エピローグ
「どうなるかと思ったけど、なんとかなったわね」
澄み渡る空、青い海、焼ける砂浜、照りつける太陽。それらを前にして、豊満な肢体を白ビキニで包んだセツナが「ん……」と伸びをした。
留学生達がゴランで調達した水着姿で、思い思いに散らばっている。
皆が楽しそうにしているのを、浜辺の隅のパラソルで、左肩に包帯を巻いて憮然とする勝利の姿があった。
一晩かけてラフィルに治癒されて、琴葉製の薬を塗りたくられてようやく包帯付で外出可能になった。
「まったく、嘉藤のせいで海水浴がお流れになるところだったよー」
雛が日焼け止めオイルを出しながら、頬を膨らませた。
御門学園指定のスクール水着で、胸に『水城』と入っている。
「既に終わったことなのだから、責めても仕方がない。これに懲りて、腕試しを自重することだな」
ドリンクのサーバーを設置していた夏紀が苦言を呈す。苦言に対し、一言「うっせ」と答えてそっぽを向く勝利。御門の三人は三人共、学校指定の水着であった。
あらかじめセイジから「多分泳ぐ時間はある」と言われていたため、臨海学校という形が成立して参加表明した時点で水着は用意していたのである。
「しかし、お二人とも……」
雛が夏紀と勝利の腹を「ほうほう」と見比べる。
「見事に腹筋割れたねえ」
神州にいた頃よりも引き締まり、腹筋が割れていた。
「私は身長も胸も成長ないのに」
「それは鍛えてどうにかなるものなのか?」
雛の愚痴に夏紀が即答した。
「もう! ちょっとくらい成長してもいいかな? とか思ったの!」
あれくらいに、と雛がセツナの名を挙げた。
「無理だから」
「夢見過ぎだろ」
夏紀と勝利が首を振った。
「なんでそんなところで息ピッタリなのよー!」
二週間、厳しい訓練を受けようが関係なく、雛を入れた御門の陣営はうるさいことに代わりはなかった。
「御門の連中は仲いいねえ」
かき氷をシャリシャリ食べながら、進はまったりと雛達を眺めていた。
「うだるでござる」
傍らに、シートの上でグッタリしている卓郎が唸っていた。
「んな、あちぃなら、なんで全身水着なんか」
「オタの伝統でござる」
「嫌な伝統だな、おい」
黒い全身水着にそんな伝統はない。
卓郎は進と違ってずっとレンメルの工房に籠もっていただけあって、まったくと言っていいほどやせていない。むしろ、増えた。
盛大に溜息。
「世界まずい飯ランキング一位のイギリスで、まさかの体重増加でござる」
「そりゃ、おまえ、ミィルが持ってきた第三学生寮産の食い物馬鹿食いすりゃ……」
「美味すぎるのが悪いでござるよ」
自制しろよ、と思う進である。
「しっかし、いい景色だなあ」
かき氷を食べ終わり、手足を思いっきり伸ばして海の果てを眺める。東京湾の砂浜じゃ見られない景色だ。
「こういうのをいいって思えることは、本当は結構すごいことなんだって、ヒザキ教官が言ってたよ」
眺めていたらそんな言葉が背にかけられる。
「お、おお……」
卓郎が何か感嘆を漏らしている。
声は、昨日まで工房でよく聞いていたものだ。
「ミィルもき……」
振り返って、進は言葉を失って、顔を赤くした。
ピンクの髪の小柄な少女がピンクのビキニ姿で腰に手を当てて立っていた。
ミィルは小柄ではあるが、別にロリッ子なわけではなく(グラマーなわけでもないが)、進を失語症にするには十分な魅力はあった。
「来たわね、ミィル?」
セツナがミィルに抱きつき「うわっ」と抱きつかれた方がセツナの胸で酸欠になりかかる。
「ぷはっ……。工房の掃除は兄ちゃんがやるとか言ってたからね」
「レンはこういうイベントには不参加が普通だからねえ」
「「体力的に」」
ミィルとセツナがハモって、笑った。
セツナが「じゃ、またあとで」と去り、ミィルは進の隣に「んしょ」と座った。
「泳がないの?」
「海に来て全力で泳ぐ歳でもねえし」
聞かれ、顔の赤さを誤魔化すように横を向いて答える進。
「つうか、眼鏡なくて大丈夫なのかよ?」
「ちょっとぼやけてるけど全然平気かな。かけてた方がいいの?」
「べ、別にそういうわけじゃ。なくても全然……その、か、かわ」
どもって続きが言えなくなる。ミィルは進のことをキョトンと見ていたが、不意に寂しそうに目を伏せた。
「シンとタクロウとも今日でお別れかあ」
"お別れ"という単語に、進も卓郎もそれぞれに「あ」と寂しげに漏らす。
結局、鉱構一体の魔構兵は完成しなかった。完成出来たのは、進のパイルバンカーのみである。
「いやいや、そんな寂しい顔とかしなくても大丈夫でござるよ」
卓郎が明るい声を出した。
「どうせ自分ら同じ業界に進むと思われるから、この先顔を合わせる機会なんていくらでもあるでござる」
希望の業界は結局は同じだ、と。
テイマーの道も、魔構使いの道も、魔構開発者の道も、すべてが魔構で繋がっている。だから業界は同じなのだ、と卓郎は言う。
「それに、ネットや電話でいつだって繋がれるでござる」
「そ、そうだな。ははは、文明の利器とか忘れてたぜ」
「そだね」
三人がやや乾いた笑いをした。
そして約束をする。
いつか、必ず、今回完成出来なかった魔構兵を完成させようぜ、と。
そんな、少ししんみりしている三人を、ビーチチェアでまったりしていた凛が眺める。
ビーチチェアは三つ。
凛と真咲と璃摩がそれぞれ座り、傍らのパラソルの下に、弓弦と蔵人がやはりまったりしていた。蔵人に至っては、一人だけ体操服でノートパソコンをいじっている。
黒ビキニの凛、青い競泳水着の真咲、フリフリのワンピースの璃摩。
「それはない」
真咲は璃摩の水着を全否定した。
「いいネタだと思うんだけどなあ」
自分をネタと言い切る璃摩。
「ある意味、天宮には若さがない」
凛が呆れた。
「そですか? 神和先生よりも肌に張りがあると思うんすけど」
「肌の話ではない!」
璃摩の暴言に凛が無表情で即答。
「しかし、日下の決断も若さなのか?」
凛は話を変えた。
真咲がイギリスに残ることは凛も了承済。というより了承させられた。祖父に無理矢理にである。
「悪い男に引っかかりました」
「なんだとっ?!」
「冗談です」
「おいっ」
真顔だっただけに凛は引っかかり、直後の冗談発言にズルッと滑った。
真咲にしては珍しく楽しげに微笑むのを横目で見て璃摩はムッとしていた。
結局、セイジは真咲との契約のことを一切話していないし、真咲も話さない。あれほどに天宮本家に忠節だった人間がそれを曲げるだけのナニカがあったはずなのだ。
「榊君達と一緒に今日の夕方にはロンドンに行くのでしょう?」
「ええ。日崎様にはそのように指示を受けています」
(様、ね。お母さんが今回のことを聞けば、九曜・日崎に攻撃するかも?)
