試合
神薙夫婦(予定)が学院を離れた日の夜半。
グラウンド隅で鍛錬代わりの薪割りをしていた朱翠は、視線を感じて鍛錬を中断する。
服装は制服。
汗をかかずにやることを前提とした鍛錬のため問題はない。
「小山が出来るくらいやっても、本当に汗一つかかないんだな」
だから、このように話しかけられても問題はない。
声は背後から。
振り返れば、寝間着なのか、甚平姿の嘉藤勝利が壁に寄りかかっていた。
「いつから」
気配を感じなかった。
「それだけ集中してたってことか。隙だらけだぜ?」
――自己鍛錬で集中するのはいいことだけどよ? 平時じゃなかったら斬られて終わりだぜ。
かつて、神州で聞いたことのある言葉がよぎり、一瞬、身体が緊張する。と同時に目の前の少年がフッと小さく笑ったような気がした。
「ま、鍛錬に集中出来るってのはいいことだよ、本当」
そう言った後に「俺は無理」と来る。
「この留学で周りに合わせて強さを求めてもみたが、やはり無理そうだ」
留学生仲間といる時よりも若干砕けた物言い。
しかし、朱翠はこの物言いにこそ、この少年にしっくり来る。そう思うのは、やはり面識があるからだろうか。
「そうだろう? お前だってそのはずだろう?」
実際に剣を合わせたことはない。
「髪の色変えたり、色に合わせて服装変えようが、例え剣の型を違えようが」
木刀でも真剣でも、いつだって彼と一合も交えずに済んだ。
「あいつを失った思いは同じはずだよなあ?」
あいつ……武本梢がいたからだ。
寄せた心に違いはあっても、喪失から生じる結果は同じはずだ、と勝利は謳う。
そう。
朱翠はこの嘉藤勝利と面識を持つ。
あの紅蓮の日に失った人を接点にしての面識を。
武本俊太郎の名前と共に持つ接点を。
秋相手には通じても、こちらには通じなかったようだ。
(甘かったか)
僅かに後悔。
「なんでお前はあいつを失って尚、力を鍛えられる?」
「報いのため」
たった一言。
この学院の者なら、ここに来てからの朱翠を知るから、彼が長く話さないのを知る。だから不思議ではない。
しかし、朱翠の過去を知る者なら?
「あの宴会の時からそれに騙されたが、そのしゃべりは舐めているのか?」
そうは言われても困る。
「報いのためだ」
再度答を口にする。
「侍は恩に報いる者」
今度はちょっとがんばった。
「お前が受けた恩は、あいつより重いってことかよ」
「それは」
違うと言おうとしたが言葉には出来なかった。そもそも、比べるものでもない。
勝利は口を閉ざし、奥歯を噛みしめた。
「お前さ、あの日、道場にいたんだろ?
道場で死んだことになっているお前が、いなかったはずはないよなあ?」
少し笑いを貼りつけて、それを聞いてくる。
朱翠は勝利の様子を疑問に思いつつも素直に頷いた。
神州の公式記録では死亡になったことは、後日、司からの連絡で聞いている。
「なんで、お前、生きてんの?」
それは助けられたからだ。
「なんであいつが……」
朱翠に向かって一歩踏み出した勝利は言葉も足も止める。
パタパタとそんな羽音を聞いたからだ。
舌打ちを一つ。
身を翻して、姿を消した。気配一つ残っていない。
音の主は朱翠の近くに降り立った。
「ごっはん~♪ ごっはん~♪」
ラフィルは降り立ってすぐ、手提げ袋からパックされたおにぎりを朱翠へと差し出す。
ラフィルのご飯ソング(時間的には夜食)で、殺伐としかかった空気が消え去った。
「朱翠?」
ふと、ラフィルは朱翠を見上げて、首をかしげた。朱翠はまだ、勝利がいた壁を見つめたままだった。
