Behemoth_1
司はマクデブルグ大学前のカフェでファンタとケーキを前にして甥の到着を待っていた。
「そういえば、ここの医学部でも魂幻の研究してたっけ。どうなったかな」
どこの国でも生命の幻想魔法を研究する機関はあり、マクデブルグ大学医学部もその一つである。当初は医学部で大々的に研究されていたが、現在では奥に追いやられ、魔法関係の基本医療は気の源理とし薬剤効能の上昇などの成果を上げている。源理であれば、一般人でも使用可能であるという理屈故の成果とも言える。
(ま、一般人よりも軍人の方が気理をうまく扱えるからなんだよなぁ)
国上層の本音を内心で呟いてから、本格的に目の前のケーキに集中する。
ドイツは喫茶店で注文して出てくるケーキのサイズがデカイ。司では半分食べれば食事がいらなくなる大きさである。ケーキの名前は『Schwarzwälder Kirschtorte』、黒い森のサクランボ酒ケーキという意味でチョコレートケーキの一種である。
(これから魔法結構使いそうだし、ちゃんと糖分採らないとね!)
ファンタにチョコレートケーキ、糖分過多である。
パクパクとノンビリ糖分摂取をしていた司は、ふと魔力の流れに違和感を感じて顔を上げた。大学の塀付近に黒いローブの二人組がなにやらやっている。
司は人差し指でそこらの風をすくってしばらく指をクルクル回していたが「あの人がいるということはひょっとすると」と呟きながらもう一つ魔法を行使。
スッと小さく息を吸い込む。
「ジンさん何やってるんですかー?」
あまり大きくない声だったが、青年の耳元近くでそれは聞こえた。
少女が地面に対して十字を切っている横で、青年は声に反応し顔を上げ聞き覚えのある声を耳元に送ってきた犯人を捜し――カフェでくつろいでいる東洋人を発見する。
「奴か」
割と若い外見の割に深い声色で呟き、その声に少女の方も青年を見てから、彼が見ている方へと顔を向けて、首を傾げた。彼女にとっては初めて会う人物だったからだ。
「敵か?」
「状況次第だ」
青年の答に少女は足下を見て考え込む。
「無視は……」
「凶」
「排除は」
「大凶」
「ならば迎合しよう」
「承知」
少女の答を引き出して、青年はローブを脱いで手元に畳みながら司の方へと歩き出す。ローブに隠れていたらしい腰の差物が顔を出す。少女は懐に一枚の札を仕舞いながら青年の後ろに隠れるようにしてくる。
(人数的に考えると彼女は多分カノンかな?
カノンもアポクリファも数が決まっているのが教義的伝統なんでしょうが、見方によっては弱点ですよねぇ)
ファンタを飲み干し、ウェイターに珈琲を注文する司。生徒のドイツ娘のように一日中ファンタで過ごせる舌は持っていない。
青年と少女が向かいの席に着く頃に珈琲もやってくる。青年は珈琲を、少女は司が飲んでいたファンタを注文し、注文品がやってくるのを待って司は口を開いた。
「ずばり、後妻さんですか?」
「翠以外に妻帯する気はない」
司の冗談に対し、青年、榊朱禅は真面目に返した。
「人と神の双方に気を持つお前には分からんだろうが」
「ちょ!? まるで浮気遍歴のような嘘言うのやめてくれますかねっ!!
うちの奥さん、浮気には寛容ですが、したらしたで夜が怖いですね。大体は誤解ですが」
「破廉恥なこと極まりない。
息子を預けたのは失敗か……」
「朱翠君はお年頃。というか住まいが違うのに失敗も何もないでしょ? チームは両手に花ですけど」
朱禅は「なに?」と反応した。
「何故、そんなことになっている」
「何故も何も、朱翠君のスペックが高過ぎて一般生徒じゃ釣り合い取れないんですって。
だから、うちのラフィルと留学していた璃々さんのとこの妹さんを組ませてちょうどいいんですよ。まあ、総合評価は普通に十三期生のロウエンド並ですが」
朱禅は短く唸る。果たしてそれで修行となるのかと激しく疑問である。いつだったか、学院に正体隠して戦技教官として来ないかと司に誘われたことがあったが、これは真面目に検討すべきかと本気で悩む。
「と、いうことで、まあ、お久しぶりですってことで」
「……ああ」
ここに来てようやく互いに挨拶をした。そこで朱禅は、少女が唖然と自分を凝視していることに気づく。何事かと。
「なんだ」
「ジンクロウでも会話をまともにするのだなと思ってな」
「この男には会話を投げつけなければうるさくて敵わんからな」
司の「なにそれひどい!」という悲鳴は聞き流し、朱禅はくつくつと喉を鳴らした。会話が中断したのを機に少女は「カノンのピュセルだ」と簡潔に自己紹介をした。
「ご親切にどうも。僕は日崎司、ミスロジカル魔導学院において魔法教官をしております。ええっと、あれ、名刺……ああ、あったあった」
名刺を受け取れば、確かにミスロジカル魔導学院・魔法教官と書かれていた。神州語で。同僚や部署違いに神州出身者がいなければ首を傾げるところであった。
ちなみに、彼女の最も若い同僚の結城聖などという馬鹿者は、まったく共通言語を覚えないため部下への通達や組ませる対象も神州言語に精通したものでなくてはならなかったりする。
ピュセルは司の名前に「Le magicien qui est arrivé aux quatre éléments」と呟いてから、あぁ、と納得する。
「あなたが幻界の守護者との戦いでジンクロウと轡を並べた魔法使いか」
ピュセルの言葉に朱禅は一度頷き、司はウンウンと首を振った。
(さて、顔も見知ったことだし、ちょっと暴きにいきますかね)
頷きながら不穏なことを考える司。
(かの至源が何故ここに? まさかこの男が)
どのように尋ねたものかとピュセルが一瞬考えた隙に司の方が早い。行動に躊躇がない。
