影の通り魔2
藤田の部屋に到着した二人が最初に行ったのは部屋の片付けであった。
話をしようにも座るスペースもなく、一週間以上換気もしてないであろう異様な空気の中で話し合いもしたくは無かった。居間に行こうにも藤田の母親には聞かれたくはない。外出しようにもやつれた藤田と歩くことを綾華が頑なに拒否をしたのだ。勿論藤田には伝わらないようにだが。
そうとなるとこの部屋をどうにかするしかなかったのだ。
先ずは綾華がカーテンを開け、窓を全開にし空気を循環させた。浩介は床に散らばっている雑誌などを纏め、藤田がそれを部屋の在るべき場所へ直していった。その間、綾華は散乱したゴミを袋へ詰めていった。
そうすることによって、ものの十分で部屋は綺麗に片付いたのだった。
それに歓喜した母親がコーヒーとケーキを運んで来てくれた為、部屋にあるテーブルを囲むような形で話し合いへと移った。
その中で口火を切ったのは浩介だった。
「さて、先ずは伝えとくが、俺達はあんたを疑ってここまで来た」
「ッ!!」
「一つの候補としてだ。決めつけて来た訳じゃない」
浩介は藤田の動揺を抑えるよう口にした。そこで浩介の隣に座る綾華も口を開く。
「だから知ってる事を話してほしいのよ」
どのように藤田は沙耶と出会ったのか?何があったのか?沙耶は何を言ったのか?
藤田の善悪を知るにはそれを聞かなくてはならなかった。
藤田も一度は驚いた顔をしたものの、現実を考えれば疑われるのも無理はないと思えていた。
「……分かったよ。でもこれだけは言える。僕は沙耶ちゃんを愛していたんだ。殺すなんて絶対にしない」
藤田は少し悩んだが、このまま疑われ続けるのも嫌だったので話す事を決意した。何より犯人を知りたいと思うのは藤田も同じであった。
そして同時に浩介も藤田が犯人という説に疑問を感じていた。
状況的には疑われる側というのは分かるが、実際に会ってみたらそのような人間かと考え直させられた。
犯人を知っていると書かれた手紙を見て直ぐに飛び出して来たことや、今までの藤田の言動を見てもこいつには無理ではないかと考えていたのだ。
「……なるべく最初から話してくれるか?」
藤田は母親の持ってきたコーヒーを一口飲んだ。そしてカップをゆっくりとテーブルに戻すとコクンと頷いた。
「最初は僕の一目惚れだった。いつものように虐められた後、屋上で落ち込んでいた僕に『大丈夫ですか?』と声を掛けてくれたんだ。その時僕は沙耶ちゃんに惹かれた。あの時の優しい笑顔は今も、忘れ…られない……」
目に涙を浮かべる藤田に綾華はティッシュ箱を差し出した。
そこから紙を三枚引き抜くと涙を拭き鼻を咬む。それをゴミ箱へと捨て少し落ち着きを取り戻した藤田は、あの時の事を思い返すように話を続けた。
「あれから少し経って、気持ちが押さえられない僕は告白する事を決意した。結果は知っての通り振られたよ。『そこまで考えられません。ごめんなさい』てね。でも僕は諦め切れなかった。僕の通っている教会に行ってお祈りもしたし相談もした。その度告白した。でも駄目だった。最後の告白の時、『私今付き合っている人がいるの。その人にこんなところ見つかりたくないの。だからお願い!二度と私に話し掛けて来ないで!!』と言われた。頭が真っ白になった。自殺しようとも考えてた。そんな時、沙耶ちゃんが殺された事を知ったんだ……」
自分の容姿、性格故に恋愛を諦めていた藤田にとっては沙耶が初恋の相手であった。経験が無い為に自身の気持ちをあるがままに、何度も告白をした。自分の想いが伝われば沙耶もきっと振り向いてくれると信じていた。
ところがそれが裏目に出た。ついに聞きたく無かった言葉を聞いたのだ。それが『もう私に話し掛けないで!』だった。
何日も沙耶のことを想う日々が続いた藤田は頭の中が真っ白になった。そして全てが崩れていった気がした。
それからは学校も休み、悲しさと悔しさと後悔だけが藤田を支配し部屋を荒らしていった。本気で自殺も考えたが、それは実行に移すまでには至らなかった。