ハッとして、下を見る。心配そうなラフィルに、眉尻が下がる。
「もらう」
そのたった一言で、ラフィルの表情が心配からうれしいに変化した。
まだ付き合いは短いが、この天使娘には癒されている。
そのことは、ちゃんと自覚している。
手斧を片付け、手を洗い、パッケージを受け取る。
セイジが鍛錬後の夜食用に作っておいてくれているものだ。
どうも、今は、和食の練習をしているらしく、米が余ると言っている。ついで、とは言っても具材が在り合わせではないから、ついではフリだろうとラフィルは言う。
ガツガツと勢いよく、食べ尽くす。目の前に、湯気を立てるホットの緑茶が差し出された。
最初はキンキンに冷えた緑茶だったが、留学生勢におにぎりには熱いお茶だと突っ込まれてから、ホットに変わったという経緯がある。
茶を飲み干して、一息ついた。
「~~♪」
ラフィルが歌う。それは天使の歌。治癒でも聖歌でもない、ただ気の向くままに紡ぐ音。
透き通るような真っ白な翼が開かれる。
勝利が寄りかかっていた壁に、今度は朱翠が寄りかかる。
腕を組み、天使の歌声に耳を傾ける。とてもよく落ち着く。
(嘉藤勝利、か)
初見はいつの頃だったか。
梢に連れられて行った御門学園中等部の剣術道場で会ったのが最初だったはずだ。
同い年ですごく強いのがいるから、腕試しをしてこい。そんなことを言われてのことだった気がする。
不良の問題児だが、剣術道場では敵なしの学園期待のホープ。
学園の期待さえなければ退学になっていてもおかしくないような同い年。
母親が彼のことを知っていた。確か「嘉藤さんの息子さん」と懐かしげに語っていた。
気がつけば歌が終わり、ラフィルは翼をグッと伸ばしていた。あれが天使のノビだ。義妹も時々やっていた。
「帰ろ」
ラフィルの言葉にコクリと頷いた。
翌朝、秋が唐突に訪ねてくることもなく、普段通りの朝を迎えた。勝利は朱翠のことを秋には話していないようだ。
普段通りではないとすれば、二日ほど前にホリンに連れられて学院を出ていた夏紀が帰ってきていたことくらいか。
短期留学生達が神州へと帰るまで、あと五日。授業は残すところあと四日である。
第三学生寮談話室に、セイジと朱翠と、病み上がりなのに元気な璃摩が三人でテーブルを囲んでいた。
「魔鉱はどれくらい進んだんです?」
「起動、追加の基礎と応用、あとは拡散基礎だな」
追加は自身の魔鉱剣の魔鉱を他から持ってきて追加していく方法だ。
最初は制御の魔構がなければ、追加することもままならないが、完全に慣れれば宝石化した鉱石でさえも支配下に置けるようになる。
拡散は支配下に置いた鉱石を砂状などに形態変化して隠匿する術である。
「応用まではやらん。そこは自身で到達してこそだ」
実際、拡散の応用に関しては教科書は存在しない。
到達している者が少ないということもあるのだろうが、魔力操作の最終形態とも言われるだけあって、他からの教授は推奨されていないのである。
「追加習っても、戦闘に耐えるだけの武器化が出来たのはいないんですよね?」
「さすがにな。
武器以外でなら、レンの工房に入り浸っている連中が魔鉱間リンクに到達しているくらいだな」
「それって、すごいことなんじゃ」
「すぐにでも魔構の企業から呼び声がかかってもおかしくはないレベルだな」
卓郎と進をベタ褒めである。
「まあ、どこかの誰かさんが、俺の鍛錬法を撒き散らしたのも原因なんだろうがな」
「藪蛇!?」
椅子の後ろにババッと隠れた璃摩に「怒ってはいない」と告げる。
結果として、璃摩のうっかり行為は留学生達のレベルアップに繋がっており、それはセイジが望んだ通りのものに近づくことになったのだ。