あながち予想で済まなさそうなのが怖い。
母はヒルメ状態の璃央より過激である。もっとも、天宮璃々をそのような人間にしたのが日崎司だと聞いたことがあり、元は今ほど過激ではなかったらしい。
璃摩が月読として今の天宮家に関わりだした頃には既に今の状態だったから、過激でない頃などは想像するしか出来ない。
「真咲は今後、星司先輩と……」
「いえ、ロンドン以降はある方の下で修行とのことです。
なんでも日崎様のお師匠様のご友人であらせられるとか」
少し楽しみです、と微笑む。
「修行、ね。学ぶことが多いのはいいことよね?」
「はい」
(くそう、ホント気になるなぁ)
精神操作でもして聞き出してやろうかとも思うが、現在真咲を庇護している甕星にはその手の魔法が効かない。一度、魅了の魔法をかけようとして酷い目にあった。それは庇護下にある真咲にも効かないため、意味がない。
この件を考え出すと苛々が募るため、璃摩は話題を反らすことにする。
「ところで、紫さんいないね」
「紫様なら梧桐殿とケーキを食べるとのことですが」
「け、ケーキ? イメージ合わないわあ」
「こちらにいらっしゃる間……といってもここ数日ですが、幾度かお二人で出掛けていたそうです」
「幸せいっぱいなわけね」
璃摩と真咲の会話に凛がうつぶせになり、弓弦があわあわしだす。
「紫様はそれほどお体が丈夫な方でもないので、そこを配慮されたのでは?
ケーキよりも海水浴の方がイメージから遠い方ですし」
神州からイギリスまでの船旅を秋に会うために耐えたものの、着いて早々気分が悪くなったため初日の宴会にも遅刻したのだと真咲は言う。
その遅刻が秋との再会を早めたことになったのはなんの偶然か。
「よくイギリスまで来られたよね」
「それはひとえに船のおかげかと」
「船、ねえ?」
これから彼らが乗って帰る存在について思い出す璃摩。
(天津神々が使用する鳥船を組み込んだ客船とか、確かにそりゃ快適でしょうよ。九曜頂の参加も神祇官用の外遊船を引っ張り出すための方便……や、紫さんが引っ張り出させたかな)
二週間近い航海は神の船の快適とは関係なく、紫には普通にきつかったようだが。
「天定がもっと有効活用出来ればなあ」
「日崎様が研究なさっているアレですか?」
「あらかじめ陣を敷いた場所と場所を繋げることは出来ても、そこを通れるのが幻獣のような魔力の構成体のみとか……」
「降臨者は可能……とういことでしょうか」
「幻獣でしか実用出来ていなくて、降臨者に関しては要実験だってさ。
まあ、下手したら死んじゃうわけだから、ちょっと行ってこいみたいなのは出来ないしね」
人間が使用出来るかどうかは、もっと先の人体実験が必要になる、と言う。
「先輩は人体実験はやる気ないらしいから、やるとしたら認可国のどっかじゃないか~、とか言ってたな」
とはいえ、と璃摩は肩をすくめた。
「幻想魔法なのは伊達じゃないってのがねー。
どれだけ陣を敷いたところで、それを効果のあるものに出来るのが今のところ先輩だけとか」
「天が定めた……つまり、神代において神々が人に与えなかった知識の一端を解明しようというのですから、手間がかかるのは当然かと」
当然だと言う真咲だが、璃摩の考えとしては、手間の内容がまったく違う。
(人が神の知識を解明じゃなくて、神の知識を持ってして、神の技を人のレベルに落とす理論を構築しなくちゃいけないってのが手間なんだよねえ)
人と神の記憶を持つ者の考えの違いである。
「お前達、真面目だな」
横からそんな感想。凛が肩肘ついて真咲と璃摩を生暖かい目で眺めていた。その目は休息の時ぐらい脳も休めろと言っていた。
「休むついでの雑談ですよー。魔法ネタが真面目だとすると、やはりここは恋バナです?!」
璃摩のちょっと興奮気味なソレに、凛が黙った。
「えー、なんで黙るのです?」
「いや、うちにいる方の天宮と同じ顔で、彼女がまったく言わなさそうな発言だったから……」
凛がハッとした顔をする。
「だからうちに入れなかったのか!」
「余計なお世話だよ!? 天宮の品格がないとか余計なお世話だよ!?」
「や、そこまでは言ってないんだが……あ」
凛は璃摩の後ろを見て口を開けた。同じ動作をしたのは真咲と弓弦。つまりは「あ」と。
「ボクだってちゃんとすれば璃央以じょっ?!」
ゴスッと嫌な音と、バタリとビーチチェアに突っ伏した璃摩の姿があった。これが漫画であれば、璃摩の頭に大きなタンコブと煙が上がっていたことだろう。
璃摩撃沈。その原因は腰に手を当て頬を引き攣らせ、右手にステンレス製のシルバートレーを打撃スタイルで握ったセイジである。
「リゾート地で馬鹿なこと叫ぶんじゃねえ。しかも二度も」
ハーフパンツにビーチサンダル、上はヒヨコ柄エプロン。
ちょうど弓弦と蔵人へと焼きそばとオレンジジュースを持ってきて、璃摩の叫びに遭遇したらしい。
気絶した璃摩の首を掴んでビーチチェアから引きずり下ろす。
「従業員確保と」
シルバートレーで敬礼。曰くの従業員を引きずって、浜辺の隅でひっそり営業する掘っ立て小屋。もとい海の家へと帰っていくエプロン野郎を、凛も真咲も弓弦も唖然と見送るのであった。蔵人だけが無言で焼きそばをもそもそ食べていた。
海の家前の砂上に璃摩を捨ててセイジは軒下に入る。
