恋する者
時は三学期。この時期は進路も決まり暇を持て余す学生が増殖すると聞く。俺も例に漏れず、時間を潰すためどんなゲームができるか考えていた。
しかしそんな自由な時間を親は許してくれなかった。他の学生と同じように自動車学校に行って免許をとって来いと命令された。話を聞くとそうしなければならないような気がしてきたし、それを断る理由も見つからなかった。
そうして入校手続きの説明を受けに自動車学校に寄った帰りだった。住民票、授業料、判子など入校に必要な持ち物を頭の中で整理しているとき、ふとバッグに弁当箱が入っていないことに気が付いた。しまった、と思った。一度学校に戻るのは面倒くさい。だが取りに行かなかったときの弁当の悪臭と母の小言を恐れ、結局取りに戻った。
駐輪場に着いたとき学校の活気を肌に感じた。下級生たちの掛け声がそこここから聞こえてきたのだ。俺は部活なんてご苦労なことだと思った。が、それと同時にそんな下級生たちを羨ましがっている自分を発見した。きっと俺の持っていない才能を部活を通じて発揮している彼らに嫉妬しているのだ、という思いが脳裏をかすめた。しかし俺はそれを否定した。人間にはもって生まれた才能というものがある。悠也がいい例だ。アイツを超えることなどできない。つまり天才には敵わない。もっと才能にあふれたような奴だったならいざしらず、俺には絶対にできないことだ。
俺は事務室の前まで来た。この学校はここに教室の鍵を陳列しているのだ。流石に五時には鍵を仕舞っているらしいが、少し杜撰ではなかろうか。その分気兼ねなく鍵を取りに来れるのはありがたかったが。しかし鍵掛けには肝心のわが3-4の鍵が無かった。おれは落胆した。ここに鍵が無いということは残っている誰かが持っている可能性を捨てきれないということだ。どこにいるかもわからない誰かを探し出す気にはなれない。とにかく教室が開いていることを祈って階段を上った。
三年の教室が連なった廊下はひっそり静かで人の気配が感じられなった。こういう雰囲気だと無意味にこっそり歩いてみたくなる。きっとみんなもそうするだろう。俺もそうした。
そして教室のドアに手を掛けたとき――この瞬間から運命の車輪が周り始めたのだ!――俺はびくりと体を震わせて立ち止まった。
教室には一人の女子が残っていたのだ。俺は唾を飲み、瞬きもせず、彼女を見つめていた。彼女は芸術そのものだった。夕日特有のオレンジ色の斜光が照らす室内。黒板からほど近い机に彼女は顔を横にし両手をその下に敷いて伏していた。どうやら寝ているようであった。そのどこか幸せそうにも感じる寝顔―――たとえるなら聖母マリアの微笑。愛をその身に体現した如来の微笑み―――に俺は心を揺さぶられた。奪われたといってもいい。俺は立ちすくんだ。今この教室に入ることは神聖は領域を汚すような、完成された最高の絵画にインクをぶちまけるような愚かしい行為に思えた。俺は弁当箱のことなど吹き飛んでしまって、ただただその芸術に見入っていた。
どのくらいたったかわからない。突如彼女が目を開いた。俺は彼女に気取られまいと逃げ出してしまった。
それが俺と彼女の出会いだった。いや、出会いというのは正確な表現じゃない。彼女を再認識したというのが正しい。なぜなら――驚いたことに――彼女はクラスメイトだったのだ。それからというもの彼女を意識できない日がなかった。授業中、ちらちらと彼女を見てはその姿を目に焼き付けたり、ぼっと惚けたりすることが多くなった。彼女は風だった。俺の春のような浮かれた心地に彼女の控えめな表情が吹き抜けていく。そんな気がして、楽しくて仕方なかった。授業の内容も忘れて彼女のことばかり考えていた。
そのうちに考えているばかりでは収まりきれなくなった俺は、彼女のことを調べ始めた。
名前は山下 日和。三月一日生まれの現在17歳。身長は165くらいだろう。女子の中では高いほうなのか?それは女子を見比べたりするのは失礼だと思って考えようともしなかった自分にはわからなかった。外観の特徴を挙げるとするなら、黒の長いストレートで前を切らず分けてヘアピンなど留めている。童顔で優しげな目元に青色の瞳。幼いような、それでいて大人っぽい雰囲気。これ以上ないほど・・・好みだった。元美術部という経歴に現れているように趣味は絵、そして読書。だがその美術部を彼女は途中で辞めていた。その理由まではわからなった。しかし活動中に作られた作品に写実画と漫画キャラクターものが多かったことから推察するに本、漫画、イラストが好きらしい。もしかしたら自分と話が合うかもと勝手な希望を思い描いた。
俺は彼女の新しい側面を知れば知るほど喜びに包まれているように感じた。彼女にだんだんと近づいて行くような気がしたのだ。そんな想いが知らない間に表情に出ていたのかもしれない。悠也に色々と訪ねられた。「最近ニヤニヤしてんな・・・どうしたんだ?」「お前熱でも出てるのか」「もしかして・・・彼女?画面の中の」などとからかわれた。からかわれるのはいやだったが、彼女に対する思いが日増しに強くなっているのは事実だった。しかし俺にはそれを声にする勇気が湧かず、そのまま一週間が過ぎた。
以上、恋愛経験0の作者がお送りしました。恋愛経験ある方ない方楽しんでいただけたら幸いです。
暇な内にできる限り話を進めたい。