「さて、そろそろやろうと思うんだが、どうだろうか?」
セイジの「どうだろうか?」に朱翠が頷く。
「雛となっちゃんねえ」
雛は源理の使い方がかなり上達した。
水が得意と言ってはいたが、不得手で口にさえしなかった火も若干使えるようになり、水城家の人間が本来得意とする水蒸による幻術魔法のレベルが上がった。
夏紀は元々、セレスからもホリンからも良い線行っていると言われていたが、ここ数日、ホリンに連れ回されたせいか、戦闘以外での魔力の使い方が異様にうまくなった。それは戦闘中での使い方も上達したことにもなる。
「今なら、そうそう死なないはずだ」
「そうですねえ。先輩が転神さえしなければ、かなり楽しいことにはなりそうっすね」
悪巧みではない。
『留学生達の上達具合を計って、学院側が少し本気で相手をする』は、はじめから決められていたことであった。
「榊君もなっちゃんとやりたいんです?」
「マルキス先輩と違う」
ホリンと夏紀では使っている槍のタイプが違うから、と。
「意外に腕試し好きだったかー」
イメージ崩壊だよ、と璃摩は何故か親指を立てた。
「で、一体どういう組み合わせなんです?」
「俺とシュスイがキリュウとミズシロを受け持つ。リマはコトハの従弟だな」
「ほうほう。弓弦ちゃんですな」
ちゃんは可愛いかららしい。本人はかなり嫌そうではある。
「あと、シュウがカトウとキリサキ弟。ホリンがナギハラで……」
と組み合わせを告げていく。
魔法関係は基本的にはセツナが受け持つため、雛は特別とも言える。致死率が。
「真咲は?」
「彼女は君」
「えー」
璃摩は『д』←こんな口をして脱力した。
(多分、リマじゃ満足出来ないんだろうな)
挑まれた勝負は未だしておらず、最後のお試し以降に必ず発生するイベントだと自覚するセイジである。
「いつから」
「早ければ今日には」
朱翠の問いに即答するセイジ。
「向こうの教官には昨晩の時点で話が行っている。今朝方にはもう組み合わせのことも話しているんじゃないか?」
いざという時の治癒もあるため、魔法戦が先で戦技戦が後になると予想される、とも言う。
「と、いうわけで、そろそろ文」
「くよーちょー!!」
バーンッと雛が談話室に降臨した。
「句が飛んできた」
セイジの予想通り過ぎて璃摩が腹を抱えた。
今回のお試し戦では、紫と卓郎と蔵人が戦闘系ではないため免除となっている。
今、地下闘技場ではセツナと綾女による、かなり本気な戦闘が行われており、学院全体にドカーンとかバリバリバリとか物騒な音が響いている。
セイジは屈み込み、ひたすら地下闘技場の結界を強化し続けていた。
頭の向こうでは、すさまじくレベルの高い魔法戦が繰り広げられていた。
「クリムゾン・フレア!」
「アブソリュート・ゼロ!」
超高熱と絶対零度が地下闘技場の中央でせめぎ合う。
どう考えても、学院指定第七階級同士のせめぎ合いだ。
中央は戦場。
綾女は右手でクリムゾン・フレアを支えながら、二大魔法の接触で今にもスチーム・ボムが起きてもおかしくない魔力の渦に左手を突っ込む。だがそれは、セツナも同じ。
奪い合いである。奪うのは共に、風。
綾女が奪う対象を増やす。
炎が巻き起こす炎熱の風。火を構成するのは熱と風である。
(この子、合体魔法もやるの?!)
セツナは自分がやるからこそ、その難しさも威力も熟知する。
(早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く!!)