海の家では勇がシャリシャリと氷柱を削ってかき氷を作っていた。削る氷柱はセレスと綾女が海水を蒸留と浄化の共同作業で作成中。
「馬鹿を一人確保してきた。だから、キリサキは遊びに行け」
セイジに声をかけられ、勇は手を止めて顔を上げた。結構汗だくだが疲れたという顔はしていない。その視線が砂上に突っ伏したフリフリを捉える。
「天宮の次女はかなり馬鹿っぽいと思ってはいたけど、ここまでネタに走るのか」
ネタと言われて璃摩がガバッと起き上がった。
「誰がネタか!」
「実際、似合ってはいないな」
セイジにも突っ込まれて「アイター」と額を押さえる。
「姉には合いそうだが、リマにはフリル部分が邪魔だ」
「いやあ、実はボクもそうじゃないかと思ってたんですよねー」
セイジの指摘に即フリルを外しにかかる璃摩。取り外しが効くらしい。外したフリルを繋げてパレオにして付ける。
「ちなみにこの仕掛は手作りっす」
「便利そうだけどなんとなく突っ込みたい水着だよな。てか、天宮の次女さんは制服勝手に改造とかしてるよな」
「改造したら耐熱性消えたっす。御門の制服で犯した愚、再び」
この時代、学生用の夏服というのはあまりない。魔法以外の火ではほとんど煤けることさえない耐熱性を持つため、大人の世代からは夏冬兼用と見られるが、現代の学生からは耐熱性学生服こそが制服である。
「耐熱制服の発明が世界から夏服を消し去った、と我が家の大魔法使いは嘆いていたがな」
「確か、うちも数年前までは夏服あったらしいんだけどな。俺が入学する頃にはなくなってた。理由が校長の鶴の一声だったとかなんとか」
「校長?」
「当時は理事の娘だな」
「リリ・タカミヤか」
セイジと勇のそんな会話に璃摩が「ああ、それね」と口を開けた。
「我が家の鬼母が
『あの馬鹿が神州に来る前に好みのものを消し去ってくれる。まずは夏服だ!』
と、唐突に言い出して天宮学園から夏服が消えましたとさ」
「何年前の話だ」
「璃央が誘拐された年の話だからよく覚えてるかな」
「きっとその馬鹿は我が家の大魔法使いのことだろう」
「まあ、時期的にそうとしか」
「うちの父親はどれだけ君らの母親に目の敵にされているんだ?」
暗殺されかかったり一族が天宮学園に入学出来なかったりと他にも色々と、とにかく目の敵にされている理由が分からないセイジである。司は司でそこら辺は一切話さないため、対処のしようがない。
「知らないですねえ。璃央でも知らないんじゃないかな?」
「日崎と天宮の先代四方山話? 神州におらん人が知らないのは分かるけど、なんで渦中の人の娘が知らないんだ? そんなマイナーな話でもねえぞ?」
「こんなところにまさかの情報源」
完成したかき氷を御門の三人へと渡しにいくセイジ。
とりあえず、これでかき氷終了らしく、氷柱作成もこの場の冷却用に大きいのを一塊作って終了していた。
「海水蒸留とかさ、その技術だけで飯食えるよな」
勇に話を振られて、綾女は頷く。
「それは良いかもしれませんね」
ただ、と反対意見が続く。
「一歩間違えれば、下手なスチームボムよりも高威力の水蒸気爆発が発生しますから……」
「え、そんな危ないものが間近で行われてたの?!」
「魔法はいつだってどんなものでも危険ですよ。
人が幻想を制御出来て魔法が万能なものであれば、大戦などを経ずにも魔法は世に溢れていたでしょうし、そもそも、神代から現代までに科学が発展することもなかったでしょう」
「あー、まあ、そりゃな」
いつの間にか説教されていることに気づき、目を泳がせて嫌な汗をかく勇。そこら辺はよく姉につつかれた場所でもあった。
魔法は万能ではなく科学同様に万が一は必ずある。人はすぐに暴走する。人の暴走は魔法の暴走に繋がる。万が一を引き起こす可能性は非常に高いのだから、己を常に強く持てるように努力しろ、と。
もっとも、隠れ記憶持ちの勇は姉の苦言をかなり聞き流してきたのだが。
「やれやれ、これでしばらく暇になるかね」
セイジが戻ってきた。
「我々はここで失礼してもいいか?」
セイジの戻りを待ってからのセレスの問いに「悪かったな」と応じて、セレスと綾女を海の家からの解放する。二人が消えた海の家に残った三人の内、セイジと璃摩は「で?」と勇に促した。例の四方山話の件である。
「別に長い話でもなんでもないんだけどね」
勇は先に断っておく。
「天宮と日崎の先代が俺らくらいの年の頃、二人がうちの姉貴と神薙の龍兄のような関係だったけど、日崎の側がこの関係を一方的に打ち切って神州を出奔しちまったって話だ」
「タツヤとユウというと……つまり、許嫁関係だったのをうちの父親が出奔したことで破談になった。そういうことか」
「大戦以降に神祇院が九曜と定める以前からそれぞれの家が持つ能力を高めるために、血を入れるための婚姻があってさ。姉貴のもその一環なんだけど、天宮と日崎もその例に漏れなかったわけなんだが……」
ここで勇は吐息。
「日崎の先代の出奔する時に使った手段に問題があって、天宮の先代がそれに激怒したらしい。直毘衆まで使うくらいの怒りっぷりだったとか。
その一件で、天宮の先代を怒らせるとマジで殺される! が他の九曜の脳裏に刻まれたって話だ」
かわいさ余って憎さ百倍の落差が激しすぎたらしい。
「ひょっとして、九曜が呼ばれる宴で璃央に近づく人が少ないのって」
