げている。

 ヴァチカンの者ではなく、どうやらただの参拝客のようだ。

 若者の信仰離れはあっても、それなりの年なら未だに信仰を秘めて暮らす者は多いということらしい。

 朱禅は彼らへの道を開く。立場的に、彼らの道を閉ざすことは出来ない。

 ピュセルが結界を張っている地下へ行こうとする者がいれば止めればいい、と彼らの背中を見送っていて「はて?」と違和感を覚える。

 何故、ここドイツにあっては珍しすぎる天使の存在に、誰も意識を向けないのか。

 ちょうど傍らを通過した老人の肩を「失礼」と断ってから触れて自分へと顔を向けさせて顔を強張らせた。

 焦点が合っていない。そして、十字架に一つ付属品が付いている。ネックレス状の鎖にナニカ獣の牙のようなものが一本。


 ぱちんっ。


 奥でそんな音がした。

 朱禅だけではなく、柚樹も画面から目を離してそちらへと顔を向けた。

 なにやら、赤い雨が降っていた。

 続いて更にぱちんっ、ぱちんっ、と鳴り、雨量が増えた。

 だが、そちらに顔を向けていた二人には雨の正体を見ることが出来た。人が風船のように膨らんで破裂した音と雨は風船から飛び出た血によるものだと。

 他すべての参拝客に意識を向ければ、すでに膨らみ終えている者ばかり。おそらく、ここに足を踏み入れる時には、空気は入っていたのかもしれない。

 大聖堂内が赤い土砂降りに冒された。

 この光景に、柚樹はひどい悪意を感じる。こみ上げるのは吐き気ではなく怒り。羽が小刻みに震える。

 朱禅の意識は惨状でも柚樹の様子でもなく、爆ぜた人体に合わせて千切れた十字架から解放された牙が血濡れて宙に浮いている様だ。最奥には翡翠が二つ、まるで目のように赤黒く輝いている。