マテリアルよりも濃い衝突の魔力から必要な分の風を抜き終わり、同時に練り込みも終了。
「「ストーム・バーストッ!!!!」」
セツナが使うのとまったくの同タイミングで、同じ魔法が使用される。
「あ」
セイジが一音発した。直後、パリンッと結界が割れた。
地下闘技場全体に吹き荒れる、高低の熱の暴風。
長いようでいて短い暴風が収まると、中央で目を回して倒れる女傑が二人。
セイジは周囲の暴風をマテリアル化したおかげでなんとか無傷で済んだ。
「まったく、セタが高能力過ぎて焦ったな」
兄は妹のミスに早くも気づくのであった。
セツナはセイジが引き取り、綾女はセレスが引き取って、この戦闘は終了。今頃は、外で璃摩と真咲がサバイバルバトルの最中であろう。
魔法戦をする数が少ないため、射撃戦も今日に組み込まれたのだ。しかも、二対一。
「いいのか?」
セレスが天井を見上げて言う。璃摩のことだろう。
「リマには本気でやれと言ってある、問題はない。ただ……」
「む?」
「いや、なんでもない」
真咲がただの魔銃を使うかぎりは、問題ない。
真咲が降神器使いであることは、彼女の家の本家に当たる璃摩が知らないことはないだろう。互いに知らない情報があるとすれば、璃摩が記憶持ちでシフト可能の存在であることか。
(まさか、本家の人間に降神器を使用したりはしないだろう)
セイジの予想通り、璃摩は問題なく真咲と弓弦を気絶させて戦闘を終了させていた。降神器が使用されることもなかったという。
しかしそれは、真咲が本気を出さなかったということである。
お試しの本番を翌日に控えて、前夜祭とも言えるこの日は終了。
そして、朝を迎える。
青い旋風に勝利と勇が弾き飛ばされる。
柄による殴打は二人の剣士をまとめて飛ばし、浮いたところに、胴体を軸に遠心力で速度を増した刃の峰が襲いかかる。
「ちぃっ!」
勇は空中で勝利を蹴り、反動と腹筋で無理矢理バランスを調整。離れた二人の間を豪風と共に刃が通り過ぎた。
ドガガガッッッ!!
グラウンドに峰がめり込み、大地が割れる。まともに食らえば峰打ちで死ぬ。
恐怖心など持つ暇はない。
着地した二人が揃って、手甲を鞘代わりに円を描いて秋へと抜刀の一閃を叩き込む。割った地面に武器を食い込ませる今が狙い目だ。
勝利も勇も速度は必殺。
(とった!)
共にそう思った二人の耳は、キィンッという金属音を捉える。音と共に腕に衝撃。当たったのは地に垂直に突き立つロンパイアの刃。秋の姿がない。
秋の姿は柄頭の上に片腕で逆立ちをしていた。
柄頭から弧を描いて下りる反動を利用して柄を蹴り飛ばし、地から刃を弾き出す。着地して止まらず、勢いのついたロンパイアを振り回して横に一閃。
二人の剣士は撃ち飛ばされて城壁に叩きつけられた。が、勝利は叩き付けられる直前、絶妙なバランス感覚で空中ターンを行い、壁には足から接地。グッと足をバネにして衝撃を吸収させ、折れて逆間接になった左腕は垂らしたまま、刀を右で操り前にかざす。
鍔に組み込まれた黄石が光を放って消えていき、勝利の前に爪状岩が出現。
「一意穿石」
壁を蹴り、矢となって秋へと飛ぶ。
終わらない秋の連撃。
二人を薙ぎ払った時よりも強い暴風を生み出す破壊の塊が、岩爪の矢と衝突した。
生み出される均衡。だが、一瞬一瞬で爪が暴風に削岩されていく。
「ぬぅ、エンチャント……パワァァァ!!」
強化される筋力で、全力で無理矢理振り抜く。飛散する石礫と打ち抜かれる勝利。
暴風が止まる。
残ったのは、肩で息をする秋と地面に倒れて「降参」と呟く勝利。壁で「無理無理」と手を振っている勇であった。
(やっぱあれか? 姉貴が言うように"前"と同じ身体を目指して鍛えた方がいいのか?)
