影の通り魔4
通り魔の逮捕は緊急で大掛かりに報道された。
匿名の通報によって駆け付けた警官がベンチの上で意識を失い眠るように横たわる男を発見し、警官が男の持ち物を調べるとポケットからスタンガンが出て来た事で重要参考人という肩書きで連行して行った。
ただこの時点では重要参考人だ。通報の内容では通り魔がいるという事であったが、それを完全に信用するわけにはいかない。ガセの場合警察に非難が行くからである。
それを見越した上で浩介はスタンガンを通り魔のポケットに直した。
今は連行されるだけで良い。そうなれば警察はその男の情報を細かい所まで調べ尽くす。全く証拠を残さない通り魔であれ、そうなればお手上げだ。
完全に無実であれば逆に調べてくれという思いもあるが、この男は黒だ。些細な情報でさえ通り魔と繋がってしまうこの男に出来ることは自白することだけであった。
男の名前は山田雅樹。大学生の若い男である。
遊び半分で犯行に及び、それに味を占め何度も繰り返した。山田の自宅から事前に下調べをした場所が書き写された計画書が見つかり、その全てが犯行現場と一致したことで警察は逮捕へと踏み切り、本人も自白している為急速に事件は解決していった。
マスコミによって流されたニュースで住民は心から喜んだ。
いつまで通り魔を恐れながら生活していかなければならないのか、という不安を払拭出来たからだ。
これで全てが解決したと誰もがそう思っていた。しかしそれは違っていた。
山田は当然のように殺害を否定する。
ただ女性を襲い、快楽と優越感に浸っていただけなのに殺人までする意味が無いと思っていたし、伝えもした。
それはあくまで本人の意志であって他人には全っく関係のない話だ。通り魔が何を言おうが結局危険因子に他ならない。殺人を犯す理由など赤の他人からしてみたら正直どうでも良い事なのだ。
だが結果警察は山田を殺人犯と決める事は出来なかった。
動機も無ければ証拠も無い。ましてや彼にはアリバイが有った。その時間居酒屋で飲んでいたと一緒にいた友人が証明したのだ。
山田では無いとしたら一体誰なのか。
警察は再調査をする羽目になり、浩介の考える思惑通り捜査線上に藤田の名前が上がっていったのである。
その日の夕方、浩介は白ヶ丘学園の屋上にいた。
通り魔を捕まえ、第一段階となる準備も終えた。後は呼び出した犯人が来るのを待つだけである。
ここからが本当の勝負だ。
この事件真相に対し浩介の推理、準備共に抜かりは無い。後は相手がどう出てくるか。その思考と思惑に頭をフル回転させ、目を瞑り集中させていた。
だが浩介は細かな点で悩んでいると言う訳ではない。
認めるか反抗するかの二つである。
認めるならそれで良い。反抗して来るにもその時は真っ向勝負で良い。要はその方法だ。
闇討ちで来られた場合、下手しこちらが不利になる。だがそれを交わせるだけの面子はいない。綾華を戦力に入れないと考えると多少の無茶は必要だと内心決めていた。
そんな浩介の頬に温かい感触が伝わり咄嗟に顔を上げた。
そこに立っていたのは綾華であり、両手に缶コーヒーを持ちその一つを目を閉じて座っていた浩介の頬に当てたのだ。
そしてその缶コーヒーを浩介へと差し出した。
「はい、これ。私が敵なら一発でアウトよ」
若干心配そうな顔を向ける綾華に対し、気付かなかったのは殺気を出さない綾華だったからだと思いつつ苦笑する。
「悪い。少し考え事をしてた」
それでも屋上に入ってきた綾華にさえ気付かない程集中していた事に反省をし、缶コーヒーを受け取った。
「いいな、綾華。もし何かあったら――」
「直ぐに逃げろ、でしょ?」
浩介はそうだと頷いたが、綾華は逃げる気など更々無かった。
幼い頃から親の影響で護身術を習っていた事は浩介もまだ知らない。自分の身は自分で守れると思っていた綾華だが、それを知った所で命のやり取りに成りかねない現状では浩介の返答は同じだと分かっていたからである。
缶コーヒーを飲み終えた時、屋上の扉がガチャリと開いた。
此処まで上がってくる人がいれば、それは呼び出した人物しかいないと想定していた二人は同時に立ち上がり入ってきた人物に視線を送った。
その男も直ぐに二人を見付け歩み寄る。
「D組の楠木さんも一緒か。どうしたんだ高崎?私をこんな所に呼び出して……?」
男は五メートル手前で立ち止まり、浩介に真剣な表情で尋ねた。