そんな藤田に沙耶の死が追い討ちをかけた。振られたばかりかその本人さえも奪うのか!と再び嘆き、苦しみ、悲しんだ。
運命とはなんと残酷なものかと生まれてきた自分を憎みさえもした。
思い出すだけで辛い記憶を話し終わると、ただ泣いていた藤田が突然机を叩いた。ダン!という音とその振動でカップに入ったコーヒーが溢れんばかりに揺れる。
「僕じゃない……僕じゃない……」
そう消えそうな声で握り拳を作りテーブルに頭を付けるぐらいに俯いていた。
浩介と綾華もそれを見ているだけの静寂の中に、藤田の泣き声だけが聞こえていた。
少し時間が経った後、その静寂を破ったのは浩介であった。大袈裟に溜息を吐いたのだ。
「まあ、落ち着けよ。あんたの気持ちは良く分かった。加藤沙耶を好きだった気持ちも、殺してないということも分かった」
浩介はそう言うと荷物を持って立ち上がった。もう帰るぞという意思表示と理解した綾華も立ち上がる。
二人は泣いている藤田に背を向け部屋から出ようとした時、扉の前で浩介が藤田に向き直る。
「ただ、ひとつ言わせて貰う。あんたは今のままで良いのか?このままウジウジしてるだけなら何かしら出来る事をした方が良いんじゃないか?」
「……なんだよ……今更僕に出来る事って何なんだよ!!何が出来るって言うんだよ!?」
藤田はどうして良いのか分からない苛立ちを涙と鼻水で濡れた顔で浩介を睨み付けた。
「あるだろ?今のあんたにでも出来る事が」
浩介は臆することなく、まるで赤子をあやすかのように落ち着いた口調で返す。
藤田は何も答えない。それをみた綾華が溜まらず口を開いた。
「手を合わせに行ってあげて。あなたが好きだった加藤沙耶の前で、あの時声を掛けてくれてありがとうって言ってあげてよ。あなたには辛い事だと思うけど、沙耶はもうこの世にいないのよ。ちゃんと別れを言ってあげてよ。それが今あなたが出来ることでしょ?」
それだけを言い浩介達はその場を後にした。
葬儀に行くなど考えてもいなかった。最後の挨拶など思った事も無かった。このままだと後悔するなど想像もしなかった。
藤田にとっては確かに辛かった思い出だ。でも最初に声を掛けてくれた沙耶の行動は本当に嬉しかった。救いだった。それなのに沙耶の事を考えず自己中心的に接していた。
藤田は身勝手な行動をしていたのは自分だったと気付いた。
――僕はなんて愚かなんだ……
「う…うぅ……あぁぁぁ……」
様々な感情が芽生えていき、一人になった部屋で藤田は声をあげて泣いた。
藤田家を出た二人は一度喫茶店へ戻った。
綾華の思惑が外れ振り出しに戻った二人は、今後どうするかを話し合っていた。
しかし、振り出しとは言え全くのゼロではない。
早めに藤田から話を聞けて良かったと思えるように、藤田は多少なりともキーワードを口にし、それを聞き逃さなかった。
「綾華は沙耶の交友関係を徹底的に調べてくれ」
「わかったわ。浩介はどうするの?」
「俺は藤田の言っていた教会を当たってみる。この辺りで教会なんてそう多く無い筈だ」
藤田が教会で悩みを相談していたなら教会側も何かしらの情報を持っていると推測したのだ。
「何か分かったら連絡してくれ」
「そっちもね」
二人は今日三杯目となるコーヒーをグイッと飲み干し、お店を後にした。
思ったより早く教会は見つかった。
一度部屋へ戻り私服へ着替えた浩介は再び藤田の家付近へと移動し、辺りを散策した。すると、民家の並ぶ通りの外れにそれはあった。
そんなに大きくはないが建物自体は新しく、最近建てられたものだと思えた。そしてキリスト教が尊ぶ十字架が屋根に取り付けられていることから此処でまず間違いない。
浩介は一段の段差を上がると両開きの扉を押した。
――ギギギギィィ……
真新しい扉なのだが錆付いているかのような音を出しながら内部が開放された。