「さっそく質問ですが、人身消失事件(仮)があった大学前で奇跡専用の探査術を使うのはなんでですかね?」
それは既に答を見抜いているとでも言っているかのような問いだ。司が知りたいのは、この二人がどのように関与しているかである。
「大学であった痛ましい事件に対し、国を越え犯人を捜せという命を帯びているに過ぎない。奇跡専用なのは私が知る数少ないものを使っているだけだ。ジンクロウは奇跡や魔法の類を使えないからな」
「そうなんですか? 僕はてっきり……」
司は目を細める。
「行われたこと、使用された物。それらを知るが故にallseeing eye of Godの奇跡を行使していたのかと思ったのですが、違いましたかぁ」
少女は小さく息を吸い込んだ。相方の反応に、朱禅は、しょうがない、とやや諦めの様相である。
allseeing eye of God――神の全能の目またはプロビデンスの目とも言われる奇跡は、ヴァチカンの処刑人が出奔者を追跡する時や祭具管理室の者が遺跡内などで神具を見つけるためによく使用する奇跡である。
ピュセルが使用する理由として司が予想したものは、ヴァチカンの意向を無視して神具を使用する者がおり使用者または使用されている物の追跡だろう、といった感じだ。
ただ如何せん司には、ヴァチカンがどのような奇跡を行使出来る神具を保有しているのかはさすがに分からないため、仮に人間を消失させる効果を持つ神具があってもそれが何なのか特定することが出来ない。
マクデブルグ大学で研究していることに考えを向けるまで、ケーキを食べながら悶々と人が消える現象について考えていたわけだが、一瞬で対象を食べる幻獣とかバミューダトライアングルみたいなナニカとか。どれも服を残して消えるという現象の説明はつかなかった。そこで可能性を増やす存在が降って湧いたのであった。
「ピュセル。もういい」
「しかしだな」
「こいつと言い合うことほど不毛なことはない」
言われてピュセルはしょうがないな、と初心に返る。彼女が司の言葉を否定したのは、単純に、相方として組むことの多い侍が、自分よりも付き合いの短い相手と会話を成立させることが気にくわない。要は嫉妬である。
「我々はかつて盗まれた神具を捜索するためにこの国にきた。結果、この学舎に到達したのだ」
「探し物はここにあると?」
「使用された形跡はあったが、実物が今も在るという結果には繋がるまい」
ここで朱禅は言葉を切り「ただ……」と続ける。
「これまでの追跡結果とはやや異なる結果が出ていた。
そこでどうするかというところでお前の介入があったというわけだ。理解出来たか?」
「ばっちしです。ではこちらからの情報で肉付けしますね。
この場所が他とは違う理由の一つは、生存者がいるという点ですかね」
「ほう」
「生存者は今、軍の方で情報を無理矢理引き出しているところですが、残念なことに何かしら中にトラップがあるらしく正気と狂気を行ったり来たりしているようですね」
「情報源はマティアスか?」
「いえいえ。僕を呼んだのは元帥ですが、この件を調査しているのは僕の弟子でして」
「獅子の娘がいたな」
「あ、あの子に調査関係の仕事を振るなんて、そんなかわいそうなこと出来ません!!」
「お前にそんな反応をされた弟子の方がかわいそうだ」
普通なら朱禅の反応も至極当然なのだが、ピュセルは"獅子の娘"という単語で「奴か、奴ならまあそうだろう」と反応した。
ピュセルとて、朱禅とは部署が違うのだからいつでも組んでいるわけではなく、特に、榊朱禅が武本刃九郎という名前で神州にいた頃などは、戦場で当の相手と本気の殺し合いをしたものである。エルザ・レーウェ・ラインハルト、至源の徒または第二の獅子将軍などと呼ばれるトンデモ女とだ。
そういう経験もあって「確かにあの女に調査なんて出来るものではない」と断言もするし、司のかわいそう発言にも同意する。
「ともかく、生き残りへの聞き込みが功を奏すかも分かりませんので、現場を見ようかなとここに来たわけです」
「大体分かったが、それがどうしてこんなところで甘味などを食しているんだ」
「待ち合わせです。
僕はこういう施設への立ち入りが出来る許可証は持っていませんので、許可証持ちの甥が来るのを待っているわけでして。
ここって大学ではありますが、一応、国が金を出してやってる研究もありますから、旧暦時代ほど出入りは緩くありませんよ」
「甥が帝国にいるのか?」
「え? いえいえ、獅子娘ではない方の弟子に預けているだけですよ。軍属はしていないはずですが……」
あの性格では軍属は無理だろうなぁ、と司は思うものだが、そんなことは彼の師が百も承知である。
一方、その軍属不可と色々なところで思われている御崎令は、ベルリン北部パンコー区の一画に鎮座する邸宅内にいた。
そこはバーグシュタインの居城とまで言われている都市内砦の一区画として他者に認識される場所である。敷地内には軍施設と元帥一族が暮らす大邸宅が隣接しており、それぞれ入口が違う。令は邸宅側の門を通って入ってきていた。
(なんか今日は騒がしいなぁ。一昨日門番のおっちゃんが言ってた孫姫帰還ってのと関係でもあるのかね)
両手を頭の後ろにまわした格好で、メイドの後ろをほへえっと歩きながら、そんなことを思う。
孫姫とは、要は夏休みに入って一時帰宅したネコ・バーグシュタインのことである。彼女は親との折り合いの悪さから祖父母が生活する邸宅に私室を持っており、自然、彼女を慕う軍関係者との訓練も邸宅に近い訓練場で声を張ることになっていた。令が耳にしているのは、ソレである。
(里帰りしてまで訓練。真面目だけど、学院じゃ上位五本指に入らないとか。他はどんだけ)