姉が家族会議で言っていたが、多くの転生は"前"の身体に近づくように鍛えるのだという。一致すれば、転神のリスクがなくなるし、なによりこっそり転神しても外見でばれないとか。
ロンパイアを下ろした秋を眺めて思う。
(とりあえず、アレを半神化させられるくらいには鍛えるか)
半神化を使わずに二人を撃破した秋は倒れる勝利を、鋭い目で見つめる。
(なんだこの微妙な手応えは? まるで暖簾じゃねえか)
腕は勇を巻き込んだからへし折ったようなもので、それ以外の衝撃はどこかに逃がしたのだろう。
(こいつらはどっちも本気を出しちゃいねえ。どういう内容であれ、奥の手がありやがる)
城壁上には超鬼ごっこの時のように十四期生達が観戦しているが、その誰もが、留学生の二人が本気でやっていたように見えた。見通しが甘いのではない。この二人の隠し方が巧妙。
自分の中にリミッターを作って、その中で本気だった。そんな戦い方だ。
そこに気がつく秋も秋だが。
「ま、なんであれ……」
吐息。
「最後のは良かったと思うぜ」
秋の賛辞に勝利は「そりゃどうも」と応じた。
セレスは無言で正面の少年が手にする武器を見つめた。
薙原進が手にするのは、なんというか……箱? だろうか。
鋼鉄の槍の中程から先端まで箱がかぶせられ、穂先が杭。槍の柄と箱の内部に組み込まれたトリガーを掴んで振り回している。
セレスの木の棍は中程で砕かれている。これはあの杭を防ごうとしてやられた。防いだ瞬間、撃ち出されたのだ。
(なんだ、あれは)
パイルバンカーなどという武器の存在を知らないセレスは驚愕を持って進の武器を見つめていたのである。
あとで他から甘いと言われるかもしれないが、セレスはここで降参をした。
セレスの中では武器破壊は十分賞賛に値している。文句を言われる筋合いはないのである。
勝利は城壁の上を歩いていって、今回の治癒班の居場所へと向かう。
場所は現在、非常に目立っているから迷うことはない。
観戦中の第十四期生達が同情の視線を下に向けている。下は今、夏紀と雛が朱翠とセイジを相手にしているはずだ。
「えげつねえ。去年の自分達を見ているようだ」
「あの人の迷宮、ほんっときついよな」
「勝利条件に迷宮突破とかありえねえ」
そんな会話に釣られて下を見れば、ちょうど雛がグラウンドの直中でパントマイムをしているところだった。
視線をずらせば、少し離れた場所で、十字槍の夏紀が刀の朱翠とかなり熱い戦闘を繰り広げていた。鋭い視線を朱翠に向ける。
(あの型は俺の知るものじゃない。武本の剣などいらないということか)
記憶の中での武本俊太郎は武本梢と同じ剣を不格好にも使っていた。あれは、自分が修める剣と違う故のものだったからだ、と納得する。
未知の剣。
(あれとはいずれ、だ。こんなお遊びなんかじゃなくてな)
つい、と視線を反らして治癒班の元へと歩き去った。
雛は右手に青いマテリアルを、左手に赤いマテリアルを握り込む。
周囲は見えない壁で迷宮が形成され、不用意に歩けば、壁に顔からぶち当たる。もう何度当たったか数えていないが、いい加減、鼻が痛い。
透明の壁の向こうで、夏紀と朱翠が一進一退の勝負を続けている。この迷宮を抜けられれば助勢してもいいと言われている。
(なっちゃんが終わる前になんとかしないと)
幻術にも色々と種類はある。何も、相手を騙すだけが幻術でもない。
雛は目を閉じた。
「我、北辰の独神に望む」
両手の中でマテリアルがカッと輝く。
「右に明星、左に夕星」
朗々と、雛の詠唱に離れて眺めていたセイジの眉がピクリと震えた。
「その輝きは混迷の闇を払う一縷の光明」
両掌を開けばマテリアルが崩れ去り、合わさり、風さえ許さぬ迷宮に流れて消える。
「心に差し込む幻実の光」
雛の目が開かれる。
何も変化してはいない。見ていて何か変わった様子が、まったくない。
