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LR  作者: 闇戸
六章
104/112

戦場の地下で

「さて、書類の不備はないな」

 烈士隊用のコートを羽織った老人――鏑木弦遊は机の上で複数の用紙を揃えてから封筒にしまい、傍らに立つ少女へと渡す。

 少女は大きめのヘッドフォンを耳に当て、目元までを前髪で隠し、袖の長いピンクのパーカーで上半身を覆う。パーカーは裾まで長く膝までにも届いている。

 少女は弦遊から封筒を受け取ると、コクコクと頷いた。

「今回の企画は長旅じゃが、まあ、水瀬と瀬織を引率につける。ちゃんと言うことを聞くのじゃぞ」

 少女――鏑木音無は再び頷きで返した。そして。

「みんな、一緒だから……」

 か細い声での応じに、弦遊は相好を崩し、音無の頭を撫でる。

「そうじゃったな」

 そこで机上の電話が鳴り、弦遊はスピーカーで出る。

「要件はなんじゃ」

【水瀬さんが戦闘に入りました】

「日比谷でか?」

【はい。映像をそちらに】

 弦遊の正面の壁に大きく映像が映し出される。

 そこには、黒衣の侍と騎士を相手に光線で戦闘を繰り広げる水瀬光貴の姿があった。

「こやつら、duxか。ふん、日比谷の異常を調査させに行かせれば、まさか奴らが引っかかるとはな」

【どうされますか?】

「蔵人の部隊を園外に待機させろ。それと、あの一帯には不破の四刃が展開している。やつらには不破を通して待機を命じよ。連絡には童子を使え。万が一の盗聴にも備えよ」

【聞きますか?】

「どのみち、duxが来ている以上、烈士隊が介入したところで水瀬の邪魔にしかならん。聞かないようであれば、神祇院をも通せ」

【承知致しました】

 弦遊はヤレヤレと首を振る。

「孫との交流の時間くらい満足に持たせてほしい……もの……んんん?」

 軽くぼやいてみたところで、思わずモニター内で水瀬光貴が相対している相手を凝視していた。

(この侍? いや――いや待て。こやつ、まさか……。いやしかし、あやつらはそもそも死体は出ていない。可能性はあるにはあったが……。

 確認を取ってみるか?)

 携帯電話を取りだし、電話帳のリストを表示させたところで、首をかしげる。アンテナが圏外を表示している。

 腕を上へと伸ばし、右へ左へとやってみるが変わらず圏外。

 孫の方は祖父がいきなり踊り出したようにしか見えず、首を傾げるばかり。祖父の携帯電話は30年物の超ガラケー。最近の携帯電話では電波を探して右往左往などすることはなく、当然、奇行にしか見えない。

(おかしい。この改造携帯で電波が拾えないなどありえん)

 外見こそ化石物だが、中身は別物とのこと。

 モニターを操作し魔力計を表示。市ヶ谷周辺に存在する魔力の濃度と指向、電波系魔力の流れなどを算出――――出てきた情報に弦遊は表情を硬くした。

 電話や通信などに使用されている分野の魔力値がゼロを表示していた。

 他の数値が表示されているのだから、観測機器が壊れたのではないらしい。

 ただ、弦遊は電波系魔力の数値だけでなく、ある点にも気づく。

 市ヶ谷を中心に、ではなく、公道各地に妙な魔力濃度が点在している。そしてそれは、烈士隊陸軍市ヶ谷駐屯地――――弦遊達がいるこの場所の上、地上にも存在している。

 ここは市ヶ谷駐屯地地下に建造された九曜・鏑木が有する情報基地局であった。

 弦遊は、魔鉱科研究実践部隊のお披露目の最中に訪ねてきた孫の用事を済ませるため、ここへと降りてきたのである。

 立場的役目の最中に訪ねてくるなと叱ることもなく対応する辺り、祖父馬鹿といったところか。最近鏑木に接触してきている天宮や不破の九曜頂が聞けば耳を疑うような話である。

 弦遊は机上の電話に手を伸ばし部下へと繋げる。この場所の連絡手段はすべて有線である。

「演習場の状況を知らせろ」

【はっ。九曜頂・神薙殿が魔構鎧の企業ブースでなにやらやっていますが、それ以外は特に……】

「なにかってなんじゃい」

 机の引き出しから、今回の演習のリストを取り出して閲覧。

 魔構の企業ブースで目を引きそうなものはなんだ? と見ていて「これか」と漏らす。

 青葉の商工会が持ってきている巨大魔構鎧とそのテスターの項目。

(青葉の薙原――、蔵人と共に英国へ渡った子供じゃな。そして、あのじじいの孫か)

 弦遊の脳裏に、今は故人である旧い知人の顔が浮かぶ。

(テスターランクSとか、隔世遺伝かのぅ)

 思わず、携帯電話に触れる。この電話はかつて薙原進の祖父に当たる男が魔改造した代物であった。

(薙原の孫が待ってきた魔構鎧か)