ネコとの面識はある。ある時期までは結構会話していた気もする。それもそうだ。なぜなら令にとってすれば、ドイツに来て最初に出来た同年代の友人と言える存在だった。
初見は四年前のパーティーだっただろうか。最初はバーグシュタインで飼っている猫かナニカだと思っていたら、タメの女の子だったでござる。そんなことを言って、師匠のティータイムを噴き出しタイムに変えて怒られたからよく覚えている。
(火と風の源理を身につけて、それを超威力の魔法ぶっ放すためにじゃなくて流動操作に徹底し、あの義腕みたいなゴツイ魔構ガントレットの余熱と推力を自在に操るとか、はじめて聞いた時は正気を疑ったもんだけど)
主人の孫娘に付き合ったかけ声に上機嫌なメイドの後ろ姿に誇らしさを垣間見て。
(努力家のお姫様とか胸熱過ぎだろ。まあ、その分男勝りすぎだけどな)
珍しくないけど、と思考を締めくくり、メイドに案内された部屋へと入っていった。元帥の秘書室であった。
あらかじめアルフレッドの方から要請内容の一部は連絡が通っていたらしく、令からの要請はすぐに通り、最後に元帥から日崎司宛のシルバーケースを受け取って邸宅を出るまで、全部で30分程度で済んだ。予想よりは早い。
外に出ると。
「ミサキさん、ミサキさん」
待ち伏せしていたらしいメイドに手招きで呼ばれる。そっちを見れば、一般的神州人にとっては珍しくはない炊きたてご飯入りのおひつと……崩れたおにぎり。
「もったいな」
「そう思ってくれたミサキさんに朗報です。ささ、正しいオニギリの伝授を」
「えっ!? いやいやいや。おひつ用意してるってことは、ちゃんと桜子ばあちゃんにやり方聞いてきてるんだろ? 実演付でやってもらえばいいじゃんよ」
元帥夫人の名を出せば「奥方様はお忙しい」と返ってくるのは分かっているが、言わずにはいられない。予想通りの展開が来てから「しょうがねえな」と。
「俺も専門家じゃないから……あ、あ、そんな残念そうな顔やめて。ええっと」
冷水入りのボールと茶碗(なかったから小さいボール)と清潔な布巾と塩を用意してもらう。
「耐熱系の魔法使うとうまく出来ないっぽいんだよねっと」
米を小盛で茶碗(仮)に入れて軽く振って形を整え、手を冷水で冷やして水を拭い、掌に塩を振ってから茶碗(仮)の米を載せ、両手で包んで三回くらい転がしてメイドの前に置いた。
「ほい完成」
「さすが神州の人」
「神州の人でも出来ない人いるからね!」
すぐ上の姉貴とか! と令は心の中で叫んだ。実際は兄だろうが姉だろうが、誰もおにぎりどころか料理自体しないわけだが。
と、令の足下から子犬程度の大きさの黒い狐が令の肩まで駆け上がってきた。狐は小さな前足で令の顔をペシペシ叩いた。
「コン助? どう」
どうしたと聞こうとして「やっべ」と小さな相棒が何を伝えようとしているのかに気がつく。自分は今おつかい中だということを。
「悪いけど俺はここで! じゃじゃ」
片手で小さく拝むように謝って、その場を走り去る。
「コン助、頼んだ」
相棒のお願いに狐は一鳴きすると、宙に飛び出しクルリと回り、大型バイク並の大きさへと変じ着地した。大きくなると、全身黒ではなく、目元や口元が真紅であることが分かる。
令は相棒に跨がってケースを腹で抑え首根のフサフサをしっかりと掴み、狐は首根の掴みを確認してからその場から疾駆していった。
それらを訓練中に横目で視界に収めていたネコは一言「dumm」と呟いた。
「ジンさんそれ食べないならもらってもいいですよね?」
「馬鹿を言うな。とっておいたに決まっているだろう」
「またまた。お侍さんがケーキとか似合いませんよっということで」
「やめんか馬鹿者が」
ケーキの上でフォークを交差させる大の大人二人を尻目に、ピュセルは一人ケーキ後の珈琲を飲み干した。
そんな彼らの傍らにスタッと大型の黒狐が着地する。
「おまた……せって、何やってんすか、伯父さん?」
司は"しまった"という顔をして腰を下ろし、その隙に朱禅は自分の前のケーキを片付けた。
「あーそのーなんだ。うん。調査は大所帯になりました!」
「多くなるのは別に構わないっすけど」
伯父の告白に甥は狐を降りながら、増えた二人に顔を向ける。侍と黒ローブの少女。というかである。
「そっちの子の着てるのヴァチカン特務のカソックじゃ……」
「ダメなの?」
モゴモゴの令を一瞥して発せられたピュセルの疑問に「脱げばいいだけだ」と朱禅が応じた。自分も脱いでいるのだからと。
「そう。そうそう、脱げば色々平気!」
ドイツとヴァチカンはちょくちょく戦場に顔を合わせる国ではあるが、敵味方が今一つはっきりしていない。それでも一部の軍人はいい顔はしない。特に、これから行く場所は部外者の立ち入りに許可が必要な場所である。
どっちにしろ面倒は避けたいピュセルは渋々とカソックを脱ぎ、本来の大きさからは想像出来ないほど小さく折りたたみ懐に仕舞った。
中から出てきたのは銀の甲冑に身を包む乙女である。背中には1メートル程度の銀の棒を背負っている。
「んじゃ行きますかね。ああっと、伯父さん。なんか預かってきたよ」
そう言って令は司にシルバーケースを渡した。
「んー? あぁ……これですか」
開けて中を確認した司は吐息。入っていたのは、銀の筒やらバネやらとバレットケースとメッセージカード。あとはガンベルト。
「自分で保管しろ? 処分してくれても良かったのになぁ」
やれやれと司は肩をすくめた。肩をすくめながら、中身を手慣れた様子で構築していき一丁の拳銃が完成した。
「それって……P228?」
「P229を元にしたオーダーメイドだよ。
SIG SAUER P229 Zauberer。大戦時に僕が使っていた拳銃だから、魔構ではないね」