木造の長いテーブルと同じ造りの椅子が設置され、大学の一室の様な雰囲気を漂わせている。多くの人が巡礼出来るようその座席は中央の通路を挟んで左右に十列並んでいる。
通路の正面には燦々と輝くステンドグラスが壁と天井の境目まで高々と張り巡らされており、辺り一面をその輝く反射で染め上げていた。ステンドグラスの上部には聖像が掲げられ、教会に来る者を見下ろしている。
浩介は誰もいないガラリとした礼拝堂を見回しながら中央通路を進む。
浩介は不思議と心が安らぐのを感じていた。
そういった特殊な何かがあるのか、それともこの雰囲気がそう思わせているのか、などと思考しながら最前列で足を止めると、目の前に広がるステンドグラスの眺めた。
どの位眺めていただろうか、ふと右横の扉が開いたのを感じ意識を思考から現実へと集中させた。
「気が休まるでしょう?この神秘的な力を浴びれば誰しもそう感じるものです」
入ってきたのは首から十字架をぶら下げ、特殊な服装に身を包んだ四十代の男性であった。
「力、ですか……そうですね……確かに気が休まるような感じです。あなたが牧師様ですか?」
背格好から見て恐らく牧師だろうと断定する。
教会という場所もあり嫌なイメージを与えないよう浩介は敬語で尋ねた。
それを聞き、男は苦笑した。
「ははは、『様』と付けられるようなものでは御座いませんが如何にも、私がこの教会の牧師を務めさせて戴いております」
牧師は浩介の隣へと移動し、ステンドグラスを見上げた。
「この場所には多くの巡礼者が参られます。人生にとって不安や困難はつき物です。そういった方々がここで悩みを明かし、スッキリとして帰っていかれます。私はそれを少しでも解決へと導いて行く事を義務としています」
牧師は浩介へと視線を移す。
「あなたも何か悩みがあって来られたのですか?」
浩介は苦笑いを浮かべる。
「悩み…と言えば悩みかもしれませんね。ただ、今日僕が此処を訪れたのは僕の話を聞いて貰う為ではありません」
「……と、言いますと?」
「あなたにお話を聞きに来たのです、牧師さん」
牧師は目を見開いた。
「ほう……。巡礼をしに来るような方では無いと思っていたのですが、これはまた珍しい……」
牧師はお掛けなさいと浩介を一番前の席へ手で指定し座らせると、自身はステンドグラスの真下で浩介と向き合うように位置を変えた。
「ではお伺いしましょう。私に聞きたい事とは?」
浩介はテーブルの上で両手を絡めた。
「藤田稔という男性をご存知ですよね?」
「藤田……稔……?」
牧師は首を傾げた。
もしかしたら名前までは聞いていないのではないかと思い浩介は改めて聞き直す。
「少し小太りの気の弱そうな若い男です。最近よく相談していたみたいですので記憶にあると思いますが?」
「あぁ!あの方ですか!覚えていますよ。恋の相談で何度も来られました」
牧師は思い出した様で声を強めた。
「それで、彼はどの様な相談を?」
「先程も申し上げましたが、恋の相談です。好きな子に振られて大変ショックを受けていたみたいですね。どうしたら良いかという相談を受けました」
「それに対し、あなたはどのようなアドバイスをしたのですか?」
牧師は怪訝な顔付きに変わる。
「よく覚えてはいませんが、一回だけで諦めるなということを言いました。それが何か?」
牧師がイライラしている事は浩介も気づいていたがそれはそうだと納得する。
単なる一般人がこの様な質問をすれば誰だって好ましく思わない事は百も承知だった。ましてや相手は牧師だ。神に仕え巡礼者に教え導く行いをする者である。
つまり、家庭教師にどんな教え方をしたのですかと聞いているようなものだ。
何か責められているような感覚であろう牧師は、苛立ちを抑えるかのように首から下げている十字架を無意識に手で握り締めていた。
「昨晩、その男の好きだった女性が殺されました。この付近で起こった事件です。あなたも知ってますよね?」
「え、ええ。でもまさかその子だったとは……」