 正直に言えば、ものすごく気になる。

 部下の報告を聞くまでもなく、モニターに演習場の防犯カメラ映像を映し出す。企業ブースへと切り替えたところで、( ´゜ω゜)・;'.、ブッと噴いた。

「――――――――ロボ?」

 弦遊の後ろから、孫のそんな感想。

 周囲の人間と対比するまでもなく、一言で表せば、デカイ。これに尽きる。

「魔構ロボ……何作っとんじゃ、あいつら」

 そういえば西暦末期に、油圧駆動の車輪式ロボットを作っていたところがあったなぁ、とそんな思い出が頭を過ぎった。

 そして、モニターを見れば、魔構ロボの向こう側に見知った娘達が見えた。九曜頂・天宮と九曜頂・緋桜院の二人である。

 天宮が昨今、鏑木や不破に接触を図り、一族の軍拡路線を取り始めていることから、今回の演習に興味を持ったことは想像に難くない。分家の日乃燵刀を神祇官へとしたのはその走りみたいなものだろう。不破が、かつて国防族と言われた弦遊に接触を図るのは、護国理念の伝播の為に足場固めをしたいからだろうことは分かる。ただ、軍部ではなく、"神祇院にのみ"勢力図を広げる天宮が軍拡を行うのは何故か。思惑が不透明である故に、弦遊にとっては些か不気味である。

 だが、緋桜院は何故ここに来たのか。

 古来より、桜院と呼ばれるこの一族は軍部とは無縁と言える。

 だから、弦遊は緋桜院紫を見かけた際、このお披露目に来た理由を尋ねてみたのだが。


「秋様との会話の話題作り、と申しましょうか」


 そんなことを、頬を染めつつ楚々と言われてしまえば、梧桐の若造めうまいことやりおってからにと苦笑と共に「そうか」としか答えようがない。

 さしずめあのロボは良い話題となるだろう。

 かつて世話をして、今は"行方不明"となった男が言っていた。

――――ロボに心ときめかない男子はいない!

 ときめかない男子だっているだろうと思ったものだが、すぐさま弦遊の娘にツッコミを食らっていたから感想を引っ込めたものである。言わんとしていることは分からなくもないが。

 映像内では龍也が魔構鎧ではなく他方を見て、数秒。そこからの動きが速かった。モニターでは追えなかったと言えばいいか。

 映像から龍也が消えてすぐになにやら怒声のようなものが入り込み、次いで、映像内にあったテントなどが突如発生した暴風になぎ倒された。そして。

「なんじゃ、こいつら」

 弦遊が思わず口にした。

 それは弦遊達が目にする映像内への闖入者。西洋甲冑型の魔構鎧だろうか。複数のそれらが上から降り注いだのである。

 急いで複数のカメラ画像に切り替える。いずれにも魔構鎧の姿が映っていた。

【会場内にて所属不明の魔構鎧が複数展開しだしました。九曜頂・神薙殿が投げ飛ばした大型トレーラーからあふれ出たものと、会場各所に点在していたと思われるパーツ同士が接合しだしました】

「会場内問わず駐屯地全体への避難警報を出せ」

【はっ――――あ……】

「まさかと思うが、有線以外の経路は全滅か?」

【そのようです。基地局職員を直接地上へと派遣し口頭での伝達に切り替えます】

「任せる。じゃが、無理はさせるな。ここの職員は文官のみじゃからな」

【心得ております】

 通信を終え、まさかの非常事態に、弦遊は一度眉根を押さえてから孫に顔を向ける。

「音無はしばらくここにおれ」

 孫の方は複数回頷いた。

(さて、光貴めが日比谷でduxと遭遇したことと関連があるのかどうかじゃが、無線域の経路が使えないのは不便じゃな――アレを使うかの)

 弦遊は孫を一人残し、自身は更なる地下へと向かうのであった。



「どうなっておる?」

 基地局中枢へと入った弦遊は、まず状況の説明を求める。

 中枢には、壁に巨大なモニターを備え、複数の長机にはPCが載り、30人程度の職員がPCを前にして忙しなく働いている。PCモニターには各地の状況が映し出されているようだ。

「新宿区及び千代田区の一部無線域のみが復活しました」

 ちょうど日比谷公園内自由の鐘付近の映像を出していた職員が答える。

「うむ。数年ぶりにSシステムを限定起動したが、効果はあったようじゃの」

 九曜・鏑木家が保有する国防兵装と呼ばれる存在を口にする。兵装の姿や機能のすべてを把握する職員はいないが、伝達能力に特化した存在でフル起動をすればかなりの範囲をカバーできるとされている。

「光貴は?」

「敵性体を撤退させた模様。その際、自由の鐘北側一帯の電力帯がダウンしました」

「まあ、アレを使わねば撤退させることも出来なかったということじゃな」

 で、と続ける。

「上の状況は?」

「霧状のものに視界を遮られ、状況の確認に遅れが生じています。ただ、実践部隊の方で来賓客の避難は行っていると」

「さすがは不破の子飼いといったところか」

「それで、ですね」

 弦遊に応対していた職員が少し歯切れ悪く言葉を切る。

「そのさすがの不破部隊から連絡なのですが……。VIPを二人確保したけど、その方々が九曜頂・鏑木と会いたいとのことでして」

「やらかした神薙ではなく、か?」

「はい。おそらく弦遊様であれば、状況を把握しているのではないか、と」

「未だに確認段階なのじゃがなぁ。まあよい。で、何者じゃ?」

「九曜頂・天宮と九曜頂・緋桜院のお二人と」

「応接フロアにでもおいとけ」

 即答である。

(緋桜院だけならまだ問題ないが、天宮はちとな)