骨董品だよ、と。
「魔法を教えているこの僕が言うのも何だけど、結局のところ、対人では銃を持った方が魔法より効率はいいんだよね。直接手を汚せるかは別としてだけど」
そう言ってスーツの下にガンベルトを装着しかつての愛銃を差し込んだ。
令は、軍人の間で生活しているからか、かつて司の上司であった人物を知っているからか、言いたいことも理解出来る。だから「覚悟なんて教わってどうとなるもんでもないっすよ」と応じた。
許可証で問題無くマクデブルグ大学に入れた四人は構内地図の案内に従って食堂へと辿り着く。食堂の周囲には"Zutritt Verboten(入るな危険)"の標識が設置され歩哨が立っており、周囲に学生の姿はない。
令は歩哨に許可証を提示し調査の間だけ他所へ行ってもらう。
「さて、始めますか」
司の言葉にピュセルは頷き、お呼ばれ組とヴァチカン組に別れて調査を開始した。
「アルフから聞いているかぎりだと、令君はもう彼の系統は識を受け継いでいるんだよね?」
「一応は。でも、どうにも引き出しが苦手なんすよね」
「精霊との契約はしないのかい?」
「それだったら人工精霊とは数体と。
大抵はコン助経由でのリンクがあるからあんま使わないっすね」
「それじゃ、一帯の魔力の色と流動を神層でどうなってるか視てもらえるかな?」
「OK」
伯父の言葉に、甥はおどけた感じの敬礼で返し、相棒の頭に右手を載せ両目を閉じ足下のずっと先へと集中を開始した。
目を開けた令は、巨大な洞窟の中に浮いていた。隣には令より小柄な人影が浮かぶ。彼らの足の下を青白く輝く光の奔流が、轟々と音を立てて流れていく。
隣人は、黒地に赤のアイヌ文様をしつらえた装束の少女とも少年とも分からぬ存在だ。雪の如く肌は白く、髪は夜の如く黒く、眼は鬼灯の如く赤く、目端には赤く化粧がされていて、頭に耳が生えていた。令がコン助と呼ぶ存在の姿の一つである。
「数日で人が死んだ色じゃないなぁ。人が死んだ時はもっとこお、命が落ちていくっつうか、熱が下がるっつうか……なあ?」
令の言葉にコン助は頷きつつ流れに目を向ける。
「大地の命脈に増減もない。でもデータというか事象として人は消えているから……」
コン助は流れから視線を上げて洞窟のずっと上の方を見つめる。
「神層の手前に残滓がある」
耳朶に心地の良い透き通った声に「なぬ?」と令もまた上を見た。
「強制、本能――反発」
「反発?」
コン助はコクリと頷く。
「反発がなかったら残滓はないかも……ごちそうさま?」
「ごちになりやす? あ、いや、本能か」
令はウヘエと顔を歪めた。
「服を残して中身だけ食ったのか。なんつうか、精霊的だな」
ヴァチカンが出張ってきているから精霊と言うより聖霊かな、と自己発言を訂正。
「他を視てないから何とも言えないけど、ここが他と違う以上、他では残滓自体が残っていないのかもしれないな」
なにせここでは生き残りがいるのだから。
甥が大地の命脈との神層リンクをするのを間近で目にして司は頷いた。
大地の命脈――竜脈やLeiLineと呼ばれる存在にアクセス出来るのは、神々や神格級幻獣かそれらと契約を行った存在のみである。ただの人間がそれらを媒介せずに至ることは不可能である。
(シトゥンペカムイの子供とは良好な関係を築けているようで。
……契約者でなければ四大魔法を扱うことは出来ない、ということを決定づけているだけだなぁ)
そんなことを考えながら辺りを視回し、適当に空気中の水分を引っ張ってきて引き延ばし厚さ3ミリ程度の水盆を生み出す。
水盆を目前に掲げて周囲に向ければ、赤、青、緑、黄、白と黒の光の波紋がフヨフヨと反応し出す。右下にはなにやら数字が激しく変動している。司の視線が鋭くなる。
(黒が多いということは犯人は奴らか。大戦のお礼参りとかじゃないだろうな)
むう、と嫌そうに眉間に皺を寄せている司の元へヴァチカン組がやってくる。調査は終わったらしい。司は肩を落として振り向いた。
「ちょっと質問なんですが、そちらの探している神具は盗まれた時目撃者とかいませんでしたか?」
「珍妙な仮面を着けたローブの人物が確認されている。
……? ジンクロウ?」
ピュセルの解答に、司と朱禅は表情を強張らせていた。
「何故その情報を最初のミーティングで言わないのだ」
「え? 司祭達には伝えておいたぞ」
「聞いてはいない。妙なところで秘匿しおって……。
その前情報が確かならば、ルードが腰を上げることを見越した上での秘匿か」
「なんのことだ?」
キョトンとしたピュセルの前で司と朱禅は顔を合わせた。
「お前の昔の相方に教えてやった方が良いのではないか?」
「残念ながら、僕はもう彼との連絡手段は持ってないんですよ。二十年は会ってませんしね」
だから、と続ける。
「現状で対処するしかありませんね。あぁ、おかえり、令君」
司と朱禅が深刻そうに話しているところに、令はリンクを終えて戻ってきた。そして知り得た情報をすべて話せば、司は眉間を指で揉んだ。
「食欲だと?」
ピュセルが驚きの声を挙げた。
「その類に関連した神具ではないんですか?」
司の問いにピュセルは「違う」と首を振った。
「神獣冠はベヘモットを召喚するための召喚器だ。神獣ベヘモットは神に称えられた完全なる生命体であり……」
「「ベヘモット!?」」
ピュセルが口走った内容に、司と令は口を揃えて素っ頓狂な声を挙げた。
「伯父さん伯父さん、ベヘモットってラスダンにいる的なモンスターのことだよね?」
「ばっ……。駄目だよ、令君。そのモンスターを神獣として認識してる人達の前でモンスターとか言っちゃ」
「伯父さんも言ってるよ」
「しまっ。てゆうかベヘモットってあのリビア潰しのアレじゃないですか!