 即断だった。

 自分に近い牙を一つ刀を抜きざまに斬り落としていた。

 牙一つが斬り落とされたのとほぼ同時のタイミングで、残りの牙が翡翠の元へと飛びつき、二列を成す。宙に、翡翠の両眼と口型を模した牙が揃う。欠けたのは奥歯か。

「柚樹! あれを破壊しろ!」

「承知!」

 朱禅が一投足で、柚樹が一羽ばたきで間合いをつめ、牙を挟んで鍔迫り合いをする感覚で斬り結ぶ。

 このまま切断かとも思えた瞬間。

 二人は上からの圧力で打ち落とされた。そのままその圧力で"踏み潰される"。

 踏みつぶしの元凶は見えない。だが感触は存在している。

「まだ……足りていない! 今なら! 間に……」

 踏ん張って上を見上げた朱禅は言葉を途中で放り出した。

 宙の牙へ向かってナニカが投げつけられていた。そのナニカは人の姿をしているようだ。

 あの服は確か、そう、紹介された司の生徒が着ていたものだ。

 投げられてきた少年を、牙が口を開き、ガッシリとキャッチ。そのまま宙で咀嚼を開始。

 クチャクチャと、音が進めば両眼の周りに徐々に顔が形成されていく。

 牙の向こう側に見えていた少年の身体の一部が、形成されていくモノで見えなくなる。

「ベヘ……モット……」

 重圧で潰されている柚樹が形成された顔を呆然と見上げ、形成されている存在の名を口にする。

「なんで……人を喰らうんだ」

 呆然と、信じられないと言う。

 直後。


 ゴッ。


 変な音がした。なんか赤かった。あと熱かった。そして、天井が消えた。

「は?」

 変なこと過ぎて、柚樹はやはり変な声を挙げた。

 重圧がはぎ取られて身体が自由になっていたが、そこからすぐに反応が出来ないほど思考に空白が生まれた。



 犯人は言うまでもなく、否、敢えて言うなら犯人はネコだった。

 直前にあったことを記すなら。

 大聖堂前に着地したネコと令は、黒ローブの怪人がミスロジカルの少年を大聖堂内に投げ込むシーンを目撃したのである。

 開け放たれた扉から、黒ローブの向こう側の光景に息を飲む令。愕然の令の目前で黒ローブがそのまま上へと逃れていく。

 ガリィッ。

 令はその音でハッとしてネコに顔を向ける。知人を殺されたネコがあ怒りから奥歯を噛みしめる音だった。

「あー……んー……たはあああああああああああああああ」

 怒りに身を任せ、跳躍しながら身をよじり黒ローブに狙いを定め。

「ああっ?! ネコ! その位置は!?」

「消し飛べええええええええええええええぇぇぇぇ!!!!」

 令の制止は届かず、ネコの右拳から発射された火線は黒ローブを捉え、大聖堂を巻き込み、ベルリンの東の空へと突き抜けていった。

 後に残ったのは、壁と領域の残った元ベルリン大聖堂と中で踏み潰されていた榊父娘。あとは地下にいるはずのピュセルぐらいか。

「――――――はっ」

 ネコのやらかしに思考を遠くに投げ飛ばしたくなっていた令は、事態がそれほど好転もしていない事実に気づく。

(拾われてた魔力が東に存在してる?)

 あの牙は火線で吹き飛ばされたらしいが、その輝きは強く、東の空で尚存在を確認出来る。しかも器の形成が更に進んでいるようにも見える。

「やばいのが消えてない! ブースターを使ってくれ!」

「ああ、あいよ!」

 令は後ろからネコの腹に手を回してしがみつく。

 ガントレットの肘の先。後ろ部分でヴゥンと魔力が集中していく。

 発射。

 ミサイルのようにその場から牙に向かって飛んでいく。

 令は意識を手放さないように、Gで引きはがされないように「ぐぎぎ」と踏ん張って強くしがみつく。

 そして、巨大な不可視の、否、壁のように巨大な魔力集合体に追突した。

「そんなもんでぇ!」

 ネコが吼える。発射に使用したブースターが消えかかっていたが、ガントレットに蓄積された熱がブースターを瞬時に再充填を終了させる。

 壁とのゼロ距離で再ブースト。

 抵抗は一瞬。次いで濃密な、息をすることさえ拒む魔力の海を抜け、赤黒く輝く元凶の上へと到達。だが、ブーストによる加速がここで終了したのか、ガクンと失速。宙に投げ出される浮遊感。

 ネコは自分の腹に回されている令の腕を掴んで自分の前へ向かって放り投げる。

 令はネコのガントレットを足蹴にし、そこから跳躍。手を伸ばして牙の中核に拳を突き入れて掴み取る。

「命脈からかすめ取った魔力使ってて、俺が足場に出来ないはずがねえだろうが!」

 魔力集合体にしっかりと足をつけ、大きく振りかぶって、東の空――ドイツとポーランドの国境に向かって――視界にナニカ黒いローブを見た気がしたが、今はそこに気を配る余裕はなく、"カラダヲナニカヘンナモノガカンツウシタケド"、ただ、筋力強化を使用しながら全力投球をした。