「上層、で構いませんか?」

「そうじゃな。わしも上層に上がろう」

「かしこまりました」

 職員は実践部隊員への連絡をした後、応接フロアの解錠を操作。その途中で「おや?」と首を傾げた。

「あの九曜頂」

「なんじゃい」

「――上層応接フロアに音無様がいらっしゃいますが……」

「――――は?」



 音無はウロウロしながらいくつかの扉を開いては閉じるを繰り返す。

 要するに迷子である。

 普段付き合いの仲間達に進捗メールを送ろうと電話を操作したところ送れないことが判明。いる場所が地下過ぎるからかと思って上層まで来たものの現状は変わらず。肩を落とし祖父の執務室まで戻ろうとして、来た道を覚えていないことに気づく。

 普段であれば誰かしらが歩いている通路には誰もおらず、途方に暮れて歩き回っている次第である。

 何個目かの開閉を終えたところで、ふと思い出す。

 VIP用の応接室に、この施設の観測所(?)だったか司令所(?)だったかよくは覚えていないが、ともかく弦遊や側近達が集まる場所への直通回線があったはずだ。

(おじさまが教えてくれたのってこの層で合っていたような?)

 音夢に迷子となった時用の緊急手段を教えてくれた人物がいる。音無がおじさまと呼んで慕う相手だ。そのように慕うのは三人程度で、彼らの教えてくれることは大体合っている。

 かつては、おじさまと呼べる相手はもっといたものだが、今は一人。おばさまと呼べるのも二人しかいなくなった。

 その彼らが教えたのは、緊急脱出の必要があれば上ではなく下を目指し、緊急連絡の必要があれば直通回線を探せ、というもの。何故下を目指すのかは知らないが、おばさまの一人がしれっと「口が開いてるからねー」と漏らして、弦遊に「言うな」と脳天を引っぱたかれていたから、多分、何か変なところに繋がる道でもあるのだろう。ただ、一定階層以下の道自体は教えてもらえなかったのだが。

 ともあれ、VIP用を探すことにする。確か、入口が他よりやや豪華だった気がする。

 更にウロウロすること十数分。

 両開きの木製扉を発見。ドアノブが金色で、扉横の壁に応接室と札が貼り付けてあった。

 キュッと小さくガッツポーズを取ってから、ヨイショと扉を開け放った。


「――――九曜頂・かぶら…………あれ? 誰?」


 中から不意の声。若い女性の声か。

 音無は小首を傾げてから、二度三度の瞬きをした。

 まさかの来客中である。

 状況を知ってから、アワアワとうろたえつつ部屋から脱出しようとした音無の耳に。

「あぁ、鏑木さんのお孫さんですよ」

 年に二度程だが、聞いたことのある声だ。そう、確か。

 声の方を振り返り、確かと思い出した相手だと認識。

「ゆ……かり……さん?」

 おずおずと呼んだ音無に対し、緋桜院紫は満面の笑みで「はい」と答えた。



「つまり、九曜頂・鏑木さんのお孫さん、と」

 ふむふむ、と璃央はあらためて音無を見る。しかし、音無を見て頭に浮かぶのは九曜頂関係者というよりも別のこと。

「んー、なんかテレビで見たことある気がする。九曜関係者だったら政治討論番組とかそういうんだと思うけど、どれだったかなぁ」

 どう見ても自分よりも年下にしか見えないが、見た目と中身が同じともかぎらないのが今の世である。

 音無は音無で、紫と一緒にいるのが九曜頂・天宮その人であると紹介されてからというもの、紫の裾をギュッと握り締めその背中に隠れてしまっていた。

 以前、春頃だっただろうか。"おじさま"と"おばさま"が険しい顔で「天宮が……」と何やら話し合っているのを聞いたことがあるからであった。どういう内容かは覚えていないが、話し合いの前に末広町の襲撃事件が話題に上がっていた気がする。

 その時、『かっちゃんは無事なのか』とか言っていたが、合っているかどうかは不明だが、音無の記憶する『かっちゃん』と言えば、"おじさま"の一人だった人の息子がそう呼ばれていたなと。ずいぶん長いこと会ってないなーと思っていた時の会話だったか。