なんつうものを盗まれちゃってんの? アホですか!?」
しかも相手が悪い、と付け足す。
「ベヘモットは信仰側としては神が創造せし完璧な獣ですが、一部では悪魔として見られてもいますからねぇ。特に悪魔としてだと何かと混ざって飽食とか……、あぁ、それだ」
何気なく言った自分の言葉に司は頷く。歪められたかな、と。
「なあなあヴァチカンの人。召喚器ってことは呼べるんだよな? 呼ぶための条件にエネルギーを溜めるみたいなのあんの? ぶっちゃけ人吸収とかやん……ひぃぃ」
人吸収の件でピュセルにギロリと睨まれて令は萎縮した。
「あまり猶予もなさそうだから講釈は短縮するが、神獣とは父たる神からの力を長い年月をかけて貯蓄していき、大いなる聖戦によって力を解放する存在なのだ。
神からの力が、人間を吸収して得られる魔力であるはずがないではないか」
「堕ちれば別であろう」
「な……、ジンクロウは神獣が容易く堕ちるものだとでも本気で思っているのか!」
「召喚器を盗難した者がただの人間、ただの国の者ならピュセルが正しいと言えるかもしれないが、面を着けたローブの者であるなら話は別だ。
"やつら"はどのような手段でも目指す事象に必要ならば手段を厭わない。
人間なのか、幻獣の類なのか、はたまたどこぞの神に連なる者なのか正体は不明だが、奴らはやると決めれば必ずやる。結果の正否を拝むことこそが目的だからな」
「何者なんだ?」
「正式名称は知らん。俺が知るのは、やつらによって発生した事態と遂行者の面妖な格好くらいだ。
日崎はどの程度把握している?」
矛先に、司はフムと首を傾げた。
「ジンさんの認識とほとんど変わりません。あえて補足するなら、"やつら"はどこにでも現れるしどこにもいないということくらいですかね。
もっと詳しく知るなら、それこそ前大戦に関与していた政治的上層部を締め上げないと難しいでしょうね。
ただ一つ確実に言えることは、"やつら"の関与を知ったなら立場を考えていたら最悪の結果しか生み出されないということですよ。事実、ジンさんに伝わらなかったせいで、今の事態は深刻になってますし」
一人イソイソと携帯をいじっていた令はメールの着信を確認する。そこには被害者リストへの追加案件についてがあった。
(あぁ、なんだ、伯父さんの予想的中か)
結果を伝えれば、司達も令からの報告にあった"反発"の内容に思い当たる。
――――被害者はすべて魔法適性に難があり、機械的魔構の使用者である。
メールの一文だ。
「反発は魔法適性による弾きですかね。なるほど。
で、ピュセルさん。神具の行方というかどちらの方角から気配はありましたか?」
「北東だ」
「やはり直線。進行上にベルリンがあるのが痛すぎますが、果たして事態はいつ頃動くのか」
「我々はこのまま北東へ行く」
「だったら僕達も一緒に行きますよ。アル君達への報告もありますし、彼なら市内全域への非常態勢も発令可能ですしね」
この会話に令が「ええ?」と反応した。
「明日から博物館島でバザーとかイベントあんのにそんなことやったら暴動起きるよ?!」
「…………はあっ?!」
令によれば、ベルリン市内ムゼーウス島、通称博物館島において、明日から三日間だけ博物館関係が全館無料になったり、訳ありブランドものやら魔構品やらのバザーがあったり、神州人感覚な縁日があったりで、結構な人が集中するお祭りがあるとのこと。
「うちの師匠はお祭りとかあまり行かないからおくびにも出さないっすけど、軍人以外の一部一般人の間ではかなりの期待度らしい。と近所のおばちゃんは言ってたな」
「ほお、縁日か」
そこに食いついた朱禅の腹にピュセルの片肘が刺さった。
「明日からというと」
ピュセルが空を仰ぎ見れば、もうそろそろ日が落ちる。間違いなく、準備も終わっている頃だろうか。気が早い参加者などは既にベルリン市内に入っているだろう。
「国の関与は博物館くらいかな?」
「うっす。そっちは今回のお祭りが結構進んでから決定した便乗ものだったような」
司は頭を抱えた。
「クルツ・フリーデンに吸収されずに倒産した老舗の魔構品も多数放出されるとかで、新聞の折り込みにチラシとかあったよ」
(老舗? 確か、ドイツ魔構の老舗は魔法普及前の物が多い。機械よりというかほとんど機械だから、魔法の扱いを投げた世代に重宝されていたはず)
魔法をあまり学ばなかった世代の魔法耐性などないに等しい。自分達の追う相手が魔法耐性のない者を餌としているのなら、一体、どれほどの犠牲が出るというのか。
「ベヘモットの召喚器はどういう形状をしているんですか?」
「牙と翡翠の首飾りだ」
司の問いには即答が返ってきた。
「特色は?」
「翡翠は二つで、牙が銀のようなもので出来ているように見える。おそらくは神獣の目と牙を模しているのだろう」
「実物を知っているのはこの中では」
「私だけだろう」
「分かりました。失礼します」
司はメモ用紙を一枚右手に持ちピュセルの額にかざした。
「Copymemory」
一言呟けばメモ用紙が一瞬チカッと光った。メモ用紙に写真とさえ見間違えるほど鮮明な首飾りの絵が存在していた。
「これで間違いありませんね?」
「……ああ」
「令君。これをアルフにまで届けて下さい。彼には広域探査の術がありますからそれを頼りましょう」
ピュセルへの確認後、紙を令へと渡した。令は「了解」と応じてコン助の背に乗って一迅の風となった。
「他者の記憶の念写か。そのような魔法まであるとはな」
「まだ研究中なので手のひらサイズまでしか出来ないんですけどね」
朱禅の感嘆に研究中と答える司だが、手のひらサイズでも十分ではないかとも思える朱禅とピュセルである。
「では我らも北東に向かうとしよう。ユズキはどこのホテルにいるのだ?」
「ポツダムだ。途中で拾っていく」