牧師の驚いている顔をしり目に浩介は物音も立てずスッと立ち上がった。
「この事件は全てが繋がり過ぎている。解決しようとしても選択肢が有りすぎるんです。まるで迷路のように」
この事件の犯人を挙げるなら先ずは通り魔だ。だが殺人まで起こさなかった通り魔が何故今回は殺したのか、という疑問もある。
そう考えると次に加藤沙耶と何かしらの繋がりの有る人物が浮上する。それが藤田稔だ。
加藤沙耶が困るほど何度も告白をして、振られたばかりか突き放された怒りで殺してしまったと思えば納得出来る。だがそれも藤田と会ってきた浩介の思考には無い。
そうなると今度は藤田の言っていた加藤沙耶の最後の言葉だ。
――今付き合っている人がいる
そう本当に言っていたのなら、その人も何かしら関係してくるかもしれない。そちらは綾華に任せているので、浩介はもう一つのヒントを調べた。
それが藤田の通っていたこの教会と言う訳だ。
「彼が相談している時、他に誰かいませんでしたか?」
浩介は牧師の正面に立ち尋ねた。
浩介の疑惑は藤田が相談している時、それを聞いていた第三者の存在であった。
それを聞いた第三者が沙耶を殺したと考えられたのだ。
だがそれも加藤沙耶、または藤田稔という人物と繋がりのある者だ。何も知らない第三者が面白半分で沙耶を殺したとは考えられないしメリットも無い。ただ単に自分を不幸へと導いているだけに過ぎない。ましてや一般人がそれを出来たとすれば、相当狂っている人間だと思える。可能性は低かった。
その第三者の中には勿論沙耶と付き合っていた人物も対象である。動機は不明だが、藤田ではなく沙耶を殺したのなら何かしらの問題を抱えていた事になる。
そして、藤田の気持ちを知っていたのならこの殺人の絶妙なタイミングも理解出来る。
容疑者は通り魔、または藤田へと優先されるからだ。
通り魔は兎も角、藤田がしつこく告白していたことは沙耶の友達の間なら既に広まっている。綾華がその情報を持っていたのも本人から相談を受けたからだ。
しかし、付き合っていた人物については直接言われた藤田以外誰も知らない。沙耶も話していなかったのだ。
藤田が警察に対し容疑を否定しても次は通り魔へと向く。通り魔が捕まりこれまた容疑を否定しても藤田を自殺に見せかけ殺し、遺書でも置けば警察は間違い無く藤田を犯人と決めるだろう。
既に難なく人を殺しているのだ。自分が捕まらないようにするならそれぐらいは実行してしまうだろうと浩介は推測していた。
そんな思考の詰まった浩介の質問に、牧師は首を少し傾けて考えていた。
「もしくは彼の居ない時でも良い。それに関するような話をしていた人物とかでもいいんです」
「いや……そんな方は居なかったですね。彼が相談してくる時は必ず誰も居ない時でしたから……」
「そうですか……」
浩介は顎に手を付け暫く考える。
俺は考え過ぎなのか?それとも何か裏があるのか?という疑問を短時間で解消した。
当然答えは出ないままだ。
「ありがとう御座いました、牧師さん」
牧師に向け軽く会釈した後、浩介はその場を後にしようとする。
「あ、ちょっと宜しいですか?」
牧師は去ろうとしていた浩介を引き止めた。浩介もその言葉で足を止め牧師に向き合う。
「確かにこの事件は複雑に繋がっている様です。だから一つ私から忠告しておきます」
「何でしょうか?」
「興味本意で首を突っ込むのはお止めなさい。あなたも危険ですよ?」
その言葉に浩介はフッと笑う。
「肝に銘じときます」
それだけ返し、浩介は教会を出て行った。
辺りは既に綺麗な夕闇で染まっていた。
その中を歩く浩介は確かなる手応えを感じていた。
――やはりこの教会、一役買ってやがる……
正確な推理や矛盾点が有った訳ではない。只の勘だ。
浩介の依頼屋として幾つもの修羅場を潜り抜けてきた勘がそう伝えていたのだった。
――後は綾華待ちだな
その後、浩介はありとあらゆる構図を頭に描きながら家路に就いていった。