 ただ、外部情報以外においても、音無自身が天宮璃央に対して抱いた印象が恐怖心でもあったりする。

「それでしたら、アイドル番組では?」

「え? アイドル番組? なんですか、それ」

 璃央は、紫の助け船に、一度紫を見てから再び音無へと視線を移す。

「烈士隊の軍楽番組のことですか?」

「いえ、民放で放送されている番組ですよ。生の演奏会もしているはずですが……」

「く、詳しいですね」

「音無さんと組んでいる子の一人が桜院天原にもいらっしゃるので、ええ、律儀にうちまで挨拶に来ますもの」

「ほほう?」

「天原の学祭でも演奏会をしていただいたことがありますよ」

「ほー。それは依頼すればうちでもやってもらえたりする類ですか?」

 璃央の疑問に対し、音無はブンブンと首を横に振りまくった。

「えダメなの?」

 紫が楽しげに語っていたように見えた璃央はちょっとがっかりしたように項垂れる。

 音無がアワワと怯える。

「春で……、その、休業だから……」

「休業?」

 コクコクと頷く。

 そうなの? と璃央は紫へと顔を向ける。

「全員が高等部に上がる機会に、ある長いイベントに参加するからとは聞いていますよ」

「長いイベント? 春から?」

 なんだろうか、璃央はそのキーワードに、最近そういう資料を見た気がするなあ、と。生徒会長の机の上だった気がする。

「春からの休学届を出している方がいるのであれば、おそらくはそちらに参加する予定なのではないかと」

「休学してまで参加したいイベントなのね」

 帰ったら調べてみよう、と思う璃央である。

「もっとも、各校、生徒会役員の参加は認めていないそうですが」

「え? ……あ、ああ、まあ、そ、そうですよねぇ。あは、ははは」

 調べてみたところで、璃央は参加出来そうもない。

 なるほどー、と頷いてみせながらも、かなりのガッカリっぷりである。

「とまあ、イベントとかは置いとくとして、鏑木さんのお孫さんが何故ここに?」

 話を最初に戻す。

「あ――その、ま、迷って……」

 話を振られたので正直に答える。正直に答えないとどうなるか分からない。

 裾を握る力が増したのを背に感じ、紫の方は音無が緊張しているとは思うものの、よく知らない九曜頂を相手にしたら大体の人はこうなることも知っている。九曜頂の身内であってもそこはあまり変わらない。これもそういうものなのだろう、と。

 なるほどねー、と音無の状況に一定の理解を示しつつ、璃央は腕を組み頬に人差し指を添えると「ところで」と前置きを一つ。

「どうしてあなたは私達を九曜頂と認識しながら、そのヘッドフォンを外さないの?」

 失礼じゃない? と半眼で音夢を見つめてきた。



 一方その頃。

 弦遊は額を押さえ「なんじゃろうなぁ、これ」と漏らしていた。

 水瀬光貴からの連絡によって神祇院の介入が判明したことで、公園内の状況を重箱の隅をつつくように確認した結果、冗談抜きで日比谷公園が地獄になっていることが判明する。

「日比谷は日比谷でオンエア出来ない状況ばかりだわ、上は上で……あれはマズイじゃろ」

「九曜頂のバカクニヌシ発言は皆の記憶から一生懸命削除するので問題はありません」

「それは……まあ、アレじゃ。地祇――いやここに神祇院もおらんし国津で良いか。実際、外の国じゃ天津と国津で通るしの。あいつらにゃバレようもないから別に構わん。

 データだけは消しておけよ? 九曜頂・霧崎が記憶の封印を持たず、国津の主神としての力を行使出来るなど、九曜頂・天宮にも神祇院にもバレていい情報ではないからの。むしろ隠す気ないのかと突っ込みたいもんじゃが……」

 そのツッコミ心が思わず出たのが、職員達が記憶から消そうとしている弦遊の発言か。

「と、これは……」

 職員は日比谷公園内の映像を確認して、機器操作の手を止める。

 モニターが映すのは日比谷公園北側の状況である。

 神祇官と戦闘している水瀬光貴の姿があり、彼と肩を並べる嘉藤利則さえも確認出来る。

 弦遊は、中枢にいる全職員がすべての操作を止めて息を呑んだのを感じ取る。知らず、自分も呑んでいた。

(そりゃぁ、そうじゃろうな)

 自分で息を呑んだことに納得する。

 鳴沢動乱と呼ばれる事件以降、絶対に再現することがないと皆が諦めていた構図だ。大陸侵攻軍が保有していた神州最強とまで呼ばれた一点突破の布陣。

 未だに中華連合からはこの二人を出せとの要求が古い伝手を使って弦遊の元にくる。??が再戦を希望しているのだとか。

 ふ、と弦遊は一つを思いつく。


「おい」


 職員に声をかける。反応がないため、再度の呼びかけを以て、全職員が弦遊に顔を向ける。

「今すぐ外部回線を用いて、HLNにこの映像をアップしろ」

「は……はい? 構わないのですか?」

「うむ。面白い連中が釣れるじゃろうな」

 職員は首を傾げつつも、上司の指示通り件の戦闘をリアルタイム配信の形でHLNへとアップする。

(わしの予想通りならば、これでおそらく世界情勢に一部変化が起こるはず)

