対する者
うふふ、いきなり詰まりそう。
俺の傍にはいつも彼女がいた。ペンを持つときもサッカーボールを蹴るときも箸を持つときも彼女が彼をふらつかせた。夜、自室のベッドで横になっているときそれは最も強くなった。いつか彼女が、この布団に取って代わって俺にぬくもりを注いでくれることを切望していた。
そんな身の入らない生活に身を投じていた最中のとある昼休み。購買から帰ってくると悠也がいつものように俺の前の席に座っていた。が、なにか考え込んでいるような表情をしていたことに俺は違和感を覚えた。彼が何事かに悩むようには到底思えなかった。俺は興味をそそられた。
「悠也どうしたー?どこかの彫像みたいだぞ、顔」
彼は考える表情を崩さず言った。
「今日の放課後空いてるか」
まるで脈絡のない質問だったが、何か話してくれることを期待して「空いてるよ」と答えた。実際、自動車学校の予約は入っていなかった。
「じゃあ図書室に行こうぜ」
「それはいいけど、なんで図書室?」
「うん・・・・時間がかかるかもしれないからね」
「なにかあったのか」
「まぁ・・・あったっちゃあったのかな・・・」
彼は遠いどこかを眺めるような目をしてつぶやいた。
時間が必要なことで、図書室のような場所を必要とすること。俺になにか話があるのではないかと直感した。ならばこれ以上ここで言っても無駄だろう。
「じゃあ放課後、図書室な」
俺は話題を変えようと思った。会話のネタにと、メロディーとリズムのどちらが好みか尋ねてみた。彼はそっけなく「空と海、どちらを捨てても世界は滅びるぞ」と答えた。俺は思いがけない返事に答えあぐねていると、彼は付け足すように「リズムだろjk」と言って口元で笑った。なんだ、お前も同じだったのか。笑いの内に昼休みは終わった。
放課後の図書室は思っていたより賑わいを見せていた。
突然だがこの学校の図書室は異様なほど充実している。片側6人の12人掛けのテーブルが6つ並んだ中央の広間がドアを開けると飛び込んでくる。その向こうに本棚がずらりと並んでいてさながら森のようだった。それが一階で、二階は階段を上がったところと適当なまばらな場所にささやかなソファーが並んでいる以外ほぼ本棚だった。それぞれの階が体育館ばりの広さを持っていた。
校長が「本を読ませなければ人間が死ぬ」とでも思っているのかと感じさせるほどの本好きで大幅改築を行ったせいだった。しかし俺はこの図書室が好きだった。この学校の自慢できる唯一のところだとも思っている。
俺達は二階の本棚の奥に向かった。そこは三つのソファーが三角の頂点にそれぞれ置かれていて、二つは壁に接している形になっている。到着して悠也は一番壁から離れたソファーに座った。俺は彼に対面するように壁側に腰を下ろした。この場所は法律や哲学などの専門書の棚の近くなのもあって人が来ることは滅多にない。
実はここは自分のお気に入りのスポットでもあった。放課後誰にも邪魔されることなく、家の本を持ち込んで過ごすという極めて非社交的な楽しみに興じることができるからだ。つまり内緒話をするには絶好の環境だった。
お互いに座った後しばらくの間沈黙が続いた。あんまり急かしても嫌がられそうだったので俺は黙って辺りを眺めていた。
「実はさ、俺」
とうとう悠也が口を開いた。うん、と相槌をいれて先を促がす。彼の顔を見て聞く意志を示した。彼は数瞬の間を置いてから言った。
「す、好き」
おまえまさか、お、俺のことが・・・
「好きな人ができたかもしれない・・・」
俺は数秒間呆気にとられた。悠也の視線にきづいて何か言わなくてはと思った。
「ま、まじで?」。
彼の視線は宙をみていた。
「いや・・・これがほんとに好きっていうのかよくわかんないんだけどさ」
「え、どんな感じ?どきどきしてきちゃうとか?」
「言葉にするのはちょっと難しいんだけど・・・」