「母親が怖いから。それと、あの母にして……の思い込みもあるかもな」
「霧崎さんって璃央の先輩でしょ? 九曜のよしみで噂の否定とかしてよー」
「どんなよしみだよ。
だいたい、学校が同じだからって、噂を否定出来るほど面識があるわけじゃない。うちの書記だったら……あー」
言いかけて、勇は言葉を濁して唸った。
「忘れてた。夏休み終わる前に決めないと駄目なんだった」
「何をです?」
「いやあ……。
うちの生徒会さ。先日あった末広の虐殺事件で壊滅しちまってな」
「ネットニュースで見ましたね。姉も巻き込まれたみたいで」
どこか他人のように言っているが、勇は気づかない。帰国した時に待っていることで頭がいっぱいである。
「副会長の俺を除いて全滅とか……勘弁してくれよ、もう。書記と会計決め直すの俺とかさ」
「頭を抱えてるとこ悪いんすけど、副会長ってことは、霧崎さんが天宮最強?」
「最強っつうか、全学闘会の優勝者は俺だな」
キョトンとしてるセイジに璃摩は説明する。
天宮学園と御門学園はどちらも生徒会の決め方が同じで、生徒会長は人気投票、書記と会計は生徒会長に決定権がある。しかし、副会長は五月に行われる全学年参加の闘技大会――通称、全学闘会の優勝者がやることになる。これには体育系の部活の暴走を抑制する役割があるためである。
「書記なあ。あいつ、準優勝者だったんだけどな」
副会長、書記、会計が今期の天宮ベスト三位までで埋まっていたらしい。
「来年には本校と分校を合併するって話だから、そこらの準備もしなけりゃならんし、下手な人選出来ないとか。この際、一年からでも人気のある生徒引っ張って会長に据えちまうのも手だよなあ」
「璃央据えれば?」
「天宮ねえ。来年は天宮で決まりとか武本は言ってけどなあ」
「武本?」
「末広で死んだ書記だよ。あいつ、天宮のことは九曜とか関係なく買ってたからなあ。正確には梧桐も、だけどな」
懐、広すぎ。と勇は少し寂しげに笑った。神州に戻ってもその相手はもういないのだ。
「あ、そういや」
勇が何か思い出してセイジを見た。
「天宮と梧桐ってさ。あいつら、日崎さんに再教育受けたんだよな?」
「なんだ再教育って」
「俺らが受けたような」
合点がいって頷く。
「優秀な生徒だったぞ」
「もともと学年一位と二位だしな。じゃあ、あの二人に書記と会計押しつけるかな。決定ー」
「なんかよく分からんが重大事項に聞こえるな、おい」
「大したことじゃねえよ。一年坊主の来年が半決まりする可能性を吐露しただけさ」
それに、と捕捉。
「生徒会の仕事をまともにやって人気でも取りゃ、天宮が母親とは違うってことを内外に示せることにも繋げられるだろ。怖くなんかねえってさ」
勇は勇で彼なりに真面目に考えてはくれたらしい。
全学闘会の優勝者は基本的に馬鹿が多い。
天宮も御門も文武の両立が基本姿勢ではあるが、両立が出来ても全学闘会で優勝出来るだけの武特化の学生は文の方が疎かになっていることが多いからである。
そんな歴代の優勝者の中で、霧崎勇に至っては数少ない文武の両立者と言える。姉の教育の賜物である。
ただ、姉の教育とは関係ない部分で一つ予想外の部分がある。
生徒会長は人気投票制のため、立候補ではなく数名の推薦対象から選ばれる。
今期の生徒会長の推薦対象の中には勇も含まれ、僅差で敗北していた。この事実が後押ししたせいで、現在、遠く離れた神州は天宮学園職員室に置いて、霧崎勇に生徒会長と副会長の兼任をさせることで決定していることは、この時点ではまだ、勇は知る由もないのであった。
と、セイジのヒヨコエプロンが鳴いた。否、携帯が着信を知らせる。
二言三言会話してから切るとエプロンを脱いで椅子に掛ける。
「先輩どこいくの?」
「用事」
璃摩の問いに憮然と、不機嫌そうに答える。
「俺はこのまま学院に戻るから、あとはキリサキに任せる」
「次女さんとか妹さんとかじゃなくて、俺?」
自分を指差す勇を見下ろして、セイジは小さく笑う。
「副会長なんだろ? じゃあ、任せた」
そう言うと、璃摩と勇を海の家に残して去っていった。
セイジを見送ってから、璃摩は勇に顔を向けた。
「で、先輩は言ってないし、周りに人もいないんで聞くんですけど」
最初にそう断っておく。
「霧崎さん、前持ちですよねえ?」
「……は? ええっと」
「ボクも大して変わらないんで、隠さなくていいですよー」
「変わらんて……じゃあ、次女さんって。あれ? それって天宮家の連中は知って……」
「やだなあ、知ってたら留学なんて許すわけないじゃないっすか」
何言ってんの? と真顔で言われ、勇も「それもそうだけどさ」と自分で数秒前の自分を否定した。
「なんで明かしたんだ?」
「聞きたいことと忠告があるからだよ。大己貴殿?」
「ちょ、なんで、琴葉にしか神名言ってねえのに」
「分かるでしょ。天津と国津の違いはあっても同じ国の神族なんだから」
璃摩の発言に、勇はしばらく無言で応え、やがて吐息。
「今の神州じゃ聞くことのない言葉だな」
「そお?」
「いや、だって、神祇院つうか、今の天津神の政策じゃ国津神は労働力以外は排除の方向で、同じ国なんて言えるもんじゃねえよ」
「そういう考えはあるんだね」
「理解するには考えは必要だぜ。ってこんな話が目的じゃねえな」
何が聞きたいんだ? と璃摩に促す。璃摩はコホンと咳払い。