連れを拾う算段の二人に司は「ああ」と頷く。
ピュセルの言うユズキとは朱禅の娘、養女の榊柚樹であることを司も知っている。ラフィル・エル・ヒザキの姉妹の一人である。
(天使が近くにいるのなら、神の目による効果も上がるか。奇跡は便利なのか不便なのか今一つ分からないんですよね)
奇跡は源理のような触媒を必要としないため一見便利だと思われがちだが、通常運用においてはその効果は微々たるものだ。
他者への伝達を奇跡でするなら、通常ではイメージを送る程度だ。カノンやアポクリファのような聖者であれば声の伝達は可能だが長時間の会話などが出来ない。そこに天使等の加護が会った場合、電話で話すようなことが出来るようになる。だったら電話を使えという話だが、電波や状況というものもある、という言い訳が出てくる。
「僕はベルリンのパンコー区に宿泊することになりますので、連絡とかあれば電話でも……ってジンさん番号分かりますよね?」
「変わっていないのか。なら分かる」
「では何かありましたらー」
それだけ交わして、司は走っていった。司とすれ違った歩哨が現場に戻ってくると、残っていたはずの二人組もその姿を消していた。
ブリテン連合王国イーストボーンの南、イギリス海峡の海上にイカダが浮いていた。イカダは丸太と大量の葉っぱで構成されており、その大きさは十二畳程度だろうか。
イカダの上には黒衣の洋装にカソックを羽織った男女と白の騎士鎧に赤十字を入れた者達がいた。
白髪に金眼の青年が既に夕闇が溶け込んだ北西の空を眺めながら、傍らに立つ褐色の肌の女性に対し「そろそろ撤収しても良さそうだ」と話しかけた。
「撤収しても構わないが、カノンの坊やと日下で本当に大丈夫なんだろうね?
正直な話、今のカノンは信用ならないんだよ」
女性の言葉に青年はフフッと小さく笑う。
「君の信用はロウがいるかいないか、その一点のみだろう?」
「ち、違う!」
青年の言葉に女性は顔を瞬間沸騰させシュッシュッとジャブで青年との距離を取った。
「シスター・アレッサンドロ」
騎士の一人に名を呼ばれ女性はそちらを向く。騎士達は一様にバケツ型のフルフェイスヘルムをかぶっておりその表情は窺えない。
「我々はこのままアポストル・カノンへの支援に入ります」
「話は聞いてるよ。
ただ必要以上の支援はやめときな。今は政情的にグレナディアガーズを刺激するのはまずい。いざとなれば結城は見捨てて迷わず撤退するんだ。いいね。
あんたらに潰れられるのは困るんだよ。ただでさえリビアで半壊してんだからさ」
「肝に銘じ遂行します」
「それじゃ、いっといで」
行ってこいという女性の言葉に反応したのか、イカダが女性と騎士の間で裂けて割れた。騎士達を載せたイカダは徐々に離れていき、グレートブリテン島を東回りに北上するために東へと向かって進んでいった。
「停戦中なんですけどねえ、一応」
青年は肩をすくめた。
「福音の連中がほしがっているアーティファクトっつう代物は、国のトップが決定した停戦という戦場の仁義を無視してまで欲するだけの価値は本当にあるのかい?」
「人の子には必要、そういうことだなのだろう。
赤の竜に護られしかの国が保有するアーティファクト――バベル。
すべての言語と意志を疎通させることが出来れば、より多くの一神教徒を集めることが出来る……と言われてもね。結局のところ、主義主張の統一が出来るわけでもないから、これまでと同様にまた十字軍を編成する羽目になると思うんだよね」
ああ、やだやだ、と青年は盛大に溜息を吐いた。
「人の子らは寿命と比例して気が短い。長く見れば武力に訴えなくとも転ぶ者は多数いるのだから、気長に待てば良いのだ」
「そんなことを公言しているから、あんたはいつまでも上にも下にもいけないんだよ」
青年は、むう、と唸った。
「最近、似たようなことを言われた気がする――おや?」
ふと、青年は南東の空に顔を向け手をさしのべた。手のひらの上に羽毛が出現した。青年は羽毛を眺める。
「ふんふん――え?」
一瞬、青年は頭の中まで真っ白になったような気分になった。羽毛はメールのようなものであり、別件で動いている同僚から送られてきたものである。
「参りましたね。どうも、このまま撤収は出来そうにありません」
「あっちには榊がピュセルのお守りに行ってるはずだねえ?」
「ええ。その"あっち"で問題発生……というか問題が大問題に変化したと言いますか」
さて、と青年は懐から一枚の羊皮紙を取り出す。羊皮紙上では文字が消えたり出現したりを繰り返している。
「日程的には日下も向かわせられるとして、何人くらい行けますかね」
「カノンはどうすんだい?」
「人々が"おお、神よ"と嘆くようになる状態は彼らの大半にとっての愉悦ですし、十中八九、現場のピュセル以外は自主的には動かないでしょう。だからこそロウやレイが山を捨てたのですが」
人間から自主的に神に救いを求める行動があれば、天使はいつでも介入出来るのだ、ということを青年は言っているのだ。
「かといって、うちのクロエやジョットでは人々の絶望を加速させてしまいますし、カルロスは今アメリカに出張中と」
スケジュール調整を始めた部署の頭、アポクリファ筆頭ルード・ジーニアスをカルラ・アレッサンドロは苦笑して眺める。
(かつては総本山だとのなんだのと世界に言われた割に、うちも案外、人材いないからねぇ)
カルラもピュセルが担当している問題に関しては知っている。
かつて福音宣教省の暴走に付き合ったカノンがアフリカ侵略に使用した神獣の召喚器は何者かに盗まれ、以来、召喚器の使用に大反対をしていたピュセルがその行方を追っている。ルードが大問題と言うからには、召喚器が再び使用される可能性があるということなのだろう。
あの時はベヘモットの前にカノンから出奔した者達が立ちはだかった。では、今回は?
