Behemoth_3
朱禅は瓦礫に腰掛け、柚樹の天使の輪を灯りにして地面に散らばった首飾りを拾い集めているピュセルを眺めながら、 先程刃を交えた相手のことを考えていた。
(転生? いや、あの現れ方は他の化け物共と同じだ。しかし、出てくる場所が違うのか)
むう、と険しい表情で考え込む朱禅は、ピュセルの漏らした「牙が足りない」の一言に顔を上げた。
「駄目でござる。この一帯には、ピュセル殿が集めた以外に神具の反応はないでござる」
プロビデンスの目をピュセルに代わっておこなっていた柚樹が落胆と共にそう言った。
首飾りを構成していた牙の一本が見当たらないのである。これでは召喚器としては使い物にならない。
「あの派手なマスクと一緒に持ち去られたと見るべきでござろうな」
「揃っていなければ意味がない。振り出しだな」
「思うに、この一帯を特定した謎の技術でまた割り出してもらえば良いのではないかと」
「謎の技術……。ユズキ、もう少し他国の事情について勉強しなさいとあれほど」
「藪蛇でござった!?」
なにやら妙な会話をしているが、この場所を特定した技術を借りる点では同意だ。ただ、朱禅が借りたいと願うのは司が再起動を注文した衛星を使ってのものの方だ。もしも探す対象が地上にいなければの話だが。
「ともあれ」
そう言って朱禅は立ち上がり女性陣の視線を集める。
「単独ないし行動を分けていたのでは状況の好転は望めまい。
ピュセルよ。福音省にドイツ帝国に対して今回の国民消失事件での援助をおこなうことを正式決定させろ」
「人員は我々ということだな」
「そういうことだ。人員手配を盾にした時間稼ぎを封じることにもなろう。
事後承諾という言葉はあまり好きではないが、そうも言ってられん。それに、連中の腰を上げさせる材料として『シックザール再稼働の可能性』を織り交ぜておけば、話も通りやすかろう」
「分かった」
ピュセルは懐から羊皮紙を取り出し、朱禅の要望をざっと書き出すと羊皮紙を羽毛に変えてフッと息を吹きかけた。羽毛は風に乗り、やがて風の中に消えていった。
翌朝、博物館島が立体駐車場よろしく3Dな存在になって改装オープンした。それもありイベントが二日目にして大盛り上がりをしている反面、パンコー区バーグシュタインの砦の修練場で魔法連隊の隊員達が折り重なっていたりアルフレッドと令が顔面真っ青にして倒れていたりと、ちょっと近寄りがたい状態になっている。
やったことを考えれば十分すごいことなので、傍らで牛乳瓶を握りしめたエルザも「だらしない」の言葉を発することはせず、ただ「こいつら今日は動けないな」と漏らす程度である。
そんなエルザもさすがに疲れていた。アルフレッド達師弟が扱いやすいように石材を片っ端から熔解しまくっていたからだ。単純に破壊するよりもこういう仕事の方が存外疲れるものである。
「やあ、ご苦労さん」
修練場に司が到着する。
「君達が作り上げたアレへのカメラの設置はこっちで終わらせたよ」
「一日遅れでご無沙汰ですよ、先生。妹がいつも世話になってます」
「やあ、エルザ。元気そうで何よりだ。しかも謹慎中なのに手伝ってくれてすまなかったね」
「なあに、アルマが帰るまで暇なんでね」
「そうか。じゃあ、そんな君にはこの写真を送ろう」
そう言って司は一枚の写真をエルザに渡す。一目見てエルザはちょっと困った顔をした。
写真には巨大でトロピカルなホットケーキを買い食いしているらしいアルマの姿が写っている。場所はどこかの港だろうか。
「ほんの一時間ほど前にアムステルダムのモニターで見かけたので」
アルマはどうやら各港上陸の定期船で帰ってきているらしい。で現在アムステルダムでオランダ名物のパンネクックをたらふく食べているとのこと。
位置的に、今日中にはエルベ川を遡ってハンブルクに到着しそうだ。
「ダンケ、先生。
んじゃ、そういうわけなんで私は帰るぞ、アルフ」
「あー、うん……エイダ殿によろしく」
倒れ伏したまま手首だけをプラプラ振る友人に、さすがのエルザも吐息。
「そこまでになっておいて社交辞令とか……」
ふむ、とは司。
「アル君もついに女性が気になるお年頃ですかねー」
「おいおい、先生。
初見でミストの奴を前にして緊張してやがった男にお年頃も何もないだろ?」
「そういえばそうでした。でも、ゲーム的にいえば、魅力が振り切っちゃってた同年の女子相手だったら、あんなもんだと思いますけどね」
「相変わらず、ゲームで例えられても分からないけど、言わんとしていることはなんとなく分かる。でもさ、この私を前にして同じ反応はしてなかったぞ」
「そりゃあ、君……」
魔法の生徒として預かっていた頃のエルザを思い出しながら言葉を選ぶ司。
「一目見て、目が潰れる相手と頭をゆであがらせる相手じゃ、反応が違うのも当然では?