城壁の上の観戦者達が見守る中、雛は一切迷わない様子でテクテクと歩き、ある一点で立ち止まった。
パチパチパチ、とセイジが手を叩く。
「合格」
一言。そのたった一言で、雛が拳で天を突き「よっしゃああああああ」と飛び上がった。
グラウンドにパリンと音が響いた。
(この先に道があるという幻想を砕くのが目に見えない壁。砕かれた幻想は自身の思考に霧をかけて閉ざす。
幻術魔法は想像力がすべて。強すぎる想像力が自分に幻術をかける愚行を犯していたわけだが、そこに気づいての幻術破りは、十分に合格と言っていい)
雛は夏紀のサポート要員である。
この一週間、幻術魔法の向上に合わせて、思考の切替速度をも鍛えさせていた。サポートの思考が緩慢であれば、相方には死の危険が常に付きまとうからだ。
幻術を受けている状態での思考の切替が可能であれば、鍛えの成果が出ていると言える。
「とはいえ」
セイジは眺める対象を朱翠と夏紀へと移す。
「あれにはさすがに、介入は出来ないか」
刀と槍の舞踏。観戦者の目を惹きつけるそれに、雛までも目を奪われた。
突きを点に合わせて避ければ、斬撃に襲われる。だからスレスレの回避などは出来ない。
槍の穂先、十文字の内側を刃で受けて流し抜き、空いた胴へと鞘を突き出す。それは柄で防がれて決定打にはならない。
夏紀は流された槍を引き戻さず手の中で滑らせる。二人の間に一線の壁が生み出され、それは刀の戻しと前への進撃を阻害する。
夏紀の十文字槍、穂先の中央に埋め込まれたマテリアルが宙に赤の一線を描く。滑った槍は石突きで止まるが、流れは止まらず夏紀はそのまま右足を軸にして左足で朱翠の足下を払いに来る。躱すためにバックステップをすれば、石突きを掴んだ状態で柄という名の棍が上から降ってきた。バックステップでは足りない。戻した刀で切り上げて柄を受けた。
ガリリリリリ……!!
柄が物凄い速度でスライドを開始し、戻ってきた穂先が刃に引っかかり、前へと体勢を崩された。
受けを解除して身を離した朱翠は、赤の線が端を結んだのを見た。すぐに納刀。翠凰に魔力を流し込み練り上げる。
「雀艶壱式」
「翠凰術式一の太刀――焔華」
突き出される十文字の穂先と抜刀された刃が衝突。カッとグラウンドに真っ赤な光が誕生した。
キュゴッ!
大爆発に観戦者達がその場にしゃがみ込んだ。爆音に皆が耳を押さえた。
地響きが収まり、耳を押さえたままの観戦者達がヨロヨロと立ち上がってグラウンドを見下ろせば、土煙が風に流れて消えていく。
「ちょっ」
「うっわ」
「なんじゃこりゃ」
所々で何とも言えない呟きが漏れる。
グラウンドに、直径五メートルほどの黒いガラスのクレーターが出現していた。
朱翠と夏紀はそれぞれが遠く飛ばされ、対岸の壁際に打ち付けられていた。雛はセイジに抱えられ気を失っている。
「だぶるのっくあうと~」
観戦していたセツナが城壁の上で宣言するのであった。
後に爆発の原因が、両者の魔構が熱暴走した状態で炎熱系の能力を行使したためである、と発表された。
「ナツキの成長っぷりはすごいわねえ。ん……ぁ、そこ」
留学生寄宿舎の談話室にて、風呂上がりでホカホカなセツナが猫柄パジャマでソファーに寝転がって、朱翠に肩と腰をマッサージさせていた。
「シュスイに何やらせてんだ」
「だって、ラフィルは治癒のしっぱなしでダウンしちゃってるし、セイジは嫌って言うんだもん」
「だもんじゃねえ」
「後輩の胸しか揉めないというのか!」
「揉んどらんわ! つうか、どこ揉ませる気なんだ!」
そんな兄妹の会話を、テーブル席で夏紀と雛がセイジの向かいに座り、顔を赤くして俯き聞いていた。
「まったく」
吐息混じりで夏紀に向き直るセイジ。
「いやあ、爆風で吹っ飛ばされるとか貴重な体験だったよー」