「よし。協力可能な関係各所への通達は終わりました」
「うちに協力可能な連中なんているかい?」
「外部だから問題無い」
ルードは国務省長官の胃に穴が空きそうな言葉を笑顔で口走った。
「実現したら、いつか同じ父を敬愛するようになる他教の者達と前倒しに共闘出来る夢のような戦いになる」
「興味本位で聞くけどね。一体どこに送ったんだい?」
「アルカナムとオリュンポスと……アルコンテス」
「おいおいおいおい」
オリュンポスとか絶対無理だろ、お前! と明らかな通達ミスを犯した上司に猛突っ込みをするカルラ。夢見がちにもほどがある。
アルカナムは協力するだろう。あそこにはルードとよく共闘をする神薙龍也がいるし、トップがそもそも目立ちたがり屋でもある。
アルコンテスも協力のために人材を派遣してくれるだろう。あそこはグローシスやらゾロアスターやら教義的にまったく関係なくてもやっていけている希有過ぎる連中だから。特に人間大好き正義天使野郎とかいるし。
だがオリュンポスは絶対にないと断言出来る。
ヴァチカン「いつでも来ていいのよ?」
オリュンポス「さっさと道の封印解いて土地返せ」
ヴァチカン「同じ神を信仰するならいつでも道を解放しましょう」
オリュンポス「俺が神だ!」
大体こんな感じ。
「早速返事だ」
【子供から老人に至る全教徒のスリーサイズを教えてくれたら考えなくもない。ただし、女性に限る】
「「……」」
ルードとカルラは黙りこくる。ルードは返信者の署名を確認。そこには『パスシオン』とあった。
「女性だったら老若関係ないとかエロスらしい返事だね?」
「反応するところはそこかい」
ともあれ、変なところから返事が来た。東の山はヤバイことが判明した。
「アルカナムとアルコンテスからは了承の旨が返ってきました。
あとはこちらから誰を出すか。神獣が召喚される事態を想定するべきだから、対人よりも対軍に優れた人材が必要になりますね。誰が良いと思いますか?」
問われ、カルラは迷うことなくルードを指した。
「あとは……」
「それは移動しながらでいいかい?」
「ハンブルクへ向かいましょう。あそこからならベルリンも近いですから」
あいよ、と小気味よく返事をし、カルラはイカダの進路を東に取る。
波も風も無視してスイスイ進むイカダの上で、着々と手隙の人材を手配していくルードの背を眺めながら、カルラは「ロウがいればもっと人も集まるんだろうなぁ」とぼやいた。
地中海キプロス島のある酒場にて。
ここは地中海南から東欧を活動拠点とするギルド集合体アルコンテスが利用する酒場ニンブス。その一角で丸テーブルを囲む若輩の四人組がいる。テーブルの上には奇妙な雀卓が。これは雀卓を囲んでいるともいう。ただなんというか、四人組が必死な表情で麻雀をするという本当に奇妙な卓である。
一人は、ランニングシャツに膝や裾の破けたジーンズで、見える肌はこんがりと日焼けした、茶髪のガタイの良い青年である。その眼は赤みがかった黒。席の後ろに無骨な大剣を立てかけている。
一人は、タンクトップにジーンズのショートパンツで、肌は前述の青年と同じで体は良く鍛えられているのが分かるくらいに腹は割れている、茶髪の女性である。その眼は青みがかった黒。脇に天狗羽根の団扇を置いている。
一人は、カウボーイスタイル(ズボンはショート)で、肌は陶磁器のように白い金髪翠眼の天使の少女である。スタイルに合っているかのように、ガンベルトには二丁の拳銃がある。
一人は、カジュアルシャツにチノパンの育ちの良さそうな少年である。茶髪で右眼は赤く左目は黒いオッドアイ。左腕にハンドヘルドコンピューターを装着している。
少年の左肩には、高さ10cmくらいの二頭身半の生命体が手に汗握って少年の牌を見つめていた。白装束に真紅の武者鎧を身につけた黒髪の女性体である。
【また流局ですか】
ハンドヘルドコンピューターのモニターに言葉が表示される。
「また流局かな。はあ、まったく、何回目の流局だろう?」
少年は心底憔悴した感じでモニターの言葉に応じた。
【特定の役をすべて一回は揃えないと解放されない呪い麻雀。簡単なようでいてなんと恐ろしい】
確かに恐ろしい。が、これも仕事である。
――――暇なお前達にいい仕事をやろう!