「これは――すごいですね。アクセス数と……あぁ、ずいぶん多国籍なコメントが一斉に」

「コメント内に"比翼陣"か"links"の単語が現れたら、コメントしたユーザーを特定しておけ。わしは応接室まで行ってくる」

「承知致しました」

「うむ。緋桜院がいるから音無も大丈夫じゃろうが、あまりあの場に置いておくのもな」

「警護はどうなさいますか?」

「音無用で連れて行く。いないよりマシなのは分かっているが」

 一応な、と。

 弦遊は数名の職員を連れ、上層へのエレベーターへと向かった。



 音無は心底怯えたように紫の背中にしがみついた。震えを背に感じ、ゆっくりとした感じで音無と璃央の間に立つように立ち位置を変えた。

「この子にはこの子の事情があると伺っていますので、ファッションのようなものと割り切っていただくことは出来ませんか」

「事情、ね」

 ふうん、と璃央は紫の先を見通すように視線の圧を強める。

 音無は璃央と直接目を合わせているわけでもないのに、まるで心臓を鷲掴まれているような錯覚に陥る。

「たかだか九曜の事情など……」

 璃央はそこで言葉を切る。

 ズズズと足下というよりこの場所全体を振動が包んだ。

 まさか地上で対巨人戦やら禁呪行使が行われているなどとは思いもしない。

 時折全身がガクガク縦にシェイクされるような振動まで発生している。

 璃央は胡乱げに天井を見上げた。視線に力を纏わせ、天井のその先、地上を視ようとするも眉間に皺をよせてから首を振る。

(濃すぎる? どういう状況なの?)

 理解の埒外に苛立ちを覚える。

 最近の璃央はこういった苛立ちを覚えることが多くなった。不思議なことに、そういう感情を得ること自体を普段通りと感じていて、特に疑問も感じていない。時々、梧桐澄に首を傾げられることもあるが、そもそもそのようにされることに疑問を感じるくらいだ。

「紫さんはずいぶんとその子に甘いようですけど、もう少し九曜頂としての」

 そこで再度言葉を切る羽目になる。扉が開き、弦遊が入ってきたからである。

「待たせたな、申し訳ない」

 紫は背中にあった緊張が解かれるのを感じる。そして。

「お祖父ちゃん!」

 音無が弦遊に飛びついた。

「おおう、まったく、どうしてあの部屋を出たんじゃ」

 孫の震えを胸に感じながら、その頭を困り顔で撫でる。

「お二人も孫を保護してくれていたようで、すまんかったの」

「お祖父様と再会出来てよかったですね」

 紫がにこやかに応じる後ろで、璃央はため息を漏らす。

「九曜頂・鏑木殿がここに来るまでに時間がかかったといっても、状況が状況ですし、それを咎めるなどするはずもないじゃないですか」

「うむ、まあ、そう言ってもらえるのはうれしいがのぅ」

 璃央に困り顔のまま答えつつ、腹の中では弦遊が来た時点での三人の立ち位置と表情から、室内の状況は笑って済ませられる状況ではなかったのだろうな、と思い至っていた。

(やはり九曜頂・天宮は……。時間はあまりないようじゃのぅ)

 一人で納得し、ともあれと状況の説明をするために表情を引き締める。

 室外に待機させた職員に音無を別室へと連れて行かせ、状況説明を開始した。

 といっても、色々と伏せた茶番を演じるだけであるのだが。



 別室に待機してどれくらいの時間が経っただろうか。

 部屋に設置されたアナログ時計に顔を向ける。というより、どうしてここはアナログ時計なのだろうか。

 チッチッチッチッチッチッ、と針の進む音が妙に大きく感じる。

 職員は廊下にて扉を守っている。室内には音無一人である。

 この施設全体が揺れる衝撃はしばらく前に収まった。きっと上は落ち着いたのだろう。良い意味か悪い意味かは不明だが。

 落ち着かない。何やら嫌な汗をかいている気がする。

 今いるのは自分一人だとヘッドフォンを外し、そそくさと汗を拭く。


 チッチッチッチッチッチッ――チクタクチクタクチクタク……


 音夢は時計を見る。この部屋にはシンプルな針時計が一個置いてあるだけ。

 首を傾げ、ヘッドフォンを付け直す。


 チッチッチッチッチッチッ……。


 ハッとして時計を凝視。そばまで来て手に取ってみる。

 しばらく、あらゆる角度から観察したり、カタカタと振ってみたりして、この時計が市販の時計であることを確認する。魔構器ではなく、魔構電池を入れることで動くようにしただけの旧世代型ということも、である。