「何故あなたを呼び出したか、もう気付いているでしょう?管先生」
浩介と綾華が目星を付けた人物は、浩介の担任の先生である管新太郎であった。
真剣な表情をしている管だがいつも通り威厳は感じられず、どこかおどおどしているようにも見られる。
「い、いや。解らんな」
性格上か、明らかに動揺している事を隠しきれていなかった。寒いぐらいの屋外であるが、管は顔から冷や汗を流している。
「先生。あなた、結婚してますよね?そして二人の子供もいる」
「そ、そうだが……」
「では、加藤沙耶とは不倫関係だったという事ですね?」
「――な、何を!?」
声を張る管に対し、綾華が写真を取り出し顔の前に突き出した。
二人並んで肩を組み笑顔を向けるその写真からは、恋人としか思えないほど密着している。背景に写っている部屋もそういったホテルの類いである事が容易に理解出来た。
「これ、沙耶の部屋で見付けたのよ。日付は半年前。あなたは沙耶と不倫関係にあったと見て間違い無いわね」
沙耶の部屋を捜索したのは今日の午前中である。綾華が友達だと言うと簡単に家に上がらせてもらうことが出来、尚且つ部屋も容易に見せてくれたのだ。
「沙耶は藤田稔にこう言っていたそうよ。今付き合っている人にこんな所見られたくないと。その意味分かる?」
女性が彼氏に告白される瞬間を見られることは教師、生徒関係無くそう思う事だろう。
だが疑問なのは何故親友にも付き合っている人を話していないのかだ。
沙耶の性格上、親友には今まで付き合っていた男を紹介している。だが今回はそれを隠していたのだ。
浩介達は付き合っていて何か問題のある相手ではないかと思えていた。そしてこんな所見られたくないという言葉から、学校内部の人物であると推測出来る。
綾華の絞った付き合っている可能性のある四人から考えると、結婚をして子供もいる管だけということになったのである。
他の三人は沙耶と仲の良い友達なのだが、綾華が候補に管を入れたのは今にも消えてしまいそうな小さな噂からである。
二人で歩いている所を同じ学校の生徒が目撃していたのだ。
少し距離があり顔も明確に分からず、それを見た学生も噂にまでしようとは思っていなかったらしく学校中に広まる事は無かった。だが調べていた綾華に偶然その情報が入ったのだ。
只の噂で信憑性も無いものであるが、この写真まで出て来たのだから間違い無い事実であると確信出来る。
最早紛れも無い証拠を見せられた管は今まで以上に汗を流していた。
「そ、それの何が悪い!不倫だろうが何だろうが付き合っていた事がそんなに悪いことなのかっ!!」
「それは大して問題じゃ無い。不倫だろうがあんたの好きにすれば良いさ。だけど、その気持ちが加藤沙耶からの一方通行だったとなれば話は別だ」
「――っ!!」
「今の学生ってね、ブログとかで日記を書く子が多いのよ。沙耶もその中の一人。親友に見せるブログとは違い、もう一つの日記をとあるサイトに書いていたの」
それは悩みを書くだけでそれを見た全国の人が意見や感想を送るサイトであった。名前や学校名などは公表せずに沙耶は悩みを日記のように綴っていたのだ。
綾華はそれをコピーした紙を管に放り投げた。ヒラヒラと舞う紙は管の足元へと着地していった。
「それによればあなたは奥さんに感づかれ、そして沙耶に終わりを告げた。沙耶は納得せず、あなたを脅した。バラしたらあなたの家庭も終わりよ、とね」
沙耶にとってみれば今の関係でも満足していた。それ程管の事が好きだった。だが管は家庭を取ったのだ。ただ魔が差し、遊び程度の気持ちであった。
その交わる事の無い思想が沙耶を強気へと出させ、管が手に負えなくなる結果を生んだ。
管は何も言えずただおろおろと視線を変えるだけだった。
浩介はそんな管を尻目に煙草を吸い始めた。今更教師面出来る訳も無く、バレた所で浩介には何の支障も無い。
「そこであんたが浮上した時、俺は一つの疑問を感じた」
浩介が言ったのは何か引っ掛かる事があると言っていた内容である。
「葬儀の時、あんた泣いていたよな?」
浩介の思い浮かべた出来事は沙耶の担任と共に、ハンカチを目に当て泣いていた管の姿であった。
「教師として――と、当然のことだ!!」
「今更何を言ってやがる?」
呆れた口調で言い放ち、煙を吐き出した。