ギルドマスターから回ってきた仕事だ。無碍には出来ないとして請け負った結果が、この徹夜麻雀である。現在、開始から34時間経過中。
少年も青年も女性も天使も麻雀は初心者。知っていたのは左肩の生命体だけ。この生命体の力作である一枚の紙には役一覧が描かれており、皆、これを回し読みしながら打っている。
と、少年の対面に座る天使が眠そうだった眼をくわっと見開いた。
「ツモ」
その一言で開示された役を他三人が腰を浮かせて十秒ほど見つめた後、肺の空気をすべて吐き出すかと思うほど長い溜息を吐いて、天使以外の三人は椅子にグッタリ座りこんだ。
「「おわったああああああああああああああああ」」
周囲のギルド仲間達から「お疲れさん」との労いとパラパラとまばらな拍手をもらい、天使は手を振って応じるが、他の三人は手を挙げる気力が湧いてこない。
「アストラ~、水~」
女性が対面の青年に気の抜けた催促をするも、青年の方も「自分で行けよ」と気の抜けた返事である。
青年をアストラ、女性をヤムといい、一つ差の兄妹として組んでいる転生者達だ。
カチャカチャと音がしたかと思うと隣のテーブル上にカチャンという音を立てて高さ10cmくらいの二頭身半の黄金のフルプレートで全身を覆った騎士が着地。抱えていた自分と同じくらいの大きさのコップをテーブル上に置いた。その動作を四回続けてから、少年の右肩へと駆け上がってきた。
少年はちょっと右肩が下がった。地味に重い。
「ありがとう、ギル」
少年にお礼を言われて、騎士は腕を組んで"当然だ"とでもいうかのように頷いた。それを少年の頭越しに見ていた女武者は頭上に"!"を浮かべ、悔しそうに眉を立てた。
卓上では全自動ではない雀卓が役目を終えたように蓋を閉じる。
「強制的に解呪の出来る代物だったら楽だったのに」
ヤムの文句にアストラが「俺もそう思う」と賛同する。
「単純かつめんどくせえ呪いかけやがって。
あれか? 中華の連中はインドのお偉いさんを遊び殺してえの?」
というのも、インドと大東亜連合によるネパール争奪戦が大東亜連合の首長国である中国の提案で停戦に入ったのだが、停戦で送られた品々の中に今回の呪われた雀卓が混入していた。で、たまたまインド高官に会っていたアルコンテス幹部の手に委ねられ、調査の結果、普通の人間ではプレイするだけでとり殺される代物であることが判明し、紆余曲折を経て、このチームに丸投げされた、というわけであった。
余談だが、中国がインドとの戦いを中断するに至った決断の裏には、神州の動向が大きい。
神州は天照と月読という二大神が転生したことを理由にアジアからの孤立を選択してまで強国への道を歩もうとしたが、転生者の記憶を封じる政策は強国への道と矛盾しているということで、アジア周辺国は神州への警戒は必要なしとした。
そこに"天照の記憶が復活した"という情報がもたらされたことで、神州が"LR黎明期でやったように"西への侵攻を開始するに違いないとして、対神州の防御策を展開したというわけである。
閑話休題。
少年はコップが載ったテーブルを近くに寄せて、自分の分を手に取る。それは少年と天使が愛飲している柑橘系炭酸飲料オレンジーナだ。
黄金の騎士が隣のテーブルに置いたのは雀卓が汚れないようにとした配慮ではあるが、今の四人としては手を伸ばすのがやや億劫であった。
四人が四人とも各自のコップを手にして「終了を祝して乾杯」とコップをチンと合わせる。
天使ことミシェル・エル・シーザーは腰に手を当ててゴッゴッゴッとオレンジーナを飲み干した。
「ミミ、もう少しこお、淑女的な飲み方とかあるだろ?」
少年ことノア・シーザーが義妹をたしなめるが、言われた方は首を傾げ「この格好で淑女も何もない」と否定で返した。確かにそうではあるのだが。
ミシェルは胃から沸き上がってきたものを口を押さえ顔を背けて小さくケプッと漏らした。
「妙なところは"お嬢様"であること」
クククとヤムが喉を鳴らすのを見て、ミシェルは赤面する。
「祖父様もミミに対してはそっちの教育は厳しくなかったからなぁ――っと」
ハンドヘルドPCの方にメールが着た。
「もう新しい仕事か?」
アストラは酒場のカウンターの方へ顔を向ければ、ちょうどマスターが自分達の雀卓解呪完了のデータを送信していた。
「ええっと、今やってる仕事が終わり次第ベルリンに行け……んん?」
「どうしたよ?」
「いえ、なんか、大規模な共同作戦になるかもしれないから、アストラさんとヤムさんはサボリ禁止ってありますね」
読み上げた内容に、ヤムは「失礼ね」と漏らす。アストラは興味本位でサボリはするが、ヤムは状況を見た上で手を出さないだけであってサボリはしない。まあ、現場を見ていない幹部の者達にはサボっているようにしか思えないだけだ。
「共同作戦とは帝国とか?」
ミシェルが首を傾げる。なんでまた、とその場の皆が抱いている感想を体現している。
ドイツ帝国が国外に協力要請を出す時、大抵はアスガルドありきで話が進められ、ギルド関係に話が降りてくることはまずない。アスガルドには帝国に有用な転生者や降臨者が揃っているからだ。
「依頼者は書いてないねぇ……」
(むしろ消されてる? なんか複雑そう)
依頼者が明記されてはいないが、この共同作戦とやらへの参加は完全に命令でしかない。
となると、こういう場合、ギルドマスターや他の組織とで政治的取引があったと思われる。そういうものがなければ、自分達の大将が仕事を強制してくるわけがないと信じていた。
「ま、アインの旦那が行けってんなら行くさ」
でも、と続ける。
「とりあえず、今は寝たい。さすがにやばいぞ?」
「さーんせー」
ヤムに続いて、ノアとミシェルも頷く。体力的に危険というか、嫌な意味でテンションがおかしいというか。
「というわけで、マスター、朝になったら起こしてくれえ」
もう部屋まで行きたくないわ、とアストラがグッタリと椅子にもたれながらなんとも情けない声を挙げた。
数時間後、熟睡した彼らがベネチア行きの貨物船で運搬されている姿があった。
旧ベルギーのブリュッセルからベルリンへと繋ぐ装甲列車の中、オリヴィエは眠れない夜を過ごしていた。時計では既に日は変わり、共に来た級友達は隣の団体部屋で深い眠りに入っている。
眠れない理由は理解している。心が躍っているからだ。軽く興奮状態である。
他国の要請で動く教官の手伝いに選抜されたから?
違う。そんなくだらない理由ではない。もっとも、級友達はそれを誇りにするかもしれないが、自分にとっては埃でしかない。
理由の一つは自分が座る対面の椅子にあった。
椅子には一つの荷が置かれている。それは窓から注がれる月光をキラキラと反射し存在としては美しいというよりも、どちらかと言えばケバイ、だろうか。色は黒と金、大きさは目元というか顔の上半分を隠すにはちょうど良い。
オリビエはソレをそっと懐に忍ばせて口角を上げた。