君の光はオルトルートさん同様で強すぎるから、心で理解する前に目が潰れてしまうんですよ。今はさしずめ目が慣れたということなんでしょう」
「ほ、ほう。なるほどなるほど」
呆気なく言いくるめられたエルザは、満更でもなさそうに胸を張って「よしよしエイダにはちゃんと言っておいてやろう」と言いながら去っていった。
エルザが近くにいなくなったのを見計らってアルフレッドは深い溜息を吐く。
「いやあ、まさかあんなんでも行けるもんだとは。あの子、まったくそこら辺は成長してないんだねぇ」
「先生……」
「あぁ、ごめんごめん。とりあえず、お疲れ様。
今日からは懲罰大隊の方から人員を回してくれるそうで、例の対象は発見次第破壊の方向で動くそうだよ」
他人事に言っているが、指示を出すのはモニターチェックをする司達である。
「そんなわけで、君達は一生懸命回復に努めてくれ、という命令書がきたよ」
「了解しました」
返事するのが早いか、その場でもう寝息を立てていた。ちなみに令は師よりも先に落ちている。
「あれ? これって、僕がアル君を部屋まで運んでいくのかい? お姫様抱っこか何かで?」
嫌な絵を想像して、首を振り「そうだ! 雨が降ったら取り込もう!」とこのまま放置する選択をした。
一時間後、案の定雨が降り、必死になって二人を取り込んでいる司の姿があった。
「あの男は何をやっているんだ?」
元帥の執務室へと通されている廊下の途中で、ピュセルは窓の外の光景に思わずそんなことを漏らす。
光景とはすなわち、司が弟子と甥を引っ張って屋根の下へと取り込んでいる光景だ。
「あの雲模様は俄雨だな」
朱禅の言葉を受けて柚樹は窓から空を見やった。なるほど確かに雲が薄い。
「しかしあの様子では、ブラウ少佐やその配下は今日は使えそうにないな」
「目に見えて衰弱してござるな」
「柚樹が天使の歌を出来ればもう少し違うのだろうが」
「何をおっしゃいますか、父上。ラフィルじゃあるまいし拙者にそのような芸当が出来るはずもなく! なく!?」
自分を否定してちょっともの悲しくなったのか、クッと目頭を袖で拭く柚樹である。その様は、お前も天使だろ、とツッコミをさせるには可哀想に思えるナニカがあった……気がした。
しかし、と朱禅は思う。
(ピュセルが福音省に問い合わせてからの動きが速い。一昨日、念のためでもジーニアスに連絡をしておいたのが功を奏したか)
他国への援助要請など、教皇自身が決定した時でさえ枢機卿の議会が審議し各省が対応に追われて、早くても3から5日はかかる問題。それが権力の位で行けば枢機卿に並ぶとされる使徒の提案が半日で通ったのだ。他に動きがあったと考えるのが普通だ。
アポクリファの首領たるルード・ジーニアスがとった他組織との協力は、本来、相手の現状や協力関係などを綿密に調査した後に審議にかけられることが多く、あまり承認が下りることはない。それを枢機卿達の頭ごなしに決定しすべてが動き始めたところで事後承諾させたのだが、よほどルード・ジーニアスが恐ろしいらしく、却下の声が一つも上がることなく全会一致で納得した。
その日の午後、ヴァチカンの薬局から胃薬が一ダース消えたという。
そういった裏事情のことは朱禅とピュセルの耳には入ってこないが、だいたい、何かやったなと思う程度には、首領との付き合いはある方だ。
ヴァチカンでの裏事情の結果、元々、司からの報告でヴァチカン組のことを把握していたバーグシュタイン元帥側が待ちかねていたとばかりに、ヴァチカンからの申し出と合わせるように動き、既に一件に関与している朱禅とピュセルという二人の使徒をそのまま、ヴァチカン側の責任者として面会する流れに持っていったのである。そして今、責任者に仕立て上げられた二人+天使はドイツ側の暫定責任者ともいえる元帥の執務室の前に立った。
秘書がノックをすると中から「入れ」と一言くぐもった返事があった。
秘書によって開け放たれた扉をくぐると、中は六畳の洋室と四畳半の和室で構成されたドイツ帝国元帥の執務室とはあまり思えない部屋だった。洋室側に大きな執務机があるところを見れば、仕事はそちらかとも思えるのだが、和室の方には中央に囲炉裏が設置されており、囲む四方に座布団が置かれていることから、そちらは応接用なのか。とも思えた。
問題の元帥本人は和室の方で胡座を掻き前に膳を置いて食事中である。後ろには折り目良くたたまれた上着がある。朱禅はあの上着には勲章やら階級章やらが目一杯付いていることを思い出した。
マティアス・フォン・バーグシュタインの外見は白髪と白い顎髭を蓄えたガタイの良いジジイである。
右手で器用に箸を使い左手に丼を持ち白米を掻き込んでいる。おかずは大根の味噌汁と鮎の塩焼きと糠漬け。鮎は出店で生魚を譲ってもらい、今日の朝食としてバーグシュタイン婦人が調理したものである。糠漬けに至っては、婦人が嫁に来てからずっと作り続けている。
