決めた者
長い間空けました。
「これは矛盾した行動だと、私は考える。愛していると言いつつ愛されることを望む」
俺は抵抗した。
「お前は愛されたいと思ってもいけないとでも言うつもりなのか」
ガミはなにを言っているんだかと呆れるような表情になった。
「そんなことはありえない。人は必ず心のどこかでそう考えているはずだ」
「ならお前が言ったのはどういうことだ」
「要するに”お礼”をもらうためにするのは純粋な愛とはいえないと言いたいのだ。拾った一割をもらうために財布を交番に届ける。好きだと言って欲しいから親切にする。友達で居てあげるから私のいいなりになって。これだけあなたのためにしたのだからあなたも私になにかするべき。…これだけしたのだから、これだけしてくれなんて。それではただの商売だ」
ガミは何かを思い浮かべているような細い視線を宙に投げかけていた。
「もう一度言おう。私の考えている愛とは対象の精神的成長を助ける行動であるべきだ。つまりさっき言ったパターンは愛じゃない。たとえばだ。ここに親子が居たとしよう。この親は子供が望むとおりになんでもする。りんごが食べたいといえばりんごの皮を剥き一口サイズの大きさに切ってよこす。ゲームも家電も好きなだけ買ってあげるしお小遣いもたくさん遣る。遊びに出かけて何日も帰ってこなくても怒らないし、宿題がいやだといえば先生に抗議するし、学校でわが子がイジメをしていても子供を守るために事実を一切認めない。こうした子供時代を送ったこの子は、いったいどんな大人に育つだろうか。君はどう思う」
「・・・」
俺は答えなかった。
「私は思うんだ。ろくな大人にならないだろうと。理不尽や苦難に耐えることなく不平不満を周囲に喚き散らせば誰かがどうにかしてくれると心の底から考えるようになるだろう。自分とそぐわないものはどんな人間の意見も認めようとはしないだろう。人を傷つけても犯しても何の罪の意識も感じない人間になるだろう。やがて彼女の元から人は去っていき、孤独と苛立ちのみが残されるだろう。ではこんな大人を育ててしまった親には愛はあったのか?彼らは彼女に何でも与えた。彼らは彼女を”愛していた”から何の制限も規則も設けず勝手にやらせた。彼らは彼女が好きだった。」
「だから愛は相手の精神的成長を願わなくてはならないんだ」
「私が思うに本当に彼女を愛しているのなら、自分たちが居なくなっても彼女がこの世の中で生きていくことができるように教育するべきだった。りんごを一人でも剥けるように包丁の使い方を教えてやってもいい。お小遣いはほどほどにしてお金の上手い運用の方法を学ばせてやってもいいだろう。約束を守ることは社会の細かなルールに従う練習になる。人を傷つけたらそれを叱って正してやる。あえて厳しく接することも時として愛となるのだ。可愛い子には旅をさせよなんていうことわざがある様に、だ。」
ガミはようやく一息ついて肩を下げた。俺も体の力を抜いた。いつのまにか俺はなんとか彼女の言っている内容を聞き逃さないように懸命になっていた。ガミはまた口を動かし始めた。
「他のパターンで言うなら二股三股かけている人間の場合もある。彼らはそれぞれ愛を感じているが二股がばれたら全てがひっくり返る。彼らの言う愛はそのまま憎悪になるだろう。たとえ「二番でもいい」と思っても幸福ではなく劣等感を感じるだろう」
俺はガミの話をきいている間自分の愛と言っていたものが、実はとてつもなく思慮の浅いものだったのではないかと思い始めていた。好きか嫌いかなんて単純な話で済ませられるものじゃないんだと言われているような気がした。
「俺は・・・間違っていたのか」
ガミの話を遮って俺はつぶやいた。ガミは間違っていたって言うのは君の愛の定義のことか、と聞いてきた。俺は頷いた。だがガミは反論した。
「そんなことはない。それは今さっきまでの君にとっては真実だった。それに、君の言っていることにも一理ある」
そう前置きしてまたガミは語り始めた。
「好きならば愛がある。たしかにそういうこともある。好きであるという事は関心をもてるということになるからな。誰かを好きになり、恋に落ちてラブラブしているとき、2人の心には愛の感情が芽生えている。好きな人には親切にしやすいし、そうすること事態が楽しい。不倫されれば愛がないと感じるだろうし、事実愛の気持ちは冷めているだろう」
「でもお前はそう思ってはいない」
「そうだ、熱しやすく冷めやすい感情のような愛は、真実の愛といえるだろうかと私は疑問を持った。私は真の愛は嫌いな人間にも、気の進まない相手にも向けられるべきだと思うのだ」
はっきりとそういわれるとなにも言えなかった。やはり否定された気分はぬぐえなかった。ガミは大きく間をあけてゆっくりと言った。
「・・・もし、君が自分が間違っているんじゃないかと思ったなら、それはとても素晴らしいことだ」
「え?」
「普通のやつは自分は間違ってないって反抗したがる。自分の思っていたことは間違っているのかもしれない、と疑えるほど素直なのは君の才能だ」
「褒めているのか?」
「褒めているのさ。おい、君に一つ期待していいか?」
「何をだ?」
「自分が間違っているかもしれないと思った時、君ならどうする?」
「・・・それでどんな答えを期待している?」
「自分を拡げる」
「「自分を拡げる」?」
「もっと大きなものの見方を手に入れるということだ」
「どうすればそんなことができる?」
「間違っているかも知れない自分を見つめ直し、正しいかも知れない相手の意見も見つめなおし、正しさというものを追求してみろ」
「そんなこと・・・、なぁ、それは普通の生活の中でできることか。普通の人間ができることなのか」
「できる。というよりそれだ」
「・・・そうか」
二人はまた黙った。
俺は一つ決心した。
「・・・なあガミ」
「なんだ」
「明日もお前はここにいるか?」
「居るだろうな」
「また来てもいいか?」
「それはお前が選べ」
「・・・そうか、そうだよな」
俺は目をつぶり深呼吸してから立ち上がる。イスに座り俺の目を見詰めているガミの目を見返した。
「帰っていいか?」
「…つき合わせて悪かったな」
最初と打って変わった素直な謝罪の言葉に俺はおどろいた。だが俺は腹が減ったと一言だけ言い残して部屋を去った。
次の日、俺は鍵の掛けられた図書室の前で呆然と立ちすくんでいた。