 時計は変わらず音を発し続ける。


 チッチッチッチッチッチッ……。


 よほど近くもないかぎり、魔法的音のみを遮断するフェッドフォンは問題なく機能しているようだ。

 ソッと片耳だけ外してみる。


 チッチッチッチ――チクタクチクタク。


 サッとすぐに覆えば、チクタク音は消え失せる。

「…………」

 キョロキョロと室内を見回してみるが、時計以外に音を出しそうな物はない。

 悪寒を覚え、扉を開けた。

 開閉音に職員が怪訝そうに振り返った。

「えと……、一人は……」

 職員は「あぁ」と頷くと、構いませんよと入室する。実際、共にいた方が護衛としての役目は果たせるだろう。

 二人とも会話はなく時間だけが過ぎる。

 十数分して、音夢は職員を見ず、壁を見つめながら脂汗をかき始めた。


 チクタクチクタク


 おかしい。

 ヘッドフォンをしているのにあの音が聞こえる。

「変な音が……」

 職員に聞こえるよう声を出す。

「? どうもここは、時計の音が強く響きますね。」

 時計の音、それは確かにそうなのだろう。だが、一体どういう音の方なのか。

「どのような偶然か、この部屋には魔構の時計は設置されていないと。このようなこともあるのですね」

「――? どう……」

 どういうこと? と聞こうと思って振り返り、音夢はとりあえず、どこからの自分の行動を反省すべきかと硬直してみせた。

 職員は確かにいる。振り返ったら惨劇などという状況ではないだろう。一言で済ませればグロである。

 職員の顔がズルリと剥がれていた。周囲は血まみれで、色で言えば赤黒く染まっている。

 見開いた瞳に映るその顔は、剥がれた表面の下から歯車が覗いていて、その歯車があのチクタク音を鳴らしている。

 職員は痛みを漏らすことなく、テレビの中の怪盗よろしく顔を剥がし終えた。そして、丁寧にハンカチで顔を拭いてみせる。

 職員(?)は血で染まったハンカチを折りたたむと胸ポケットにしまいこんだ。

 あらわになったのは鈍色の顔といえばいいか。顔?

 手巻きの機械式懐中時計が首の上に載っているとしか思えない。首に上に載って正面を向いているのが顔というなら顔なのだろう。

 そいつは後ろ手に何かを取り出すと顔に嵌めた。それは無貌の仮面。否、左目に当たる部分だけに意匠を凝らしたデザインがある。それがモノクルに見えなくもない。

 仮面。先程、祖父と見た映像で水瀬光貴が戦っていた黒衣二人組の片方が仮面をしていたように見えた。

 思わず後退るが、すぐに背中は壁に当たる。

(おじさまの敵の……仲間?!)

 逃げ道を模索しようとも、生憎、入口までの通り道には奴がいる。逆側は完全に袋小路。

 無貌の怪人は音夢を値踏みするように見下ろしてから「ふむ」と独りごちる。

「君のような存在は世界中を探せば多くいる。正直……」

 やや落胆気味に肩をすくめる。

「外れを引かされた気分だが、特異者の孫ともなればまだマシか」

 ヌッと、音無の頭に向けて右手を伸ばしてきた。

「なに、すぐに済む。抜く過程で死ぬだけだ。ただ、まあ、痛みで気を失うか抜いた後も数秒意識が残るかは――知らんがな」

 身体が動かない。見た目の奇異さではなく、純粋に、こいつの放つ圧に縫い止められてしまっている。

 涙も出ない。喉がカラカラで痛く、声にもならない過呼吸気味の息が吐かれるばかりで悲鳴にもならない。

 触れられた。

 撫でるとか触るとかではなく、掴むである。死に掴まれたと感じた。まるで。

 音無の脳を過ぎるのは、暗がりの座敷でぶら下がった肉。肉の上、縄の輪に収まるのはよく知っていた頭。

 強く力を込められる時になって、怪人は首を巡らしドアを見た。そこは開かれたままで。

「気のせいか?」


「直感は信じろと以前言ったぞ!」


 音夢へと首を戻した視界で、壁の斜め上から怒号と共に白刃がかっ飛んできた。

 思わず腕を戻すが、白刃は戻した腕のちょうど手首の位置を斬り落とす。刃だけではない、飛ぶ力を込めた突進技でかかる力は尋常ではない。

 怪人は舌打ちしながら、手首を失った右腕を振り回しつつ、カチカチと音を鳴らして左手の貫手を突き出す。

 闖入者がこのまま立ち上がれば、ちょうど首か胸に刺さる位置だ。だが、闖入者は着地の姿勢で刃を返し、そのまま前傾で峰による斬り上げ。


 ガチンッ


 人体に当たったとは思えない音が鳴り響く。

 闖入者は即座に斬り上げた刀身で怪人の腕を巻くように捻りその体を引き寄せる。更に左で踏み込み、左肩を割り込ませ、怪人の右半身へと叩きつけた。

 怪人は吹き飛び反対側の壁に叩きつけられた。

「無貌ではなく、まさか摂理が来ているとは……」

 音夢は闖入者の後ろ姿を見る。

 鏑木家直轄烈士隊が着る制服に見える。首から上に黒いぼろ布をマフラー状で巻き付けているが、間違いなく烈士隊員の制服だ。

 怪人は「ギギ」と漏らしながら起き上がろうともがく。左は問題なく動くが、右が死んでいるように重い。否、人体として死んでいる。

「やはリ、災カはヌけていたカ」

 闖入者――嘉藤利則は怪人を攻撃した刀を見る。刃は欠け、峰は歪み、既に鋼の棒といった方がよさそうだ。

(俺と銀嬢が知る以外の連中が介入している? かなり数が多そうだ。まるで、あの時の再来のようだな)