令がここのメイドにおにぎりのことを聞かれた時に"桜子ばあちゃん"と言ったのは、この朝食を調えたバーグシュタイン婦人こと桜子・バーグシュタイン・鏑木のことであり、教えを請えば喜んで基礎から叩き込んでくれるバーグシュタイン家の良識を指す。
ジュルリ、と柚樹が涎を垂らした。映像の中くらいでしかお目にかかれない和食のしかも膳である。こういうのは憧れることはあれ、周りに作れる人がいないと輝いて見えるものというのを実感する柚樹であった。そして自分で料理を作るという考えには至らない。
「食事中なら後にするが……」
ピュセルの提案に箸を持ったまま左右に振り「すぐ終わる」と返す老人。
数分後、言葉通り食事はすぐに終わった。まず鮎の頭を引っ張ってを身だけ残して骨を抜き二口ほどで平らげて、味噌汁で溜飲を下し、糠漬けを白米の上に載せ湯飲みの茶をかけてに突っ込み掻き込み速度を倍に引き上げて飲み込む。空になった食器を膳の上で重ねて隅にある小さな引き戸の中に膳をしまう。するとゴウンゴウンと機械音が響いた。
「なんと……。あのような食べ方が」
柚樹が驚愕する横で、朱禅が「やるやる」と老人の早食いに理解を示した。
マティアスは胡座のまま三人に向き直り「おう、待たせたな」と。
そして、三人分の座布団を並べ、まず朱禅が中央に胡座で座り、右に正座で柚樹が、左にピュセルが崩して座った。
「さて、単刀直入に行くとだな。こっちは自国の問題ながらあまり人員が出せん。内陸担当の懲罰大隊をまわしてはいるものの、その多くはまあ戦争行きの真っ最中でな」
「だからこその日崎か」
「そういうことだ」
ドイツ側で人員が手配出来ないから外から人員を雇って調査に当たらせようとしたわけで、事態が深刻だからといって前提が覆るわけではないということらしい。
基本的に、懲罰大隊は脱走兵などの軍規違反者や犯罪者によって構成されており、ここでいうところの"人員"には含まれない。彼らは通常の軍人の数を減らさないために使い捨てにされる駒である。もっとも、軍規違反者と犯罪者とでも優先順位は変わってくる。指揮者にもよるが、優先順位は実験投入される人工精霊よりも低い場合が多く、人工精霊>軍規違反者>犯罪者というのが一般的である。
「結論から言えば、上のアレが動く」
「動かすのか。よく穏健派を黙らせられたな」
「日崎がそこまで考えていたかは分からんが……」
マティアスは渋い顔で一度言葉を切り、次には重々しく口を開いた。
「昨晩、不肖の孫が精神病院に搬入されたのだが、穏健派の連中の膝元でも同例が発生していたものの他派へは、まあ、政治的配慮というやつで隠蔽しようとしたところ、孫の一件で一悶着あって露見した、というわけだ」
司がそこまで考えていたとは思えない朱禅は「偶然だ」と断言した。
シックザールという国のトラウマを再起動することはこれまで穏健派によって封殺されてきたが、配慮だろうと何だろうと隠蔽という不味い手段を講じようとしたのがバレて日和ったところを用途限定の条件付でゴリ押しした、ということらしい。
「地表攻撃兵器としての使用をしないということだが、今回の使用目的はあくまでも市民管理システムとの連結。それでも、そこまで安心を与えなければ首を縦に振らせられないということだ」
「ゼルギウスの言葉では勇気を奮えても絶対の安心ではない。ふん。我々が敵対者でなくて良かったな」
まったくだ、とマティアスは頷いた。どこの国もまだ、人材は育っていないらしい。
「シックザールを組み込んだ新体制になるまで、どう急いでもあと二日はかかる。それまでは現状での対処だ」
で、と続ける。
「話は変わるが、榊よ? お前、追撃にミスったそうだな?」
黒ローブとの対決の話だ。報告内容は確認しているらしい。
「剣聖憑依のナンバーズ相手にさえ遅れを取らなかったお前が珍しいではないか」
大戦中でのことを例えに出されて朱禅は口をへの字に曲げた。それを横目で視界に収めたピュセルは珍しい光景だなと思う。
「"対象"とやらは例の犠牲者の姿をしているとある。榊の知り合いでも出てきたか?」
「知り合い……といえばそうかも知れないが……」
朱禅の返事は切れが悪い。
「少なくとも、今回の一件での犠牲者ではないことだけは確かだ」
「断言出来るのか?」
「ああ。奴は四百年ほど前に死んでいる。念のために聞くが、犠牲者の中に神州人は?」
「おらんな」
「かつて会った頃と同じ容姿で転生したとすれば、少なくとも神州人にでもなっていなければおかしい。
まあ、同じ姿の時点で怪しいのだが」
「するとなにか? 会う可能性はその相手が転生していなければならず、しかも今回の犠牲者の中にいなければならない。そういうことか」
「そうだ――あぁ、そうか。
もし犠牲者の中に奴がいなければ、犠牲者が対象として出現しているという前提が崩れるのか?」
ふと口にした朱禅の発言で、一室の空気が固まった。