「現在の九曜頂・霧崎が神薙に嫁いだ後、本気で九曜頂を継ぐ気なの?」
真顔でそう聞いた。
聞かれた方は無言。面食らった様子はない。質問の意味が分からないわけでもない。ただ、そう来たか、と。
「忠告ってのは、継ぐなってことか」
「ちょっと違う。神祇院の記憶封印を受けるつもりがないなら、国を出な。これが忠告」
「姉貴にも同じこと言われたよ」
――前持ちであることは分かった。だから忠告。決めるのは勇自身だ。
どんな手を使おうが、隠すには限界がある。だから、限界を感じる前に国を出ろ。
神州だけが世界ではない。
これが家族会議で悠に言われたこと。
璃摩からの忠告とはつまり、姉と同じ内容のものだ。姉のは忠告とは違うが、言っていることは同じだ。
「いずれ、な」
璃摩に対する答は姉への答と同じもの。誰に同じことを言われても答など変わりはしない。
(龍兄や義妹予定に言われても変わらないよなあ)
そうは思うが、きっとあの二人は忠告自体しないだろう。揃ってこう言うに違いない「好きにしろ」と。
元々、九曜頂ですらなかった勇としては、姉の跡を継ぐことが乗り気ではない。神祇院に従う気もない。姉が九曜頂となる前から、高校を卒業したらやりたいこともあった。だから国を出ることは目的には一致する。だから、まだ学生の間にこの忠告を即実行することはない。
「その気があるなら構わないよ」
「姉貴なら分かるが、なんで次女さんが?」
そんなことか、と璃摩は少しだけ目を伏せた。
「霧崎さんが死んだら悲しむ人がいるとして、多分、その人が悲しむのを嫌がるんだよ。ボクの好きな人はさ。そんだけ」
「それって」
それが誰かを聞こうとするが「りまっち、みっけたー」と雛が璃摩の背中にダイブしてきたことで、その機会はなくなった。
留学生達が帰る予定まで、あと一時間。
学院グラウンドにて、セイジは琴葉と共に、秋に呼び出されていた。
セイジは腕を組み、琴葉は腰に手を当て、秋と相対する。その様子を離れて木陰から心配そうに見つめる紫の姿があった。
「プラスマイナスゼロ、ね」
セイジは秋からの話を聞き終わって呟き、溜息を吐いた。
「他人を分析出来る人材と会えたようではあるが、そんな秋に聞く」
前置きはそんな言葉。続く言葉は一言。
「お前はそれで納得したのか」
それは厳しく、冷たく、秋に突き刺さる。
人から言われた内容が正解だろうが不正解だろうが、お前はそれを信じて納得したのか、と。
(助言者は十中八九、ヒオウイン。こいつがその言葉を信じないはずがない)
セイジの予想は寸分違わず正鵠を射貫いていた。
秋が紫の言葉を信じないはずがない。紫への信頼はここ半年におけるオリヴィエへの信頼を軽く凌駕する。それくらい、一年の頃から文通している姿を見てきたからこそ、よく分かるというものだ。
「俺が知るお前らと紫の推測が合致したから俺は納得した。だから!」
秋はその場で土下座して頭を下げた。
「本当にすまなかった!」
土で汚れるのも厭わず頭を地に擦りつけるその姿に、二人はしばらく無言で見下ろしていたが、やがて琴葉は吐息を一つ。
「私は許すわ。
プラスマイナスゼロ。それは間違いなく、私の解答だもの」
土下座は予想外だったが、ガーデンの件における落としどころは秋が自らの間違いを理解して謝ること。ただその一点だった琴葉は一抜けと、秋との相対を解いて少し離れた。
(セイジも私と落としどころは同じはず。でも、違うところがあるとすれば)
ただ一点、セイジと琴葉とでは違う点がある。それは琴葉にとっては非常にむかつくことではある。
「やっと理解してくれたようで良かったよ、シュウ?」
そう言われて顔を上げた秋は、セイジを見上げて、顔を引き攣らせた。目が笑ってない。
「理性的とかそういう判断をしてくれることは嬉しい。感謝する。ありがとう。
だがな? 俺でも理性をぶち抜いてキレることもあるんだぜ?」
もっと言うと、と付け足す。
「琴葉はプラマイゼロかもしれないが、俺は……マイナスだ。分かるよな?」
セイジの評価をマイナス割れさせた原因。それは悩んで答を引っ張り出すまでもない。
「アリ……シア……?」
「正解だ。ご名答。ほら、拍手は必要か?」
まあ、立てよと秋を引きずり立たせるセイジ。
秋は今回の謝罪で見事正解を引き当てた。
まず三人の間に漂っていた微妙な空気を払拭した。そして、琴葉の許しを得た。と同時に、セイジが理性で蓋をしていた感情部分を引っ張り出した。
つまり、怒りによるマイナス点だ。
「殴るくらいされると思っていたんだろう?」
「あ、ああ」
「喜べ、一発だけ殴ってやろう。間違いを自覚したお前は殴る価値が出た。自覚したからこそ殴られる理由、原因は理解したな?」
言いながら、左の蒼珠を右に装着し、ガントレットをオーバーガード状態で出現させる。
「仲間を護る。その判断は正しい。しかし手段を間違えた。それも正しい。ここまではプラマイゼロ。琴葉と一緒だ。
けどな?」
区切り区切り言いながら、左手を振ると秋の身体が琥珀の光によって空間に固定されて身動きが取れなくなる。
「えちょ……一発?」
「ああ。一発だとも」
右手を左肩に添えて一言。
「シフト」
「なんで殴るのに転神するんだ!?」
「貴様を殴るために決まっているだろうが」