 自分達が壊滅した時のことを思い出し、自嘲気味に口元を歪ませた。

 利則は肩越しに音夢の状態を確認する。ぱっと見外傷はないが、危なかった、と判断。利則が知る昔のままならば、この娘は外傷よりも内側の方が深刻だろう。

「まったく、お嬢になんてことしやがる。何かあったら、先生に申し訳たたんだろうが」

 音夢は利則の背中を見上げる。この背中も聞こえた声も知っている。長いこと見てもいないし聞いてもいないが、確かに知っている。覚えている。だが声が出ない。

「その武キでどうスるつもriダね?」

「問題ない」

 ブンブンと二度程振ってみせる。

「模造刀と思えば、やりようはいくらでもある」

 怪人は小さく頭を振り「コれはシカタがなi」と、左手で仮面を外した。

 右半身がまずベチャリと崩れ落ち血だまりを作り、左半身がその中に落ちる。そして、サラサラと仮面が砂のように崩れた。

「サイ禍よ、またアおう」

 そう残すと、後には歯車だけがその場に残され、直に歯車までが砂となって消えた。

 利則はフンと鼻を鳴らす。

(摂理でよかった。無貌は相性が悪い――主に無駄口がだが)

 duxとしての記憶上、存在がホラーっぽい"摂理"と呼ばれるduxは様々な姿を有するが総じて泥沼な戦闘を忌避していたと覚えている。

 あの時計頭も魔構器が存在している場所には入り込めるが、いくつかの条件があり、どういうわけか左側はすぐに機械化出来ても右側は時間がかかる。

(分身体故の制約だったか。本体が来ていたら危なかった)

 今回のは運に左右されたが、時間的に速攻が可能だったのが良かったのだろう。

 もっとも、何を機械化しているのかは知らないため、発見してからでなくては対処出来ないのが痛いところでもある。

 利則は背後に振り返り、顔の隠しを下げて音夢を見下ろした。

「壮健そうでなによりだ、お嬢。光貴はちゃんと仕事をしているとみた」

 怪人に掴まれていた頭に掌を載せ、ワシワシと多少乱暴とも取れる撫でがあった。まるで鷲掴みを払拭するかのような所作だ。

 そうだ。

 確か、昔はここで他の"おばさま"達から「もっと優しくやんなよ」と言われて困っていた人である。

 手が離れ、音夢は利則を見上げた。最後に見た時と、ほとんど変わっていない容姿だからか、思い出すのは早い。

「嘉藤さん?」

「ああ」

「かっちゃんのお父さん?」

「ああ」

「制服……」

 利則はあらためて自分の服装を見下ろす。

 光貴には九曜・鏑木系列の烈士隊服の上着だけを注文したが、結局、ワンセットで寄越してきた。しかも顔を隠す目的で目出し帽まで添えられていたのだが、あからさまの怪しさに、さしもの利則もゲンナリしたものである。しょうがないからとduxとして着ていた黒衣を乱暴に裂いてマフラーのように巻き付けたのである。

 バタバタと廊下から音が聞こえる。

「九曜頂は……」

 鏑木弦遊の場所を尋ねようとしたところで「音夢!」と当の本人が駆け込んできた。

 止まる時間。

「まだ走れるのか。案外元気なものだな、じいさん」

 よっ、と手を挙げる利則。

 弦遊は室内に散らばる血痕やら血だまりを確認してから、利則と音夢を視界に納める。

 自分以外でも廊下をやってくる音が聞こえる。足音から、緋桜院紫ではなく天宮璃央であることが分かる。

(まずい)

 オンラインに利則と光貴の連携映像を流したものの、相対していたのが神祇官であることは見る者が見れば分かる。その相対者が鏑木系列の制服に身を包み、九曜頂の孫と共にいる場面を九曜頂・天宮に見せることは想定外だ。