マティアスは懐から折りたたんだ紙の束を取り出して朱禅に寄越す。無言で開けば、それは例の犠牲者名簿。無言で捲っていきすべて見終わった後に「いない」と口にした。
マティアスは「そうか」と頷くと電話を取り出してどこかにかける。
「例の対象な。被害者名簿を元にではなく、魔力探査を元に追え。ああ、そうだ。対象が問題の魔力を保有するならば、例の被害者でなくとも確保しろ」
そんな電話中、朱禅の後ろに身を乗り出して柚樹がピュセルに質問をしていた。
「ナンバーズとはなんでござるか?」
「聖堂と呼ばれる組織の一部幹部を指す名称と記憶しているが、その組織も前大戦で壊滅しているはずだ。詳細は知らん」
「前大戦……でござるか。あれについては書庫からも関連資料が抹消されているでござるからなぁ」
「福音省の仕業だが、あまり首を突っ込まないことだ」
カノンとアポクリファの聖者達の中に聖堂に関与した者がいるという話はあまり聞かない。しかし現枢機卿や他省には少なからずいるようで、政庁内の記録には改竄された痕跡が多岐に渡って確認されている。
(実質、あの組織と関わってどのような利益や損失があったのかは不明。先程の元帥の言葉からは、ジンクロウが組織の者と戦っていたとも取れる)
ピュセルは朱禅の頭を後ろからチラと見る。
(そもそもジンクロウは先の大戦で国連部隊に参加した理由を一切話そうとしないのだよな)
理由を知っていると思われるのは、ロウ達のような大戦中に出奔した面々とルード・ジーニアスくらいだろう。この元帥に聞けば分かるのだろうか?
ピュセルにとって"先の大戦"とは、以前から世界各地で確認されていた幻獣と呼ばれる存在が大規模で出現し人類を襲い始め、更には異教の神が人類に介入をして勃発した戦争を指す。
色々と謎が多い戦争ではあったが、一つ判明していることがある。朱禅が武本翠と出会ったのがその戦争中だということである。
ピュセル自身は武本翠のことも彼女と朱禅の息子である朱翠のことも嫌いではない。むしろ好ましいとさえ思えるのだが、いかんせん、朱禅がまだただの人間であった頃からの付き合いということもあり、色々と複雑な心境である。そんなこともあり、大戦への興味もないわけではないといったところだ。
「さて、とりあえずは探査の体勢が完全に整うまで、そちらもその後に備えて休んでもらいたい。
宿泊場所はこの砦内の部屋で構わないな?」
「こちらは構わない。その方が色々と都合が良い」
「食事は砦の食堂で……」
マティアスはそこまで言って、朱禅の隣の天使が先程、自分の朝食に興味津々だったことを思い出す。
「そちらが良ければ、邸宅の方で用意させるが?」
「個人的には兵卒の戦意さえ上げるとされるドイツ帝国陸軍の食事に興味があるのだが……」
マティアスの好意にそう断りを入れようとした朱禅も、その好意の元凶が右隣であることに気がついて「好意に感謝する」と返した。
その日、ベルリンは数度の俄雨に見舞われた。
外にいていつ俄雨に降られるかとドキドキするより、おとなしく屋外で過ごそうという帰省しないノイエ・シュタールの学生の姿がポツポツと見られる学食の中に、アルフレッドと令の姿があった。
昼時を過ぎた辺り。遅めの昼食であった。
彼らが起きて活動している原因は司にある。
俄雨により彼らを取り込んだ先が市民管理システムが絶賛稼働中でしかも各方面との連絡やらで非常に騒がしい装甲車の中で、つまり、おとなしく寝ていられないほどの騒々しさで師弟揃って目を覚まさざるを得なくなり、ノイエ・シュタールに避難したというわけである。
学生がいたところで、あの装甲車よりはマシだった。
どのみち、何かしら食べて魔力の補給はしないといけなかったため、食事後に寝ることに相成った。
アルフレッドの前にはフルコース並の食事量が鎮座しているが、彼が見ているのは弟子が自分のマイ箸で今にも食べようとしているモノだった。
「そんなメニュー、あったか?」
「へ? あぁ、こいつは故郷料理の一つですよ」
そう言って令は左手に持った丼を師に見せた。
丼にはまず米が、そして米の上には豚のシュニッツェル――とんかつが載り、ソースがかけられていた。所謂、ソースカツ丼である。
「卵とかタレとか用意するのが面倒だったんでソースカツ丼になっちゃいましたけどね。
とはいえ、シュニッツェルは厳密には神州のカツとモノが違うから味とか微妙に違うんすよね……」
美味いけど、と締めくくった。
「そのように載せて食べるならイェーガー・シュニッツェルでいいのでは?」
「それは俺も考えはしたんですけど、やろうとしたら軍曹に怒られちゃって」
令が学食の厨房に顔を向ける。それを見てアルフレッドは納得する。
あそこには厨房の主がいる。しかも伝統料理とかにうるさい人でもある。令のこの食べ方は最大限の妥協なのだろう。
「いやあ、シュニッツェル見てたらたまにこいつが食べたくなるんですよ。カツ丼は庶民の味ですからねー。なんつうか、こお、魂に刻まれちゃっているっていうか」