何を言っているのか? 真顔で答えられ「ああ、そうか」と納得しかけ「いやいやいや」とそんな自分を否定する。
そんな秋を視る。
(心臓に呪詛。これか)
話は琴葉から聞いている。
紫の煎じた魔薬によって動作は鈍く、力も弱々しいが消えずに残っている。だが、力が弱かろうが鈍かろうが、間違いなく、杭だ。
「アレは貴様を責めまい。ただ、責を負った心を表に出さず時間をかけて責を解す。そういう女だ。
他者を責めない。それこそが騎士の美徳と信じる馬鹿者だからな。それは違うといくらロウが治そうとしても、そこは治らなかった」
だがな、と。
「アレが他者を責めなかろうと、アレの心に責を負わせた貴様を俺は許さん。
生憎、貴様の行動の結果に負傷した痕は治癒によって完治している。そこは許して、ただの一撃で済ませてやる」
握りしめたガントレットが黄金の燐光を帯びる。
それを見て、琴葉が後ろの方で噴いた。
(シフト状態で亜神化?!)
セイジがそれをするのを、はじめての目撃となる。
琴葉は思考能力、演算能力の向上でこれを行うことはある。しかし、保って三分程度。やった後は何も手に着かなくなる。リスクが大きすぎるのだ。
亜神化とシフトの併用については研究はほとんど進んでいないため、リスクが大きすぎる以外にはあまりよく分かっていない。
一つ言えるのは、すごい痛そう、である。痛いで済めば良いが……。
「一発……一発か」
秋は観念して、歯を食いしばる。その眼前で、腰溜めに拳を構える姿がある。
一発殴って終わり、ではなく、一撃ぶち込んで終わらせる。そんな感じの気迫を感じて、秋は目を硬くつぶった。
そして放たれる、激怒の一撃。
ズドンッ!!!!
明らかにパンチでは済まない打撃音。揺れる学院。空間に繋がれて吹き飛ぶことも出来ず、心臓にオーバーガントレットの一撃をめり込ませてひしゃげる秋。
「ぐっふぅっ」
繋がれている、腕が千切れる。足が千切れる。そんな感覚。否、そんな感覚ですら幻想。秋に意識はなかった。今確実に、秋は殺された。
目を開ければ左胸には肉も骨も残ってないんじゃないか、そういうレベルの一撃が貫通したのだ。
琴葉は視た。
一撃が秋の心臓から一時的に魔力を根こそぎ奪い、縫い止めるべき心を失った杭は表面化。その瞬間、撃ち抜かれ粉砕したのを。
腕を戻す時の揺さぶりで秋が心停止から回復する。ガラスの割れる音が響き、秋の身体は解放されて前のめりでグラウンドに落ちる。
(なんて、でたらめ)
五年ほど出ていた間を除けば、ほとんど一緒だった幼なじみがはじめて見せる激怒。そのデタラメさに、さすがの琴葉も扇子で口元を隠すのも忘れて呆然。
呪いは対象の魔力に巣くう病巣である。対象の魔力が失われた状態――対象が死ぬことで巣を失って呪いは逃げる。
セイジは呪いの巣くう先である魔力を根こそぎ、無理矢理位置をズラすことで、ハシゴを落として呪いを現出させて破壊し、ズラした魔力を即戻した。
治癒魔法を修める者の目から見て、力業過ぎるデタラメである。
ただ、呪いは破壊出来ても、物理的に与えたダメージがなかったことになるわけではない。
秋はピクピクと震え、泡を吹いて白目を向いたまま起き上がってこない。
この日、この一撃により、梧桐秋が負った怪我。胸骨肋骨粉砕、手足の筋断裂、鞭打ち。
「この世には、怒らせちゃいけない奴がいる」
後に秋は真顔でそんなことを語ったとか。
ともあれ、セイジは長く息を吐いてから秋に背を向けて、蒼珠を左に戻す。シフトも亜神化も一撃を入れた時点で解けていた。
「琴葉、治癒を頼む」
肩をすくめ、秋の傍らに膝をつき手を当てて一言。
「秋じゃなかったら死んでるわね」
これに対して、セイジは鼻を鳴らす。
「シュウじゃなかったら、殺している」
後は頼んだ、とその場を後にする。
激怒の現場が見えなくなった木陰で立ち止まる。
「辛いものを見せたか?」
相手は着物の裾をきつく握りしめた紫。紫は頭を振った。
「あの方の心が解放されるのでしたら」
実際の様子とは裏腹な言葉に「そうか」と応じる。
「あの日、君に頼みに行ったのは間違いじゃなかった」
セイジは神州へと帰る直前、京都の九曜・緋桜院を訪問し、そこで紫に秋の現状を話した上で、短期留学へと参加するよう依頼したのだ。つまり、この留学での出会いが初見ではないということになる。
「ガーデンの一件がなければ、話はもっと簡単だったかもしれないがな……」
しかし、それはただの不運でしかない。言っても仕方がない問題だ。
「九曜頂・日崎様があの日いらっしゃり、今回の留学にお誘いしてくださったことには、とても感謝しているのです。この留学がなければ、私はまた、いつ秋様にお会い出来るか分かりませんでしたから」
「ふむ。初見では、シュウには過ぎた相手と思ったものだが、いや、よく似合った相手だと考え直される」
梧桐秋という存在をサポートする存在としては、緋桜院紫はお似合いだと評する。評された方は口元を裾で隠し目を笑みに細めた。家柄で不釣り合いだと言われることが多いだけに、個人を見て似合いと言われるのは素直にうれしい紫であった。
マラザイアンへの橋で、朱翠はラフィルと二人で、ロンドンまで列車の個室を共にする旅の道連れを待っていた。手には修理が終わった翠凰の姿がある。
そこに真咲を連れたセイジがやってくる。