 弦遊はピッと利則を指差し、その指を横にスライドさせた。

「鏑木さん!」

 璃央がドアの外からのぞき込みつつ弦遊に声をかける。

 室内は何者かが大暴れした如く荒れており、散乱する血痕以外では、弦遊以外では音夢が壁よりに立っているだけである。

 弦遊は璃央を振り返り。

「何者かは音夢が撃退したようじゃが、どうも下の方が上よりも危険なようじゃ。九曜頂・天宮及び緋桜院殿には上の隊と合流していただくとする」

 ここで出て行かせる選択を口にする。

 上の状況が片付いた旨は有線回線で中枢から連絡を受けている。

 実際、上の方が安全だろう。文官だらけの下とは戦力が違いすぎる。

「上の状況に変化が?」

「一段落したようじゃぞ。やはり、武にかけて、神薙は不破に並ぶといったところかの」

 詳細は後で確認するが、と腹の中でボソリ。

「烈士隊から情報を引き上げた方が早そうね……」

 璃央は表情険しく腕を組む。まずもって、年頃の娘には見えない所作である。

 その間に、応接室を警護していた職員に、九曜頂二人の案内を命じる。

「先程の話通り、後日、こちらで解析した情報は渡す。これで良いな?」

「構いません。それでお願いします」

 天宮璃央と二、三短く言葉を交わし、後は職員に任せ、部屋のドアを閉じた。

 足音が遠のいたのを確認してから、指をパチンと鳴らした。

 姿が消えていた利則が出現する。

「相変わらずの意識操作といったところか。さすがとしか」

「神州の者以外には通用しない神術じゃがな」

 要するに、弦遊より背後に位置する者の意識から特定の存在を見えなくするだけの神道系の術を使用した、とのことらしい。

「それで?」

「俺を見て驚かないのは、やはり、日比谷公園でも監視していたか」

「そうじゃな。貴様と光貴との戦いも見ておったよ」

「あぁ、そこから……。なら、大嶽丸戦も見ていたと思った方がいいか。どこまでとは聞かないが」

「大嶽丸――甲六四な。やつらも面白い連中を投入したもんじゃな。連中の中でもアレで失敗作扱いされている。犯罪者を扱っているが故の使い方という奴じゃなぁ。

 本人達は成功例だと信じて疑っていなかったがな」

「神祇院がやりそうなことだ」

 ちなみに、と利則は血だまりを指差す。

「ここのは神祇院ではないぞ」

「上でも九曜の姫を狙った者がおった。duxめ、何が目的なのかのぅ?」

「俺からは言えん。口にしたくても出来ないからな」

「そうじゃろうな。ソテルもそうじゃったしの」

 そこで利則は首を傾げる。

「誰だ?」

「貴様は名前までは知らんかったか。御津羽で貴様らとやり合っていた奴じゃよ」

「――――――あぁ、四郎に乳を」

「ロウティーンのいる前でそのネタを口にするでないわ、アホタレ」

 そんな名前だったんだなぁ、と利則は「なるほど」と頷く。

「だが、名前は知らんが、じいさんのことだから情報は引き出したのだろう? 光貴はまともすぎてその発想はないだろうがな。甘いとも言うが」

「ほう?」

「そして、その発想を俺に使えと言いにきたのさ」

 利則は、コツコツと自分の額を叩いてみせる。

「Sシステムなら出来るはずだろう? 対象の記憶を引っ張り出すことも、データ運用することもな。Sシステム……、いや、旧式降神器・佐具売ならば」

「下手をすれば、人格飛ぶぞ?」

「問題はないし、脅しに意味もない。既に一度は死を覚悟したのだからな」

 それに、と。

「やらなければ、俺が守りたいものを守れん。それだけのものがduxの情報にはある。

 たとえ俺に理解は出来なくとも、じいさんの伝手なら理解出来る連中に渡せるだろう?」

「わしが神祇院と繋がっているとは考えんのか?」

「それはない」

「その心は?」

「俺達は先生を――草薙蒼征を信じている。あの人が自分にとっての本家である神薙、ひいては神薙煉龍ではなく、あなたに従うことをヨシとしたのだ。そのあなたが非道を主とする連中と繋がるわけがない」

 断言。それに、弦遊は一瞬ポカンと口を開けそうになる。

 そうせい、その音を音夢は知っている。今は亡き母が時折口にしていた音だ。母は気が違っていたけれど、その音を吐いている時だけは本当に幸せそうだったな、と。

(こいつも結局、光貴と同じなのだな)

 同じことを、まだ若き頃の水瀬光貴も口にしていたのだ。こういうことを利則やその周りの者達に聞いたこともなかったから、言葉として聞いたのはこれが初めてだった。

(あぁ。お前がわしの息子であってくれればとどれほど願ったことか。せめて娘と……)

 何故いなくなる前に娘を頼まなかったのか、と何度後悔したことか。

 ギュッギュッと服の裾を引っ張られた。音夢が眉尻を下げて引っ張っていた。

 その頭に手を置き、撫でて応じる。

「ま、良かろ。あの阿呆の生徒どもは、皆、頑固者ばかりじゃからのぅ」

「頑固も数が減れば洒落にならんほど固くなっているかもしれんな」

「どんな基準じゃ」

「ならば善は急げ、だ」

 利則は血だまりを見下ろす。

「九曜の姫だけが狙われているのか、特殊な者だけが狙われているのか。早急にソレを知る必要がある」

「duxはまとまって動かないのが常じゃろう? 良くてもツーマンセルのはずじゃが」

「数多く来ていれば、その推測も意味がない」

「多いのか?」

「そのようだ。

 神州が奴らとまともにやり合いたければ、冥府の大神を説き伏せて、大陸侵攻軍のサムライ共を吐き出させるか、何かを犠牲にして中華連合から戦力を引っ張り出させるかしなければ、現状戦力では相手にすらならず蹂躙されるのみだろう」

 もっとも、と。

「後者をするだけの時間はないがな」

「それか、緊急措置法で神魂封印の解除か」

「真海が近くにいるのだろう? 何故頼らん」

「今頼れば、奴らの本拠に集合している子供達が危険にさらされる」

 一拍。

 利則は「困ったな」と肩を落とした。

「とりあえず、記憶の方を頼む。どのみち、一晩は経たないと俺も光貴も使い物にならん。やれることはやっておくにかぎる」

 弦遊も「しかたないの」と。

(後は交渉出来るとすれば、神薙……いや、赤月辺りかのぅ。手札もなくはないのじゃが)

 どうしたものかと策を捻出しようとする弦遊であった。

 そうしたところで、中枢からの呼びかけ音が小さく鳴る。

「なんじゃい。また状況変化か?」


【変化は変化ですが、この……なんと言いましたか。ひどく古い装置なので正常さを証明出来ないのですが】


「古い?」

 弦遊は首を傾げる。


【次元変動値とかいうのが動いているのですが……なんでし】


「なんじゃとおおおっっ!?」

 職員からの報告もすべて聞かず、室内に弦遊の叫声が響き渡った。

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