実家が九曜・日崎の分家第一位の少年は自分を庶民だとうそぶいた。
「増血料理以外でジャーマンポテトばかり食べているから、そういう突発的な食欲が出るんだ」
「や、だって、安いんですもん」
庶民臭漂わせる令との会話をしていたアルフレッドは、食堂にノイエ・シュタールのもの以外の制服を着た少年達が入ってくるのを見た。確か、司が"お手伝い"と紹介していたミスロジカルからの助っ人達だったはずだ。
彼らは席に着きしばらくキョロキョロしていたが、一人が厨房に顔を向けるも、無言で鍋を睨むおっさんに尻込みをした。注文の仕方が分からないのだろう。
学寮での食事が基本のミスロジカルの学生にとってはここの注文方法は特殊だろう。食券でも厨房に直接でもない。
注文はすべて卓上のパネルでおこなう。パネルにID登録された腕時計をかざせば、市民管理システムを通して最適のメニューがパネルに出現しそこから選んで注文。料理が出来たら取りに行くというものだ。
購買に至ってはID登録された腕時計から注文しておき、購買受け取り口でIDを通して受け取る仕組みだ。そこら辺の人件費を完全に削っているのである。
生徒以外はどうするか。それはゲストIDが必ず発行されているので、それを用いて生徒と同様に注文作業をするのだが、そのようなことを説明されていないミスロジカル組はただ首を傾げていたのである。
「リョウ」
幸せそうにカツを頬張っていた令は師の呼びかけに「ふも?」と顔を上げ、見ている方に顔を向け、頬張っていたものをゴクンッと飲み込んだ。
「んじゃ、いってきまっす」
そう言って令は注文方法の説明に向かう。これもバイトの役目である。
しばらくして「シュニッツェルですか? それだったら」とそんな応対が聞こえてきた。
説明を終えて戻ってきた令は座りながら「シュニッツェル人気だなぁ」と漏らして食事を再開する。まさか彼らにソレを勧めたのが自分の従兄とは知らず。
「ミスロジカルか。そういえば、先生の話では今頃は神州からの短期留学生とやらを受け入れているらしい」
「へえ? こう言っちゃなんですけど、神州と欧州じゃ魔力の練り方とかずいぶん違うしついてけないんじゃないですかね」
よほど優秀な教官と出会わなければ、それまで習熟してきたものを切り替えるなんて出来やしないと高をくくる。
「リョウの場合、故郷での魔力制御法が下手くそすぎて平気か? と心配されていたら、偶然こちらの方法になってたというだけの話だろう? 教える側としては楽ではあったが……。
留学に選別された生徒は少なくとも成績上はお前よりも優秀な人材なんだ。悪し様には言わない方がいい」
「その話はやめてくださいよ。その件は散々、綾女に言われて凹んだんで、もう、勘弁してください」
令はゲンナリとした感じで顔を上げた。
神州における令の成績は非常に悪い。魔法も戦技も下級生にさえ劣る。あまりの悪さに練兵所の教師陣は皆サジを投げたとまで言われている。
魔法制御が下手くそなのは、令には令で令なりに、少々複雑な理由もあるのだが、別の話かもしれない。
「そのアヤメだが、どうやら留学生の中に混ざってるらしい」
「はあ? 曰くの危険なアルバイトの一環か何かですかね?
なんにしても俺同様で"源理が使えない"のに、がんばる奴ですよねぇ」
「あの子を見習ってがんばるという選択肢はないのか」
「やだなぁ。あいつと同じがんばりなんか出来るわけがないじゃないですか。属性違うんだし」
属性の問題じゃないんだけどなぁ、とアルフレッドは呆れた。
「さて、取り込みで僕よりも早ければ、明日の弁当係は僕がやりましょう」
「気合いいれてやります!」
ミスロジカル組よりも多い食の量を彼らが半分食べ終わる前に平らげた師弟はそんな会話を挟んでからその場で瞑想に入る。食べた物を魔力として自身の魔力に順応させるためだ。
通常、人は消化することで栄養と同様に食べた物の魔力は自然と自身に吸収されるものであるが、意識して取り込む術を身につければ、取り込む速度は段違いだ。
数分後。
令が顔を上げればアルフレッドはまだ瞑想しているように見える。
「し、師匠に勝った?!」
「残念、食休み中。明日の弁当係もリョウの番」
「まだまだか~」
項垂れる令を眺めながらアルフレッドは内心冷や汗を流す。ギリギリで師匠の面目は保たれたという感じだった。
(魔力の循環系は、おそらくヴィオ君に負けないレベルにまで成長している。半神と肩を並べられるくらいになっているなら、もうそろそろか)
司の娘と引けを取らないレベルまで成長したとする弟子を独り立ちさせる算段をつけようと思うアルフレッドであった。
「あとは体力くらいですかね?」
「そっちは魔力ほど効率の良い回復方法はないからな。おとなしく休憩するしかない」
「伝説とかに出てくる仙丹とかありゃいいんですけどね」
「あれはどちらかというと、体力より魔力の回復剤のようにも思えるがな」