「あんたは不倫関係にあったんだぞ?しかもあんたにその気は無く妻にバラすと脅されている中でだ。あんたがする行動は泣く事では無く、寧ろ喜ぶ事だ」
「そ、それは――」
「だがあんたは当然のように泣いていた。いや、そう演技をした。それが当たり前の出来事であるかのように」
管が犯人だと考えたあの時、浩介はそう思っていた。
不倫であろうが二人が満足していれば泣いていても不思議ではない。寧ろそうあるべきだ。だが現に沙耶は殺されている。となれば何かしらの問題を抱えている事になる。殺人まで起こさなければならなかった重大な何かをだ。
そんな奴が涙など出る訳がない。
そう考えた時、泣いているのは演技だと確信したのだ。
「じゃあ何故あんたは演技をする必要があった?答えは一つだ。バレたくない出来事は不倫などでは無く、事件の方を優先したからだ」
愛し合っていたのなら泣いた方が自然。ただそれとは関係無く、不倫関係がバレたくなければ泣いた方が余計疑われる。なら泣かずに立ち回る方がバレにくい。
だが事件についてバレたくなければまたその逆となる。
泣いていればそんな人が殺す訳ないと他人に思い込ませる事が出来る。不倫はしていたものの、それを知っている人はいないと思っていた管にとってどちらを優先するかは一目瞭然であった。
そう考えれば管が事件に関与している事は火を見るより明らかだ。
「あんたは考え過ぎた。それが裏目となり俺達に疑われる事になったんだ」
管の顔は既に青ざめていて死人のような顔つきになっていた。だが、まだ切り札を隠し持っていた管はニヤリと口元を吊り上げた。
「凄いな高崎。見事な推理だ。だがその推理は未完成だ。私にはその時間にアリバイがある」
一般人の推理では極めて難易度の高い問題である。
管は余裕があるかのように言葉を出した。
「それは確認済みだ。あの時はずっと家族と共にいたんだろ?」
管の妻に確認を取ったのだからまず間違いは無い。管はあの日早めに帰宅し、常に妻と子供と一緒にいたのだ。
ならば何故こんなに浩介は余裕を持っているのか。
――そんな筈はない!
有り得ない思考が頭に浮かび、一度は引いた冷や汗が再び管の額から流れ落ちる。
「殺害したのはあんたじゃない。だが引き金はあんただ。計画犯と実行犯と言った方が分かり易いかな……?」
「は、はは……誰がこんな計画に手を貸してくれると思ってるんだ?」
強気には出るが、焦りは治まらない。
管は唾を飲み込んだ。
「金を出せばどんな依頼も引き受ける奴等、通称『依頼屋』だよ」
浩介の言葉に管は驚愕の目を向けながら、一歩、また一歩と後退していった。
一般人には余り広まっていない依頼屋の存在を知っていた浩介に動揺し、恐怖すら感じていた。
警察でさえ把握していない依頼屋を使えば間違い無く上手くいくと思っていた。そして好都合なことに通り魔が出没しているこの付近なら真っ先に疑いが掛かる。そして藤田稔という存在も大きい。
その二つの壁が自身を守っていたのだ。
なのに何故これほどまで暴かれているのか、今の管には考える冷静さも無かった。
「なっ!?何故……その存在を――」
「あんたが知る事じゃない。それと最後に聞かせて欲しい。やっぱりあんたもあの教会に行ってたんだな?」
これは賭だった。
何故管が依頼屋を知っていたのか?どこで接触したのか?今の浩介達には正確に答える事など出来なかったのだ。
藤田の存在を管が知っていたのも、沙耶から聞いたと考えられる。
だが、藤田が振られて一週間という絶妙なタイミングからして管が全てを計画していたとは考え難い。
では協力していた第三者は誰なのかと考えた時、藤田の行動を事細かに聞ける教会という結論に辿り着いた。
だが所詮憶測であり、浩介の勘でしかない。否定されたらそれまでだが、今の管ならばリアクション一つで見極められると確信していた。
案の定管はさらに動揺していた。
「な、何故それを……!?」
「やっぱりな」
その言動で浩介は確信した。
あの教会が『依頼屋という組織』の一部である事を。
「いやはや、お見事。高崎浩介君」
「!?」
静寂な屋上に声が響き渡る。
綾華でも管でも無い。まるで違う低い声に浩介は聞き覚えがあった。
管の立つ後ろ、屋上の扉から二人の男が姿を表し、その中の見覚えのある男がパチパチと拍手をしながら歩いて来る。
「やっぱりあんたが計画犯だったんだな、牧師さん」