「今回のドイツ行きは例外としてクエスト扱いにしてもらえるようになったから、単位は気にしなくていい。いや、ラフィル、そんな目を輝かせたところで戦技の単位は増えないぞ」
突っ込まれたションボリと羽が下がった。
「で、ロンドンの……えと、シュスイが最初にいた治癒魔法研究所な。君らはあそこに向かうように。ノイエまで輸送してくれる足が待っているはずだ」
「足ですか?」
「シンカイの運び屋だ。彼ら……まあ、奇っ怪な連中だから見ればすぐ分かるだろ」
ラフィルに答えてから「で」と真咲を示す。
「シンカイと一緒に待っている人がいるから、彼女をその人へと頼む。目印は腰にぶら下げた大きな十字架だ」
「アポストル」
「元、な。まあ、向こうはシュスイの父親を知っているから、向こうが気づくだろ」
朱翠の頷きを待ってたラフィルが「では、行きましょう」と羽を動かした。
「さっき渡した紹介状はちゃんと渡せ」
「テイラー・ホーキンスさん、ですね?」
「そうだ。十字架を持ってはいるが、およそ聖職者には見えない人だから、まあ、初見でびびるなよ?」
どんな人なのか。真咲のみならず、朱翠とラフィルまで想像してしまう。
「では」
「ああ」
挨拶はただそれだけの短いやりとり。
三人が橋を渡りきり角を曲がるのを確認してから、セイジは船着き場に向かう。そこでは留学生達が外遊船に乗り込んでいるはずだからだ。
船着き場では、ちょうど凛が祖父に挨拶を終えたところだった。
蔵人と弓弦は既に外遊船に乗り込んでいるようだ。
「九曜頂」
修理された雀艶を背に担いだ夏紀が近寄ってくる。
「二週間、よくがんばったな」
セイジの労いを受け、目の前で止まる。
「自分は九曜頂の望むレベルになれましたか?」
その問いに、フッと口の端を歪ませる。
「まだだな」
否定されて肩を落とす夏紀。そんな夏紀の膝を後ろから蹴って「まだだってよー」と雛が笑った。
「仲良いな、本当に」
「まあ、幼なじみだからねえ」
「それだけか?」
「そ、それだけに決まってるじゃん!?」
「そういうことにしておこう」
くくく、と喉を鳴らすセイジにムキーと憤慨する雛。その雛の頭をポンポンと撫でる。
「総合的に見ればまだまだだが、キリュウは戦技、ミズシロは魔法でそれぞれに良い感じ、つまり、二人合わせれば一人前だ」
「二人前じゃないのかあ」
「そうなりたければ、帰っても精進しろ。船の中でも魔力制御は出来るからな」
「それはもう、もちのろんっすよ!」
えへへ、と笑む雛から視線を上げて夏紀を正面から見つめる。
「シュスイと相打ちが出来るくらいになったなら、おそらく、神州で相手になる奴はあまりいないだろうが、カトウとなら……」
「嘉藤は確かに強いですね。不気味な刀を持っていることには驚きましたが、ああいうのを制御出来るというのはすごいことだと」
「彼はもっと強くなる。シュスイとの一戦は武器の差に過ぎないからな。
だから、カトウとは仮想シュスイとして訓練が出来るはずだ。向こうとしてもキリュウは良き相手となるだろう」
「精進します」
「それと、なにやらレンの奴がその槍を強化したいと言っていたが」
雀艶を指して言う。これには夏紀も頷いた。
「おっしゃってましたね」
「既にどこか弄られている可能性もあるが……」
「あ。それでしたらこれかと」
穂先のカバーを外し、セイジに見せる。
マテリアルをはめ込む台座部分が見覚えのある姿になっていた。
「これは……スイオウ……いや、マテリアルハンドの? ということは」
雀艶を借りて柄を調べるが、こっちは"まだ"弄られていなかった。
「あいつ、何か言ってたか?」
「魔匠御影の開発部門に槍を持っていくように、と。雀艶は元々、御影製ですから修理のためかと思ったのですが」
「何かあるな。
とりあえずコレはな、スペルではなくテックの分野のまだ試作段階なんだが、魔鉱の制御と同様に使用するんだ。集中すべき箇所は台座部分だから間違えるな」
「台座が魔構なのですか?」
「そういうことだ。慣れれば、半永久的にマテリアルの補充がいらなくなる。というコンセプトで生み出された代物だ」
そうだな、と付け足す。
「まずはこれを使いこなすことを目指せ。課程でどうしても行き詰まったら、いつでも俺に連絡をしろ。セツナでもいい」
携帯の番号を交換し、最後に「まあ、よくやった」と二人を船へと送った。
セイジが分家の二人と話している頃、大量に食料の入ったリュックを担いだ卓郎を船に押し込めた進は、桟橋に来ていたミィルの前へと戻ってきた。
「あの設計図さ。結局、二週間じゃ完成しなかったけどさ」
拳をミィルの前に突き出し
「いつか絶対、完成させようぜ!」
そう言って、滅茶苦茶楽しそうに笑った。
ミィルはその笑顔に息を飲み、少し泣きそうになったが、堪え、自分も拳を突き出して進の拳を小突く。
「絶対だね!」
そう言って、自分も思いっきり楽しそうに笑った。
この約束が果たされるのは、まだしばらく後の話になる。
真咲の代わりに紫の荷物を持った勇は乗船する途中で、セイジと目を合わせ会釈を交わす。挨拶はそれだけ、もう、十分に話した。それが互いに思うこと。
そんな勇の首には金鎖が見え隠れする。
セイジからもたらされた指輪は今、勇の胸元でペンダントとして揺れていた。
勇の姿が船の中に消える頃、秋を乗せた車椅子を押して琴葉がやってくる。
(なんで車椅子?)