「あれはどうですかね? えっと、ほら、なんつったっけな……ああ、酸素カプセル」
そういえばそんなものもあったな、と。しばらく前にエルザがこの砦まで運んできていたガラクタの中にだが。
彼女の母親が若かりし頃に買い漁っていたという健康グッズをマティアスが低額で買いたたいた、という話を聞いている。魔構以前の健康グッズを現代仕様に改造するためだったとか。
「邸宅の方に置いているからいつでも使えとは言われたが、良い機会だから少し試させてもらうか」
十中八九、実験台だろうが。ともあれ。
「出来るだけ早く復帰した方がいいのは確かだからな」
そう言って、アルフレッドはバーグシュタインの邸宅へ戻るべく席を立つ。
ノイエ・シュタールを出て町を北に向けて歩いていると、令の右肩にコン助が駆け上がってきた。肩上で右前足を使って目をこすっている――眠そうだ。
ふと、周囲を視回してみる。
昨日、エルザと対象を追っていた時よりもあの不可思議な魔力による傷痕が増えているように思える。
視界の中を、赤と黒を基調とした軍服が複数遮っていく。懲罰大隊の一員だ。昨日の自分達の仕事を彼らが引き継いでいるはずである。
(実際問題として、アレを判別出来たところで捕獲は難しい。属性が単一であれば式を削られて捕獲は出来ず、かといって複合を行えるだけの人材は懲罰にはいない)
彼らの動員は捕獲が目的ではなく、対象を不定形へと変異させ魔方陣形成を中断させることが目的だろう、と推測出来る。要は時間稼ぎだ。
(せめてヘクセンの連中が出てこられればな)
エルザ旗下の女性のみで構成された魔法騎士団ことヘクセンは数こそ少ないものの、実力はアルフレッド旗下の魔法連隊と肩を並べる――否、敵前線を崩壊させることにかけては彼女達の方が上だ。そんな彼女らは指揮官たるエルザが謹慎を命じられているためか、現在はブロッケン山のヴァルプルギス砦に詰めている。
その謹慎されている張本人がベルリンで活動していたことを知れば、暴動とは言わないまでも突き上げくらいはありそうではあるのだが。
(連中も何を考えているか分からない節があるからな)
部下が指揮官に似ているとも思える。
とはいえ、形式的に動かせない人員をも総動員出来れば、そう考える人も少なくはない。
「……リョウ」
「はい?」
「酸素カプセルが終わったらでいいから、少し使いを頼まれてくれ」
「おっす、了解っす」
さて、連中を動かすには、とその算段のためにも一度エルザに連絡をしなければと思うアルフレッドであった。
ノイエ・シュタールの食堂がややカツ臭くなっていた頃、パンコー区バーグシュタイン邸の表門をくぐったところでネコ・バーグシュタインは溜息を吐いた。
昨夜精神病院入りを果たしたティーロの兄にしてネコの従兄ハインツの見舞いに夜の内に行かされ、今帰ってきたところである。
「ったく、コネで後詰めになったとかで色々言われてんのに、今度は精神病院送りとか。ハインツもいいかげん、大人になってほしいもんだね。年上なんだからさ」
愚痴も言いたくなるというものだ。
しきりに"ジーン"の名を呼びそれ以外は要領を得ない従兄に、ティーロはしばらく本家で預かる旨を伝え、ようやく帰れると町に出れば、博物館島がなにやらスゴイことになっており、タマーラからのメールが数十件そのことについてあって、それに、昨日言われたこともある。正直精神的にツライ。
ミスロジカルのロウエンドで鍛えたおかげで、ネコの個人の実力は高い。魔構学専攻の割に魔法学の成績もイギリス出身者に引けを取らない。卒業して帰国すれば、女性形エリート部隊ヘクセンの一員にだってなれるだろう。実際、オファーはエルザ直々で来ている。
それでも肝心の、認めてもらいたい相手からは首を突っ込むなと釘を刺される。何が足りないというのか。
帝国軍元帥の孫娘という自身の立場には考え及ばず、いつの間にか眉間に皺を寄せて「あの野郎」と悶々と考え込んでしまっていた。
「やあ、バーグシュタインさん」
ふと呼ばれる。誰かと思ってみれば、相手はオリヴィエ・ファーロス。
「よ、よお。どうした、一人か?」
学院でするかのように右手をチャッと挙げてハイエンドの知人に応じる。
「皆はノイエの学食に。僕はちょっと忘れ物をしてしまったので、これから追うところなのですが……」
そこまで言って、オリヴィエは眉尻を下げた。
「何か辛いことでもあったのかな? 僕で良ければ相談に乗るけど……」
「はは、大したこたぁないよ。あんたは自分のクエストに集中しときなって」
強がるネコにオリヴィエは肩をすくめる。
「クエストはそうですが、まあ、そうですよね。君にはちゃんと甘えられる相手がいるみたいですしね」
「はあ? 甘えって……」
何を言ってんだ、こいつは、と呆れようとして「昨日、あのイベント会場で一緒にいた彼」とオリヴィエが口にした途端。
「っ?! そ、そ、そんなんじゃないよ! あいつはちょっとした……ああっと、ええと、そう、こっちでの友人て奴でね!」