それは教会で会った牧師であった。以前と変わらぬ格好で首から十字架をぶら下げている。
一方もう一人の男は見覚えは無く、ただニヤニヤと笑みを零しているだけであった。
その中、真っ先に動いたのは管だった。
助かったと思い牧師の元へ駆け出して行ったのだ。
牧師は管の肩をポンと軽く叩くと再び浩介達との距離を詰めていった。
浩介としても牧師が来ることは想定内である。管を呼び出した時点で協力者に応援を求める事ぐらい想像していたのだ。
「あなたは随分と頭が切れるようだ。依頼屋と何か繋がりでもあるのかな?」
何故依頼屋の事を知っているのかという点を尋ねてきていると解釈した浩介だが、元々本当の事を話すつもりは無い。
「まあ、俺も色々あったんでな。闇社会については何かと知ってるんだよ」
浩介はそう言いながら短くなった煙草を足下へ落とすと靴で踏み潰した。
「そうですか。まあそんな事はどっちでもいいんですけどね」
浩介達から五メートルの距離を空け三人は足を止めた。
「どうすんの?」
浩介の耳元でそう囁いた綾華は、チラッと管でも牧師でも無いもう一人の男を見た。
髪は短めに揃えていて、グレーのシャツにシンプルなスラックスといったラフな格好をしている。だが、服の上からでも分かる強靭な筋肉と異質なオーラは綾華も危険だと判断したようだ。
浩介も綾華と同じ思考を持っており、最も警戒しなければならない相手だと認識していた。
「どうにかする。綾華はタイミングを見計らい逃げてくれ」
浩介も綾華にそう囁いた。
「そう簡単には逃がしませんよ」
二人のやり取りから何となく解釈した牧師は苦笑しながら釘を差した。
内容を理解された浩介もまた苦笑する。
「あんたらはどういう関係なんだ?」
ここで言い争いをしても意味がない。浩介は話題を変え、率直な疑問を口にした。
「簡単な事だ。管さんが加藤沙耶との事について相談しに来ていたんだ。それから暫くして、……彼、なんて言ったかな?」
「藤田だ」
「そう。藤田君が相談しに来たんだよ。あの時程笑った事は無いかも知れない。フフッ……偶然が重なり合って面白かったよ」
牧師は思い返しながら心の底から笑っていた。
その対応に憤怒した綾華は一歩前へ出ようとしたがそれを浩介が手で制した。
「それであんたは加藤沙耶を殺す事を提案し、そいつからがっつり金を巻き上げた訳か」
そいつとは無論管の事である。
もう教師とは思っていない浩介は目線だけで牧師に伝えた。
それに牧師は頷く。
「あんたの教会は『依頼屋』の組織の一部と考えていいのか?」
「少し違うな。確かに繋がってはいるが正式な組織の一部ではない」
「となると、仲介役のような感じか?」
「本当に頭が切れるな。その通りだ。我々が依頼を受け計画を立てる。後は依頼屋組織に頼み近場の奴に実行して貰う。勿論フリーの奴等ではなく組織によって鍛えられた連中にな」
「成る程。だがそれほどの組織だ。中には失敗する事もあるだろう?」
浩介はある程度は理解した。
依頼屋という組織は確かに存在している。どういうシステムかは知らないが仲介屋などから依頼を貰い人選をして送り込む。それで得たお金が幾らか入るという流れだ。
しかしそこで一つの疑問が生じた。
何故ここまで表沙汰にならないのかだ。
聞く限りそこまで複雑な組織ではない。そして各地に展開されていると推測すれば捕まってしまう奴も多くいるはずである。牧師が近場の奴と言っていた事からかなり人数は多いと考えれるからだ。
だがそんなニュースを聞いた事もなければ、存在自体知っている一般人も少ない。
どうやって隠し通しているのか浩介には検討がつかなかった。
そんな中、管と筋肉質の男に挟まれ、真ん中にいた牧師は一メートル程度下がり口を開いた。
「そうだ。しかし、この組織もルールには厳しくてな。バレそうになればどんな手段を使っても隠し通す」
「俺達を殺した後、藤田を自殺に見せかけ殺すのか?」
「……そこまで気付くか。だが、それだけでは終われない」
その言葉で筋肉質の男が管にチラリと目を移し、手を後ろの腰元へと移動させた。
「――ッ!? 逃げろ!!!」
浩介が叫ぶのと男が踏み切るのは正に同時であった。
管がとっさに反応出来る筈も無く、何がなんだか分かっていない様子でおろおろとしていた。
そして浩介の言葉虚しく男の手に持ったナイフが深々と胸に突き刺さったのである。






