眼に見えないもの 導入
心は眼に見えない。
だがここにある、不思議なもの。
そんな不可解なものの答えを見つけるために、智は電車に乗った。
俺は坂を登っていた。駅から歩いて15分が経っていたがまだ目的地は見えない。
俺は時間を確認してバスを待っていればよかったと後悔していた。高度が上がるごとに強くなっていく北風に俺は足元をふらつかせた。
でも待てよと俺は思った。
15分坂道を行くのは割としんどいのだが、このあたりにすんでいる人はそれが日常であろうし、昔の人は電車もバスも使わず道を己の足で歩んでいた。ということはきっと俺が体力がないだけなのだ。やれやれ、中学校の頃は坂を登るとつい楽しくなって駆け出したものだが。俺は昔の俺を偲んで自分の今の体たらくを情けなく思った。途中のコンビニで買ったから揚げが最高に旨かった。
頂上にある目的地の周囲は手入れされた美しい草木のなかに統一性のないへんちくりんな格好の像が転がっているという、異様な雰囲気を醸しだしていた。
から揚げも無くなっていよいよ登ることしか頭になくなったころ目的地である美術館に着いた。
美術館は思っていた以上に大きく中に入ってからどこに行けばいいのか迷った。
うろうろしていると受付と思しきスペースの受付嬢と思しき女性がこちらを不審なものを見る目つきで見ているのがわかった。迷っていたからすごく挙動不審だったのだろう。俺は真直ぐそちらへ歩いていった。
受付で入場料千円を支払いようやく展示スペースに入ることができた。正直どこかに腰を下ろしたかったが、スペース内にはベンチもソファーもないようであった。
入場口を抜けてすぐの壁に大きな黒塗りの板に白い文字でここの展示物を作成した人のテーマが書かれていた。
要約するとその内容はこうだ。『目に見えないが感じることのできるものを視覚化する』
目に見えないものを、目に見えるようにする・・・。読んだときはなんとも無謀な挑戦だと思っいた。
目に見えないものの姿を見ることなんでできないだろう。目に見えないんだから。
だがその言葉を吟味していくと不思議なことにそれが納得できるような気がしてきた。目に見えないものといえば、心も目には見えない。だが、心は確実に存在していると感じる。このようなことを考えている俺の心があるのだから。
心の内なるものを表現するというのは、ガミの言っていたような創造力の発揮だ。目に見えるようにしていくというのはそのことを指しているのではなかろうか。目に見えないものを目に見えるようにする、か。もしかしたら芸術の全てに通じる論理なのかも知れない。
俺は会場を進んでいった。
会場内は実にカオスだった。
巨大な純白のツララ、真っ黒でとげとげしいしゃれこうべ、巨大なスクリューにもみえる波打つような木のドレス、カメレオンを擬人化したような少女と耳を背中にくっつけた肌色の蛙などなどが絶妙なバランスで置かれていた。よくもまぁこんな発想と表現方法があったものだなと感心してしまった。骨のみで形作られた異形を見たときはワクワクしたし、涙を浮かべた狼のドレスと全ての足に器具を取り付けた小鹿はなにか物悲しさを感じた。中でもラズベリーで手のひらを真っ赤に染めた少女の連続写真に見つめられたとき俺はドキッとしてしまった。ビクッというよりかドキッと言う感じだ。俺は自分自身にロリコンの疑惑を問うた。たぶん、素質はある。が、少女が傷つくことよりも自分の欲求を優先することを絶対にしないと自分を戒めてそれ以上考えるのは止めた。
俺は最後に設置されたフロアがとても気に入った。そこはとても白かった。展示物もそのフロアに同化するように真っ白だった。無数の白い単子葉類の葉のようなものが絡み合い人間や巨大な花を形作っていた。本当は白い作品にあわせてフロアを白くしているのだろうがそんなことよりもこの真っ白さがまず気に入った。
作品もとても好きになった。人間を形作る白い線たちは隙間だらけで曖昧、かつ外に向かって広がったりなびいたりして躍動感を感じた。そこの作品達は俺の目にはとても生き生きと爽やかに映った。できるなら自分にもこの雰囲気を纏ってみたいと思った。
ここまで歩き徹していよいよ歩き疲れた俺は会場の外のソファーでぐったりと休憩した。
時刻は一時半、お腹がとても空いた。だが館内は飲食禁止のお触れが出ているし、そもそもお昼ごはんを持ち合わせていない。俺は空腹感の増大と引き換えに休憩するよりか、お腹がすいて足元がおぼつかなくなる前にさっさと腹ごしらえしようと決めた。
そして席を立とうとすると驚くべき人物を見てしまった。
ずんぐりしたシルエット。にきびが多い丸々した顔。
「ガミ・・・なのか?」
いや見間違えるということはまずない顔だからガミに違いないんだが、こんなところに来ているとは思わなかった。
あの図書室の出不精・・・というか不動明王が親しげに壮年のおじさんと話している。