「大丈夫、別に学院で噂を流そうってわけじゃないから」
別に隠さなくても、と言うオリヴィエに掴みかからないまでも動揺するネコ。
「ああ、でも、あれだよねえ?」
「な、なんだい?」
「彼って、どことなく僕達が知る人に似てるよね」
「ん? ああ」
オリヴィエが何を言いたいのか分かって頷く。
「ヒザキ先生の親戚って話は聞いてるよ」
どういう親戚かは知らないけれど。そういうコネでもなければ、帝国陸軍きっての出世頭に弟子入りなど出来そうもないだろうと思う。
「ほほう、親戚ですか。結構近そうですよね? 第一印象で言えば、人間味のあるヒザキ君、みたいな」
「人間味って、あんた。あの兄妹はかなり人間味に溢れてると思うよ? クエスト時以外はだけど」
「そうなんですか? クラスが違うとそこら辺が分からなくて困ります」
「だって、そうでなけりゃ、あのアオギリを理解して使うなんて出来やしないだろ」
あの感情の塊みたいな奴をさ、と。
「理性で感情を理解出来てもその統御にはやっぱり感情を知らなきゃダメだのさ。
ヒザキ兄はアレで、最初はアオギリの統御に失敗してるからな。アイツは失敗から、感情を隠すことをやめたんだ、とアタシは見るね」
その後のぶつかり合いを知らない奴はいないだろ? とネコはおどけて見せた。
オリヴィエは確かにと頷いてみせる。
「だとすると。あの君と会っていた彼は、ヒザキ君をより神州人色を濃くしたような」
「あんたさあ。なんであいつを、そんなにヒザキ兄と並べようとすんのさ?
あいつは、ヒザキ兄よりよっぽど泥臭い奴だよ? なんつうか、礼儀がなってないね」
溜息を吐きながら首を振る。
(ヒザキはあのパラディン・ロウと旅をしていたという話だから、それなりに礼節を身につけたというだけの気もするな。
ま、化け物が礼節を身につけたところで、化け物であることに違いはなかったわけだけど)
セイジ=アステール・ヒザキを内心で嘲りながら「そんなこと言っちゃダメだよ」と困り顔でネコの相手をするオリヴィエ。
「いいや! アタシはあいつの悪口を言ってもいいんだ。そういうやくそ……いや、なんでもないよ」
なんでもないなんでもない、と顔の前で手を振って、今の発言を取り消そうとしている。
「まあ、そいうことにしておくよ」
「おいぃぃぃ」
「じゃ、僕はそろそろ行かせてもらうとするよ。と、この時間だと皆と食事の時間がズレるかな。ノイエで合流する前にちょっとお腹に入れたいけど、ファーストフードとかないかな?」
「本当に分かってんだろうね……。で、腹に入れるんだったら、ゲーテパーク付近でシュニッツェルをナンドックにした奴が屋台で売ってたよ。味は知らないけど、まあ、いいんじゃないかね」
「はは、ありがとう。じゃあ、また」
オリヴィエはネコに背を向けてシャルロッテンブルクに行くべく歩き出す。
(本当にありがとう。色々楽しいことが分かって僕は幸せさ!)
口を半月に開いているかのようにオリヴィエは嗤ってその場を立ち去った。
彼の顔が見えないネコは再び歩きだし、数歩行ってから立ち止まる。
(あいつは本当にどうしようもない奴だけど)
そう思い、昨日の令の言葉を思い出す。
アレは間違いなく、自分を守るための言葉だった。
自分と、自分が危険にさらされることで付随する可能性のある妹達家族さえも遠ざけるための言葉だ、と勘違いしてもいい。そう思えるほどには、心を通わせることの出来た相手だと信じている。
そしてその信頼を、オリヴィエに短い会話で把握されたと気づくことはなく、妹の対応を考え始めたネコは帰路を再開させたのであった。
夕刻。
令はアルフレッドに持たされた命令書をコン助に預けて、一路、ブロッケン山へと向かう。
そんな甥を見送った司はヨハンが操作するモニターを前にして眉間を指で揉む。
マティアスからの指示通り対象を犠牲者から魔力へと探査内容を変えてから、捕獲対象が激増したのである。ハッキリ言って、懲罰大隊による時間稼ぎに意味を感じなくなるくらいに。
「これはアレですよね……」
ヨハンの後頭部に話しかける。
「点と点を結ぶ線を構築させないようにしたところで、点だけで線を構築されたらアウトじゃないですか」
確かにそうである。
「管理システムで見る限りは、現状は回避出来てはいるようですが」
「立体的に見ることが出来ないことが、完全に裏目に出ちゃってますね」
「魔法学の専門家としては、それで魔方陣は完成すると言えるんですか?」
ヨハンの問いに司は腕を組んで唸る。
平面で絵は描けていなくても別の階層で絵の線を補強していれば、すべての階層を透かして見た時に絵は完成しているか。
「僕というよりも息子の――天幻の理論でいけば、答はイエスなんですよね」
「幻想魔法の分野ですか」
「ええ。アレはもうかなりデタラメで強欲な魔法なんですよ。
今、僕とヨハンさんの間には距離という空間があります。つまり接触はしていないわけです。