顔が赤いのを誤魔化すように雛が大袈裟に手を動かして、本日最大の衝撃を語る。
咄嗟に前面に水の壁を展開したものの、爆炎は防げても爆風で飛ばされた。セイジが後ろに回らなければ、雛も今頃自室でお眠りコースである。
「キリュウもシュスイ同様、怪我は重くなくて良かったな」
セイジの言葉通り、朱翠も夏紀も多少の火傷と打ち身はあったが、重傷にはならなかった。
爆心地にいた朱翠と夏紀はあまり怪我をしていない理由としては、衝突の直後、膨張する魔力を二人が息を合わせて押さえ込んだからである。
放出した炎熱と発生した衝撃の大半を武器内に吸収という武器にとっての想定外をやらかした結果、朱翠の翠凰は柄の赤石が割れ、夏紀の雀艶は穂先が折れた。双方、武器を修理に出す羽目になった。
息を合わせたというより、ここまで演じた舞踏から相手の息に合わせた。合意ではなく互いに自分の意志で一方的に。
十四期生の反応はたった一言。
「ヒザキの関係者は化け物揃いか」
これには雛が「自分は一般人」発言をして更に引かれたのだが。
「君ら二人の行動に触発されて、レンがそういう用途の装備を作るとか言っていたな。
神州に戻ってから、クロケットから何か送られてくるかもしれない。その時は、まあ、使ってやってくれ。邪魔にはならないはずだ」
「はい」
本家頂の言葉に分家の末は素直な返事で応じた。
「うぃーっす」
勇が炭酸ジュースを片手にやってきて、同じテーブルに着いた。
「明日って、何やんすか?」
「明日? 明日は」
聞かれて、明日の予定を確認するセイジ。
「国防騎士団所属の学院OBが戦略講義をする予定のはずよ」
談話室に更に新しい声。私服チャイナの琴葉が談話室入口に立っていた。
「おかえり」
「ただいま」
セイジとの挨拶に、どこか安堵したような琴葉。その様子に勇が遅れて「おかえり」と呟いた。少しムッとしているように見えなくもない。
「ええ」
対する琴葉は少し素っ気ない。
腰のポーチから金鎖のペンダントを取り出して勇の前に置く。
「はい、これが例のものよ」
勇はそれを摘み上げて装飾箇所を視る。白光を覆い隠そうとする黒光で形成された魔力の渦を確認出来る。
「ありがとよ。九曜頂・日崎にも琴葉にも超感謝だぜ」
机の上に両手を着いて頭を下げる勇。
「この件に関しては星司にだけ感謝しておきなさい。私にはこっちで将来的に感謝しなさい」
琴葉は紫の組紐を勇の左手首に巻いた。
それはミサンガ。紫一色で地味ではあるが、確かに何かの魔力を帯びている。
「なんだ、これ?」
「あなたが、取り戻すべき姿を取り戻した時に切れるわ」
「お、おお、なんかよく知らんけど、ありがとな」
本当によく分かっていなさそうな顔で礼を言う勇に、琴葉はフンと鼻を鳴らす。
「魔女が作った呪物だから、効果はちゃんとある。だろ?」
「ええ、私の手作りに効果がないわけないでしょう?」
セイジの問いに琴葉は腕を組んで胸を張って、偉そうに答えた。
それを聞いた勇が「え、マジで手作りなの?!」と素っ頓狂な声を上げ、驚いた琴葉がセイジの後ろに隠れた。
雛が「ああ、なんだ」と勇の反応にニヤリと笑った。
「青春ですなあ」
「いきなりどうした」
「む? これが分からないとは……」
雛は夏紀の反応に、大袈裟に肩をすくめて首を振った。
「そんなんだから、彼女いない歴が実年齢×2年なんだよ」
「……自分、三十超えても無理か」
本気で泣きそうな夏紀に「やべ、言い過ぎた」と雛が逆にオロオロしだす。
テーブルの様子に、朱翠のマッサージから起き上がったセツナは朱翠を見る。その表情には変化がなく、だが、その目は穏やかだ、と断言出来る。
(将来、ここにいる連中が血で血を洗うような関係になることだけは、本気でなってほしくないわね)
そう思い、セツナも彼らをまったり眺めるのであった。