ガミはどこかを指差しながら何かを説明しているようだった。
俺がほんの数秒間その様子を見ていたその時ガミの指先が俺の方を向いた。それにあわせてガミが顔を動かしたため俺の姿がばっちり見られた。
ガミは目を丸くしていた。が、すぐにもとの表情に戻ってなにかおじさんと2、3言を交すと二人は分かれて俺の方へ歩いてきた。
「君か、まさかこんなところで会うなんて思っても見なかった」
「それはこっちのセリフだよ、ガミ」
ガミの私服を俺ははじめて見た。ベージュのズボンを茶色のベルトで閉めて白い下着にチェック柄の薄い上着をかけている。黒い革靴が微妙に暑そうだ。
おっさんか。俺の感想はそんな女性に対しては大分失礼なものだった。でもガミにはとてもマッチしているような気がする。
ジーパンに適当なパーカーを着て運動靴のファッションに少しも気を使ってこなかった俺に似合っているだのセンスがいいだの言う権利はないかもしれないが。
ガミは無表情な顔で訊ねてきた。
「君はお昼はもう済んだか」
「いや?まだだけど」
「なら私と一緒に食べに行かないか。旨いピザ屋があるんだ、奢ってやる」
唐突な誘いだと思った。そして怪しいと思った。ガミは決してけちなやつではないが、突然会って突然奢るほど豪快なやつだとも思えなかった。だが断る理由もない。もらえるものはもらっておこうが俺の行動原理のひとつでもある。俺とガミは共に美術館を出た。
「助かったよ」
ガミは席につくなりやれやれといった調子で言った。ガミに連れられて入った店は四角い箱のような形の特徴的な外見のカフェだった。入ると女性の店員がグラスを磨きながらいらっしゃいと迎え入れてくれた。和服を着た色白のきれいな女性だった。和服であることに多少驚きもしたが、こういう趣向の店なのだろうと自分を納得させた。
店内は茶色を主体とした色調で落ち着いた雰囲気が漂っていた。道路に面した窓は大きく店内に明るく光を取り込んでいた。窓には薄い純白のカーテンがかかっていて覗かれるという不安感を多少なりとも減少させていた。
不思議なことに客は俺達以外にいなかった。
「実はあの白髪のご老人に話しかけられてね、作品を見た感想を色々としゃべっていたんだが、どうにも作品名をチェックしていないで見ていたらしくて私の話してるのがどの作品だかわからない。それでいちいち説明しながら話していたんだがどうにも疲れてしまってね、そこに君がいたから「友人が戻ってきたのでお別れです」と逃げてきたんだ」
俺はガミの言葉からいつものガミとかなりギャップを感じていた。
「おまえでもそんな風に思うことがあるんだな」
「?どのことだ」
「人の話を煙たがるなんてお前らしくないように思える」
「出来るだけいろんな人間の主張を受け入れるようにはしているんだがね。歩き疲れていたからかもしれない。運動は苦手なんだ」
「なるほどな。で俺はありがたく昼食をご馳走になれたわけだ」
「そういうわけだ。君はあのご老人に感謝した方がいい」
「そうだな。白髪のきれいなおじさん、ありがとうございます」
ここのメニューはここはファミレスかと疑ってしまうほどの多さだった。ステーキやら北京ダックやらに目移りしてしまいそうだったが、俺は自分が一番旨そうだと思うピザを注文した。そもそもピザが旨いと連れられてきた店だったから、それ以外を注文するのはガミに失礼だと思った。値段はガミが頼んだのよりもちょっとばかし高かった。
ピザが来た瞬間に俺はお冷を口に付けていたことを後悔した。
メイド服の店員がピザを持ってきたからだ。
俺は思わず噴出しそうになるのを無理矢理こらえてむせ返ってしまった。
「どうしたんだ、智」
「いやいやいや、ここは和服カフェじゃないのか?」
「なにを言っている。私はそんなことは一度も言っていないぞ。ここの制服はメイド服だ」
「でもさっきの受付の人は和服だったじゃないか」
「あれはオーナーの普段着だからな。ちなみにメイド服もオーナーの趣味だ」
「だめだそいつ・・・はやくどうにかしないと・・・」
「ここは料理屋だ。店員の服装などどうでもいいことだ。ぶつぶついっていると冷めるぞ」
先に食べ始めたガミにならって俺もピザを口に運んだ。
「!」
思わず声にならない声が出てしまった。それほどにおいしかった。
「旨いだろ」
ガミは食べても食べていなくてもほとんど表情を変えない。だが今は気持ち嬉しそうにしている気がした。
「ああ・・・すごくおいしい」
その後俺は一言もしゃべることなく次々とピザを口に運んだ。食べることに夢中になってしまっていた。ガミも黙々と味わって食べていた。
カフェとか行ったことないからどんなもんかわからない・・・。ピザとか売ってるもんなのかな。スタバにも行ったことない俺には未知の世界だ。
まぁそれは置いといて、ピザたべたいなぁ。