でも天幻は空間を解析し、空間の階層を自在に操る魔法とも言え、操った結果"僕という空間とヨハンさんという空間が接触している"ということになるんです。逆に"僕達の間には何年かかろうと接触することの出来ない距離がある"ともね。最悪"越えられない壁"を構築することも可能です」
司のいる階層とヨハンのいる階層をシフト――ズラしてしまえばいい。たったそれだけの話だという。
「そこに"何もない空間"が存在している。その存在している空間を解析して使用する魔法、ということですか。
なるほど確かに、デタラメですね」
学問としてこの認識を理解することが出来ても、理解を実行出来ないという大問題を抱えているのが天幻魔法という問題児なのである。
前日にエルザが空間に熱を刻んでいるが、これも天幻かと言われれば違うもので、エルザが刻んだ熱は"時間が経てば薄れていずれ消えるもの"、天幻は空間に"線という空間を刻みつけるもの"である。空間に指を沿わしているか爪を立てているかの違い、か。
「例の魔力がベルリンという空間に直接魔方陣を刻みつけている以上、分野としては天幻かもしれませんが、この魔力の解析がよく分からないものである以上、判断出来かねます。
ただ、魔力を監視出来るので刻みつけている階層を発見出来れば対処のしようはありますけどね」
「そこはもう、シックザール待ちですね」
「あああ、待ち遠しい」
シックザールは再起動したとしてもすぐには使用出来ないだろう。
市民管理システムは大戦時と比べるとずいぶんバージョンアップを繰り返している。連動するにはシックザール自体もバージョンアップする必要があるはずである。
「まったく。なんであんな便利な物を封印しようなんて考えるかなぁ」
ぶっふ、とヨハンは司の発言に噴き、思わず後ろに顔を向ける。その顔は、正気か? という感じだ。
「少尉、君、"あの一撃を喰らった戦艦"の中にいたんですよね?!」
「え? ええっと……あぁ、そうか。あの時の揺れってそういう」
過去の記憶を引っ張り出して、妙な納得を覚える司。
「や、まあ、機動戦艦自体はソレで撃ち落とされなかったわけだし。ほら、焼き払ったのって幻獣って話じゃないですか」
「今になって思えば、あの戦艦こそオーバーテクノロジーの塊でしたね。旧暦においても、現代においても。
ドイツ議会全会一致で封印されるような代物を受けて撃墜されないとか」
「それはそうでしょう。あれも一応、アーティファクトみたいなものでしたし。
アーティファクトは旧暦においては失われた神代の技術。現代においては到達すべき神代の技術。
まあ、アメリカが保有していたアレは神代というかなんというか……」
ああ、アレ。とヨハンは苦笑した。
「我が国はAI搭載型偵察衛星という形でアーティファクトを旧暦に疑似再現しましたが、イギリスは魔構という形でしているそうですね」
「イギリスのアレは……再現ではなく受信だよ。物が物だけに魔構で魔力波を捉え送信するらしいんだけど……、まあ、そこら辺の技術はクロケット社が独占してるから内容はサッパリですね」
「現代の携帯電話と同じような技術なんですね」
過去に流行した携帯電話は現代では使用出来ない。原因は、大戦中に使用された兵器によって、電波妨害や電話線の物理的破壊等がおこなわれたためである。シックザールの荷電粒子砲もその要因の一つして挙げられる。
世界が電子機器から魔構へと移行した原因の一つである。
世界は一時的とはいえLR黎明には、通信手段が人力による手紙や幻獣等を用いた魔法でのものだけになっていたが、一部の有志組織の尽力により、魔力波による通信手段の開発と装置とその設置が各地でおこなわれた。無論、各国の支配層である神々には内緒でやったため、謎の技術の塊が出現したなどと話題にもなったという。
その一部の有志組織が、世界中が非現実の存在によって戦争状態になるわ、国同士どころか同国人同士でも連絡は取れないわで実質瓦解してしまった国連の技術者や特殊部隊の者達だったことは、世間ではあまり知られていない。良くて目撃談があるくらいか。
数年前に再開通したインターネットで、ここ最近になってようやくそこら辺の話が出てくるようになったぐらいである。
そしてこの司とヨハンもマティアスの指揮の下で通信手段回復の作戦に従事していた一人である。もっともヨハンは、途中からロート・ラヴィーネ創設へと動いたため最後まで作戦を一緒にはしなかったのだが。
「よく分からない遺物だからアーティファクトなんですよ」
「それは確かに。
考えてみれば、自国にアーティファクトに準ずる存在があるだけ、我が国は運が良いと言えるのでしょうか」
「うん、まあ、制御出来れば、ですけどね。
B班、そこは人が多いのでC班が壁を作るまで接触は待ってください」
と、まあ、中年二人はアーティファクト談義に花を咲かせつつ、仕事をするのであった。