そういってしどろもどろ、いちいち「好きなのかわかんないけどさ」と断りをいれながら話す悠也の様子を見て俺は確信した。こいつは惚れている女がいる、と。今の俺も似たような状態にあるから非常によく理解することができた。俺は嬉しかった。女性嫌いのこいつが―――昔何があったかまでは聞いてないが―――まさか女子に恋をするなんて。悠也にとっての一大事、人生が一変するかもしれない大事件だ。俺は成長を見守る親のようなほほえましい気持ちになりながら彼の言葉に相槌を入れていた。とうとう言いたかった事を全部吐き出してしまったようで、頭をかきながら「これってやっぱり・・・好きってことなのかな」とつぶやいた。
「だろうな。いや確実に”好き”ってことだよ、それは」
「そ、そうか・・・」
顔が真っ赤になっている悠也をみてすこしサディスティックな感情が湧いてきた。からかうつもりで俺は訊ねた。
「なあ、それってどこのクラスの子?」
「ああ・・・!それを言ってなかったな。実は・・・」
俺は真剣に耳を傾けた。
「その子、やましたひよりって言うんだ。ほら同じクラスの。」
さすがに悠也も慣れてきたようでさらっと言い放った。俺の時間が止まった。まるで全身が一瞬に血液ごと凍りついてしまったかのようだった。やましたひより。確かに彼はそう言った。普通に漢字を当てれば・・・いや、同じクラスのといったら一人しかいない。山下 日和。まさか、まさかまさか。
「・・・?どうした?智」
とも。智。あ、そうか。俺か。
「い、いや、まさかそんな身近だったなんて・・・と思ってな」
何とか時間は動き出すことができた。が、今度は逆に心拍が上がっていくように感じられた。
「え、これって変かな・・・」
悠也はさっきとうって変わって、不安そうな表情をしている。今、自分の表情からなにか感づかれたらやばい。なんとか隠し通さねばならない。そう思った。
「いや、むしろよくあることだよ。社内恋愛とかあるじゃないか」
表情を取り繕ってできるだけ平静を保とうと必死で努力した。悠也から不安の色が消えた。
「よかった。智がそういってくれるなら一安心だ」
俺は今全く安心できてないがな。ともかくこの話を終わらせなければ。いつまで冷静でいられるか自分でも分からなかった。
「今のところ告白は・・・するのか?」
「え、いやそこまではまだ・・・」
「まぁそうだよな。俺だってすぐには無理だ。」
「・・・これからどうすればいいかな。」
悠也は俺を人付き合いの先輩として頼ってきている。なら、それに答えなければ俺は親友を失うことになる。
「とりあえず、いきなりでも相手が困っちまうだろうから、その子の好きなものとか話題とか・・・話しかけるための情報を集めてみたらどうかな。元何部とかでなんか分かるかも」
「まあ千里の道も一歩からともいうし、少しづつ頑張ろう。」
「俺も協力する」
なんて裏腹な言葉たちであろうか。とにかく俺はここから逃げ出したかった。
「なぁ・・・悠也、お前疲れてないか?」
「え・・・、ああ、たしかに。慣れないことしたせいかな」
「そろそろ帰って休んだほうがいいんじゃないか。明日からまた頑張らなくちゃいけなくなるだろ?」
俺はそう言って腰を上げた。悠也は納得したようで俺に続いて腰を上げた。じゃあいこうぜと本棚の間を二人で歩いていく。不意に悠也が話しかけてきた。
「今日はありがと。智のおかげで・・・ほんと気持ちが楽になったよ」
心がちくりと痛んだ。
「友達なら当然だろ。正直、お前が女子を好きになるなんて思ってなかった。頑張れよ」
俺は親友の背中を叩いた。俺の方が背が低いのに加え、肩があがらず腰近くになってしまった。もしくはこの行為が本心からのものでなかったから、だろうか。悠也が病院に行くというので校門で二手に別れた。俺は一度立ち止まり悠也の背中を見送った。胸の奥を締め付ける何かの存在を感じた。帰宅してすぐ自分の部屋に入って明かりもつけずベッドに横たわった。
俺は――考えるのを止めた。
恋する男子の描写に那由他ほども自信がございません。
恋愛経験ほか文章についてでもなんでも指摘してくださるとありがたく思います。