それがグラウンドの一件を知らない面々が思ったこと。
半日見なかっただけで、結構なボロボロ具合である。
紫との間に何かあったのかと考える者もいるが、紫に他人を怪我させることが出来るとも思えないとその考えは即否定される。
そもそもこの後に展開したものを見て、不仲説など吹っ飛んだ。
紫から秋に口づけをしたのだ。
それは、立派な成人女性である凛でさえも赤面するほど長い口づけだった。
琴葉は二人から目を反らし、反らした先でセイジと目が合う。
肩をすくめてみせれば、しょうがないという風にセイジは小さく笑みを作り、その笑みに琴葉はそっぽを向く。やや、頬が赤い。
どちらからともなく身を離すと、紫は幸せそうに笑って「今度は秋様が逢いに来てください」と言い、秋も照れくさそうに笑って「当たり前だろ」と応じた。
別れの挨拶はない。
紫が乗船し、最後に凛が続くと第一回短期留学(仮)の人員は日下真咲を除いて全員が乗船したことになり、臨海学校は終了である。
船はミスロジカル魔導学院を離れ南南西に向かって進んでいく。
船を見送っていたセイジは、船とつかず離れずの位置を進む存在に気がつく。
魔女から船を護衛するよう指示を受けた存在である。その話は聞いていた。
(まあ、来る時と違って、船にいるのは鴨ではない。よほどのことがなければ護衛も出る幕はないだろ)
正直なところ、彼らの成長には目を見張るものがあった。その実力は今の神州に波紋をもたらすだろう。小石ではなく大岩の一投を。
「楽しそうね」
「まあな」
自然笑っていたらしい、琴葉に聞かれ素直に認める。
「さて、明日から暇になるな」
工房にでも籠もるか、と踵を返すセイジ。
後に続こうとした琴葉に
「どうでもいいが、放置しないでくれ。海に落ちそうだ」
秋の弱気な声がかかり、琴葉はやれやれと肩をすくめて車椅子の背後に戻るのであった。
短期留学生を乗せた船が赤道にさしかかった頃の神州――和歌山県某所において、璃央は人気のしない旧家屋敷の居間に立って呆然としていた。
表札は『日下』。
「駄目ですね。両親だけでなく、お側衆の姿もありません」
真咲をそのまま大人にしたような凛々しい女性、烈士隊海軍所属の日下咲良中尉は頭を振って戻ってきた。
近江の魔構研究所では、日下遊馬と会いはした。遊馬の姿をしたまったくの別物にだ。人ではなかった。人を模した下級天使が遊馬のフリをしていたのだ。
次いで日下家に来てみれば、一族郎党の存在が確認されない。
真咲は京都天原学園の学生寮に住んでいたため、実家の様子などは知らないだろう。
「自分も実家にはあまり帰省しないのですが、これは一体……」
呼び出されてみれば実家を調査するという九曜頂の言葉に従って、現状を目の当たりにしたのだ。混乱してもしょうがない。
「中尉が長男の日下遊馬と最後に会ったのはいつですか?」
問われ、一個上の兄を思い出す。
「昨年の初夏に……ええ、六月に真咲も含めた三人で」
「変わったことは?」
「兄は元々変人ではありましたが」
そこまで言って「あ」と漏らす。
「装飾品を身につけない兄が銀の十字架を手首に巻いていました。新しい趣味と言っていましたが」
おそらく、その時には既に、日下遊馬は変質していたと見るべきか。
まだ他に探すと言う咲良と別れ、専用リムジンの中で璃央は思考に沈む。
(彼はある程度予想して真咲を帰さなかった?)
――天津神に対してなんの遠慮も持たない存在
(甕星は私達のような天津神相手には何の遠慮もしない。それは確か。でも……)
何かのヒントにも聞こえる。
日下遊馬は、九曜・天宮の分家だろうと関係なく別の場所へと行った。別の場所とは自分達以外の膝元だ。遊馬の件は別方向から考えれば、自分達以外に持っていかれたようなものとも言える。
真咲はちょうど、セイジの言う通り、自分達に遠慮のない相手に持っていかれたのだ。遊馬もまた同じだ。
(他にもいる?)
九曜本家だけではない。神祇院の目も行き届いていない場所で、知らず知らずヘッドハントされている可能性を推測する。
九曜の関係者が他に行けば、古来より代々受け継がれてきた知識の漏洩にも繋がる。早急にも他の九曜と共に調べる必要があるのだが、問題は、どこと連携を図るかである。
日崎、神薙、霧崎、緋桜院はそれぞれ頂がいない。
かといって、あの倉庫の一件以来、天宮を警戒する長男を有する不破は外す。
残った鏑木、久我、祠上の内、久我は先日、頂がどこかに旅行したと聞いて以来会っていない。祠上ははっきりいって何を考えているのか分からない。
(やはり鏑木しかない)
鏑木弦遊。九曜頂・鏑木である老人だ。大戦前は政財界の黒幕とまで言われた人物である。
あまり気は進まないが、他に手もない。
東京に戻り次第、鏑木家にアポを取ることにした璃央であった。