EastEndQuest_T1
夏前に瓦礫の山に埋もれた末広町は国に使役された国津神の尽力によって、夏休み中には虐殺事件以前の町並へと再生された。
そして、今、十二月に入る頃になっても、本来の住人の大半が消えたままとなっている。
夕暮れ時、梧桐澄は武本道場の戸口に立って、かけ声も人の気配もしない道場内をぼんやりと眺めていた。
目を閉じれば、今でも子供達のかけ声や叩き合う竹刀の音、元気のいい梢の声が聞こえてきそうである。
ほう、と白い息を吐いて目を開ける。
目を開けて聞こえるのは、人も車も避けて通るこの町で聞こえる音は隣町から響く喧噪くらいか。
時計を見れば、もう夕方六時になろうとしている。
帰るか、と自転車へと身体を向けて、隣町からの音を聞く。
【ぴんぽんぱんぽーん――アキバUDX付近に幻獣の出現を確認しました】
【該当地域にいらっしゃる方ブッ…………】
アナウンスが途切れ、澄は「ん?」と鍵を外して身を起こす。
【自信のねえ奴らは小動物のように怯えながら、俺達自警団の活躍を刮目しやがれ!!】
なにやら自信満々な音割れ気味の放送が流れて、アナウンスは沈黙した。
吐息。
最近のアキバ自警団は調子に乗っている、と澄は思う。
イギリスへの短期留学生がもたらした知識と技術は、僅か数ヶ月で神州の魔法学会の意識を改革したと言える。
魔鉱は基本の財に問題があり流行らなかったが、魔力制御法の改善により魔構関係の開発が変わりつつある。
特にそこに食いついたのがアキバの住人であった。
秋葉原には多くの魔構企業がアンテナショップを展開しているが、同時に改造屋なる専門店もある。
魔構製品は基本的に制作元の会社以外で改造することは違法である。よって秋葉原の改造屋はアングラでの営業だ。
だが実際のところ、幻獣に対する攻撃手段として、購入された時点での物よりも改造された物の方が効果があるため、改造屋の存在は暗黙されている。
改造屋にとって、新しい魔力制御法は利益のためにも熟知しなければならない存在であるとして、国側にもたらされてまだ扱いきれていない制御法を研究する名目で制御法を買い国側には商品を売った。そこらは改造屋の存在と同様に暗黙の違法行為である。
で、そんな改造屋のテスター集団と言えるのがアキバ自警団であった。
企業のテスターとの違いは、アルバイトであるかそうでないかだ。
自分達が秋葉原を護っているという自負と企業物よりも性能の高いチート製品を使いこなしていることのプライドがやたらと高い。
そして基本的に、オタクである。新しい技術で効率よく幻獣を退治出来るようになった途端調子に乗り出した。
先程のようなアナウンスは調子に乗った後、たまにあるものらしい。
「ま、アキバからは出ないっしょ」
自警団がミスをしないかぎりではあるが。
自転車に乗ろう、としたその時「なあ、嬢ちゃん」と不意に声を掛けられた。
声に振り向けば、黒い革ジャン革パンツの古っぽいファッションを着こなした赤髪翠眼の青年がやや困り顔で立っていた。
「なんですか?」
「道を尋ねたい。いわゆる、エクスキューズミー? という奴だ」
「分かる範囲だったらいいですよ」
青年の話し方に小さく笑みを作って応対。青年は「わりいな」とバツが悪そうに苦笑する。
「万世橋ってのはどこだ? 警察署が近いのは覚えてんだけどよ」
「あ、それだったら」
大通り沿いに右に左にまっすぐと教えた後に秋葉原で幻獣警報が出ていることを話す。
「げんじゅうけいほう? ……ああ、ここでも出るのか。まあ、世界中どこでも出てるようだからな、幻獣って奴らは」
そうですねー、と聞き流そうとして「ん?」と心に引っかかる。どこがと考えても今一つ分からない。
「その警報が出ているとアキバには入れねえのか?」
「UDXの方らしいんで、万世橋付近なら行けると思いますよ」
「ゆーでーえっくす?」
「……消防署の方?」
「あぁ」
知っている単語に青年は場所を想定して納得した。
「消防署と万世橋だったら、そりゃ確かに離れてるわな。よほど運が悪くないかぎり巻き込まれないか――よし、サンキュウ、嬢ちゃん」
礼を言う青年と別れ、澄は自転車を漕いで末広町を後にした。
赤毛の青年ことアゼルは万世橋への道をキョロキョロと物珍しそうに歩く。否、凍結した記憶を呼び覚ますように、周囲の景色を意識に取り込みながら歩いていた。
東の方で騒ぎが起こっている。あれが幻獣警報の大元だろうか。
空は既に暗く、先程別れた少女の安否を頭の隅に引っかけて、早くもなく遅くもない歩調でブラリと歩く。
「あぁ、段々思い出してきた。確かここらにカニの店が……あれ? ねえな」
記憶違いかと首を捻る青年。
確かにここいらにはカニを大量に食べられる店がありはしたが、近年閉店している。アゼルがケルト海で目覚めるよりも前のことである。
(司に餓鬼が出来て、あそこまででかくなるくらい時も経てば、街も変わるか)
吐息。
その日崎司とは結局会っていない。
神州までの途中、シベリア付近で巨大な獣と泥仕合を繰り広げる集団の中にそれらしき存在を見ることが出来たが、会うには至らなかった。
その集団が怖すぎて近づけなかったともいう。
(どんだけ時代が変わったんだ、あの混合部隊)
アゼルが眠りについた頃には考えられない構成だった。思わず身震いした。あまり思い出したくはない。
そうこうしている内に万世橋の端が見える辺りまでやってくる。ここまで来れば行きたい場所への道順は簡単である。
万世橋警察署旧舎跡。
願わくば、そこに、記憶にある存在があればいい、と万世橋の交差点へと来て、一角で足を止めて顔を上げる。
交番のような建物で、地下へと続く階段が口を開け、口の入口には『箱船』と無愛想な木の看板が打ち付けられている。その佇まいには、人を寄せ付けようという心配りが一切感じられない。
なんて懐かしい。それが過ぎった思い。
思わず口元を緩め、地下へ向かって歩き出した。