 牙の行方を見る気力が沸いてこない。

 身体からゴッソリと魔力が奪われている。

 理由は分からない。

 妙な浮遊感があって、視界で、落下中のネコが、自分に向かって"何故かガントレットをつけていない"手を伸ばしている姿がある。

 なんか叫んでいるようだし、泣いているようにも見える。

「くっそ、誰だよあいつをあんなに泣かせられる奴は。はぁ、すげえ奴もいるもんだなぁ」

 いいなぁ、と声も出せず、そのまま何も見えなくなった。



「みんなに四大の魔法を教える前に、一つ基礎のお話をしよう」

 そう話を始めた日崎司の前に、少女二人と少年一人、テレビ電話のカメラが一台ある。

 少年少女はミカン箱に画板を乗っけただけの簡易すぎる机でノートを取っている。司がここまでやっていた雑談までもがしっかりと取られている。

 司はホワイトボードに黒で丸を描き、そこに『地球』と矢印込みで記す。

「星にはレイラインと呼ばれているエネルギーの大道が存在している。

 これはなんというか、命の通り道でもあり、知識の根幹でもあり、そして星の命そのものでもある。

 僕は最初に、四大の魔法はレイラインと強く関わっていると話したと思うけど、かといってレイラインそのものと直接関与して使用する魔法でもないんだ」

 そう言って、黒丸に赤、青、黄、緑の直線を四方向から書き入れていく。

「星にはレイラインの眷属とも言える道が四種類存在している。

 熱の海、生命の対流、輝きの道、大地の命脈。

 これらこそが四大の魔法と直接関与する星の小径だ。

 それぞれサラマンダー、ウンディーネ、シルフ、ノームという精霊名でも呼ばれている。それらの根元とでも言えばいいかな」

 四色の線の交差地点を黒ペンでトントンと叩く。

「直接関与とはつまり、君達がそれぞれの道の門番となって、四大魔法という鍵で眷属の力を使用するということだ」

「レイラインの眷属を精霊と見立てて契約をおこなう、そういうことですか?」

 少女の一人の質問に、司はウンと首肯した。

「言ってしまえば、その通り。

 まあ、君達自身、既にその精霊様に唾を付けられちゃっているから、契約自体は難しい話ではないね」

 この時期、神やら英雄やら幻獣やらに見初められた人間は少なくはない。ただ、この少年少女を見初めたのが、そういった存在ではなかったというだけの話である。

「君達が修得するのは精霊魔法。

 ただ精霊の魔力を使って好き勝手をする魔法ではなく、使用即還元という魔力の還元法を呼吸するように使い続けるため、存在を還元の炉心に再構築する茨の道。契約が正式に完了すれば、少なくとも純粋に人間だと胸は張れなくなるかもしれない」


――ヒトでなくなってもいいか?


 最初にこの青年に問われた言葉だ。

 そんなものは、精霊様に唾を付けられた時点で考えなくなっているし、ヒト以外の存在が溢れ出始めた今の世に、ヒト以外を忌避する人がどれほどいるようになるというのか。

「良い目だね。僕には出来なかった目だ」

 司は純粋に少年少女を尊敬した。

「とはいえ、だ。存在がヒトではなくなったとしても、生命活動はヒトのそれ。どれだけ肉体を強化したところで、首を落とされたり、心臓を壊されたりとかしちゃえば」

 死んじゃうよね、と口にされた当然の帰結に、少年少女は頷いた。



「リョウッ!!!!」

 本陣のモニターで、事の顛末を見守っていたアルフレッドはモニターに向かって弟子の名を叫んだ。

 黒ローブから生えた枯れ木のような腕に左胸を貫かれながらも牙を投げ捨てて、自身も黒ローブに投げ捨てられた弟子は、重力に従って落ちていった。

 ネコのガントレットが砂へと戻り、エンジン共々落下していったのも見えた。アレが令の魔力で接合されていたことは知っている。だから、接合が解かれたということが何を指すのかも理解出来る。

 奪われた。

 弟子の命だけではない。弟子を器として満ちていた大地の命脈の魔力も弟子自身の魔力も、すべてをあの黒ローブに、奪われてしまった。

 その結果を画面の中に見る。

 黒ローブが黄金に輝く魔力を形成されていた存在に突き入れる瞬間を。

 それまで徐々に器を形成していたに過ぎない牙が、明確に口へと変化し、巨大な獣が出現した瞬間を。

 獣はその身を一気に膨張させ、ベルリン大聖堂などよりももっと巨大な山のような大きさになり、巨大な両足を地につけた。

 前足でポーランド側を、後ろ足でドイツ側を、人も建物もすべてを踏みしめて。

 あまりの巨大。あれではもう、天災のレベルだ。

 モニターの前にいたすべてがそう思った。

 その日の死亡・行方不明者数は、幻獣が出現し始めた前大戦時で確認が取れた数値を超えた。

 その中の報告の一つに、国境付近の瓦礫上に中身を失った服が数人分放置されていたというのがある。その服がミスロジカル魔導学院の制服であったことが確認された。




 神州・旭川練兵所。

「おい、御崎! 呼ばれたら返事はしろとをいつも言っとるだろうが!」

 学校の廊下で、旭川練兵所の制服を着た御崎令を後ろから呼び止めた体育教師が、令の肩を掴んで振り向かせた。

「まったく、これで九曜というのだから……」

 体育教師は言葉の続きを口に出来ずに硬直した。

 周囲の他の学生もザワリと不穏な空気を漂わせた。

 振り向かされた御崎令が、頭で後ろを向き、身体だけを体育教師へと向けていたからだ。

 やがて、ゴロリと頭が重力に従って廊下へと転がり落ちた。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 それは誰の悲鳴だっただろうか。

 廊下はパニックの生徒で大混乱に陥り、令を振り向かせた体育教師はその場で失神。

 その日まで御崎令だった少年が、制服を残し、砂へと変わったことに皆が気づくのは、この翌日の出来事である。

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